叉手

 
神に祈りを捧げる。
ステンドガラスから射す陽を浴びて。
両の手を組み。
神に答えを求めて。

ねえ
その
決して応えてはくれぬ神とは…何者?

“僕が使役する中にも、神と名乗るモノは多いのだけど?”
――だろうな、唯一神なる概念を作る程なのだから
“そもそも神なんか居る所為で争いが絶えないのだよ”
――…フッ、本当に面白い事を云うな…
“今回のアバドンもそうだろう?全く…神の名も安売りされているのかな?”
――夜、君は…君の神は、何なのだい?
“…僕の?”

僕の神?
僕は…
何も、信じぬ。
答えなど、他に求めぬ。
返事が来るのを待ち焦がれて、朽ちる殉教者とは違う。
そう、違う…
この両の手は、自分の為に組むのだから。





「…祈りの時間は終わったのかな?」
背後からの声に、過去の声を消した。
僕は横続きの椅子から立ち上がり、背を向けたまま返事をする。
「祈るものなど無い、貴方を呼ぶ為だけの、形式上のものですからね…」
「そうか、相も変わらず無神論者な様子だね?」
「ヤタガラスの僕がカソリックでどうするのです?」
くるり、と振り返る。
以前と全く変わらぬ姿で、ハンチング帽をかぶる彼。
青い瞳が、この時代ではまだ珍しいその風貌。
「定期報告でも無し…矢代の姿も見えない…」
抑揚も無く、淡々と発して寄って来る。
カツン、カツン
鳴る靴音が、高い天井に響いていった。
「ねえライドウ、何をしに、何の為に此処へ来た?」
「…貴方に、お願いがあって参りました」

雪の中を、昼夜問わず歩き続けた。
真っ直ぐに、天主教会へと。
そうして、手を組んだ。
教えられている手順で、魔の領域へと言葉を送る。
いつもは人修羅がする事なのだ。
此度は、僕が祈った。
それだから、だろうか。
勝手に入り口が開く事は無く
堕天使が自ら…此処へと舞い降りたのだ。

「聞こう、ぼくは寛大だからな…」
悠然と微笑むルシファー。
いくら人間の衣服に身を包んでも、滲み出る圧は誤魔化せぬ。
かつて、軽々しく口を叩いていた僕。
この圧力に、気付かない程青かったのか。
(別に、畏れては…いない)
…そう、だが今、形だけは彼に従属しているのだから。
「閣下、貴方にご助力賜りたい」
「…」
「他の次元へと、繋いで頂きたい」
「…理由は?」
聞かれ、一呼吸置く。
別に隠すつもりは、無かった。
「人修羅が平行世界の葛葉に連れて行かれました故」
「で、ぼくに繋げろ、と?」
「はい、今回ヤタガラスには依頼出来ぬ事柄です」
臆する事も無く、不躾に云い放った僕。
長椅子と長椅子の間。中央の通路へと出る。
そうして、ルシファーのすぐ傍まで歩み寄った。
学帽を手に取り、胸元へ下ろす。
(人修羅の所為で、最近頭を下げてばかりだな)
苛立ちの様な自嘲の様な、そんな感覚に駆られながら
浅く頭を垂れた。
「連れ戻します」
ただ一言、そう述べた僕。
「…ライドウ…それは、ライドウとしての望み?」
降りかかる問い。
「それとも…夜としての?」
答える事が出来ぬ僕。
この堕天使に、余計な心情を吐露すべきでは無い。
そう判断して、だ。
「…みすみす、渡したのか?」
下げた視線の先に、堕天使の指先。
それがゆるりと、まさに掌を返した。
脚に力を入れ、床板を踏み込んだが
結界も何も、ましてやMAG保有量すら危うい僕の身体は
紙切れみたいに吹っ飛んだ。
「!」
そのままシンボルステンドグラスへと直行で。
薔薇の曲線も美しい、鉛のリムへと強かに打ちつけられ
そのアーチが軋む音を間近に聞く。
そして重力に従って祭壇へと落ちていく。
自身の身体で打ち割った、韓紅と常磐の色をした硝子片が
つんざく悲鳴を上げながら、僕へばらばらがしゃがしゃと降り注いだ。
「っく…」
傍から見れば、美しく美味しそうですらある飴細工にも思えるのに。
這い出る僕の指をそれ等は喰い破るのだ…
外套に塗されたそれが、きらきらと陽を反射した。
「ライドウ…君に人修羅…矢代を任せたのは、ぼくにも考え在っての事」
力を揮っておきながら、一糸乱れぬ姿の彼が接近する。
「だから、別に怒ってはいないよ?」
ぱり、と硝子片を靴で砕きながら、僕を見下ろした。
(どうだか…)
怒りを外面に出さぬだけ、では無いかと思う。
まあ、それが怒りなのか嘲りなのか失望なのかは知れぬが。
「まあ、しかしすぐに…という訳にもいかない」
柔らかい口調を崩さず、ルシファーは下に落ちた学帽を拾い上げ
祭壇に供物みたく横たわる僕の顔に被せた。
視界に闇が訪れ、声だけが響く。
「以前、矢代にも頼まれたよ…平行世界に繋げ、とね」
「…」
「だが、今…彼にそれを懇願されても、繋げなかったろうね」
「何故」
「…あの君と瓜二つの彼…天界と通じていると噂があってね」
「雷堂、が?」
「つまり、この時期に渡した君は重罪なのだぞ…?」
くくく、と嗤う声。
ああ、そうか、だから自らおいでなすったのか。
学帽の下で、僕も哂った。
それはそれは…機嫌を損ねる訳だ。
「元より在る道を繋げるだけなら、容易いが…無理に開けるのは時間が要る」
「…何日です?」
「人間の数字で云うと、約十年程かな?」
「クッ、それはまた…」
学帽を取り、僕は上半身を起こした。
襟の隙間から入り込んだ欠片が、肌をチクチクと刺す。
「では、その元より在る道を辿ります」
そう云った僕に、陽色に輝く金の髪を撫で付ける彼が嗤う。
「その道は、ぼくが矢代の為に用意した道だからね…」
「通れない?」
「彼の魔力を認識させなければ、霞となって肉体は散るだろうな」
青い瞳が、微笑む。
人修羅を愛でる時のそれで、金の指輪を弄ぶ。
じり…と、苛立ちが…燻る。
「例えば、眼、とか」
恐らく、この堕天使…わざとその例を挙げた。
あの金の指輪と、雷堂の右眼が重なり…酷く、鬱屈とした感情が込み上げる。
「まあ、そう力むなライドウ…一度来れば良い、城に」
「…」
「何かしら、考えよう…君が欠けても、少々つまらぬからな…」
此方を見て、弓の様に瞳をしならせたルシファー。
(人修羅だけで飽き足りぬか)
僕でも、遊んでいると見える。
だが、雷堂に…天の軍勢に人修羅を取られるのは忌々しき事態。
それは真実、だろう。
「今宵、魔城に御招待しよう…ライドウ」
「では、有難く」
「影が薄らいでいるから、急いだ方が良いのだろう?」
「…気に為さらず」
お見通し、か。
だが、此処で急かすのもあまりに醜態。
それにどうせ長くないのだから…
目的達成まで、息が続けばそれで良いのだ。
「伯爵あたりに迎えに行かそう…ではね、葛葉ライドウ…夜」
白い羽が、ふわりと舞って…気配が消えた。
僕は、ホルスターに入り込んだ硝子片を取り除きながら思う。
(天の軍勢…か)
人修羅を…功刀を取り込んで、神兵にでもする気か?
(馬鹿馬鹿しい…悪魔の彼を)
彼はこちら側が似合う。
雷堂の奴…知ってか知らずか、とんでもない方へ引きずり込んで。
そもそも天にアレが使役出来るのか?
いいや、出来る筈、無い。
「僕にしか、出来る筈無い」
(彼の真の力を引き出すのは、彼の全てを暴いたこの僕にしか…)
外套をばさりと扇いで、煌く破片を掃う。
学帽をしっかりと被り、腰掛けていた祭壇から飛び降りる。
白い羽を踏み潰して、天主教会の外へと向かった。







管、良し。引き出しの中の待機組も全て持った。
銃の整備も、バラして組立まで、磨き上げて完璧だ。
刀も数本で括って、取っ手に下げた。
煙草もまだまだ有る。
ソーマ諸々、それなりの応急道具も持った。気休めにしかならぬが。
代えの外套、学生服をもう一組。
愛読書数冊…まあこれは、読む暇等無いが、気分。
酒は、丁度切らしていたので、仕方なく功刀の料理酒を拝借。
業魔殿から持ってきた物も、しっかり、厳重に包んで中へ。
そうして、いつも遠出の依頼で使うトランクはぎゅうぎゅうと膨れた。
結構大きいのに、かなり食ませた。

刀の鍔が並ぶ、多段のチェストをひとしきり眺めては、一段一段に鍵をかけた。
ベッドの上の布団達は、たたんで頭部分へと寄せた。
窓を施錠して、レェスのカーテンだけでなく、遮光カーテンも引く。

ちらり、と部屋の隅を見た。
「…そういえば、まだ」
部屋の飾りになっている、人修羅功刀の二輪車。
オートバイ、が在る。
(まだ返済してもらってないぞ、功刀)
十回払いの、まだ半分も貰っていない。
近付けば、買い与えた玩具は薄く埃をかぶっていた。
皮のシートを指ですっと撫ぜれば、線が残った。
「乗りもしないのに、駄々こねて、馬鹿じゃないのか」
先刻持った料理酒も…
アレは、人間の時の生活に、思考回路にいつも還りたがっていた。
調理していれば。
二輪に跨れば。
人間に還れるとでも思っていたのか?
「…馬鹿な奴」
二輪の、挿しっ放しの鍵を抜いて、適当にトランクの小嚢に突っ込んだ。
僕が居ないのに、勝手に乗られては堪らない。
しっかり返済してもらわねば。

扉を開け、くるりと振り返る。
滅多にかけない鍵をかけた。
依頼で数日空ける際にもかけないのに。
(帰る気が無いのか?)
ふと思い、ククッ、と思わず哂ってしまった。

階段を下りていく途中、ソファで寝ているらしい鳴海を思い出した。
だが、彼もヤタガラスの傘下に在るのだ。
此処で姿を見せ、挨拶するのも…おかしい。
「お休みなさい、鳴海所長」
小声でぼそりと、扉に呟いて僕は銀楼閣を出た。
夜風が冷たい。
白く、月明かりで輝く雪の街路。

さく…

それを、踏みしめる音が先に耳に入ってきた。
姿は、薄っすらと…僕に接近すると次第に明るみに出る。
『全く、旅行ですか!?その荷物!!と云いますか何故この私が貴様の様な下賎なデビルサマナーをこうしてわざわざ迎えに来なければならないのか!小一時間問い詰めたい!』
つらつらと不満を述べる、その忙しい口で、すぐ判る。
「こんばんは、ビフロンス伯爵」
僕はいつもの調子で、伯爵に哂って話しかけた。
そのしゃれこうべは、手にした燭台をちらちら振った。
『聞きましたよ葛葉!貴様ヤシロ様を何でも奪われたとか何とか…!!』
「まあ、迷子、ですかね」
『嗚呼!軽々しくそんな…!!ヤシロ様が迷子だなんてそんな…!!』
「ではボイコット」
『貴様の責任でしょうが!!そもそも今回だって閣下の命でなければ、貴様単体で城へ招くなぞ…』
このまま延々と続きそうな叱責を聞きながら、僕は追従して往く。
魔界の、彼等の城へと…
功刀矢代を魔将と称えんとする、あの城へ…






果てしない、闇。
薄く立ち込める霧。
湿った、水の匂い。
見上げれば、日輪の如き光りを滲ませる、黒い月。
…最初、人修羅は此処に来て、顔を顰めていた。
常闇の此処に、いよいよ人ならざる自身を顧みたのか。
僕は、存外心地好くて、哂ったものだ。

「いつ来ても此処は良い眺めですね」
『貴様の様な者が闊歩出来る領域では無いのですよ!?』
「おまけに人修羅も連れずに?」
『承知しているのなら黙って縮こまっているのですよ!全く…』
城内の暗闇は、点々と在る灯りで揺れている。
人修羅を連れて歩けば、すれ違う悪魔は頭を垂れていた。
それに人修羅…功刀はいつも嫌そうな表情を浮かべた。
だが、今回は…違う。
その、彼らの王たる者を使役する、憎き僕が…独りなのだ。
先刻から、すれ違う視線が僕の欲を掻き立てる。
すると、悪魔達とすれ違って幾度目かに
前を往く伯爵が、少し静かに云った。
『…私のすぐ後ろでやらかさないで頂きたいものですねぇ、本当』
「何がです?」
『下らぬ喧嘩なら謁見が済んでからお好きに!』
「僕は死骸の処理までしませぬが?」
『あぁ、全く、餓鬼の仕事を増やしてくれるでないぞ!』
盛大な溜息と共に、伯爵は階段を上がる。
普段の謁見の間とは違う道に、僕は視線を配る。
石の階段は、トランクを持ち上げるので少々面倒だ。
螺旋に続く道は、ゆるゆると地上に戻れすらしそうな錯覚を生む。
やがて、見えた扉。
『閣下がいらっしゃる、くっれぐれも粗相の無い様に!!』
「はいはい、了解致しました…伯爵」
人修羅には、あんなに強く云わない癖に。
その扱いの差に笑いがこみ上げるが、実際僕は意識を切り替えた。
あの堕天使に、従う…僕。
だが、絶対…服従しては、ならない。


開かれた扉から、仄暗い明かりが射す。
闇から出ても闇、というのも可笑しな話だが、そうとしか表現出来ない。
伯爵が礼をし、脇へと退いた。
「どうかな?この庭園?」
薄い羽衣の様な物を纏った、輝く翼の天使が…僕を見る。
六枚の影が、石床に落ちる。
「闇に咲く花は、興味が有りますね」
「ふ、地上に出ては枯れゆくものばかりだぞ?」
何か分からぬ花を手折り、指先で解して弄ぶ堕天使。
その、僕もよくやる仕草を見て、ふと思う。
綺麗な程、壊したくなる、暗い欲を。
「さて、話に出た道だが」
落ちた花弁を裸足で踏み、彼は並ぶ立ち木を過ぎる。
黙ってそれに続けば、まるで儀式でもするかの様な空間。
円形に石柱で囲まれる広場に出た。
「此処に、道は開かれる…見るかい?」
ルシファーの問い、それは“そうしろ”とほぼ同義である。
「ええ…是非」
哂って答えた僕に、満足気な微笑みを湛えた。
そして、ゆっくりと瞼を下ろすルシファー。
傍の伯爵が、少し後ずさる。
一瞬、風が薙いだ。
それは、僕の外套を揺らして、石柱に裂かれて消えていった。
青い眼を、カッと見開いた堕天使と、僕の間に
暗く破けた穴が広がった。
異質なその匂いに、人は通れぬ筈だ、と納得する。
「矢代の為に、即急に破いたからね…通過出来るのは酷く限定的だ」
うっそりと微笑み、金糸の髪をくるり、と指先で絡ませたルシファー。
僕の反応を、待っている、その青い瞳。
「ライドウ、君はどうしたい?潜ってみる?この穴」
嗤うその表情、じわりと漂わせる、支配欲。
お前に、これが出来るのか?
お前に、これが通れるのか?
そう、僕に聞いてくる。
「悪魔なら通れる…という訳でも無さそうですね」
「そうだ、矢代の魔力を読み取って反応する道だ」
「それは随分特別ですね」
「限定しなければ、即席で開けれないからねぇ…」
対象を絞る事によって、無理を可能にしているのか?只の贔屓か?
いずれにせよ、流石に神と並んでいただけある…
「どう?大人しく、アカラナを通るか?ライドウ」
嗤って、僕を見つめる。
確かに、無理矢理、押し通る事をすれば、アカラナで足りる。
だが、僕の方のヤタガラスに、いち早く知れる。その手段。
何の為に、影を切り売りしたと思っている…?
ヤタガラスは…欺き続けたい、どうしても。
「それとも…この指輪、跪きでもすれば、貸し与えようか?」
きらり、と暗い月を反射して、輝く堕天使の指輪。
そう、あれは…人修羅の、眼。
魔力の塊。
あれを嵌めれば、確かに通れるかも、知れない…だが。
「指だけ残って、後は霧散するかも知れないですよね…閣下?」
くすっ、と哂って憶測で返す僕に
ルシファーはひらりと指を虚空に躍らせた。
「通れば解る」
云いながら、ふふ、と低い声で愉しそうに嗤ったそいつに…
僕は、もっと良いものを見せてやろう、と思った。
「閣下、僕は鍵を持ってきましたから、それで恐らく通れます」
僕の突然の言葉に、一瞬、空気が白ける。
「ほぉ…君が?」
頭の角を、指先でするするとさすって、眉を下げたルシファー。
微量の警戒と、好奇心と、嘲弄を感じながら
僕は胸元に掌を置く。
「管の使用を赦して頂けます?」
外套の上から、指の腹で撫ぜるホルスター。
並ぶ管を、確認する。
『おいっ、貴様!閣下の御前でその様な…!!』
慌てて僕の横へ躍り出た伯爵。
普段より鋭い魔力で、僕に勧告して来たが、それはすぐ終わった。
「良い、伯爵…ぼくは彼の見つけた鍵、とやらに興味が有る」
そのルシファーの穏やかな、たった一言で、伯爵は空気に成った。
『はっ!申し訳有りませぬ!!』
頭を垂れたしゃれこうべは、そのままコトリと床に落ちそうに見えた。
そのやり取りを見送って、僕は管の使用が許可されたと認識する。
「有り難う御座います…閣下」
喉奥から、笑いが、こみ上げてしょうがない。

そう、鍵は持っている。

屈んで、トランクの留め金を外して、弾かれたように開くそれを押さえる。
厳重に包み上げた鍵を、掴み上げれば指先が布越しに冷えた。
僕はそれを一旦、閉じたトランクの上に置いた。
外套の下に、指を忍ばせる。
一瞬、ルシファーの眼が光る。
「…」
それに応える様に、僕はばさりと外套を肩に引っ掛けて、背後へ捲った。
管をしっかり取る、その姿を曝す。
外套の下で、確かに僕なら刀の柄を掴んでいるかも知れない。
“これで宜しいでしょうか?”という視線を送りつつ、管を掴んだ。
選出する仲魔は、もう決めてある。
振り翳す、管から溢れる光は闇を照らした。
この世界では、眼が痛くなるそのキツイ蛍光色。
両脇に、ヨシツネと、アルラウネ。
現れた二体は、普段の威勢が無い。
僕のMAG不足では無い。来る前に存分に補充してきたのだから。
「おい、覇気が無い」
僕が呟けば、二体が視線を寄越す。
後ろ暗い…ともすれば、あの人修羅にも似たその視線。
『おい旦那、ちょっとばかし…おかしいぜあんた』
ヨシツネが、近くの堕天使に少し畏怖を感じつつ、述べた。
『ライドウ…』
ただ、僕を見て蔦をしならせるアルラウネ。
そんな仲魔共に、僕は哂って云う。
「何だその顔…散々遊んできたお前等が、今更畏れるものがあるのか?」
『いや、あんたは人間…』
「手筈通りにやれよ、ヨシツネ、アルラウネ」
ぴしゃり、と低い声音で跳ね除ける。
それにビクリと制止された二体。
「そう、それで良い…主人の命令は聞くものだ」
(一番これを、云って嬲ってやりたい人修羅が居ないのが癪だが)
トランクに吊るした数振りの刀から、ひとつを外す。
それを、無言のヨシツネに投げた。
アルラウネに目配せする。
彼女は黙って、茨蔦を伸ばしてきた。
僕は、外套で身を覆い、その隙間から左腕を差し出した。
少し捲った袖先に、彼女の茨が巻き付く。
酷く、強く、皮膚を喰い破る程に、幾重にも。
僕の肘の少し向こうを、ぐるぐると。
「ヨシツネ」
声を掛ける、これが号令だ。
だが、動かない、微妙に震える黒烏帽子。
僕はその感情に、微かに人修羅を感じて、苛々とする。
ドス黒い、猛る感情が、急きたてる。
「義経公!!失望させるな!!!!」
ついぞ無い程の怒声を浴びせる。
そんな僕に、意を決した彼が真剣な眼をして振り下ろす。

一瞬

痛いというより、熱い。
灼熱がその跳んでいった、手首から伝わってきた。
降ろしたまま、静止しているヨシツネが、見えた。
びゅうびゅうと煩く噴射する赤い血潮を、茨蔦が縫いこめる様に絞める。
肌を赤く濡らしたアルラウネが、目を逸らしてぎゅうぎゅうと、絞める。
それでもボタボタと、石床を叩く血に、少し辟易して管を持った。
「…御苦労…」
消えた左手首を口に寄せて、蔦を噛み切る。
『あっ』
『旦那…!』
「二人共、戻って良い」
とやかく云われるのも、その悲壮めいた視線に晒されるのも嫌で
僕は半ば強制的に管へと帰還させた。
じくじくと、赤い断面は茨で引き絞られている。
選別した刀は、あれでも切れ味の鋭い方だったのに。
(ヨシツネめ、躊躇ったな…)
ぐずる断面を見て、舌打ちする。
『あ、あああああ何してんですか!?たかが人間でしょうが!』
背後から、伯爵の声が聞こえてきた。
僕を、気が振れた、とでも思ったのだろうか?
先刻から、表情を変えず、じっと見つめてくるルシファーに
僕はトランク上の包みを右手で掴んで、歩み寄る。
途中、足先に何か当たったが、それが自分の手首だとその時気付いた。
それを蹴っ転がして、僕はルシファーの前に立つ。
鼻腔を、酷い鉄錆の臭いが衝いた。
「ルシファー閣下…これを、付けて下さいな…この、左手首にっ…」
包みを口で喰い破って、引き裂く。
歯先に、キン、と冷たい感触が奔った。
それを機に、一気に外布を剥ぎ取った。
「ふ、ふふふ…」
堪えきれずか、ルシファーは嗤い始める。
僕の持つ、それを見て…胎を押さえて、低い声で。
「それが鍵?成程…ふふふ」
「僕の一部に成れば、あの道も通れましょう?」
「ライドウ…ふ、あはは…!君は、本当に……」

僕の持つ、その氷漬けの鍵、は

人修羅の
功刀矢代の左手首

あの時、雷堂にさすられた、忌まわしい手首。
愛おしい、斑紋の通った、美しい手首。
さあ、早く
僕の一部に。

(逢った時に、君の手で、酷く叩いてあげる)
(雷堂が包んだ、君の手で、打ちのめしてあげる)

(打ちひしがれた君に…僕の手を、差し伸べてあげる…)


両の手は、僕のもので構成されずとも
僕の為に在る。
叉手し祈るは“僕の人修羅”の為。

叉手・了
* あとがき*

また手首ですか…
しかし大好きなのです、フェティッシュパーツ。
しっかり保存されていた人修羅の手首。
しかしそれは、雷堂が握った忌まわしい手首。
それを自分に付けるのは…どういう気分なのでしょうか。
切断シーンの二体の仲魔は、私ならそうするかな〜という面子。
凍らせて斬るとか、ディアオーラかけて斬るのが良さそうですが
それだと鮮烈な場面にならないじゃあないですか…

差し伸べる手は、ちゃっかり自分の右手。