※徒花ライドウENDを読了推奨。
※読んでおくと分かり易い→SS『血肉を纏いて舞い候』『水妖日の正午さがり』『蛇縄麻』『霊酒つくよみ』『焚附』「前置きブログ記事」
夜の歌
どうせ中に誰も居ないと思って、雑に扉を開けた。
そうしたらベッドに人影、反射的に一歩退いて、凝視する。
人修羅だ、しかも擬態してない。
此処に来てからというもの、あっちの姿を殆ど見ていないから、新鮮というより警戒が勝る。寝てるんだろうか、睡眠は要らないと聞いた気もするけど。じゃあどうして十四代目のベッドに転がって目を閉じて、じっとしているのか。呼吸の音もしない、死んでる様に見える。
僕が入室した時から覚醒している可能性も有る、それならそれで結構と思い、堂々とベッドの端に腰かけた。気を使ってやる必要は無い、此処はどちらの部屋でも無いし。
この位置が、本棚に一番近く腰掛けられて好き。長時間読んだり、書きものと一緒にする場合は机が良いだろうけど……スラックスに皺が付かない短時間なら、やっぱり此処。
今は詩集の気分、背表紙から判断して適当に数冊抜き、腰掛けた脇に置いた。天辺の一冊を掌に開く、ドイツ詩の原書だ。こういうものは、子供時代の方が鮮やかに解釈出来た。最近は感情が先に躍り出て邪魔をする、これが大人になるって事なのか、なんだか嫌になる。まあいい、詩って読む方が難しいのかもしれない、そういう事にしておこう。
(これ、読んだ事ある)
十四代目から頂いた本の原書だ、翻訳が他人の言葉であると実感する。そうだ、いつか原書も読むが良いと云われてたっけ、今更思い出した。結局こうして十四代目の物を借りているのだから、自分の向上心の無さに呆れる。
学術書と違い、詩の翻訳に関しては自由なところが大いに有るよ
同じ言葉も十人に入れば十の形に成るという。
しかし本来であれば、殆どの事象がそうなのさ。許す許さぬを決めるのは人、組織。例を挙げれば葛葉ライドウの名も同じ、襲名した各々の想い描く葛葉ライドウが共通する筈もあるまい
実際そうだった、僕と十四代目では〈葛葉ライドウ〉に抱く観念が違う。
僕にとっては憧れであり到達点で、十四代目にとっては……手段だったのではないかと、勝手ながらに想像している。もし、そうであったとしても幻滅はしない。そもそも、僕の憧れというのも葛葉ライドウではなく十四代目だったのだから。
君がいつか襲名したとして、どの様な葛葉ライドウになるのかな……フフ
幻滅されるのは僕の方だ、大した正義感もアイデンティティも持たず、安穏と機関に従属している。今のヤタガラスや一門関係者に、過激な奴が少ないおかげでもある。それにしたって、十四代目から見れば青二才のまま襲名した運の良い小僧≠ノ過ぎない、きっとそう。
紙上の独語を眺めていると、いつしか譜面に見えてきた。十四代目の声を脳裏に撫ぞる最中、ばさばさばさと大きな鳥の羽ばたきが鳴った。
「机で読めよ……狭い……」
咄嗟に本を閉じ、息を呑んで傍らを見た。
積んであった本は落下し、床板に散らばっていた。
「本崩したとか……知るか──」
足袋のつま先がシーツを二三掻いて、再びそっぽを向く。
人修羅は相変わらず寝息も立てず目を瞑るまま。項のツノが遮る為か、軽く身を抱え込むように縮こまってから正反対へと寝返り、脚を伸ばしていた。
(まさか寝惚けてる?)
この人、いつもはこんな口調で語りかけてこない。余所余所しいくらいだし、なんだったら疎ましく思っても内心で済ませてそうなのに。
途端、背筋がすっと冷えた。
僕は崩れた本を雑に掻き集め、棚の隙間に音を立てず突っ込み、急いで部屋を出た。勿論、扉を閉める際も迅速に、そして静かに。
応接室に逃げ込むと、所長がちょうど席を立つ瞬間だった。
「どうした、慌てて」
「……えっ、そう見えました?」
「うん、神妙というか真剣な顔してたから、一寸矢代君に見えちゃったよ。いや、もうタッパが違うか……ってこれ内緒な」
「はは」
「この後に予定は」
「今日は休みにしてます、明日は電車で遠方に行きますが」
「なら正午、珈琲飲む? ついでに淹れてやるよ」
「いいんですか? 鳴海さんがわざわざ? 丹精込めて? 明日は傘も持って行かなきゃだ」
「二杯目の為に重い腰を上げた、この労力をやるって云ってんのに、酷い奴」
カップ片手に笑いながら僕を通過し、直後ぴたりと止まる所長。
「すまん……ライドウ=v
「別に良いですよ、正午でも十五代目でもジャリでも」
「どうにも呼び慣れなくてな」
「そりゃ仕方無いですよ、先代と雰囲気全然違うし」
「でも背丈はほぼ同じ……いやもっと伸びるんじゃないか? ま、俺までは届かんと思うが」
「届いたらスーツのお下がりくださいね、その頃には肉付いて着れなくなってるの有るでしょ」
「毒舌は案外似てる様な」
「珈琲!」
「へいっ只今!」
背中を見送りつつソファに腰掛けた。
深呼吸すると、何かを指先にぎゅうっと握っている事に気付いた、詩集一冊。
(あーだるい、後で見計らって戻しておかないと)
折角だし、珈琲のお供にするか、シチュエーションとしては違和感無い。
(絶対人違いしてたよね、あれ)
シチュエーション……そう、きっと同じ様な状景が有ったんだ、過去に。
あそこでもし、目覚めた人修羅が僕を見て、一瞬でも落胆の眼をしたら。
(気分悪いな)
想像するだけでムカムカしてきた、こういう時こそ珈琲だ、早くして所長。
(あの人に憧れて襲名したけど、代わりになりたい訳じゃないし、しかもさっきのは錯覚)
とりあえず詩で誤魔化そう、ゲーテの有名なやつ、さすらい人の夜の……
夜の──
──Warte nur, balde
Ruhest du auch.
気分悪い?
いや……怖かったのかも。
噛み合わない翻訳が、噛み合わない感情が。
-了-