カブキチョウ捕囚所(前半)
何故あんな言い方をしたのだろう。
寧ろ、何故出来たのだろうか?
悪魔を嫌悪していたはずなのに、自身が悪魔なのだと証明するかの様に声高に叫んでいた。
新田の表情。
悪魔を見るそれだった。
いや。
(俺は実際、悪魔になっているのだけれど)
もう朝も夜も無い世界で、ひたすら歩き続けていると
殉教の旅でもしているかの様な気分になってくる。
(もう新田はフトミミという人に逢ったのだろうか)
あれから自分は道草を喰っていたので、もうとっくに新田は邂逅している可能性があった。
予言が出来る、とか…
それなら誰のコトワリが罷り通るのか、教えて欲しい所だ。
絶対なんてこの世にあるのだろうか。
いや、無い。
その答えを受け止めようが跳ね除けようが
ただ、気になるのだ。
『うっそヤダ、本当に入るの?だってココ…』
「捕囚所」
『分かってて入るなんて、何の理由があるのよ!』
薄気味悪い〜とあからさまに嫌そうにしたピクシーを見て
病院だって充分気味悪かったじゃないか、と思ったが黙秘した。
しかし、思念体が入口に居る以外は誰も居ないようだ。
たくさんある部屋を確認しても、煩雑とした空間が広がっているだけだ。
『何か言ったヤシロ?』
ピクシーの突然の問に、少々驚いた。
「いや、同じ質問をしようと思っていた」
ピクシーは俺の言葉を聞いてサアッと青くなる。
『おおおおかしいわよココ!変な声がする!!』
「する、な。あまり鮮明では無いけれど何か言っている」
いやあああああ
と絶叫して飛びまわるピクシーをそのまま無言で還した。
「ディース、来い!」
念じて翳せば、そこに剃髪の美女が姿を現す。
「何か聞こえはしないだろうか?」
安直な考えだが、いつも眼を閉じている彼女なら
かなり敏感なのではないか?と思った。
『まあ、ヤシロ様も聞こえている筈ですよ』
「そうか?ボンヤリとしか…」
『気を落ち着けて、瞳を閉じて下さい…』
そのままディースが掌で、俺の視界を遮る。
寒色の肌をした指の腹で、そっと瞼をなぜられる。
ゆるやかに閉じていった視界に、流れ込む音。
彼女の成せる業か、ひどく落ち着く。
互いに無言で、どこかから空気の流れる音だけが啼いている。
<痛い!痛い痛い痛い痛い痛い!!!!>
突然の絶叫。
ビクリと身体が反応する。
<…助けて…蜃気楼の…に…>
途切れる声。
俺はディースの手の甲に、自身の掌を重ねた。
ゆっくりと除けると、彼女の閉じた眼と眼が合う。
「もう、いい」
『お分かりになりまして?』
「ああ…」
一体誰なのだろう。
やはりマネカタだろうか?
フトミミだろうか?
(新田だろうか…)
部屋を出て、奥へと進む。
ふと、物音に立ち止まる。
『オレはコレがあれば、いつでも蜃気楼の中に来れるぜ?じゃあな』
ギャハハハ…
笑い声が響く。
先程の悲痛な声音とは違う類の声。
曲がり角から覗き見ると、なにやら波打つ虹色の壁。
油を水に垂らしたような、歪む虹模様の辺りからヌッと何かが出てきた。
下半身が大蛇のような悪魔。
『ナーガですわ』
「弱点は火か…」
俺はアナライズして、にたりと口元で微笑んだ。
傍のディースに目配せする。
「あの、すいません」
俺は普通に出て行き、声をかけた。
ナーガは突然の来客に槍を構えている。
『はあっ!?誰だよオメー!』
「蜃気楼がどう…とか言ってましたよね」
『て、オメーかよ噂の悪魔って…』
「どうやって入るんですか?」
『ま、なんだろうとオレ様の拷問でヒィヒィ言わせてやる!!』
この話のかみ合わなさが、いっそ清々しい。
ナーガの突き出す槍が、俺を背後に飛び退かせる。
『アギラオ!』
ディースの炎が、的確にナーガの隙に喰らいついた。
肉の焼ける臭い…
ナーガは焼ける尾をばたつかせ、突進してきた。
『ざけやがって!!ぶっ殺す!!』
怒りにまかせ振るわれる攻撃は読みやすかった。
かわしつつ、その爛れた尾の先を掴む。
「うおおっ」
そのまま思い切り力を込め、まるで綱引きの綱を引く様な感じで
身体全体を使いぶるんと振り回す。
尾を掴まれたまま、ジャイアントスイング的な何かをされ
ナーガは壁に鈍い音をたてて派手に投げ捨てられた。
『げはぁッ!』
「で、蜃気楼はどうやって入れるんです?」
ナーガの槍を足蹴にし、遠くへ追いやる。
手元から武器も無くなったナーガは、観念したのか
懐から何かを取り出し、差し出してきた。
『これで入れっから…少し寝かせろや』
チッと舌打しつつ、ナーガは不貞寝を始めた。
「どうも」
俺も口だけのお礼を言いつつ受け取る。
殺さないかわりに、其れを受け取る。
交渉成立…
なんだこれ。
蛤を象ったような、しっとりと重みのある玉石。
『これだけでは分かりませんが、あのナーガが出てきた壁は怪しいですね』
ディースの言うとおりで、その壁は不思議な煙をじわりじわりと出している。
「これが反応してくれるって事かな」
そうっと近づけると、その怪しい装置は一層煙を吐き出す。
『煙に包まれているようですわ』
「ディース、様子がまだ分からないから一旦戻れ」
俺は彼女を撤退させた。
聞き分けの良い辺り、どっかのお転婆妖精とは違う。
その煙がとうとう辺り一面を埋め尽くす。
俺は頭まで煙が廻ったかと思うくらい、ぼうっと突っ立っていた。
意識がハッキリしてくると、日の射さない屋内。
薄暗いけど、ぼんやりと明かりのうつろうくすんだ空間。
同じ場所の筈…だが、何かおかしかった。
「!!これ…」
(逆さまじゃないか)
俺は天井に立っていた。
それから散策してみたが、ここはなかなかに酷い所だった。
「助けて下さい…!助けて下さい!」
吊るされマガツヒを搾り取られるマネカタ達。
捕囚所とは本当だった。
おまけに、以前お札を渡した彼まで餌食になっていた。
「キミ…こんなところで会うなんてね、ゲホッ」
「あの時は助かった、感謝してる…だから今度は借りを返す」
俺はスプーンが必要な旨を説明する。
普通のでは無い。
「ああ…首狩り」
彼は滲み出るマガツヒを震わせ、クスクスと笑った。
もぞもぞと動くと、腕を微妙に傾ける。
ちらりと彼の袖先から銀色の光が反射した。
「なんで君は今そんな物を持っているんだ?」
俺は半分呆れたように笑い、格子の隙間から腕を突き入れようとした。
「…っ」
「う〜ん、ちょっと無理…じゃないかなぁ」
突っかかる。
(これじゃ新田の二の舞だな)
そう思い、一度腕を引っ込める。
思い出すとあれが未だにツボなのだが、これは永遠に秘密だ。
「この格子、破壊出来ないかな」
俺が格子に掌を滑らせると、ガラクタ集め君が慌てる。
「何かやらかしたって、ばれたらマズイよぉ」
それもそうだ。
「ピクシー!」
ここぞとばかりにピクシーを再召喚した。
『ちょ!ヤシロ!さっき勝手にアタシを還したでしょ!!』
怒り声と共に出てきたピクシーの羽を素早く掴む。
『きゃ!』
そのまま格子の間にスッと突き入れた。
「そのまま彼の袖から覗くスプーンを取って来て」
あまりの問答無用な展開に、ピクシーも御冠のようで
『はいはいはい、アタシはスプーン係よ』
それ以上は文句を言わず、俺の手元に運んできた。
かなり、重い…
「首狩り…ねえ」
俺が鼻で笑うと、ガラクタ集め君が反論するかのように口を開く。
「本当に絶大な威力だから!取り扱いには気をつけてねっ!」
(それを懐にしまっていたのか君)
その点に突っ込みたいのを堪え、俺は背を向けた。
「有難う、君達の言う“指導者フトミミ”さんも出来る限り助ける」
「ごほごほっ…」
あれ以上喋らせたくないので、俺はもう退散する事にした。
早くあの穴掘りの所に届けよう…
急ぎ足で向かう。
道中混乱しそうだった、ハシゴだったり穴に落ちたり…
今自分が何階に居るのか偶に忘れそうだ。
穴に飛び込み、4階へ行こうと軽く地を蹴り飛び込む。
すると、落ちる先の視界端に黒い影が映った。
「!!」
俺は瞬時に元居た階層に手を掛け、ぶら下がった。
このまま落ちては危険だった。
しかし、強い力で引き摺り下ろされている。
重力なんかではない。
足首に人間の手の感触。
そう、人間の。
「葛葉…ッ」
そのまま手が放れ、俺は引き摺り堕とされていった。
おかしい、だって今は蜃気楼の中だろう。
(何故あの男が此処に存在しているんだ…)
この事態に朦朧とする。
でも体勢を立て直さなければ、と脳が警告している。
強かに地べたに打ちつけられたが、すぐさま下半身を翻し
蹴りを見舞おうとライドウの頭めがけ放つ。
その脚が掴まれた。だが、それは想定内だ。
そこを支点にし、グッと相手に掴みかかる。
俺の空いた片脚で、ライドウのもう片手が塞げたら
俺は空いた両の手を使い、この男の刀を奪うか折るつもりだった。
しかし、そんな簡単な事でも無かった。
「武器が無ければ無力だと思った?」
そんな発言と共に、俺の両の脚は意図的に掴まれた。
そのまま俺がライドウの武器に触れる事は無く
思い切り遠心力が加わったまま放り投げられる。
俺がナーガにしたみたいに。
「あぐうっ」
石に亀裂が入るような音がした。俺は頭から壁に突っ込んだらしい。
人間だったら頭が割れている所だ。
壁の方が壊れて、自分の頭が壊れていないのが納得いく辺り末期か。
でも、まだ寝れない。
身体が痛いのは我慢出来る。
もう銃を手にしているライドウ目掛け、飛び込む。
「血気盛んだね」
パン パン
と、乾いた発砲音が数発。
まだ、大丈夫だ。
だって、あの男は俺をすぐに殺さない。
(嬲るつもりなんだろ)
致命傷にはならないはず。
思い違いなら、別にそれはそれで良い。
脚を潰そうと、脚の腱でも狙っているのだろうか。
執拗に同じ辺りに弾丸が撃ち込まれる。
(こんなに動いているのに)
同じ場所に精確に…そんな事実にゾッとする。
「痛くない?」
そう言ったライドウは、いよいよ接近した俺を見据えたまま
抜刀の為に手を腰に落とす。
「もっと鮮明な痛みが欲しい?」
「必要無い!!」
そう叫ぶと同時に、俺は殺気に溢れた咆哮を上げた。
雄叫びなんてあまりに野性的で、ほとんどやらないのだが
この男と対峙している時は別だ。
ライドウの外套が、俺の放った圧で揺れた。
剣撃は、受けれて1・2撃。
それ以上は卒倒する可能性が高い。
(1撃目を受け止めておけないだろうか…)
そう思案している折
「そんな決断に至らぬ考えで接近するものじゃない!」
急なライドウの張り上げた声に、思いもよらず竦む。
「何も解っていない!功刀矢代!何なのだ君は…!」
「な、何だあんたいきなり」
溜息をついたライドウは、いつでも抜刀可能な状態は維持したまま
話を続けた。
「何が足りない?マグネタ…じゃない、マガツヒ?それとも純粋に血肉?」
「…待てよ、説明をまずしてくれ!いつも勝手に話を進めて…」
本当にこの男は、俺に対する固定観念が強いらしいな。
これ以上は心身共にもたない。
突破口を見つけるべく、会話の際に退路を視線で探す。
「いや、待つのは君だ」
ライドウが不穏な事を言い始めた。
「これが何か分かる?」
そう言いながら刀の代わりに眼前に突き出されたそれは
つい先刻、俺がナーガから取ったものだった。
「なっ、それ…」
「ウムギの玉、こちらと通常空間とを行き来するのに必要な道具」
フフ…
あの哂い。
耳にざらついて、残留する。
そっとポケットをさぐる。何も無い。
「基本仲魔に持たせているのだろうけど、移動に使うからとコレは所持していたのだろう?」
…的中。
さっき掴みかかった際に取られたのか…
「メノラーと違い、好きに出せないからね」
「それを返して欲しければ…とか言うつもりか?」
俺は言われるのが腹立たしいので、真っ先に聞いてみた。
どんな条件が提示されるのか、もう半ば楽しみだった。
自暴自棄。
「そうだね、身体検査してもいいかな?」
ライドウは平然と言ってのけたが、深読みするとおぞましい。
「どういう意味を含んでいるか知らないが、目的を教えて貰わないと無理」
俺は断固拒否した、そもそもあのウムギの玉という物は複数あるのではないか?
それならここで言い成りになる必要は無い。
「その反対の、ポケットの食器」
ライドウはそう言いつつ、今度は刀身を突き出す。
「それは武器に成り得るね…」
このスプーン、そんなに強い力が篭っているのか?
ならいっそ、これを使って応戦するべきか?とも考えたが、無理だ。
いくら強くても刀のリーチに負ける。
出来て攻撃を受け止めるくらいだろう。
(いや、そもそもスプーンで戦うなんて…)
情け無い気がする。
「両手を出させろ」
思考を遮断する突然の発言。
ライドウの向かう声の先が俺では無い事にハッとする。
そして気付けば羽交い絞めにされていた。
「な、っ」
両脇から伸びる腕は誰だ!?
篭手のような装具に包まれた腕。
『へいへい、どんな風に?』
若い、少し軽い男の声。
悪魔?ライドウの仲魔か?
「合わさせて上へ」
『へっ、間違っても俺を刺すんじゃね〜ぞ』
進むやり取りに、俺は気が動転していた。
いつ召喚していたんだ。
まさか、最初からさせておいて待機させていた?
『ずっと隠し身とかマジ肩こるわ…俺はお前さん御贔屓の読心組じゃねえっつの』
背後の悪魔がそう言いながら俺の両手首を掴み、持ち上げる。
「その武者鎧のせいではなく?」
『けっ、申し訳ありませんライドウ様々〜』
この2人、おそらく自然体なのだろう。
俺だけが独りで殺気立ち、同時に怯えていた。
「功刀君、少し大人しくしてもらいたいから痛くするよ」
その瞬間、刀を変な型で持ち直すライドウ。
身体の体温が一気に冷える。
「ぅああっ、あっあ」
俺の合わせられた両掌を、刃が貫通していった。
迸る赤い液体が腕を伝い、髪を濡らす。
(何が痛くする、だ!!)
ずっずっ、と更に喰い込んでいく感触にあられもない声が上がる。
『…痛そ』
「だって、そうしている」
『ゴウトが居ないからってこんな好きにやって大丈夫かぁ?』
「ヨシツネは愉しくない?」
『い、いやなんつぅか…この世界のマグネタイトはちょっと酔うわ』
ヨシツネとかいう悪魔が、頬を伝う血を舐める。
『うへ、やっぱ度数高…』
もう会話はいいから、この状態をなんとかしてくれ。
朦朧とする意識の中、そのまま空いていた滑車に吊るされた。
という事は認識出来た。
刀の両端に鎖が掛けられているのか、傾きのバランスが悪いと
刃が肉に喰い込む。
俺は息も絶え絶えに、爪先立ちを強要される形になる。
吊るされる位置が、そういう絶妙な高さなのだ。
「平行に刺してあるから、力を抜いても平気だよ?」
(なにがだ…)
ライドウは壁に凭れ掛かり、何事も無いように俺に話しかけた。
「り、理由…」
「何?もう1度」
俺はただ漠然とした応答しか出来そうに無い。
この刀、絶対普通じゃない。
じわじわ力が吸われていく感触。
「り、ゆぅ…目的…」
「ああ、そうそう…君は何故未だに上手く戦えないのかと思って」
つかつか歩み寄ってくる、俺は恐怖した。
この流れは当然…苦痛の幕開けだ。
「まだ悪魔として、マガツヒに魅力を感じ得ない?」
ライドウの指が、俺の濡れた腕をなぞる。
赤く色付いた指で、俺の唇をこじ開ける。
愛撫だとかそんなものではなく、興味から来る蹂躙の様な。
「んむ、ぐぐぅうっ」
えづくのを無視する、その動き。
長い綺麗な形をした指が、舌を舐る。
「美味しいとは感じない?やはり中途半端だからか…?」
独りごちて、気が済んだのかずるりと引き抜く。
俺は酸欠と圧迫感から解放されて、げほげほと咽た。
反論すら紡げずに、ひたすら詰まった唾液や血を空気と吐き出す。
「人間の部分が魅力的なのに、やはり其れが足を引っ張っているのかな…?」
「…っ」
何を言っているんだこの男。
信じられない、人間だなんて。
「…そうそう、その眼は好きなんだ。暗い感情のこもった金色の眼が」
睨み付けた際に光りでもしたのか、やや満足気にライドウは笑んだ。
「さて、凶器は取り上げないと」
言い覗き込んでくる彼の眼は、人間にしては光っていた。
反射か?だがこの蜃気楼は薄ぼんやりとしか光りを纏わない。
悪魔の空気に浸かり過ぎて、この男は既に悪魔なのではないか?
そう錯覚する。
「これもすぐ渡すつもりで入れておいたのかな?」
ポケット内部をまさぐるその手は、やけに留まっている。
スプーンはもう探り当てているだろう。
何故そんなに…
(こいつ…絶対わざと…)
嫌悪感から嫌な汗が滲み出る。
「フ、本当に君って…」
「…変態!」
ぼそりと俺の呟いた言葉に、声を上げて笑うライドウ。
いちいち殺意を覚える言動に、俺の心は蝕まれる。
「本当…ヤクシニーが君で遊びたがった理由が良く分かる」
「…」
おまけに見ていたとか。
「あはは、安心おし…僕に男色の気は無い…女性の柔肌の方が肌当たりが心地良いに決まっているからね」
平然と言ってのけるこいつに、何故か俺が羞恥した。
「このスプーン…よくポケットに入れておけたものだ。扱いに困るなこれは」
そんなに凄い物だったのか、ライドウがわざわざ言うのだから
恐らく本当に凶器なのだろう。
「簡単に掬えるな、ほら」
そう言いつつ彼はスプーンを適当な拷問器具にくぐらせる。
すると、そこは音も立てずに
すうっと掬われていった。
「な…」
「ほら、ね?」
力も入れずに、その部分は抉られていったのだ。
これなら穴も楽に掘れる訳だ…
こんなのをポケットに入れていた自分を呪う。
「これなら簡単に食べさせる事が出来そうで、良かった」
(…食べさせる?)
ライドウが俺の横にある台をくるりと回転させる。
金属音をたてながら反対面がこちらに向く。
「う…」
あの台車を思い出し、こみ上げてきた。
そこには既に事切れたマネカタが括り付けられていた。
搾り取られたせいか、纏っていた服が大きな皺を作っていた。
「ここで散々絞られたのだろうね、実に悲惨な末路だ」
悼むような表情は無いままライドウは語る。
「だが純粋なマガツヒの塊だ、悪魔達が餌にする位にね」
ぎゅっと、彼が指先でマネカタのしぼんだ体を押す。
じゅわっと滲み出る、干した果実から果汁が染み出す様に。
赤い果汁。
俺は嫌な予感に身体が粟立って、視線が泳ぐ。
あの台車は跳ね除けたのに。
まさ…か?
「ほら、功刀君、お食べ」
美しい顔を微笑みで着飾った悪魔のような男が、スプーンを差し出す。
さっきのマネカタが彼の後ろに見える。
ざっくりと削がれた痕。
赤い果実の断面。
スプーンの先はふわふわと赤い光を放って揺れている。
「や、だ…」
ガチガチと鎖に響く。
震える身体を叱咤して、今すぐ奮い立てと悪魔の自分が信号を送る。
人間の自分がそれを遮断する。
迫るスプーンに顔を背けようとしたが、額の髪を鷲掴みにされ妨害される。
「下手に動くと君の口内が抉れるだけだが?」
「あ、ああ」
俺はその<あ>の発音の口を閉じる事が出来なくなった。
「そう、宜しい。そのまま…」
「あ ああ あああああ」
まるでねだるかのようにだらしなく口を開け、舌を差し出す。
嫌とも言えずひたすら同じ発音を発声する。
「それとも<母親>風に言うべきか?」
「あああ!」
「召し上がれ、矢代!」
「あああああああ!!!!」
するりと口の中に置かれた果肉は、甘いような苦いような
味すら認知出来ぬまま、引き抜かれたスプーンで少し切れた口元を
すぐさまライドウに塞がれた。
吐き出さぬように、鼻から口にかけてあてがわれる掌。
「ふっ…ぅ、ぐ!」
(もう、死にたい…!)
身体の反射で飲み込む事すらおぞましい!
俺は必死で喉奥の筋肉を引き絞り、嚥下を防いでいた。
このまま窒息するならそれが良い。
スプーンで口内から掻き斬られるのは恐いのに、窒息なら平気だった。
朦朧としたまま逝けそうな気がしたから。
「往生際が悪い…っ」
いい加減、苛立ちを見せ始めたライドウが確認出来た時
飛びかけていた意識が強制的に呼び戻された。
「…」
「……ん、んん…」
ライドウの舌が割って入り、空気が無理矢理吹き込まれる。
生きている人間に人工呼吸をするのは危険だ。
そんな当たり前の事を頭の何処かで、思い出しながら
俺は状況がようやく解り覚醒する。
ライドウは、俺に唇を重ねて息を吹き込んでいる。
器官に入る事は無く、口内の果肉は流れ込んでいき
俺は空気だけをむせ返した。
「ヒ…ッ!ゲホッ!ゲホ…ッ!」
揺れる身体。食い込む刀が痛い。
涙が滲んで霞む視界の向こうで、ライドウは赤い唇をしていた…
弓のように弧を描いたそれを、舌なめずりし
「ご馳走様」
と、俺に言った。
カブキチョウ捕囚所(前半)・了