御留ロードハンティング・中編
『天使ぃ?そんなの背中見てテメエで確認しろや』
「だから、見かけなかったかを訊いているんですけど」
『堕ちたヤツならともかく、真っ白い羽で頭に輪っか浮かべてそうな連中なら、とっくにボコボコにされてるだろーよ』
ゲラゲラ笑ったレギオンは、云いながら短い触手で己の肌をベチベチ叩いた。
その反動に揺れる肉ヒダが気味悪くて、目許が引き攣ったのを自覚する。
複数の顔が蠢くその外見は、アマラ経路で再会した新田を思い起こさせた。
一つの口が会話をしている間にも、他の口は絶え間なく喘ぎや恨み言を発しているのだ。
「見なかったって事ですね、どうも」
情報が無いのなら、一刻も早く悪魔との会話は終えたい。
意味を為さない信号機の麓、レギオンから離れようとする俺。
『おぃあんちゃん、モノ訊いといて手土産も無しかー?』
ほら来た、これだから悪魔連中に訊ねるのは嫌いなんだ。
「情報が得られなかったので、対価を渡す必要は無いと思います」
『手間賃だよ手間賃、こうやって足止めてお喋りに付き合ってやったろ?ん?』
足なんて無いじゃないかよ、と、内心で咎めつつも一歩下がり構える。
「すいませんでした、暇そうに見えたので」
『…んだとテメェ!!』
魔貨も品物も所有していないのだ、渡せる物なんて無いのだから交渉が成立する筈も無い。
それならエネルギーを、と云われそうだったので、その流れはへし折ってやった。
どうせ戦いに発展するのなら、嫌味の一つでも吐かせろ。
『くたばれや!』
レギオンの複数の眼が見開かれ、閃光を放った。
光が物質の様に俺の身体を刺し、血管から心臓まで辿り打つ感覚が一瞬の内に。
呪殺の眼差しだったのだろう、確かこいつはそういう攻撃手段が多かった。
倒れない俺に、今度は違った意味で眼を見開くレギオン。
至近距離のまま、今度は此方から罵声と焔を浴びせた。
「お前がくたばれっ」
怒号と火炎が、肉団子をごうごうと燃やす。
ファイアブレスだけではトドメにならないだろうと思い、空中でぐらりと舟を漕ぐレギオン向けて脚を翻す。
蹴飛ばされたソレは、火達磨のまま数回バウンドして路上に転がって行った。
ヒクヒクと触手だけを痙攣させるレギオンは、スクランブル交差点のど真ん中で注目の的となる。
当然、俺にも視線が流れ込む。
「…先に手を出したのは、そっちですから」
吐き捨て、その場を去る為駆け出した。
(今のは殺人でも無い、相手が人間ですら無い)
道路への突き飛ばし事件を、ぼんやり連想していた。
あれは多分故意であって、今の俺がした事は…ボルテクスの頃と同じ事だ。
戦いだ、殺らなきゃ殺られる、ただそれだけ。俺はこの場のルールに、否応無しに従わざるを得ないんだ。
暫く駆け、雑踏も抜けた頃にじんわりと呼吸が乱れ始める。
マガタマを呑まされる以前なら、今の距離の半分で息が上がっていただろう。
「はぁ……っ…」
車の居ない道路は酷く不自然で、信号機の三色もいたずらに明滅を繰り返す。
ボルテクスと似た様な有様かと思っていたが、少し違った。
異界は、眩い光源が上空に無い。薄闇に包まれている空気が、湿っている。
あそこが延々と昼ならば、此処は延々と宵闇だ。
ボルテクスを反転させたかの様な色彩で、しかし居座る存在の殆どが悪魔という点は一致していて。
駄目だった。悪魔の中に居ると、悪魔に染まりそうなこの感覚。
ボトムの裾が煤に汚れているのを掃いつつ、細い路地裏で呼吸を落ち着かせる。
あの頃、俺はどうやって生きていた…
少しくらいで倒れる事は無い、だから回復はとりあえず不要。
それでも、此処は異界であってボルテクスでは無い。先刻通過した際にチラリと確認したが、泉は無かった。
傷薬…魔石、宝玉の類も、所有していない。万が一致命傷を負ったら、どうすれば良い?
(仲魔を作る…?いや、今の俺に召喚能力が有るのか?)
脚を少し開き、自身の内に渦巻く熱を斑紋が発散する。
項の突起に久しい痺れが奔ったが、空気が揺らいだだけで何も訪れない。
世界が違うからなのか、それとも既に仲魔など居ないのか、それさえも定かでは無かった。
『ちょっとお兄さぁん、ソコ退いてヨ』
唐突な猫撫で声に、ハッとして身構えれば。
白いレオタードのリリムと、ガングロのヘソ出しルックの女悪魔、しかも後者はかなりギャルっぽい。
『それとも、お客さんなのぉ?』
『なんか財布軽そーじゃん、ガキんちょだよこりゃ、ほっとこリリム』
『んま、失礼な事云っちゃ駄目よぉリリム』
『羽根のよーに軽いんだろ?だってこの辺カツアゲる奴多いっしょ?きっとやられた後だぜコイツ!キャハハ』
何だ?どっちもリリムなのか?姿形は違うのに…意味不明だ。
それにしても好き勝手述べケラケラと、けたたましい二体。反論するのも馬鹿らしく感じる。
自身の背後を見れば、何やら如何わしい雰囲気の入口が見えた。
水商売だろうか、しかも悪魔がやっているのなら、酷いぼったくりとかに見舞われそうだ。
かといって、人間が運営するそういう処に世話になった事も無いのだが。
『羽根といえば、ねぇさっきのぉ…』
『んぁ?ま…そだなー珍しいよねこんなトコにお天使様とか』
『羽根毟って、マラボ―でも作れたかなぁ〜真っ白なマラボーよ、いいわねよぇ』
横を通過するリリム二体に、掴みかかりそうな勢いで叫んだ。
「今、天使って云いました!?」
叫んだ後に気付く、もっと淡々と訊くべきだった、と。
血相を変えた様子の俺を見るリリム達の眼は、好奇に満ちていた。
『んー云った…かもぉ?』
『こんなトコでお喋りとかシケてるね、中入って酒でも飲みながら話そーぜぇ、ニーチャン?』
『アタシ達、此処の嬢やってるノ、うふっ』
不味い、俺が一気に足元に下ろされた。
欲する情報を握る側は、強気になって当然。散々ライドウにも味わわされてきた事じゃないか。
店の入口を改めて見る、階段を少し下りる構造…地下に入る形か。
非常口らしいモノも無く、これが出口も兼ねているとすれば…
乱闘になった際、一瞬で熱気が籠るかもしれない。
焔を繰り出せば、うだる熱波に滅入ってしまうのは此方の可能性が有る。
「何処で見たか、それだけ教えてくれたら良いんです…」
『駆け引き下手ねぇ、沢山お喋りするには話のオチをすぐに出させちゃダメなのよぉ?』
「俺はっ…別に貴女等と喋りたい訳じゃ」
『何ソレひっどぉい…ソーマのソーダ割り注文してくれなきゃ、もう教えな〜い』
『マジしらけるー』
ふい、と顔を背けたリリムと…リリム。
店内という密閉空間に押し込まれる前に、此処で無理矢理にでも訊いてしまうべきだろうか。
脅迫に近い行為は、ボルテクスで覚えが無い…訳は無い。
ただ、見るからに女性の形をした悪魔に…それは…
(気が引ける、なんて云っている場合なのか?)
所詮悪魔、コイツ等は悪魔なんだ…と、脳内で分別を簡易的にする。
リリムは確か…氷結に弱いのだったか。しかし俺は、その系統はマガタマを呑み直さないと放てない。
(戦闘になったら…殴るか?いや、殴るのは…やっぱり気分が悪い。焼くか…?)
攻撃の算段を始めて程無くして、感覚を鋭敏にした俺は思わず振り返った。
理由は、第三者の気配だった。
『ヤシロ様!そんな場末の!ひなびた社交場に足を踏み入れる事は御座いません!!』
ガクガクと顎を揺らして、貴族然とした服装のしゃれこうべが歩み寄って来る。
そいつの手にする燭台の灯りが、暗い路地をぼうっと照らし出す。
さっき、俺の名を呼んだ。確かに見覚えは有った様な…
『ちょっと失礼ねぇ、アナタは出禁よぉ』
『出禁で結構ぉッ!貴様等の様な蓮っ葉な連中!あぁああこの御方と隣り合う事すら許し難いぃ!』
俺とリリム達の間に割って入り、此方に向かって恭しく一礼する。
この悪魔…名前は忘れたが、確かケテル城で部屋まで案内してきた奴だ。
スカスカの骨の癖して、声がやたらと喧しいので印象深い。
『ささ、ヤシロ様、もう少し空気の良い処に行きましょう!』
燭台をすい、と揺らしたしゃれこうべが、どういう仕組みか吐息で灯火を流す。
鬼火の様に灯が路を作り、路地を明るくした。
「…貴方、ケテルの悪魔ですよね」
『そ、そそそそうで御座います!序列四十六番、伯爵めに御座います!よくぞ憶えておいででッ!このビフロンス、涙を流せる眼球が欲しかった!!』
そう、ビフロンス、だ。ライドウが数回だけ、そう呼んでいた事を思い出す。
ジロジロ見てくるリリム二体を警戒しつつ、照らされた路地の先を進んだ。
このビフロンスが何故此処に来ているのか、問い質すつもりで。
『挨拶が遅れました事を、先ずはお詫び致します!』
「挨拶はいいですから、どうして此処に居るのか教えて下さい」
『流石ヤシロ様!そうです一刻を争うのでしたね!あのデビルサマナーめをギャフンと云わせてやりましょう!』
「…だから、どういう経緯で此処に来ているのか……俺に協力でもしてくれるって事ですか?」
軽く振り返れば、漂う鬼火は後方から順に消えるらしく、既に先刻居た場所は暗闇だった。
『そ、そうでしたそうでした!閣下が御配慮下さり、仲魔を持たぬヤシロ様に加勢して差し上げなさいと!』
「加勢…」
堕天使の憂いだろうか、同情なのだろうか。それなら俺からさっさとマガタマを抜いて欲しい。
『いやはや、とは豪語したものの私めとセエレの二つ身だけでして…本当は魔の軍勢幾万を用意したかったのですが…ッ!』
おいおいと泣き真似の様なポーズを取るビフロンスは、先刻自称していた通り涙も無かった。
そのしゃれこうべの虚の眼が、何処を見ているのかという俺の判断を鈍らせる。
「…セエレ?」
『序列七十番、魔の君主の事デス。んまぁ多少ナヨナヨしておりますが、一応軍勢を率いてベルゼブブ様の蠅騎士団に所属しております。居ないよりはマシかと!』
路地を抜けた先、行き交う悪魔の中で真っ直ぐに此方を見てくる双眸。
その悪魔が跨る黒馬は妙な艶を発していて、まさに無機物の色だ。
『伯爵、酷いよー…居ないよりマシだなんてー』
カツリカツリと歩道を横に横断してくるそいつは、当然往来の妨害になっていて。
『何処見て歩いてんだクソが!』『喧嘩売ってるの!?』と、悪魔達に罵声を浴びせられていた。
それを物ともせず…というより、気付いていないのかという安穏とした足取り。
悪魔とお近づきになりたくも無いが、それ以上に他人で居たくなるその有様。
『それに騎士団所属とか…そんなの皆所属してるでしょ…お城に居る悪魔は…』
『余計な事を云うのでアリマセン!』
『“お茶汲み”と“運搬係”が参上しました、って云わないの…?うーん…云いたくないの…?』
『ほげえええええだから貴様はぁッ!』
成程、与えられたハンデは程々らしい。
俺だって、ライドウ以上に悪魔を従えて勝負する気は無い。コケにされているのはどっちだ、という話になる。
『云いたくなかったんだ?ごめんね…』
目の前まで来たセエレとやらは、アルビノの様な外見をした長髪の青年。
女性体よりはマシだったが、どうして悪魔は露出度が高いのか…と侮蔑を吐きたくなって、しかし止めた。
ボルテクスを彷徨っていた俺の姿を思い起こし、もう考えない事にした。
『コンニチハ、ヤシロ様…』
挨拶を返したくない俺に、どういった反応をするのか暫し睨んで待ち構える。
セエレの跨る黒馬にはメリーゴーランドのソレみたく、ポールが突き刺さっている。
そのポールにしな垂れて、まるでそういうダンサーみたいにくったり身体を捩らせ俺を見つめる。
『こないだ、お部屋まで乗せたよね…憶えてる必要、無いけど…』
ぼんやりと記憶していた。ケテル城で、俺に用意された部屋は一番高い場所に在る。
だから地上から一気に昇るには、この悪魔の力を借りた…その方が早い。
でも、こうしてまじまじと真正面から見たのは初めてだったから、俺は敢えて何も返さなかった。
『雑用係二人だけど、ヨロシクね』
「…話は聴いてるんですか」
『うん、天使捜すんでしょう…?ボク、捜索は得意だから伯爵よりは役に立つよ…』
おっとりと優位を示すセエレの言葉に、傍らのビフロンスが顎を外しそうになっていた。
上空だからといって、風が吹き抜けている訳でも無く。
この空気の停留は、ボルテクスと似ていた。
セエレの馬に跨って、高い位置から見下ろす池袋は新鮮だった。サンシャイン60の展望台からとも違う景観。
(蠢いている影や光は、全部悪魔なのか…)
公共機関の光が少ない、という違いしか見付けられなかった。
人間社会の裏側で、同じ様に生息している事を目の当りにして…薄ら寒い。
『ヤシロ様、寒いの…』
「構わないで下さい、自分の管理くらい自分でやりますから」
寒さというよりは、下界の様子とこの高さに震えた。
振り落とされても、恐らく死にはしないが…致命傷だ。
『ポール有るから掴まり易いでしょ…』
「そうですね、悪魔にしがみ付かなくて助かります」
『あっち見てヤシロ様、あの大きな通りに魔力の壁が有るの、判る…?』
俺の嫌味も、先刻の通行人達の様にスル―かよ。
指し示す白い指の先は、悪魔らしい黒い爪だ。手首には、棘状のスタッズがぐるりと付けられたレザーバングル。
その手で薙ぐだけで攻撃になりそうだ、と思いつつ遠方を眺めた。
『まずね、張られた結界の範囲を見るの…相手の行動範囲を頭に入れる…』
流石は堕天使といったところか、鮮明な壁を感じる。こんなに遠くに居るのに、意識を集中すれば視える。
(北は春日通り…南は東京メトロ副都心線まで、か)
こうして見ると、案外範囲は狭い。人間界を含めると、実質範囲はこの倍なのだが。
『それでね、捜し物の行きそうな処を連想してね……物なら何処に流れ着くか…生き物なら何処に隠れるのか…考えるの』
「擬態でもしない限り、こっちの世界じゃ喧嘩売られるでしょうね」
どこぞの人修羅みたいに。
『そうだね、かくれんぼ下手だと、羽毟られちゃうね…』
「でも、そんな事云ってたら建造物多いし…ビルの中全部探し廻れって事ですか」
『そこで聴き込みだよ…ヤシロ様』
「貴方、生粋の悪魔なのに《何処に居るのか分かる魔法》とか持ってないんですか」
『ヤシロ様…悪魔はね、欠点だらけなんだよ…ボクはその天使達と接点無かったし、予測して飛ぶくらいしか出来ないよ…』
結局そういう地道な作業になるのか、と溜息した。
会話可能な悪魔も限られるし、穏便に会話を済ませる事も神経を削られる。
かといって、毎回武力のやり取りになっては疲弊してしまう、最悪だ。
ビフロンスが回復の術を心得ているらしいが、そんな問題では無く、日が暮れてしまう。
『んん…でも割と早く一人見つかるかも…』
項垂れた俺に降ったセエレの声に、ふと面を上げる。
目の前にはさらさらと、この悪魔の銀糸の髪が揺れるだけで。
「こんな空の上で?」
『だって、天使は飛べるよ…ヤシロ様』
あっさりと返され、俺が沈黙した。失念していただなんて、恥ずかしくて打ち明けられない。
だって仕方が無いだろ、俺は飛べない。
『高い位置まで飛べる悪魔、そう多く無いから…もっと上の、建物の影とかにひっそり寄り添ってるかも…』
駆けるヒヅメの音も無く、暗がりの中を飛ぶ。
いくつかのビルの窓明かりを通り過ぎて、オフィスで働く悪魔共をイメージしてしまった。
そんな人間らしくされて、堪るか。
『ヤシロ様…』
「あ、っ」
俺とセエレと、ほぼ同時に声を上げた。
ホテル・グランドシティの天辺、十五階。沿う様にして飛行し、角を曲がった瞬間だった。
燃え盛る車輪と、鉢合わせしたのだ。
「でも、あいつは羽が無い」
『ローブの下だよ…ヤシロ様』
轟々と炎を纏った車輪は、俺達を見るなり動きを速めた。
その逃走の姿勢に、反射的に急かされる。
「追って下さい!」
『はい、行くね』
ぐぐっ、と棹立ちした黒馬。俺の座っている後方が窮屈になり、その後すぐに解放される。
地を往く方が本来好都合なのか、空をふわふわ転がるソロネには、すぐ追いつきそうだ。
が、いよいよ攻撃を考え始めた距離まで迫った俺は、疑問を投げかける。
「何か魔法使えないんですか?火炎以外で」
『残念ヤシロ様、ボクはアギ系しか使えないよ…』
盲点だった、まさかこんな上空で攻撃手段に悩まされるなんて。
『因みに、下で待ってる伯爵も、アギばっかでーす…』
あのローブの中に翼が隠れているなら、それも燃えてしまうだろう。
そして、知識が無くても判る。燃え盛る悪魔に火炎を喰らわせる奴は居ない、まんまと吸収される。
セエレの台詞にげんなりしつつ、縮まる距離にもどかしさを感じる。
追いつかなくては…しかし接触する際の攻撃手段に悩むばかり。
下手に暴れられない、馬上で出来る動きなんて限られている。
(マガタマを替えるか?)
いや、替えたところで俺の魔法が的確に放たれる保証は無い。
俺は火炎以外の魔法はいまいち掴めておらず、暴発し易い。此方の手数が多く無い状況で、使用したくない。
もっと、一撃が重い何かを…
(魔弾だろうか)
遠距離からでも届く、そして比較的狭い範囲を狙える。
ただし、集中しないと本当にミスし易い。当たる範囲が狭いのだから、当然と云えば当然だったが。
「…今の距離を保って、なるべく軸がブレない様に位置取り出来ませ――」
『ねえ待って…向こうから何か来てる』
訴えを遮られ、云われたままにソロネを通り越して向こう側を睨む。
薄っすらと、ソロネとは逆の色に輝く鳥が滑空して迫る光景。
『フレスベルグ…』
「どうして…こっちに向かって来るんだ」
『ボク達じゃなくて、明らかにソロネを狙ってるよね…』
「悪魔って、得物を横取りするのか…!?」
『うーん……あっ、ほら…背中つついてる…』
フレスベルグが、ソロネの背面を狙って絶妙な飛行をする。
あそこまでアクロバティックに舞われると、車輪に磔のソロネには酷く厄介だろう。
車輪の炎と怪鳥の冷気と、ジリジリせめぎ合いつつの攻防。
と、一瞬ばかりの差で捲ったフレスベルグが、背面からソロネの肩に爪を喰い込ませた。
「あいつッ、やっぱり羽狙ってるんだ!」
鋭い嘴がローブを引き裂き、続いてゴリゴリと何かを咥え込み始めていた。
翼の根本から、頂くつもりなのか。
『あらら…羽の一部が必要なんだよね?それじゃあマズイよね…』
なんて迷惑な悪魔だ、これでは魔弾の狙いも定められないではないか。
こうなれば、ひとまず邪魔なヤツを排除する他無い。
「フレスベルグの方は、燃えますよね…」
胎から魔力を紡ぐイメージで、腹式呼吸の様にフーッと繰り返す。
焔の精度には自信が有る、溢れ出す様なマグマ・アクシスよりは、ファイアブレスの方が適切だと判断。
俺の攻撃的なMAGが触ったか、セエレが振り返り身を捩る。
『早くしないと、持ってかれちゃうよ…』
「…急かさないで下さい、やり過ぎない様に…調整、してるんです…っ」
『あっ、ほら…メリメリいってる』
「黙ってて下さいっ!」
叫んだ直後、一気に吸い込み胎に溜めて、吐き付けた。
喉が焼け付く様で、項の先端がビリビリと痺れる。人間離れした技は、俺を確実に毎回削る。
『キュウウウッ』
フレスベルグは雄叫びを上げつつ、そのまま逃げるか墜落でもしていくのかと思った。
すると、燃えながらも更に嘴を突き立てたのだ。
『わぁ、まだやるんだ…根性だね…』
「はぁ…はぁ……くそっ、これ以上強く吐いたらソロネに当たる」
呻いて轟々と踊り狂う車輪、最早狙いを定める事は不可能に近い。
メキメキ云わせ、片翼をとうとう咥え千切ったフレスベルグが若干フラつきながら飛び立とうとしていた。
目の前で獲物を奪われ往く光景に、今しがた沸騰させた胎が再び煮えてくる。
(逃すか…何処の悪魔か知らないが、横槍入れやがって)
セエレの肩を強く片手に掴み、空に身を乗り出す。
「絶対拾って下さい、いいですか、絶対だ!」
ほぼ恫喝に近い口調で念押しして、馬の胎を蹴って跳ぶ。
今まさに飛び立とうとするフレスベルグに片手を引っ掻け、ぶら下がる。
ギャアギャアと喚く嘴から、凍てつく呼気が降りてくる。
喰い込ませた指先に感覚が失くなるが、痛みが鈍るなら好都合だ。
「寄越せっ」
下肢を大きく振り上げ、怪鳥の首を両脚で挟み込む。
逆さのまま締め上げつつ、空いた腕で翼を探る。
嘴からソレを引っこ抜くと同時に、俺は脚を開く。
一気に流れる様々な光の中、黒光りする馬の影が過ぎって、俺より速く下降していくのが見えた。
次の瞬間、ぐらんと身体が横になり、まともに重力を感じる状態に戻った。
「っ、痛ぅ…ッ!」
『おかえりなさい、軽くてびっくり…半分人間だから…?』
どの様に拾われるか、あまり考慮もせずに飛んでしまったが…
横抱きであっさりと抱き留められるとは思わず、酷い違和感と救われた羞恥に見舞われる。
細身の陶器みたいな身体とはいえ、こいつもやはり悪魔という事だ。
『凄いねヤシロ様、羽だけ奪っちゃった…』
「奪ったんじゃない。元々、ソロネは俺で始末する予定…だった」
顔を背け、空を見る。既にソロネもフレスベルグも見当たらない。
あの一帯を早々に離脱したという事か…流石にわざわざ命じるまでも無いらしい。
それもそうだ、セエレも俺を抱えたまま交戦する事は避けたい筈。
『ソロネはふらふら落ちていったよ…フレスベルグは途中まで追って来たけど、折り返して何処かに行っちゃった…』
「…云った通りにして貰えて助かりました、どうも」
簡単に上辺の礼節だけは作って、早々に腕の中から俺も離脱しようとした。
引き千切られた翼を片手に、悪魔の腕から一刻も早く抜け出たい。
馬のポールを掴んで、また後部に跨ろうとすれば…背と裏脛にズキリと痛みが奔った。
これは、打ち身の痛さとは明らかに違う。自身の背面を、首を捻りつつ確認した。
『あ、ごめんね…コレ刺さってたんだね…』
セエレの手首に備わる、大ぶりな金属棘のバングル…棘が赤い体液でテラテラと輝いている。
受け止められた際に、思い切り俺の肉体に刺さっていたという事だ。
「くっそ…どうりで妙に痛いと思ったら!」
『凄いね、これ武器になるんだね…ボク、殴る事は基本無いから、新発見だ…』
何が「凄い」だ。こちとら凍った片手以外は、痛覚がマトモに働いているというのに。
『伯爵にディアしてもらう…?』
「次に合流する頃には、この程度治癒してるから結構です」
『可哀想』
「…誰が?」
『ううん、なんでも…』
セエレのぼうっとした口調は真意を掴みかねるので、あのデビルサマナーと違った意味で苛々する。
しかし、命じた通りにキャッチされていなかった場合、俺はどうなっていた?
五体満足とはいえない欠損ぶりで、交差点のど真ん中に不時着する羽目になっていただろう…
そう思えば、この黒馬の無機質な座席も「座り心地が悪い」などと云っていられない。
悪魔の体液に塗れた翼を、ようやく感覚が戻ってきた手先でブチブチと探る。
一番、MAGが溜まっている所で…クッと指が引き留められる。
小翼羽をブチリともぎ取って、残りは空に放った。
(そういえば小翼羽は片翼にしか無いとか、ルシファーが云ってなかったか?)
無我夢中で横取りされる前にと奪い取ったが、運良く此方側の翼に有ったという事になるのか。
(それとも…あのフレスベルグは、どちらに小翼羽が有るのか嗅ぎ取っていた?)
いや…まさか、多分偶然だ。
『残りは何体仕留めれば良いの…?』
降下を始めつつ、セエレが軽く頭を振った。
毟った羽が髪に纏わりついて、それこそマラボーの様だった。
「もう四体で充分です」
『…そんなに少なかったっけ…』
「俺が全部狩ると思ってたんですか?面倒事は御免です…目標は五体分。五枚の小翼羽を得たら、後は適当に捜すフリして時間を潰せば良い」
呆れてくれるか?さあ、嗤ってみせろ、悪魔らしく。
悪魔としての俺に妙な期待を抱かせまいと、後ろ暗い心が挑発させた。
すると、振り返るセエレの横顔は何の変哲も無く。
『じゃあ五枚集めた後は、皆でお茶でもしよ…伯爵がね、凄く拘るの、茶葉とか食器?とか…』
「………はぁ」
『ヤシロ様、まだ味覚残ってるでしょう?半分人間だもんね、お茶だから風味が楽しいよ。お砂糖だっけ?それも無くても良いね…』
俺が呆れてしまい、開いた口が塞がらなかった。
『もっと呑んでけばイイのにぃ』
「魔貨なら呑んだ以上に払ったろう?時間は買えないからね」
『ねぇお兄さん…また、来てくれる?』
「気が向いたらね」
悪酔いする安酒だった、舌で軽く舐めただけで判る。法外な値段設定のソーマも、恐らく相当希釈されたものだろう。
安酒の方で酩酊させて金をふんだくる、という体か。
同じぼったくりでも、アマラ深界の思念体達が勧めてきた酒の方が美味しい。
天使の情報が引き出せれば、もう用は無い。今は性的欲求よりも、他で遊んで充たしたい。
『ねーソレ、管ってヤツ?』
「そうだよ、よく知っているね」
『やっぱクダギツネとか入ってんの?』
「残念、狐は容れ無い予定さ」
扉を開き、小ぶりな階段に爪先を置く。
両肩にリリム達がしな垂れて、左右の耳に吐息と囁く。
安酒独特の甘い香りと、悪魔のフェロモン。
『この通りに、同じボスがやってるお店があってぇ…』
『ソッチだともーっとサービス出来るんだけど、どうよ?』
『イチャイチャ以上よん』
『ニーサンの管、しゃぶったげよっか?』
さり気なくチャームを仕掛けてきている、視線は合わせぬが吉だ。
万が一眼が合おうとも、心を許さぬ限り防衛は可能なのだが。
その際の僕の眼は、異様に冷たいだろうから。
せめて夢見心地のまま別れさせてやろうと、外套ごと払った。
紙幣状の魔貨を数枚、胸のホルスター裏から引っ張り出し、リリムのレオタードの脇に突っ込む。
浅黒い肌のリリムには、挟めそうな上着も胸も無いので、ボトムの裾にねじ込んだ。
「管は巻くだけで充分だろう?酔っ払いの口に突っ込みたくは無いね、噛み千切られては困るのだよ」
カツカツと路地に上り、柄頭に掌を暫く乗せたまま、店を離れた。
悪魔の店は利用するのにコツが要る、しかし、手玉に取ってしまえば楽に得られる。
あんなはした金で済むのなら、手早くて良い。
元より十割十分信用してもいないので、得た情報が偽物だろうが痛くも無い。
ただ、彼女等は“次”を欲している。となれば、ある程度価値ある情報を僕に流した事だろう。
基本的には御褒美欲しさに、悪魔も人も動くのだから。
『ピイイイイッ』
聴き慣れた咆哮に、帽子つばの下から覗く。
街灯りを反射する青黒い空の中、鳥の影が大きくなってきて、目の前まで滑空してくる。
外套から腕を差し出せば、空気を巻き込みながら其処に留まった。
「おかえり、派手にやられたな」
『ウゥ……ブンドラレタ…折角見ツケタノニィ!咥エテタ所ヲ、持ッテカレタァ!』
「フフ、良いよ気落ちせずとも…単独捜査は難しいものさ。お前が迷子や死滅さえしなければ、僕に迷惑は掛からぬからね」
フレスベルグの羽衣は、見事に焼け焦げて。本来は霜を纏った様な艶の翼が、酷く黒ずんでいた。
融け落ちた表面と脚の一部を、MAGを流しながら撫でてやる。
獣に近いコレとイヌガミは、この処置を非常に悦ぶ。
「先刻の仕返しかな?これで一枚ずつだね」
いいやそれとも、僕の仲魔だとすら気付いて無いかもしれぬ。
会話でもしなければ、人修羅にとって悪魔は悪魔、全て同じ存在なのだろう。
『ソウソウライドウ、ソノブンドッテキタ奴ッテノガ…』
「みなまで云わずとも、分かっている」
重たい片腕を掲げ、爛れたフレスベルグを暫し観賞した。
嘴周りは避けてあるその火傷の様子に、アレも少しは引火の可能性を危惧したのかと想像し…
何やら滑稽で、裏路地の中で声を上げ哂ってしまった。
御留ロードハンティング・中編・了
* あとがき*
キリ良い所で纏め、中編にしました…長くなってきたので。
セエレは徒花シリーズ以外での登場は、初めてでしょうか…
相変わらずのマイペースっぷりで、違った意味で人修羅を苛々させます。
伯爵は長編第一章でも出ていたのですが、かなり久し振りですね。
ライドウのフレスベルグは、ニーズホッグと戦った際に登場しております(2-15「死の舞踏」)