血肉を纏いて舞い候(後)

 
「食べないの?」
「…」
「三河屋の大學芋だよ?」
「別に俺は大學芋が好物じゃない」
「僕の身体は欲していると思われる、さあ早く食べるんだ」
何が悲しくて、この肉体の為に食べなくてはいけないのだ。
俺は葛葉ライドウじゃない。
甘い蜜の絡んだ艶の美しい芋が食べたいだなんて、これっぽっちも思わない。
思わない筈。



あれから電車に揺られ、帝都へと帰還した。
ライドウは、俺の身体の力を抑え
ごく普通の人のナリで先刻まで乗っていた。
「その外套を貸してくれよ」
俺の首元を掴み、襟からひっぺがそうとするライドウに怒鳴ったが
確かに上半身を露わに乗車されては
早い時代に女性車両の誕生を促してしまいそうだった。
「帝都に到着する前に途中下車するぞ」
功刀矢代の顔を笑顔にし、そう云うライドウ。
俺の身体で作られる、悪意の無い笑顔が泣けてくる。
「俺は先に行ってるから、あんただけで勝手に降りろ」
俺の言葉を無視して、人修羅ライドウは話を進める。
「降りて4分の処に三河屋が在るから、其処へ行く」
三河屋?なんだ其処は。
「デビルサマナーとしての用件?」
俺の里から解け切らぬ緊張がそうさせたのか
至って真面目に質問をしていた。
すると奴は外套のまくれを直しつつ云い放った。
「大學芋の老舗」



そうして、今に至る。
探偵事務所のソファに腰掛け、大學芋をつつく姿。
俺は、そんな笑顔で大學芋を食べた事は無いぞ?
「おい、ライドウ」
「定期報告の後は必ず寄る処」
「あんた、俺の身体が食べなくても平気なの解ってて食べていないか?」
俺のその問いに奴は、蜜で艶がかった唇を、咀嚼しながら歪めた。
「だって、この身体で食べたらどう分解されるのかと思ってね」
馬鹿、何も残らないんだよ。
マガタマは胎内に留まり、食物等は完全分解。
それ以外は逆流してしまう。
「あんたがいつも食べてる時の味、してるか?」
そう聞けば、人修羅ライドウは唇をひと舐めして
「いいや、全然美味しくない」
眼だけで哂った。
(だろうな)
人修羅の身体は、味をなんとなくしか感知出来ない。
必要無い器官だから、退化してしまったのだろうか?
偶に気休め程度に何かつまんでみるが、あまり良くない。
「これだけは勘弁願いたいな」
ライドウは、まるで悪魔の身体を嘲笑うかの様にそう述べて席を立った。
「だから早く戻りたいって云ってんだろ…っ」
背に文句を投げ、相手の姿が戸から消えるまで視線で追ったが…
「…はぁ」
溜息しか出てこない。
(本当、帝都を護っているのかと思えば…)
本当に、悪魔のような男だ。
ぼんやりとそんな事を考えていると、ふわりと何か薫った。
その方を見れば、甘い薫りという事に今更気付く。
そういえば、大學芋…まだ残っているのか。
(勿体無いな)
竹の平楊枝でぐい、とひと欠片を突き刺してみる。
そのまま引き上げれば、つぅ…と光る糸が垂れて
視覚に甘さを訴えて来る。
なんとも云い得ぬ予感に、思わず唾を呑む。
そのまま、口に放った。
(…あれ?…あれ!?)
「美味しい…」
独り言が出てしまう位に、そう感じた。
しっかり、味を感じ取れる。
コレが美味しいと思う。
もうずっと忘れていた感覚に、懐かしさと感動が込み上げた。
ああ、ライドウは悪魔のような男でも
やはり人間なのか…
悔しいような、羨ましいような。
微妙な心持で楊枝を芋に刺していると
ベルの音が鳴り響いた。
携帯ではない、本物の黒電話の音。
鳴海所長も、ライドウも居ない事務所に鳴り響く。
(対応した方が良いのかこれ…?)
どうも鳴り続ける電話という物は気になる。
おずおずと、その黒光りする受話器を持ち上げて顔に添えた。
「…お電話有難う御座います。なづ…鳴海探偵社事務所です」
(危な…っ)
昔の…人間の頃のバイト先である
本屋の店名を口走りそうになった。
名塚書店という本屋だったので紛らわしい。
『おう、あんたの処のデビルサマナーは今居るのか?』
ドスの効いた声音。
「…僕ですが、どういったご用件でしょうか?」
あ…それに対しての、今の自分の発した返答…
見事に、機嫌の悪いライドウの声だったな。
『依頼じゃなくてな、アンタに用があるんだよ葛葉さん』
「…下らない用件なら、お断りさせて頂きますが」
なんだあいつ、恨みでも買っているのか?
まあ…買っていても全くおかしくないが。
『おい、そんな事云っていて良いのか?窓の外、見てみろ』
「窓の外…?」
受話器はそのままに、視線を窓外へと投げる。
いつものような着物姿の人々の雑踏。
しかし、違和感があった。
何かあったのか?騒がしい気がする。
『屋上から後で見てみろや、で、来い』
「おい、何の…」
『じゃあな、待ってるぜ』

ガチャリ

云うだけ云って、思いきり切りやがった。
鼓膜が痛い。
(屋上…)
ロビーの戸を開け、革靴を踏み鳴らし階段を上がった。
少し頑丈な扉を開け放ち、外の空気が肺に流れ込む。
(…臭う)
焼けるニオイ。
端まで寄り、その原因をしかと見る。
狼煙の様に、煙が上がっている…
あの男の云うには…恐らく人為的なものだ。
だとしたら、これは放置してはまずいのではないか?
(何処だよあの辺って…?)
場所が殆ど解らないので、今しっかり方向を定めておかないと…
いや、それより仲魔に偵察させるべきか?
そう思い管に指を伸ばした、が…
(どれがどれに入っているんだよ…)
そんなのあの男しか把握していない。
ここは、憶測という名の推理をするしか無い。
…右利きで一番使う管なら、恐らく左胸の一番左。
(これは、多分イヌガミだ…!)
その管をホルスターから抜き取り…
抜き取り。
…どうすればいいんだ?
念じれば同じ様に召喚出来ると思ったのだが…
どうも勝手が違うようだ。
マグネタイトとかいうマガツヒみたいなのを
常に供給しないと、彼等が活動出来ないとは知っている。
「来いっ」
しーんと、地上の喧騒だけが耳に入ってくる。
「イヌガミ!」
管を握り、意識を集中しているのだが…
『おい、あまりライドウの身体でそんな真似をしないでくれ』
俺は急にかけられた声に、管を取り落とした。
カラリと弾み、コロコロと声の主の足元まで転がって行った。
「ゴ、ゴウトさん」
『ライドウがやっているみたいで、かなり面白いぞ』
「い、いつから見てたんですかっ!?」
『“来いっ”とか云っているあたりから拝見している』
さ、最悪…
最後の砦であるゴウトにこんな仕打ちを受けるとは。
恥ずかしさで心が折れそうだ。
『だが…この管がイヌガミというのは正解だ』
管を咥えたゴウトから、其れを受け取る。
気恥ずかしさから、急いでホルスターに収めた。
「俺には無理っぽいですから、このまま向かいましょうか」
『ライドウはどうした?』
「知りませんよあんな奴」
ぶっきらぼうに応えて、俺は階段を足早に駆け下りた。
『先の電話は何だったのだ?』
「さあ…でも無関係の人にまで被害が及ぶのは嫌ですから」
『それは正義感か?偽善か?』
「キツイですね」
帯刀し、ライドウの姿を思いつつ身支度を整えた。
俺にとってはお飾りの、胸のホルスターが重い。
『それともライドウの為か?』
そのゴウトの一言に、俺はぞわっと身震いした。
「その言葉、2度と云わないで下さい」
外套を纏い、外へと赴いた。




「葛葉あああぁ!その身体!いい加減調べさせてくれ!」
「ドクターヴィクトル、勝手にサマナーの仲魔をいじる事が何を意味するか…貴方も知らない訳は無いだろう?」
全く、騒々しい男だ。
研究気質は好ましいが、対象が自分となると話は別である。
待合椅子に腰掛け、脚を組む。
「それで、昨日の悪魔はどうなった?」
ドクターは、良くぞ聞いてくれたと云わんばかりの
満面の笑み(笑みか?)で振り返った。
「もうほぼ成形は完了しているぞ!合体も可能だ!」
「いいや…合体はさせない」
「何ぃ?では何の為に!?」
「話をしたいだけだよ…」
適当に応えて、静かに眼を瞑った。

(この身体…鈍感だな)

この地下室は冷えている、吐く息も白い。
筈なのだが…薄い着物1枚で事足りる。
悪魔たる所以…か。
この内をめぐる血や、造る肉も、何処までが人間なのだ。
確かに…見目は人間だが、これでは普通に暮らしている上で
確実に弊害が有る。
どの位切り刻まれれば、再生を止めるのだろうか?
どの位力を制御すれば、人と全く同じに居れるのだろう?
(功刀はどの位この身体を理解しているのだ…)
『ライドウ!!』
その声に、引き戻されたかのように眼を開く。
黒猫が長い階段を下りて来て
その逆光が大きな影を作る。
「どうしましたゴウト?」
脚を組み替え、頬杖を解く。
『お主に用の有る者とやらが深川町で騒いでいるようだぞ』
「深川町?」
『屋上から見たが、煙があがっておる』
煙…
それは急いだ方が良さそうだ。
「葛葉ライドウの身ではありませんが、挨拶に向かいましょう」
腰を上げ、着物の襟を正す。
『人修羅が今向かっておる』
「は?彼が?丸腰でですか?」
『使えぬ管と刀と銃を所持して向かった』
それは丸腰だろうゴウト。
フ…と哂いが込み上げてくる。
『おい、あまり人修羅の身体でその様な笑みを浮かべるでない』
眉間を寄せるゴウトが、後ろに付いてくるなり云ってきた。
「何故です?」
『…悪魔の中の悪魔に見えるわ』
「フフ、成ってみせましょうか?」
扉を開き、金王屋の店先を通過していく。
店主人の老人が渋い顔で見送る。
「ハン、サマナーの知人も財布の紐が固いようだな?」
今ここで、僕の陰口でもぺらぺら喋ってくれたら面白いと云うのに。
僕はゴウトをゆるりと抱き上げ、主人の方を見る。
「ご、御免なさい…ライドウに云われて来ただけで…お店を通る必要が有るなんて聞いていなかったんです」
ぎょっとする主人。
「冷やかしみたいで、失礼ですよね…ねぇゴウト?」
泣きそうな表情を作って腕の中の黒猫に話しかける。
沈黙するゴウト。
居た堪れなくなったのか、主人が一声。
「わ、分かったわい!もう良いから行け!」
「有難う、また来ますね!」
困り果てた主人の狼狽した顔が可笑しい。
僕は黒猫を抱きかかえる青少年を演じて、店の暖簾を潜った。
『…趣味悪い』
「何か?ゴウト?」
『悪魔だな、まるで』
「今は悪魔で間違い無いですね」
胸元にゴウトを抱きかかえたまま、路地裏の行き止まりに着く。
片脚で地を蹴り、その生垣に飛び乗る。
其処から更に段を上るように屋根を伝う。
『いっそ功刀と中身を替えたままで良いのでは無いか?』
風を切り跳ぶ僕に、ゴウトが腕の中から問いかけた。
「まさか、それは僕が許せませんね」
『如何なる理由で?』
「彼では帝都は護れない」
『…』
「身を置く限り、帝都を護るのは僕の責務ですから」
あの身体がサマナーでも、中身が彼では意味が無い。
帝都を守護するという事は、彼には向いていない。
(煙が近い…)
深川町まで、あっという間だった。



「…く」
身体中が、軋み悲鳴をあげている。
攻撃を受け止めるしか出来ない刀。
其れを持つ手は、痺れている。
『おいおい!本当にあんたデビルサマナーかぁ?召喚すらしねぇで』
「!」
『おらよっと!』
放たれる氷塊を横に跳びかわす。
(身体が重い…!)
いつもの自分の身体とは訳が違う。
避けよう、と思ってからでは少し遅い。
先見の眼で避けるか、うまく刃で受け流す必要があるのだ。
『ほらよ!渋ってないで早いとこ仲魔を呼べよ!』
ボルテクスには居ない悪魔。
どんな奴か弱点すら分からず戦うのに、持つ武器は扱えず。
仲魔すら呼べない。
(あれ、俺もしかして一般の人と今、同じ程度なのか?)
切らした息を整えて、刀の柄を握る。
しくじった…
この身体ではミスが命取りなのに。
『よそ見すんなっ』
「くっ…う!」
氷に紛れ、その悪魔が白い霧の中から急に姿を現せた。
急いで刀を構えたが、冷たい打撃に高い音が響く。
「あ!!」
遥か上空、家屋の方へと弾き飛ばされた刀が太陽の光を反射した。
背後へすぐ退き、銃に手を掛ける。
『遅ぇ!』
照準など合わせる前に、その悪魔の両手から
何かが放たれようとしている。

ずぐり

肉を突き破る音が、伝わってきた。
でもそれは俺では無い。
ハッとして確認すれば、その悪魔の胎に刀が刺さっている。
先刻弾かれた刀だった。

「どれだけ刀を粗雑に扱った?」

その声のする方を見た。
ああ…やはり来た。
「おかげで鷹円弾として投げるしか無い“なまくら”になってしまっていたよ」
人修羅ライドウ…
屋根の上で、肌蹴た着物を肩に引っ掻けて佇んでいた。
『誰だてめぇは…』
悪魔は刀を胎から抜き、地面へと放り捨てた。
「其処のサマナー葛葉ライドウの仲魔」
そうはっきり応えて云うあいつが、正直憎い。
人修羅ライドウが、俺の方へ飛び降りて来る。
「ナガスネヒコか…」
そう云って、俺の前に出た。
「ライドウ、あんた何処ほっつき歩いてたんだよ…!」
「何、寂しかった?」
「俺の顔で云うな!良いからその悪魔を何とかしてくれ」
俺の気も知らずに…
人修羅ライドウは、そのナガスネヒコと呼ぶ悪魔に向き直った。
「仕返しにライドウを呼び寄せた?」
『俺は兄貴みたく大人じゃねぇからな。あれからやり返したくって…しょうがなかったんだよっ!』
余裕の表情の人修羅ライドウは、襲い来るナガスネヒコの氷結弾を
両の手に点した焔で薙ぎ払う。
一瞬で解けた氷の蒸気で、辺りが蒸される。
「そんな理由で一般人に迷惑をかけたのか?」
まるで踊る様に、焔が円を描き 人修羅の身体を借りたライドウはナガスネヒコの元へ辿り着いた。
『くっそ』
「だとしたら、仕置きが必要だな」
俺の声で、低く冷たく言い放つ。
そしてその手をナガスネヒコの眼元に伸ばした瞬間、力を放つ。
両の眼が弾け、溶解したナガスネヒコは
奇声を発してあらぬ方向へと右往左往した。
そこへ人修羅ライドウは、すらりとスニーカーを履いた脚を伸ばす。
蹴つまずき、転げたその悪魔の髪を掴み起こし
耳元でこう、囁いていた。
「帰って、アビヒコに其の眼を見せろ」
『あ〜ッ!あっ!!』
「こんなやり方でライドウに挑んだら、ただでは措かぬとね…」
やめろ、やめてくれ。
俺の姿で、その手を汚さないでくれ。
その姿は360度何処から見ても…悪魔だ。
「消えろ」
その人修羅ライドウ声の後、ナガスネヒコはゆらりと消えた。
人の立ち入れぬ異界に戻ったのだろうか。

「…ライドウ」
俺は何となく声を掛けた。
「…何?」
「刀、悪かった」
思っていた言葉は飲み込み、刀の件を提示した。
「ああ、良いよ別に。鍔はお気に入りだから回収するけどね」
そう云いつつ転がっている刀を拾い、俺の腰の帯刀部の鞘に収めて来た。
「それより…戦えもしない癖に、この場へ赴いた浅はかさに感嘆する」
金の眼が光る。
俺の物である筈なのに、その光に竦みそうになる。
「だ、だって…あのまま放置したら、町が破壊されてるかもしれないんだぞ?」
「それで僕の肉体を全損させられては、堪ったものでは無い」
「少し位は刀とか銃、使えると思ったんだよ」
「素人に使えたら困る」
何となく苛々してきた。
「この身体、ちょっと喰らっただけで致命傷だからな」
少しの嫌味を含めた俺のその言葉に、人修羅ライドウは薄暗く哂った。
(…分かっている、そんな事)
俺の台詞が諸刃だという事位。
俺の身体は、ちょっとやそっとじゃ死なない、化け物だという裏返し。
悪魔だと己を認める意味を持つ…
「暮れてきたし、此処に用はもう無い…戻るぞ」
笑みをそのままに云う、人修羅ライドウは着物を羽織った。
「なあ、ライドウ」
「先刻から何か云いたげだが…探偵社に戻ってから聞こう」
「な、何でも勝手に決めるなよ!」
「…聞けない?」
くるりと此方を振り返るその姿が
夕日を背にしている所為か…
酷く凶暴な紅い空気を纏っている様に、感じる。
「黙って…付いて来い…」
「…ふん」
俺は、悪態をつきながら…少し怯えがあったかもしれない。


そうして、探偵社へ帰還した俺達は あのソロモンの悪魔の最終調整が終わるまで、待つことにした。
『我は夜風に当たってくる…元に戻れると良いな、人修羅』
「はあ…ようやくこの身体とおさらば出来そうでホッとしてますよ」
力なく笑う俺に一瞥くれてから、ゴウトは夜の筑土町を尾を振り歩いてゆく。
(しかし…ようやく何とかなりそうで、良かったな)
あんな身体でも、俺の身体だ。
この悪魔人間の身体に魂が収まっているより、楽かもしれない。
(そういえば、身体が重いな)
人の身に戦いは重い、という事が良く分かる。
寝所でも借りようと、ライドウの自室へ向かった。
「おい、入るぞ」
ノックしながら入るのは、半分嫌がらせだ。
青く薄暗い室内。
窓外の灰明かりが、ぼんやりとベッド上に写りこんでいる。
(居ないのか?)
辺りを見渡す…が、人影は無い。
紺色を基調とした、整理された部屋。
ベッドに西洋細工のランプ、木目のチェストが純和風ではない証だ。
(あいつ、この部屋に長時間居る事なんてあるのか?)
何気なく、チェストに手を伸ばす。
焦げ茶の美しい木目、なぞる様に引き手に指が掛かる。
その真鍮の取っ手を掴み、そろそろと引き出しを引っ張った。
「…うわ」
ぞろぞろと等間隔に置かれた刀の鍔に圧巻される。
薄い引き出しなので、まさかと思い下の段も引きずり出して見た。
その段も、同じようにずらりと整列した鍔達。
(コレクター…)
ああ見えて、かなり凝り性なのか。
まあ、あの性格だしな…
ボルテクスも愉しかったんだろうな、あの男にとっては。

「覗き見なんて、誰に似たんだい?」

その、背後からの声に俺は顔も見ずに応える。
「主人」
「フ…否定はしないでおこうか功刀君」
その声が近くなると同時に気付く。
振り返り、彼を睨み付けてやる。
「あんた、俺の身体で何してきたんだ!?」
「…何って?」
「血の臭いが」
「…君、自分の身体なんだから分かるだろう?」
ベッドに写る明かりが濃くなる。
人修羅ライドウの金眼も、輝きを増した。
ああ…この身体で気付かなかった。
今夜は月が満ちているのか。
「君、よくこれを毎回抑えれるね…其れだけは感心するよ」
「そりゃどうも」
「人修羅…人と悪魔の、中間、か」
人修羅ライドウは、血で固まった前髪を手櫛で梳いた。
「確かに…制御出来ぬ衝動程やっかいなものは無いな」
「…それが分かったなら、少しは俺に同情でもしてくれよ」
溜息混じりに呟く俺に、返答は無い。
長い沈黙が恐くなり、俺は口を開き何か喋ろうとした。
その時。

「同情?…まさか」

急に肩を掴まれ、固まる俺の口に噛み付いてきた。
人修羅の唇が、俺のライドウの身体に…
ゾクリとした。
「…っ〜!!」
かなり強く振り払ったのに、やっとの事で開放してもらえた。
この力の差は、人と悪魔か。
「功刀君、僕と君が同じく人修羅になったとして…決定的な違いが有る」
「この…!自分の顔によくキスなんて出来るな!このナルシスト!」
恥と怒りで、怒鳴る俺を余所に人修羅ライドウは哂う。
「君がロウなら僕がカオスだ」
「…なんだよそれ、どういう…」
「僕なら、本能にまかせてしまうね、きっと…こんな具合に」
云い終わらぬ内に、人修羅ライドウの指が俺の首を掴み
ベッドに強かに押し付けた。
「がふっ!」
息が出来ず酸素を求めて喘ぐ俺に、嬉しげに云うこの男。
「君から進んで接吻したり、って…考えてみればみる程、可笑しい」
「ん…ぐ」
「この金眼がどの様な色で哂うか…その眼に焼き付けておいてよ」
「く…ぁ」
「僕の魂が還った時に脳の裏に思い出して、高揚するくらいにさ!!」
はしゃぎ、功刀矢代の声で高らかに言い放つ。
「ああ、いけない…僕の身体だった」
そしてようやく離された首の戒め。
「ひぅっ…!げほっ!げほ…っ」
こんな苦しげに咽返るライドウの声は、聞いたことが無い。
この男、自分の身体を半殺しにしても平気なのか…!?
「あ…んた、狂ってる!」
しかも、俺の身体で…!
「狂ってる?なら聞くが…人間の3欲は何か知っている?」
酸欠で朦朧とする俺の意識に、俺の声で語りかけるライドウ…
まるでイヤホンで、鼓膜に音を叩きつけられるかの様な錯覚に陥る。
「知っているかもしれないが、睡眠欲・食欲・性欲…だ…僕が君の身体に入り学んだ事を報告しよう、功刀君」
ああ、あの金の眼が、俺の脳に話しかけている。
「この人修羅の肉体は、睡眠欲も無ければ食欲も無い」
「う…」
「性欲は…まあ潔癖な君だから除外するとしよう。では何がこの身体を満たすのか?君は自己理解をしていた?」
「…」
何を云いたいか、解っていた。

「破壊衝動…殺戮衝動だよ…!」

嫌だ、もうそれは聞きたくない。
そんな事は知っている。
眼を背けて何とか、今までやって来れた。
「君は今日、あの後大學芋食べた?美味しかったろう?あれと同じだよ。美味しい物を食べたいという欲はマグネタイト摂取の為の交渉や殺戮と同じ…欲求は純粋な理由から来るものだ」
「ち…がう!俺は、ライドウ…あんたとは違う!」
「欲求も無いのに生きていけると思う?そう思っているなら君は頭が固いな」
そう云い、俺の姿で残酷な笑みを浮かべる。
「僕は人修羅である君に、欲求を抱いている」
「…」
「その強大な秘める力を持つ君を、使役し思うままにする…」
うっとりと語り、俺を真っ直ぐに見つめる。
「君の全てを掌握して、逆らえぬよう常に上に立ち、君を見下ろす」
「サディスト…」
「悪魔の皇となった君と、悪魔召喚皇となった僕と…」
「まだ成ってない!」
「最後に立っているのは、どちらかな?」
「…そ…れは、それは!俺だッ!!!!」
沸々と感情が煮えてきた俺は
ベッドの上から吼え、躍りかかった。
右の拳を、人修羅の顔面にぶつける。
指先に激痛が奔るが、気にせず振り切った。
ぱぱっと、床に紅い華が咲く。
打ち下ろされた頬に手を沿えた、人修羅…もといライドウ。
何故か殴った俺の方が、跳ね上がる動悸を抑えて強張っていた。
彼は眼を閉じ、何やら頬をさすると
ブッ
此方に一瞬顔を向け、何かを吹いてきた。
「っ!?」
ばすりと乾いた音がして、頭が軽くなる。
学帽が、はらりと足元に舞い落ちた。
「当たりっ」
あははっ、と腹を抱えて快活に笑うその姿は
学校でクラスメイトと悪ふざけしている俺の様だった。
学帽の傍に、血まみれの歯が転がっている。
「ふざけやがって…っ」
向き直った俺は、思わず腰の柄に手を掛ける。
昼間に散々な使われ方をされたなまくら刀を、鞘から抜く。
だが、刀身の重みが指に伝わると冷や汗が身体を伝った。
痛くて、指から力が抜けていく。
刀を指から零しそうになる。
「さっき殴った時に、ヒビでも入ったのだろうよ」
お見通しの人修羅ライドウが哂う。
両ポケットに手を突っ込んだまま、脚を振り上げ瞬時に
刀身の平たい方を踏み除けた。
スニーカーのソールでそのまま地に落ちる刀。
「う…」
「そんなんじゃ俺に勝てないよ!?ライドウ!!」
俺の真似で、高笑い。
「いつもの威勢はどうしたんだ?召喚皇になるんじゃなかったのか!?」
「黙れっ!」
(俺の声でもう喋るな!!)
痺れる指を折り、握る拳を震わせた。
妖しく揺れる金色の瞳が、こちらの感情まで高ぶらせる。
そのまましなる唇から、真似言葉が紡がれる。
「俺に気を取られてばかりで、本当に召喚皇の為だけに俺を使役しているのか?」
(…な?何?)
人修羅ライドウの、俺を真似る言葉が何かおかしい。
「俺と、他の幾百もの悪魔とを…天秤にかけてまで俺が欲しいの?ライドウ」
「あんた、何云ってるんだ…」
俺の言葉は、続けて紡がれる彼の言葉に呑まれる。
「帝都の平和と、ヤタガラスの崩壊を天秤にかけるのも…自分の欲求の為?だとしたらあんた…全ての敵だな」

ライドウ、それは果たして…
誰に云っているんだ?

「でも、安心しろよ」
落ち着いた俺の声で、思えば土足の人修羅の身体が近付いてくる。
ふわりと、穏やかに微笑んで
金色の鋭さは蜜色に蕩けた。

「俺も独りだから、一緒に居てやるよ」

何故か、どきりとした。
俺が、まるでライドウになったかのようだった。
まるで、人修羅…が
俺に、ライドウに…云っている様な。
(でも俺は、ライドウと一緒に居たくなんか無い…!)
違う、やはり違う!
俺の真似…上手くなんか、無い。
でも、酷く…酷く寂しい。
「…あのなぁ…!」
云い返そうと、睨み付けて口を開いた…が
言葉が出てこなかった。
俺を見つめる人修羅は
血濡れで、斑紋姿も禍々しい悪魔だ。
でも…その瞳は…

その瞳は、俺がいつも浮かべているのだろうか?

だとしたら…
罪だ。

「弱い人間の身体だから、俺が羨ましいの?」
そう云って、いつの間にかすぐ目の前に立っている。
「そうだろうなぁ、いくら修行しても、強い悪魔使役しても、人間の限界なんて知れてるよな」
(それ、自虐だろ…)
羨望の色が見え隠れする人修羅ライドウの言葉。
「なあ、俺のマガツヒ、分けてやろうか?」
少し背伸びをした人修羅の身体で、耳元での囁き。
「“いつもの俺”じゃそんな事出来ないだろ?」
「な、何云ってるんださっきから…ライドウ!あんた支離滅裂…」
俺の反論の言葉が、解けて霧散した。
塞がれた、唇。
人修羅の舌先から、熱い…
アルコールにも似た、強い熱が流れ込んでくる。
「う!うう〜っ!?」
脳内がチカチカする。
頬が、耳が、身体全体が熱い酒に侵食されていく。
人修羅の…俺のマガツヒが、これ…なのか。
ぶっとんでる。
深く、深く入り込む舌に
俺は眩暈を堪えながら、拒む。
あの、カブキチョウ捕囚場を、思い出してしまった。
「強いだろ?酔いそうな感じって、納得したか?」
その声すら、遠くに聞こえる。
あははは…
高笑いが、ハウリングして、煩い。
どさり、と自由の利かぬ身体をベッドに倒された。
大量に流し込まれたらしいマガツヒが、循環していてアツイ。
見下ろしてくる双眸だけが、鮮明に見える。
「ライドウ…本能に身を委ねたこの身体、本当に愉しいよ」
耳朶をくすぐる吐息。
…何故俺は、動けない?
「それでもまだ人間にすがる…のは、俺がライドウと同じ部分を共有していたいから?」
(自惚れるなよ…こいつ…)
口までは出ずに、心に浮かんだ。
「それとも、ライドウが召喚皇になって上に行きたいのは、俺と隣り合う為?」
もう、我慢出来なかった。

「どんな感情が…俺達の間にあったとしても、最後には理由は必要…無い!」

俺の、うつろいつつも逆らう声を聞いて
人修羅ライドウは…ニタリと歪んだ笑みを浮かべた。
「成りたいものの為に、殺し合う…だけだ」
そう云いきり、俺は眼を閉じた。
外界から遮断するかの様に。
「潔癖…!!」
その嘲りを含む糾弾と共に
一発腹を殴られて、俺はもんどりうって転げる。
「僕の身体を使わせれば、素直になるかと思ったら…これか」
真似はもう、止めたのか?
ライドウ…
「僕の身体を返せ…っ」
学生服のボタンが、千切れ飛んだ。
「弱いだろ?脆弱だと哂っているんだろう!?」
普段見ることの無い、ライドウの肌が、曝された。
それは今の俺の身体なのに…客観的だった。
「見ただろう?里の中も、僕の立ち位置も…何も無い過去も」
「…」
眼を逸らせば、向き直る様に平手が飛んだ。
鼻孔から、血が伝って…奥の方がツンとする。
「僕は見た、君の…昔から、家庭、学校…」
「…どうだったんだ?」
聞き返した俺に、苛立ちを隠さない顔で人修羅ライドウは云った。

「君を人間に還してなぞやるものか…!!!!」

その言葉を皮切りに、身体を組み敷かれた。
「その身体の中身ごと、喰らってやりたい…!」
凶暴な光を宿す眼…体のラインが妖しく鼓動している…
でも、それをそう足らしめるのは、中の魂
葛葉ライドウの意識だ。

「もう必要無いだろう!?これから先は全て僕に、このライドウに捧げろっ!」

一糸纏わぬ姿で、嬲られる。
それをするのはライドウの魂なのに、肉体は俺だ。
諦めて享受している俺の魂の、纏う肉体はライドウだ。
(一体…どっちが喰われているんだろう…)
(どっちが踊らされているんだろう…)
この喰い合いに終わりがあるのか…
肉欲にすり替えられた狂気に、堪らなくなり意識を飛ばした。
あんな…激しく求める俺の顔を見るのは、死ぬくらい辛かった。

    


誕生日のケーキ…吹き消すロウソク…母親の笑顔…はしゃぐ学校…初恋の女子…学友との寄り道……電車に揺られて…光に包まれた…

温かい走馬灯

僕には無かった
彼には在った
人間の時代
入れ替わった瞬間、薄っすらと見えた。
僕は…誓った。
彼を人間に戻らせるものか、と。



彼岸花が揺れている…渇いた空気…装束姿の大人達…タム・リン…何度も死に掛けて…守護すればする程買う恨み…背を穿つ鞭…血溜まりに佇む自分…

これが…葛葉ライドウ
いつ生まれたんだ?
最初から…死人のようだ
実は、あの瞬間ぼんやり見えた…
あいつの、今まで。
俺は認めたくなかった。
最後までなら、一緒に居てやっても良い
そう思った事。
酷くされても殺しあっても
それが俺達の会話…なのだと。



「はあああ〜…ようやく」
「この装備が無いと落ち着かないな」
元の鞘に収まった魂が、安堵の鼓動を取る。
この指先まで伸びるラインがあると、腹立たしいが落ち着く。
ライドウも銃を取り出し、弄んでからホルスターにすちゃりと収めた。
「葛葉ァ!完成しているぞ!持ってゆくが良い!!」
なんだか恐い人が、刀を持ってライドウに寄っていった。
「有難い、ドクターヴィクトル」
「鍔は相変わらず外してあるからな」
心なしか機嫌の良さそうなライドウ。
まだ魔力の立ち昇るその刀身を傾け、満足げに口の端を上げる。
「鵜の首造りか…悪くない」
「おい、刃物を眺めてニヤニヤするなよ、狂人」
俺が呆れてライドウに侮蔑を吐くと
「誰の所為で新調する羽目になったのかな?」
そう云い、手にした刀の切っ先を
俺の足首の付け根に突き刺したのだ!
「ひぎっ…!!こ、この…」
「良い血を吸わせてやらないとね」
刀身から立ち昇る妖気が、いっそう増した気がする…
(けっ、そのまま刀に呪い殺されろ)
「では支度の後、行くとしようか…先刻合体させた悪魔を鍛えなければ」
俺の心の中の悪態を読んだのだろうか?
タイミング良く、ずるりと抜かれた刃から赤い光が舞い散る。
「…っこの、悪魔」
「何とでも云うが良いさ」
ライドウは懐から取り出した鍔を、一旦バラした刀にはめている。
細かい道具は此処の物を借りているのか。
「僕が此処で出来上がった刀をいじるのはドクターも知っている、邪魔にならない程度に置かしてもらっている」
拭い紙で刀身を美しく仕上げた。
「…よし」
「俺の血で少しは強くなったのか?」
卑屈だが、わざと聞いてやった。
「…極上」
くすりと哂い、弧を描いて回した刀身を鞘に収めた。
「負ける気がしないね」
「で、何処に行くんだ?」
「そうだな…アカラナでも良いし、異界も未探索箇所が有る…」
俺はじりじりしてきて、思わず云った。
「あそこに行かないのかよ」
「あそこ?」
階段を上がりつつ、応えるライドウの背中に怒鳴る。
「三河屋だかなんだかって処!芋売ってる処!」
「三河屋?」
いぶかしげに、ちらりと視線を寄越すライドウ。
「…食べ直さないのかよ?俺の身体で食べたら不味かったんだろ?」
ああ、腹立たしい。何故俺がこんな気遣いをしているんだ?
そして、無表情のライドウが恐い。
「おい、さっさと行くなら行くで金王屋の暖簾潜れよ…」
「大學芋は、良いかな」
カツカツと革靴の踵を鳴らし下りて来たライドウは、俺の横を過ぎる。
黒い外套が、俺の肩を掠めて行った…その矢先。
顎を掴まれて、唇を吸われた。
「ぅう!?」
今暴れては、階段を転げ落ちていくだろう。
舐る舌先が、艶かしい昨夜を掘り起こす。
そのまま蹂躙されて、ようやく離れたライドウが一言。
「昨夜思った通りだ!階段1段下から僕が接吻すれば丁度良い」

ぶっ

あまりにふざけた、舐めきった発言に思わず吹出した。
「悪かったな、あんたより低くて!!」
『おい…人修羅』
「ゴウトさんは黙っていて下さいよ!」
ついでにゴウトにまで怒鳴ってしまった。
しかし、そんな俺に天罰が下る。
『金王屋の主人に見られておったぞ』
「はああっ!?おいライドウ!あんたからは見えていた筈だよな」
キッと傍の書生を睨み付ける。
するとそいつは視線を横に流して、ニヤっとむかつく笑みを浮かべた。
「さあ?昨日の件で身体が本調子でなくてね…」
(こ、こいつ…)
こうなったら金王屋は一瞬で、風の如く通過するしかないな。

全く…俺、何してんだろ。
この男の仲魔に形式上なって、並んで戦ったり
嬲られたり…キス…なんかされたり。
男同士、なんてライドウは全く考えに無さそうだが…
まあ、確かにキスに友愛は微塵も感じないけど。
あるのはエネルギーのやり取りだけだけど。
あいつの肉を纏って見た世界は、酷く憎くて愛おしかった。
あいつの眼を通して見た俺は…人修羅は
強くて、どこまでも孤独だった。

「功刀君」
道中掛けられた、ライドウからの言葉。
「あのソロモンの悪魔は…カルテから召喚可能だ」
なんだそれ、どういう意味で俺に云うんだ?
「何だよ…」
「だから、入れ替わりたくなったらいつでもお云い」
その唇が、三日月のようにしなった。
「君の血肉に僕の魂が包まれて、恍惚とするんだ…あの肉体に」
「…物好き」
孤独な魂が、互いの肉を纏って安堵する。
「…君の血肉を纏いて、舞い候」
孤独なデビルサマナーが
今となっては孤独な俺にそう呟いて、外套を翻した。

血肉を纏いて舞い候(後)・了
* あとがき*

な、長かった…何故か時間がかかってしまいました。
ライドウは、人修羅に対して独占欲とか支配欲の他に
羨望が有ると思います…強さとかの。
それと、人修羅には成ったものの、人として過ごした何気ない日常。
それが無かったライドウは、人修羅が人間に戻りたい気持ちを
理解している。だからこそさせたくない。
ずっと手中に収めておきたい。
それと…エロがエロじゃなくなって申し訳ないです。