血肉を纏いて舞い候(前)

 
「何度云えば理解するのかな?」
「…」
視線を逸らし沈黙で返せば、足元に圧が掛かった。
ちら…と下方を見ると、それもその筈。
ライドウの革靴が、俺のスニーカーを踏んでいる。
「…返事」
そう云い奴は、更に先端にギリリと力を集める。
俺はその綺麗に磨かれた靴先の上に
空いた脚のスニーカーを乗せ付けてやった。
一瞬でも「してやったり」と思えた事で、後悔は吹き飛ぶ。
ライドウの靴に、砂や悪魔の残滓がこびりついたと思うと
妙な笑いがこみ上げてきた。
途端、衝撃が体に叩き込まれる。
「…痛って…」
当然、バランスの取れない俺は
ライドウの反撃で地に伏した。
うつ伏せに、膝を着いて起き上がろうとしたが
後頭部に衝撃を感じて、停止する。
「綺麗にして」
靴裏の感触がする。
髪にすれて、鼓膜に伝わる砂利の音。
「何で俺がそんな事…!」
「躾」
反論の瞬間、即答の声と同時に身体に痺れが奔る。
(緊縛術…!?)
急な身体の違和感に、ライドウを見上げる。
その口元が緩やかにカーブした。
「御苦労、これで良いか?」
外套に腕を潜らせ、懐から何かを取り出す。
小さな麻袋が視界の隅をよぎっていった。
じゃらりと金物の音がする。
『へえへえ、これだけありゃ十分だわぁ』
背後に老婆の様なしわがれた声がする…
「あんた、悪魔…買収したな」
「支給された管には限りがあってね」
管にも入れず、仲魔を増やしているライドウには参っていた。
俺は最近行き先で、徘徊している悪魔の中…
ごく稀に、この男の印を垣間見る。
ひっそりと、いつの間にか網を拡げているのだ。
弱い悪魔から強い悪魔まで
まるでドラマのエキストラの様に至って普通に点在している。
「ダツエバは三途の川の畔で服を剥ぐのが定石だが…この際それは見逃してやろう」
「服…剥いだら絶対、殺す」
「では靴くらい綺麗にしてくれたまえ」
そのまま、俺の後頭部から耳へ、そのまま頬へとゆるゆると
靴先が滑り落ちて、口元へ来た。
顔を背けようとしたが、シバブーが効いていて体勢を変えるのは無理だ。
ライドウが頬に靴の甲を撫で付けてくると、俺はなすすべも無く
ころりと横倒しになった。
俺の情けない姿を見下したまま、ライドウが普段通りに喋りかける。
「君にシバブーが効いているのはもう1分程度だろうから、そのままご静聴願うよ」
俺の口や頬に、汚れた(俺が汚したのだが)甲を押しつけ
ザリザリと砂や血を拭うライドウを、俺は眼だけで追った。
「いい加減…攻撃を反射する悪魔、反撃してくる悪魔くらい覚えてくれ」
「…」
「君には結構神経使うのだから、仲魔数体分の働きを希望するよ」
「…!」
(…切れた!!)
身体の緊縛が解けた瞬間を感じ、頬にあてがわれた足首を掴んだ! …筈だったのだが。
「56秒…及第点かな」
哂ってそう云いライドウは背後に跳んだ。
俺の手には、靴と絹地の靴下が残されていた。
「それとも…裸足が舐めてみたい?」
腹立たしい発言に、思わずその素足に眼が行く。
すらりと伸びた指先まで、白くて陶磁器みたいな
血肉を感じさせない造り。
「この…悪魔っ…!」
そのまま靴を投げつけてやろうと、腕を振りかぶった。
その時。

『お前は人になりたいのだろう…』

不協和音の様な声が、俺に投げかけられた。
その方向を振り返る。
『人は悪魔に、悪魔は人に…』
先刻ライドウと共に倒した、獅子の様な姿の悪魔が
四散した身体の一部から言葉を紡いでいた。
無意識の内に…その声を全身で受け入れていた。
「馬鹿!見るな功刀!」
ライドウの張り上げた声を最後に、頭が霞んで…無色に染まった。



「う…」
頭が、重くて痛い…
視界は木目の天井を映し出していた。
そして、次に俺の顔が映った。
(自分を夢に見るなんて…)
意外とナルシストだったのかと、些かショックを受ける。
するとその俺が口を開いた。
「低血圧」
…何だこの夢、自己啓発か?
自身の夢にケチを付けたくなったのは初めてだ。
「おかしいな、僕は朝も強い筈なんだけど?」
俺が、哂って金の眼を歪める。
愉しそうな口元に頬のラインも歪む。
「おい!!」
勢い良く跳ね起きて、その俺を改めて見る。
「誰だよ、お前」
自分の声が既に物語る。
少し低い、擦れの無い声音。
いつも自分を苛み、侮蔑する聞き覚えのある声。
腕を組み、ニヤリとした俺が
「14代目葛葉ライドウ」
と、半ば自棄のように鼻で笑いつつ云った。


「全く、君で遊んでいたらとんでもない事態になった」
「あんたの行き過ぎた躾の所為だろ」
「同じ失態を繰り返す君が悪い」
この応酬、声音を逆転すれば違和感も無いだろうに。
俺とライドウが入れ替わるとか…これはフィクションだろう?
そうに決まっている。
「ソロモンの悪魔だね…擬態に近い感覚だけど、君が眼から呼び入れた呪いだと考えて間違い無さそうだ」
冷静に語る俺の姿も微妙だが
大人しく布団に入っているライドウ姿の俺も気味悪い。
「どうすれば戻れるんだ?」
まさか、ずっとこのままなんて馬鹿げた事にはならないよな?
とても不安げな表情をしたライドウ…なのだろう現在の自身。
正直、今近くに鏡があれば自身の姿を覗きこんでみたかった。
(此処はライドウの部屋だから…確かあの戸の横に…)
「余計な事考えなくても、戻れるよ」
すっと遮るように俺(ライドウだが…)が立ちはだかる。
「どうすりゃいいんだよ」
云いながら、ライドウ姿の俺はそれを除けるように布団から這い出る。
「あの逃げた悪魔を抹消する」
その自信満々な俺の声と一緒に、首根っこを掴まれた。
「うわっ」
そのまま俺は、引き戻された…というよりは
布団の位置を過ぎ、壁際にまで転がった。
強かに身体を打ちつけ、痛さに驚く。
おまけに全然…痛みが退かない。
「あんた…少しは加減しろよ!!此処は屋内だろ!?」
俺の怒声に、同じく驚いたような表情のライドウ(姿は俺だが)が居た。
自らの手を眼前に晒し、感嘆の声を漏らす。
「これは…力の制御が難しいな」
おいおい、俺の身体の所為にするなよ。
俺は脱げた帽子を被り直して、溜息をついた。
「じゃあ今からその悪魔を倒しに行こう」
こんな状況は一刻も早く打破したい。
俺は自分がライドウの姿である事が赦せなかった。
しかし。
「功刀君…いや、ライドウ君、君には役割が有るのだよ」
妙な喋りの俺の声が耳障りだ。
「…何?」
「明日は葛葉の里に行ってもらう」
…はあ?
何故俺が?…まあ、確かに葛葉ライドウの姿が行かなきゃおかしいが。
「先に悪魔を倒せば、すぐに戻れるんじゃないのか?」
「そんなすぐに見つかると思うかい?」
「いや…」
「君は明日の定期報告に向かってもらう」
て、定期報告…
ライドウの本来の責務を思い出した。
(そう云えば、コイツは帝都守護が本分だっけか)
今更だが、この血も通わぬような男にそんな任を与えて良いのか
ほとほと疑問だ。
「あんたが事情を説明して行けば良いじゃないか」
「君…人修羅のヤタガラスに措ける立ち位置を把握しているのかい?」
俺の姿をしたライドウが、その指を眼に沿わす。
「混沌の悪魔…危険分子…」
指が頬から首筋に流れてゆく。
ライドウはどこかうっとりした様に、俺の肉体を撫で回していた。
「止めろよ!このセクハラサマナー!」
「クク、今の僕は人修羅だけど?サマナーは君だよ功刀君」
ああもう、やはり中身は葛葉ライドウだ。
俺の姿であまりな行為にはしるものだから、いい加減にして欲しい。
「行ってくれるね?」
「分かった!分かったからもうじっとしていてくれ、本当に」
入れ物を交換したのに、何故こうも立場は変わらないのか…
俺の弱さに虚しさがこみ上げてきた。
「では明日発ってもらう、準備はしておく」
「ところで報告って…俺、あんたの行動まで掌握して無いんですけど」
「報告文をしたためておく、ゴウトも付くので心配するな」
(不安過ぎるって…!!)
そもそも俺は、何処までライドウのフリが出来るんだ?
良く知りもしないのに、里帰り…
なんて無謀。
「はあ…とりあえず寝て良い?なんか妙な疲れがあってさ」
そう云い布団に潜る俺に、ライドウが俺の姿で笑った。
「ははっ、それは君…脆弱な人間の身体だからさ」
「…」
「だろう?」
「…起こすなよ」
俺は半分無視してそのまま寝返りを打ち、背を向けた。
しばらくして、さりさりと硯を磨る音がしてきた。
ああ、さっき云っていた文章を書くのか…
夢現に、その音を聞きながら眼を閉じた。
墨の香りが眠りへと誘うようだった…


「…重い」
重い、本当に重いぞ。
「あんたいつもコレで活動してるのか?」
「そうだけど」
「…サドでマゾか」
早朝、まだ窓外に霧が霞む時刻…
ランプを灯して支度を進める俺とライドウ。
テキパキとホルスターベルトを俺に巻き、背を編み上げる人修羅姿のライドウ。
なすがままに、微妙な面持ちのライドウ姿の俺。
異様な光景だ。
考えてみれば、ホルスターベルト自体も重いし
管は通常時で8本を胸元に携帯。
右腰に銃。左腰に刀。
後ろに回るベルトには特殊銃弾が連なって携帯されている。
そして意外と重いのが外套。
「はあ…これで戦う気が知れない」
俺の呟きに、ライドウがフ…と笑い云った。
「裸一貫で戦う気が知れない」
俺はカッとして、俺の身体だというのに
思わず相手がライドウのつもりで脚が出た。
「ちょっと、僕は刀か銃を基本にしてくれよ」
「…」
俺の姿で、軽々と足先で受け止めていた。
「返事は?」
「…了解」
俺の身体が能力的には強いからって…こいつ。
「宜しい、では僕はあの悪魔を追っておこうかな…」
更に続けてそんな事を云い出した。
「おい、俺の身体は制御が難しいんじゃなかったのか?」
「慣れたよ…君はそろそろ向かいたまえ」
「電車は?」
「ゴウトに先導してもらえ」
云いながら、窓を開け放つライドウ。
まだ青く薄暗い朝靄の空気が部屋に流れ込んだ。
その窓硝子を上に押し上げ、脚をかけた。
「おい!飛び降りても平気か試す気か?」
確かに俺の肉体なら大丈夫だが…
そんな異常な考えを俺がしている内に、ライドウが述べる。
「上から行った方が早いと思ってね」
金の眼が光る。
窓枠からひと蹴りして、人修羅姿のライドウは飛び立っていった。
おいおい…
本来の持ち主より、上手く肉体を使えているのではないだろうか?
俺は内心ぞっとしながら、探偵事務所の階段を下る。
すると、階下から男性が此方へと上がってくる姿が見えた。
(…所長の鳴海って人だよな)
どう挨拶すべきか。
というかこれは朝帰りではなかろうか?
鳴海がよれたスーツの羽織を肩に掛け、頭を掻いて欠伸をした。
「ぉお〜…ライドウ…早いな」
「お早う御座います」
とりあえず、挨拶。
「もう仕事かぁ?休んでるのかしっかり」
「え、ええ…問題無いです」
「珈琲淹れようか?」
何だ?結構普通なやり取りに俺が驚かされた。
もっとこう…恐れ慄くか、煙たがられているイメージだったのに。
「あの」
「ん?な〜にぃ?」
ロビーの扉を開けながら、間延びした声で返してくる鳴海。
「朝帰りとか、感心出来ません」
俺は思わず云ってしまった。
今ライドウの姿なのだという自覚が足りない発言。
ハッとしたが、鳴海は停止したままだ。
マズイか…と思った矢先、くく…と押し殺すような笑いが響いてきた。
鳴海が、腹を押さえて笑っている。
「な、何か?」
不安から問い詰める。
「だ、だってライドウ…!お前の方が朝帰り酷いのに!あっははは〜どうしたよ今日?まだ寝惚け眼かい?」
そう云い此方の帽子のつばを掴み、ぐいと下げられた。
「わ!」
「気をつけて行っといで〜」
そのまま放した手をひらひらとさせて、扉を閉めた。
(な、なんだこの関係…)
とりあえず、ライドウが朝帰り常習という
どうでも良過ぎる事実は判明した。

『おい人修羅、早う行くぞ』
ビルの外で待ち構えていたゴウトが声を掛けてきた。
「すいません」
『コウリュウを使っても良いのだが、お主の中に感づかれてもまずいからな』
「良いです、俺電車好きだし…」
『フン、結構長いぞ』
そのままゴウトの後に続く。
霧を吸って、微妙に外套が重い。
しかし、纏わりついてはこなかった。
裏地の絹が上質な所為か、酷くさばきが良い。
(ああ…確かに)
これで颯爽と歩いたら、格好良いのだろうなぁ…と、ふと思った。
え?誰が格好良いのかって?
それは絶対口外したくなかった。
一瞬でも考えた俺が腹立たしかった。

「くれぐれも粗相の無いように!」

電車乗り場へ向かう道中、急に頭上から声がした。
見上げれば、比較的背の高いビルの屋上から此方を見つめる双眸。
まだ薄暗い空気の中、眼だけ金色に輝いている。
うっすらと身体の斑紋も、淡い光を帯びて…
人修羅姿のライドウが、俺に語りかける。
「里によろしく…」
そう哂って言い残し、その屋上から隣接した建造物の屋上へ…と
次々に飛び移り、彼方へと消えていった。
「なんだあいつ、おかしいだろ」
思わず口をついて出た言葉に、ゴウトが返してきた。
『あやつ、お主の身体を愉しんでおるな、間違いなく』
はあ…と、思わず帽子のつばを掴み、深く被りなおした。


電車を幾度か乗り継ぎ、少し歩く…
渇いた空気に、肌が軋む。
重い装備が、まるでスポ根物の漫画で出てくる重りの様だった。
(あいつ、よくまあこんな重い物振り回すな)
刀を、手足みたく自在に操る。
銃を、手鏡を取り出す女子の如く自然に引き出す。
あんな男を作り上げた“里”に、興味が無い訳では無かった。
どんな教育をしているんだか…
まあ、今まで片鱗を見聞きした結果…イメージは宜しく無い。
『人修羅よ、ひとつ宣告しておくぞ』
前を歩くゴウトが、歩きの姿勢を崩さずに俺へ告げる。
『里では、極力我が代弁しよう…お主は相槌を打てば良い』
「はい、是非そうさせて頂きたいです」
『ふう…今回演舞が無くて良かった、お主は刀なぞずぶの素人だからな』
「即バレですね」
ゴウトの云う通りである。
まあ、バレたらそれはそれで14代目の失態という事が認知されるだけだ。
俺も捕まる気は無いが、とりあえず無茶は出来ない。
この肉体、いくら鍛えてあってもやはり人間…
いつもの様に戦えば、間違いなく致命傷…死に至る。
ここでいっそ、ライドウの肉体ごと自滅してやっても面白いが
俺の肉体が、あの男の魂に人質に取られているのだ…
ぞっとして、改めて意識を張り詰めた。
『着くぞ』
前からのゴウトの声。
周囲に咲いていた彼岸花が、河岸の切れ目と同時に消える。
赤い帯の結び目に位置するように、ひっそりと存在していた。
(確かに、異様な感じ)
彼岸花…綺麗だが、あまり健康的な連想は出来ない。

里の門をくぐると、既に出迎え人が連なっている。
皆が礼をして、指を組み額に翳す。
「お帰りなさいませ、14代目」
「…ああ」
とりあえず適当に相槌した傍、ゴウトが口を開く。
『依頼が押しておるでな、報告次第引き上げる予定だ』
「左様で御座いますか…ではどうぞそのまま、三本松様の下へ」
そう云い、その連なる装束姿の内1人が先立って歩いて行く。
考えてみれば、普通にゴウトと会話していた…
この里では出来て当然、なのだろうか。
(しかしまあなんとも…)
視界を横にやれば、色の無い世界…
戯れる子供も居なければ、行商人の活気ある声も無い。井戸端会議も無い。
ただ静かに、時が流れている。
これは偏屈になるかもな。
妙に納得して、装束の後に続く。

木造の重厚な建物に入る。
かなり背の高い建物に、少々驚きが隠せない。
そして、かなり大きな開き扉の前にて止まった。
「三本松様、14代目が報告にあがりました」
装束の言葉が終わると同時に、大戸が左右に引かれていく。
<帝都守護の任、御苦労…14代目葛葉ライドウ>
そこには、ただひたすら大きな木が在った。
だが、発される霊力がすべからく語る。
この里の長が彼なのだ…
<報告、挙げよ>
「はっ」
外套から報告文を取り出し、ぱたぱたと横広げにした。が…
予想だにしていなかった事が起こる。
(…何だ、この字)
筆字が、これはなんだ。達筆過ぎるとでも云えば良いのか。
それと漢字の異様な多さが更に解読を不能にしていた。
通常かな文字で済ませれる所まで、漢字。
(あの男!俺が詠む事を念頭に入れ忘れたな!?)
<どうした14代目>
急かす松に、焦る俺。
傍らのゴウトが異変に気付き取り繕う。
『申し訳無い、14代目は先の戦いにて喉元の負傷有り…あまり長時間の発声を良しとしない為、我が代弁致そう』
かなりアドリブ上手なゴウトに感謝する。
<過保護だな童子よ、まあ良い…報告致せ>
『定期報告、帝都守護の任を頂く14代目葛葉ライドウが此処に記す…』
俺はホッと胸をなでおろし、そのゴウトの声を黙って聞いていた。

『討伐25件…物資調達17件…失せ物探し8件……人死に0』
<ほう、相変わらず討伐件数の多い事よ>
『ミルクホールに薬学知識に長けた者を派遣希望…他、悪魔討伐依頼を優先的に廻して頂きたく思ふ』
<そして暗殺は受けぬ…との事だろう?>
『…恐れ入る…長よ』
<全く…頑固な子狐を飼いならすのも骨が折れる>

そのやり取りを聞いていた俺は、実はやり場の無い焦燥感に駆られていた。
(ライドウ…真面目に仕事していたのか…)
いつも俺を虐めて、悪魔を狩って遊び呆けていたと思えば
帝都での責務はきっちりこなしている様で…
あいつの抜け目の無さと、良く分からない責任感に舌を巻く。
なんだか、少し腹が立っていた。

<して、14代目よ…例の悪魔はどうなった?>
その松の声は、ゴウトでなく俺に刺さってきた。
それとなく、返答する。
「例の…とは?」
<とぼけるでない、人修羅じゃ>
俺、の事?
(…まいったな…)
「何をお伝えすれば宜しいのでしょうか?」
何を聞き出したいのか、皆目見当もつかないので
仕方なく墓穴を掘っていく。
<人修羅をヤタガラスに寄越せと以前から云っておろうが…>
「え!?」
初耳だ。思わず、床に伏せていた眼を松に向ける。
松が霊気を震わせてさざめいた。
<何を取り乱しておる>
「も…申し訳ありません…ですが人修羅は…」
口を滑らさまいかと、ゴウトの視線が横から俺に振り注ぐ。
でも、云わせて欲しかった。
「人修羅は、不安定です…しかし、自分が見ている限り…問題なく使役出来ます」
何を云っているんだ…と、普段の俺に右ストレートを喰らいそうな内容。
でも、こう云うのがベストな気がした。
<14代目よ、ぬしが喰い殺されるのは我等にとっても不利益…その人修羅を寄越し、洗脳を施すべきではないか?>
その松の返答を聞いた俺に、一瞬殺意が宿ったのを
隣の黒猫は気付いたろうか?
爪が掌に喰いこむ、その拳を握りしめて膝頭に置く。
「人修羅…は、自分に絶対服従しています…だから…」
最悪。
「だから、大丈夫…です」
こんな事を云ったと、当のライドウに知れたら
俺は彼の前から逃げ出すだろう。
<…帝都がその修羅に襲撃されでもした時は…償ってもらおうぞ>
「承知しております」
(誰がするか…)
俺が力を行使するのは、襲ってくる悪魔達相手に、だ。
人間や、無関係な物を破壊したりなんて…誰がするか!!
<次の報告では良い返事を期待している>
松のその言葉を締めに、報告は終了した。


『全く…一時はどうなるかと思ったわ』
「す、すいません…」
館の外で、俺はゴウトに平謝りしていた…
『しっかし…あの発言、お主も相当自分を殺したな』
猫の眼が煌いた…気がする。
俺は少し頬が熱くなるのを感じた。
それは、恥だった。
「あいつなら、ああ云うでしょう?」
『まあ、その通りだな…して人修羅よ、我は少々野暮用があるのでほんの数分抜けるぞ』
顔を洗いながら、ゴウトは欠伸をして云う。
里に居て、気が抜けているのだろうか?俺は逆だが。

(ライドウは…里に居てどんな気分なのだろう?)

館の縁側で、ぼうっと景色を眺めて待つ。
この身体に入る魂は俺のだから、そこの感情までは分からない。
(帝都守護…か) ライドウ独りで、何処までそんな事が可能なんだ。
そもそも、それって個を殺してしなければ不可能だろう。
それとなく着いた頬杖、その掌に違和感を感じる。
先程爪が喰いこんだ箇所が、まだ赤く線になっていた。
こんな傷すらまだ治癒しないのか…
普段自身の肉体が、どれだけ化け物なのかを改めて思い知る…

「14代目!!」

突如かかった声に、拳をハッと握り締めた。
両掌の間から、遠方に視線を向けると其処には人が居た。
(子供?)
里で初めて見る“児童”だった。
学校とか、どうしているんだろう…
等と考えている内に、その子供はたたっと駆け寄って来た。
庭園の背の低い柵で止まり、笑顔を向けてくる。
「お帰りになっていたのですか?お久しぶりにございます!!」
年の頃、12・3か…にしては固いなぁ…
「ああ…久しぶり」
鸚鵡返しの俺を許してくれよ、と思い、挨拶しに立った。
「帝都は相変わらず賑やかなのでしょうか?」
「まあね、人だけは多いよ」
「探偵所の昼行灯様はその後お変わり無いのでしょうか?」
「ひるあ…鳴海所長なら、僕に良くしてくれている」
(おいおい、何を吹き込んでいるんだあの男)
この子に愚痴でも聞いてもらっているのだろうか?
「14代目…お変わりないようで、何よりです!」
「ああ…」
「ボクも、何にも変わりなくて…情けなや、未だに管が使えないです」
「使えない…?」
「はい、悪魔に手伝ってもらう毎日です、使役には程遠いですよね…14代目はボクの歳位には既に管召喚を完全に我が物にされていたそうで…」
はあ、と溜息をつく少年。
ああ、だから羨望の眼差しだったのか。
「あの、土産話にもうひとつ良いでしょうか?」
「云ってみろ」
「人修羅って、悪い悪魔なのですか?」
「…な」
こんな所にまで知れているのか。
それともライドウがこの子に話しているのか。
定かでは無いが…俺は停止してしまった。
この少年の好奇の眼が、柵を乗り越えてこの身体に聞いている。
「悪く…は無い、が…良くも…無い」
そう述べる自身の声の頼りなさ。
俺は、俺の事をそう思っている…のか。
相変わらず、中途半端な…
「いつになったら見せて頂けますか?人修羅」
その子にとってはどうやら、善悪は関係なく
ただ見たい、という子供らしい好奇心が根源にあるらしい。
「いや、それは難しい…」
だって俺の身体は今別行動だし、魂は今君と話している俺なのだから。
子供相手に拒否するのは気が引ける、やんわりと断っていると…

「難しくないよ」

頭上から降る、聞き覚えのあり過ぎる声音。
少年が眼を見開いて、俺の顔から頭上を鑑みる。
トッ、と傍で音がした。
振り返らずとも分かる。
「よぉライドウ、定期報告は済んだ?」
人修羅…もといライドウ。
「お前、此処に居たらマズイんじゃ…!?」
思わず寄り、耳打ちで責める。
「全然平気、この里警備体制薄いから」
(だからって…子供の前で)
思い起こし、ハッと顧みる。
柵越しに、あの少年が固まっていた。
云わんこっちゃ無い…これで通報されたら、俺はたとえ素人でも
抜刀してあいつに斬りかかってやる。
「14代目、その…悪魔?って、管に入れてないのですか?」
少年の微妙に震える声に、人修羅ライドウが答える。
「俺は完全な悪魔じゃないから、管に入らないよ」
「完全な悪魔じゃ…ない?」
「ああ、悪魔に非ず人に非ずって感じ…中途半端で正直疲れる」
こ、この男…
(俺の真似、上手すぎる)
仕草まで真似て…俺に見せ付けているのか!?
「お前、もういいから!あの悪魔はどうなった…」
妙な展開に焦る俺は、その人修羅ライドウの腕をぐっと掴んだ。
途端、ぱしりと振り払われる腕。
「俺に触るな」
その姿、まさにいつもの俺…!!
(ち、ちょっと…イラって来た…)
一瞬口元が哂ったのだけは違ったが。
「お、お前!!使役されてるのに14代目に手を上げるなんて…失礼だぞっ!!」
柵を掴み、わあわあとあの少年が怒りを露わにした。
いや、その14代目に君は剣幕を振るっているんだが…
その少年の前に歩み出た人修羅ライドウ…
金眼を光らせて、口角を上げた。
「君こそ可哀想だ、里に使役されてて」
ライドウが、そう、はっきりと少年に告げた。
少年は、唖然として大人しくなる。
「こんな所で洗脳され続けて、嫌にならない?」
その斑紋の浮かぶ腕を、少年の額に伸ばして
前髪に指を通した。
「嫌じゃない、嫌なわけあるもんか!」
我に返り、反発する少年。
「そう思い込んで自分を慰めているんだ、此処のデビルサマナーは襲名した時から人とは違う異質な存在になる」
そう云い、梳いた髪を絡ませ頭をひと撫でして、放した。
「此処に生まれた時から自分なんて無い、仮初の姿だ」
「ボクは自分でサマナーになりたいと思っています!」
「生まれた瞬間肉衣を纏うのさ、葛葉のね…あの男なんて最たるものだろ」
ライドウがそう云い、此方に顔を向ける。
(ライドウ、あんた何を思って話しているんだ…)
その少年への同情?
それとも…自分への同情?
「ライドウ、もう済んだんだろ?ゴウトさん引っ掴んで帝都に戻ろう」
俺の姿のライドウは、急に空気を切り替えて
少年から完璧に離れた。
その少年は、柵を掴んだまま俯き何かを考えているようだった…
「じゃあ、もう行く……またね」
俺は、きっとライドウが次回の訪問の際にこの子に会うと思った。
だから“またね”と別れの言葉を掛けた。



ゴウトを急いで回収した俺は、里から逃げるように出た。
『全く、旧友とゆっくり話もさせてもらえぬのか』
「すいません、ゴウトさん」
またまた俺は平謝りする事になってしまった。
もうこれは帰還したら鰹節でも与えるしかないな。

そのまま少し離れた河川敷で、ライドウは腕枕に寝そべっていた。
彼岸花に包まれて、俺の姿で身体を投げ脚を組んでいる。
「遅い、少々寝てしまったよ」
気配に気付いたのか、其処に俺が下りる前に声を掛けられた。
「なあ、悪魔は倒せたのか?」
俺は文句を無視して本題に移る。
「勿論、だが少し…しくじってね…」
云いつつ人修羅ライドウは指をばらばらと動かし、グッと掴む。
「やり過ぎてしまったよ、解呪させる前にバラバラにし過ぎた」
ニヤ…と哂い、強く眼が光る。
高揚しているのか、先の戦いを思い出してか…。
好戦的な彼に、人修羅の肉体を与えては駄目なのだという事だけはハッキリした。
「はぁ!?じゃあもう元に戻れないのかよ!?」
声を荒げる俺に、彼は手を伸ばしてきた。
先刻の少年のように、撫でてもらえる事も無く
口元をがっしと覆われる。
「最後まで聞きたまえ…」
「む、もごっ」
「ドクターヴィクトルに任せてある、明日には蘇生しているさ」
それで、蘇生させて解呪させて、また殺すのか?
本当に、この男…
悪魔。

「さあ、帝都へ戻って適当に待とうか」

愉しげに聞こえたのは俺の気のせいか?

血肉を纏いて舞い候(前)・了
* あとがき*

読みは『ちにくをまといて まいそうろう』です。
思いのほか長くなり、前後編と分けました。
ライドウの境遇に立ち、初めて見えてくる彼の姿…と云った感じで。
相互理解なら分かりますが、この2人なので恐らくネガティヴに展開します。
後半はもうお遊びです、好きに書きますね。