* あとがき+a *
居場所…不安から甘受出来ない葛藤…夢…渇望…
自ら居場所を消した雷堂、その不安の具象化。
眠る愛しい人を犯すだけに終わった。
結局は、繋がれない…
【作中のあれこれを適当に解説】
《花喰鳥》
花や樹枝を銜えて羽ばたく鳥の図柄。鳥が幸せを運ぶという意味から縁起が良いといわれている。鳥は鳳凰、オウム、鴛鴦、尾長鳥、鶴など、また牡丹の花や空想上の花、宝相華など当時流行していた図が多く、正倉院宝物の図柄にある花喰鳥は、官職のしるしとした組紐、綬帯やリボンを銜えたものとなっている。
縁起を担ぐものを纏わせたかったので。それと見目が華やか。
《草木染めの結び房》
大太刀に付けていたタッセル。大日本帝国陸軍の軍刀装飾に刀緒として在るものをイメージしていますが、それの意味する階級・実用性とは全く逆で、雷堂の感情的な働きがこれを大事にさせている…感じで。
《注連縄》
しめなわ。ゆずり葉は子宝を願ってのもの。だから一目見た雷堂は虚しさを感じていた。
《蟲封じ札》
「癇の虫」赤子ががぐずったり、体調が優れず泣き止まないなどの症状を鎮めるためのまじない。産女観音の院にて頂戴出来る。これが綻んでいた=結界の綻びを感じさせたかった。
《姑獲鳥》
産女(ウブメ)は日本の妖怪。京極さんの小説で名前は知られているのでは…。
産めずに死んだ女性が成る、という解釈にて作中では出しました。茨城県のウバメトリに近い描写で。
《ウブ》
嬰児の死んだ者や、堕ろした子を山野に捨てたものがなるとされ、大きな蜘蛛の形で赤子の様に泣き、人に追い縋り命を取る。
SJプレイした方は記憶に新しいのでは…。ビジュアル的に出したかった。九十九針をおしゃぶりにしたのは、吹きつけるイメージが強く連想されたから、という私の勝手です。
《リリトゥ=リリス》
ギルガメシュ叙事詩のキ-シキル-リル-ラ-ケとかいう妖怪と同一視されていたらしいリリス。その妖怪の次期出現が前9世紀ごろのバビロニアで、その女妖怪は闇の時間帯にさまよい歩き、新生児や妊婦を狩り、殺す。らしいので…というあまりに適当な寄せ集め方にて執筆。妊婦や赤子を殺す悪魔が、今回妊婦と赤子を助ける側に立った…という妙な廻り合わせにしたかったので。
《凶鳥説明の舞》
「鬼神ノ類ナリ。能ク人ノ魂魄ヲ収ム。荊州多クコレアリ――…」本草綱目(ほんぞうこうもく)なる中国の薬学著作より抜粋。1578年(万暦6年)頃の本。響きが歌に合いそうだったので。
《高砂》
(たかさご)相生の松によせて夫婦愛と長寿を愛で、人世を言祝ぐ大変めでたい能。雷堂の気持ち…心から願うしあわせ。を表現したかった為の選出。
《羽根つき》
二人以上でつくのを追羽根・遣羽子という。本来女子の遊び。「一人来な 二人来な 見て来な…」と雷堂が歌うのは大正頃の羽根つき歌。参考にした処に注釈は無かったのですが、数え歌なのだと思います。「“一”人来な」「“二”人来な」「“見”て来な」「“寄”って来な」「“いつ”来ても」「“む”つかし」「“な”んの“薬”師」「“ここの”前よ」「“十”よ」
男二人に羽根つきをさせるシュールさ…。入れる墨は厄除け・病気除けの効果があると考えられていたそうですが、此処では雷堂の傷の形に刻む、という流れにしたくて羽根突きをさせた…だけです。
《初夢の四五六》
四扇(しおうぎ)、五煙草(ごたばこ)、六座頭(ろくざとう)
一富士二鷹三茄子…は有名ですが…。今回まさにしっくりきましたが、実は終盤執筆中に気付いたという…。座頭、は舞台の頭という意も有り…盲目人の階級の意もあり(盲目の奏者が多い連想で「舞台になら座頭が居るだろうから」と云わせました、ので雷堂はこちらのイメージなのかと…)
《洒落》
リリスに云った「“蛇”足」はリリスの「“蛇”」と掛けて。
九十九“針”と天井の“梁”を掛けて。
って、わざわざ記述するこそ蛇足でしょうが…今回は少ないです。他作品にも遊びでこういうのは入れてますので、それとなく気にして読むとニヤリとするかもしれません…