欺瞞の男
十五代目と云っていた、あの男。
継承の間が空いたとの事だが、想像以上の空白期間だ。もしくは雷堂の十四代目がやたら長く務めたか。いずれにせよ、自分の肩書である《葛葉ライドウ》の系譜と、同一か無縁か、今の段階では計る術も無い。カナか漢字か、そんなものは断定基準にもならぬ。
『お主、この時代の葛葉に成り代わるという誘いには……惹かれなかったのか』
足下の童子が、喧噪の間をすり抜けて僕に問う。
「確かに、此方の方が娯楽も多い、悪い話ではなかったかもしれませんね」
玩具の様な銃型コントローラを構え、モニタに向ける。決まりきった位置と速度で飛来する障害物を、ただ狙撃するだけのゲームマシン。引鉄の軽さも銃撃の反動も、本物とは勝手が違い過ぎる、完全に別物だ。
『…………おい、先刻から全部狙撃しておらんか』
「全部とは」
『明らかに敵ではない連中も撃っているだろう』
興味も無く傍観していると思ったが、案外よく見ている黒猫。僕はステージクリアの結果画面に一瞥くれ、視線を落とした。
「民間人をいくら誤射≠オても御咎め無しですからね……フフ、これが撃たずにおられましょうか」
『不穏な物云いをいい加減控えたらどうだ? 疑似と現実の区別はしてくれよ』
コントローラを定位置に填め、1stのネームエントリに014≠ニ叩き込む。誤射による減点の上でこの結果、この店はあまり上手な人間が来ていないらしい。
一瞬暗くなったモニターに、己の相貌が映り込む。面に傷が有れば、葛葉雷堂そのものだ。僕の知る平行世界の雷堂は、同じく十四代目である。しかし、この時代の雷堂も十四代目葛葉雷堂と同じ傷≠持っていた、そう、ほぼ同じ位置に刻まれた裂傷。
先刻の同業者に対し、僕は記憶を失った十四代目が何らかの形で此処に存在している♂ツ能性を睨んでいた。しかし十五代目の反応からして、傷は故意につけられたものと推測出来た。位置が偶然でないとすれば、それは先代を知っての施しであろう。あの男を《葛葉雷堂》にすべく執られた、儀式の傷という事だ。
だが、それだけでは説明のつかぬ部分が残る。十四代目のドッペルゲンガーでもない、にしてはあまりに似ている……此れはどういう仕掛けなのだ。
『まったく、いつもこんな処で油を売っているのか? もう行くぞ、煩くて敵わん』
「未来がこんなにも素晴らしい発展を遂げているとは、驚きましたね。四十代目の彼も、もう少し早く生まれていれば恩恵にあずかれたものを」
『お主がこの時代に生まれていたら、まず襲名には至らなかったろうな』
「違いありませぬ、遊び呆けてそれどころでは無いでしょうから」
ゴウト童子はお気に召さぬそうなので、名残惜しいがゲームセンターを後にする。週末の街は人人人、海に抜ける清流とは違い、淀みと撹拌を繰り返す溜池の様だ。国の端という端から、トウキョウに掃き集めてきたかの様に思える。
さて、このまま功刀宅に戻るか否か。そういえば帰ってくるな≠ニ叫ばれた記憶が有る、かといっていつまで経っても戻らねば狼狽えるくせに。
『こんな処で、というのは施設に限った話では無いぞ』
信号待ちの硬直時間、猫というだけで注目を浴びるというに、童子は僕にニャウニャウと語りかける。周辺から「可愛い〜」などと野次が聴こえ、軽く苛立ちが湧いた。
『いつまで此の時代で油を売る気だ?』
誰も彼も、僕に帰還を望む理由は知れている。子の帰りを待つ親≠フ様な、そういうものとは程遠いのだろう。
「人修羅を手に入れるまで」
『既に使役しておるだろう』
「飼い殺しに等しい、それに半分以上は堕天使のモノに御座います」
『依頼は済んだ、くれてやれば良かったものを』
「堕天使の剣となった彼が、いつか人の世を滅ぼしに来るかもしれませぬ。そのとき糾弾されるは、彼等と接触しながらも阻止出来なかった自分でしょう。少なくとも、矛先が我々の時代に向かえば、ヤタガラスは黙っておらぬかと」
『……人修羅を手懐けたお前こそが、何かを滅ぼす可能性は無いのか』
ようやく信号が青になる。有機物の濁流が、童子の問いを掻き消してくれた。
(何を滅ぼすというのやら)
殲滅が目的ではない。自分はただ、肉叢に集る烏を掃いたいだけ。そうして陽の光を浴びた肉叢が、人間へと再生するのか……それを確かめたい。
『おい、このまま家に戻るのか』
暫く歩いた矢先、ゴウト童子が曖昧な確認を投げてきた。僕も薄々勘付いていた為、濁して返す。
「この時間帯、駅周辺は酷い混雑でしょう。散歩して、少し時間を空けようかと」
いちいち混雑を気にする僕ではない。それを知る筈の童子も、ただ相槌をするだけ。
緩やかに方向転換し、駅と真逆の路を辿った。乱立するビルの隙間というものは、想像以上に人気が無い。ガード下の薄暗がりの方が、人も商売も屯し易いくらいだ。
見繕った隙間の入口から、じっと向こう端を見つめる……どうやら行き止まりでは無い様だ。続いて左右のビル壁を確認すると、勝手口がひとつ。しかし、扉の前に放置されたままの棚が、出入りの無さを物語っている。他には劣化の激しい計器、横這いのパイプ、脈絡のない落書きなどが、猥雑な彩を添えていた。
『狭い』
「その体躯で仰りますか」
童子はそれ以上、何も云わなかった。構わぬと判断した僕は、隙間への侵入を始めた。それと並行し、隠し身させているイヌガミを上空に泳がせた。もはや索敵は必要無い、誘い込んだのだから。
「さて、僕に何か用件でも?」
半ばまで来ると、僕は振り向き訊ねた。目の前には人影がふたつ、顔に見覚えは無い。身長差は有れど、どちらも短髪の男性、くすんだ青の作業着姿、まるで作業現場から抜け出して来たかの如し。
「クズノハライドウだな」
うち片割れから、やや意外な単語が飛び出した。一日で、こう何度も聞く事になるとは。
『ややこしくするなよ、紺野』
此処で僕をライドウ≠ニは呼ばぬ童子、その意図を敢えて無視した。
「長くなるのであれば、その辺りの茶店にでも」
「ふざけるな、すぐに済む。新宿衛生病院の件で参った、此処まで云えば思い当たるだろう」
「見舞いの付き添いで行った、それきりですね」
「とぼけたつもりか? それとも面識が無ければ察する事も出来んのか……我々がガイアの者と」
「ああ失敬、装いからは想像もつかなかったもので、フフ」
成程この連中、どうやら僕を〈葛葉雷堂〉と勘違いしているらしい。ヤタガラスを通さず尾行までして話をつけに来たという事は、あの傷男が勝手に請けた仕事か、はたまた依頼側にとって後ろめたい事か。
これまで面識が無いという情報からするに、目の前のガイア教徒達の暴走かもしれぬ。
「単刀直入に問うぞクズノハ。氷川を殺害し損ねたのは、何故だ?」
またもや意外な単語の出現に、足下の黒猫が強張った、僕の脳裏では合点がいった。
氷川が負傷していた理由は、どうやらこの線に有るらしい。そういえば彼は、教団内部でも異端との話だった。首を狙う者が居るのは、不可解な事でも無い。
「妨害が入りましてね」
「氷川に認識されたのか? ヤタガラスにも露見してはいないだろうな」
「ひとまずは」
詳しい事情は分からぬが、雷堂……あの男には無理だろう。未だ直接手に掛けた事の無い≠謔、な、そんな刀をしていたし。受け容れ難い案件などは、のらりくらりと躱してきた様子だった。しかし、この憶測が合っているとすれば、何故氷川暗殺≠請けたのか、それは気になる。
「そうかそうか、まだバレていないんだな?」
これまで口を閉ざしていた男が、ずいと一歩踏み出て来る。長身なそいつは、僕を見下ろしにしゃりと笑った。
「そいつぁ好都合、これでお使いも一度で済む」
「待て、再度依頼するべきだ」
「何を云うか、妨害が入ろうがなんだろうが、一度しくじれば見限るもんだ。何処から漏れてるか分かったもんじゃあない」
「では、新たな危険を冒してまで別筋に頼むと?」
教徒二名で意見が割れている、しかし今の応酬で理解した。この長身の方は、少なくとも僕を逃すつもりは無い≠ニいう事だ。僕が依頼を断れば、相方の方も怪しい。
「それを決めるのはワシらじゃあない。でもな、こいつが万が一死んでしまえば¢I択肢は減るだろう? 今回の依頼も無かった事に──」
僕の抜いたコルトディフェンダーの銃口が、言葉尻を潰す。口腔を銃身に弄られる男は、呻いた直後に両目を発光させ、臆する事なく此方を睨みつけてくる。
即座にひとつ発砲してやれば、大口を開き仰け反った。血しぶきの様に皮肉ははじけ、男の輪郭が融け出す。其れが開幕のくす玉の様で、何やら可笑しくて哂った。
「ククッ、擬態は初めてかい? 大人しく両手でも上げておけば、もう暫くは人間で通せたものを。解くのが早い」
右手にコルトを提げたまま、ピクシーナイフのシースを左片手で解除した。目の前で融けたシルエットは、倍近い質量を伴い再構築される。薄暗がりに反射する、金色眩いティターンだ。
『こほッ、こい……ッ、ごぃつぅッ』
口を撃ち抜かれた影響でも残るのか、どこか間の抜けた声で威嚇しながら鉄仮面を下ろす悪魔。僕は間合いを変える事はせず、未だ作業着の相方に問う。
「其方も解いては如何かね、こうなれば擬態しているメリットも無い」
「……やむを得ん」
溜息混じりに呟くと双肩をぐるりとうねらせ、翼を広げるはクラマテング。作業着のくすんだ青は彩度を上げ、そのまま肌に溶け込む。
『お前が口堅いとしても、頭を覗かれる可能性が有る。ヒトが記憶を納める脳≠イと潰してしまわねば』
「心理においては、易々と覗かれる隙間は無い。頭の螺子も弛んでおらぬ筈だが、帽子を脱いでやろうか?」
『肉体が死なば螺子も錆び砕け散るだろう、喰らえ!』
クラマテングの法螺貝で縒り紡がれる気は、鋭利な角度で向かい来る。真空刃の断面には淡く魔力が滲む為、冷静に視れば避けるも受けるも可能である。
僕は外套にMAGを張らせ、疾風を打ち消す。黒き盾をばさりと除ければ、眼前にティターンが躍り出た。そういうコンビネーションだろうとは、もちろん想定済みだ。ギロチンカットの腕が逆光をつくる瞬間、僕はピイッと口笛を吹く。
『犬ッ!? このっ、シッシッ!』
更に上空より舞い降りたイヌガミが、悪魔の剣に食らい付く。大きく振りかぶった腕は、揺さ振りに弱い、ぶんと斬り払われる前に追い打つ。
「炙ってやり給え」
牙の隙間から炎が氾濫し、刀身から腕へ、甲冑の胴内部へ流れ込み、黄金を一層煌々とさせた。
ファイアブレスを吐き終えたイヌガミは剣を雑に放り、僕に駆け寄る。額の紋をひと撫ですれば歓喜に震え、襟に鼻先を擦りつけてクゥーンと啼いた。
『実ニ退屈ダッタゾ、ライドウ』
「会話という程でも無かったろう、堪え性の無い奴」
ティターンは雄叫びをあげ、左右の壁に幾度かぶつかり、やがて転倒した。鉄仮面を脱ごうとしたのか、頭を抱える様なポーズが滑稽だ。
クラマテングはブフの類を持ち合わせぬか、高熱の塊と化した相方を傍観するのみ。暫しの間、魔力の燻りだけが漂う……純粋な炎とも違う、この臭い。甲冑の中身が牛であれば、僕の腹も減ったろうか。
「しかし、ファラリスの雄牛と云うには些か煩いね」
左のピクシーナイフに力を籠めれば、目敏いクラマテングが破魔の光を放つ。僕は耳鳴りで済むが、仲魔に耐性は無い。傍らの犬は背後に回し、隠し身をさせる。そうして庇いながらひと跳びで間合いを詰め、悶える巨人の喉へとナイフを突き立てた。
ティターンの悲鳴は、人の耳に入らぬ鳴動となる。通りを行き交う人々の中、サマナーであれば僅か感じられるだろう。この隙間の疑似的異界、悪魔の気配を。
『おのれ』
相方の悲鳴に急き立てられたか、クラマテングが翼を激しく扇ぎだす。
僕は銃を構えるついでに、胸の管を撫でた。光の泡が巨大な蜘蛛となり、場を圧迫する。
『なんだぁ此処は、獲物も掛かりそうにない狭さじゃないか』
「ツチグモ、天を綴じろ」
『ははぁ、あやつを逃がすなという事か、どれ』
ツチグモは太脚をがしゃがしゃ上下させ、ビル壁に足場を移した。対象に直接糸を吐かず、先を遮る様に糸が行き交う。見事天の隙間≠ヘ綴じられ、とんぼ返りのクラマテング。此方を見下ろすその視線に、銃口を合わせてやる。
「おさらいがしたい、下りてきてくれないかね」
『もはや決裂、話す事は無い』
「再び交渉してやろうと云うのだよ。其処の片割れも潰れている事だし、冷静に話を進めるのであれば好機、違うのかい」
『偉そうに何を』
「そうだな、このまま決着をつけても構わぬ、それこそ生死は問わぬ。いずれにせよ君達の主を調査し、教団全体に触れ回る事は出来るわけだ。教団幹部の暗殺を、外部に依頼したという事実を……フフ」
空で黙り込んだままのクラマテング、どうやらそう簡単に判る筈が無い≠ニは云い切れぬようだ。
『こら交渉ちゅうより脅迫だ』
『ソレガドウシタ、イツモノライドウ違ウノカ』
『いつもの事! 参ったそれもそうか、はっは!』
カラカラ嗤うツチグモの脚を蹴り、ハッハッと肩揺らすイヌガミの耳を抓った。
「お前達、さっさと両端を塞ぎ給え」
続いた僕の号令に、各々が物も云わず移動した。異界であれば気にする事も無いが、未だこの空間は半端な位置に在る。部外者、特に人間を介入させる事は避けたい。
『悪魔を離して良いのか? 私が捨て身で降り行くかもしれんぞ』
「此方は丸腰でも無い。単身で悪魔とやり合う事もままならぬと? そのようなサマナーに依頼したつもりだったのかい」
『……』
クラマテングはゆっくりと高度を下げ、降り立つ位置を見定めている。僕は相手に合わせるていでティターンとの間合いを広げ、場を空けた。クラマテングにとってはティターンが背後を庇い、僕にとってはティターンからクラマテングが庇ってくれる位置となる。
「殺し合うかは話の後に決めれば良い、まずはひとつ種明かしとゆこう」
声を張らずとも良い距離感のまま、地に立つ相手を真正面から見据え、唱える。
「面識は無いと云ったが、如何様にして僕を捜し出した」
『写真を見せられ、いでたちと顔を認識した』
「今から間違い探しでもすると良い」
僕を暫し睨んだ挙句、眉間の皺を深める天狗。
『ふむ、確かに何か足りん様な気が………………穏やかさ?』
「繊細に見えて此のピクシーナイフ、驚く程に切れ味が良いのだよ、鼻の三枚おろしなど如何かね」
『待て待て! 外見上という事か、ムム』
ぼそりと零した直後、アッと声を上げた。
『はっ、傷が無いぞ貴様! もしや我々と同じ擬態者か』
まさかそう来るとは、思わず失笑した。勘が悪いようなので、さっさと話を進めてしまうべきだ。
「正真正銘、人間だよ。葛葉ライドウではあるが、葛葉雷堂にあらず」
『どういう事だ、偽者だと?』
「失敬な、僕にとってはあっちが偽者さ。しかしこれで分かったろう、人違いだよ。僕はそちらの深い事情も知らぬ、そしてこの世界の葛葉にもヤタガラスにも属しておらぬ。改めて依頼を持ち掛けるには、都合の良い者だと思わないかね」
『他人の空似の貴様には、それで利が有るのか』
「僕は面白そうな事が好きでね、それと力比べもね。其方から巻き込んできたのだから、有効活用させて貰っても良いだろう?」
すぐ近くで、童子が悶々としているのが判る。安心されたし、虚実半々程度だ。わざわざ殺しを買って出るなぞ本来は御免だが、氷川とガイアの動向は知っておきたい。それに、この時代のサマナー達をひとまとめに見られるのなら、それは間違いなく面白い。
「組織に属する葛葉雷堂よりも、根無し草の僕の方が使い勝手もよかろう」
『さては、ダークサマナーというものか?』
未だそのような言葉が残っているのかと、思わず哂った。邪悪であると判定するは、国家機関ヤタガラスの尺度なのだから舐めたものだ。恐らく裏稼業に精通するフリーの同業者を指す言葉として、今では使われているのだろう。
「何と受け取っても構わぬ、やれそうならやってやろうというのだよ。先ほどは《雷堂》のフリで発破をかけたが、君等を暴こうとは特段思わぬ。僕を益虫と思うのであれば、氷川氏の情報共有だけ済ませ、以降は関わり合う事もしない、これが一番と思うがね」
『報酬も要らぬと?』
「いうなれば今、此処で引き渡される情報が報酬だよ、解るだろう……」
『……一体、貴様は何者なのだ』
遠くで見張る仲魔の眼も、僕につられてギラギラと哂っていた。
組織に無断で勝手を働く雷堂と教徒は、互いに弱みを握りあっていたであろう。しかし部外者の僕は痛くも痒くもない。クラマテングに選択の余地など、最初から無かった訳だ。
『ややこしくするなと云った筈だが』
黒猫の説教も、もはや慣れたものだ。最初の頃こそ怒りを顕わにする事もあった童子だが、最近は程好く呆れてくれたらしい。葛葉とヤタガラスに直接関わらぬ件であれば、半ば放任して頂ける。
「あのテンプルナイトの事も有りましたでしょう童子、自分達の帝都に影響を及ぼさぬとは限らぬ。時代を超越する可能性を重く受け止め、調査すべきに御座います」
『フン、随分と綺麗ごとではぐらかしたな。瓦解に通ずる内輪揉めと、傷の男が気になる、所詮それだけだろう』
「おやおや、まるで僕に葛葉の矜持や、帝都を護る正義感が無いかの如し物云い」
『前者は結果さえ出れば保たれる、後者とて無力であれば無為に帰す。お主にはそれ以上を望まん……必要以上に葛葉を汚すでなければな』
「なかなか大目に見てくれる」
『ひとまずはこの旅に早く決着をつけ、あの堕天使に二度と関わってくれるな≠ニ云え!』
「これは心外な、此度はあちらから関わって来たのですよ」
いいや、以前だってそうだろう、あちらから声を掛けてきた……僕に興味が有るのだと。
『人修羅に熨斗でもつけて、手切れ金としてくれてやれ』
「それは僕のデビルサマナーとしての心が許しませんね」
『何を許さぬと云うのだライドウ。人修羅を手放す事か、堕天使と縁を切る事か』
乾いた笑いが零れた、しかし口角は上がっていない気がする。このお目付け役は、意外と僕を見ていた@lだ。しかしその眼差しは、手綱を見失わぬ為の監視だろう、長らく共に居たせいか僕の警戒も弛んでいた、これはいけない。
「サマナーたる者、多くの悪魔と関係を持つべき」
『取り込まれても知らんぞ、そうなればお主は我等と敵対する事になる』
「フフ……その時は十五代目の小手調べでもしてやりましょうかね」
これ以上話す事は無いと、無言が続いた。中途半端に互いを知る為、会話終わりが唐突な事も自然である。
暮れゆく空は多くの建造物に遮られ、茜色が却って引き立つ。帝都に来た頃は空がやや狭いと感じたが、それとは比較にならぬ圧だ。この東京を球状に丸め込んだのがボルテクスの筈だが、あそこは逆に広々と感じた。天地の境も無く、文明の形骸が乱立するせいか。僕には美しく見えたが、人修羅は随分とあの世界を疎んでいた。大勢の隙間を掻い潜り通学する必要も無いし、ひしめき合う電車に押し込まれる事も無いし、潔癖な彼からすればむしろ過ごし易い空間にさえ思えるが。
『こんな過密地帯で、御苦労な事だ』
目先の工事現場を見たのか、ゴウト童子がつぶやいた。この時代の測量も、未だ二人一組が基本の様だ。
一人が往来に機器を置き、反対側でもう一人が標尺を持つ。通行人は様々だ、測量空間を避ける者も居れば、気にも留めず通過する者も居る。人波のあいま≠ェ訪れるまで、作業服の二名は辛抱強く待つのだ。
「……な、何か?」
くすんだ青の作業着姿、その片方がとうとう声を掛けてきた。僕が通過する事もせず、手前にて立ち止まり二者を交互に眺めていたからだ。
「いえ、知人に似ていたもので、失敬」
「ああそうでしたかぁ、いやね邪魔になってるから文句云われるかと思って、一瞬警戒しちゃいましたよ」
目の前の測量士は僕を見下ろす長身で、にしゃりと笑っている。
「ちなみにどっちがお知り合いに似てたんで?」
顎で指された片割れは、やや低身長。向こう側で耳を澄ませている、雑踏のノイズで恐らく聴こえていないのだろう。
「どちらも」
「……そりゃつまり、自分とあいつと、両方そっくりさんが居るって事で? 確かに……驚きますわな」
ひとつ微笑みかけてやると、作業着の長身男はいけないものでも見たかの様に、僕から視線を逸らした……眦が赤い。同じ面でも表情が違えば、随分と印象も変わる。そう、同じ面が二つ……
『誰彼構わず誘惑するでないわ。特に、悪魔より人間に対してだ』
暫く歩いた辺りから、童子の小言が再開された。
「向こうが勝手にのぼせただけ、僕は何もしておりませぬ」
『では、やたらと声を掛けるな』
「童子は気になりませんでしたか、ガイアの使い魔達と同じ顔≠していたでしょう。恐らく今の作業員二名から生体情報を拝借し、擬態した、と。化けの皮は道端で調達した訳です」
『確かに無難だな、足がつきにくい。しかし正直焦ったぞ、銃に手を掛けつつ接近したろうお主』
「同じ顔、同じ姿で居りましたからね。擬態元との推測はついておりましたが、警戒は必須でしょう」
『民間人を撃つのかと思ったわ』
冗談の風でも無く、溜息と共に吐き出した童子。その脳裏には数刻前の、ゲームセンターでの光景が浮かんでいるのだろうか。僕ならばやりかねない、という意識が有るからこそ、肝を冷やしたのだろう。
「そうですね、例えばこの顔に傷など描いて、そうして暴れまわった挙句に葛葉雷堂と名乗れば宜しい」
『やめろ』
半分本気の叱咤は、裏を返せば信用≠ナもある。そんな童子が何やら可笑しく、僕は声を上げ笑った。交差点の信号待ち、滞留する人波が此方に視線を投げ、そして再び遠ざける。黒猫に一人語り、突如笑い出す狂人とでも思えば宜しい。
すっかり暗くなってしまった、とはいえこの時代の空は明るい。艶やかな明滅を繰り返す通りも有れば、未だに古き街灯が立ち並ぶ通りも有る。今歩くこの通りは、どちらにも属さぬ雰囲気だった。家屋の灯りも点々と、其処に忙しなさは無い。
さて、家主に帰って来るな≠ニ吐き捨てられた訳だが、葛藤も無しに帰還した。既に慣れ切っていた、ただただ拠点に戻るという行為。里の庵は生家にあらず、銀楼閣も実家にあらず、そしてこの功刀家も。
『今日あの様な事が有ったのだ、外に一体張らせておけ』
「おや、童子が見張ってくださっても構わぬのですよ」
『万一の際、この体躯で立ち回れと?』
「お体の替えが利く分、僕の仲魔を死亡させるよりコストが低いですね」
『ぬかせ』
ひとつ唱え、僕の裾を尾でぴしゃりと叩く黒猫。玄関から廊下へと流れる動作、まるでこの家の飼い猫の如し。それでも廊下の端を歩く辺り、まあまあ家主を気遣っているとみた。土足のまま上がる事を、たとえ相手が猫であろうと許せぬ彼だから。
《──サイバース社は事実無根≠ニこれを否定、近日中に会見を行うと発表しました。》
照明とテレヴィジョンだけが煌々とする居間、ソファに横たわる人修羅はニュースを子守歌にしていた。すぐ傍のテーブルには、迷子になっていたボタンがぽつんと置かれている、律儀に見つけ出してくれたという事だ。床の隅々を舐め回さずと、僕が雷電属でも召喚すれば直ぐに見つかったろうに。
外套をハンガーに掛け、背凭れ側から人修羅を見下ろす。数刻前には荒れ狂っていた波も、今は凪いでいた。元々就寝するつもりだったのか、亜麻の寝間着に身を包んでいる。その生地の、砂地か空の如き白さに、一点の血を落としたくなる。我関せず≠ニ涼し気な君を見ると、僕の中の何かが疼く。
《氷川氏と連絡は取れているが、所在は明らかにしないものとして──》
東京受胎を阻止せんと新宿衛生病院へ赴いた際、君は僕を止めなかった。記憶がおぼろげだからだろうか、それとも振りか。
かつて悪魔狩人を煽動した君だ……自らの手を汚したくないという、その高潔で意地汚い精神は知れている。氷川を殺さねば再びボルテクスを彷徨う事になるのだと、それを明確にすれば君は殺人を認るのか。いいや、許さぬのだろう。実行するか否か、それより遥か手前の位置で、君は縛られているのだ。
「悪魔は殺せる癖にねえ」
ひとりごちて人修羅の頭に放った。これで目覚めれば解るだろう、見付けたボタンをどうするべきか。
「う──……」
呻き身じろぐ君を無視しつつ、僕は腰のホルスターベルトを緩める。コルトディフェンダーとピクシーナイフに、重量差は殆ど無い。普段の装備と比較すればまさに軽装、学校鞄の方がまだ重い。
「おかえり……」
ホルダーから武器を抜く手が止まった、聞き慣れぬ声色がこの身を粟立たせる。それとなく察しはついた、人修羅は寝惚けているのだ。恐らく、あの状態で親の帰りを待つ日が有ったのだ、彼の人生の中に幾度となく……
つまりそれは僕に向けられた言葉ではあらず、応答の必要は無い。君が其処で寝るのならば、僕が君の寝所を借りるだけだ。
リモコンで照明を落としたが、あの美しき斑紋が浮かび上がる事はなく。テレヴィジョンが淡々と流す天気予報の憧憬に、君の寝息が葉擦れの様にあわさっていた。
-了-
* あとがき *
タイトルは「まやかし」と読みます。まやかしの男とは、密かにガイアと繋がっていた雷堂なのか、それを利用し氷川を探ろうとするライドウなのか、人の顔悪魔の顔を使い分ける人修羅なのか……
さて、そろそろ大きな動きを書いてゆきたいところです。それにしてもライドウは相変わらず返事をしない、こういう時の彼はどこか遮断状態に入ってますね。
(2020/6/6 親彦)