純粋な闇が見える。
その中に映り込む悪魔…
斑紋も禍々しい、その姿。
何も纏わずとも、仄暗く光る身体が示す。
人間の形…

「僕の眼を見ていれば、怖くないよ…」

鼓膜を震わせていない、その声。
頭の中に、直接響く言葉。

「メノラーが必要なら…そのままにしておいで…」

この、声の主の眼は、闇の色だった。
奥底が、見えない。
見えないから、引きずり込まれる。
もっと、もっと先まで御覧…と
意識せずとも自身の眼は誘われるまま。

「何度か見たが…やはり綺麗な身体をしてるな」

眼は合わされたまま、自身で無い手が腰に触れる。
(怖い…恥ずかしい…嫌…だ…何故…何故)
そんな思いに脳内を埋められている俺の身体は
どうしてか、動きを忘れている。

「君が半魔に成ってくれて…実に良かったよ」

なんて事を云うのだ、この男は。
睨んだつもりが、眼に信号が飛ばない。

「ねえ、僕の物に…お成り…」

その言の葉に、身体が熱を帯びる。
舌が痺れて、呼吸がままならない。

「人修羅…功刀矢代」
「…ぁ」
「十四代目葛葉ライドウが命を結ぶ……我が眼を以って縛りたし…」
つらつらと綴られていく呪文めいたそれを、俺は渇いた喉で呑み下す。
『ライドウ!止めい!!』
なにか、声が聞こえた気もするが
そこにいるのは確か黒猫だけの筈…
幻聴かと思う余裕すら無く、俺はただ…ただ。

「紡げ」
「ぅ、あ…ぅ」
「我が名を」
「はぁ…っはぁ…」

息が出来ない。
苦しげに喘ぐ自身の唇が、形を作る。
勝手に…俺が、何かの名前を呼ぼうと…する。

深い森の様な
沼の様な
その宵闇に浮かぶ金の明かりが…
俺の…眼

…ル
ヨ、ル…
ヨルヨルヨルヨルヨル

ヨベ サケベ ボクノナヲ

オマエノ アルジ
オマエヲ シハイスル サダメノ コノボクノナヲ


「さあ、我が名を!」

(駄目だ、紡がなきゃ…苦し…い)

急き立てる悪魔召喚師の詞。
下方からする嘶きに似た叱咤の鳴き声。
眼から入り込んだ力が、血管を通って俺を支配し始めている。
その名を…紡げ、と…

「お前の主の名は!?人修羅よ!」

云えば…
俺は、俺の物で…無くなる?
俺は…この召喚師の…悪魔、に?
物…?
必要とされる物に…?
成るのか?
メノラーなんて関係無しに?

熱に…浮かされた様に俺の唇が喘ぐ…
苦しみから
もう
解放されたい…
そう、ただ、一言。
紡げば
ヨル…夜?
誰の…名前?
あんたの……?

「よ…」

「ショーは幕引きだぜ、クズノハ」


魂の檻



響く銃声が我ながら耳に痛い。
エボニーで、その独特な形の帽子に撃ち込んだ。
気付いていないハズ無い。
あのサマナーが俺の気配を…察していないハズは無かった。
だというのに…
「…」
別に、大した殺気が無いのを読まれたなら、おかしくもないか?
いいや、そんな問題じゃ無ぇ…
(相変わらず、クレイジーな奴)
それとも妙な自信?
鋭い銃弾で、己の帽子が撃ち抜かれたというのに。
その帽子が舞い、地に落ちたというのに。
まるで…そんな事など起こらなかったとでも云わんばかりの…無反応。
あのサマナーの魔眼は、ヤシロを縛り付けて離さない。
「おい、これからしけ込もうってタイミングに悪いんだがな」
無反応。
「ヤシロはお子ちゃまだから、そんな風に身包み剥いでくれるなよ」
やはり無反応。
どうやら、俺は契約の邪魔らしい。
「クズノハ、お前分かってんだろうな?強制的な契約は脆いぞ」
返事が返るとも思っていなかったが、その黒い外套に向かい呼びかけた。
その視線を外せば、鎖が千切れるのだろう…
一向に外そうとしない。
「クズノハ、聞けよ」
わざと、音を立てて銃を装填する。
しかし外れないサマナーの意識の矛先。
(ああ、イライラするぜ…全く)
「その視線を外せ」
黒髪も露わになったサマナーの、その脚に発砲する。
驚き飛び跳ねる黒猫に、奴の脚から迸る血が掛かるのが見えた。
無反応。
もう一発お見舞いしても、サマナーはしっかりと視線の鎖を繋いでいた。
その鎖に囚われ、唇を喘がせる人修羅…ヤシロ。
しゃんとしろよ、お前、喰われてるぞ…
そんな恥の欠片すら棄てた格好で。
お前は…何を求めて居るんだ、このカルパに…
その金色の眼が…
漆黒に吸われていた。
夜の闇に喰われて、黄金の月が見えなくなりそうで…
「いい加減外せ!クズノハライドウ!」
俺は何故だか不安に駆られて阻止せんとエボニーを撃つ。
が、それは黒い外套でも奴の白い肌でも無く…

「あ゛…っううッ」

頭が、カッとアツくなる。
(野郎…っ)
その苦渋に満ちた呻きは、人修羅のもの。
俺が撃った瞬間、確かに視線は外さない方法で、サマナーは回避した。
ヤシロと見詰め合ったまま、その肩を抱いてぐるりと位置を変えていた。
俺の方面にヤシロの背が来るように。
つまり奴は…人修羅を、盾にしたのだ。
その、人身御供にされたヤシロの背から
肉を割り入った弾がぐいぐいと押し出されて、ずるりと背骨を滑り落ちた。
同時に飛沫が、背に赤い花模様を描く。
「早速使役してる気分か?」
俺が云い、迫れば。
ヤシロの肩向こうから、声が返ってきた。
「悪魔狩人…貴方はいつも僕の邪魔をする」
落ち着いている様で、酷く興奮している声音。
「お前の悪魔にさせちまうなんざ、完全な悪魔にさせるよか性質悪ぃ」
「御安心を。云われる通り脆い契約ですから…」
くたりとした人修羅をそのまま抱き、ようやくこちらを見た。
「しかし、それすらままならぬ…貴方という横槍が入ったのでね」
「当たり前だろ、気分悪いんだよ…ソイツが誰かの所有物になるのが」
「へえ、自分のものにするのは厭わぬのに?」
その声に混じる嘲りが、俺の神経を逆撫でしていく。
「俺は、いずれソイツを殺す」
「そうして自分の中に留めて所有する癖に…」
「…んだと?」
「貴方の記憶の彼は、前の創世の時に死んだのだ…!」

死んだ…
ああ、確かに、もうあの意識は無い。
虚無へと霧散したんだろうな。
でも、だったらそこの身体は?
それは紛れも無き、彼の身体、肉体。
記憶の裾を引き摺り、生れ落ちた今回の功刀矢代…だ。
その裾を踏んで、振り向いた彼が
ダンテ、ふざけるのは止めてくれないか?
そうまた云ってくれるのではないかと…
儚い、下らない感傷に浸っているのは…図星だった。





眼の縛りを外した。
朦朧とする裸身の半魔を肩にしな垂れさせる。
女のしっとりとしたそれとは違い、骨っぽい男のそれ。
(やはり駄目か…)
こんなもの、一時的な…意識の縛りでしかない。
弱った心身、焦りからくる服従心。
条件はそれなりだったというのに、契約にすらならなかった。
これがそこらの悪魔と違う所以か…
名を紡ぐ事すら、形だけだった。
胸元の管を、指でやんわり撫ぜる。
『おい、お主は何がしたいのだ!? その状態の人修羅は役に立たんぞ』
ゴウトに云われる通りだが、ならここでどうしろと云う?
対峙する悪魔狩人に引き渡すのか?
その後人修羅が、可愛がられようが殺されようが
反吐が出そうだった。
きっと、それは向こうも同じなのだろう。
僕がこうして触れている事に、緩やかな殺気を立てている。
だが、所詮人間…という嘲りが、その殺気を燃え上がらせぬのか。
そう思えば、胎の底から憤怒が湧き上がる。
指先が、管を解放する…
奪ってやる。その記憶からも。
肉体という媒体を…!

「 Catch me if you can…鬼ごっこしませう?悪魔狩人」

剣を振りかざし、突っ込んでくる悪魔狩人が
召喚されたツチグモで隠れる。
刃物と蜘蛛の脚先が咬み合う音が響いた。
「一秒でも喰いとめておけ」
『そうもたんぞ』
「数秒で構わない」
拾った学帽を被り、ツチグモの背にそう云い放つ。
力なく垂れる人修羅を横抱きにした。
先刻撃たれた脚が血を噴くが、構う暇は無い。
振り返る暇も無い。
駆け出す僕に追従するゴウトが叫ぶ。
『逃げ切るつもりなら人修羅は棄て置けい!!』
「大した荷物じゃないです」
『馬鹿者!!縛られているのはどっちだ!!』
その言葉に一瞬怒鳴り返しそうになったが、肯定と捉えられそうで止した。
道中の悪魔を無視し、掻い潜って奥へと駆け抜ける。
脚に飛びついてきた雑魚を蹴り飛ばす。
「邪魔するなら靴底を味あわせてあげよう」
先の方へと飛ばした雑魚を踏みつけながら、乗り越えた。
『何処まで逃げればいいのだ!?』
ゴウトの焦りが、苛立たせる。
この階層の構造は、頭に入っている。
お願いだから思考を削がないでくれ。
人修羅を抱える腕をずらし、指先で引き抜く管。
現れたイヌガミは、何も云わずとも役目を果たす。
『強イチカラガ…後十秒デ来ル』
「十か…」
前の分岐に眼をやる。
角に追い詰められる可能性が有る。
だが、切り抜けれる可能性も有る。
『読ムゾ?』
「そうだな、考える時間が無駄だ」
僕は歯を喰い縛って、肉色の壁に脚をガリガリと押し擦る。
少しでも滴る血は減らしておきたい。
スラックスの裾の滑りを押し付け、開く傷口には布地が吸い付いた。
分岐に入り、逃げ道が多い経路を辿る。
腕の中で人修羅が揺れる。
身体の斑紋がじわりと光る…マグネタイトと同じ色。
『来テイルゾ!真ッ直グ追ッテクル…!?』
イヌガミのギョッとした声音が、異様だった。
確かに…おかしい。
感じる力の迫り方に、何かしくじったかと思った。
「イヌガミ、戻っておけ」
『イイノカ?』
「お前では一撃だろうからな」
『ウゥ…了解』
打たれ弱い仲魔をわざわざ鉢合わせる気は無い。
それなら身ひとつかヨシツネでも召喚する。
(まあ、ヨシツネだとこちらの身が持たないか)
あれのマグネタイトの浪費は酷い。
この状況で節約を命じる程、無意味な事は無い。
管へ戻るイヌガミを確認して、ツチグモもいつか回収せねば…と
ぼんやり思った。
そのいつかまでに、死肉を漁る悪魔共に喰われていなければ、だが。
『ライドウ、追いつかれたらどう応戦するのだ』
「人修羅にでも応戦させましょうか?」
『…悪趣味』
手篭めにされるだろうが、それも面白いな、と思った。
朦朧とした頭で、彼があの悪魔狩人に力を揮うのだ。
半人半魔同士なら、少しは持つか?
いや、それでは本末転倒か?
今思えば、なかなかに考え無しな己を哂う。
「まあ、少し回復でもしておきましょうか」
ゴウトにそう笑顔で返して、僕は壁を背にしたまま腕に力を入れる。
頭を下げれば、そこに魔力の坩堝は在る。
喰らい付いた人修羅の唇は、力なく酸素を求めるかの様に喘ぐ。
「ん…んむっ…ぁ」
(おや…)
先刻の術が少し効いていた?
人修羅の、意識を持たぬ腕が僕の首に回された。

(ふ、ふふ…くす、くすくす…)

心が、恍惚とした。逃げなければいけぬ状況なのに。
今はこの魔力を吸い尽くしてしまいたい。
唇に甘さは無い、強い酒を浴びるかの如く、吸うだけだ。
本来の意志に背いて回される腕に、哀れみにも似た感情を感じる。

…愛玩動物を撫ぜる時の感情?

そう、そのまま…僕の思うままに成ればいい…
僕の手脚と成ってよ?人修羅?
昇れる処まで目指すのだ、頂点まで…
そうして

―――復讐するのだ、威光を以って

その為に、君を手に入れなければ…
奪い、支配して、僕の傀儡に。
愛など無い、毒の愛撫でこの美しい肉体から支配してしまおうか…
眼からで足りぬなら、メノラーで釣ったついでにそちらの方から浸入してみようか?

「You're it!」

そんな夢想も、あの声と共に飛散する。
僕の頬に裂傷が奔る感触。
人修羅の頬にその返り血が跳ねかかる。
「お前、血が落ちてたぞ…」
ニヤリと笑う狩人が、脚で地を蹴る。
そんな筈…と思った矢先、ポツリと音がした。
唇を吸うままに、伸ばした脚をちら、と見れば、靴先に血痕。
(ああ、うっかりしているな…)
抱えた人修羅の背から、赤いそれが滴っていた。
盾に使った己への、因果応報如き事象。
「この世界来て溜まってんじゃねえのかサマナー」
その挑発に、唇をひと舐めして離す。
「ええ…男子ですから」
ニタリと微笑を返せば、悪魔狩人も口の端を吊り上げた。
「そりゃあ正直なこった」
「これとの接吻でも、充分滾りますね、色気に欠けますが」
「お前のそういうところ、結構気に入ってんだぜ?」
「…」
「ムカツクくらいにな!」
黒い銃を構えた狩人が、僕を狩ろうとしている…
言葉と裏腹な殺気が、僕に教える。
唇から吸った熱い毒が、胎内のマグネタイトと混ざって融け合う。
僕からも滲み出ているだろうか?
この狂おしい程の、殺意。
抜刀した刀に、迸るのは薄赤の焔の如き魔力。
それで空を薙ぎ、圧が銃弾を逸らす。
「へえ、胎内に宿してもなかなか」
人修羅が血管を巡る感覚に、ほろ酔い気分だ。
翻した刀身に、哂う僕が映った。
傾ければ、赤い悪魔が刀身に映った。
羽の生えた、所謂化け物の形。
「ヤシロの魔力を吸った、お前の魔力ごと吸えば美味しいか?」
裂けた様な切れ長の口が、うっすら哂う。
どの種族とも形容し難いその悪魔姿。
「僕の魔力は不純物では?」
「ははっ、違いないな…」
「ふふ」
笑い声が薄ら寒い。
ただでさえ凶悪な魔力の狩人が、あの姿に成ったのは…
僕に勝ち目は無いと、そういう事だ。
しかし、汗すら出ない。
どうやら、元々欠落している様だ。
「でも、僕の身体だけでは刀が保てない…」
片腕で支えていた人修羅の臍辺りに向かって、僕は
切っ先から刀を突き刺した。
「ひぎっ!!が!あああっあっ」
薄く開いていた眼が、強く見開かれた。
悲鳴が僕の鼓膜をくすぐる。
こそばゆい快感に震えながら、その刀身をねめつける様に抜いていく。
臍の緒を、ずるずると抜き取る様な…
生まれたのは彼か刀か。
だが、すぐさま飛び掛ってくる赤い悪魔が視界に映る。
抜き取ったばかりの、赤い刀身でその一撃を受け止めた。
焼けるような音がする。
「半人半魔の血で研ぐと…素晴らしい切れ味に成るんですよ?」
「揃いも揃って俺等の血を欲しがりやがる」
「貴方は彼を喰らいたいと一時たりとも思わなかったのですか?」
打ち上げる。
互いに弾きあった得物の隙間から、視線が絡み合った。
「だとしたら…悪魔失格、ですね」
「…ほざけ」
僕の肩口から、骨まで響く程に…相手の爪が潜り込んで離れていく。
刀を持つ腕を、千切れそうになりつつも振るった。
赤い悪魔の腕に、大きく一閃朱が奔る。
飛び退いた悪魔が、腕を持ちこちらに向き直った。
「そりゃあ、確かにヤバイ切れ味だな」
あの腕の支え方…恐らく切り離せたのだろう。
だが、ダンテは一瞬の内に傷が癒えると認識している…
ああしていれば、すぐにくっつくのだろう。
「ふ…少し、分が悪い、な」
筋まで分断された腕は、刀を握るままだらりと垂れ下がる。
ああ、これはもしかしたら、初めて死を感じている?
(へえ、これが…)
妙な感覚に、思わず口が綻ぶ。
「おい、俺は別に人間を狩る趣味は無え…」
完治した腕をひらりと動かし、僕に投げかける悪魔…
「ソイツを寄越せば、お前なんざ殺す必要も無い」
「…ク、ククッ」
「だが、嬲り続けるなら…お前は、人間失格だな、クズノハ」
「知って…いる」
生まれた時から、知っている、そんな事。
「なら、俺が狩る対象になっても、文句はナシだぜ…」
その鋭利な腕が、すい、と差し出される。
招くような動き。

「さあ、人修羅を、ヤシロを放せ」

欲したものなど…今まで在ったか?

烏を討つ…刀を僕に…!
未だ、生まれていないのだから…!
放せるか
終われるか
悪魔召喚師の、頂点に…!

外套に忍ばせた宝玉を齧る。
生に縋る、なんて愚かしい…僕。

「殺すと、公言している人に…渡すわけ無い…でしょう」
「…ほぉ」
「僕なら、生かせます」
「そんなにメッタ刺しにして、血を啜るお前が?」
「今の貴方では、この人修羅は死んだまま…」
赤い悪魔が、ピクリと引き攣る。
悪魔の表情なぞ、なんとなくだが。
「僕が、道連れに…夜道へ誘う……生き地獄へ、と…!」

羽を広げ滑空し、僕へと躍りかかる影。
身体を傾ける。
どうせ使えぬのなら、この腕は失くしてもいい。
最後に一度有効活用しようと、眼前へ差し出す。
人修羅を支える腕に刀を持ち直し…
『おい!ライドウ!!』
ゴウトの声が煩い。
嗚呼、折角烏の巣から離れたのに、好きにさせてくれよ、僕の身体なのだから。

その僕の腕が、僕から離れる…
そう思っていた矢先。
眩い閃光が奔る。
それは―――赤い悪魔の術か?それとも僕の視界か?
何かに、外套の裾を引かれる感触がした。




人修羅を支えたまま、外套を引かれて歩いていた。
貫通できる壁に、あの瞬間引きずり込まれた僕。
追って来たゴウトの向こう側は、まだ眩しかった。
(眼晦ましか…)
何故従っているのか?傍から見れば滑稽かもしれないが…
先刻の窮地から脱したのは、今裾を引くこの悪魔のお陰だったからだ。
暗い通路を、その悪魔に連行される。
「…このままついて行って、安全なのかな?」
引かれるままに、僕が哂って聞けば
その蝋燭を持つしゃれこうべが骨の手をさすり、早口で返答する。
『そもそもですねえ、アナタが従者の癖に弱っちいのが問題なのですよ!』
「…従者?」
意味が分からず、聞き返せば
その悪魔が振り返る。
『ええい!もっとしっかり支え持て!ヤシロ様がずり落ちていますよっ!』
「…」
いぶかしむ僕を察したのか、その悪魔は見つめ返してくる。
そして、ハッとなった。
『あ、アナタまさか…に、ニンゲンではっ!?』
その驚愕ぶり、僕を悪魔と思っていたのか。
『その管…まさかまさか、ではアナタがあの悪名高き…デビルサマナー!』
「…十四代目葛葉ライドウ」
『げえええっ!!ではもしや!きっ…貴様はヤシロ様を…』
「…」
答えず、哂って返した。
すると、その悪魔が額を押さえる。
『まさかまさか、もう契約を交わしたのですか?』
「いいや」
『…いやぁあああ!ホッとしましたよ!もし今貴様が交わしたと云ったのなら、私は貴様を殺しているところでした』
「…へえ、それは怖い」
(見た事の無い悪魔…)
知的好奇心が疼く、と同時に…功刀矢代への扱いの極端さ。
崇拝でもしているのか。
「なんと云う悪魔なのだ…」
僕が呟くと、その悪魔の持つ蝋燭が、ごう、と炎を揺らす。
『ニンゲンの分際で馴れ馴れしいですが、まああそこで悪魔狩人にヤシロ様を渡さなかった事だけは評価致しましょう』
その台詞に、どの辺りから見られていたのか察する。
恐らく、僕が人修羅をぞんざいに扱うところを見ていない。
『私はビフロンス、まあぁ貴様の様な下の者は“伯爵”と呼んで呉れたら結構で御座いますよ!』
「…くくっ、分かった、分かりましたよ伯爵」
なんておかしな悪魔だ…思わず笑ってしまう。
(ビフロンス…ソロモンの悪魔か)
『私はですねぇ、ようやくようやく!今回ヤシロ様が降りて来て下さって、本当に心の臓の奥底から歓喜している次第なのですよ』
「これは悪魔に成るのを拒んでいますが?」
『これではない!ヤシロ様だ!いやはや、それがヤシロ様ときたら…毎周毎周降りてきては結局悪魔に成らず仕舞い…これは私に対する焦らしなのかと、ますます焦がれる訳ですよ』
「…何故、強制的にしないのです?」
『嗚呼なんと愚かしい!そんな意志で完き悪魔に成れば、自我ごと崩落しましょうぞ!』
「…で、毎回見守っている、と?」
『もう私、ヤシロ様の事でしたらよく理解しているつもりで御座いますよ!ああ!早くその高貴な御方の下で、務めを果たしたいものです!!』

この悪魔…知っている…
人修羅の、此処で求められる真の存在価値を…!!
あの車椅子の依頼人が脳裏を過ぎる。
その割らぬ口が、此処から解けるかもしれぬ…

僕の心が、舌舐めずりする。

「伯爵…僕と、取引しませんか?」


魂の檻・了