体裁装丁の剥離
剥ぐ瞬間の音が、鼓膜を震わせる。
最初の嫌悪と吐き気は、達成感に覆される。
こんな快感を知らずにのうのうと、馬鹿正直に生きてきたのかと思えば
一瞬でも、あのおぞましいガキ共に共鳴した気がして。
やはりどこかで萎えるのであった。
カラン
シンクに投げ捨てたナイフが鈍く光る。
こういう時にステンレスの良さを再確認するのだ。
くたりと動かなくなった獲物は、大量の血液を失って魂を手放そうとしている。
下水に流れ、循環し、清らかな水と生まれ変わって人の営みに交ざり込む。
真赤な液体はどぼどぼと浴室の排水溝に流して、それが呑まれる渦を見ると不思議な心地だった。
魂が抜ければ、本当に土にも大気にも消えてしまう。
ただの土くれが、この世に蔓延している。
愛した身内も、ただの土なのか。
その土に土を殺されて、何故こうも血が沸騰しそうなのだ、ただの水分なのに。
「鎮まれ、鎮まれ鎮まれェ…」
魂を、落ち着けなければ。夢の中でもっともっと、殺す為に。
その為には、この世界で“見えない皮”を被らなければ。
ふと見上げる、先日加工した獲物の皮が良い塩梅に仕上がっていた。
クロムでなめすと6価クロムが焼却時に発生する、その為安全なタンニンで丁寧になめす。
今日屠殺した獲物は、ふくよかだったので薄めに伸びた皮が大量に採れそうだ。
あの子の好きだったテディ・ベアでも作ってあげようか。
口元が綻ぶ。そうだ、今夜は早く寝よう。
帰宅の際に書店で教本は見繕う、ぬいぐるみの中に詰めるワタはどうしようか。
そんな事を考えつつ、最近お気に入りの皮に身を包んで、寝床に入った。
「ック………クク…」
PC前からの薄い哂い声に、背筋がぞわぞわする。
最近あのデビルサマナーはネットに夢中だ。
《お気に入り》に、怪しいサイトばかり増殖していく。勘弁して欲しい。
『何がそんなに可笑しいのだ』
「御覧下さいまし童子、偽り事をこの様に堂々と提示している」
『ふむ……まあ、歴史は歪曲し易いのが世の常だからな』
「実際大正の世に居た我々にとって、これは面白いでしょう」
身支度しつつ、黒い集いに声をかけた。
「そんなに使うんだったら、あんた自分のパソコン買えよ」
「どうせ君はレシピしか検索しないだろう」
「悪いかよ。変な所ばっか見てウイルスでもかかってみやがれ…責任持って直してもらうからな」
「電脳世界においても、君より既に知識は有ると自負しているがね」
キイ、と椅子を回して、くつくつ哂う。
業魔殿という施設に最近入り浸り、気付けば俺の家で寛いでいるライドウ。
「出てけ」と一喝してやりたいが、いざ何かあった事を考えると…俺が頼れるのはこの男だけだった。
飯の支度をしろと云い出さないだけ、マシか…
「おや、勤労の時刻かい功刀君」
「あんたには関係無い」
吐き捨てて、部屋を出た。階段を下りて、靴の少ない玄関を越える。
俺の靴と、ライドウの艶めいたヒールローファー。
(け、ちゃっかり磨いてやがる…)
息が以前より白い、微かな霧の様だ。
外の寒さを感じ、悪魔の姿ならもっと楽なのだろうか、と一瞬思う。
そんな感情に自己嫌悪して、ぶるりと震えた。
かかりの悪いエンジンを温めて、ようやく繋がったクラッチを微調整していく。
ヘルメットを被る際に、項の突起を気にしてしまい、はっとした。
「馬鹿じゃないのか…」
ひとりごちて、重くなった頭を振り被る。
バイクに跨り、冷えた街路を往く。人通りは少ない。
まだ年の初め…営業している店も会社も多くない。
別に良いよ、と店長に云われつつも、バイト先に向かう理由はただひとつ。
葛葉ライドウと同じ空間に居たくないからだ。
案の定、普段より更に客は少ない。
丁度良いので思う存分清掃してやろうと、バケツに水を汲む。
「あ…」
またポルターガイストが、今度は複数で棚の前をうろうろ浮遊していた。
成人向けの写真集をパラパラ覗いては、きゃっきゃと騒いでいる。
何処の思春期の男子だよ…と思いつつ、其処につかつか歩み寄る。
「荒らすな」
ぴしゃりと発すれば、一斉に俺を見た。
『せ〜のっ』
『『アクマしておめでとぉ〜!』』
全員で同時に云い、カラカラ笑う。
(こ…こいつ等…!)
俺が悪魔嫌いな事を、数回の接触で判断したのか。
新年早々嫌がらせを受け、水の重みに揺れるバケツをぶちまけたい衝動に駆られる。
『怒った!』
『キャー!逃げろ〜ぃ』
ふわふわと蜘蛛の子を散らす勢いで逃亡するポルターガイスト。ばさばさと本が衝撃で落ちていく。
「くそっ、戻してけお前等!」
バケツは置き、床に落ちた本を咄嗟に掴み上げ、棚の曲がり角まで一気に駆ける。
曲がった直後、眼の前の気配に本を突きつけて睨めば…
「えっ、えっ」
うろたえる相手は、人間。
「あっ、いえ、そのっ…」
何故俺はサラリーマンにエロ本を突きつけているんだ。
最悪なシチュエーションに、説明すら出来ない、嫌な汗が滲む。
「あの、私が物色中に落としちゃったんですかねえ、その……『人妻スペシャル今晩のおかずDVDセット』」
「ち、ち違います、その、人違いでした…申し訳ありません」
「おかず……献立本のコーナーは確かに見ていたけど、いやぁそれはちょっと手に取る度胸が無いですねえ」
よりによって、こんなマトモそうなサラリーマン…
自分に溜息しか出ない。とりあえずこの恥ずかしい本は後ろ手に仕舞い、頭を下げた。
「年明けからバイトかな?偉いですねえ、勤労学生さんですか」
「はぁ…まあ、好きで出勤してるだけです」
「そうそう、裁縫の本でねえ…ぬいぐるみとかの作成図面載ってるの無いですか?」
「ぬいぐるみ…ですか」
腰の低そうな、しかしスーツはきっちり着込んでいる男性…中年層か。
奥さんに頼まれたか、それとも当人の趣味か…問い質さないのが俺だ。
案内した先で、いくつか指し示す。
「こっちの会社のは、沢山載ってますけど初心者には向かないですね、図面小さいし割愛箇所が多いですから」
「へえ…ああ、パッチワークの時にこの会社の買ったけど、そうそう…ようやく最近になって使える様になったんですよねえ私」
ああ、この人の趣味か。
「娘に作ってやるのが好きなんですよ」
少し落ち窪んだ眼。やや貧相な顔立ちが、微笑みさえ弱々しい。俺が云えた事では無いけど。
「立体裁断難しいでしょう、俺は苦手ですね」
「そうそう、生地が分厚いと更にねえ、針から選ばないといけませんから」
「千二百円になります」
「はい、ちょっと待って下さいね……」
差し出されたカード、思わずじっと見つめた。
金持ちの使うカードだ…あまりそういう立場に見えなかったと云えば、失礼だろうか。
「有難う、君男の子なのに詳しいんだねえ」
「仕事ですから、把握はしてます」
「じゃあ、さっきのエッチな本も?」
「あ、あれは…!」
「はは、いやすいませんね、でも健全でしょう、悪い事じゃないですよ、うん」
穏やかに笑うと、ビジネスバッグに購入した本を入れ、軽く会釈して去って行った。
俺は置きっ放しのバケツをふと思い出し、慌てて成人向け写真集の一画へと向かった…
今日立ち寄った書店は、料理と裁縫の本が豊富だった。
大きな書店は意外と置いて無いので、助かる。お店の子もよく解っていて話が早かった。
(何処かで見た顔立ちな気がする)
ちくちくと縫う針は、先端を丸くしてある。鋭利な必要は無いのだ。
蝋びきをした糸が引っ掛かる事も無く通っていく、とても気分が良い。
最近ようやく色々慣れた、最初の頃は殺す所から段取りが必要で。まず心の準備に一番時間がかかっていた。
出来てきた小さなテディ・ベア。掌に乗る程度だが、あまりに大きくても置き場に困ってしまうだろう。
娘の仏壇周りは、既に人皮のぬいぐるみで溢れている。
一番最初に作ってあげたのは、人型のぬいぐるみ。
あの子を殺した奴の仲間の皮で作ったのだが、処女作だけあってかなり不細工な出来だ。
糸も散り散りに解れ、知識も無く縫ったのが丸判りで大変恥ずかしい。
しっかり立たずに何処かひしゃげて、かっくんと倒れる姿は、夢に出てくる人形とそっくりだった。
ぼんやりと、霞のかかった夢の向こうで私は破壊を繰り返す。
土人形にも皮はある、人間の真似事みたいに生きる奴等から、それを剥ぐ。
剥いだそれを身に纏い、高笑いする夢。
それに啓示を受けたかの様に、この世界でもひっそりと、皮を調達し始めた。
(夢の続きを)
娘を殺した奴等に制裁を。
年若いから、と、眼に黒い横棒が入る奴等に何も鉄槌が下されないのなら、もう自分でするしかない。
こんな世の中、声が小さい者は淘汰されてしまうのだ。
これまでの私は、それでも頑張って、世間一般で云う“善人”で居た、のに…
(もっと力を)
夢の中の、力強い私に惚れ惚れしていた。
悪魔にも一目置かれる存在の私。綺麗事を吐かなくても、正直にぶちまけ憚る夢の世界。
あの世界に、どうしたら行けるのだろうか。
娘を殺されてから神経衰弱していった私に、愛想を尽かして出て行った妻の影も無い。
弱さを見せた私のカケラが、その世界には無い。
(今夜はここまでにしておこう)
針山にずくり、と挿し込んで伸びをする。
夢の中の己の様に、皮を纏って眠りに就く。
こうする事で、私は夢の世界で一層力を得られる…
感情の強い人間の皮が、私をより昂ぶらせ、強くさせる。数が多い程、身体への圧迫は増すが力も増す。
だが、どうしても近付けない存在がある。
夢の執着点は、建設現場。
其処でいつもいつも、不思議な悪魔に殺される。
(あの先を知りたいのに、いつも邪魔される)
土人形共とは違う…人間…だろうか、しかしその肌に奔る紋様が、否定する。
高見に私を殺す、直接手を下さずに。召喚した悪魔を使って、赤いコートの魔人を使って、静かに殺してくる。
その、自ら手を汚さまいとする精神が、酷く私を怒らせる。
夢から醒めても、あの姿が脳裏に焼き付いて離れない。
あの悪魔の名……
ああ、もう、いい加減出て来い。
夢で接触出来ないのなら、此方の世界で試みてやる。
お前も居るのだろう、この世界に。
『おい、ライドウ!』
ゴウトの声に、銃の手入れをしていたライドウの手が止まる。
俺も、黒猫の見る翡翠の視線の先を追った。
《最近非行少年ばかりが襲われ、“加工された”遺体が放置されるという痛ましい事件が連続で発生していますが――》
《今回も皮が剥がれていましたから、その…同一犯と見ても良いのでしょうか?》
《しかし今までと違うのは、犯人がメッセージを残した点でしょう、しかし意味不明というか…》
連続殺人のニュース、珍しくも何とも無い…が。
事件現場、人通りの少ない商店街のシャッターが画面に映し出される。
赤い血で、刻まれた鮮明な文字。歪に躍る並びが、慟哭を誘う。
どこにいる
人
修
羅
呼吸が止まった。
ビリ、と項が熱くなり、背が引き攣る。全身が強張り、精神が警戒に傾く。
どうして、その名前を知っている。
悪魔か?ルシファーの関係者?いや…どうしてこうも人間の世界に曝す。
「人修羅…その名を知る人間は、一部のガイア教徒のみでしょう」
ライドウの声は、俺と真逆で、やや興奮している。
「つまりこの犯人は、ガイア教徒…ミロク経典の中身を知る者…或いは…」
『ボルテクスの記憶を持つ者か?いや…まさか』
「可能性は有りますね、我々がそうでしょうに童子」
言葉も出ない俺は、黙って液晶を見つめる他無かった。
ニュースキャスターもゲストも、首を捻っている。
《ヒトシュラ、ですか…誰かの異名でしょうか》
《この犯人は、この捜している対象をおびき寄せたい…?》
《まあ何にせよ、この人修羅とかいうのが見つかるまでは犯行を止めないのでしょうな》
その決定的な一言に、ライドウが俺を見て哂った。
「何だ、俺が悪いってのか!」
堪らずに声を絞り出せば、不敵な笑みのデビルサマナーは調整中の銃を手早く組み直す。
「フフ…落ち着き給えよ功刀君、擬態し暴かれぬ限り、君はただの人間…だろう?」
『動きを見ている、又は情報を知る者を見定めたいのか…ともかく人修羅、お主は悪魔が相手であろうと、正体を見せぬが安全だな』
ゴウトの言葉…それが楽に出来るなら、苦労はしない。
既に次のニュースに移ったTV。
《さて、近年では様々な形で被害者の会が発足しておりますが、今回紹介するのは――》
《被害者遺族同士が啓発活動の情報を交わしあったり、そして心の傷を埋めよう、日々を挫けず生きようという志の下、参加する会です》
《当事者にしか解り得無いからこそ、メンタルケアをし合えるという訳ですね》
《昨年、娘さんを新宿○○事件で亡くされた男性のSさんは、欝からの復帰を果たしました》
まだ混乱する頭のまま、呆然と液晶を眺めるだけの俺。
見慣れた新宿周辺の映像だ…あまりに回数重ねて見る所為で、一体どの件を云っているのかさえ判断出来ない。
《欝からの復帰…気を紛らわすと云えば単純ですが、この会の主婦の方に手芸を習ったのがきっかけとか、いやはや大事ですね夢中になれるものって》
《針供養に行く程に熱心だそうで、今では他の会の方に教えるくらいお上手だとか――》
リモコンを肉球でふにりと押してOFFにしたゴウト。
『良いな人修羅よ?お主の為を思っての言葉ぞ、しかと受け止めんか』
「…分かってます…云われなくたって…」
まだ声が震えている、情けない。でも、恐怖、だった。
悪魔の野に、己が人修羅だと知られ放り出される事よりも。
人間の世界に、人修羅という存在が知れて放り出される事の方が、圧倒的な恐怖が有った。
「皮を剥ぐ、ねえ…」
ホルスターを脚に巻き、ベルトを調節するライドウが呟き哂う。
「そういった悪魔…いや、あれは擬人と呼ぶべきかな。ボルテクスに居なかったかい?フフ……」
「悪魔の事なんか、いちいち憶えて無い」
「そうかい、確かにあの悪魔大全の埋まり方では…クク、知識も足りぬ訳だ」
「煩い!」
このまま、人間の世界にボルテクスの名残が発露していけば、俺の居場所は消える…
いや、居場所を求める程、俺は本来情を求めていたか?
…違う。
(マネカタ達を…殺した瞬間、感じたんだ)
崇める両手は、裏切りの瞬間に糾弾の両手となる事を、ミフナシロで知った。
異質な存在は、排除される。それは、社会の仕組み、イキモノに眠る本能の仕組み。
いざ取り囲まれ、罵られ、殴られてみれば…
俺は、独りが怖かったのだ。
今まで、無表情の皮を被り、集団に生きてきたそれは…無意識の防衛本能だった。
社会のルールに従う、人畜無害な人間として生きていたからこそ…
今のこの不条理を、悪魔の己を…認められない。
認めて…たまるか。
「こんにちは」
今日は此方から声をかけてみた、こないだと同じ仏頂面だ。
だが、にこやかな私の顔に、向こうも安堵をしている気配。
「先月買った本、良かったですよ、有難うねえ」
「そうですか」
「手脚が可動する小さなぬいぐるみを作りましたよ」
可動部分のパーツは、獲物が着ていた服のボタンを拝借した。
まあまあ彩りも良くなり、きっと娘も喜んでくれる事だろう。
「こんな事なら、もっと早くこのお店で探すべきでしたよ」
そう云えば、少しだけ微笑んだ。営業スマイルが出来ないタイプの人間の微笑みは、本物だ。
いつも笑ってばかりの私の笑みよりも、真摯である。
「茶葉を使ったレシピとか、多く載ってるのないですかねえ」
「少し待っててもらえますか」
「悪いですねえ、手間を取らせてしまって」
「この時間ですから、他にお客様も居ないですし、問題無いです」
「店番は君だけなのかな」
「あと一時間も無いですから、店長はさっき裏に行って…今休憩してます」
本棚に伸ばされる腕を見る、少年にしては色白な…あまり筋肉も無さそうだ。
「これとか、如何でしょうか」
差し出してくるそれを見ずに、少年の顔をじっと見る。
何か自分の顔に付いているのか、とでも云いたげな怪訝な表情に変わる少年。
「あの…」
ああ、やっぱりそうだ、何処かで見たと思った。
何故最初に見た時に気付けなかったのだろう。
少し問い質してみるか、きっと今も皮を被っているに違いない。
「どうされましたか…」
「いや、御免ね、少し知人に似ていたものだから」
本を受け取る、中をはらはらと覗き見れば、茶葉を使った焼き菓子が豊富なレシピがいくつか有る。
出がらしの利用法まで載っている、なかなか着眼点が良い。
まあ、その出がらしからタンニンを抽出しているので、既に利用法はあるのだが。
「これ、買いますね」
「有難う御座います」
レジに向かう後姿、やはりシルエットは一致する。
癖のある髪型、あの眼。
どうしたら本性を出すのだろうか、感情を昂ぶらせるべきだろうか。
いや…夢のあの世界で、此方を認知しているとすれば話は早い。
此方の本性を見せるべきか。
「これ、茶葉の紹介のページが細かくて良いと思いますよ」
「うん……そうだねえ」
「ミルクティに合う茶葉とか、目的別にリストがあって…付録でLUPICIAの特集とか」
本を撫ぞる指先は、黒い斑紋が無い。
「この辺りだと三越新宿アルコットに店舗が在りますね」
「ああ、分かったあのお店かあ…うん、有難う、買って正解だ」
会計を告げる際に上げられる眼は、金色でも無い。
(この“貌”だ)
忘れ得ぬ面立ち……だが、もし人違いなら如何する?
いいや、私はこの子がそれなりに気に入っているので、もし…
もしも、勘違いだったとしたならば、いっそ娘への贈り物にしてしまおう。
この子の皮で作った、愛らしい造形のぬいぐるみなら、あの子の伴侶にふさわしい。
そうだ、いつ裏切るかも分からない人間の男など、もう娘には接触させるものか。
従順な造形物、彼女を殺す事も無い、私が一針一針縫い繋げた容れ者達よ。
(もし、この子があの悪魔なら…)
私がその斑紋の皮を身に纏い、夢の世界であの先に往くのだ。
(世界の…高みへと…マガツヒとやらを蓄え、征服の快感を)
疼く心を鎮め、店の外に出た。ぽつん、とバイクがルーフ下に駐車してある。
そういえば、あの子…下肢のズボンは革製だった。彼の雰囲気から、ファッション性を高める意識は感じられない。
きっとこの乗り物は、あの子の物。
私は肉切りナイフを鞄の中、指先に弄びつつ、忍び寄った…
「えっ、大丈夫なの?」
「まあ、近くに一応修理工なら有るので…」
どういう事だ、嫌がらせだろうか…釘やガラス片等は踏んでない筈。
サイドスタンドのみで地上にげんなりと立つバイクに、呆然としてしまった。
完全に裂傷したタイヤは、最早パンクとも呼べない。
「やだね本当…最近憂さ晴らしにそういう事する輩が多いからなあ〜…」
「…あの、俺とりあえず今夜中に修理終わらなかったら、明日は電車で来ます」
「早抜けしてもいいからね」
「はい、すいません」
店長に報告だけ済ませ、肩を落として外に出る。すっかり暗い…
(ポルターガイストの悪戯だろうか)
もしそうならば、今度こそ本気で焼いてやる。
「もしもし」
バイクを押していく途中、声をかけられ振り返る。
聞き覚えが有ると思えばそれもその筈、つい先刻の客だ。裁縫リーマン。
「やっぱりそのバイク、君のだったんですか」
「……ええ、まあ」
「この先の、あの大きい交差点のトコのバイク屋さんまで?」
「そのつもりですけど」
乗れば羽の様な二輪は、押すと途端に岩の様に感じる。
じりじり押し歩く傍、相変わらず貧相な中年男性が隣に並んで歩く。
「その状態じゃあホイールも危ないですねえ」
「そうですね、押し歩いてギリギリ持つ位だと思います」
「修理の間どうするの?」
何だろうか、少ししつこい。今は勤務外だ、受け答えの義務は無い…が。
そんな悪い人でも無いので、粗雑に対応したくない。
「一時間なら待ちますけど、それ以上かかるなら預けて帰ります」
「あのバイク屋の、裏にあるマンションに住んでるんですよ私」
「…へえ、あの背の高い…高級そうな」
「随分お世話になってますし、修理の間お茶でもしませんか?さっき買った本でも参考にして淹れますよ?」
にこにこと提案してくる、しかし、深く知らぬ人間の家に急にお邪魔するなんて…
「悪いです、そもそも奥さん居るんでしょう…急な来客は神経使うものですよ」
「ああ、そうだね!君はよく気が利くねえ偉いなあ」
答えると、携帯電話を取り出して勝手に連絡を取り始めている。
両手が塞がっている俺は「あっ」とか口に出しかけて、結局噤んだ……
「ほら、もう連絡は済みましたから。家内も快諾してくれましたよ」
そう云われては、もう断れなかった。
携帯を折り畳み、にこにことした顔で鞄に入れるこの男性。
何だろうか、少し…何処かで見覚えが…あった気がする。
店に客として来るより前に、何処かで…
「お邪魔します…」
「やっぱり一時間以上はかかるでしょう?」
「…そうですね」
玄関の靴の少なさに、違和感を感じているのかもしれない。
取り繕う様に、背中から促す。
「買い忘れがあったとかで、家内は近くのスーパーに出たそうですから」
「ああ、だから鍵かけてあったんですか」
違う、本当はこの家に私しか居ないから、戸締りをしてあっただけ。
そう、先刻のは芝居だ、通話のフリの携帯電話の先は無音。
元家内は今頃どうしているだろうか、私より心身が強い男性と共に暮らしているのか。
いいや、今となってはどうでも良い。
フローリングに上がる際に、少年の靴を見た。きっちり揃えられている、躾が成っている…
「座っててね、今淹れるから」
「はあ、すいません…」
もしかしたら、警戒して口をつけないかもしれない。
紅茶に一服盛っても無意味に終わる事を思えば、訊く方が早い気もする。
性急だろうか、しかしどうしようもない、事実興奮している。
向かいの椅子に着席して、息を吐く。私自身も少し、落ち着こう…
冷静にならねば、巧く処理出来ない。
「最近物騒ですからねえ…待つにせよ、外をうろつくのは良くない」
「それは一理有りますけど」
「眼鏡してるけど、視力悪いのかな?」
「…云う程悪くは無いです」
「良いねそれ、シンプルなデザインで、ちょっとフレーム見せてくれないですか?」
警戒している人間には、腰を低くして、本当の目的から少し逸らした問いかけをする。
渡される眼鏡のフレームの硬質さを指先に感じつつ、視線でちらりと少年を見た。
余計な物を取り払った素顔は、やはりあの悪魔と一致する。
少し童顔な、色白の…そう、足りないのは、黒い斑紋だけ。
「有難うね」
眼鏡を返そうとして、彼が取る前に引っ込める。
「ちょっと待って、少し指紋付けてしまったから、拭かないと」
「え、いいですよ別に…俺も拭く物持ってますから」
「奥の部屋だったかなあ」
少しでも、視力を弱めてしまうべきである。
居間を出て、奥の部屋に引っ込む私を見てくる視線を感じる。
最近感覚が鋭敏になり、力が付いたのは、悪魔じみた行為の賜物だろうか?
第六感でも覚醒しそうな快感、皮を剥ぐ瞬間にそれを感じているのが、今の私の真実だ。
「あの…」
見知らぬ空間に放置される恐怖を、人間は誰しも感じる。
半覚醒の獲物は、皆目覚めると錯乱したり、呆然としたりする。
彼も例に洩れず、だろう。
「あの、どうかしたんですか」
少年の二度目の問いかけに、部屋の中から返答する。
「ああ、御免ねえ、ちょっと立ちくらみが酷くて…すぐ立てないんですよ」
親切心を利用する。今までこうやって散々利用されてきたのかと思えば、簡単に思いつく。
ああ、かつての私は馬鹿者だった。
「あの、大丈夫ですか――」
が、今は違う。
開いた扉の横から、飛び掛る。
不意打ちに強張る身体は、私よりも大きくない、楽に済みそうだ。
「…っ、何して!?」
いいや、まだ本性を現してないだけ、警戒するべきだ。
「動くと頚動脈からバッサリだ」
首筋に冷たい金属を当てて云えば、反抗めいた暴れはじっと収まった…
密着する肉体から服をも貫通して、激しくなっていく互いの鼓動を感じ取る。
ああ、支配の感覚だ。夢でなく、この世界でも、この瞬間だけは理想の私に成れる。
「そう、大人しく…そう、それでいい」
暗い部屋の中、部屋の主の私は物の位置を把握しているので、好きに動き回れる。
少年をパイプ椅子に座らせて、足下のビニル紐でぐるぐると括り付ける。
彼の手脚に潜らせたそれがギュウギュウと音を軋ませる、それに重なる押し殺した荒い呼吸が、私を高揚させる。
手にしたナイフを、震える指が落とさない様に、私も深呼吸してから部屋の施錠をし、灯りを点けた。
「ひッ」
そう、この部屋を見ると、皆引き攣った悲鳴を上げる…
薄暗い照明は、皮が蛍光灯で焼けない様に誂えた物。
吊るされるそれ等は、室内干しの洗濯物か、暗室の写真にも見える…そんな光景。
私は見慣れてしまって、もう感動は無い。感慨なら有るが。
「今吊るしてある皮は、つい先日なめしたばかりのだ」
説明して、怯えた貌を拝む。
見開かれた眼、でも、今までの獲物と違う。やはり読みは当たっていたかもしれない。
恐怖の中に、私への明らかな敵意を感じる…綺麗な鋭い眼。
「知ってるか?人修羅…って、書置きもしたろ?ニュース見てるだろ?お利口さんっぽいもんな」
「……」
「人修羅って単語くらいは知ってるよな?メッセージで残したんだ…メディアに流れて、本人の目に付くように」
沈黙、それは畏怖からか、それとも故意の黙秘か。
「単刀直入に云うと、オマエが似てるんだよ、人修羅に…しかし店に通おうがずっと人間のフリしてやがるから、思わず手ェだしちまったのよ」
「ん、っ」
ナイフの平たい面で顎をクイ、と上げさせる。
チリ、と切っ先が喉に少し食い込み、赤い玉を作っている。
浮き出た喉仏が、切なげに蠢く。その喉を思い切りかっ捌けば、勢いのある赤い噴水が浴びれるだろう。
しかし抑えよう、折角の皮は、なるべく最小限に傷を留めたい。
「人間の皮被ってるだけだろう…え…悪魔なんだろう、ほら、出せよあの紋様」
「し、りません…俺…は」
搾り出される声音は、震えてはいたが…しっかり返答になっている辺り、冷静だと窺える。
「んだオイ…隠してるのかぁ?」
「あっ!」
着込んだコートの継ぎ目をブチブチとナイフで裂く。
グレーのハイネック、薄い胸板が上下する其処に目掛け、更に縦線を入れる。
引き攣った悲鳴をそれでも呑み込んだのか、布の裂ける音しかしなかった。
「……っ」
「おっかねえなら悲鳴くらい上げろよオメェ」
顔を横に背け唇を噛み締めている姿は、妙な苛立ちを誘う。
何を真人間ぶっているのだ、お前もさっさと皮を脱げ。
「…あん、何だコリャ…」
と、裂けた布地の隙間から何か光ったのを見逃さない私。
指先で乱暴に捲れば、傷になった皮膚を爪先で抉ってしまったのか、くぐもった悲鳴が聞こえた。
いや、傷の痛みよりも、少年の顔色を見て何となく察知する。
「ハ!初心な青少年ぶっといてコレかよ、色気付きやがって性少年が!アッハハァ!!こら傑作だなァ!」
羞恥に俯き、震えている。
その曝された両胸には、それこそ娘を殺したあのクソガキ共が、耳やら舌やらにジャラジャラ付けていた様なモノが有った。
そう、一枚捲ればこんなモノである。
しかし同時に、裏切られた気持ちが私を埋め尽くす。
虫も殺せない顔をして、大人しく息を潜めて、丁寧に返してくれていたこの少年も…中身は色気付いた、ガキなのだろうか。
その癖、小奇麗な皮を被って、いざ暴かれたら恥らうフリして。
ああ、恐らくこれは同族嫌悪。酷く、甚振ってしまいたい。
「オレの夢の中で、オレは悪魔だろうが同族だろうが、気に喰わねぇヤツはぶっ殺してきたんだ…」
「っう、ぐ〜ッ!!」
ナイフの切っ先を、ピアスが光る乳首にグニグニと突き当てる。このまま手首を捻れば、ピアスごと零れるかもしれない。
ギチギチと、ビニル紐が啼く。パイプ椅子は新聞紙の上なので、ガタガタ揺らされても床に傷は付かない。
「それなんだけどなぁ、いつもいつも人修羅って悪魔が邪魔をする。夢でいつもオレ様を殺すんよ」
「俺は関係…ありません…っ!」
「無関係でも、もうココまでやっちまったからなぁ…シラ切るつもりなら、いっそ本性バラした方が助かるかもしれねぇぜ…?」
「っ!痛ぁ…ッ」
「オレ様を殺してみろよ、いつもみたく。手下が喚べないんなら、悪魔の身体でぶっ叩いてみやがれよぉ」
根拠の無い自信だが、私にはこの少年が人修羅だという、かなり強いイメージが脳内に焼きついていた。
夢で私を、遠くからその眼で射抜く姿。細い四肢を奔る黒い紋様の流れを思い出す。
「確かこう…だったよなぁ?」
首筋から胸を切っ先で辿る、もういい、顔の皮さえ傷つけなければ。
面差しは、人修羅でなかったとしても、悪く無いと感じていた。やはりこの皮が欲しい。
「いっ、いぎいぃぃっ!!」
「でぇ……胎んトコにこう、宝珠…だっけ?…っぽく…って、臍にもしてんのか、スキモノねぇオマエ」
「ち、違っ…はっ、はぁ…あっ、はぁ、ッ」
「あん時のエロ本みたいの、おかずにしてるんじゃあないのか?俗っぽいの本当ぁ大好きなんだろうよ?んん?」
痛みを堪え、胎を懸命に引っ込めようとしたところで、椅子が軋むだけだ。
赤が伝う肌、紋様の黒とは違う色だが、少し近付いている風に見える。
「コレはなぁ…皮も剥げる万能のナイフよ」
たった今、雫の形に撫ぞった胎。その雫の先端に、切っ先の楔を引っ掛ける。
屠殺は、出来るだけ苦しまない方法でしてやるのが本来だが、これは理由あっての事。
「もしかしたら、一枚剥がさないと、あの悪魔の肌が出て来ないんじゃねえのかねぇ?どうなんだ?あ?」
はっ、と私の眼を見据えてくる。その怯えに少し恍惚としつつ、ビッ、と少しナイフを引っ張る。
「あ゛ッあぁッあ〜ッ!!」
ガタガタガタガタギチギチギチギチ、椅子が煩い。
甲高い悲鳴がようやく発露する。だが、捲れて引き攣った皮の下は、ただの肉色。
おかしい、この辺りに、黒い紋様があった筈なのだ。
更に引けば、組織から無理矢理引き剥がされる繊維の鳴き声が、まるで振動の様に伝わってくる。
この震えは、生きている獲物でなければ味わえない。
「…ぁ…はぁ…は…ぁぐ……」
一通り叫び終えた声が、既に掠れている。
中途半端に剥いだ皮をナイフの先に垂らして観察するが、悪魔の皮膚…といった特徴も無い。
「どうしてくれるよ、こんなんじゃイイ夢も見れないな」
…駄目だ、これは落胆だ。人修羅で無いのは、やはり残念としか云い様が無かった。
他人の空似という現象を受け止めつつ、仕方が無いので大人しく殺す。
上に干してある皮を一枚手に取り、汗の滲む少年の頬にひたりとくっつけてみる。
「う、ううっ!」
顔を背けて、ぐっと噛み締める仕草。今にも吐きそうな姿に、落胆を通り越し怒りすら滲んでくる。
お前の肉を包んでいるそれだって、皮だろう。
「こういう風に殺したヤツから剥いだのを、丹念になめしてなぁ…寝る時に身に着けるんよ。そうすりゃオレ様は夢の中で力を得られるって算段さぁ」
「ゆ……め」
「そう、夢とは云え、すげぇリアルなのさ…身に纏った皮が多い程、オレは夢の世界で好き放題力が出るんだよ。しっかり縫い合わせて作るのさ」
なんと素敵なナイトウェアだろうか。
「娘…さん、は……家族、は……嘘、だったんです…か」
「家内はどっか消えちまったが、娘は居るぜ、ほらよ」
部屋の隅、暖簾をすい、と横に引けば現れる、奥ばった空間。
遺影の愛しいあの子が微笑む、その周りを取り囲むツギハギだらけの人形達。
息を呑む音が、少年から聞こえた。そうか、気味悪いのか。
私にとって、この世で唯一癒される一画なのだが。
「殺されたのさ…家にも帰らない野良ガキにな!」
思い出すだけで、血が沸騰しそうなのだ。
何故、あの子が…あんな、不良と。
「いいか、この世界はな、馬鹿正直に生きたヤツが馬鹿なのよ」
仏壇を呆然と見つめる少年の肩に、ぐ、と手を置いて、背後から圧し掛かる。
「声が小さけりゃ、他のデカイ声に掻き消される…一日一善したって、誰も褒めてくれる訳じゃねえ…主張しなけりゃ気弱と罵られ、意見を受け入れりゃ流されっ放しと嗤われる」
上から少年を覗き込めば、ズボンの隙間から下着が見えた。垂れた血でじっとり赤く染まっている。
「はいはいと大人しく聞いて、社会のルールに則って生きりゃあ…流石にカミサマも悪くはしないだろ、って、思って生きてるのか?」
じり、と視線が背後の私に向けられる。薄く、金色に光った様に見えた。
「ところがどっこい、んな事ぁ無いんだぜ…不条理で済まされるのか?いいや、オレはそれを赦さねぇ」
「…赦さないから……どうするん…です、か」
「報復さえ認められないこんな世界、クソ喰らえって事さぁ……」
「報復…」
「娘を殺しておきながら、のうのうと生きてるヤツ等も…それを見て見ぬフリしやがる国も…」
若造なら、殺しても罪に問われないのか。それがモラルというものなのか?
笑顔の皮を被って生きて、それでも護りたいものがあったから、呼吸をしていた、善良な人間を続けれたというのに。
「国が極刑下さねぇからオレが殺してやんだよ……メディアじゃ眼に横棒の入る、あの悪魔共をなぁ」
しかし、この報復を始めてから未だに、張本人が殺せていない。あのガキの仲間しか、狩れていないのだ。
主犯は大事に大事に院の中、手が出せない。
「ざけてんじゃねえよクソが…っ!あっちの世界の方がマトモじゃねえかよ…オレは…こっちのオレはただの馬鹿なんだよッ!」
少年の肩を、ギリギリと爪を喰い込ませて掴む。
てっきり畏怖するかと思ったのだが、思わぬ返しが来た。
「貴方は…手段と目的が…逆転して、る」
「…何だと」
「俺を殺す理由は…報復じゃない…其処とは、無関係…でしょう」
痛みにうつろいつつも、間違い無く…私を間近から、睨んできた。
「だから、俺を殺したら…貴方はただの、快楽殺人者だ」
何処か薄っすらと、その薄い唇が哂った様に見える。
私の皮を貫通して、その眼が心臓を抉る心地。
ああ、何者なのだ、お前は。
上から私を見下ろして、やはり直接手は下さないのか。
「オマエの皮…全部、生きたまま剥いでやろうか」
「……」
「おっと、スグに殺しやしねえ…オレ様はあくまでも、皮を拝借したいってだけでなぁ……採取した後、オマエが勝手に失血死するだけだ」
これが云い逃れだと、少年も解っているのだろう。
もう、それで良い。私は“この世界の私”に、最早未練が無い。
馬鹿な私に、さよならをしたい。弱い私は、失ってから泣き叫び崩れ落ちた、愚か者なのだ。
だからこそ、今目指すべきは、夢の最果て。力が制するあの世界。
あの荒廃した砂漠、残虐と恐れられる土人形の姿のまま。
力を追い求めた先を知りたい。
「本、有難うなぁ…実際役立った、オマエ…良い着眼点してるぜ」
スーツのジャケットを脱ぎ、頭に被せて目隠しする。
籠った声が聞こえるが無視して、耳元と思われる辺りに囁きかける。
「見えてると怖いだろうから、せめて暗くしてやるよ、感謝しな?」
実を云うと、これ以上図星を突かれるのが恐ろしかったのだ。声を遮断したい。
頭に無理矢理被せて、ガタつく椅子を足で押さえ込む。そうだ…この白い項に、まず刃を薄く入れていこう。
く、と切っ先を立てた、その瞬間――
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