いつもいつも
思い返せばボルテクスで、天使に良い思い出が無い。
教会の壁画に描かれた彼等は
敬虔な信者達を見下ろして、嗤っていたのでは無いか?
綺麗な顔をした奴程、内面に毒をはらんでいる。

「どうした?怖気づいた?」

黒い外套の綺麗な男が、俺の傍で哂った。


白銀の御使い



「誰が…っ!」
ライドウのおちょくった台詞に、俺は反論しつつ腕で眼前を覆う。
酷く、眩しい。
身体がその光だけで、蒸発しそうな程の眩しさ。
「胸糞悪い光」
ライドウがぼそりと呟いて、外套の端を掴んで同じく覆う。
その布地の下で、しっかりと刀の柄を握る姿が目に付いた。

『愚かなり…ヤシロよ』

俺の名前が、その光の向こうから発された。
身体がビクリと反応する。
が、眩しさに、俺は確認の眼を向ける事すらままならない。
「人気者は辛いな?」
暗く外套で陰ったライドウが、俺を見て冷笑する。
「知るか…っ、あれ、何なんだよ…!」
「君が呼ばれたのだろう?返事くらいしてやればどうだ?」
くい、と顎で指し示すライドウ。
俺に“行け”と云っている眼。
(早速使役開始かよ)
胎にふつり、と煮え立つ憎悪やらなんやらを押し込めて
俺は光に向かって叫んだ。
「俺の何が愚かなのか、教えて下さい」
光の何処に相手が居るのか、あやふやなので叫んだが…
エコーでも効いたかの様な声に、やはり確かな位置は掴めない。
『我等の忠告を、ことごとく切捨て…此処まで墜つる大逆無道』
どうやら、俺を敵視している。
「忠告?」
『進むでは無い、と…哀れなお前に道を教えたというのに』
そんな事、あったか?
俺は記憶を掘り起こしてみたが、そんな事を云ってきたのはダンテくらいだ。
他は皆、傍のライドウ含め…俺を此処に引き摺り込んだ面子しか居ない。
「誰です、姿も見せずに…偉そう、ですよね」
俺の困惑しつつも嫌悪を滲ませた返答に、傍のライドウが喉を鳴らす。
「おいおい、あまり挑発してくれるなよ」
でも、そう云いながら
抜刀を待ち望んでいる指先が柄を愛おしげに撫ぞっていた。
横目に呆れつつ見ていると、光が揺らいだ。
『我等に楯突く不穏な因子は排除するのみ…』
「!」
予感に、身体が自然と構えた。
『このメタトロンの言葉、崇高なる主の言葉と受けるがよい!!』
光が薄らぐ。
一瞬見えた、翼のシルエット。
はためくそれが、ギラリと反射して、こちらに向かって一閃する。
飛び退いた俺とライドウは、互いの距離を遠くした。
先刻の足場には、金属片の様な物が剣山の如く刺さっている。
「…氷が比較的有効か」
視線の先で、ライドウが鏡を煌かせる。
あの怪しい道具でアナライズしているのだろうか。
俺は追って飛んでくる攻撃を、走り続けて避けるのに必死だ。
(なんで俺にばかり来るんだよ!)
敵の標的は俺、という事か。
「功刀君、足下注意」
と、背後からの声に俺はハッとした。
眩しい周囲に紛れて、足場が見えていない。
案の定、スニーカーの先が地を捉えずにのめり込んでいった。
咄嗟に重心を変え、擦り切れたソールで踏み止まる
『落ちてしまえ!!』
しめた、と云わんばかりに、あの響き渡る声が背中に振動を与えてきた。
同時に、背を針で無数に突かれた様な痛み。
「いぎっ!!」
押される様に、前に倒れこむ。
足場の下に何が在るのか、考える暇も無く身体は落ち往く。
「ひ…っ!!」
ぐるり、と虚空に向かって翻り腕を伸ばした。
何も見えない眩さに、求める様に伸ばした俺の指先。
今更な恐怖に、情けなさが眼を強く瞑らせた。

「愚図」

がしり、と何かに掴まれた。
反射的に瞼を上げる。
「っ、ライ」
声に出した瞬間、刀の柄頭で喉を強かに突かれた。
「あがぁッ!!」
「足引っ張るの、止めてくれるかい?」
喉の痛みに悶絶しながら、薄く開けた視界に見える。
ライドウが、落ち往く俺を掴みあげた事実も痛い、悶絶だ。
『流石に二人は重いわぁ、ライドウ…ッ』
艶っぽい声に、俺はライドウの背中の向こうを確認する。
白んだ空間で不鮮明だが、ライドウの身体に巻きつく何かを見て感じ取る。
(こいつの仲魔か…?)
「アルラウネ、その苦しげな声音も中々そそるものが有るね」
背後に云っているのだろうか?ライドウのいかがわしい賞賛…
『んふふ、締め付けちゃうわよ?』
返事と共に、ライドウに巻きつく茨がしなる、引き上げられる視界。
どうやら、仲魔の茨蔦で引き揚げてもらっているらしい。
『ふ、人間の悪魔使いか…!肩入れするとは滑稽!』
あの声が嗤う様に叫んだ。
直後、がくり、と視界が揺れる。
『ライドウッ』
女性悪魔の声。
俺を片腕で支えていたライドウの背後から、千切れ飛んでしなる茨。
あの見えぬ敵が、ライドウを足場へと繋ぐ茨を断ち切った、のか!?
鮮やかな緑と真紅の薔薇が舞った。
「ちぃッ!!」
舌打ちのライドウが、俺を叩きつける様にして上へ放った。
「ぅあっ!?」
思いも寄らぬ流れに、俺は無我夢中で腕を伸ばした。
右腕の指先に引っ掛かる硬質な感触は足場。
急いで振り返った視線の先には、俺を放り出して宙に舞ったライドウ。
腕を伸ばしても届かぬ距離。
眼と眼が合う。
奴から伸ばされたのは、濡羽の様に艶めく刀身。
何を意味するか、俺は悟った。

絡んだ視線では引寄せられないから…

俺は何故か。
迷い無く、その切っ先を掴んだ。

「い…っ」

指を引き裂く薄い刃先。
それを更に握り込んで、息を吐く。
滑る赤い雫が、取り落とさせんと流れ伝う。
それに刃向かうみたくして、俺は左腕で刀の蜘蛛の糸。
下を見たく無かったのに、もう上だけ見てすぐ引き揚げるつもりだったのに。
視線を虚空に下ろす。
俺の指先から伝う赤が、ライドウの柄を握る指に繋がっていた。
どくどくする、心臓が。
見なければ、良かった。
何故、助けているんだ俺は。
でも、それなら何故ライドウは俺を足場へ優先させて放った?

答えはひとつ…
今は互いが必要だから。

「う、おおおおおおっ!!!!」

俺は、一層強く切っ先を握り締めた。
ぐじゅっ、と熟れた果実に齧りついた時の音が其処からしたが、気にしない。
右腕に力を込め、その床に亀裂が奔るまで喰い込ませ、引き絞る。
自身を足場上まで、一気に押し上げた。
左腕を、跳躍の天辺に来た瞬間振り被る。
赤い軌跡を描いて散らし、刀が俺の指先から離れていく。
傍を黒い塊が、鳥みたく飛んで往く。
光の中央へと、そのまま突っ込んでいく、口元には歪んだ笑み。
振り翳される刀は、赤く魔力を宿している。
それは、間違い無く俺のもの。
『ぐ、おおっ!!』
金属音。
それと肉感的な湿った音。
着地した俺は、すぐに態勢を整えて向き直った。
光が張り裂けて、視界がクリアになる。
なのに、未だに白むのは先刻に帳じり合わせする眼球の所為か?
「ライドウ!!」
『ライドウ!!』
傍の、女性悪魔も一緒に叫んでいた。
俺達の声の向かう先…そこには、圧倒される程に巨大な体躯の天使。
それを、あの男は斬っていた。
まるで、ロボットを思わせる機械的な身体の天使。
無機質な羽は、俺の背中に刺さったソレだろうか?
「流石人修羅、血は良いだけある」
くつくつと哂って、ライドウはひゅっ、と刀を通し斬った。
金属が悲鳴みたいな音を上げて裂ける。
『貴様っ』
天使は激昂し、腕を翳す。
それをライドウは仰け反り避ける。
二撃目が放たれる前に、俺の脚が駆けていた。
「相手を違えるなよっ!!」
ライドウの上を跳び、越えた先の金属天使にアイアンクロウ。
散った羽が、割れた硝子片みたいに俺の肌に喰らいついてくる。
『お前達、まさか手を取り合っているというのか?』
裂けた顔の天使が嗤う。
その頭に響く声に

「「違う」」

俺達は同時に叫んだ。
『主の威光に散れ!危険因子共め!!』
裂けた翼をギイギイと広げ、その天使は唱える、聞き取れぬ呪文。
唱え終わるその前に、ライドウは印を結んだ。
『気をつけてっ』
女性悪魔の声。恐らく隠したのだろう。
至近距離に居残る俺とライドウは、放たれようとしている何かに身構えた。
「情けない悲鳴は止してくれよ功刀君?」
「聴いて愉しんでたのは何処の誰だよ」
寸前に応酬するのは、別に余裕だからでは無い。
共闘の免罪符。
『神火に浄化されるが良い!』
天使の声すら呑み込むくらいに、爆ぜる音。
熱なのか、冷気なのか解らない痛みが身体を軋ませた。
先刻刃を握った指先から、ドッ、と赤が噴出した。
身体が引き裂かれそうな…正体不明の痛み。
「は…っ」
汗でなく、薄い赤が額から、前髪から滴った。
息を、とりあえず息を取り戻して俺は脚に力を入れた。
食い縛った歯が浮いてきたと同時に、近くのライドウに眼を向けた。
「…あんた、なんで、生きてんの?」
思わずそんな言葉が口をつく。
「ふ…随分な、云い方だね」
少し屈んでいたライドウは、すっくと立ち上がる。
黒い外套が、綻んでいた。
「とりあえず、浄化されずに済んだかな?」
ニヤ、と哂って印を結び直す。
傍に、茨で身体を包んだ悪魔が召喚された。
外見の露出に思わず眼を背ける。
「氷漬けにしろ」
『了解よ、ライドウ』
声の後、ヒヤリと冷気が漂った。
天使の声がしない。
俺は女性悪魔を視界に入れない様にして、そっと向き直った。
そこには、スクラップの金属みたく成ったメタトロンが在った。
ブフ系だろうか、ライドウの命令通り、キン…と凍っている。
「…やったのか、これ」
俺がぼそり、と云うと、ライドウがクスクスと哂った。
「肉体的にはね」
「どういう事だよ」
「天使の成りなんざ、入れ物に過ぎぬのだから…」
哂いながら、近付いてくる。
「指」
「え?」
「指、出して」
その無躾な口調に、思わず睨む。
が、指はライドウに差し出されている。
「…」
黙って、俺の指を見下ろすこの男。
俺はこんな時、嫌なイメージしか出来ない。
「ねえ、あの時どうして掴んだ?」
云いながら、ライドウは管をするりと抜いた。
蛍光に輝く光が、その管に吸い込まれていく。
恐らく…あの女性悪魔を帰還させたのだろう。
「どうして、って」
「骨までいってるね…コレ」
ライドウの細い指に、その赤く濡れそぼる俺の指が掴み上げられた。
奔る痛みに、眉を顰める。
「解ってんなら…触るなっ」
引っ込めようとした俺に、その学帽の下から訴える。
挿し込まれて、絡み取られる様な視線。
「ねえ、どうして掴んだ?」
「!!」
問い掛ける唇は、俺のその指を呑み込んだ。
熱い感触に、震えが奔る。
「何してんだ!この…」
声が、擦れる。
ライドウの舌が、傷口を刃の様に開いて、骨を撫ぜる。
痛いのに、熱さが勝る。
粘着質な音は、俺の頬も熱くする。
「ねえ…」
ぐちゅぐちゅと、熱とライドウの唾液と魔力が融解してる。
「う、っ…く」
「ねえ、答えろよ、命令…だよ?」
肌が近い程に感じる、ライドウのマグネタイト。
それが在ると、俺の身体は息を吹き返す。
どうしてだ?使役される悪魔は皆こうなるのか?
「指、抜いてくれっ」
「ディアより早いと思うが?」
言葉を挟みつつも、ライドウは指から口を離さない。
ぞくり、ぞくりと這い上がるのは…
嫌悪?
甘美な痛み?
この男の舌が触れる先から…
俺の肉が形成されていくかの様な錯覚。
「お、れは…っ」
熱い指先。
ライドウの探ってくる視線。
浮かされた様に、喉奥から這い上がってくる言葉。
「まだ、望みがあるなら、あんたを踏み台にしたいからっ…」
「踏み台を、引き揚げた訳?」
「利用価値有るからっ、あんたも俺を助けたんだろっ」
「当然…」
ようやく、熱い坩堝から引き抜かれるを赦された俺の指。
てらてらと、熱い雫を垂らしている。
「ほら、ディアより早い…」
ニタリ、とライドウが哂う。
確かに綺麗に生った指先を見て、俺は感謝どころか腹立たしかった。
助けられているのが、悔しくて…安心する…?
「天の使い程、信用出来ぬものは無い」
哂うライドウが、メタトロンの残骸をちら、と見て云った。
「ねえ、功刀君…天使を殺す術を、今から覚えておくんだよ…」
「…」
「これから、多く殺す羽目になるのだから…地獄行きは決定かな?」
「…っさいな!」
俺は未だ掴まれる指を振り払って、スラックスでごしごし拭う。
きっと顔は嫌悪感を剥き出しにしている。
「使役する悪魔の面倒は、主人である僕が看なければ…ね?」
云いつつ、俺の肌に刺さる金属の矢羽をぶちぶちと抜き取るライドウ。
「……あんたのそれ、優しさと違うだろ」
「フフ、愛玩動物の毛並みを整えると同格かな」
「自分で、出来るから…触るな」
「僕から流れているのが、解る癖に…ク、ククッ…」
思わず腕で振り払い、後ずさる。
光を失った周囲が、赤く息づく空間へと戻っている。
眼の前で哂うデビルサマナーに、俺は畏怖している。
「ほら、おいでよ…もっと近くに感じて御覧?」
「今、は…必要無いっ!!戦闘の時だけで良い!」
怒鳴って離れる。
奴が云いたい事は、解る…理解したく無いけれど。

契約してから…俺の身体は…
…ライドウに近い程、マグネタイトが俺に力を与え続ける。
だがきっと、それは有限。
奴が死ぬまで。

「…寄るな、よ」

そう、死ぬまで。

「いつも繋がっているなんて、甘美だね?功刀君…」

あいつも、解っている癖に。
どちらを繋ぐ鎖でもある事を。


白銀の御使い・了