マントラ崩壊

 
「新田君、やたら張り切ってない?その格好」
橘が会うなり突っ込んできた。
普段そりゃ学生服だから、そう感じるんじゃないのか?
とも思いつつも、にんまり笑い俺は帽子のツバを掴む。
「なんと〜全部おニューでぃす」
「はぁ…?何しに病院来たのよ君」
呆れた橘こそ変わった服じゃないかと、チラチラ盗み見る。
オートクチュールだったら、笑える。
あながち間違っちゃいないと思う。
あの指輪なんざ、シルバーのショップでオーダーしてそうだ。
「そういや矢代はどうしたよ?俺、連絡入れたぜ?」
「それが、まだなのよ…」
「先生との面会時間が減ってしまう!まことにいかんです」
「何でもそれ言えば良いと思ってない君?」
腕を組み、ソファーに腰掛けた橘は呆れつつも
「良いわよ、先に病室行ってて」
気を遣ってくれたのか。
俺はサンキューと顔だけでお礼を云い
身体はすでにエレベータに向かっていた。
早く扉よ開け。
早く扉よ開け。
(何を聞こうか)
先生は何でも理解しようと聞いてくれる。
途中で止めず、俺の下らない疑問や不安を払拭してくれる。
身内ですらあんな人居ないってのに。
まるで面会謝絶だった家族に会いに行くかのような
そんな晴れやかで恋しい気持ちだ。
電子音に思考を掻き消される。
開いた扉から外に飛び出す。
「あ」 帽子がはらりと落ちた。
(いっけね)
足元を見ると、見当たらない。
すると前方の、閉まりゆく扉の隙間に在った。
「待てっ」
すぐさま停止ボタンを押す。
上昇下降は関係なしで、とにかく押した。
動く壁。
開いた!と思い確認すらせずに飛び込む。

(えっ…!?)

真っ暗闇。
エレベーターの故障…?にしては突然だ。
そもそも非常用に点灯するものすら無い?
足元を探るが帽子すら無い。
「おいおい」
冷や汗が滲み出てくる。
誰か気付いてくれよ。
そもそも此処はエレベータか?
なんだか、寒い…
「誰か」
(誰か…)

寒い


「ちょっとキミ!逃げないの!?」

ビクっと身体が反応した。
俺は体操座りで、身体を丸めていた。
「ってキミ、寝てたの?今ならマントラ軍もグダグダだよ」
隣室のマネカタの声。
(夢…?)
嫌にリアルな夢。
エレベータに乗るまでは真実ではないか。
「ほら!コレ隙間から出れるから、監視のいない今だったら脱獄できるよ」
ああ、ここはマントラの牢で…
俺は捕らえられていたっけ。
あんな夢を呑気に見ていた自分に腹が立った。
(隙間から、ね…)
難しくないか?俺はマネカタみたく軟体じゃないぞ。
「ぬぐぐ…」
痛い、関節が突っかかってる。
このまま無理矢理…も難しい。
しかし体勢を戻そうとしても…
後ろに行かない。
隙間から妙に手足を出した俺は、まるで変なモニュメントみたく
牢の隙間で停止した。
(やっぱ無謀だった!)
こんな姿、俺の美意識に反する。
しかし誰かに助けてもらいたいのが事実。

「新田…遊んでいるのか?」

誰か、来た。
聞き覚えのある声音に、今度は思考回路が停止した。
「そう見えるか?」
「よく子供がやるよな、遊具で無理に身体はめ込んで抜けなくなるって現象」
おい!
「違ぇよ!逃げようとしてたんだよ!」
安穏な応えに、流石にイラっとくる。
「ははぁ、そうか」
「そしたら抜けなくなったんだよ!」
「手伝うか?どっちになら動ける?」
おいおいおい、正直馬鹿過ぎる構図だろ。俺。
「いや、それがどっちにも…いででで!!」
どっちにも…と俺が言っている途中に、既に矢代は俺を押したり引いたりしてきている。
ミシミシ骨が啼く。
「馬鹿か!返事してねえってのお前!」
「あ…!悪い」
すぐに手を引っ込めたが、矢代も少し驚いていた。
多分さほどの力を入れて無かったのだろう。
人間相手に力の調整が出来ないとか?
なんだよそのアメコミのヒーローみたいな設定。
「じゃあこれ割るから、じっとしてて」
割るとか、不吉な単語。
俺は何をするのか説明を求めようとしたが、矢代は既に眼がマジだった。
今声をかけたら「あ、間違えた」とか言って俺の骨を粉砕されそうだ。
矢代は俺の身体に食い込む柱を、両腕で掴む。
一瞬眼が、眩い金色に光った気がした。
さざめくような音。
そして一際高い音で、亀裂が奔った。
その亀裂に腕を突っ込み、通路側へと欠片を弾き飛ばした。
埃っぽく舞い上がる破片、粉塵。
牢の柵柱は、天井と地面から少し生えただけの無意味なものと化した。
「あ、あんがと」
お礼を言いつつ、内心ビビっていた。
あんな力を、すぐ傍で出されては竦みあがって当然だろう。
「どうも」
手をはたき、汚れを払う。
そんな姿に学生だった時のコイツが重なった。

運動するのが面倒で、自主練ともなると俺はここぞとばかり
のんべんだらりと流していたんだけど。
遠くに見える。
功刀矢代。
あんな真面目に走らなくてもいいだろうに。
後日聞いたら
「だって、授業って“そういうもの”だろ」
とか…
主体性の欠如?と最初思っていた。
俺と比べて、ぜーんぜん真面目君だ。
でも
走り終えた彼の
額をぬぐい、巻き上げた砂を払う姿を見て。
ぜーんぜん
それもアリか。
と、思ったんだ。

「おい、それよか先生は!?」
そうだ、どうでもいいよ過去の感傷なんざ。
俺は真っ先に聞こうと思っていたその問を矢代にぶつけた。
「いなかった、ニヒロ機構には」
顔色一つ変えずに言う。
「そ、そうか…」
「今何処に居るかも、よく分からない」
「お前なら、なんとかいけると思ったんだけどな…」
溜息と共に吐き出した言葉に、矢代が表情を変えた。
「それはなんだ?俺が悪魔で助かった〜とか、そういう含み?」
「はぁ?俺は別にそんな…」
そんな
こと

…思っていたさ。

(良かった!これで矢代が何とかしてくれる!)
(先生はこれで助かる)
(あわよくば、俺や橘も)

「新田?」
「や…何でもねぇ」
「ここからならとりあえずお前は助けてやれる、良かったら一緒に来いよ」
なんと、俺が言わずとも
救いの手は差し伸べられた。

「…いい」
「え…?」
「いいよ、俺は俺で気になる事があるから」

なんだよ!
何言ってんだ俺!力も無いくせに独りでまた泳ぎ出してしまった。
いつもそうだ、心で叫んでいる事は真逆の声。
でも、どうなんだよ。
一緒に行って、先生を助けたとして。
俺はなにか助力出来るのか?
先生を助けた矢代、助けられた先生。
そんな2人を見て、安全なところから「良かった良かった」とか
言ってるのか?
そんな俺を2人はどう思っているんだ?
(矢代は真面目だから…助ける?)
そしてその、真面目な矢代がお気に入りの先生。
(俺が矢代のダチだから?)
俺は、人間としてどう思われているんだ?
(好きと嫌いはあるけど、どっちも恐ぇよ…)
好かれていたら、嫌われる恐怖があって
嫌われていたら、接する恐怖があって
(2人は俺を、内心…)
蔑んでいるかもしれないだろ?

「新田、悪魔だらけの世界なんてうろつきたいのか?」
「お前だって先生の事、どうでもいいんだろ?分かるよ」
そう言って矢代に掴みかかる。
「だってお前、なにも心配そうじゃねえからな!」
「に、新田」
「どうせ先生を助けるのもそういうもの”だと思ってるんだろ!!」
あてつけた言葉を、矢代がどう受け止めたかは謎のままだが
とりあえず俺は突然引き剥がされた。
その視線の先を見る。
「わっ!」
さっきはよく見えていなかったのだが、矢代の胸元はうっすら赤く濡れている。
矢代のか自分のか、分からぬまま驚愕していると
「ごめん、汚れるからとりあえず離れて」
とだけぽつりと、矢代の口から零れた。
「な、なんの血だよ…これ!」
声が震えてしまったが、威勢を消さぬうちに問質す。
「悪魔の返り血、来る途中に」
眼を合わせないのは、何の為なんだ?
そんな事実は認めたくないからか?
「その服、見舞いの為にあつらえたんだろ?…血で、汚れる」
「…」
先生の事は、どうでもいいらしい。
それは多分当たっている。
でも、悪魔でいる事は嫌…なんだな。
陰る表情は、本物って事くらい俺にだって分かる。
「俺は、マネカタのフトミミって奴を探しに行くぜ」
この牢でも噂になっていた、預言者。
予言に頼るなんて、もう終わっている気もしないでもないが
もしかしたら1番良い方法が見つかるかもしれない。
どのみち、矢代だって悪魔とはいえ死ぬかもしれないんだ。
それだったら、先生を助ける気の無いコイツにまかせるよか
俺がなんとか動くべきじゃないか?
そうだ、そういう事にしよう。
「じゃあ、な」
未練が足を止める前に、一言別れを告げて出口へ向かう。
矢代は止めてこない。
そうだ、縋ってるのは俺の方だったんだから
あいつが「待て」とか言う筈は無いんだ。
言う必要は、無いんだ。


静まり返って、より不気味になった本営内。
意気消沈した悪魔達。自暴自棄になっている奴もいた。
俺はエレベータへと向かう。
確か運ばれたのはこっちからで…
と、記憶で道を決めていくと
悪魔が1匹、エレベータの前に倒れていた。
うえっ、と思いつつも、エレベータに乗るには傍を通るしか無い。
そっと足を忍ばせて通過しようとした…
「あ、おい!アンタ!」
馬鹿な事に声をかけてしまった。
だってこの悪魔、俺を担いできた気のいい赤鬼だったのだから。
「死んだ…のか?」
『まだ…生きてるっつーの!』
眼を薄く開いた赤鬼は、しかし微動だしない。
『このとおり、こてんくしゃんよぉ』
「なんで…」
『なんでって、オメェ…ここが俺の持ち場だからよ』
持ち場?
だってここ、無法地帯マントラだろ?
なに律儀に守ってんだよ。
「何と戦ってたんだよ、だって敵なんざ来てないだろ?」
『……オメェの良く知ってるモヤシだよ』


矢代…!!


「お、いそれ…本当に」
『嘘言ってどーすんだよ、まあ、俺が弱かった…だけだ』
焦げたような傷。
ナタみたいな金棒は、欠けてしまっていた。
なにより、前頭部の角が片方無いようで…
(まさか、もがれた?)
それが致命傷か、未だに出血している。
『俺はこのままマガツヒも流れ出て、いずれ消えるからよぉ、見てても面白くもなんともねぇぜ?』
最期を見られるのが嫌なのか。
『弱ぇって思われるの嫌だかんよ…見られてっと死ねねぇわ』
ガフ…と力無く笑う赤鬼を、直視出来ない。
「じゃ、じゃあ、行くぜ…?」
俺が足を再度動かそうとしたその時、赤鬼が急にぐっと足首を掴んできた。
不意の衝撃にこけそうになりつつ、俺は振り返る。
「な、なんだよ!」
『そういや、すっかり忘れてたわ、さっき喰らったブレスで引火してねえかビビってたんだがよ』
ごそごそと服の下から布袋を取り出し、何か取り出してこちらに突きつける。
「あ…」
『拾っといたけど…いらなかったか?』
トールにやられた時に吹っ飛んでったキャスケット。
赤黒い、太い腕がそれを渡してくる。
『んじゃ、渡したかんな…』
眼を閉じる赤鬼に、俺は受け取った帽子をかぶる事もせずに
ただ呼びかけた。
「おい…?」
眠ってしまったのか。
「おい、これどういう事だよ」
鬼は持ち場を守っていた。
矢代はこの鬼とは元々敵対しているようなものだった。
何が悪いんだ?
誰が悪いんだ?
見られてたら死ねねぇとか言っときながら、死んだじゃんか。
俺の目の前で、死んでしまったじゃねえかよ。
この死体が消える前に、此処を離れたくて
エレベータのボタンを押す。
内部で振り返り、開閉ボタンを押そうとした瞬間。
音も無く矢代が佇んでいた。
赤鬼の死体の、向こう側に。
俺に向ける眼差しは、表情が無かった。

このまま、勝手に扉が閉まればいいのに。
早く扉よ閉まれ。
早く扉よ閉まれ。

「それ、押さないと閉まらないから」
心を見透かされたような矢代の言葉に、思わずせきを切って溢れた。
「その鬼…!お前がやったんだよな」
今更本人に何故確認が必要なんだ。
矢代がどうこれに答えるのか、それが知りたかった。
意地の悪い確認をしたかった。
「ああ、俺が殺した、さっきの返り血はこれのだよ」
視線で“これ”と鬼を指す矢代に対して、怒りがこみ上げていく。
「でもこの悪魔の望む結果だろ、弱い者が淘汰される世界」
「お前はそれに従ったのか?」
「いや、好きじゃ無いけど、襲ってきたから正当防衛だ」
やりすぎだろ。こんなの防衛じゃない。
「この鬼も、思想の通りの最期だったんだ、幸せだったんじゃないのか?」
こんな矢代知らない。
それとも、悪魔にしては理性を保っていると褒めるべきなのか?
「お前…そんな事普通に言えたんだな!知らなかったよ」
「買いかぶり過ぎだろ?俺は新田の言うとおり、先生がどうでもいいよ、というより…」

<憎い>

その言葉、俺の中の濁りが一気に解消された。
この世界にされて、悪魔にされて
憎い気持ちが生じるのは当然だ。
でも、だからこそ俺と一緒に居ちゃ駄目なんだ。
悪魔になっていない俺には、矢代の感情は理解してやれない。
矢代も、ただの人間の俺の奇麗事は理解できない。
もう立場が違ったんだ。
生きている舞台が違う。

沈黙の後、歩き出す矢代。
このままエレベータに乗ってくるか?
強張る俺に、素通りしながら放たれた台詞。
「安心しな、俺は階段から行くから」
なんだそれ、俺が恐がってるみたいじゃねーか。
「こんな悪魔と密室閉所にいるのは、生きた心地がしないと思って」
「俺はお前に危害を加えないから、鬼みたいな展開にはならねえよ」
正当防衛という鉄槌を喰らう事にはならないだろう。
すると階段のある方へ向かうアイツは、ちらと振り返り
なんとも言えない声音で叫んできた。
「だってお前にとって悪魔ってそういうもの”だろ?」
怒っているような
笑っているような
あの声音。
いや
笑っていた…
矢代の声は笑っていた。

その姿が見えなくなるまで、俺はボタンを押せなかった。
「ざけんなよ…」
いつものアイツの言葉を、俺が発した。
「ふ…ざけんな、よ…っ!!」
苦い。
こんなに苦いなんて。
アイツとの決別が。

よりかかった際に、惰性で押されたボタン。
エレベータの扉が閉まる。
あの夢みたく、この、まま暗闇に呑まれて…
眼が覚めればいいのに。

マントラ崩壊・了