こいつは解って云ってんだ、自分の形が変えられる事なんざ起り得ないと。里の腫れ物であると同時に、硝子細工と自覚している。べたべたべたべた、指紋付けられ口付けられて、穴には一物突っ込まれ。決定的な傷さえ入らなけりゃ好きにして良い嗜好品。だけどそいつを割ったら最後だ、どうしてくれると囲まれ詰られ、責任を取らされる。もう実のところはヒビだらけで、いったい誰奴が壊しちまうのか、そんな事を頭の隅に追いやりながら輩も弄んでいたんだろうに。さながら、ツンと澄ました硝子棒の山崩しか。
「お前もリーに違わずバカな奴よ、ライドウさえ襲名すりゃいいのかねェ」
「その為だけに置かれていたのだから、目的としては当然さ。あんたは葛葉になれずとも生きてゆけるが、僕はそうもいかぬのでね、此処の連中に飼われて暮らすのも御免だ」
「ライドウになったって、お前はぶんマワされるぜ」
「頻度は圧倒的に減る、そうこうしている間に老いぼれ共は先立つ、一先ず十分さ」
「此処のすべてから逃れられると思うなよ! 手前が顔を醜く変えようが蝦蟇に呪われようが、おれだけは怨む事を止めてやらんからなぁ! 襲名したからってイイ気になったら承知しねぇ、とことん足もと見てやらぁ」
 そこでニタリと口角を上げた紺野に、おれは血の気を狂わされた。怒りか怨みか判らん気配が、己の内からぞぞぞと込み上げては、穢してやれと煽りまくる。布団に再び突き倒し、大勢の蝦蟇で嬲る肢体。こびりついた吐瀉物を舌で舐め啜り、腋から臍からあちこちくすぐっちゃあ、びっとりきつく乳首に絡め、肌も見えん程にぬらぬら埋め尽くし。
「フ、フフ……外道が」
 いよいよ哂い出す唇に、おれは食い付いた。口が窮屈なのは、この舌がびろびろ伸び出したからだ。口腔を蹂躙したままベッと突き出せばみるみる奥まで侵入し、紺野は獣みたいな呻きで激しく悶えた。そこをがっちり羽交い絞めにして、ひたすら汁を流し込む。この油にゃ幻覚作用も有るんだ、お前には部屋一面が蛙の海に視えてんじゃないのか。そしておれの事も、もはや一匹の巨大な蝦蟇としか。
 じゅぽんと舌を引き抜けば、うげぇッと油を吐き戻す紺野。空気を求めて喘ぐ口から、次第に泣き笑いの様な音が漏れ、蛙達とのちぐはぐな輪唱になり響く。普段は氷の様に冷たい眼も形無し、あらぬ所を睨んじゃ虚ろに撓み、まったくおれを見ちゃあいねえ。
「は、はぁっ、あぁっ……あっ、ははははッ」
「笑ってんじゃねえ淫売がぁ!」
「ここもと御覧に供しまするは坎井の蛙が妻狩り時ぃ、アップクチキリキアッパッパァ、腰振る音も睦言も蝉噪蛙鳴御慰みぃ、手淫組みまし自暴自涜、オンコロコロセンズリマラフミソワカ」
「くそっ、くだらねぇ」
 げらげら笑い興じる紺野、その横っ面を叩いたつもりが、間に挟まる蝦蟇が潰れた。MAGと脂が入り混じり、奴のモミアゲと頬を濡らす。爆ぜる音が気に入ったのか、紺野は鋭く腕を振るっては身近な蝦蟇を潰し始めた。いたずらにぽぐっ、ぽぐっと、鳴き声よりも軽く響くソレ。なるほど幾ら潰そうが実体も無い、おれの様に祟られる事も無いこった。
「ほら御覧、やはりMAGとあんたの残滓だけ、見事な魂無しだ、ああ蛙はそもそも玉無しだった、あはは──ぁぐッ」
 うじゃうじゃとした中から筋肉質な白い脚をすくい上げ、ずっぷし突っ込めば一瞬黙る。視界の端で、つま先がぎゅっと丸まってから、ぴんと伸びて震えた。
「……ぁ」
 周りの声に圧倒されながら、か細く喘いだ紺野。直後、結合部分をとろりと撫でる熱。何が決め手かまったく謎だが、どうやらイったらしい。虚空を見詰める虚ろなそれと、ようやく目が合えば、おれの心臓がぎりりと潰れそうに痛くなった。そうだ、昔からこいつの静かな眼が恐ろしかった、ガン垂れてくる悪魔よりも、怨み詰め寄る蝦蟇よりも。
 恐ろしさは亢奮を呼び起こす、亢奮は暴力を。おれを荒くれ者と批難する奴等も、呆れて遠巻きにする奴等も、媚び売って来る奴等も、みんな揃って同じ眼をしていた。だが、紺野だけは違った、おれがびびってる事を見透かした様な……そんな眼差しをする。それに見入ると不味い、言葉が出せなくなっちまう。
 嫌な予感の通り、互いに無言が続いた。そのせいで蝦蟇は一段と輪唱を増し、香の煙さえちりぢりにさせる。おれと通じ合う死霊どもの念が、怨め、さあ怨めと追い立てる。赦しを許すなと、こうなったのは誰のせいだと、オオバコの葉影から覗く顔を視せてくる……甦った我々が最初に目にしたサマナーの顔を、その男は目の前の──げろげろげろげろぐわぐわぐわぐわげろげろげろげろぐわぐわぐわぐわげろげろげろげろぐわぐわぐわぐわげろげろげろげろぐわぐわぐわぐわげろげろげろげろぐわぐわぐわぐわ──
「うるせえ、うるせえうるせぇ! 頭ン中で! じッとしてるとすぐ鳴き出す! 夢の中まで埋め尽くして! どうして蛙どもは蘇らせたお前を怨まねえ、とっとと生まれ変わっちまえば楽じゃぁねえか、どうして輪廻からはじき出したお前を怨まねえ!?」
 両の腕で蝦蟇と布団をまとめて叩き、なんとか口を開きはしたが見事な恨み節。いかれ口上で掘られてたお前と比べりゃ、余裕の無さに反吐が出る。
「そうだな、生まれ変わった方が楽だろうね」
 紺野の声は嫌に冷静で感情も見えず、けたたましい蝦蟇の音を貫通しておれを刺した。
 
 
「ほらよ、本当は印度で売るやつらしいぜ、まぁ味は内地用と変わらんだろ」
 約束通り煙草を渡す。この手の物品はあっさり頂戴出来るから、家業様様といったところだ。紺野は受け取った包みを破った端から、早々に一箱抜き出す。
「随分ファンシーな図柄だ、ドロップスかと思った、CHERRYとあるし」
「カートンまんまの大盤振る舞いだぜ」
「これくらい無ければ困る。食事はどうせ胃に残らない、ノーカウントでも良いくらいだ」
「おいおい、ウチの調理人働かせてんだから、感謝しろよぉ?」
 わざわざ〝客人と懇談する〟とか嘘吐いて作らせてんだ、とてもじゃないが紺野を招いてるだなんて云えねえ。狐の噂は耳にしても「顔と名前は一致しない」という身内が多くて助かった。
「マッチは」
「は~ぁ? 今から吸うのかよ」
「譲渡されたのだから、此れをどうしようと僕の勝手だ」
 云うなり縁柱に背を預ける紺野。既に一本、指に挟んでやがる。なんだこの野郎、せっかく内風呂まで使わせてやったのに、もうヤニ臭くする気か。共同風呂が空くまでベトベトぐちゃぐちゃで耐えられんと思ったから、おれが珍しく水汲みまでして準備しといたのによ。
「シャツもサイズが大き過ぎる、お古じゃないだろうね」
「そりゃおれ宛てに寄越してくるんだから、おれのサイズに決まってんだろが。それにお古じゃねぇよ新品だよ、お前が筋肉足らんのじゃないかぁ?」
「あんたのは贅肉だろう」
 なんだと手前と身を乗り出したが、紺野はひらりと逃げて行く、縁柱から離れ、沓脱ぎ石の草履につま先突っ掛け、庭に降りてった。藪に近寄ると、何やら笛を吹き始める、低音から始まりやたらと長い……独特な音色。ややあって、紺野の前にめらりと現れるオンモラキ、どうやら口笛で召し寄せたらしい。具合好く紅蓮属なワケだが、そういう笛なのか?
「喉が痛い」
 紺野は煙草の煙を纏いながら縁側に戻って来た、さっきからシャツ一枚でふらふらと。
「じゃあ煙草吸わなきゃイイだろが」
「この煙はむしろ癒しさ、腫れているのは散々穿ったどこぞの一物の責任だ」
 申し訳程度に羽織ったそれさえ、サイズ確認の為でしかないんだろう。しかしこいつ、褌は締めたのだろうか。でかいと云うだけあって、シャツ裾が尻まで隠して判らん、どうにもそわそわしやがる。チラっと背後の部屋を、障子の隙間から確認する。布団周りに着物以外の布切れは無い、一応締めてるのか。
「今宵、あの布団で寝るのかい」
「おれ自身がタラタラ油出すからって、ギトギトの布団が気持ちいわきゃねえ。寝起きの脂汗なら洗濯で済むが、今回のはも~無理だろ、捨てる」
「贅沢な奴」
「うるせぇなあ、それこそおれの持ち物なんだから、勝手にさせろってんだ。手前もアレよ、襲名すりゃ寝床の処理も気にせず寝られっぜ、帝都は遊郭ってモンが在るしなぁ……ひひッ」
「金を払って何故、他人を抱かねばならんのかね」
「何云ってんだ、そりゃ女とヤりてぇからだろ。あぁ、野郎の方が良いのかぁ?」
「僕にそういう趣味は無い」
 ぴしゃりと返された。あんだけケツ穴掘られても、この辺に関しちゃ頑ななのが可笑しい。
「あーでもお前の歳じゃ書生扱いか、帝都に配属されるとなりゃあ……此処の息が掛かってる弓月の君辺り、ぶへへっ、似合わねぇ」
「どういう意味」
「あの名門だぜ、お前みてぇな不良が馴染めるのかよ! 狐から猫の皮に着替えるってか」
「馴染もうなどと思わん、本来ただの学び舎に過ぎんに」
 咥え煙草で着替え始める紺野、着物はすぐに引っ剥がしただけあって、ヤツ本来の匂いが香った。白檀……仏香だ、おれの中で、ぞわりぞわりと蝦蟇達が鳴き始める。お前こそを、輪廻から突き落としてやりてえ、やらねば、だのにどうしてやれんのか。死霊使いのサマナー辺りに依頼すれば、紺野を堕としやれるんじゃないのか、いいや駄目だあの男こそ虫が好かん、所有されちまうじゃねえか…………何をだ?
「お前、もしライドウ襲名できんかったらウチで働けよ、拠点は此処じゃねえしよ」
 逆の立場なら大笑いする様な台詞を吐いちまった、後先も考えないでげろっと。
「身近に僕を置こうが無駄さ、あんたに宿った怨霊は祓えないし、精神は凪ぐどころか荒れるばかり。本気で落としたいのなら、此処で僕を殺した方が早い」
 紺野の声は淡々としていた、帯を結び衿をただし、おれと間合いを詰めてくる。
「ほら、殺して御覧よ。隠蔽くらい出来るだろう、あんたの家系なら」
 くそ生意気なガキ……目と鼻の先で睨み合ったが、そこで初めて目線の高さが近いと感じた、いつの間にでかくなったんだコイツ。純粋な黒とも違うその眼に、おれの醜いツラが映り込んでいる、さっさと睫毛の影に隠れちまえ。
「お前を殺したら終わっちまう、おれも」
 容易く赦すなと蝦蟇が鳴く、しかし嬲れと蝦蟇が鳴く。
「……おれの姿をこうした償いに、手前が表立って商売しろって云うのよ」
 濡れ髪から石鹸が一瞬香った、そらみろ支給品とは大違いじゃねえか、煙草のついでにくれてやろうか、いいやそんな事どうだっていい。駄目だ胎にむらむら来る、ああうるせえ、心臓が痛ぇ、いてえよぉ。
「おれの顔のふてぶてしさは元々だとお前は云うけどな、蛙の呪い喰らってから明らかに忌避されてんだよなぁ、それも身内に」
「ガマ油を売るには、此れ以上無い佇まいでは?」
 煙草を指ですくい持ち、ニタリと哂う狐。おれは頭にくわっと血が昇って、気付けば拳を打っていた。それはひらりと躱されたので、反対の腕で衿を掴むに終わる。
「さっきから家、家家、家とかお前云うけどなァ、半分消えたも同然なんだよ! カラス周りの取引しか廻らせてもらえねえ、この意味が分かるか。おれを見せられねえんだよ、ウチの面目がこの身体を拒絶してんのよ!」
「僕が看板になった方が、御家の体裁は危ういと思うがね」
 ひとつ吸いこむ紺野、煙草の先がじんわり橙に光る。
「この有様が祟りってのは、もう察しがついてんだろうな、皆おれに寄らねえの、本家に帰っても通される部屋は限られててよ、おれは頭巾を被せられ、親でさえ直視しねえ……ああ畜生、此処の連中に何云われようが、そんなのぁどうだって良かったのによ。しかし手前らでさえ影でガマガマと呼びやがってたのに、この顔になってからは唱えもしねえ……どうせおれじゃあなくて〝蝦蟇〟が怖いんだろうなぁ。へへ、へっ……このままおれは、本当の蛙になる他ねえ。そんでおれはお前を殺したら、きっと成仏して、消えちまうんだァ──」
 ぐッと声を止められた。こめかみから頬をゆるりと撫でてく掌には、おれのイボがざらりと引っ掛かる。紺野の唇は酷く冷たく、舌がおれの歯をじりじり抉じ開けた途端、苦さが鋭く喉を刺した。堪らず突き放し、前のめりになる。
「げえぇッほ、げほぉッぅ、う~ッ……てめぇ」
「クククッ、煙で洗うのが一番さ、お気に召したかい」
 肩を揺らして哂う紺野、残りの煙をぽ、ぽ、と輪にして吐き出している。こいつ、おれが喫わない事を知りつつやったな、陰険が。
 それにしても、なんだってこんな不味い毒霧を喰らうんだ、空腹が紛れるとでもいうのか? そういえば、こいつが食ってる時の顔しか落ち着いて見てられねえ、でもおれは餌付けなんてしてねえ、吐かせりゃ帳消しよ、だから頭ン中のお前等は黙っていやがれ。
「……あんたの様な奴でも、身内から逸れるのは恐ろしいのだね。しかも子を孕ませる夢で興奮出来るだなんて、大した人間の雄だ」
「うるせえ、狐」
「契りあらばよき極楽にゆきあはむまつはれにくし蟲のすがたは」
 飄々と何かを詠う紺野は、近場の蝦蟇に煙草を突っ込んだ。そいつはおれに融合もせず縁側にあぶれ、消えるに任せた影だった。ジュウと音がした途端、煙も絶えた。
「ああ地獄だったかな、極楽にゆける筈も無かった。僕としては、姿形なぞ関係ない。共に居られるかは性質、そして互いの目的が全て、それしか無い」
「……とっとと行っちまえ!」
「契りあらばよき地獄にゆきあはむ……さて毒も抜けてきたし、僕は帰るよ。また御馳走よろしく、ガマ」
 哂う紺野は、いつの間にやら消えちまって。入れ替わるように、けたたましい蛙の声が甦る。
 縁側の蝦蟇は〝ぽぐっ〟と破裂して、其処に吸い殻だけが残った。