カタストロフィ
「お前さん、本当にレトロゲー好きだな」
最近流行のダウンロード購入ですら無い、スーパーファミリーコンピュータというヤツだ。
そいつをぶっといコードで繋いで、小さいモニタを見ながらシケモクを噴かす同僚。
懐古主義なのか知らんが、事ある毎に昔は云々云い出すモンだから、俺等はカイコって呼んでるが。
「いよいよ世界崩壊ですよ」
「あーあるある…って事ぁ中盤から終盤って事か?」
「そうです、んで、飛行艇的なの手に入れて、ラスボスの居るなっがいダンジョンクリアして、ジ・エンドですな」
「随分王道だな」
「人間なんだかんだで王道には弱いんですよ」
オーケストラヒットBGMの迫力がどうしても欠ける、その過去のハード。
小さいモニタのドット絵が、滅び往く世界を映し出している。
「昔はお約束の展開でも楽しかったもんだ」
云いながら、昔自分もあんなゲームをやってた気がするなぁ、と遠巻きに見ながらデスクに視線を戻す。
紙面には調査済みの走り書き。俺の急いだミミズののたうち這い回る様な字面。
東京受胎…
来る来る云って、一体いつ来るんだか、そんなのぁ誰も知らない…筈。
そう、引き起こそうとしてる当事者以外はな。
「おいカイコ、お前もちったあ新しいネタ探してこいや」
鞄を掴んで帽子を被った俺は、奴の傍を通る際にその頭をコン、と軽く叩いた。
モニター中央のキャラクターが、その弾みでちょっと動く。
「ヒジリさんもフリーなんだから此処に箱しなくてもイイのに」
「今時純粋なオカルト誌も珍しいんでな、貴重なのさ“アヤカシ”は」
スピリチュアルやら、自己啓発系の雑誌にゃ書きたくないのさ。
「そーいや上の階の朝倉さんが、欲しい写真あるとかってさっき来てましたけど」
「俺のPC勝手に漁ってくれ」
上の階、ってのはそれこそこの出版社の抱えるメイン誌のひとつを作っている部署。
そこの人間がこんな処に入り浸ったら、それこそ笑われるぞ?そこそこ売れてる雑誌のライターなら、避けそうなもんだってのに。
きっとまた土俗学なり、その辺の関連だろう。オカルティックな側面は一般人からすりゃ同じだ。
お綺麗な廊下から、エレベータを経由して、緑も置かれた爽やかなエントランスを通過する。
自動ドアの幕一枚、開けた景色が鮮明になって脳内で溜息だ。
(まーた曇り空かい)
最近の白い空は、秋だから、なんて勢いじゃねえ。
その空を映し込む高層ビルのガラス壁も、曇り空の色をするもんだから、ユトリロの街みたくなって憂鬱な気分になる。
憂鬱つったらアレだ、サイバースの氷川。
結局引き篭もりやがった。病院に居ない、自宅療養?取材すらままならねえ。
代々木公園の建設はストップしたまま、あの周辺の怪異について今度こそ聞き出そうと思ったってのに。
家に居られちゃ尻尾すら掴めねえ…
となりゃ、今出来る事ぁ取材以外。追ってる対象に更に調査入れるか、営業か。
定期購読者だけじゃアヤカシも危うい、眉唾モンの雑誌を衝動買いしてくれる人間が欲しいのだ。
(…ん?)
ふと、目に付いた書店に脚を止めた。
あんな本屋在ったか?小さくて見過ごしてたんだろうか…寂れてるとは云わないが、自動ドアが開く事は多くない。
一本道を変えただけで、気付いてなかった事が露になる、こういう感覚は嫌いじゃねえな。
んで、俺のやる事は決まっている。
人の流れに乗じて、その付近まで来たら降りる。自動ドアの前に一歩踏み出せば左右に割れた。
ドアの張り紙を見る限り、参考書関連に強い店なのか…入学シーズン前に一気に稼ぐ店って事か…
少し歩けば、それでも新刊なんかは一通り揃っている。それと、古典が多いか…古き良き児童文学とかな。
「お!」
と、思わずそこで声を上げてしまった。
とある一画に、妙にファンタジーな空気を感じたからだ。対象年齢が最早バラバラのそのラインナップ。
妖精図鑑とか、幻の大陸についてだとか、SF大全とか、日本各地の忌み地とか。
「あの、何かお探しですか…その辺のシリーズなら取り寄せ可能ですが」
そこで隣から声を掛けられ、俺は営業のモードに切り替える…筈だったが。
「あ」
「…!!」
「お前さん、此処の何、バイトだったの?へぇー…」
というか、その仏頂面でバイトなんて出来たんかい。
そんな事を考えてしまっている俺がどこか可笑しくて、ヘラヘラ笑ってしまう。
相手も俺に気付いている…ってよか、先日俺見て逃げ出したじゃないか、そりゃ気付いてない訳ぁ無いな。
「責任者の方、居る?」
「…今店長は外出してます」
「お前さん一人?他にバイト見えないけど」
「ほんの数分で帰る筈です、それに業務は全部出来ますから…今の時間帯はバイトは俺だけです」
淡々と、おまけに視線を合わせない。そんなに嫌われる様な事したか俺?
エプロンの小さなネームプレートには、功刀、とある。
「ふーん…右側、刀じゃないんか」
「…え、あ、名字の事ですか?えぇ、まぁ…本当は力じゃなくて刀ですけど、パっと出ないので」
「だわな、環境依存する漢字は辛ぇわな、俺も記事タイプしてると気付かんで原稿上げちまう事多いぜ…って、話だけ先にしとくか」
鞄から俺が取り出すアヤカシ最新号と名刺に、途端顔を顰める功刀。お前さんそこは営業なんだから、そんな顔しなさんな。
「…置きませんよ」
「お前さんにそれを決める権限があんのかい?」
「管理を任されてるのは俺ですから、特に宗教絡みのは選定させて頂いてますね」
功刀の視線を読めば、最新号の見出し《ガイアとメシアの境界線》に走っている。
「まぁまぁそう云いなさんな、あのくれてやった号、気に喰わなかった?」
「東京受胎なんて起こらなかったじゃないですか」
「ハッキリいつとは書いてねぇ」
「あの文体だと間も無くって様子でしたよね?」
嘲笑して、手にした脚立を傍に立てる功刀。蒼いエプロンが揺れた。
「そんな悪魔だ神だ云って、よく嘘が売れるもんですね」
ぎし、ぎし、と三段程度の小さな脚立を踏む功刀。
確かに此処の本棚は結構高い。木製のアンティークか?この一画に合わせてある様だ。
「嘘か本当かは、起こってみなきゃ分かんねえだろ?」
取ろうとしていたっぽい本を、すかさず先手を打って抜き出す。
「営業妨害で訴えますよ」
「親切心で取ってやったろ?ちいっとばかしその身長じゃ高い位置だったもんな」
そう云えば、仏頂面が今度は沸々と苛立ちを内抱したソレになる。
マイナスの表情ならコロコロ変わるんだなこの小僧。
「で、店舗責任者の方に話は通してくれる?」
「返して下さい」
すい、と伸ばされた手から本を逃がす。
「これ、どうすんの」
「新しくこの棚にスペース必要なんで、出版別の棚に戻すんです!」
「んじゃ俺買うよ、空くだろ?ん?」
ひらひらと手にした本で仰いでみせて、さっさとレジに向かう。呆れ声の相槌の後、脚立のギシつく音が続いた。
どこかぶすっとしたまま、俺がカウンター越しに手渡すそれを受け取り、レジスターに入力する功刀。
「他に客が居ないからって寂しいねぇオイ…ちったあ営業スマイルしてみぃよお前さん」
「カバーお掛けしますか」
「いんや、要りません」
回答になってねえぞそれ。
受け取った本は、綺麗に紙の袋に入れられて差し出される。
俺は商品代金ぴったり揃えた小銭と、一緒にアヤカシと名刺を突き出した。
「…ヒジリ…」
「ペンネームだけど、んまぁ本名まんまだから」
俺の名を読み上げた功刀は、何処か遠くを見ている様な眼をした。
ふらりとカウンターから抜けて、棚と棚の隙間を足早に潜り抜けるそれを見て、俺は買った本を急いで鞄に突っ込んだ。
「おいお前さん」
「帰って下さい」
「店長とやらは、ってか何おい閉めてんだおいおい」
客が俺以外に居るか否かの確認だったのか、居ないのを確認した途端に閉店準備を始めやがった。
自動ドアのセンサーを落とし、店内照明を暗くして、レジに戻ると締め作業でレシートをずるずると出す功刀。
俺も追従してレジに戻って、その背中に問い掛ける。
「お前さんが閉店時間決めて良いのかよ」
「もう今日は一任されてたんで、好きに上がれって云われてます。店長は奥さんと今日は出掛けてます、戻りません」
「おま…さっきの嘘か」
ガタガタガタ、レシートを吐き出すレジスターの声だけが響き渡る。
「置くかどうか、俺が決めても店長も文句無い筈だ」
ぽつりと呟く功刀、出し切られたレシートを指先に巻き取って淡々と俺に告げる。
「俺は東京受胎とか滅茶苦茶な妄言書き散らかす最低な雑誌、置きたくありません」
その睨み上げてくる眼が、一瞬金色に光ったのは照明の加減か?俺の錯覚か?
しかしその台詞を黙って聞いて居る程、俺もこの仕事に誇りを持ってない事ぁ無い。
「あんまし大人を揶揄うモンじゃないぜ…」
レシートを掴むその腕を軽く掴もうとすれば、途端にその眼は怯えが奔った。
振り払われて、白いレシートがしゅるしゅると互いの脚の上を舞う。
「触らないで下さいっ!」
「こちとら営業しに来たんだ、店の評判背負ってんのに、そりゃ無いだろう、なあ?」
おちょくるにはしっくりくるタイプだな、噛み付いておいて自分が啼くタイプって奴だ。
どうせコイツに頼んでも置いてもらえない、おまけに侮辱ときたもんだから、少しは仕返しもしてやりたくなる。
薄暗い店内は街路の明るさに負けて見えていない、レジがそもそも見えてない、つまり此処は人の眼が無い。
監視カメラがあったとして、この暗さ。暗視でもなきゃ見えやしない。
「此処の“功刀”って店員…って、名指しで文句云われたらどうするんだ?」
レシートの帯に脚を取られてよろめく功刀の肩を掴んで、へらりと笑ってやる。
その異様な怯え方に、俺は妙な既視感を抱きつつも、少しばかり悪心が疼く。
「そんなにオカルト駄目?色んなメディア展開してるじゃねえか、ファンタジーだってSFだって、現実ならオカルトだもんなあ?」
「あ、っ!」
功刀の肩を片腕で抱き寄せて、カウンターの作業台に置かれたままの最新号を空いた手で掴み、ページを捲る。
ぐぐ、と抵抗して蠢く腕を、肩を強く掴んで怯ませた。アメリカ留学中にだって柔道してたんだ、ヒョロイからって舐めんな。
「このガイアとメシアだってなあ、空想かと思ってんのか?え?」
見開きを指でたん、と軽く数回叩く。俺の携わった特集だ、記事の内容なんて空で云える。
「単なる宗教とか、そんな話じゃねえんだぞ?何で対立してるってなあ、思想云々のその前にだ。何と共生するしないつってるか、知ってんのかお前さん」
ガタガタと身体を震わせて、その紙面を見る功刀。何にそんな怯えているのか謎だが…
まさか、ページのイメージ画が怖いとか?悪魔だ天使だのこの画が?んな幼稚園児でもあるまい。
「ガイアもメシアもな、声を揃えて云う存在は共通してんだ」
「は、離して、離して下さい、聞きたくない」
「アクマっていう存在をだな――…」
それを云うと、功刀は小さくいやいやをした。んだコイツ、妙にぞわりとさせる。
おかしい感覚だ、こう、なんだか抱き寄せて密着する部分から、感情のざわつきが感じられるっつうか…
それが何やら本来は得難いモノの様な、貴重な気がして、俺は更に追い詰めたくなった。
「メシアは随分と表にのさばってるがな、まあ選民思想の強さからアクマを毛嫌いしてる、一部の人間の事も、だ」
しっかり見ろ、と云わんばかりに、俺はぐ、と功刀の襟首を項側から掴んで、アヤカシの上に引き寄せた。
「あっ、いやだ、あぐ」
と、項に指先が触れるだけで嫌らしいくらいにビクンビクンと身体を捩らせるもんだから、笑っちまった。
「お前さん項弱いの?」
「殺したく、無い、ッ」
何か小さく喘いだが、よく聞こえなかった。気を取り直して、俺は紙面の文の一部を指で叩いて示す。
「こないだの事故、突き飛ばしの、知ってるか?流石に知ってるだろ?この近くだ」
「ぅ、っ」
掴んでいるシャツの白さと、よく効いた糊の手触りに、育ちの潔癖さが窺える。
「あれなぁ…ぐっちゃりと逝っちまった被害者、メシア教徒なんだぜ?」
「…俺に、関係、無い…っ、もう離してっ、頼む、頼みますから、っ」
脚がレシートを蹴る乾いた音、流石に自分より大きな大人に凄まれたらおっかねえかもな…
それか、功刀は極度のオカルト嫌い、か。
「突き飛ばしたのはガイア教徒かもしれんなあ?何せどっちも過激だから――」
「そうでしょうか?」
今の声、功刀じゃ無い。俺でも無い。
…んじゃ、誰だ
「大きく報道される…それは悲劇的な、それでいて理不尽…嫌悪されるべき内容の事件であるから」
俺のページ上の指の傍を、すらりと白い何かが通る。陶磁器みたいな白の…長い指。
それだけ見たら、ピアニストのソレを思い出した。
「たった一人のメシア教徒を礎にするだけで、世間の同情と、ガイアへの疑心が育めるならば…どうでしょうかね?」
傍の功刀と同時に、俺の呼吸も止まった。
人が居た、いつの間にか、カウンター越しに、黒いマントコートの…男が。
上背と声からして、女性で無い事は判断出来る。
自動ドアは開かない筈、この店の様子からして、閉店してるに決まってるだろ。まさか、泥棒か?
それより何より、口にしているその台詞…好奇心が疼き、思わず聞き返す。
「じゃあ、メシア教徒がメシア教徒を殺したってか?」
「無きにしも非ず、でしょう…フフ……ヒジリさん」
傍に放置された名刺を見たのか。
「亜米利加に留学している際、そういうのを多く見ませんでしたか…?昔から得意でしょう、あの国、“ネガティブ・キャンペーン”という奴ですよ…」
どうして俺の経歴を知ってる?アヤカシの編集後記には、確かに軽く載ってるが……購読者?
「さ、いい加減それを解放してやって下さいな」
ページの天使の首をキッ、と横に遮断した白い爪先。
その顔をしっかり見ようと、面を上げた瞬間。
「うおっ!?」
痺れる感覚、四肢が一瞬勝手に躍りだしてしまう様な。
(感電?何にだ?)
俺の腕に弾き飛ばされた功刀には、その謎の感電は奔らなかったらしい。
「あぐっ」
レジに体をぶつけて小さく悲鳴して、飛び出した引き出しに垂れた腕が押されている。
「な、何だ、今のぁ」
俺はよろけた身体を立て直して、カウンターから身を乗り出したが、既に誰も居なかった。
まだジンジンと、指先まで痺れが残っていやがる。
「すっげ、もしかして、未知との遭遇?」
消えた謎の人影と、意味不明の電撃に、俺は寧ろ興奮し始めた。
似た様な今のっぽいウワサは有ったか?でも何だ、随分と裏に詳しそうだったじゃないか、あの黒マント。
「そういや、お前さんを放せって云ってたな」
踊る心を抑えて笑顔で振り返れば、脳天に衝撃。
軽く頭を振って眼を凝らせば、分厚い台帳を手にした功刀が呼吸を荒げて俺を睨み上げていた。
「はぁっ、はぁっ、か、帰って下さい」
「っつ…いや、俺もちぃとばかしイジメ過ぎたわ、悪ぃな、んで、その」
「帰れ!!」
その怒号、身体が接触してなけりゃ態度がデカイのか、成程、潔癖理解。
「悪かったな、んじゃ…気が向いたら読んでくれやソレ」
俺はなんだか暴行犯の気分で、よろよろとカウンターを抜け、重い自動ドアをこじ開けて暗い書店を後にした。
「くっそ…カイコん野郎め」
図書館に行くなら、ついでにアレもコレも…と、リストアップしてきやがった。
俺は新聞見に行くんだから、借りるんなら手前で行け、という話だ。
そうしたらあいつ、今は最強装備の為に隠しダンジョン攻略してるとか何とかほざきやがって…
細かく記録しとけってんだ、それで手が放せないとか、冗談キツイぜ。
涼しい空調、ページを捲る音、本を運ぶ台車の音、検索システムのマウスのクリック音。
(平日の図書館ほど静かな空気も無いだろ)
妙に寄り道する道具も無いので、調べ物が進む進む。
調査研究図書館と云うだけあり、膨大なデータ。こりゃネットで右往左往するより早いし、確実だ。
かなり昔のデータに遡ると、マイクロ版をPCモニタから見るしか無いのだが、二十年近く前までなら原紙で閲覧出来る。
「…あんれま、無ぇ」
取り外して、閲覧デスクに運ばれたか。利用中なら仕方ない、とその前の年を見に行けば…やはり無い。
同じ日ばかり消えている。
「ああ、その日を遡って調べられてますか」
背後からの声に振り返ると、司書の女性が居る。まさしくその通りで、俺は頭をかいて苦笑した。
「まあ、タイミング悪かったっつう事ですね」
「ほら、あそこの隅っこの閲覧台に居る方ですよ」
その視線を辿れば、心臓が一瞬跳ね上がる。
黒いマントコートが傍の椅子に畳んでかけられていた。
「ぁあ…本当」
「綺麗な方ですよねえ、モデルさんかしら…あの量だと長くかかりそうですよね」
云いながら、作業に戻る司書。
どうなんだ、その新聞が見たいのか、その正体が知りたいのか、どっちつかずのまま歩き出す。
絨毯が靴音を消しているのに気配で察したか、俺が近付けば、顔を上げてきた。
白いシャツに黒いスラックス。学生か?にしては、幼さの欠片も無い。
「貴方も“この日”が気になるのですか?」
前のめりに閲覧台に姿勢を傾けていたので、自然と上目遣いになっているのだが。
その眼が妙に蠱惑的で、少しぞわりとした。
「んん、まあそうだけど…別に急いで貰わなくても」
「調査対象が同じなら、一緒に調べるが早いと思いますが?」
すっ、と腰を伸ばせば、もしかして俺と同じ位有るのか?すらりとした体つきの青年だ。
そしてその声、やっぱ同一人物だろうか…ややテノールめいた、艶のある声音。
先日の書店を思い出す。かなり、近い。あの黒い影の声と。
「いーや、云ってもきっと意味不明だと思いますんで、大丈夫――」
「東京受胎でしょう」
俺がポカン、としちまったじゃないか。
「この日、起きると踏まれていた事象、しかし起こらなかった」
「……おぅ…そうさな」
「大きな儀式には下準備が不可欠…幾年かけてどの様な準備がされていたか、遡れば探れると思いましてね」
「…同業者?」
「フフ、僕は個人的に興味があるだけですよ」
本格的なオカルトマニアか?そんな趣味さえ無けりゃ、コイツ相当モテてそうなんだが。
白い額に紗に架かる黒髪と、妙な鋭さのモミアゲだがそれはそれでアクセントになってて、不思議なモンだ。
「引き起こすと云われていたのは、ガイア教団ですが…しかしガイアの全てがそれを望んでいたとは思い難い」
云いながら、青年が閲覧用の白い手袋をするりと嵌める。
「“この日”の前日も、数年分引き抜いて先刻調べましたがね」
「前日も?…んで、何かおかしかったんかい?」
「それなりに死傷者が出る事件が必ず発生している…翌日にあたる“この日”の新聞にも載っているでしょう、ほら…御覧なさいな」
並べられてみれば、確かに…東京受胎某日の前日にあたるその日は、血生臭い事件が必ず有った。
今年なら、そう…代々木公園の暴動か。
「どの事件も、あの新宿衛生病院付近ですね…何でしょうか…まるで生贄…みたいな」
「ぉおいおい…ハハ、生贄って…どっこい死体は警察が回収してるぜ」
「フフ、それは肉であって魂魄その他諸々とは違うでしょう?殺戮の瞬間に必要なモノは回収出来ているかも知れない」
「サツにバレずにどうやって回収すんだぃ?流した血の量とかそういう系?」
「生体エネルギィのマグネタイトか…伴う精神エネルギィのマガツヒか…フフ…まぁ、後者の可能性が高いかな」
なんだなんだ、綺麗な顔してイっちまってるのか?面白いヤツ。
その白い手袋の指先が撫ぞる紙面。あの書店の白い指先と重なる。
立ち止まらない、迷いの無いその軌道はこの青年の自信の表れなのか…
「んで、その“マガツヒ”とかなんとかを回収して、受胎の儀式に使うって事になんの?」
「実行の拠点は衛生病院以外にも数箇所在ったのかも知れない…十人にも満たぬ熱量では着火の火種にしかならぬ」
愉しそうに哂う青年が、云いつつ新聞を持ち上げた。もう俺はソレに目を通す気になりゃしない。
このマニアックな青年と話した方が、色々早そうだ。
「静かな図書館で立ち話も如何なものでしょうかね」
考えている矢先に、先方からのこの発言。飛びつかないければライターの魂が廃る。
「外に人も待たせておりますので」
コートを羽織ると、更に影を背負うこの青年。布に隠れる身体のラインがすらりとしているのが、見えなくとも判る。
階段を下りる際、ヒールの音が少し目立った。チラリと見えた革靴は上質っぽい。
(正体不明)
ここまで知識が有ると、それこそガイアかメシアの人間かもしれない。
まあ、それにしても中立的な物云いをするから、あまり警戒する事でも無いか。
「ミャァ」
図書館から外に出れば、脇の方で女子供が寄って集って、きゃあきゃあと黄色い声を上げている。
その中央には、黒い猫。
「お待たせ致しました、童子」
その輪に向かって青年が声を掛ければ、女性数名は違った意味で好奇の視線を青年に流す。
ニャアニャアと、どこか怒った様な泣き声で黒猫がするりと脚の隙間を掻い潜って抜けて来る。
「人待たせてるって、まさかその猫ん事か」
「ええ、僕より高貴な身分なれど、姿形は畜生ですからね、公共の施設には入れ難い…でしょう?」
自分より偉いと云いながら、畜生とか抜かすその唇は、愉しそうに歪む。
背後から「ばいばーい!ジジ!」「ばいばい!ルナ!」とか子供の声が聞こえてきた。
黒猫のイメージなんて、まあそんなモンだ。魔法使いの使い魔…とかそんなだな…
(正体不明…魔法使い?)
街路を歩みつつ、黒い魔法使いに問う。
「ドウジってのは、酒呑童子だとかん…?」
「ええ、ヒトから遠い存在の敬称ですよ」
「敬称?んじゃ名前は別なんかい」
「勿論有りますが、当人がいい加減にしろと云っているので控えますね、フフ」
“童子”…七歳までは神様っつうアレか…昔ヤンチャした奴って意味のアレか…
(そもそも「云ってる」…って、猫と会話でも出来るのかお前さんは)
隣を歩く青年を帽子の影から覗けば気付いたのか、クス、と哂う。
「あの様な、何でも無い日を調査する等、理由は限定的でしょう」
「…お前さん、東京受胎の事は何処で知った?」
「それは秘密です、フフ…しかし僕もこうして調査する身…大して真相には近付けておりませんのでね」
「うんにゃ…充分だろう、本職の俺は泣きたい気分よ」
もっと聞き出すべく、鞄から急いで引っ張り出す。先日一枚無駄にしたが、今回はどうだ。
「ながらで悪いが、こういうモンだ」
横に差し出せば、白い指先がす、と受け取る。まだ手袋を嵌めているのかと一瞬思った。
「“アヤカシ”ですか…フフ、良い名ですね」
ポケットにでも突っ込むかと思っていたが、青年はコートの内から取り出した名刺入れにしっかり納めていた。
サラリーマンでもあるまい、どうしてそんな物持ってるんだか…やっぱり変な奴。
「そういうヒジリさんは、どの様にして知られたのですか?東京受胎」
そうペラペラ喋くるもんでも無いと思っていたが、射抜く黒い眼がどうにもこそばゆい。
口を閉ざしても無駄な気にさせる、どうしてだか。
「…あれよ、サイバースの氷川」
「ああ、先日負傷した状態で発見されたあの」
「ありゃな、ガイア教徒なんだよ…ま、界隈じゃそこそこ知れてるこったけどな」
「へえ、では公園の暴動はやはり氷川氏が関わっている…?」
「…テレビじゃ通信塔建設に関する暴動としか発表されてない筈なんだがな」
ガイアの名を出して公園の暴動と直結させるなんて、やっぱりコイツは何か知っている。
横目に見れば、綺麗な横顔で俺をチラ、と見返してくる。
長い睫が二、三まばたいて、呟く。
「東京受胎が引き起こされる理由を、何と捉えますか」
突然の言葉で、それが俺へと向けられた問いと気付くのに少々要した。
「今の世界が気に喰わない…とかじゃあないんかい」
「しかし、壊して終わりな筈が無いでしょう…そこまでする者には理念が有る」
「壊した後に生きてんのかだって分からんだろ」
「己か、意志を継ぐ者が来世を担う、その様な仕組みになっておらねば壊す筈が無いと、僕は読みますが」
ああ、疼く。教えてしまうべきなのか。…いいや、教えてしまうべきなのだ。
俺だけで囲っていても、腐らせるだけだろう。
「“諸の声聞に告ぐ…我は未来世に於て 三界の滅びるを見たり”」
嫌という程に眼を滑らせた文章を脳裏に浮かべ、読み上げた。
隣からの視線が、更に鋭く俺に刺さる。
「それは何ですか」
「氷川氏を取材した時にだな、紙面に載せるなって云われてた文章…呪文みてえなヤツだ」
「全文有りますか」
「待ってな、メモったの有るから……ま、経典だかの一部だけだが、そこんトコは許せや」
鞄からメモ帳を取り出し、折り目の入れてある所から指で割る。
ほらよ、と渡せば、黒いコートが揺れて、白い指が受け取った。
「ちょっくら堅い文面だ、おまけに何が云いたいんだか実の所分からねえっていうな…ハハ」
「……“輪転の鼓、十方世界に其の音を演べれば 東の宮殿、光明をもって胎蔵に入る”」
躓きもせずにスラスラ読み上げる青年は、器用に角を優雅に曲がり、人も避ける。いくつ眼が有る?
「ミロク経典第四章 二十四…」
「そ!その経典って何だろうな、ガイアに伝わる伝書か何かかね」
「…三界…十方世界……」
「随分と仏教めいてるだろう?滅びるだぁ創世だぁ云って…それ、受胎と関係有るんだろうがな…俺の頭じゃ追いつけん」
「……有難う御座います……フフ…」
思ったよりあっさりとメモを突き返されて、なんだ、結局この魔法使いにも分からんかったか、とガックリした。
「これが東京受胎の事指してたとして、氷川がどう絡んでるかもイマイチ分からんしな」
「受胎が引き起こされた瞬間には、真相を知る暇も無く消えるでしょうよ…」
「は、それは確かにな……受胎を切り抜けるヒントでも無いもんかね、俺は新たな世界をくまなく調査したいんだがな」
「雑誌も発行出来ぬ上、読者も居らぬ世界で?」
「兎にも角にも記録したいのさ、生まれつきそういう性質らしくてな」
「へぇ、成程」
どこかその納得の仕方が自然で、違和感を覚えたが…きっとライターという職業柄からの認識だろう。
「東京受胎を望む一員が氷川氏の可能性は、有りますね」
それだけ云うと、黒猫に視線を下ろしてニタリと微笑む青年。
「一大カタストロフィの瞬間、安全なのは引き起こした者の傍でしょう」
「んじゃあ氷川ん傍に居りゃ生き残れるってかい」
「生き残る方が不幸かもしれませんがね…所詮我々は旧世界の人間でしょうから…クク」
妖しく哂うその顔に、背筋が凍る。黒猫がフウッ、と威嚇の様な声で啼いた。
「ええ、ではそろそろ帰還しましょうか童子」
また猫と会話してら。
「おいお前さん、何か面白い事知れたら、教えてくれや…気が向いたらで構わん」
「良いですよ、ただし、僕からも色々聞くと思いますが」
「お前さんに考察して貰うのが早そうだからな…ええと」
「紺野と申します」
「おう、紺野さん…魔法使いの紺野さんね」
「魔法使い?」
「いいやコッチの話。名刺に携帯の番号入ってるから、何かあったら頼む」
黒いマントが木枯らしになびく。紺野はヒールを鳴らして俺に背を向ける。
どうやらここいらでお別れの様だ。
「そうそう、ヒジリさん…万が一、崩壊した世界に生き残ったとしても…」
「ん?何だ」
「あまり感情的にならぬべきでしょうね」
一瞬振り返った横顔、やはり妖艶というべきか。
黒猫に急かされる様に、紺野は雑踏に姿を消した。
『お主、受胎の日を遡って如何するつもりだ…次期でも計るつもりか?』
ゴウトがライドウに向かって云う言葉、受胎という単語だけでも、俺はぞわりとする。
「ざっと調べただけですがね…四年毎に怪しい動きが見られましたので、受胎させるにせよ、次は四年後の可能性が高いでしょう」
煙草の煙を燻らせて、テーブルに小さな手帳を展開させていた。
冷蔵庫から勝手に取りやがったのか、コップに注いだ水の中で氷が踊る。
俺はといえば、割れた床の溝を埋めていた。
いつまでもこのままにしておけない、此処は俺の家なのだから。両親の買った家なのだから。
「施工の得意な悪魔でも召喚しようか?イッポンダタラとかねぇ…クク」
椅子をギィ、と傾かせ、ライドウが哂った。
「煩い、傾かせるな、床に負荷が掛かる」
「居間の床を一番破壊したのは君だろう?たった今も、埋め合わせ中ではないか」
ぴく、と、パテを塗るヘラを持つ俺の手が止まった。
「“今しがた 居間にて 忌々しき孔埋めん”…クククッ」
せせら哂うその脚目掛け、床に這い蹲る俺は腕を翻した。
狙う脚は椅子では無い、ライドウの脚だ。黒い学生服の裾から覗く、その白い爪先。
「っ」
「今際の際でも見たいかい?功刀君」
三味線のヘラに近い形状のそれを、爪先の親指と人差し指で白刃取りされる。
何故そんな器用な真似が出来るのか、おまけに結構な力で挟まれている、上下には動かない。
「その減らず口、埋めてやろうか…っ」
「君は己の墓穴でも埋めるべきではないか?フフ…毎度掘り起こして、御苦労だね」
背後のソファで、ゴウトが溜息を吐いている。俺達の応酬に呆れているのだ。
「ほら、パテが乾くよ?早く作業に戻り給え」
ライドウの見下ろしてくる視線に、俺は納得いかないまま殺気を仕舞い、指先の力を緩める。
合わせて、する、とヘラが解放された…と、その瞬間に。
「んぐ、っ」
今度はライドウの爪先に、俺の前髪が挟まれた。間髪入れず、ぐい、と上を向かされる。
「そういえば、良かったねえ…僕があの時、君の職場に用事があって」
「んっ、ぐ…」
「まぁ、求めていた書物は無かった上に…妙な茶番を見せられてしまったが」
冷ややかな視線、嘲笑かと思ったが、それとも違う。
背後のゴウトは制止もしない、これが主従関係だってのか…畜生め。
「また殺せないとぐずっては、喰われる流れだったのかい?」
甦る、天輪鼓の前で、押し倒されて、身体中からマガツヒを舐め回される様に…
思い出し、思わず吐き気が込み上げる。きっと泣きそうな、情けない顔をしている俺。
アレがボルテクスに狂わされたヒジリだと解かっていても、この世界のヒジリが赦せる筈無い。
「あの時だってっ、喰われちゃ、いない…!」
「へぇ?どうだか…靴も脱げ、息も絶え絶えだったではないか…」
「それだけで決め付けるんじゃねえよ…!」
ライドウの足首を掴み、振りほどく。前髪が引き攣って痛かったが、このままでは頭を蹴られかねない。
床の孔を見れば、実際半分ほど乾燥してしまっているそのパテ。急いで整形する。
歪んだ床に立ちたくない。
「諸の声聞に告ぐ…」
脚を組んだライドウが、煙草の煙を輪にして吐き、唱え始める。
「我は未来世に於て 三界の滅びるを見たり…輪転の鼓、十方世界に其の音を演べれば…東の宮殿、光明をもって胎蔵に入る」
何の呪文だ、意味が解からない。
「衆生は大悲にて、赤き霊となり…諸魔は此れを追うが如くに出づ…霊の蓮華に秘密主は立ち、理を示現す」
耳が真っ先に捉えた、コトワリという単語。
「是れ即ち…創世の法なり」
コトワリ…創世…ぞくりと震えが奔る、そのおぞましい流れ。
巻き込まれた不条理を、世界のサイクルだと云えば、たった一言で終わる。
俺の意思なんてお構い無しの、ボルテクス。
「それ…何だ」
「ミロク経典第四章の二十四…からだとさ」
「…ミロク経典?何だよそれ…東京受胎のバイブルか何かかよ」
「崩壊の導きが記されているとんでもない聖書さ、まさしくラスト・バイブルと云えよう」
クスリと哂って、手帳に何かを綴っている。
その経典だかの言葉を、何処であんたは知ったんだ…ライドウ。
俺の時代の筈なのに、知らぬ間にライドウが掌握している…俺の身動きを、封じる様に。
「“三界”とは“欲界・色界・無色界”を指す。“十方世界”とは、全方位に何処までも広がる世界全てを指す」
ゴウトがたたっ、とライドウの手帳の傍に飛び移る。正直、畜生の脚でテーブルに乗らないで欲しい。
「“輪転の鼓”…これはそのまま、語呂だけならば天輪鼓と置き換えて良いと思われる…“輪鼓”は独楽の一種、森羅万象を暗喩している」
『独楽か…我等の帝都にも有ったな』
「空中独楽のディアボロ…まぁ、伊太利亜語で…悪魔、という意味になりますが」
チラ、と俺を見て、あからさまな哂いを浮かべたライドウ。
「フフ、失敬、逸れましたね」
この男、俺が文句を云う前に次に移るのだ。腹立たしくて、ヘラが床を抉る。
「胎蔵に蓮華…フフ…やや密教めいておりますが、ガイアなので其処は如何様にも捉える事が出来ましょう」
『お主、よく一字一句暗記しておるな』
「この長さならば、写しを取る必要は無いと思いましてね」
ああ、もう駄目だ、ついていけない。
いや、ついていきたい訳じゃない。主従として、強制的に引っ張られている、それだけで。
無言で立ち上がると、俺は平らに埋めた床を一瞥してから、ヘラをシンクにぶん投げた。
甲高い音が響き渡って、ゴウトの尾がビビッと一瞬立つ。
『どうした人修羅』
ゴウトの声を無視して、踵を返す。ああ、もう何も聞きたくない。寝たい。
睡眠が必要な身体でなくとも、横になる俺は未練がましいだろうか。
でも、人間から離れるのが、怖い。
(ボルテクスじゃないのに、この世界すらおかしく感じる)
それとも、俺が狂っただけなのか。
居間から廊下に出て、二階に通じる階段目指して歩めば…凛とした、高さの残るテノール。
「衆生は大悲にて、赤き霊となり…諸魔は此れを追うが如くに出づ」
背後からのそれに、咄嗟に駆け出そうとすれば、階段につんのめった。
「っう!グ…」
顔面強打は何とか避けたが、強かに顎を打ち付け舌を噛んだ。自分でもこういう時、あまりに鈍重だと思う。
「赤き霊…何だろうねえ功刀君?フフ…赤い、非物質的なモノ…人間が一瞬で黄昏に消えたあの瞬間、何が見えたか憶えているかい?」
「あ、っ」
階段に手脚を着いて、俺に覆い被さるライドウの気配。
「受胎の瞬間、僕も窓から見たさ…一瞬で、人間だった形がふわりと崩れ霧散する様を、ね」
「退け…!」
「マガツヒなのだよ…生体エネルギィよりも、人間を構成するのは寧ろ其方…ボルテクスでは重要な熱量」
暗くなる視界、身体が反射的に強張ったが、どうやら学帽を被せられたらしい。
「功刀君、君はマガツヒの重要性を解かって居なかったよねぇ…ボルテクスで」
見えない視界、腕を動かそうにも、どうして動かない?酷い圧だ。
腰は跨られているので解かるが、腕が微動だしないのは、妙な恐怖を生む。
帽子を振り落とそうと頭を振れば、項からがしりと首を掴まれる。
「ッが……ラ、ライド…」
「アサクサだったか?ねえ?妙な軋みの扉を開けば、君が倒れていた」
「煩…ぃ…」
ぎりり、と喰い込んでくる、ライドウの長い指。
「先日、また喰われるのかと思って観察してみれば、まさか本当に反撃もせぬとはね…何、君そういう趣味だったのかい?」
「違――…げ、ふッ、が…ァ」
「呪具を身に着けていようが、擬態姿をそのままに焔くらいは出せるだろう?燃してやれば良かったではないか、人体自然発火現象という立派なオッカルトだろう?職業柄、あの男も幸せに死ねるだろうさ」
「殺人…だろうが、ぁっ」
「灰にして、店の埃と共に棄ててしまえば良い」
爪先が、喉に刺さる。どうしてだ、何故か、詰られる俺よりも…
背中の上のライドウから、滲む何かを感じた。
「君は人修羅だろう?精神から喰われて如何する?相手が人間であろうと自衛くらいし給えよ」
「妙な力、使ったら…悪魔って、思われ、る」
「フフ、殴る事すら叶わぬの?」
首に回されていた指が、する、と顎を掴んでくる。
「パールヴァティのジオで軽く揉んでやる程度にしたが…」
学帽が退けられる。開けた視界、俺の両腕はMAGの立ち昇る刀が刺さっていた。
階段の上段に、此方をじっと見つめてくるヨシツネが腰掛けている。
『恨んでくれんなよ、MAGで縫い止めただけだかんな、あんまし痛くねぇだろ?』
そういう問題では無い。
「二刀流はこう使うものなのか…この、下種」
そのヨシツネを睨み、背面に圧し掛かるライドウを見上げてみれば。
思わず、息が止まる。
「…もし、他の奴にその肉、荒らされて御覧」
氷の声。
「その時は、その胎掻っ捌いて、直接胎内に指を突っ込み印を結んであげる」
冷ややかな眼、どこまでも奥底があるかの様な、深淵。
黒い髪がはらりと、少しだけ零れて、ライドウの鋭い視線を隠す。
「ねえ、今はシラフだろう?」
突然の確認に、意味も解らず俺は数回まばたきをした。
「今回は吸われておらぬ様子だが…今の君の感想を聞きたいのでね」
ぐ、と無理矢理顔を上げさせられる。払い除けようとすれば、俺の掌を刺すMAGの刃がふるりと啼いた。
「上書きされて黙っていれる程、へたれた男でも無いと云ったろう…」
アサクサのターミナルで、聞いた気がする、その台詞。
「は…ぅんっ、んんっ、ぅう――」
塞がれる、息を吸われる、MAGもマガツヒも、歯列をさらりと舌が撫ぞっていく。
苦しい…胎が煮えそうだ…どうして、こんなにも、この行為を繰り返される?
こんな、主従にかこつけた蹂躙を赦せる筈無い。
(蹂躙…)
蹂躙…は、あの、アサクサのターミナルの記憶…先日の、書店で誘発した。
(上書き…)
今、されているコレは…上書きへの、上書きなのか…?
壊す為、ではなく…
創り変える…為…
ぼんやりしてくる、四肢が弛緩する、脳内がゆるゆると、サマナーのMAGに絆される。
あの、受胎の瞬間。霧散した人間や緑達が、一斉に立ち昇り…形を変えるのを見た。
丸くなる世界の中で渦巻いて、転生を始める。それぞれ、何かに。
世界そのものに、同化する奔流を目の当たりにした…その感覚が、喉を通る。
(ライドウに…上書きされる)
不純物が入らぬ様に、塞がれる。
輩の吐いた呼気を、肺から吸い取り除かれる。
MAGもマガツヒも、新たに注がれる。
震える歯列を、さらりと舌が撫ぞっていく、それが仕上げの合図。
離れていく唇を、ぼうっと睨む……濡れていた。
「はぁ、はぁ…はぁ、はっ、はぁ」
「…クス」
俺の唾液か、ライドウの唾液か、互いのなのか。
その淫靡な唇が、ニヤ…と、吊り上る。見慣れた、美しく腹立たしい顔。
「ねぇ…僕と、ボルテクスの時のあの男と、どちらが良かった?」
馬鹿じゃないのか。
あの時から、あんた以外の誰にされてもない。
「……ライ…ドウ」
いいや、いよいよシラフでそんな返答をした俺こそが…大馬鹿だろうが。
でも、身体は憎憎しいまでに、指先まで瑞々しい。
主人のMAGを得て、潤うこの肉がおぞましい。
(MAGだけじゃなかった)
滲み出たそれは、怒りなのか…ああ、多分そうだろう。このデビルサマナーは、簡単に懐柔される俺にキレてるんだ。
背のライドウから滲んだマガツヒの理由を、俺は勝手に決め付け、小さく溜息した。
「フフ……ようやくシラフでその返答が聞けたよ」
ライドウから珍しく出でたマガツヒは、先日ソレを漏らしてしまった俺に、じわりと染み入った。
ああ、確かに上書きなのだ、創造なのだ。
他に踏み荒らされた感覚を塗り替える、契約者の熱量が、俺の世界を。
「他に選択肢が…無いからだ…!」
ようやく引きずり出せた叫びと共に、掌をずくりとMAGの刃で斬らせ、解放する。
上体を反らし、階段に刺さるままの刀の柄を掴んだなら、指先に焔を流し込む。
呪具で火力も控えめなマグマ・アクシス。燃した刀を上段のヨシツネに向かい、投げつける。
『おっ、とぉ…!おっかねえ……へへ、やっぱ粋だねぇアンタ』
燃える刀身を、篭手先で掴みくるりと回せば消火され、鞘に納められていた。
ヨシツネは指先をふうふうとして、たたっ、と下りてくる。
「御苦労ヨシツネ」
『諦めなぁ人修羅。一度絶品の美酒呑んだらなぁ、世界変わんよ。他のなんざ有り得ねぇってなるぜ』
「そうでなくてはねぇ…フフッ。悪魔を使役するには、僕の味を至上と思わせなければ」
『あー性質悪ぃ』
頭上の応酬に、ただ項垂れるしかなかった。
この男に、何度壊されたか知れない。
その度に、確かに俺の中で音を立てて崩壊し、新たな世界が生まれていた。
それが、力を揮う為の破壊への意志なのか。
人間生への更なる執着か、悪魔生への覚悟なのか。定かでは無かったが。
「この世界…いつか絶対、壊してやる…」
「おや、君も東京受胎というカタストロフィを望むのかい?功刀君」
「俺が元の形に戻って、そうしたら世界を巻き戻すだけ、だ…!創造主に成りたい訳じゃない!」
背の男に吐き捨てる、そんな俺だが。
葛葉ライドウに壊されて、ボルテクスのループを解脱したのは…紛れも無い真実だった。
「何ですその本」
「んぁ?あぁ…小っさい書店で買った」
あの書店で、流れで買った本を、俺は適当にぱらぱらと捲っていた。
明治〜大正時代のオカルト…だとか、そういう内容で。
日本の裏から色々暗部が操作してただの、悪魔を駆る組織があっただの。
(ヤタガラスねぇ)
どうも朧気で、調査してもしっくりこないんだよ。
本当に、そんな組織が…今も存続してるのか、判らん。
ふと止まる、挿絵に黒猫が啼いていて。
先日のオカルトマニアを思い出し、しばし見つめた。あの魔法使い、経典は読み解いたのだろうか。
「んあー死んだ」
向こう側からカイコの声にモニターを見れば、モノトーンの光景。
《GAME OVER》
「ゲームオーバーってヤツか?はは、仕事しろって事だろ」
「ちぇー…やっちまいましたね、またアソコからやり直しか」
伸ばされる指、それはリセットボタンへと向かって。
《LOAD》
そ知らぬ顔で、同じ地点から再び歩き出す主人公。
「あれ?お前、それ結構前んトコだろ」
「ちょっと、育て方ミスったんで…世界崩壊前からやり直しますわ」
「んだそりゃ、まぁた世界崩壊しちまうのかよ、難儀だな」
モニターにはまた、白んだ世界、散らばる大地。
「可哀想になぁ、そいつ、何度世界崩壊見せられてんだか」
モニターの主人公に向かって、俺は笑って吐きつつ…
どこか、デジャ・ヴを覚えていた。
リセットボタンで、幾度も崩壊を迎える世界。
プレイヤーの指先ひとつで、その小さいソフトの中の億の生命は、絶えては、再生させられ。
神の納得の往くまで、悪夢の転生から解脱すら出来ない。
「カタストロフィは、知らん間に起こっているのかもなあ」
ふと呟いて、読みかけの本をうつ伏せに置き、俺は仮眠を摂る為瞼を下ろした…
カタストロフィ・了
* あとがき*
ヒジリをこの辺りで登場させて、面識を作っておきたかった。ヒジリ好きの御方には申し訳無いです、毎回すいません。 上書きするライドウが滲ませたマガツヒは、当然嫉妬・支配欲・独占欲。
ミロク経典の勝手な解釈は、作中のライドウの台詞で済ませてあるので特に後述しません(怠惰)
朝倉さんの存在は、長編の【帳】を読んでいると少しニヤリ。 今回は説明的だったかもしれない…
ちなみに、SFCで無闇なリセットボタンは危険です。バックアップの不安定さよ…