新宿衛生病院

 
「おかえり」
リビングからの母親の声に「ただいま」と答え
スニーカーを脱ぎつつリビングの戸を開けた。
「夕食残しておいたからね」
そういえば、そうだったっけ。
と席に着く。
「矢代、昔みたいに食べさせてあげようかぁ」
母親が素っ頓狂な事を言い出すので思わず
「はぁ、どうしたんだよ一体」
ツッコミ待ちか?
とか考えつつ笑うと
「ホラ、口開きぃよぉ」
とか言ってこちらに箸をやる。
父が亡くなってからは母子家庭だったからか、俺は母親をないがしろに出来ない。
こんなところ見られたら憤死しそうだが、黙って口を開けた。
「そうそう、大人しく子供は親の言う事聞くの〜」
調子の良い声にやれやれと思っていると
「ボクの子になるんだから」
母の声音が変わる。 そのまま視界が暗転した。

「!!!!」
母親の姿が無い。
「ずいぶんとシアワセなユメを視るんだね」
金髪の子供が、自分の事を見下ろしている。
「でも、口はそのままあけていてね」
ハッとして起きようとすると、四肢が固定されているように
動かない。
口元に何かを垂らされている。
「ひッ」
ビクビクと動いている、蟲のような何かを
俺に落し込む。
「いたいのはいっしゅんだから」
まるで注射する時の常套句。
子供の声に抗い、顔を背ける。
「いうこときいて」
途端、信じがたい力で顎をつかまれ向き直させられる。
「やめ、うぐっ」
蟲が口内に入り、喉奥へとうねり進む。
全身を震えが走る。
蟲は正直苦手だったのに、まさか、まさか。
「ひぎ、あがあぁぁぁ」
悲鳴にならすに蟲と共に飲み下されていく。
熱いような冷たいような。
酷い嫌悪感…!
「うっ、ウぅ」
嘘つき、と言ってやりたかった。
痛い。
痛い…
中から食い破られて、しまいそうな。
視界を朱が走る。
眼球が零れ落ちそうにビクビク跳ね上がる。
「坊ちゃま、そのような作業、私めにさせて頂ければ宜しかったものを」
女性の声がした。
「いいんだ、いやがるのはわかっていたから」
子供が答え、同時にクスリと笑った…気がする。そして
「むりやりつっこんでやりたかったから」
と、こちらを見て言い切った。
こいつ等…
コイツ等…!
落ちていく意識の中で
「キミはアクマになるんだ…」と最後に言われたのだけ
鮮明に覚えている。


なにも持たず
なにも望まず
そして人に非ず悪魔に非ず
このボルテクスにて再び
己の理を
探し求めよ
人 修 羅


「…この少年」
『?どうした』
「この世界に移る途中に邂逅していますね」
『あの声に?』
「不鮮明ですが、読心術にて覗かせて頂きました」
『お主、本当に読心術がお気に入りだな』
「悪趣味ですから」
『フフ しかしライドウ聞いてはくれまいか?』
「はい」
『このボルテクスに目的あって着く者など、東京受胎を引き起こした者だけなのではないか?どうかな?』
「おっしゃるとおりです」
『こやつ…この世界で生き延びる事が出来ようか?』
「死にそうになったら、物陰からディアでもかけましょうか?」
『お優しい事だ』
「なかなか死ねない無限地獄、僕なら遠慮願いたいです」
『本当に悪趣味だな』
「! 目覚めそうですね…もう行きましょう」




(病院…?)
もしかしたら、意識を失っていて。
倒れていたところを搬送された。
そして病室で目覚めたのではないか。
そんな期待を抱いていた。

霊安室のような空間

「俺…俺…」
俺の身体におかしな線が、斑紋がある。
こすっても引っ掻いても取れやしない。
「わ、ああっ、ああっ」
気が動転して、思わず診療台のような所から転げ落ちた。
綺麗な、鏡面のような床に
おぞましい姿が映っている。
そいつの顔から腕…指先にかけて続く影は
自分の指先に繋がっていた。

キミはアクマになるんだ

「うっ…う…」
何故涙が出るのか解らない。
まだ何も解らないのだから、理由も何も。
(外に行こう)
もしかしたら、他の人もこうなっているのではないか。
そんな思いが身体を動かした。
家に帰りたい。
母に会いたい。
乳呑み児のような拙い想いでもいい。
ただそれだけが自分という証明だった。


『ちょっと、しっかりしてよねぇ!』
「ご、ごめん」
結局、人に会う事は無く。
絵本で見たような妖精に会った。
正直この状況なので、いつでも殴りかかれるように警戒して近付いたが
あっけらかんとした態度にほだされてしまった。
道中出てくる、意味の解らない有象無象の相手に
彼女は助言をしてくれた。
『躊躇しちゃ駄目よ!あなた悪魔にしては臆病ね〜』
「まだ身体が思うようにいかなくて」
『? どおいうコトよ』
きょとんとする彼女に、あまり説明もしたくなかった。
この病院内だけでも感じる。
この空間は悪魔というのが支配していて。
人間は搾取される側だ。
嫌悪するこの身体が、良い擬態になってくれている。
なんて皮肉だ。
いくら気の良いピクシーでも、言いたくない。

『この部屋よ、ガキは今までのヤツらより凶暴だから覚悟しといてね!』
確かに、今まで相手にしたのはフワフワした霊の様なのが多かった。
質量のある煙を殴るような感覚。
相手の攻撃も、身体がだるくなる(多分体力を吸われていた)か
打撲・擦り傷みたいなものばかりだった。
『マガツヒ、アルゾ、イッパイモッテキタ…』
ピクシーが声真似でガキを騙している。
立ち往生をくらっていた渡り廊下のパスを、ガキから奪う。
そんな算段だ(まるで人間みたいだ)
いや、戦って奪うのだから強盗殺人になるのか…悪魔的か?
とか、意外にも呑気な自分に呆れていると
『ハイレ!』
カチャ
病室の鍵が解除された、招かれている。
『入ったら複数いるから、考えて行動してね!』
「あ、ああ」
返答すると、ピクシーは『えいっ』と扉をはじいた

乱暴にどかされた扉に押しつぶされて悲鳴じみた声が聞こえた。
あれがガキ…!
小さいが、確かに殺気の度合いが違う。
『ダマシタ…ナ!コロス!コロス!』
『シネ!』
『オマエデモイイ、マガツヒ ヨコセ!』
口々に喚き立てると、数体で俺達を囲む。
俺はとりあえず、さっきまでやっていたように殴ってみる。
ギャッと言いつつもガキには致命傷では無いらしく
なんと、すぐに切り返してきたのだ。
『避けて!』
ピクシーの叫びも虚しく、俺は鋭いガキの爪でぱっくりと裂かれた。
咄嗟に出した腕に、朱色がはしる。
「痛…あっっ」
熱い、普通だったら卒倒してる。
この時初めて…
初めて(夢じゃなかったんだ)と実感した気がする。
『ディア!』
ピクシーの声がした。
うずくまる俺の身体を光が包むと、皮膚がゆっくりと傷を塞ぎ
なんとなく、身体もしゃんとした。
これは…?
『きゃうっ』
「!」
悲鳴に振りかえると、ピクシーが翻りながら地面に叩きつけられていた。
それを見たらもう、無我夢中でガキに躍りかかっていた。
頭に一発。
ダウンしたガキの膨れた腹に、スニーカーをめり込ませた。
吹き飛んだガキは病室奥まで飛び、壁に赤い模様をつけてずるりと沈んだ。
ぶあっと体内から、熱とも冷気とも言えぬ何かが上がってくる。
飲まされた蟲がうごめくあの感覚。
残されているガキを見る。
もう少し…見えそうだ。
本能的に手をかざす。
脳内に、知っていたかのようにガキが浮かび上がる。

体質
弱点
あとどのくらいで死ぬか

そして俺は、伏せっていたピクシーを拾い起こし
「ピクシー、ジオだ!」
『!』
「向かって左の奴に」
『り、りょ〜かいっ…!』
指図した左は、多分ピクシーのあの魔法一発で済む。
右は弱点を突かれて死んだ仲間を見て怯む。
その怯んだ隙に俺が殴る。
そんな事をなんとなくで、一瞬にして思った。


そして、思ったように事は進み。
俺の手にはゲートパスがある。
『やったじゃんっ!』
「いや、その」
『?』
「回復とか、させてごめん。あの時に隙を突かれたんだろう?」
ピクシーの傷を指で拭う。
血ともなんともいえない紅い光が指を伝う。
『な、なぁに言ってんのよ!ま、リガイのイッチって事で仲魔だし?』
「俺は回復とか出来ないから…君が傷付くようなら一応容赦しないから、さ…」
『ちょ っと…』
「約束の公園まで…宜しく頼む」
『何と言うか、成長が早いわね…元人間のクセにやるじゃない』
聞き捨てなら無い単語に耳を疑う。
元人間
「なんだって?元人間って君」
『あ』
「知っていたのか?傍から見てわかるのか?」
するとピクシーはもじもじして
『ま、諸事情ってヤツよ!確かに人間らしく、なよっちいな〜って思った』
そう言いつつ俺の肩に乗る。
『最初は、ね』
「…」
既に悪魔っぽさが滲み出てきたという事だろうか。
俺はそのまま彼女を肩に乗せ、パスで開錠しに渡り廊下へと向かった。


「人間が此処から出て行った、のか?」
『コゾウ、オマエハニガサナイ』
この病院を支配する悪魔に、今から挑もうとしている。
「出してくれないなら、戦うしかないな」
『コイツ自分がボスとか思い込んでるのよ、皆の為にもやっちゃおう』
ピクシーは意外と好戦的だ。
駆け出す前に、道中仲魔にしたシキガミに言う。
「ピクシーと一緒にジオをしろ」
『リョウカイシタ』
「頼むぞ」
俺には身体ひとつしかないので、もう飛び込むしかない。
大きいエイのようなフォルネウスが、宙を舞い俺の背面を狙う。
不規則な翻りが、惑わす。
「ちっ」
『コッチダ!』
背面とは言わずとも、あらぬ方向からの攻撃によろける。
『コオリツケ!』
続けての吹雪に身体を支配され、
霜焼けのような痛みが全身を襲う。
「…!」
このまま拳を振るったら、折れてしまうのではないかという恐怖に
実際身体が凍り付いてしまった。
俺の焦りを感じ取ったのか、フォルネウスはヒレのような部分を
勢い良く背に叩きつけてきた!
「ひぎっ…」
ひずむ様な感覚に恐怖を覚え、攻撃をとにかく
身体の広い面で受け止めるしかない。
『ドウシタ?オナジトコロデ ウケトメテバカリ』
「うるさいっ!」
『 ワレル ゾ?』
奴の的確な狙いに恐怖を覚える。
その時
『よそ見してんじゃないわよ!!』
ピクシーの放ったジオがフォルネウスを直撃した。
余程油断があったのか、なんと痺れている。
『恐れないで!物質的にはまだ凍ってないわよ!』
ピクシーの声にハッとして、身体を動かす。
そうだ、このくらいなら大丈夫だ。
痺れているフォルネウスに向かって、拳を振り上げる。
「避けないの?」
自分でも驚く事に、笑いながらそんな台詞を吐いている。
さっきのお返しと言わんばかりに、がら空きの背面を強かに殴りつけた。
『キ サ マ』
痺れているのを良い事に、容赦無く乱打する。
格闘技なんて習っても無いが、どのように殴れば効果的か
この短時間で理解した。
『コゾウッ!イイカゲンニ…』
と痺れを切らしたらしい(本当の意味で)フォルネウスが急に動いた。
飛び退こうとしたその時、電撃が脇を通り奴に命中した。
『イイカゲンニスルノハ キサマダ』
病院の悪魔だったので虐げられていたせいか
シキガミが待ち構えていたかのようなタイミングで、ジオを放ったのだった。
「でかしたっ」
攻撃を食い止められたフォルネウスに俺は
とどめをさした。


「ようやく外に出れそうだ」
『ふー、一安心』
「ありがとう ピクシー、シキガミ」
2人(2体?)を見て、御礼を言った。
言わずにはいられなかった。
『公園までまだあるんだからねっ、エスコートよろしく!』
『ツヨイナ…ショウジキ ミナオシタ』
悪魔も凶悪な奴ばかりじゃないんだな…
そんな事を思いつつも、どこか釈然としない。
このままなれ合うのは、御免だと、脳のどこかで警鐘が鳴る。
俺はそれを聞き流しつつ、外への扉を開けた。
だが、そこに広がっていたのは
予測すらしていない世界だった…

新宿衛生病院・了