「私、同じ夢を何度も見るの」
 私を占い師か何かと勘違いでもしているのか、とりあえず好きにさせた。
 この様な手合いは放っておこうが、恐らく勝手に話を進める。
「背の高い建物……あれは多分、都庁舎だと思うの。入口前で十字架に磔にされてる私は、処刑寸前」
 意外と突拍子も無い内容に、続きを待った。
「でも心配ご無用、いつも助けてくれる人が居るの」
「……自分を悲劇のヒロインとでも思っているから、そういった夢見なのでは」
「氷川さんもそういう冗談云えたんだ、案外俗っぽいのね」
 何故そこで嬉しそうに笑う。
 彼女は此方の反応も待たず、夢に出てくるという王子様の話を続けている──……


てのひらのタワー



 (夢の話を聴く夢、か。)
 ブラインドの隙間からは、人工的な薄い光が滲んでいる。どうやら太陽は、まだ姿を見せていないらしい。
 軽く身じろぎ、節々の調子を確認する。身体の軋みはだいぶ落ち着いた、頭蓋を圧迫する様な鈍痛も無い。
 手首に巻いたままの数珠を、ベッドシーツの上で一粒一粒確認する。脈に近い位置を抉る様に、掌を渡り指先に、爪先で球の間を刻む……
 指が止まっていた。幾つ目まで数えたのか、記憶さえ無い。弛緩も集中も出来ないとは、我ながら情けない。
 そうとなれば、凝り固まった部分を解くのみ。この不快の要因と思われる、夢の中身……あの女について整理するとしよう。
 
 
「それパワーストーン?」
 不躾に訊かれ、親切に教えてやる程の人間ではない。
 相手は最近入会してきた女子だ、名前を憶える気は無かった、どうせすぐ辞めるのだから。
「あ、思ったよりちゃんとした数珠だった。球幾つ? 略式ってやつなの?」
「……誰の紹介で此処に」
「違うの、私ちょっと事情が有って……ねえ氷川さんで間違い無いよね、貴方」
「このサークルの氷川は自分だけだ、しかし最初に云っておく、個人的な事情は勘弁願いたい」
「あらら、取り付く島もない……でも正直に云っておきたいから! あのね、私の友達が貴方に大変興味関心が有りまして」
 またこれだ、不真面目で面倒。個人対個人ならまだ宜しい、こうして集団を巻き込む輩が、一番厄介。
 だが、こうして間接的な接触を試みてくる例は初めてだ。
「仲介の為に、他人である君がわざわざ入会する必要も無いだろうに」
「でも氷川さん、出逢いの為に入会してくる女の子なんてイヤ〜ってタイプでしょう」
「当然」
「ほら予想的中。でも彼女、貴方がどういう人か知りたいみたいだったから、私がこうして調査してる訳です」
「なんてくだらない、君の野次馬気質も動機の一因だろう、十割友人のせいにするのか」
「確かにそれは、でも私だって元々オカ研に入りたかったし」
「超心理研究会」
「オカルト研究会の方が云い易いのに」


 この突如襲来した嵐の名を、高尾祐子といった。
 良くも悪くも〈調子の良い女子大生〉という肩書がしっくりする様。周囲の人間はそれを素直と評し、好意的に受け入れていた。
 清潔感のあるいでたち、奔放な様で一線引いている態度、確かに客観視すれば人好きのよさそうな人間だ。
「ねえ氷川さんて、どうして此処に入ったの?」
 機関誌編集の折、向かいから高尾に訊ねられた。都合悪く、部室に二人きり。
 他の連中は取材で数日不在、校正作業において信頼される我々が残っていた。
「少なくとも、君みたいな理由じゃあない」
 此方から確認してやる必要も無いので、件の友人とやらに私は干渉する気も無かった。
 にべも無く云ったつもりだが、ひとつも動じず高尾は笑う。
「ガイア教に入信してるんでしょ?」
 ゲラの上で赤ペンが止まった、ブラインドの隙間から夕刻の陽が数珠を照らした。
 ひとつも話した事など無かったのに、何故教団名まで嗅ぎつけたのか。
「こっちがビックリしちゃった、結構動揺するのね氷川さんて」
「誰から聞いた」
「ううん、誰からも聞いてない。でも氷川さんみたいな人が《私用で不参加》な時って、やっぱり宗教なんじゃないの? ってそういう噂はされてるよ」
「ガイア教というのは、君の勝手な憶測?」
「こないだ打ち上げの時、話した夢の事憶えてる? あの夢に出てくるガイア教徒の中に、氷川さんそっくりな人居るの」
「……それだけの理由でガイアの信者だと?」
「まあつまり、鎌かけてみたの。ああ心配ご無用、オルグされるとか思ってないから!」
 屈託なく笑う彼女の前で、その時私は己の保身など欠片も考えていなかった。
 もしかすると、この女は何かを引き寄せ易いのではないか、何かを読めるのではないか。
 そんな想いを内に燻らせ、瞬く間に月日は流れた。
 
 
「氷川君、デリカシー無いって云われない?」
「どうして」
「卒論とか就活で、みんな忙殺されてる時期だと思うのよ」
「なら断れば良い」
「まさか! 氷川君から誘ってくれるなんて、断るの勿体ないじゃないの。ってそうじゃなくてね、私何度も夢の話したじゃない、なのに此処にデート誘っちゃうんだ」
「デート? 人聞きの悪い……」
「じゃあ何なの!」
「……さあ」
 他者も居るエレベータ内で、そんな語りかけをする彼女こそデリカシーに欠けると思った。
 黙々と階数を刻むパネルに心落ち着かせ、扉が開くと同時にフロアに出た。
 想像以上に空いている、悪くない。遠くからでは黒い窓も、近付く程に眩く姿を変える。
「違和感有ると思ったら、今日は北展望台が休みだったんだ。南側っていつも夕方には閉めちゃうでしょ、こっちからの夜景って何だかレアな感じするね」
「別にどちらでも」
「もう、何がしたいのよ、一緒に夜景見たかったんじゃなくて?」
「一望出来る場所を選んだ、夜景の必要は無かった、時間の都合だ」
「ま、忙殺って云ったけど、これもまだモラトリアムってやつだよね。卒業したら皆、疎遠になっちゃうだろうし。景色見ながら思い出語りする思い出を作っておくのも大事かな!」
 好きに解釈した高尾祐子は、ジャケットの肩に食い込むショルダーストラップを正す。
 互いにスーツだ、ともすれば只の社会人同士に見えるだろう。モラトリアムなどとうに過ぎ去った、社会の歯車に。
「東京タワー見える、ほら」
「位置関係からして当然見えるだろう」
「東京タワーって、あのシルエットが見えてこそ、そう思わない? だから東京タワーを堪能したかったら、あそこに登らずこうやって外部の高みから眺めるのが一番だって」
「堪能というには、少し遠くないか」
「いいの、手のひらの東京タワーって曲知らないの? 名曲」
「知らん」
「あっ、そーですか」
 半笑いで手摺りに寄り掛かる高尾、どうやら曲の説明はしないらしい。
 長居するつもりも無い私は、会話が途切れた具合を見計らって彼女に訊ねる。
「綺麗だな」
「えっ、何が」
「こうして眺めていると、思ったりするのか?」
「主語が無いと誤解するから止めて、景色は普通に綺麗だよ」
「嫌気が差さないか」
「なに!? 唐突、大丈夫?」
「これ以上の進化はしないと思っている、発展に見せかけた堂々巡りを繰り返すだけで。美しく見えると云っても、すべて幾何学の集合体に過ぎず、その整然とした統一に美を感じているだけだ。その審美は本能的なものであって、其処に余計な理由や価値をこじつける人間同士が貶し合い、自ら退化していく。無様で、見てられん」
「綺麗な景色の中に、人間が居るのが嫌? でもこの景色を造り上げたのも人間でしょうに」
「それが既に驕りなんだ、世界の支配者にでもなったかの様な連中が多過ぎる。支配側ではなくて、仕組みのひとつであって、そう……只の歯車でしかないのに」
「私は別に支配者のつもりも無いけど、でもこの景色綺麗だと思うよ。しかも氷川君が誘ってくれたでしょ、こんなよく分からない会話も出来たでしょ、そんな全部をひっくるめて今この眺めは綺麗って思ってるけど、それもダメなの?」
 傷付いた風も無く、隣の高尾は笑って云った。
 真剣なのか、よく分からないと述べた通り適当に流しているのか、正直どちらでも構わなかった。
「高尾さんくらい能天気なら、見る物すべてが綺麗な世界に生きられたのかもしれんな」
「云ってくれるのねえ」
「そう、こんなのも他人からの勝手な解釈だ。でもね、そう見えるからこそ、君がいつか挫折したその時が、恐ろしくもあるし楽しみでもある」
「別に私、挫折知らずでも無いし。氷川君が諦観し過ぎなきらいが有るよソレ、終末思想ってやつじゃない」
「ノストラダムスの予言は外れると思っている、いっそ其処で滅んでくれたら良いものを」
「ちょっと待ってよ、勝手にハズレ認定した上に悲観してるしこの人!」
 お次は大笑いだ、周囲に人が殆ど居ないのが幸いか。おかしそうに目尻の涙を拭っている、その爪先のネイルカラーは上品なベージュだった。
 洗練され、アクの無い色に身を包み、周囲から浮かず漂う人よ。その姿と愛想に、自分は騙されない。
 君には、私と同じ先を見つめる眼が有ると思っていた、これは直感だ。
「自分が滅ぼす因子のひとつであれば、絶対に予見などされない。予見されるから、阻止され続けてきたに違いない。自分なら間違いなく遂行出来る」
「だったら氷川君が滅ぼせば?」
「一人では難しい、ガイアにだって賛同者は少ない。決定打となる材料、資料さえ下っ端の自分の目には届かぬ範囲に仕舞われている」
「私、ガイア教の事はさっぱりだけど。氷川君がそこまで熱心になる事に関しては、なんか興味持っちゃうなぁ」
「どうせ世迷い事と思っているんだろう、君も」
「だって、氷川君が世界を滅ぼすのが先か、私が処刑されるのが先か、そこも気になるから」
「なんだそれは……」


「はは」
 昔の、あの時と同じ声で笑っていた、自分の笑い声など久しく聴いた。
 そうだ、推測通り高尾祐子は挫折した。しかし私とは少し違う、中途半端な欲望を抱いたままで。
 彼女の中で、噛み合わないままの歯車が苦しそうに悲鳴を上げ続ける。ネガポジ、躁鬱、矛盾の繰り返される論調、彼女の真っすぐな塔が揺らぐ音……会話の機会は少なくとも、聞き取れた。
 今はどうだろうか、《受胎》儀式に失敗した私を笑うのだろうか。
 らしくも無く、主旨も持たずに電話を繋いだ。午前四時だというのに、ツーコール程度で通話状態になる。
「……氷川さん? こんな時間にどうしたの」
「おはよう高尾先生」
「おはようにしても早いわ。こないだ電話した時はスルーされたから、てっきり拒絶されたのかと」
「思ったよりダメージを受けていたようだ、他人と接触する気にはなれなかった、申し訳ない」
「もう一度しっかり確認したいのだけれど。あの日、病院で貴方を襲ったのは……何者なの?」
 受胎を迎えようという日、私は襲撃され傷を負った。
 酷い外傷は無いが、暫くのあいだ悪魔を召喚する事も叶わず、身体も重かった。恐らくは呪術による負荷だろう。
 その場が病院だったというのに、まさか世話になる訳にもいかず、己の領地に引き籠る滑稽さよ。
 代々木公園の大量死と、新宿衛生病院の一部封鎖と、追及され過ぎては面倒な事になる。今はこうする他無い。
「君に揺り起こされた時に口走った、そのままだ……」
「黒い学帽に外套って? そんな時代錯誤、却って目立ちそうよ」
「過去の日本において、その様ないでたちで悪魔を使役する者が居たそうだ。ここ数日、デビルサマナーに関する資料の幾つかに目を通した」
「そんな資料どうやって……今の立場じゃ教団本部にも寄れないでしょう」
「以前取材に来たライターに、此方から連絡した」
「ちょっと、他人と接触する気になれないんじゃなかったの? まあいいけど、私の相手は面倒だったんでしょう。それにしても氷川さんが自分から問い合わせるなんて珍しい、それは信用のおける相手?」
「オカルト雑誌のライターだ」
 暫くの沈黙の後、ノイズまじりの笑い声が聴こえた。目尻を指で拭っているのだろうか、整えた爪先のネイルカラーは……
「ごめんなさい、なんだか可笑しくて。貴方オカルトって言葉、昔は嫌ってたのに」
 云われてみれば、そうだった気がする。娯楽の様に取り沙汰される、その度見かける言葉が好かなかったのだ。
 オカルトを謳う雑誌が、意外と核心的な記事を載せていた事実。其処に少なからず驚きと、敬意を感じていたのかもしれない。
 聖という男は、果たして私の計画を止めようとするのか、いいやその前に……先に問うておかねばならない相手が居る。
「高尾先生、君はいつ降りてくれても構わんよ」
「此処まで関わった人間を、貴方が簡単に野放しにするとも思えないけど」
「君一人が何を論じようと揺るぐものかね。君の知り得た情報は、それこそ先程挙げた雑誌の中身程度のものだ」
「本当にそう思っているの」
 五分五分、といった所か。理想が路を違えている事くらい、互いに薄々解っていただろう。
 味方にしても敵にしても、リスクもリターンも同じだけ。設計上、初めから開けておいた穴だ、この女王蟻の為に……
 しかし計画を立て直す必要が生じた現在、改めて確認する必要が有る。
「もう好きにしたら良い、先生。計画は振り出しに戻ったも同然なのだから」
 宙に放られた君はどうするのか、心を刻みながら教職を続けるのか。向いていないと、あれほど忠告したのに。
 いや、指導者と成った君は世界に絶望し、私の意志に身を寄せた。寧ろ都合が良かったではないか、それでは何故未だに思うのか。
 思い悩む事が分かっていながら戻るなど無様だ、他に希望を持つ真似事など、もう辞めるべきだと。
「私、夢の中の救世主を、もう見つけてあるの」
 反復音が響く、どうやら通話は切れたらしい。
「……祐子」
 当然返事は無い。
 最早巫女など要らぬと、そう思っていた己を詰る様に、握り締めた数珠が痛い。
 そうか、既に見付けていたのか、彼女の生きる真の目的を。それならば実際、受胎を引き起こす私は邪魔だろう。
 だらしなく寝台に横たわったままの身を、ようやく起こした。ブラインドをざりざりと引き上げると、遠くに朱く輝くタワーが見えた。
 興味も無いのに、今更聴いてみたくなった。君が名曲と、軽くつぶやいたその歌を。




-了-


* あとがき*
第一章で殆ど登場しなかった面子を、一気に書いた感じです。ライ修羅前提の長編なのに、そういう要素が1ミリも無い回で申し訳ないです。
氷川氏と祐子先生はいつ頃接点が出来たのだろうか。CPとまでいかずとも、この程度の付き合いは有ったのかな、という捏造です。 互いの中に共鳴する部分が有ったからこそ、一時的にでも組んでいたのではないでしょうか。
私自身は無宗教の体ですが、周囲には結構やっている人が多いので色々聴けて面白いです。輸血しないとか、信者同士で婚姻するとか、その他諸々…倫理が違うなあと思う事も多いですが。
修学旅行で同じ班の子が、宗教上の都合から殆どの施設に入れなかったのは面くらいました。あの若い身でそこまで浸透しているものか、と、そういう驚きでした。 二世はともかく、自分の意思で宗教始めた大人は「どの様なきっかけ・心変わりで入信したのか?」が気になる所でして、それを知る機会はそこそこ有ったので、こういう話を書く際のイメージには一役買います(活かされているかは別として。)
真3の各コトワリを掲げた人物なんて「開祖」になる訳ですから、それぞれの精神論なんかを考えます。 元々持っている人も居れば、突然開いてしまう人も居て、良くも悪くも扉の先は分からないなあと思います。
↓余談↓
《手のひらの東京タワー》ユーミンの81年の曲、結構古いのですが「愛したらなんでも手に入る気がする  今は世界中が箱庭みたい」というフレーズは、書いている祐子先生の意識に沿う気がしました。