マントラ軍本営
「いってええ〜!!」
『いちいちウルセーなオメー!』
担いだかと思えば、降ろし…の繰り返し。
赤鬼は自分の所属している本営基地に俺を運び込んだ。
あの地獄の病院から抜け出して、俺は荒野を呆然と見つめていた。
周りに沸いて出た悪魔にも逃げる事も出来ずにいた。
家は?学校は?
病院の外に行けば人が居るかも、と思っていたのに。
人すら居ない…
『ニンゲン』
『ニンゲンガ イル』
『マガツヒ…』
悪魔達にボコされると思ったが、なんだかヒソヒソ喋ってやがる。
逃げれるか…
頭が混乱しているものの、俺はようやく逃げの一歩を踏み出した。
しかしまんまと回り込まれ、羽交い絞めにされる。
でかい図体の角の生えた獣。
圧死するのではと、気が気でない。
「テメっ…降りやがれ!し、死ぬ…」
『ヤッパリ ニンゲン…』
『マガツヒ ケンジョウスルカ?』
『ツレテクゾ』
「やいっ、離しやがれ!おい!」
俺の叫びも虚しく、その悪魔達に担がれて
俺は長い長い時間を悪魔の上で過ごした。
角の獣に運ばれて…
よく分からん鳥みたいのに全身摘まれて…
(これは服が破けそうで、泣けた)
最終的にこうして、赤鬼に担がれている。
こいつは人語が通じやすいので、会話になった。
『お前、ボルテクス界になったのによく生きてたな』
「…べっつに、正直生きた心地しねぇから」
『ハハ!そうさなぁ!これからマガツヒ取られるんだしな』
「はあ…それって、痛いのか」
赤鬼は棍棒みたいな鉈を振り回してガハハと笑う。
『痛いなんってもんじゃね〜よ!超地獄!苦痛!』
とか言いやがるもんだから、更に頭が痛い…
恨めしそうな視線を送ると鬼はピタリと動きを止め
『な〜んつっってな!オレ人間じゃねえからなんとも』
と…なんつうか…
(悪魔って意味がわかんねえ…)
俺をなんでも<マガツヒ搾取>の為に
軍に運んできたらしいが。
俺から言わせりゃ「なんじゃそりゃ」な展開である。
同じ病院に居た矢代と橘はどうなった。
先生は巫女とか、運ばれる最中耳にしたが
事実か?
結局何も分からぬまま、俺は連れてこられた。
(喰いモンにされてたまるかよ…)
ムカムカする。
空腹があるのか認識出来ない。
ここの時間の流れは、元の世界と同じなのか?
(吸っている空気さえ酸素か怪しいよな…)
突然視界が暗くなる。
『ト、トール様じゃありませんかい!』
『その肩のは?』
『コイツが例の人間ですぜ!』
鬼がそう言いながら俺を地に降ろす。
ととっ、と何とか踏みとどまりながら
見上げた先には…
(な、なんだこの悪魔)
でけぇ。
何より威圧感が凄い。
炎の照り返しで、金色が更に眩い。
『人間…ニヒロの総司令と巫女だけと思っていたが』
「!」
やっぱり巫女って人間なのか。
俺は聞きたいことが山ほどあったが、ぐ…と声が詰まる。
なんでコイツ等悪魔に聞かなきゃ駄目なんだよ。
これから俺を良い様に扱うんだろ、なのに…
下手に出そうな自分が酷く腹立たしい。
いつのまにやら赤鬼は
『オレはこれで…』
とか言いつつ部屋を出て行った。
このトールって奴が上司らしく、やはり威圧感に負けたのか。
『どうした、何か言いたげだが』
金ピカ野郎が俺に促す。
『ニヒロの事が気になるか?もう考えなくて良いぞ』
「?」
『あそこは我々マントラが、程無くして潰す』
金ピカが言いつつ目を光らせた(ように見えた)
「ニヒロの…巫女」
『巫女がなにか?』
「タカオユウコ…って人間か」
俺は後先考えず、ただただ口を開く。
ここで確認しなかったら、いつ確認出来る?
ずっと搾取され続け、何も知らぬまま枯れ果てるのだけは嫌だ。
『そんな名だった気もするな』
「な…」
『フフ、なんだその目は…恐怖か?絶望しているのか?』
オレの眼前に拳を突き出す。
急な牽制に思わずよろめく。
『あまりに貴様がマガツヒを振るわすから、少々味わってみたくなった』
「は!?お、いっ…俺はなにもしてねえっての!」
もう泣きたい。
なんだよそれ、マガツヒって何かすると滲み出るのかよ。
覚えの無い事を理由にされ、今から喰われようとしたその時。
誰かが入ってくる気配がした。
俺も金ピカ野郎も、思わずそちらを見る。
「新田…!」
お、おいおい。
まさかの登場で、呆気に取られた。
矢代だ。
間違いない、でも…
なんだその身体。
息づくような光るラインに息を呑む。
お前人間じゃ…なくなった?
「や、矢代…だよな!? た…」
情け無いが、もう続く言葉はこれしか無い。
「助けてくれっ」
心の底から叫んでいた。
もしかしたら泣きそうだったかもしれない。
「先生が!」
違う。
そうじゃない。
「こんな事してる場合じゃない!先生が…」
ガツン
と衝撃がはしる。
俺は頭の中で耳鳴りがする感覚に襲われた。
「新田!」
多分、矢代の声がする。
『動くな!』
見えていないから推測だけど
金ピカが矢代を制止した。
俺はといえば…
「あ…ぅぐッ」
頭を掴まれているようだ。
でももっとこう、別の痛みが。
痛み?いや、脱力感?
酷い倦怠感にクラクラする。
真っ赤な…
真っ赤な蛍が飛び交っている。
俺に情緒なんて欠片も無いと思っていたけど。
そう思って酷く和んでいた。
小学校の時の蛍の観察を思い出しながら、
眠りについた。
『おい!おい…!』
同じ赤でもこいつは違う。
『いつまで寝てんだコノヤロー!』
あの赤鬼だ。
この低血圧な俺を怒鳴り声で起こすとは
なかなかだ…とか、俺は結構どうでもいい事を考えていた。
目が冴えている。
身体の痛みは残っているが、ひとつ希望が持てた。
矢代が生きていた。
そこで俺ははっとした。
「おい!矢代は…ここに来たもう1人の人間はどうなった!?」
『人間〜?』
鬼は頭をガシガシと掻き、首を傾げる。
『あ〜でも…人間くせぇ悪魔なら来たぜ』
「悪魔…」
『なんか、かっけえ入れ墨したモヤシ』
赤鬼の表現が正しいなら、恐らく矢代だ。
モヤシという程では無いが、結構痩せている。
鬼からすれば、そりゃあモヤシである。
「なあ、そいつって…どうなったんだ?」
赤鬼が饒舌なタイプで助かった。
俺はもう一押し!と更に聞き込んだ。
『どうって、そりゃオメー裁判だよ裁判』
「はああ?裁判?」
こんな無法地帯に裁判とか、正直笑える。
呆れを汲み取ったか、赤鬼は続けた。
『裁判つってもアレ、決闘裁判だぞ』
「は?けっとうって…決闘?」
なんだ、裁判ってのは害がそれ以上広がらないように
もっと平和的に行われるモンじゃねぇのかよ。
「まさか、それって戦って勝ったら無罪放免?」
『分かってるじゃね〜か、そうそうその通り』
…やっぱりイカレてんのかこの世界。
俺達、何もしてねえのに。
ん?何も…
「そういや、その人間っぽい悪魔はなにか此処でやらかしたのか?」
そうだよ!じゃなきゃ裁判にまずならねえ。
『何かって…結構したぜ?』
「え…」
『なんでも、取り押さえにかかったヌエを3体は殺したとか』
「殺し…」
『おかげでもう数体召集かかって、んで取り押さえたワケよ』
あいつが殺し…
そりゃ…悪魔でうろついてりゃあるわな…
でも、想像が出来ない。
何もイメージされない。
あいつがどうやって殺すんだ。
こんな化物達をどうやって…
あいつ喧嘩強かったか?
いや、そもそも喧嘩とかヤボな事してなかったな。
武道に秀でていたか?
いや、部活とか違うし。
習い事も特に聞いたことねえ。
頭の中でいつまでも、矢代が浮かんでは消えた。
<おい、ふざけんなよ新田>
よく言われた台詞。
怒っているのか笑っているのか。
不思議なトーンでいつも言われた。
ふざけんなよ…か。
確かに、俺は矢代をよく使っては
先生との接点を増やした。
でもそれは、矢代との接点も同時に増えていたという事であって…
『おい、おい!聞いてんのか?』
赤鬼の声が遠く聞こえる。
あいつ…どうなるんだ。
この後の裁判で、負けたらどうなるんだ。
「裁判って結果はいつ分かるんだろう…」
ふとついて出た俺の言葉に、赤鬼が張り切って答えた。
『裁判待ちじゃねえ奴は傍聴自由だぜ!』
「いや、傍聴っつーか観戦だろ…」
心底げんなりしつつ、言い返す。
『そう言われりゃそーだな!ガハハ!』
「おま、笑ってる場合じゃねえ!もう始まるんじゃないのか?」
興味本位ではなく、矢代がどうなるか気になる。
心配…だなんて綺麗な事は言わない。
さんざん<お友達ごっこ>してきた仲だ。
先生が気に入るだけあって、いい奴だが…
別に親友でもないし。
でも。
(あんな化物達と戦うなんて)
あいつがそのまま死んだら、俺はどうなる?
先生はどうなる?
…人知れず死んでいくあいつはどんな気分だ?
やっぱりムカムカする…
「おいっ!俺は観る!観るぜ」
赤鬼に牢屋越しに叫ぶ。
辺りに響いた俺の叫びが反響する。
『オメー観たいのか?やめとけよ』
珍しく赤鬼が真面目な面持ちになる。
『人間にはキッツイぜ?』
脚を踏み入れたとたん、空気が変わった。
陰鬱だが濃密な空気。
酷く殺気だっている場内。
『なにお前人間なんて連れてきてんだよ』
『しゃーねーだろ!観ちゃいけねえ決まりなんざ無えし』
赤鬼が周りの悪魔にどやされている。
俺はぞっとしながら離れる。
いい感じに空間が空いていたが、悪魔と並ぶ勇気が無い。
じっと見つめる俺を見て、その悪魔は
『隣なら空いているけど』
と呼びかけた。
俺は内心喰われないか…とか不安ながらも。
「ど、どーも…」
とかごもりつつ隣に並んだ。
生きた心地もせずに、ただただ待っていると
『被告人ヤシロは、速やかに闘技台へと移動せよ』
アナウンスのような声が響く。
本当に…入ってくるのかよ…
見るまで信じなれないのが俺だ。
いや、むしろ入ってきて欲しくないのか…
喉の渇きが酷い。
…
…!
周囲の悪魔がどよめく。
野次が飛び交う。
そこに現れたのは、脆弱な人間の形をしていたのだから
無理も無い。
「矢代…」
俺はどんな顔をしていたか謎だが
多分<喜怒哀楽>から<怒哀>を拾い上げた。
まさしくそんな感じだ。
武器すら持たない矢代をひたすら見つめていると
(あ…)
目が合った。
矢代もそれこそ「あ…」といった表情をしている。
しかしその後、苦虫を噛み潰したような表情に変わった。
なんだ?
なんだよ…俺、何かまずったか!?
更に俺を不安に掻きたてる。
別にお前が死ぬところを見に来たってワケじゃない。
むしろ…
「お…おい!」
震えてうまく声が出ない。
『そこの人間!静かにしろ!』
「っ…」
悪魔裁判官?らしき声が俺を遮った。
恐ろしくなり、身体がすくみ上がる。
そもそも俺は、矢代に何て声をかけるつもりだったのか。
それすら吹っ飛んでいた。
その後、裁判官の説明が続いた。
なんでも、イケブクロをウロついただけで死刑同然だとか。
本当にふざけてやがる。
これが本物の<ふざけんなよ>ってやつだ。
矢代との戯れに紡がれた言葉とは、色が違った。
あんな事を言われているのに、当の矢代は
ただ言葉を呑み込んでいるように見える。
怒りすら無いのか、ひどく落ち着いて…
正直俺は焦った。
まさか、無抵抗…?
じわじわ嫌な汗が滲んでくる感覚。
だが、それが滴り落ちる前に
柵越しの闘技台から、唸り声が聞こえてきた。
獣…?
『オマエニクダサレル ハンケツハ 死刑ダ!』
矢代の前ににじり寄る獣は、罵倒を浴びせながら唸る。
(なっ、なんだよアイツ…!でけえ)
ライオンなんかより一回り大きいその獣は
矢代にゆっくり、ゆっくりとにじり寄る。
『オレノ ココロを満タス死ニカタヲ カンガエロ』
喉の奥で笑うような唸り…
対する矢代は手を掲げ、目を閉じた。
雷鳴のような音と共に妖精みたいなモノが現れた。
矢代が何か話しているところを見ると、味方らしいが。
(いつのまにそんな事できる様になったんだよお前)
矢代がどのくらい人間なのか、俺には分からなくなってきていた。
同じように、悪魔と思われる奴等を呼び出したが
後ろの方に下がらせている。
自分だけ狙え、と言わんばかりの配置。
(ば、馬鹿…お前そんな事しないで、一斉にかかれよ)
やきもきしつつ見ていると、矢代が獣に飛びかかった。
「あっ!」
思わず叫んでしまった。
矢代がやられる!
そう、瞬間的に思ったから。
しかし、俺の予想は見事に裏切られた…
飛びかかった矢代は獣の眉間を片手で掴み、そのまま支点にし
ぐるりと相手の背に回った。
いきり立つ獣は牙をむき出しにし、矢代に喰らいつかんと
胴体をひねり、矢代を振り落としにかかる。
だが、矢代の方が早かった。
背から脚にかけて、殴りかかっていた。
(お前、素手で無茶な!!)
俺は、矢代の殴る腕を見た。
黒いラインの先に、淡い光が溢れている。
その紅い光が矢代のものか、獣のものか
俺には分からない。
でも殴られた獣の傷を見れば分かる。
矢代の素手が、凶器と同等のものだという事が。
だが一瞬---
動きを止めた。
(えッ!?)
その隙を捉えた獣が、矢代の脚に噛み付く。
(わあああああ!!!!)
自分がされている訳でもないのに
俺は錯乱状態だ。
脚がもげるのではないかと思うくらいに、矢代は振り回される。
床に打ち付けられる度、鈍い音が響く。
その悲惨な状況に
味方の妖精やら悪魔が、一斉に獣に向かって襲い掛かる。
しかしよほど腹に来ていたのか、獣は風に切り裂かれようとも
電撃に打たれようとも矢代を放さない。
その時、一角獣のような奴が冷気を放った。
柵を通じて、俺の手にも伝わってくる。
その冷たさに慄き、獣は一声あげると
首を振りきり、矢代を遠くへと放り捨てた。
壊れた人形みたいに。
周囲の悪魔が歓声を上げる。
もっとやれ
もっとやれと、野次が、怒号が。
矢代が、柵に激突し血を吐き散らす。
俺の、ちょうど目の前だった。
「ひっ」
矢代の脚を直視した俺は、息が止まりそうになった。
ササミ。
本当にササミみたいな感じだ。
でも血まみれの…
「うっ、うげ…っ」
その矢代に<頑張れ!>だとか、そんな感情は湧かなかった。
情け無いが俺は、こみ上げる胃液と必死に戦っていた。
一方、矢代が動けないところを狙い
獣がこちらに猛然と駆け寄る。
それを、味方の悪魔が必死に遮る。
「う…うう…」
柵の下側からの呻き。
矢代だ…
正直人間なら生きていない。
でも覚醒しきっていないのか、起き上がらない。
(まずいだろ、まずいだろコレ!)
いつまでも矢代の仲間が耐えれるハズもなし。
「や…矢代!おい!矢代!」
俺は、小声で最初呼びかけた。
しかし聞こえていない。
(このまま矢代が引き裂かれるのは…嫌だろ)
「矢代ぉ!」
『おい!卑怯だぞ!貴様ぁ!』
『誰かソイツをつまみ出せ!』
周囲の悪魔達が俺を指摘する。
このまま俺が
しょっぴかれて終わりかと思ったら
『散々野次を飛ばしておいて、今更静聴しろと言うの?』
誰だ…とその声のする方を向く。
隣の悪魔だった。
『随分身勝手だ…』
おいおい、お前そんな事言ったらボコされるぞ!
と思いきや、周囲の悪魔は口を閉ざした。
(ど、どうしたんだよ)
大人しくなった周囲の悪魔達に、恐怖する。
『強い者に従うのがマントラだから』
「!」
俺の心を読んだかのように、話を続けたその悪魔。
黒ずくめで…とりあえず見た事は無い。
『裁判はまだ途中だけど?』
含み笑いを潜めたソイツの台詞に弾かれたように
俺は再び叫んだ。
「矢代ぉお!起きろ!起きろよおっ!!」
乾いた喉は胃液で酸っぱかったはずだ。
でも、そんな事は麻痺していた。
『無駄ダッタナ…コゾウ!』
叫ぶ俺に言ったのか、獣が喚き立てつつ
こちらへ向かってくる。
獣が矢代の悪魔を蹴散らし、今まさに喰らいつこうとした時
気を失っていたはずの矢代が、上体を起こし
獣に向かって腕を突き出した。
「なっ!!」
『!』
俺も隣の悪魔も息を呑む。
その腕は、口を開けた獣の口内を突き進んだ。
慌てて後退しようとする獣を、矢代は
なんと抱え込むように更に腕を進める。
喉につかえる所為か、咬むこともままならず足掻く獣。
暴れる脚先の爪が、矢代を切り裂いても
矢代は捉えて放さない。
「ユニコーン!!」
それが矢代の第一声だった。
消耗していたと思われる一角獣が、ピクリと体を振るわせ
立ち上がる。
嘶き、体から光が放たれると
突き刺すような冷気が獣に向かって吹きすさぶ。
逃げる事も出来ぬまま、獣は背面足元から
パキパキと軋む様な音を立てつつ凍っていく。
それを確認したのか、矢代がズルリと腕を引き抜く。
良く分からない液体と血と、独特の獣臭さが辺りに漂った。
そんな腕先を引き絞り、今度は拳を握り締めた。
「脚のお返しだ…!」
凍る獣に一撃。
割れた音なのか、断末魔の咆哮だったのか。
つんざくような音を立てて、獣は飛散した。
パラパラと煌く氷解の塵に、場内が冷える。
温度的にも、空気的にも…
悪魔たちが慄く。
凄惨なとどめに、静まり返っていた。
(矢代…)
俺は矢代にいよいよ、なんて声をかければいいか
分らなくなった。
どうして、こんなになったんだお前。
この世界がそうさせたのか。
血のむせ返る臭いで、吐きそうな俺とは対照的に
それにまみれて勝者となったお前
(学校の体育しかやってなかったのによ)
あの清廉潔白なお前が…
殺す事を第一に考えて動いている。
なんでお前だけ悪魔になったんだ?
俺はお前にどう接すればいいんだ。
いや、違う…
違うんだ。
<先生を助けて欲しい>か?
いや…そうじゃなくて
俺がお前に求めていたのは…
『ヤクシニー!入れ!』
裁判官の声に我に返る。
まさか…
2戦目?
間髪入れずに!?
「おいおい!虐めじゃんかよコレ!!」
思わず悪態をつく。
俺の声に反応するように
妖精に傷を癒して貰っている矢代が、こちらを振り向く。
「あ…」
「…」
無言。
な…にか、何か言ってくれよ。
居た堪れなくなった俺がうつむく。
「新田」
落ち着いた、掠れてしまった声。
ゴホゴホと咽ながら、口を開く彼に
妖精が叱咤する。
まだ傷が塞がってないのだろうか。
何を言うのかと思ったら。
「そこ、危ないから離れてろよ」
「あ…」
俺さっきから「あ」しか言ってねえし。
なんだよこれ。
「それとさ、あんまり…」
「な、なんだ」
「あんまり見ないでくれ…」
「!…わ、悪ぃ…」
何故謝るんだ俺。
いや、何に対しての拒否なのかが分らない。
でも言える事はひとつ。
俺はようやくきちんと言葉を発した。
「お…お前!死ぬな、よ」
驚く矢代に追撃する。
「せ、先生と俺のハッピーエンドの為に、もっと役立て…よ」
思わず声音が震える。
俺…泣いているのか?
学校で、帰路で、メールで。
交わしてきた内容。
とてつもなく利己的な俺の言葉の数々。
非現実的なこの場所で、この状況で。
これを言う自分が
(元の生活に戻りたい)
と、どれだけ願っていたか初めて知った。
お前が…功刀矢代が死んでしまったら
そんな俺の心も消えてしまいそうで。
「おい…」
矢代が立ち上がり、口の端で笑う。
「ふざけんなよ、新田」
そのまま、向かいへと歩んでいく。
俺は、その言葉にどれだけ救われたか…!
教室で、信号待ちで、返信されたメールで
その言葉に俺は安心しきっていたんだ。
(俺…っ)
ようやく気付くなんて。
先生があいつを気に入っていたのがようやく納得出来た。
今更だろ…
人間の時に解れば良かった。
ごめんな…矢代…
次の決闘の相手は、場内が別の意味で活性化する風貌だった。
豊かな胸を隠しもしないで、刃を振るう。
俺ですら目のやり場に困る。
悪魔だけど、人型女性。
これも、さっきみたいに殺しあうのか。
(女性相手とか、これじゃアイツ絶対やりずれぇよ…)
嫌な予感が頭をめぐる。
『さっき…』
「ひっ!ビビッたあ…!な、なんだよ」
隣の悪魔が急に口を開くもんだから
体が反射的に躍る。
『オルトロスとの交戦中に、彼の一瞬動きが止まった』
「おるとろ…さっきの化物?」
名前なんて知らないので、聞き返すと
その悪魔は頷いた。
『動きを止めた時、彼は何を捉えたか分った?』
「い、いいや…全然」
『あの瞬間、お前を見ていた…』
「え…俺…?なんでだよ?」
『お前が気になって、動きが停滞した』
「…」
『お前にさっき言った台詞から…推測しないのかい?』
さっきの台詞…
<見ないで欲しい>
ってやつか?
何故?
「…残酷な事をするから?」
『ま、近いだろうね。思うに…お前が悪魔だったなら、見られても平静で居られたのではないかな』
「……ああ…そう…か」
悪魔に言われて気付くなんて。
これこそ今更ってやつだ。
矢代は、真面目な奴だった。
『表情で分らないのか?』
(嫌そうな顔は…確かに、最初目が合った時にしてた)
『殴る時も普通に見えるかもしれないけど、苦痛そうだ。肉体的にも…』
「精神的にも…って事か?」
『そのとおり、御覧』
悪魔の綺麗な指先を辿ると
ヤクシニーなる悪魔と交戦中の矢代が居た。
避けてばかりで、なかなか攻撃出来ない。
味方の悪魔は何故か減っている。
(仲間を減らした…!?)
『ヤクシニーの魔法が弱点だから、引っ込めた』
また俺の心を読むように、隣の悪魔が語る。
(下手な事考えない方が良いかも…)
ゾッとしつつ矢代に向き直る。
刃物を鳴らし、迫るヤクシニーの殺気は凄まじく
場内が異様な雰囲気に包まれる。
なかなか攻撃に踏み入れない矢代に、痺れを切らせたのか
妖精が魔法で仕留めようとする。
しかしヤクシニーは電撃魔法にかなり警戒していたようで
宙返りしてかわしつつ、妖精の眼前に着地する。
すくむ妖精は、振り上げられた刃の餌食になるかと思ったが
矢代が背後から飛びかかり、羽をかすっただけで済んだ。
「どこ触ってんのよッッ!」
ヤクシニーが叫ぶ。
なんと、矢代は反射的に手を退けてしまった。
『な!』
「バカっ!」
俺と、隣の悪魔ですら予想しなかった事態。
いくら女性型といえども、悪魔だろうが!
そのままヤクシニーは高笑いで矢代を切りつける。
胸部に紅いラインが通り、血が迸る。
「ぐうッ」
よろけて、しかし対象は見逃さず2撃目に備える。
「ピクシー!」
『ジオッ』
妖精の雷撃にヤクシニーは飛び退き、そして
意外な方向へと走る。
「ガラ空きだよ!!」
その先には一角獣がいた。
矢代がすぐに後を追うが、ヤクシニーは刃をしゃらんと鳴らし
「ザンマ!」
刃の先から刃が生まれたように、流れていく。
その疾風は一角獣をズタズタに引き裂いた。
白馬が鮮血に染まり、嘶きと同時に掻き消えた。
「くそっ」
間に合わなかった矢代を振り返り、ヤクシニーが笑う。
『甘ちゃんだよホント!アハハハハハッ!』
悪びれもせず、やってのける辺り<悪魔>らしい悪魔だ。
「矢代!そんな奴女性じゃねえよ!悪魔だよ!同じに考えるな!」
俺の声にヤクシニーがピクリと反応する。
『女性じゃない…とかぬかすのは、どこのクソガキだあああ』
髪を振り乱し、烈火の如く怒り狂うヤクシニーを見て
火に油を注いだ事を俺は後悔した。
『アンタを虐め抜く為にねえ!邪魔な奴等は消す!』
言いつつ今度は妖精を集中攻撃し始めた。
上手い事攻撃に転向出来ない矢代は、妖精を守りつつ逃げてはいたが
いよいよ妖精自身も消耗が激しくなり、矢代は手をかざし
妖精を退避させた。
「ええっ!アイツ何やって…!」
『攻撃出来ない責任を感じたのではないかと思うけど』
隣の悪魔の冷静な分析通り、かもしれない。
いい加減腹括って殴っていけよ!
勿論気分の良いものでは無いが…
『ほらほら!ほらあッ!』
ヤクシニーが勢いづいて、刃を躍らせる。
と、横一閃された太刀筋を
矢代は屈んでかわし、ヤクシニーの足元にぶつかっていった。
いや、それこそ何処触ってんだという感じだが
見事ヤクシニーはバランスを崩し、地面に尻餅をついた。
そこに矢代が突っ込み、馬乗りになった。
意を決した拳が振り下ろされようとしたその時
『きゃあああ!』
ヤクシニーが悲鳴をあげる。
「!!」
矢代の拳は、ヤクシニーの頭の横にめり込み
地面が割れる。
ヤクシニーは確信的だ。
女性の悲鳴で、反射的に拳を退けたのだ。
(あのバカ!!)
柵に爪が削られる位に、俺はしがみ付いた。
息が詰まりそうだ。
案の定、矢代は蹴りで振り落とされ
ヤクシニーが居たポジションに、逆になってしまった。
『どんな気分?』
「…」
ヤクシニーは刃を交差させ、矢代の首を捉える。
動いたら首がさっくりである。
『アタシはね、すごく興奮してるよ!』
両手は押さえつけられ、封じられていた。
悪魔だからか、女と云えどもかなりの腕力らしい。
そのままグリグリと、膝頭で矢代のみぞおちを
体重をかけてなじる。
「っつ…」
身動きが取れないところに、じわじわとかけられる。
その鈍痛に矢代は目を白黒させていた。
『アンタ、遠目で見た時から思ってたけど』
いきなりヤクシニーが矢代に頭を寄せる。
ぐっと刃の隙間が狭まる感覚が、緊張を生む。
『クク、カワイイ顔してる』
「!!!!」
心の中で俺が矢代の代わりに叫ぶ。
(おいおいおいおい!!)
ヤクシニーが、交差させた刃の上から
矢代に噛み付くようなキスをした。
いや、なんかキスとかそんなのじゃなくて
「っん、ん…ぐッ!」
顔を真っ赤にし、喘ぐ矢代。
空気を奪うような、苦痛を与える接吻…
恥か酸欠か、どちらで顔を赤く染め上げているのか。
矢代の口の端から、唾液がつうっと零れた。
場内がどっと沸きあがる。
ヤっちまえ!
ヤっちまえ!
ヤっちまえ!
(え…殺…?まさか…犯?)
瞬時にどちらか、とか考えてしまった低俗な俺の心を
また隣にいる悪魔が、ご丁寧に読んでくれた。
『犯せだと思う』
「ま…っじかよ」
耳を疑うコール。
えっ、逆じゃなくて?
矢代がヤクシニーに?
おいおい…
これが元の世界なら
童貞卒業おめでとう矢代君。
とか冗談めかして言えたものを。
こんな、大衆(悪魔だが)の前で
拷問に等しい。
「ひでぇ…っ」
それしか言えなくて、思わず目を背けた。
俺は、あいつがそんな事してるのも
ましてや、されるのなんて見たくなかった。
既に悪魔なのに変な話だが、あいつが…
俗っぽくなるのが、気分が悪かった。
『おい、見なくていいのか?』
「嫌なんだよ、あんなの…」
心を読んだり、つついてきたりとか
なんともお節介な悪魔だ。
と思っていたら、つんざけるような悲鳴が聞こえてきた。
女とは思えぬ、雄叫びに近い声。
『面白い事になってる…』
隣の悪魔は、さも愉しげに述べた。
ヤクシニーは床に転げ周り
のた打ち回るという表現が正にピッタリだった。
赤い液体を吐きながら
あーッあーッ
と悲鳴をあげ続ける。
「な、なにが…」
わけも分らず呆然とする俺は、矢代の方を見た。
彼は、持ち主の放置した刃を掴んで退けた。
(…えっ!?)
口の周りを、真っ赤に濡らした矢代が佇む。
小さな子供が食べ散らかしたように、べっとりと。
おもむろに横を向いて、プッと吐き捨てた。
赤い、塊を。
「まさか!」
明らかに
<舌>
矢代は。
ヤクシニーの器官の一部だったそれを
床に吐き捨てたのだ。
場内のコールはざわめきに変わる。
「俺を!」
一緒に行ったカラオケでも聞いたことがないような
大きな声で矢代が叫んだ。
鎮まる場内。
「俺を…見世物にするな」
唸るような声。
明らかな殺気。
矢代を取り巻く空気が変わった。
ヤクシニーに接近していく矢代。
我を忘れて、発狂したように叫ぶヤクシニー。
容赦無く振り上げ
降ろされる拳----
クラクラとしていた俺は
そのままぷっつりと記憶が途絶えた。
気付いた時には、あの牢屋…
赤鬼の赤い色彩に一瞬びくりとしたが
揚々と喋りだした赤鬼に胸を撫で下ろした。
『オメーぶっ倒れたんだよ!だ〜から言ったのによォ』
ゲラゲラと笑う赤鬼に、正直言い返せない。
あの時、凶暴な空気に負けて
俺は卒倒したんだ。
許容量はとっくに越えていた。
「あのまま、どうなったんだ?」
裁判の行方を知らない俺は、あまり心配せずに確認した。
『あのモヤシがトール様に認められたぜ』
やっぱりな。
あのままヤクシニーを殺して。
トールにも勝った、らしい。
『お、ちょっくら行ってくるわ』
赤鬼が呼ばれたのか、のしのしと扉へ向かう。
俺はぽつんと牢に残され、矢代の姿を思い起こしていた。
口を真っ赤に濡らした、修羅の如きその姿を。
あのまま、俺を前にしても
識別出来ずに、喰われるんじゃないのか。
そんな事を思い、身を震わせた。
『おい人間!オメーに面会だぜ!』
赤鬼の声に弾かれたように、顔を上げる。
「…よ、新田」
「!!」
その姿に反射的に身を強張らせたが
コイツはたじろがない。
体の所々が、破けたように傷ついた…矢代が立っていた。
「応援、ありがと」
そう言って自然にはにかんだ。
このナチュラルさは、本当に元のままだ。
血濡れの肉体以外は…
「い、いや、大した声援も投げてねぇけど」
俺は答えるしか出来ない。
自分から意見が出てこないのだ。
「見たろ、どうやって戦ってるか」
いきなり核心を突いた矢代に、心臓が縮む。
続けて言う。
「立派に悪魔、だろ…」
こいつ、自分で言っておきながら…
(傷ついたような表情すんなよ)
「矢代、俺はその…」
理由が無いと、上手く台詞すら浮かばない。
俺は、一番の接点である先生をここで使った。
「先生を、その力で助けてやってくれよ!」
なんて上手いんだ俺。
コイツを否定せず、思いやりあふるる良い生徒の回答。
「ニヒロが攻められたら…先生も終わりだよっ!」
懇願する俺。
(いや…なんか)
そんな俺を見つめ、クスリと笑う矢代。
「新田…お前そんなに先生の事、心配してたんだな」
相変わらずのお人よしで
「分った、ニヒロに戻ってみるよ」
と続けた。
(それが言いたいんじゃなくて)
「ああ…宜しく頼むぜ」
と、俺はそれだけはハッキリ口にした。
ニヒロへと旅立つ矢代を見
俺は頭が、真っ白になって
へたりと床に座り込んだ。
その背が、廊下の扉から消えた時
俺は床をガツンと殴った。
静かな空間に反響する乾いた音。
自分に…腹が立つ…
本当に、一番に助けて欲しいのは
先生じゃ……無い。
トールと対峙していた時に、叫びたかったのは
助けて!
俺を!
俺を助けて!
先生より何より、俺を。
この、地獄の世界から
(助けてくれよ…矢代ぉ…)
膝を抱え込み、涙を流す。
幼稚だって、解ってる。
ただ、矢代が
先生という接点無しで、俺の為に動いてくれるか
それを知るのが怖かった。
助けて!と言えば、助かるかもしれない。
でも、リスクを冒してまで俺の為に
矢代は動いてくれるのか?
先生という接点を強固にしたのは、他ならぬ俺。
なのに、今更…
先生より自分を!という自身にも嫌悪感が湧く。
でも、無理…なんだ。
俺は、俺はこんなに怖かったのか。
矢代に見捨てられるのが。
首を横に振られるイメージが、頭をよぎって離れない。
あいつは、そんなに薄情じゃない。
でも、でも…
<おい、ふざけんなよ新田>
この台詞。
怒ったような笑ったような不思議なトーンの声。
どちらか一方のトーンで聞く事になりそうで。
怒りに震える、俺を蔑んだトーンで。
寒くなった俺は、膝を抱きかかえて
沈むように眠りに落ちた…
マントラ軍本営・了