吊るされた男

 
(最悪な処へ来てしまった…くそ、何でよりによって…)

余程動揺しているのか、イヌガミを介して筒抜けに聞こえた声。
人修羅は落ち着き無く、部屋をうろついた。
捜していたらしい窓を見つけ、ギィと押し開けた。
隙間から仄暗い明かりが射す。
「煌天だね」
哂って云う僕にぶっきらぼうに返す人修羅。
「だから急いで入ったんだろ」
「寝ないの?いつもの様に」
(こんな空間で寝れるかよ)
僕の質問に、そのつもりは無いのだろうが
心音で返事をした人修羅。

安っぽいランプ。
目に痛い桃色。
並ぶ枕。

「建造物なら、他のもあったってのに…なんでこんな」
彼は項垂れ、ふと思いついたように部屋の入り口へと向かった。
扉を開けると、やや間を置いてからバタリと閉めた。
(此処、廊下無いのかよっ…)
そんな呟きが頭に響いてくる。
「少しは座って落ち着いたらどうだ?ほら、そこの椅子とか」
僕は真摯な態度で彼を諭した。
そこの椅子、を視線で促す。
彼はその椅子を見た後、横目で侮蔑の眼差しを送ってきた。
「あんたはアレが普通の椅子に見えるのか?」
「座れるから椅子だね」
「そうか、病気だなあんた」
なにやら妖しげな装置のついた椅子。
拷問椅子のようにも見える。
まあ、彼にとっては拷問だろうが…
「カグツチ…まだ治まらないのかよ…ああもう!」
僕の冗談とカグツチで苛立ちをつのらせる人修羅。
普段とは違う、攻撃的な態度。
「ドルミナーを仲魔に使わせたらどうだい?」
「…呼びたくない」
僕は半分解っていて聞いた。
彼の使役する睡眠魔法の所有悪魔はただ一体。
(ラブホでサキュバス呼ぶ醜態が晒せるか)
そっぽを向いて、そんな事を考えている辺りが青い。
「しかし…君の時代はこんなうらぶれた空間で営むのか?」
僕の単刀直入な台詞に、彼は声を詰まらせる。
「場所が無い人達には、都合良い施設なんだよ」
「功刀君はお世話になった事あるのかい?」
「…無いよ」
きっぱり答えた彼は、ベッドにうつ伏せに倒れこんだ。
「彼女とかいなかったし、これからお世話になる事も無い」
「己が悪魔の身だから?世界がボルテクスだから?」
「どっちだっていいだろ!今は放っておいてくれ!」
そう叫び、枕に顔を埋めた。
「本当に、今は、勘弁し…て…」
枕でくぐもる声を最後に、彼からは何も云わなくなった。
『寝たのか?』
「…半々だと思いますが、まあ待ちましょう」
ゴウトの疑問を推測で返す。
暇を持て余し、適当にその辺を物色する。
「この時代の張り型は随分多色だ」
電気も通らぬ販売機械を好きにいじる。
引き戸を開けては中を引っ張り出す。
あまりに卑猥な形の品々にげんなりしたゴウトが口を開く。
『見ているだけで疲れるな』
「致してもいないのに?」
『チッ、悪趣味め』
「フフ、鳴海さんに売りつけようかな」
僕の発言にもはや返答すらせず、呆れ顔の様子。
この猫でさえこれだ、人修羅には重い空間だろう。

「う うううう〜っ」

突如獣じみた声が部屋に響いた。
弾かれたように振り返る。
声はベッド上から。
「…功刀君、どうした」
自然に刀の柄に手が置かれる。
間合いを考えて接近して行く。
「お、おかしい…今回の煌天、なんか強いっ…」
油汗とマガツヒを滲ませる人修羅が、枕にしがみ付いている。
そのしっとりした状態での光景は、別の何かを連想させた。
「この空気にやられているだけではないの?随分淫靡だが」
「っ…黙れよ」
「発散させれば良いじゃないか、その辺で狩っておいでよ」
僕の提案は今回も蹴られたようで、彼はそのままもだえ続けていた。
もう人の部分なんて少ないだろうし、何を意地張っているのだか…
その変な忍耐力と自尊心の高さには舌を巻く。
まあ、それが見ていて飽きが来ない所以だが。
「あ、あああぁ〜ッ」
触れてもいないのに、ベッド上で独りもだえる姿は
そういった趣向のショーでも見ている気分だ。
「見物料は何が良い?功刀君」
特に哂いを自嘲せず、いつもの調子で訊ねる。
彼は、突き刺すような金の眼で僕を射る。
「っ、変態サマナー…」
「よく云われるよ、で?ご要望は?」
歯を食いしばる彼は、震える指を僕の頭上に持っていった。
何かと思い、その指先の宙を視線で辿る。
「変態ついでに…やってみろよ」
彼の搾り出す声は、半分は恐怖の色をしていた。
天井から金具で固定され、吊るされた黒いベルトと滑車が其処に在った。
「へえ、君もなかなか趣味が良いじゃないか?」
「違う!さっきから自分で自分をくびり殺しそうでヤバイんだよッ!」
上半身を起こし、こちらにそらす彼の胸元が視界に入る。
確かに…赤く染まり、ギリギリと毟った様な傷がある。
「拘束でもされなきゃ、抑えるのも正直、きつい…っ」
恐らく、彼の本意では無いのだろうが…
このまま本能に体が支配される方が恥なのだろうか?
僕は人修羅の顎を、刀の鞘でクイと持ち上げた。
金の視線が揺れる。
「では、お願いしてみせたまえ」
「は…っ?」
「頼み方を考える位の理性はまだ残っているだろう?」
「ふ、ざけんなぁ、あぐっ!」
反論の前に、鞘をずらして口内に突っ込んだ。
「ほら、早くしないと君はコレを餌と思って食べてしまうかも知れぬよ?」
「む、ぐぅう!」
『またお前の悪い癖が…』
足元でゴウトの溜息が聞こえてくる。
「僕は別に気にしませんが?」
『人修羅に同情する、だがとばっちりも受けたくないので暫く失礼するぞ』
そう云ってお目付け役は少し開いていた扉からするりと出て行った。
最後の良心が出て行ってしまったな…
僕はしめしめ、と心の中でほくそ笑んだ。
「さて…どうだい矢代君?」
「っう…」
「抜いたら云ってみて御覧…ほら!」
ズッと湿った音を立てて、彼の口内から鞘を引き抜く。
すると迷いに揺れたその表情が、苦しくも憎々しげに唱えた。

「…縛ってっ、ライドウ!」

その台詞に、しっかり名指しを入れたのは意図的なのか?
だとしたら、才能があるのではないか?
そんな下卑た思考は一瞬で脳裏を過ぎた。
人修羅のその強請る声が、思ったよりも快感だったからだ。
「性的な興奮など持ち合わせぬと思ったけれど…意外な発見だったな」
ああ、多分今自分は哂っているのだろうな…と
遠くから見ている気分で人修羅の腕を捕る。
黒皮のベルト如きで…と軽視していたが
これが頑丈で、横の力には強そうだ。
黒い身体の斑紋が、そのまま天井に昇るかのような絵。
そう考えると、普段から縛られているような姿だな…
フッ、と鼻で笑ってしまった。
「は…ぁ…と、とりあえず、礼は云う…」
「それはどうも」
「鎮まるまで…あんたは出て行って…くれよ」
「…まさか」
拒否する僕に“え?”という顔の君。
「ライドウ、なんの冗談…」
彼の思考回路が停止したのがありありと分かった。
彼の首筋から、腹にかけての斑紋を指先でなぞる。
びくりとしたその身体は、その直後暴れだした。
「ふざけるな!!触るな!!今すぐ出て行けっ!!」
自由な脚を縦横無尽に振り乱す。
ジャベリンレインでも放ちそうな勢いだ。
こんな時は、放置するに限る。
勝手に消耗して、やがて大人しくなるものだ。
「はあ…はあ…っ」
思惑通りに彼はだらりと身体を重力にまかせた。
微妙に足元がベッドに着いている。
「ふむ、それでは楽だね」
僕は手元に垂れ下がる帯を片手でたぐい寄せる。
ギシギシと滑車が回り、彼が少し吊り上げられる。
「俺で、遊ぶなっ…」
衝動と理性で揺れ、疲れも見え始めた人修羅が悪態をつく。
最近我侭で困ったものだ。
「君は僕の悪魔だろう?」
「悪魔…って!…まだ人間が残ってるっ」
そんな怒る彼に、水を差す。
「知っている?タロットの…“吊るされた男”の意味」
「…」
「修行・忍耐・奉仕・妥協…だが逆位置は、徒労・痩せ我慢…」
「…」

「欲望に負ける」

最後に僕がそう述べると、彼はかあっと赤面した。
暴れはしなかったが、言葉で咬みついて来た。
「俺は、あんたとセックスしたとしても絶対よがらない!!」
「…へえ」
「いいか!絶対だ!絶・対!」
やはり彼は煌天で跳んでいるようだ。
絶対的な自信は何処から来るのやら。
経験が無いから憶測でしか物が云えぬのだろう。
「浅はかだよ、君は」
僕はその“絶対の自信”を崩す自信に満ちていた。
「悪魔に性感帯なんて無い」
そう云って視線を逸らし、僕を見ようとしない人修羅。
本当に畏怖しかされていない時期をふと思い起こす。
「以前、対峙した時もそうだったね…君は僕を恐れ、腰が引けていた」
「当然だろ、あんな残虐な事されて懐いたら異常だ」
「では、僕が愛したらどうなんだ?」
その言葉に、彼の息遣いが一瞬止まる。
「夢でも無いな、そんな事」
激昂するかとも思ったが、意外と静かに返してきた。
こちらの視線を絡め取り、薄く哂う。
「あんた、人を愛するって意味、知っているのか?」

未経験の彼が紡ぐ、純粋な言葉だった。
汚れを知らぬ幼子みたいな空想。
「形だけなら…知っている」
そう云って彼の位置をガラガラと降ろしていく。
眼前まで彼の頭を持ってきて、その唇に唇を重ねようとする…が
瞬間引きつり、睨んできた。
このまま接吻したなら、舌でも咬まれかねない。
「君のあの自信を信じるのだからね?いいかい?」
そう釘を刺せば、気まずそうな表情をして俯いた。
ようやく事の重大さに気付いたか。
「口を開けて…」
僕の号令に、渋々ながら口を開いた。
だが視線は真横やら僕の背後やら、宙を泳いでいる。
普段なら顎を掴み、無理矢理口付けるところだが…
滑車の調節帯を引っ掛けて固定し、空いた両の掌でそっと頬を包み込んだ。
途端ぎょっとして此方を見入る人修羅。
「そう、そのまま僕の眼を見て…」
「…ぅ」
あまりに間近で見つめられ、頭が混乱しているのだろう。
僕の言葉通りに、大人しく見つめてくる。
そのまま、唇を最初にひと舐めした。
ビクッと彼の身体が揺れた。
…血の味がうっすらと舌に残る。
そして今度は完全に重ね、舌を挿し入れた。
「…ふ…っ」
息の仕方を忘れたかの様な彼は、脚に力が入ってきていた。
少し唇の角度を変え、隙間を作ってやる。
同時に項の突起をするりとなぞれば、ハッとして息づいた。
そろそろ良いかな…と思い、開放してやる。
「…っは!…ぁ…はぁ」
困ったような表情で、赤面しつつ睨んできた。
苦しかったのだろう、しかし恥もあって赤いのか。
「そう、そのまま僕の眼を見ていて…善い子だ」
そう云った時の人修羅の、頭を打ち抜かれたかのような表情。
正直傑作だった。
絶望の様な、感動の様な。
何物にも該当しない、美しい表情だった。
「接吻は初めて?」
「…あ、あんなのは…っ」
「簡単なのは?」
「…小さい時に親と」
そんな事だろうと思った。
性に潔癖な人修羅の事だ、接吻すら恥ずかしいのだろう。
「それは勿体無いな、こんなに良いのに」
掛け値無しの笑顔で、そんな発言をすれば
たまらず君は眼を瞑った。
「この身体の、何処を取っても、綺麗だよ」
耳元で囁きながら、項から肩甲骨を掻い潜り…腰に手を回した。
「この斑紋が息衝く様に輝くのが、どんな悪魔よりも美しく…ちょっとした事で色を変えるその感情は、とても人間らしい」
「取り繕うような、優しい言葉並べりゃ良いってもんじゃ、ない…」
「そう?何処までの発言が本物か…少しは信用してくれても良いのではない?」
「…」
「矢代…」
「!」

「斑紋が在っても無くても、このライドウが愛してやるよ…」

その決定的な言の葉の威力は絶大だった。
悪魔でも人間でも、どちらかを愛するのでは駄目なのだ。
今の彼…人修羅に効くのは“どちらでも受け入れる”という赦し。
甘い免罪符…
「っ、あんたのごっこ遊びも、ここまで来ると秀逸だな!」
跳ね除けるかのような彼のその声は
怒気も殺気も無い。
「なんなら、対等な状態の方が君も落ち着くかな?」
僕は云うと、ベルトを緩めガチャリと床に腰のホルスターを投げた。
刀と銃の金属質な音が、一際響く。
続いて胸元のホルスターを外す。
するすると解いた其れを、腕を抜き床に落とした。
外套も取り払い、学生服の上を肌蹴る。
「おいっ、丸腰で…良いのか」
「何故?」
「…何するか、分からないぞ?まだ…苦しいんだ」
いくら手を戒められていようと、修羅は修羅。
確かに気を抜けば、何かしら攻撃される事も考えられた。
「でも、君が好意に対して拒絶しきれない事くらいは解っているつもりだが?」
「な、それにかまけてれば良いと思ってるなら、大間違…」
「沢山の人間に棄てられてきた君だものね」
わざと、抉るような事を掘り起こして遮断する。
その酷く寂しそうで、且つ悔しげな目元を
外した学帽を深く被せて塞いだ。
「今は忘れておしまい…」
そう、甘く囁いて
腰からゆっくりとスラックスの端に指を入れ込む。
「や、止め…」
「止めていいの?この先誰の愛も受ける機会が無いかも知れないのに?」
「そ、そんな事云って…あんたは男だろう!?」
「悪魔と人も男も女も同じだよ」
「馬鹿!違う!違うっ!」
まるで過ちを犯すな、と宥めるかのように首を振る。
「…では云い方を変えようか」
手をそのままに、耳に息のかかる距離で低く呟いた。
「矢代の身体も心も欲しい、僕がただそうしたい」
「ひ…」
「他の人間にも悪魔にも渡したくない」

「卑怯者っ…」

人修羅の泣き出しそうなその声が
彼の牙城を崩落させた事を示していた。


「う、わぁぁ」
「何?」
「おかしい…やっぱりあんたはおかしい…」
彼の臀部を弄って、スラックスの上から舌でなぞる。
何って、ナニをだ。
「脱がせたら恥ずかしがるかと思ってね」
「っ本当に…悪趣味…っ」
硬質かと思いきや、意外薄手の布地が感触を鮮明にさせる。
「矢代、別に喘いでも良いのだよ?」
「そこまで…まだ壊れちゃいない」
「それと今はごっこ遊び、なのだろう?だったら…せめてライドウと呼んでくれたまえ」
帽子は被せたままだ。
彼の視界は下にしか広がらない。
そして其処には、舌で舐る僕が居る…という訳だ。
僕が被ったままでは、よく見えないだろうし。
舌ですっかり形は確認出来る程度になった其れを
指先でなぞる。
「な…なあ、一体どう…するつもりなんだ?」
知識の無い彼は恐怖に駆られているようだ。
まあ無理も無い、男同士なぞ知る由もないだろうから。
「名前」
「…ラ、ライドウ…この後って」
「君次第かな?別に僕は最後までは望まない」
「…何?最後って」
クッと笑い、彼に被せた帽子を外した。
眩しさに眼を伏せた彼の股に、自分の同じ箇所を押し付けた。
「何だよ!?こ、恐い…っ…」
「これを、君の穴に挿れるんだよ」
「…あ、な?」
「排泄する時の穴」
それを云った瞬間にさあっと青ざめた人修羅。
がくがくと震えが奔るのは、吊られた所為とは違う理由だろう。
「汚い!イカレてるっ!」
「汚くない、おまけに君は最近その器官を使用している筈無いだろう?」
「そんな問題か!?だってそんな事に使う器官じゃあないだろう?」
喚き立てる彼を、そのまま抱きしめた。
羽交い絞めでは無く、正面からやんわりと。
すると弾ませた息を落ち着かせ、黙る人修羅。
慣れない態度に、どうして良いか分からぬのだろう。
「ではその器官は、僕が役割を与えれば良い」
「…ライドウが?」
「僕が其処からマグを注いであげるよ」
「まぐ…?」
「ああ、御免…マガツヒを、ね」
するすると指を潜らせても、君は抵抗すらしなかった。
「だから、今この時は“そういう穴“になるんだ」
「な、なんだよそれ…」
「僕の為だけの身体だろう?矢代…」
頭を撫で、今まで多分見せたことの無い微笑みで告げる

「創世もせずに、ずっとふたりでボルテクスで遊んでいようか?」

君が悪魔でも人間でも構わない。
その君を使役し、戦い続ける。
ヤタガラスの監視から外れたこの世界が都合良い。
なにも、このボルテクスで不満なぞ…無い。

人修羅は、しばし黙って僕を見つめていた。
「今、だけ…ごっこ遊び、協力してやる」
ぽつりぽつりと零れた言葉と同時に、頭を胸に預けてきた。
それを確認すると、もう良いかと思い
僕は彼の腕の拘束を解いた。
するといっそう、胸に額を当ててきた。
「もう、繰り返さずに…いる方が楽かもしれない」
「…」
「先生も、クラスメイトも…何度だって殺すんだ」
自由になった手が、僕の頬を包み込む。
「俺が必要って云ってくれよ、ライドウ」
「矢代」
「利用する為じゃなく、存在が必要だと…!」
「ああ…」
「ライドウ…ライドウ!」
しがみ付いて来た彼の心がなだれ込む。
部屋外のイヌガミを、すっかり忘れていた。
頭の枷を外して、わざと、僕に送りつけてくる…

(どうせ頭の中、読めるんだろう?そうだとしたら聞いてくれ…)
(全部…この空間の事は、忘れなきゃ…いけない)
(でないと…ボルテクスに留まってしまう…だから)

(壊れるギリギリまで犯してくれよ…!)


胸の中の彼は、心と裏腹に酷く弱々しかった。
でも、真意を知った僕は彼の内にある思惑に突き動かされる。
「では、今ひと時の…快楽を」
彼の髪に指を通し、梳く。
面を上げた人修羅は、暗く笑っていた…
それは潔癖であるが故、滲み出た本質のようにも見えた。



口付けたまま、人修羅のスラックスを、今度は剥いだ。
下着と一緒にずるずると、脚下に引き摺り下ろす。
もどかしげに足先でそれをすれば、彼が自ら脚を動かした。
身体の斑紋が露わになり、一体の美しい悪魔の姿が現れた。
「綺麗だ」
言葉少なに、呟いて後ろから抱く。
項の突起に舌を這わせば、吐息が漏れた。
「そ…そこ…」
「もっとすべき?」
「し、しなくて、いいっ」
この期に及んで…とも思ったが、それが彼らしかった。
あの突起は、弱点だしね。
流れるようにベッドに彼を落とし込み、腕に掌を滑らせる。
ラインを繋ぐ様に…指先で滑走する。
「綺麗だよ、本当に、矢代」
何故だか、意味も無く呟く。
何かにとり憑かれたように…
「あ、あっ」
初めて聞く人修羅の、愉悦混じりの喘ぎ。
きっと第一人者は僕だろう。
でないと嫉妬でそいつを殺してしまいそうだ…
「もっと聞かせて」
「ラ、ライドウ…」
「全部、線をなぞってあげよう…余すところ無く」
身体に刻むように。
呪いの様に。

「あああああ〜っ!!」

十分な道具は揃った空間なのに、潤滑油すら使わなかった。
滑る血とマガツヒが、痛みを伴って僕を抽出する。
「は…っ、あ、は、吐きそう」
涙を滲ませて云う君を、無視して突き入れる。
男なんて興味無いのに、ただ熱がこみ上げる。
「吐いてしまえよ!要らない中味は全部棄ててしまえ」
そうして、僕の注ぐ生体エナジーだけで君が構築されたら
完全に僕の物になるのに…
ずぶり、と奥へと進み
内壁を研ぐかの様に引き抜く。
赤面した人修羅が、潤ませた眼を投げて寄越す。
金色がチラチラ、仄暗く反射した明かりで揺れる。
「ライドウッ、も、もっ…と」
思いがけぬ台詞に、口の端が吊りあがる。
「それ、もっと云って」
「ライドウ、もっと!もっと欲しい!」
「“僕”の名前で!」
一拍置いて、嗚咽混じりの声で叫んだ。
「夜っ!」

ああ、世に生まれ墜ちてこのかた、呼ばれたどの瞬間より心地良い。

「く…」
名を呼ばれて達するなぞ、どんな笑い話だ。
彼の内に、精を注ぐ。
それが、果たして白濁なのかマグネタイトなのかも定かでない。
「うぁ、あぁあっ、っ」
シーツを握り締め、あられもない悲鳴をあげる人修羅。
彼の放つ物こそ、正体不明だ。
「駄目だ、まだ足りない」
彼を項の突起も労わらず、ずる…と引き抜いて
仰向けにする。
少しくたびれた局部が、露出する。
驚いた人修羅は、脚を閉じようとしたが
両脚をこじ開けるように間に割り込んだ。
「も、もう、もういっぱいだって!おい…っ」
「まだまだ正気だろう?忘れる程なんて、何回戦すれば良いのやら」
悪魔との連戦なら、君は涼しい顔でやってのけるのに。
このライドウとの連戦は無理と言い放つのか。
そんなの赦さない。
忘れさせるものか。
留まるのが嫌なのか?

君は、僕とずっと一緒に居る世界を望まないというのか!?

いつの間にか、愛撫する理由は変わっていた。
忘れさせてやる為では無い。
その身に、刻みつけて
未来永劫、ずっと残るように。
14代目葛葉ライドウの、悪魔だと。
僕が彼を苛み続けてきたのも、今こうして愛撫するのも
理由は変わらない。
それを君は知るだろうか?

いや…知らなくて良いのだ。
これは遊び、偽りの愛の営みなのだから。
僕の囁く睦言も、彼の悦楽の表情も吐息も
すべてこの空間の、まるで異界の夢。

力を今は潜めて、僕に身を委ねる人修羅。
「僕が使役するから、君は抱かれたの?」
半分覚醒している彼の頭を、膝上に乗せた。
幼子にするかの如く、髪を梳き語りかける。
「ライドウ…が」
「僕がどうした?」
「ライドウが、サマナーで、良かった…」
その言葉をどの様な意味で発するのか。
前傾姿勢で、彼の顔を覗き込み聞いた。
「サマナーで無かったら問題があった?」
「俺の事、理解出来なかったろうから」
「理解されていると思っている?」
「…だって俺達、孤独だろ」
その人修羅の表現は、情事の後の台詞としてかけ離れていた。
「サマナーで…力を持て余して…孤独だったんだろ?」
「…」
「だから、愉しい…よな、俺と戦ってて…それに返事するように殺り合って」
「…ああ、愉しいよ」
「俺はライドウを、ライドウは俺を礎にして目指すものがあるんだ…だから、こんな…こんな事すべきじゃ…無かったのに」
いつぞや見た、眼から溢れる液体。
何の為に人が泣くのか、分からぬ事は多々あった。
「それは、後悔の涙?」
僕は云いながら、それを掬い舐めた。
舌先に塩っぽさを感じる。
人の涙…目元に存在する、人としての器官。
「悪魔召喚皇になったら、全てが終わる?」
綺麗な眼と共に、そう問うて来る彼。
「さあ…どうだろう?君は戻りたいのだろう?かつての生体に」
「…悪魔は、嫌だ…」
「だったら、そこで僕達は永遠にお別れだね」
そう冷たく、突き放す。
その言葉と裏腹に、彼の目元を掌で覆った。
「今は未来を見なくて良い、此処でゆっくり御休み…矢代」
「…っく」
「僕の美しい人修羅」
「う…ぅ…」
嗚咽をあげる君が、意図せずなの確信犯なのか
脳内に提示した感情が、僕の心を抉る。

(悪魔は嫌)
(人間に戻る未来が見えない)
(殺し合う相手しか、俺を理解していない)

(もう…人修羅のままで…いい…)

酷く刹那的な感情に囚われている。
カグツチの所為か…まぐわい感傷的になった所為か。
彼の心は、一声かければ折れてしまうだろう、と思った。
優しく、甘くここで囁けば…
きっと僕の元まで墜ちて来てくれるであろう、と確信があった。
静かに嗚咽する彼の耳に唇を寄せる。
“ずっと僕に使役されておいで”
“僕もずっと召喚皇など目指さず、君と在ろう”
そう云うつもりだったのに。

「…おやすみ、矢代」

廻らない。
転生しない。
そんな自分と、彼とが歩む世界は違うのだ。
もし僕を忘れた君に再会したら…
きっと、殺してしまう。
そんな存在は認めまいと。
だから今、僕の使役する人修羅は…
君が最初で最後だ。
「愛って、何の為の感情だろうね」
眠るような君に、もう一度唇を落とした。



「もう落ち着いたようだよ」
窓の隙間から差していたカグツチの光は
本当に僅かなものとなった。
「もう行ける、何処にするんだ?」
靴紐を結ぶ人修羅に、いつもと変わらずに返答する。
「功刀君が未だに悪魔大全に未登録の、アレが居る所に行こうか」
「はいはい、悪かったな…じゃそこで」
「マガタマは?」
「イヨマンテ」
「また馬鹿の一つ覚えみたいだな、君は」
「あんたみたく万能じゃ無いんでね」
全てが、戻った。
もう人修羅は、普段通りの無色透明な人格になっていた。
『わふ…もう済んだか?寝てしまった…』
下から昇って来るゴウトを、声で制止させる彼。
「ゴウトさん、もう行くのでそのまま降りて下さい」
ピタリと足をとめ、折り返し下っていく猫と眼が合う。
その物云いたげな翡翠の眼に、哂い返す。
地階に降り、背伸びした人修羅が指を鳴らす。
「準備運動したいな…」
その控えめな発言の意味するものを知っている。
あくまでも僕に発案して欲しいようだ。
「次のターミナルまで、多く外道を狩った方の勝ち」
僕が云いつつ外套を捲り肩に掛けると、君は侮蔑の眼差しで哂った。
「あんたが外道だろ」
「乗るの?乗らないの?」
「…今回は乗ってやるよ」
珍しく了承する彼は、靴の踵やつま先を地に叩きつけている。
僕も背の網上げをきつく締め上げていると、ゴウトが寄って来た。
『おい!ライドウ!どういう事だ!?』
小声で、僕に対してだけ叱咤する。
「何か?ああ…ターミナルまで走るのが嫌ですか?」
『違う!あやつの…人修羅の首後ろの…』
「ああ、鬱血痕ですか?僕ですが」
平然と云ってのけると、ゴウトは一瞬くらりとして踏みとどまる。
『奴はいつからお主の性欲処理悪魔に成った?』
「そんなのでは無いですよ、御安心を」
本当に、そんなのでは無かった。
「通過儀礼ですよ」
“吊るされた男”は、通過儀礼を終えて更なる高みへと行くのだと云う。
あれは避けて通れぬ、いつかはぶつかる事柄だったのだ。
彼は、もう僕に身体を赦さないだろう。
あれは一夜の夢…互いに持て余す鬱屈した感情を吐露する機会だったのだ。
眼を閉じて、今はただ走り続ける。
互いの背を追い、ボルテクスという球の中を。
追わせる原動力は、殺意か愛か…

「よ…ライド〜ウッ!早く来い!」
名前をつまづかせる人修羅を眺めて思う。
君は、人修羅“功刀矢代”
僕は14代目葛葉ライドウ“紺野夜”
使役される側、する側。
それしかないだろう?
刀の柄を握り直す。

(タム・リン…愛と憎しみと、本当はどちらが最後に勝るのだ?)

感情の正体を未だに断定出来ぬ僕は
サマナーの前に、人に成るべきか?
だが、人修羅の言葉が反芻される。

ライドウが、サマナーで、良かった…

そう、これで良いんだ。
あの肌の感触も、なぞった線も、つけた痕も。
戦い抜く君の、生まれ変わり続ける表皮と共に落ちて消える。
新たな傷が、その身体を脱皮させるかの如く。
常に美しい身体。
戦い続ける、僕の美しい…修羅
「今行こう」
外套を翻し、駆け出す。

吊るされた男・了
* あとがき*

えっっ!時間掛けてこれですか!?
全然エロくもないし、そもそもそういうシーンが少ない。
心理描写はぐるぐるしている…ボルテクスみたいに。
しかしこのライドウ、長編と…同じとして良いのだろうか?
この境地まで来るのは、長編後のどの辺りなんだ…
甘くも鬼畜でも無い、中途半端な内容で申し訳ありません。
ちなみにタロットの“悪魔”はまさしく人修羅です。
ライドウは“愚者”が似合っている。