盲目の秋

 
砂利の味がする。
「げほ…っ」
それを吐き出し、よろりと立ち上がる。
「大丈夫か兄ちゃん?」
傍を通る着物の男性が、俺に手を差し伸べた。
「は…い、大丈夫です、すみません」
ゆっくりと息を吐き、その手を掌で制する。
「片眼が利かんのなら、付き添いが居た方が良いぞ?」
「…はい」
「じゃあ、ゆっくり歩いて帰んなよ?」
帯に指を掛け、その気の良さそうな男性は雑踏に消えた。
汚れた足下を掃い、ふと気付く。
(そういえば、雷堂さんの着物…着たまま帰ってきちゃったな)
念入りに砂を掃う。
返す日が来るのかは知れなかったが。


我侭に、堕天使に頼み込む。
塞いでおいてと頼んだ穴を、今度は開けと云う。
そんな俺に、堕天使はただ哂って、そうした。
「君は意外と我侭だ」
「…申し訳ありません」
「前払いだと思っておくれ…いつか来る、戦の恩賞の一部とね」
「はい」
「まあ、君が研ぎ澄まされるなら、誰になびいてくれようが構わないけれど」
ルシファーは…暗に、雷堂の事を云っているのだろうか。
「だがしかし、気をつけるのだよ」
「な…何、に?」
笑んでいるのに、恐ろしさを感じる。
その金色の髪を肩に揺らし、俺の傍に立った。
緊張に近い強張りが、俺の身体を硬直させる。
「ここから…翼が生えた者達が、最近多く君へと刃を向ける」
俺の背の…所謂肩甲骨なる箇所を、その指がなぞった。
「かつては在ったのに…君等にも」
「天の軍勢…ですか?」
「君が眼をくれてやったサマナー……嫌に奴等の臭いがするね」
「…天使が、何も云わずと寄ってくる、そうです」
「それはそれは…我々とは仲良くなれそうには無いな…ねえ、矢代?」
「でも、彼があちらの人間と決まった訳じゃ…!」
俺の反論は、あっという間に闇に呑まれた。
なぞる指が、俺の骨を掴む。
実際にそうされている訳では無いのに、そのまま肩甲骨だけ引っ張られる様な
肉を貫通して骨を直に握られる感覚…
「はぁ…っ!」
「君があちらに逝きたいなら、このまま引きずり出して羽を生やしてやろうか?」
「っも…申し訳…ありません」
「天使と云うには血を流しすぎているか?」
「ルシファー様!申し訳ありませんっ!!」
残酷な…天使。
血を多く流しているのは天使も同じと一番解っているのは、この大帝だろうに。
「矢代…私がくれてやる時間は、君を磨く為のものだ」
指が離れていく。
「その刃が此方に向く事の無い様…今の君の主人に宜しく伝えなくてはね」
「ふ…っ」
緊張が解け、俺は息を思い出した。
ライドウと、違った恐怖。
この堕天使は、気紛れでいつ俺を完き悪魔にしてしまうか分からない。
完全に、自我を保てぬ程に力を引き出されては…もう俺は俺で無くなる。
その方法は付け焼刃なので、真価には至らぬらしいが。
そのお陰で、猶予が与えられているのも…皮肉だ。
「ほら、今の君の住処へお戻り…」
ルシファーの声に、突き動かされる様に次元の裂け目に身を投じる。
「くれぐれも、夜に殺されない様にね…」
背中に掛けられたその声音は、哂っていた。


(夜に…殺されないように、か)
多分、あの堕天使は未だに俺を試している。
俺がもし野垂れ死んだり、使役され殺されたりしても…絶望はしないだろう。
ひょっとしたら、ライドウを悪魔にスカウトでもするんじゃなかろうか?
適正なんて関係無しに、あの男なら人の身のままやっていけそうだ。

暖簾を潜り、金王屋の中に入る。
「小僧…なんじゃその眼」
「…ちょっと、事故で…」
怪訝な表情の主人を適当にあしらい、俺は下への階段に駆け寄る。
左眼を避けるように、大雑把に巻いた包帯が好奇の視線を集める。
雷堂も、こんな気持ちだったのだろうか…
暗い、冷気すら漂う長い階段をゆっくり下りる。
上階との距離が一定になったのを空気で確認すると、俺は力を胎内に震わせた。
ぶわりと、肌に淡く斑紋が浮かび上がる。
寒気は少し飛ぶが…しかし魔力の高揚をいつも程感じない。 
(やっぱり、勘違いじゃない…)
眼の損失は、大きい。
視界だけでなく、魔力的に捉えても…
以前も無い間、戦いにおいて厳しかった気がする。
ああ、その時は…確かライドウが苛立って俺をしょっちゅう足蹴にしたっけか。
生傷が絶えなかったが、致命傷を負う事は無かった。
戦いの場では、ライドウが俺の眼の無い方に、立っていたから。
頼んではいない、あいつも恩着せがましくそれを誇示しない。
俺も、礼など云わない。
ただ、あいつは手駒を守っただけだし、俺はそれにあやかっただけだ。
(ただ、それだけの事…)
思い出していた。あいつと契約して間もない頃を…ふと。

下りきった先のラボに、人影を見る。
「ヴィクトルさん、すいません…功刀です」
声をかければ、一瞬振り返り、そして再度振り返る。
「功刀では分からぬ!誰かと思えば人修羅ではないか!!」
「俺は一応人間の名前を持っているんですが…」
「おいおい、その眼元はなんだ!?」
俺の名前なぞどうでもいいらしく、すぐに違和感に気付いた様でそれに喰い付いてきた。
俺は包帯をするすると解き、右眼を外気に曝した。
すると、少しだけ眼を見開いたヴィクトル。
「潰されたか?引っこ抜かれたか?」
「…いいえ、俺が、自分でやりました」
その俺の返事には驚いていた。
「自ら?何が為に」
「…天使にあげたんです」
俺が自嘲気味に笑って云えば、難しい顔をしたヴィクトルが歩み寄る。
「ううむ、とにもかくにも…このままにしては再生もままならんだろう!!」
俺の前髪をかき上げ、右の虚を凝視する。
その白い眼に、この人…純粋な人間では無いのだろうな…と、ぼうっと思った。
「とりあえず、縫合すれば良いか?」
「ええ、以前はそれで再生しました」
かなり時間はかかったが、そうしておけば中で魔力が生成してくれる。
魔力による純培養の、金色の魔石…
そう、云われた事がある。
「どんな糸で縫合したのだ?」
「さあ…あれは魔力で紡がれていたから…塞げるなら、何でも良いのだと思います」
「ふぅむ…まぁ、どのみち手術の必要はあるな!」
何かの作業を中断し、グローブを腕から外したヴィクトル。
俺に向かって指で指し示す。
「ほれ、お前はいつもの手術台で寝て待っていろ!」
「はい…あ、あの出来たら」
「分かっておるわ!!麻酔の用意をするから待っていろと云ったまでだ!」
その返事に、少し安堵して俺は別の部屋へと移った。
薄暗い、それでいて更に冷気の漂う空間。
身体は平気だが、吐く息は白く濁る。
その、部屋の中央に在るのは手術台…
乗る悪魔なら、此処に固定され、治療を施される。
ディアでも癒えぬ、追いつかぬ再生…
そんな時にヴィクトルの元へと搬送される。
痛がる悪魔には、神経を麻痺させる投薬をして執刀する。
こればかりは悪魔によるらしく、必要としない悪魔も多い。
当然俺は…して貰っている。
当たり前だ…痛覚は、人間時と悪魔時と、大差無いのだから。
その、まるで生贄が乗るかの様な台に、俺は靴を脱いで乗り…横たわる。
冷たい感触が、肌を鋭敏にさせる…
(新宿衛生病院みたいだ)
あまり良いとは云えぬ記憶が、湧き上がる。

目覚めて、身体に変な線が入っていて、得体の知れない力が宿っていた
何故、何故俺が
何故こんな事に、何故こんな…酷い、酷い…

「人修羅!」
その声にハッとして、まだ備わっている眼を開く。
「ヴィクトル…さん」
「もう寝ておったのか!?準備が良いな」
「いや、ちょっと…そのっ」
口ごもる俺をさして気にも留めず、ヴィクトルは薬品瓶をコトリと置いた。
「流石に顔だからな、変に動かれては堪らんので固定させてもらうぞ?」
「お願いします」
俺の許可を得た博士は慣れた手付きで、台に添えつけて在る固定具に俺の頭を嵌める。
そのヘッドブロックで、固定された上からベルトを巻く。
腕にも脚にも。
これはヴィクトルの安全の為に、というのは分かるのだが…
あまりに仰々しくて、少し苦手だ。
いや、本来の外科手術もこんなものだとは知っているが…
「ん?んん!?…アレだ!と思う糸が無いな」
そう声がしたと思ったら、色々漁ってひっくり返した様な音が響いた。
「ふぅむ、やはり見当たらん…!おい、そのまま待っていろ」
「糸なんて、何でも良いですよ」
「魔力で焼き切れたらどうする?素人なら黙って縫われろ!」
「ちょ、滅茶苦茶な…」
その博士らしい理屈に、失笑してしまった。
いやしかし、その通りである。
こうして処置してもらうのは間違いでは無い。
俺の著しい能力減退は、ライドウも望む所では無いからだ。
もしこの後会って、メッタ刺しにされても…縫合した眼は狙わぬだろう。
(俺にまだ利用価値が在る限り、きっとそうだ)
顔に布を掛けられたまま、部屋から去ったヴィクトルの事を待つ。
悪魔達のざわめきすら無い、あの装置の稼動音も無い。
この暗い部屋に居るのは、視界が塞がれていても…気が重い。

天を染める白い光
病院一帯を残して全てを屠った
それから幾つかの絶望を繰り
そして…二度目の誕生を、その台の上で迎えた
掛けられた声を、未だに覚えている

「おはよう、功刀君」

そう、そうだった。
あのデビルサマナーの声で、あの時も…

「!?」

違う、今の声は、記憶のソレでは無い。
鼓膜を震わせた、間違い無く…肉声…!
心臓が早く波打つ、そんな俺の顔から布が取り払われる。

「久々に見る顔が、恐怖に引き攣った顔というのも、存外悪くないね」

俺の狭い視界に、しっかりと映りこむ様に…覗き込んでくるそいつ。
間違いでは無かった…十四代目葛葉ライドウ。
「…ヴィクトルさ」
「ドクターは多忙そうだから、少し眠って頂いているよ」
俺の台詞の終わらぬ内に、そう告げて首を傾げた。
「睡眠魔法が効くなんて、少し意外だったけど」
悪びれもせず云いのけるこの男、やはり…違う。
同じ姿をしたあのデビルサマナーとは…
「ぅ…」
身を捩るが、ぎしりと音を響かせるだけで…俺は動けない事が分かった。
「無理だよ、蛮力族の馬鹿力にも耐えうる、魔力遮断も兼ねている…」
俺の脚に巻かれたそのベルトの上から、指を滑らせたライドウが云う。
その事実に、俺は何処か諦めて悪態を吐く。
「あんたは罪も無い人に睡眠魔法施して良いと思っているのか?」
「フフ…違うよ、責任を感じてそうしたまでさ」
俺の前髪を、その細い綺麗な指で掻き分ける。
「…やはり、無い、か」
「俺の片眼が無くて、何がそんなに悪いんだよ」
俺の右眼を、親の仇みたいに喰い入って見つめるライドウ。
「ドクターに代わって…主人の僕がしようかと思ってね…責任を以って」
「は…何云って」
その言葉に、嫌な予感が脳内を駆け巡る。
「大丈夫…針の運びくらい、ドクターの手付きから教わっているよ」
「っな…おい!ふざけんな!」
懐から、何か取り出して、ガチャガチャと器具の音をさせる。
そんなライドウを、冷や汗混じりに見ていた俺はふと気付いてしまった。
「ま、すい…」
「え?」
「麻酔」
「何を云っているんだ君は」
酷く優しげな笑みを湛えて、ライドウが振り返る。
その、一瞬雷堂にも見えた柔和な雰囲気のまま云う。
「そんなの唾でもつけておけば平気だろう?」
その言葉に、声を失う。
そうしてライドウは続ける。
「だから要らないね、こんな物は」
宙にぽぉんと、放り投げられた麻酔薬の瓶と思わしき物が
高い音と共に、瞬時に飛散した。
硝煙の匂い…
ライドウが、どうやらご丁寧にその瓶を撃ち抜いたらしい。
「僕の唾で良いだろう?」
ずい、と俺の上に跨ってきたその感触と台詞に、只…恐怖した。
「っひあ!!」
俺の、右の虚を…ライドウが、舌で撫ぜる。
それは、曝された皮膚を、肉を抉る様にして虚に入り込んでくる。
「あ、ああああっ!やっ、やあっ!!」
絶叫しても、残っている眼から涙が出る暇も与えられず、内部を舐める舌。
痛い、痛い、煩い。
その、頭の中に直接響いて反響する、粘着質な水音が、煩い。
剥き出しの肉が、削がれる様な痛さに、最初は体が跳ねたが
次第にその痛みには、麻痺してきた。
「っは…」
右眼だった所から伝うのは、涙なんかじゃない。
ライドウの、零した唾液。
やがて、糸をひいて舌を抜き取ったライドウが、頭を俺から離した。
「ね、段々と麻痺してきただろ?」
「痛み、には…慣れがあるから、だろ…っ」
俺の侮蔑に、ライドウは舌なめずりして哂う。
「ねえ、何故僕にはくれないのだい?」
「…くれないって、何」
「その眼」
ライドウが、俺の残っている左眼を、真上から覗き込んでくる。
ライドウのその闇色の眼に、慄く俺が映り込む。
「僕が望んでも、君は寄越さぬだろうね」
「だって、そうする理由が、無い!」
「理由?」
聞き返しつつライドウが、俺の左眼の上下瞼を指でしっかりこじ開ける。
そして、眼球を舐め上げた。
「ふ…ぅ、ううっ!」
その、何とも形容し難い感触が、身体の隅から隅までを舐め上げていく。
「理由なんて、ひとつだろうが」
「はぁ、ああっ、あ」
「僕が、お前の主人だからだよ!!」
そう叫び、ひと舐めした後、胎に膝を入れられる。
「ひぎっ」
その、今度は直接的な痛みに俺は身体を捩った。
身体を折りたくても、固定されている…ギシリギシリ、と鳴くだけだった。
「何?理由理由って、おい功刀矢代、お前にはそんな物必要なのか?」
「ふ…っげ…げほっ」
「使役されているのなら、黙って、笑顔で、歓んで差し出せよ」
もう、おかしいだろう。
この男の云う事が正しいのなら、俺は悪魔になっても構わない。
そうして、こいつを八つ裂きにして、やりたい…
「…おまけに残った眼では、僕を睨むか」
「…」
「この…出来損ないが!」
再度、胎に入れられた膝に、歯を食い縛って悲鳴を抑えた。
憤怒に駆られたライドウは、何故か哂っている。
何故、哂って…そんな事が出来る?
「さあ…そろそろオペでも開始しようか?功刀君?」
既に息も絶え絶えな俺に、ライドウの指先で光る器具が見えた。
鈎型の針、小型の鉗子。
確かに…確かに、縫合の道具だった。
だが、糸らしい物は確認出来なかった。
俺が朦朧として、ライドウを見れば、クスリと哂う。
「糸?」
「…」
「心配しなくとも…在るよ」
跨るまま、外套を捲り…学生服の釦を、ひとつふたつ、外した。
その様子を俺は何も考えずに、見ていた。
いや、何も考えたく無かったのかもしれない。
「君が眼をくれてやったサマナーに、ざっくりもってかれたよ、背から脇腹」
そう、憎々しげに呟いたライドウの手元が、その隙間から入り探っている。
傷は見えないが、一瞬顔を顰めたのを見て認識した。
「く…っ」
ずるずると、手元を着衣の隙間から引き出すその姿に、俺は戦慄する。
その、引き抜かれた手の指先に摘ままれるのは…糸。
赤い、それでいて淡く光る糸。
「馬鹿じゃないのかあんた!おかしい!頭がイカレてる!」
俺の叫びに、ライドウは息を吐き、口の端を吊り上げる。
「僕の肉を通っていた糸なのだから、魔力を宿していない筈無いが?」
ずるりずるりと引き抜かれていくその赤い糸に、俺はぞわぞわと身の毛がよだつ。
「う…ぅうぐ…っ」
気持ち悪い。
呻く俺に、引き抜き終わったライドウはその糸を見せ付けるかの様に垂らす。
「ほら、マグネタイトも帯びている…どの糸よりも適しているよ…」
「人の…血が付着した糸なんて…使わない」
俺の意見なんて聞いてる訳無いライドウは、その糸を満足気に針へ通す。
「僕の身体から、君の身体に移すのだから、問題あるまい」
「最低…だ」
「僕のマグに慣れきった身体には、旨く喰いつく筈だよ…クク」
その針が、右の方へと向かっていくのが見えた。
見えぬ視界の闇の範囲で、それがどう動いているのか…見えぬのが恐怖を掻き立てる。
「ねえ、功刀君…一針一針、想いを込めて縫ってあげよう」
「止めろ…止め…」

ずぐり

「…!!!!!!」
「君が消えて、まず腹立たしかった…」

ずぐり

「ひぎゃあっ」
「あの堕天使が来て、その指に光る金の装飾が、僕を嘲笑う」

ずぐり

「は…っ!はあっ!う…」
「カラスに頭を下げている僕が酷く滑稽だった」

ずぐり

「痛い!痛いっ!」
「眠りそうな身体に、愛刀で鞭打って…刻を待った」

ずぐり

「ライ…ッ」
「やがて、夢見に君が顔を覗かせるようになった」

ずぐり

「あ、あああああ」
「夢見の君を殺すのは、いつもいつも僕なのに…」

ずぐり

「もう…もう嫌だ…」
「その君を殺す影が振り向けば、額の傷が在る」

ずぐり

「い……た…い」
「そして、その影は現でも…金色の眼を宿して、僕を哂った!」

ぐいっ

「…」
「ねえ…僕がいつもいつも、その金色の眼を見て、何を想うか君は解っているのか?僕がいつもいつも其れを見て、愚かで浅はかな、一悪魔の君に惚れ惚れするのを知っているのか?僕があの堕天使の指に光る君の眼を見て、酷く惨めな気持ちに胸をざわつかせるのを知っているのか?其れを簡単に堕天使に差し出した君を、無茶苦茶に打ちのめしてやりたい、其れを簡単に雷堂に差し出した君を……君を…矢代…」

ぷつり

「絶対に赦すものか」

喘ぐ俺の口に、そのまま重なってくる口。
魔力の、生体エネルギーの流転は無かった。
ただただ、血の味がする舌が求める様に行き交って、絡まる。
糸を断ち切り、針を落としたライドウの指が、頬を撫ぜる。
その指が滑り、頭の固定を解き、その腕がまわされた。
ざりざりと、身体を固定帯が解けた音がし、台の端に揺れるのが、ちらりと見えた。
もう俺を束縛するものは無い筈なのに、俺は手術台に縫いとめられている。
眼の痛みも、朦朧とする身体も…もはや言い訳にしかならなかった。

初めての、優しいくちづけ…だった。

その事実が、俺の身体を人形にしていた。
(何故…)
何故、雷堂の優しいくちづけに背徳を覚え、ライドウの其れには…覚えない?
その、ライドウの指が俺の頬に戻り、両頬を挟まれて
何度も何度も角度を変えて
咬む事も、力のやり取りすら無い、その唇のまぐわいに…
だったら、何の意味が在る?

(これは、何の意味が在ってされている?)

やがて、やんわりと放された…
手術台に、放心して横たわる俺を…ライドウは無表情に見下ろしていた。
「…なんで」
俺の口から、それこそ何故発されているのか自問自答したい声が出る。
「なんで…痛い事したと思った次の瞬間に、あんな事するんだよ…」
俺の声が、震えている。
ライドウは、無表情のまま云った。
吐く息が白かった。
「あの雷堂は、こういう接吻をしたのか」
「え…」
「あの雷堂と、同じ様に…優しくすれば、僕にも眼をくれるのか?」
「…な、なに…を」
動悸が…早い、痛い、痛い程に血を乱す。
苦しい、息が…
その、ライドウの問いに、答えが見つからない。
ライドウと雷堂が…同じ様に、成ったら…?

「…くっ、くくく」
と、突如した笑い声に顔を上げる。
ライドウの無表情が、崩れていった。
「何を狼狽しているんだ…冗談に決まっているだろう」
「…!!」
その言葉に、冷水を掛けられた様に、身体が凍りつく。
「云ったろう…赦さないと」
つい、先刻まで優しく撫ぜた指は、俺の右頬を強かに叩いた。
当然視界の無い其方からの攻撃に、身構える事すら出来ずに
俺は手術台から落ちて、左側面を床に打ち付けた。
「ねえ、その着物は誰の?」
「がはぁっ!!」
倒れ込んだ先で、鳩尾に蹴りが入る。
革靴の先は、硬く鋭く俺を抉る。
「誰の?」
「ら、雷堂さん…っ」
「へえ、何故拝借している?」
「あ、あんたに、教える…義理は無い」
軋む身体は、明らかに弱ってる。それなのに、俺はこんな事を云っている。
案の定…ライドウは抜刀して、哂って佇む。
「主人は誰?雷堂なのか?」
「うぁ…っ」
右腕を斬られる。
「主人に報告すら出来ないのかお前は」
「はあぅっ」
右脚を斬られる。
下手に動けば、それこそボロ雑巾みたく扱われるのだろう。
「云え、口が利けぬならその弱った頭に聞いてやろうか?」
それだけは嫌だった。
今の俺なら、余分な処まで見せてしまいそうで、そんな恐ろしい事は避けたかった。
「雷堂さんと…した」
「…何を」
「あんた程じゃないけど、同性では行き過ぎた触れ合い程度に…」
「それで着物を借りる理由が出来た訳?」
「…」
「僕の云わんとしている事が解らぬ程無能?」
刀の切っ先が、瞬時に眼前にあてがわれた。
唯一の左眼に。
俺は、詰まった呼吸で、まるで呪文の様に唱えさせられていた。
「よ、汚れてしまったからっ!」
「何故?」
「指で…っ、指で…」
「誰の指?その指が何をした?」
「雷堂さんの指で!俺のが吐き出したんだ…っ!」
もう、壊れてしまえ。
俺の精神なんか、在るだけ無駄で、在るだけ苦しいだけだった。
「く…あははは!傑作だな…堕天使に懇願して、手淫されにいったのかお前は」
「黙れ…っ!雷堂さんは…思いつめてああなったんだ!倒錯してて悪いかよっ」
違う、そんな下卑た欲にまみれた行為では無かったと信じたい。
その思いが俺を叫ばせる。
「そして、その肌にあいつの指が這うのを許したのか」
「同情かも知れない…でも、俺はそうしてやらなきゃ、雷堂さんが心配だった…!」
「あれが?フン…充分強かだよ、あの男は…」
嘲笑するライドウは、何か云いたげではあったが、そのまま口をしならせた。
「デビルサマナーが悪魔に同情されては御終いだな」
「あの人は…あんたと違って、俺を思いやってくれる」
「思いやり?へえ…それで眼を要求した?」
「俺が勝手にあげたんだ、あの人はくれだとか、云ってない!」
「…随分あの男に再教育を施されたものだね…」
眼前の刀は、すぅ…と上にあげられていく。
真っ直ぐに見つめてくるライドウが、俺に向かって云う。
「功刀君、久々に本気で喧嘩しようか?」
「!」
「何も考えず…ただ殺しあったボルテクスが懐かしいだろう?」
「いきなり何…」
「僕のやり方で再教育してあげる…ああ、いやそれとも」
その刀身の向こうに、俺を嘲笑う、綺麗な顔のサマナーが見える。
「調教…と云うべきかな?人修羅?」
弱っている筈なのに、沸々と胎内から凶暴な感情が湧き上がる。
その奔流が、俺の身体を突き動かす。
もう肉体の欠損すら覚悟して、俺はライドウに牙をむいた。

「黙れ葛葉あああっ!!」
飛び掛り、薙いだ爪先の衝撃が、薬品置き場を散らす。
宙に飛散する物や、床を転がる薬品瓶。
跳躍し、それをかわしたライドウの外套に、消毒液が付着した。
そのなんとも云えぬ匂いに包まれたまま、引き抜いた銃でこちらを狙う。
「弱体化著しい」
そう云い数発放たれた弾丸が、俺の肉に喰らい付く。
裂けた肉から筋に喰いこむ鉛に、いつもより酷く痛みを感じるが
手を着き二転三転宙に舞った俺は、脚を振り切って衝撃を放つ。
その光弾が矢の様にライドウへと降り注ぐ。
それを掻い潜り、奴は手術台を踏み台にした。
高く飛び上がり、こちらに追いついてくる。
(此処、狭いっ!)
刀の斬撃を紙一重で避け、着地と同時に俺は扉へと駆け寄る。
なるべくライドウと接近を避けたい俺は、元の広間へと姿を移した。
高い天井の、合体装置が物々しい空間。
此処なら飛び回り、すぐに追いつかれない。
接近され、右の不可視部分がガラ空きになる前に
遠巻きから攻撃してそれを防ぐ自信すら在った。

この高揚が、全てを忘れさせる。
普段の稀に見せる、ヒトとしてのなれ合いも、先刻の穏やかな接吻も
全てを血で流してくれる。
俺とあいつの在り方を、再認識させられる。

「焼け爛れろっ!」
両腕を眼前に運び、点した魔力の少なさに辟易したものの放つ。
指先から躍り跳ねる熱の塊が、濁流の様に奴へ向かう。
布地の焼ける匂いと、肌を幾らか赤く染めたライドウが刀でそれを振り払う。
「だから眼なぞくれてやる物では無い」
手の甲の血が滲む熱傷を啜り、浮いた表皮をぷっと床に吐き捨てるライドウ。
「こんな焔では芯まで焼くなぞ無理だね」
せせら哂うこの男は、やはりおかしいのではないか。
俺は、装置固定の大きな鎖を足場に、上へと駆け上る。
じゃらじゃらと重く響く音を撒き散らし、ライドウの追えぬ箇所を探す。
斬られた右半身が、ずくりと痛むのを堪えて…
「悪魔は強く在ってこそ、だろう?功刀君?」
「俺は、まだ成っていない!」
「フフ…ねえ、逃げてばかりではつまらぬよ」
その笑いと共に銃声が響く。
高い天井に大きく残響を広げ、その弾丸の行き先に疑問を感じつつ警戒している
と…急に視界が暗くなった。
いや、違う…俺の視界ではない、この空間の明かりが、証明が落ちた。
ライドウが照明装置でも狙ったのか…
元より薄暗いのに、坑道の如き闇に包まれた空間に
俺は混乱して周囲を見渡す。
何も見えない。
そして俺の斑紋は淡く色を発し輝いているのだ。
危険、非常に危険だった。

「がふッ!!」

突然の痛みに、折れた身体。
鎖を踏み外して重力の働くままに落下した俺は、床に全身を打ちつけた。
そのバラバラになってしまいそうな痛みを堪えて、ふるふると身体を起こせば
髪を鷲掴みにされて投げ飛ばされる。
「うあ゛…っ」
ごろごろと、床を転がる俺に、まるで玉蹴りでもして遊ぶみたく
がすり、がすりと、脚と思う衝撃が与えられる。
(視えない…っ!!魔力の気配すら読み取れない…!)
焦りと痛みが、恐怖にすり替わる。
俺を光源にしていると思わしきライドウが、腹立たしい。
「まるで蛍狩りみたいだ」
その声が、俺の推測と別の方からして、更に困惑した。
まともに相手の位置すら捕捉出来ない、勝負に…ならない。

がちゃり

金属音がしたと思えば、ライドウの声。
「功刀君、君は面白い処へ逃げ込んだね」
「っ…う、うぅ…っ」
よろりと立ち上がり、右手に壁が来るように這う。
まず、右に空間を作りたくなかった。
ぶわり、と空間が振動する様な音が辺りに落ちる。
ぽつり、ぽつりと証明が光を取り戻していく。
予備電源の作動か、そのやはり薄暗い灯りに露わになる全景。
「な…」
俺は、いつの間にやら檻の中に居た。
あの、合体悪魔の檻。
慌てて出ようとするが、金属は異様な強度で、そもそも出入り口が何故塞がれている?
「それ、特殊素材から生成した金属だから…中で悪魔が暴れても問題無い」
「このっ!閉じ込めやがったな…っ!!」
「普段の君なら破壊出来たかもしれないがね」
遠くは薄暗く、眼が慣れるまでよく把握出来なかった。
だが、その光景の異様さに俺は息を呑んだ。
「…おい」
「何?」
「あんたが…何故其処に居るんだよ」
黒い外套のデビルサマナーは、俺の向かいの檻に居た。
「居てはいけないのか?」
「あんただってそれじゃ攻撃出来ないだろ」
「銃でしか無理だね、魔力は遮断されるから」
そう云って、ふわりと捲った外套の内から銃を取り出したライドウ。
俺は蜂の巣にされる自身を一瞬で想像し、思わず身構えた。
「…っ」
だが、いつまで経っても俺の肌に鉛は喰い付いてこない。
左眼をじわりと開ければ、ライドウが微笑んでいる。
その姿に唖然として、俺は黙ってしまった。
「ねえ、君は悪魔を何故合体させたがらない?」
突然の問いに、俺は間を置いて、ハッとなり返す。
「どっちの存在も殺す事になるからだ…っ」
「そうだね、A+B=C成る別存在が生まれるからね…」
「そうまでして、強い悪魔を作り出す気も、それを使役する気も無い」
悪魔達は、さして気にも留めない様子だが…俺はそんなの、気分が悪い。
「では、君は愛しき者にそれを望まれたら、どうなのだ?」
「は…っ…?それは、合体をもっとさせろって…依頼されたら?」
「違う」
学帽の下で、闇色の筈なのに…薄っすら煌く眼が俺を射る。
「その者と、君とが合体するのだよ」
その発言に、一瞬意味が解らず俺は口をぽかんと開けていた。
「俺の意識が掻き消えるのに、そんな馬鹿な事…出来るか!」
「では、それをあの雷堂に懇願されたら?」
「え…」
「君が眼を差し出し、他の箇所を、肉を、魂を差し出し…そんなまだるっこしい工程を踏まずとも簡単な方法だろう…?」
頭が、混濁する。
あの、優しい眼差しの雷堂が脳内に浮かぶ。
そしてありありと…その姿が想像出来てしまう俺が、憎い、馬鹿だ。

きっと、笑顔で云うんだ
“我と合体しては呉れぬか”と…

「どちらの意識が残留するかなぞ、関係無い…その事実の一瞬の悦びに己を投げ棄てるのだよ」
「狂ってる…それは…それがいくら愛と云われても俺は無理だ!」
「あの雷堂でも?」
「あ…当たり前だ!!」
「なら、僕としてよ」
「え…っ」

がぃん

銃声、レバー動作の金属の音、せり上がる檻の鎖が啼く。
上へ上へと移り往く景色。
雷電迸る檻。
脚に、力が入らない…
膝から崩れ落ちて、向かいの檻を見つめる俺。
「何考えてんだ…」
「君の意識に勝る自信が在る、その身体なら僕の目的に害は及ぼさない」
「俺の意思は」
「あの雷堂に奉げたのだろう?もうその身体には宿っていない」
「あんたの意識が残る確証も、身体が俺の力を残す確証も無いんだぞ!?」
「フフ…単細胞の粘液に成っても、構わない」
綺麗な形の唇が、弧を描く。
落ち着いた声音が、俺の心臓を突き刺す。

「寝ても醒めても君が纏わり着く…こんな身体、棄ててしまいたい」

がちゃりがちゃり、と、天に届く。
互いの檻が、共鳴し合う。

「ライ…ドウ…」
「君には解るのか?この得体の知れぬ狂気が…不安に掻き立てる、君を嬲ろうが抱こうが治まらぬこの慟哭が!」

バチリバチリと迸る雷電にその掌を焼かれ、格子を握るライドウ。
俺を睨むように、喰い入る様に、喰らう様に見つめる。
吐く息が白い。
天に近いのか、はたまた地獄に近いのか。

「ひとつに成れば、この正体が解るのか!?どうなのだ!?矢代!!」
「嫌だ!嫌だ嫌だ!!」

半狂乱で、俺は叫ぶ。
恐ろしい、消えてしまう、俺が消えてしまう。
恐ろしい、消えてしまう、あれも消えてしまう。
“こっちへおいで…”
差し伸べられた、闇への誘い。
その手が、消えるのだ、互いの内に、無かった事に。
その手に、苛まれる事も、力を流される事も、撫ぜられる事も…

「あんたが消えるなんて嫌だ!ライドォオ!!夜っ!!夜ぅっ!!!!」

ギギギギギギ…
引き合う檻が、止まる。
迸る雷電は、なりを潜めて消沈した。
ぐわらり、ぐわらりと、檻は地階へ下がり往く。
『この気狂いが!!我まで眠らせおってからに…!』
下に眼をやれば、黒猫と白衣の博士。
「全く、我輩のラボを滅茶苦茶にしおって!弁償しろよ葛葉あああ!!」
昇降装置をがしがしと動かすヴィクトルを、俺は放心状態で見た。
がちゃり、と床に連結した檻が、自動的に開く。
『おい…大丈夫なのかお主』
ゴウトが、ライドウではなく俺の方へと歩み寄ってきた。
俺は放心したままの眼をゴウトに向ける。
フウッと鳴く黒猫。
『あやつ…その眼を見て逆上でもしおったか?馬鹿だ…な』
「ゴウトさん…」
ようやく、身体が状況を把握したのか、震えだす。
『悪魔とて、合体に恐怖する奴も居るからな』
「う、うううっ…」
今更、残る眼の方から、雫が溢れた。
恐ろしかった、ある意味、死よりも。
『おい、ライドウ!弁解するなら聞いてやらんでもないぞ』
ゴウトの声に、ライドウは返事すらせずに、檻を出る。
『おい!』
黒い外套をなびかせて、冷気漂う階段を上る。
『ライドウ!』
再度の呼び掛けに、その脚を早めて駆け上がっていった。
革靴が段を踏み鳴らす感覚が狭まり、やがて消えた。
俺とその階段を交互に見て、溜息を吐くゴウト…
『まあ、奴の事だからどうせ寸でで、止めるつもりだったのだろうが…脅しだ、脅し…お主をまた苛み、愉しんでおったのだろうて』
その台詞を、俺は心の中で全否定した。
あれは、本気だった…どう考えても。
そして、あの時の俺の叫びも…本心、だった気がする。
それが何を意味するのか、よく解らなかったが…解ろうとも、思わなかった。



宵に暮れる空を眺めて、もう随分日が落ちるのも早くなったと感じる。
先刻の、人修羅の言葉が耳元で未だに輪唱している。
あのまま…
あのまま、別に融けあってしまっても、構わなかった。
どうせこの身、そこまで大事でも無い…
あれを、奪われる方が、恥だった。
その屈辱に殺され続けるのなら、己の内に納めて、奪えぬ様にしてしまいたかった。

僕が消えるのを恐れたのか、あれ、は…
僕の名を叫んだ。
“夜”と、未だにその名を憶えて居た…
それが…それが何だと云うのだ。

暗くなってきた道に、眼を凝らす。
ふぃと、足下の色に気付く。
見れば、赤い、赤い紅葉が…地面に広がって居た。
(ああ…もう冬が来るか)
ぼんやりとそんな事を思い、脚を運ぶ。
だが、周囲に落ち葉はそうそう無い。
掃かれて、道脇やら焚き火やらにされて、街路に在る筈も無い。
よくよく眼を凝らす…
そうして、ようやく知った事実に、思わず哂ってしまった。
それは紅葉なんかでは無い、自身の胎から流れ出た、血だった。
人修羅の虚を縫うのに、そういえば胎から糸を抜いたのだった。
(人修羅は、果たして雪の季節まで手元に在るのだろうか…)
また、まただ、何を恐れるのだ、何を不安になるのだ。
僕は、ヤタガラスきっての、狐と…悪魔と呼ばれるサマナーだぞ…
いくら悪魔の王たる資格を持つとはいえ、あんな少年に…
何を恐れているのだ。
それが、暴力となって、酷い殺戮衝動となって発露する己を…いっそ誇らしく思う。
どうして、僕は、こんなにも素直ではないか…だと云うに
何故、この不安は解消されぬ?
何故、雷堂の真似等して…優しく接吻した…?

雑念を割くようにして
「もう暮れる、家にお入りなさい」と、何処かの母親の声が響く。
河の畔に遊ぶ子等が、手にした諸々を投げ棄て、手足の砂を掃って駆けて往く。
その上から見えた、うち棄てられた諸々に見覚えを感じて下りていく。
流れ着いた、何かが河縁にたゆたう。
(こんな処に流れ着いていたのか…)
先日、電車から水へと投げ棄てた教科書達が、恨めしそうに僕を見ていた。
もう、濡れに濡れて開くのもままならぬであろうそれ等を、靴先で蹴る。
開いた國語の本は、洋墨が滲んで、なんの文かも定かでは無かった。

ただ、数行の言葉が、眼に焼きついて離れなかった。


“ ごく自然に、だが自然に愛せるといふことは
そんなにたびたびあることではなく
そしてこのことを知ることが
さう誰にでも許されてはゐないのだ ”


「矢代…」
ああ、お前は
どうして眼をくれてやったのだ
知るを赦されぬ僕は
それを得る資格が無いのか?
赦しはしない…人修羅よ、功刀矢代よ
その魂が平行世界へ往こうとも
その首に在る鎖は、僕が執る
千切れて、首だけになろうとも
その首を腕に抱いて、哂って居てあげよう…

「ああ、これが、愛、か…は、はは…あはは…はっ」

秋が更け往く

盲目の秋・了
* あとがき*

勝手な愛の形に気付いた(それもやはり自覚無し)ライドウです。
己から抜糸した糸で麻酔無し縫合・眼孔舐め・眼球舐め
鳩尾蹴り・強制合体未遂
まあ、いろいろやらかしましたが…
全てはライドウの云う『得体の知れぬ感情』の所為です。
きっとそうなのです。
人修羅は、ライドウに対する感情には疎い様ですね…
憎しみだけでは無い事に、これからも気付かないのでしょうか。

最後の一文・タイトルは中原中也様から…
実際国語ではお世話になりました。