* あとがき*
タイトルは「おもいでのから」と読みます。下里の者が死んだ時、夜と矢代が弔いに来るというイメージで書き始めた。最初は「矢代が火葬する」シーンだけが鮮明な状態で、そもそも語り部の少女は死んでなかった。しかし書き始め10分辺りで「これ本人の葬式だった方が面白いな」と思い、そのままノリで進め……火処(火葬場)に着き、親族一同が最期のお別れをする辺りで「ここでいきなり自分が死んでるとなれば、受け入れ難いだろうな」と少女が可哀想になってきたので、じゃあ全員もう死んでる事にしよう〜と思い、親族は皆「悪魔の擬態」であるという事にしました。
夜の気の利かせ方は確かに恩情チックですが、火葬直前に唱えた〈里が一羽(いっぱ)は我等の仔、此の時までの役目を讃え、浄火にて紲(きずな)を焼き切らん〉なる詞は我々の子供でしたが、これを以て関係なくなりますよ≠ニいう意味。捉え方によっては「追放されるか死ぬまでは、里の一員として生きるべし」といった帰属心の刷り込みを匂わせます。今回の話を書くにあたり、葬儀形式などは具体的に書きませんでした、宗派を固定するのは彼等のスタンスに合わない。それに、里を起こしてからは恐らく独自の祭事や習慣≠作り、隔絶された共同体を培ってきた。上里が主郭であり、下里はいうなれば堀か城下、大事な盾。盾が脆いといけないので、夜は自らを祖として忠誠心の強い構成員を教育する。これが優しいのかというと、なんともいえぬところでしょう(過去作で、矢代にも指摘されている)それだから夜の施す恩情や弔いというのは、本心からよくやった≠ニいう敬意が混じる、そんなイメージは有ります。
今回ラスト、咄嗟に抱き着かれても動じない夜。あれだけ他者からの抱擁に気を乱していた過去が有るのに、もうすっかり平気になってしまったのでしょうか?(書き終えてから気付いた)多分、矢代相手にだけです。そういえばこの矢代は、男なのか女なのか……左右されないテーマだったので、特に決めずに書きました。お好きな方で想像してください。
(2021/10/2 親彦)
〜簡易解説〜
▼火処(ほと/ひどこ)
蕃登、御陰、陰所、女陰、火門、含処、陰、火陰、火戸……様々な字が宛てられる。女性器を意味したり、それを想起させる地形(どうやら湿地帯も該当するらしい)の名称に使われたりする。古事記でイザナミの女性器を美蕃登(ミホト)と記してある、これが最古か。
「ひどこ」の場合は火の周り∞火の場所≠ニいう、字面そのままの意味合いで使われる。
▼人形神(ひんながみ)
富山県の礪波地方に伝わる憑き物。墓場土と人血を捏ねて作る人形。この人形を祀ると幸福が舞い込むが、ひたすら要求する(構う)必要がある、そして決して離れてはくれない。祀った者が死ぬ際に強く呪いがかかり、最終的に地獄へ落ちる。
本来は「三年間で三千人に踏まれた墓場の土」が良いらしいが、少女の環境的に難しい為、作中では「三年間で三千人が踏むであろう地中」に人形を埋めさせた(人の念が重要と思ったので)
私のイメージでは、この離れない℃椏_で、既にエネルギイのやり取りが有る。この人形神というのは、人間一人の欲望ではすぐに渇いてしまうのではないか。欲望(エネルギイ)を水の様に吸い上げるとしたら、人間側は無気力から衰弱し、それこそ欲望も湧いてこなくなる。願いを叶えてくれるとはいうが、この流れを考えると殆ど一瞬な気がする。
▼ジークフリード
菩提樹のある家で使役され、複雑な気持ちにならなかったのか(気になる人はジークの逸話を調べて)
▼水車小屋の小倅
SS「君を愛す」に初老の男性≠ニして登場していた人物。本作では少女と同年代の様子、つまり此れは「君を愛す」より数十年前の話。