カブキチョウ捕囚所(後半)

 
脳髄に突き刺すような痺れ。
強い酒にも似たその味。
これはマネカタの血肉なんかではない。
彼の血だ、マガツヒだ。
(想像以上に…)
強い。
酒には強い筈だったが、一瞬くらりとする。
人間は感情が高ぶるとマガツヒを震わすらしい。
それが怒りだろうと、絶望だろうと。
首狩りスプーンを引き抜いた瞬間、傷つけたであろうその口。
接吻のとき、其処を思わず強く吸った。
息を吹き込んでは、其処を舐り。
口を掌で塞いでいた際には朦朧としていた彼も
唇を合わせた瞬間、その両の眼を見開いた。
怒りとか恐怖というよりかは…
焦り、羞恥…
(彼らしい)
思わず哂ってしまう。

「ご馳走様」

彼の人間がマガツヒを濃密にして
彼の悪魔が反応して毒にしているのか。
繰り返し吸い付きたくなる美酒。
中毒…
「っは…っ…は…ぁ…このっ」
彼の息が整うまで、しばらく傍で待つ。
どんな侮蔑や、呪いの言葉が飛んでくるのかと思っていたが
「…」
沈黙。
下手な発言は避けるべきと踏んだのだろうか?
「どうした?初めてでもないだろうに?」
ヤクシニーを連想させてそう囁いた。
「どうして…」
「ん?」
「どうして、それだけは…優し、い?」
意外な発言にこちらが驚かされた。
「ふ…あはは、別に…優しい口付けではないけど?」
ヤクシニーがキツ過ぎたのか、あれを優しいと錯覚するなんて。
バツが悪そうにする彼が可笑しい。
「そうそう、君のマガツヒについての感想を聞かせてくれないだろうか?」
本来の目的に話を戻すと、彼は眼を逸らす。
「べつに、美味しくない…なにが魅力なんだ」
吐き捨てる様に言う。
彼自身には分からないのか。
強い、ウォッカみたいな…
「そうか、残念だな…この魅力が分かったら、君も悩まずに済んだかも知れぬのに…ねえ?」
悪魔になる事に躊躇しなくなる、その理由には良かったのに。
「だから!俺は悪魔になんか…っ」
叫んだ彼は急にうなだれた、意識が混濁しているのか。
まあ仕方の無い事だ。
あの刀は生命力を吸う、彼の手を貫いて吸い続けているのだから。
(あの刀になってみたいな)
ふと思った。彼の皮膚を、肉を突き破って
骨も断ち割って、奥底から悪魔の力を飲干す。
全身に浴びる毒で、きっといい気分になるのだろう。
里に居るときに教わった、悪い草みたいに
痛覚や感傷を麻痺させる、きっとそんな感じだろう。
「ありがとう、今は弱い君だが、良い力が吸えたようだよ」
妖しく煌く自分の刀を見て、口元に笑みが広がる。
さすが、潜在能力は高いだけある。
「終わったなら、返せ…」
「何を?」
一応すらっとぼけてみたが、彼は意外としゃんとしていた。
「ウムギの玉、首狩りスプーン、両方…だ!」
「返してもらってどうするのだい?」
「スプーンを、届け…」
「届けて、功刀君は最終的にどうしたいのだい?」
それを聞かれた彼は、黙ってしまった。
そんな事だろうとは思った。
いつも周囲の動きに流されているのだ、この少年は。
確かに、周囲が彼を巻き込み利用している所為もあるのだが…
「そんな意志で何をしたいの?君…それなら僕が持っていた方が有効活用出来るのではないか?」
「ま、待てよ…!俺は」
一瞬言い淀み、彼が口にしたのは

「人修羅に会ってみたいんだ」

彼は、本当にまっさらなのだ。
何週繰り返そうが、あの悪魔狩人の言う通り…
(何度繰り返しても、同じなのだろうか)
きっと人修羅が何たるかを知らぬ。
僕は老人からの依頼で、既に周知の事である。
「人修羅に会って、どうしたいの?」
「何でいちいちあんたに教えなきゃ…ならないんだ」
「仕事半分、個人的な興味半分」
「…なら尚更、答える必要無い…」
いい加減むくれてしまった彼の眼前に、僕はウムギの玉を突き出した。
彼が一瞬腕に力を篭めたのが見て取れた。
隙あらば何とか出来ないかと、それは考えているらしい。
だが、刀の刃が彼を更に銜え込むだけだった。
「君はいつも適当な判断で動いているな、戦いも思想も」
「こんな世界で、戸惑わない人がおかしいっ」
「それなら全て忘れてしまえば?」
ホルスターから、銃を引き抜く。
びくりと強張る彼を尻目に、その銃口を押し当ててみる。
「は…?」
「もう君は、ずっとこの空間で良いだろう?」
ウムギの玉に押し当てる。
引き金を引く。
「やめ」
高く響く飛散した音に、功刀君の制止は掻き消された。
砕け散った玉は、キラキラと輝いて空を舞う。
ぼんやり薄明かりに反射して、とても美しい。
青褪めた彼が、それを見ているが
きっと美しいからでは無いだろう。
「ば、かじゃないのか…あんただって、あれが無いと」
「無いと?別に困らない、君が調査対象だからね」
実際彼が居れば事は済むし、僕は飽きない。
場所なんざ関係無いのだ。
「人間、らしく無い、あんたは…」
彼の苦しげなつぶやきに、僕は哂って返した。
そんな事昔から言われ続けている。
「君の困った顔は好きだから」
「く…っ」
怒りが達する前に、脱力に襲われている。
あんな吸われたのだ、回復させない限りまともに動けぬだろう。

『おい!そこの黒マント!』
と、ぶしつけな呼びかけに声の方を向いた。
ナーガが3体…
『さっきの小僧だぜ!あの吊るされてる奴!』
どうやら彼に既にのめされた事があるようだ。
「なにか?」
至って丁寧に返答をする。
『その小僧をこっちに寄越せ!』
『借りがあっからよ…うへへ』
まあ、渡せば展開は容易に想像が出来る。
引き渡して嬲られる彼を見るのも一興だけれど
この場においては僕の捕囚人だから
渡さない。
「申し訳ないが、諦めて頂きたい」
功刀矢代の前に立ち、ナーガ達を見る。
『おい、どうすんだ』
隠し身をしているヨシツネの言葉が、耳元をかすめた。
「お前が出るまでもないよ、というより…酔っ払いは休憩していればいい」
ヨシツネは、あの時舐めたマガツヒで動きが緩慢だった。
でかい図体のくせに毒に弱い。
『悪ぃな…んじゃこのまま引っ込ませてもらうわ…』
人知れず管に戻ったヨシツネを胸元に感じつつ
銃をそのままナーガ達の方面に向けた。
『そんな銃で俺様達が倒せると思ってたら大バカ野郎だぜぇ!?』
『人間ごときにやられっかよ』
意気揚々と迫るナーガを無視して、弾を撃ち込む。
『けっ、致命傷にゃ程遠いぜ!!』
「どうかな?」
リロードを繰り返し、撃ち続ける。
連射には自信があるのだ。
刀は今は必要無い。
『どこ撃ってんだよド下手糞がぁ!!』
下品に笑う3重奏を、その槍が突き出されようとした瞬間
ガラガラと音を立てて、格子が遮断した。
顔面で派手に受け止め、3体の槍は空に留まった。
『いっつでええええええ!!』
『どうなってんだよコレ!?』
『なんでいきなりシャッターが下りるんだよ!?』
どうしてもこうしても、シャッターを下ろす事を狙っていたからだ。
数発で制御装置の解除レバーを押し上げて
最後の1発でスイッチを入れた。
ただそれだけだ。
『くっそ!この!こっちに来いやあ!!』
「穴や梯子を経由してもこちらには来れないよ」
構造上、相手側とこちらは蜃気楼内では完全に遮断された。
「君達…残念だけど、もうあきらめ」


ぼすっ


(…なんだ?)
背中に、よく分からないが、硬い衝撃。
振り向くと、功刀矢代が脚を振り上げていた。
自分の足元を見れば、何か転がっている。
独特な形と素材をした、彼の靴。
また彼を見る、片足は靴下だった。
「…へぇ」
この期に及んで、おまけに一応護ってやっているというのに(勿論僕の嗜虐行為は抜いた上での口上だが)
その人物に対して背後から不意打ちとは…
僕は靴を拾い上げ、彼の元に歩み寄った。
彼は何も喋らない。
変わらぬ表情で、こちらを見つめている。
「功刀君」
「…」
返事無し。
「功刀君」
もう一度呼びながら、僕は手にした彼の靴で
思い切り強かに彼の頬を打ち据えた。
子気味良い音がした。軽いわりには硬い靴らしい。
頭を垂れた彼の口元から、赤い液体が滴った。
ゆっくりとこちらに顔を上げた。
口元が歪曲している。
(…!)
哂っていた。
酷く、嬉しげな金色の眼。

僕は、筆舌し難い感情に囚われた。
腹立たしいような、喜ばしいような。
「そういう君、大好きだよ」
僕は口にして、もう1度靴で打ち付けた。
今度は反対側から。
口元のみならず、鼻孔からも出血している彼を見て
おかしいな、自分は嗜虐趣味は無い筈だが…と、思わず考えた。
『あ、あいつさっきまで護っておいて…今度はアレかよ』
『イっちまってるぜ』
背後のナーガ達が口々に漏らす。
何とでも云うがいい。
僕はこの存在を確かめたいのだ。
人間らしさを提言する彼。
悪魔らしい強かな彼。
どちらもそそられる。
感情次第で、どちらにでも天秤は傾くのだ。
(新しい存在じゃないか)
ヤタガラスめ、見てろ。
使役され得ない存在が世を成すのだ。
我が物顔で日本を掌握しているのも、今の内だ…
壊さぬように、壊さぬように。
彼の意思を育てて、老人の元に贈る。
愉しいが、未練が残るであろう依頼。
(さあ、僕も最終的にどうしようか)
育てた悪魔は、手放したくないものだ。
悪魔狩人も、手放したくないから殺すのだろうか?
だが、彼とて行く手を遮るなら容赦するものか。

「さて、君の躾も終わったし、そろそろこの空間から出ようか?」
彼の手を貫く刀の柄を掴む。
「はっあっ!あああぁ!!」
功刀という鞘からずるずると引き抜いた刀身は、紅く輝いていた。
床にべしゃりと崩れた彼をそのままに、僕はシャッターに近付く。
『ぎゃ!こ、こっち来んなオメー!!』
先程と正反対の言葉を吐くナーガ達。
「ごめんね、ウムギの玉がまた欲しいのだけれど…」
そう言えば、瞬間、格子越しに投げ込まれた玉。
床に転がり、足先にこつりと当たった。
「有難う」
笑顔でお礼。
『もう関わりたかねぇよ!それ持って消えろ!』
余程畏怖しているのか、すぐに反対側へ脱兎の如く去ろうとした彼らに向かって、僕は言い放った。
「でも、この刀の切れ味をすごく試してみたい気分だ」
一瞬止まるナーガ3体。
だが、思い出したのか、振り向いて叫んでくる。
『バカじゃね〜の!自分でこっちに来れないって言ってたじゃねえかよ』
『やっぱイカレ野郎だな』
寧ろそれが後押しし、逃げる事も止めていた。
「そうだね、そちらにはどう足掻いても行けないし、スイッチも半壊していて戻せない」
刀を見た。
たっぷり吸い込んだ力を、必死に抑えている。
だが、僕が抑えきれない。
「だから此処から行こう」
格子に向かって、一振りした。
糸を張った様な音と共に、バラバラに散乱した鉄の塊。
すごく軽い…!
固まったナーガ達に、感想を述べた。
「すごく軽い感触で斬れた。君達ならどの位の感触だろう」
『う、ああ』
「きっと凄く軽い、豆腐みたいだろうね」
『ぐぎゃああああああああああ』
「ねえ、そう思わないかい?」
『来るな!来るんじゃ…ねえええ!!』
「僕はあの彼みたいに、素直に交渉には応じないよ」

ああ、ナーガの血で結局切れ味は戻ってしまった。
名残惜しいが、仕方が無い。
彼以外を斬れば、いずれにせよこうなってしまうのだろうから。

「立てるかい?」
一部始終を見ていたのか、彼は刺すような視線を投げて寄越した。
「君もあの位しないと、この世界で生きるつもりならば、ね…フフッ」
ウムギの玉とスプーンを床に、彼の目先に置く。
「くそ…結局…何個かあったの、か」
ウムギの玉の事だろうか。
本当に、壊された瞬間絶望したのだろう。
まったく、可愛らしい性格だ。
「君、簡単に信じない方が良いよ…」
髪をくしゃりと握り、顔を無理矢理上げさせた。
「くっ…」
「友も、恩師も、予言者も、人修羅も……仲魔も」
 

(そう、仲魔も…ね)


カブキチョウ捕囚所(後半)・了