支離滅裂
階数を示す赤いLEDが移っていく、徐々に上の階へと。
「こういう処は初めてなの?」
「……まあ」
指定通りの時間、場所。キッチリと守る辺りに生真面目さが窺える。
いつもの学生服ではない姿に、口角が上がる心地だ。
「眼鏡はどうしたの?」
「無くても見えるので」
「じゃあいつものアレは伊達?」
「…黒板の字は鮮明に見えたほうが良いからです」
返答の学生らしさに、内心ぞわぞわと脹らむばかりの欲望。
これで男じゃなかったら、今此処で突っ込んでもみたかったもんだが。
捲り上げられるスカートというモノを、普通男子は着ない訳で。
隣に俯いて追従している少年は、それこそ平凡なパーカとタイトなジーンズ姿だった。
「いやしかしキミから誘ってくれるなんてねえ、おじさん興奮のあまり携帯落としそうになっちゃったよ」
自身をおじさんと呼称する痛々しさに、少年の眉根が顰められた。
嫌悪される程に昂ぶる、虐めたいし虐められたい。
「奮発してスイートルームにしちゃったよ」
「…そうですか」
「階に一部屋だから、いくら声出しても絶対響かないからねえ、セキュリティも万全だからねえ」
「それは好都合です」
「ナニしちゃっても密室な訳だよ」
不安気な面持ちの割に、随分と乗り気じゃあないのかこの子。
意外とビッチなのかもしれない…いや、それなら電車であんな顔は出来ないだろう。
「お家の人には何て云って出てきたの?遅くなるって云ってあるのかな?」
エレベータの扉が開くのを見計らって、少年の背中に手を回す。
あまり筋肉も無い、やっぱりなんともいえない瑞々しさがあった。
反射的に強張る背筋を掌に感じて、電車の接触を思い出し笑いが零れる。
「そんなに遅くならない…って、云ってあります」
「あんまりおじさんの相手してくんないの?」
「軽く触って、写真撮りたいんでしょう…そんなに時間は要らない筈です」
「それだけだと思ってるの?」
「…いえ」
言葉少なに横を向く、まともに此方を見ようとしない仏頂面。
そんな態で自分の様な所謂“変質者”を誘うだなんて。
「悪いコだねえ、キミ」
詰る様に囁きかけて、スイートルームの扉を開いた。
此処から先に監視カメラは無いと解釈して良い、在ったとしても露出はホテルの信用に関わる。
存在しながらに無い様なモノだ。
「ベッドのシーツがレフになるし…いや、薄暗くしても雰囲気出るよねえ、ブラックライトとかもあるしぃ」
どうやって肢体を撮影しようか、むくむくと妄想と下肢が脹らむ。
少女と少年の肉体は、魔的でどうしようもない。表情が大事で、そこまで面の造形は気にしていない。
恥らう人間程に、晒される肌は焦げる様な熱を孕んで…それがレンズを通して訴えかけてくる。
イケナイ気分の心地好さ、快感。
写真という、ひとつの画像データにして所有してしまえば。それを以って口封じさえ出来る。
ネガの時代よりも、いとも容易く貼って剥がせる粘着テープ。
「約束の…」
「ん?ああ、はいはい、他の写真も見たいとか、スキモノだねえ」
鞄からわらわらと、デジカメやらモバイルPCやらを取り出してデスクに広げた。
流石スイートルーム、調度品のひとつひとつが大きい、ゆとりがあった。
「キミの写真はそんなに多く無いんだよねーほらほら」
間に紛れて、ちらちらと学生女子のデータも映る。
それが液晶に垣間見える瞬間、隣の少年が少し眼を背ける仕草にニヤニヤしてしまった。
「これネタにして、呼び出したりしてるんですか」
「んーそうでもないね、おじさんはひとりひとりにそーんな時間割かないから」
一通り、当人のデータを見せつけてからPCを閉じた。
「でも、キミみたいに誘ってきたら…まぁ据え膳喰わぬは…って、解かるよね?解かるでしょ?」
パーツの中でもお気に入りのケツを触ってやると、ぴしゃりと弾かれた。
「今更どうしたの、早くおじさんに見せてよ」
「…まだ、シャワーとか…」
「ああ、そういうの気にしそうだよねえキミ、おじさんは電車の中のちょっと汗ばんでる身体とか好きだけど?」
「俺は嫌なので」
断言して、逃げる様に浴室に閉じこもって入った彼。
自分にとって大事な過程がやり過ごされそうで、慌ててそれを追う。
「待ってよぉ、脱衣シーンは重要なんだからさ!」
興奮して、我ながらかなり気色悪く上擦った声になってしまった。
脱衣所のドアノブを握ると、反対側から掴まれているのか、ビクとも動かない。
「おじさんに撮らせてよ」
「待ってくれませんか」
「脱いでる瞬間が欲しいんだよお」
「準備出来たら自分から、そっち行きます」
まあ、無理強いよりは恥じらいつつ自ら…という方がそそられるものだから。ひとまずドアノブから手を外す。
ややテントを張ったズボンをトランクスごと引っ掴んで、ぐいぐいと息子から引き剥がした。
肌が暗闇に浮かぶサマが好きなので、ベッドサイドのパネルをいじくり照明を変えておく。
蒼暗い照明、ブラックライト。
いかにもラブホテルっぽい演出になり、脱衣所から出てきた少年の顔が嫌悪に歪むのを期待して待機する。
「お待たせしました」
てっきりシャワーの水音の後に出てくるものだと思っていたので、不意打ちに焦ってデジカメを構えた。
…が、シャッターボタンに被せた指が硬直する。
「それ…キャットスーツ…か、なにか…?」
液晶がおかしいのか、デジカメを下げて肉眼で凝視する。
妙な紋様の入ったプレイスーツかと思った、そこまでサービスしてくれるなんて、やはりビッチ、と。
でもおかしい、紋様は頬にまで入っている、頭を覆うものは無いのに。
艶やかな黒髪はそのままに、肌という肌を黒い何かが包んでいた。
「光ってる…よね、ソレ」
「ええ」
ブラックライトの光を浴びて、これでもかと発光するそのライン。
頭の天辺から指の爪先まで、くっきりと裸の輪郭。ストッキング以上に滑らかな…そこまで精巧なスーツが、はたして有るのか?
心臓がドクドクしてくる、興奮?その割には下肢の息子が萎縮してきた。
「し…しっかし眼に痛いなぁ、照明の所為かなぁ?」
紛らわす様に発した声が、驚く程に震えている。
「消しても無駄ですよ」
自分の前につかつかと歩み寄ってくるその、夢見た少年の肢体は、皺も寄らない黒い紋様のスーツを纏っている。
骨っぽいが硬い筋肉は特に見えず、紋様の隙間から白い肌が覗いていた。
「だって、ライトの所為じゃないですから」
初めて少年の薄い微笑みを見た。
次の瞬間、眼の前に天井が在った。
「これは、俺の身体ですよ…“おじさん”」
一気に視界が流れて、気付けば床にひしゃげて突っ伏している自分。
転がっているデジカメを拾い上げる指先にも、黒い紋様が有る…
「ぅ、ウウ」
痛い、ようやく理解出来た。この少年に投げ飛ばされたのだ、上に向かって。
「誘われて、調子付きましたね、貴方……俺がどうせ訴える事も出来ない人間だと思って甘く見ていた…だって、痴漢に遭いながらもだんまりでしたからね」
身体を起こそうかと床に手を着いた瞬間、ぐいっと身体が浮いた。
脚だけ跪く様な体勢になって、頭皮はもげそうだ。
「いだだだだ!!」
「ふん……そもそも人間かどうか、怪しい訳ですけど…」
髪が数本抜けながらも、少年の片手で鷲掴みにされていた。
痛さと驚愕に、喚くしか出来ない。間違い無く、少年はスーツなんか着ていない。
「散々、俺の尻撫で回して…挙句に盗撮ですか」
「ちがっ、いだぁあーッ!!」
眼が金色にぼやけて光っている、猫の眼の様な双眸が此方を睨んでいる。
「犯罪…ですよね?」
「ひっ!!ひいいいいっ!!」
疑問を叫ぶ代わりに、身体が状態を示した。
下肢に何かが迸って、頭が真っ白に――
痴漢男の下半身がだらりと垂れている。
擬態を解いて鋭敏になった嗅覚を、程無くして突く臭気。
ベルトも無いだらしないスラックスの股座が、じっとり色を濃くしていた。
「――ッ、おまけに失禁しやがってっ!!」
咄嗟に横に放り投げると、加減が出来ていなかった所為か、随分と鈍い音がした。
壁紙に少しの血痕を残し、ぐったりと崩れ落ちている痴漢男。
俺は自分の手足を確認する、大丈夫、あの男の漏らしたものは付着していない。
右手指の僅かな脂っぽさは、髪を掴んだ時のものだろう。
気持ち悪くて、傍のベッドシーツで即座に拭う。
「気持ち悪い…気持ち悪いっ!」
放置されたままのPCに飛びつき、もどかしい手でマウスを握った。
全部、消してやる。中身をカラッポにしてやる。
(リカバリー領域…有った)
手順に従い、機械的なまでに、何のためらいも無く。
声も出せない人間達の絵は、この一瞬で消えるんだ。
「あ、ぁ゛〜ダメダメ、それやっちゃダメぇ」
壁際で呻く痴漢男の声を無視して、初期化を開始したPC。
液晶から眼を離して、今度はデジカメを弄る。
メモリは空にしてあったのか、とりあえず何も入っていない事が確認出来た。
「そういえば、携帯にも入ってますよね」
テーブル脇の、男の鞄を漁ってみれば出てくるソレ。
最先端のアレか、スマートフォンとかいう。
データさえ消せば…と思ったが、所有していない所為で扱いがイマイチ解からない。
「これで撮ってたんですか貴方」
這いずる痴漢男の襟首を掴んで、窓際に放った。
今度は髪の毛を掴まぬ様にしたが、掴んだシャツの襟首は薄汚れていた。駄目だ、結局気持ち悪い。
「キ、キキキミはな、何なの!?」
「質問に答えて下さい。コレで撮影して、俺の携帯パクって、わざわざデータ入れてくれたんですか?」
しゃがみこむ、一子纏わぬ俺の身体。ちょうど痴漢男の眼前に局部の暗がりが位置する、しかしもうお構いなしだ。
男の眼だって、それどころでは無いらしく彷徨い続けている。
「そ、そ…ぅ、だよ」
「…携帯って普通、撮影時に音がするものだと解釈してたんですけど」
「あ、あああれだよ、アプリでさぁ!マナーモードのカメラ版?みたいのがあってさぁ!」
「……音が出ない、って事ですか」
呆れた、何がマナーだ。
この端末の中に、どれだけ俺のデータが入っているかは定かではないが…
(こんなもので…散々…)
電車の中の空気が蘇る。恐怖からか、脂汗の滲む眼の前の男の臭い…残留するアンモニア臭。
沸々と胎の内側から煮えくり返る。
大丈夫…この男はそれほど失血していない。
やり過ぎたらディアをかければ良い、その為にアンクを呑んできたのだから。
「その撮影のモードまで、操作して下さいよ」
ひらひらと、男の顔前で端末を振る。
痛みと恐怖で、おどおどとした手振りを見て、酷く凶暴な心が疼く。
「早くしろっ!」
「ひィっ」
幾度か取り落としつつ、床に蹲ったまま端末操作する痴漢男。
ふるふると差し出してきたので、それを受け取れば液晶画面には向こう側の景色。
かなり鮮明に映し出されている…フラッシュをONにすれば、ボロボロの男がくっきり浮かび上がった。
「俺の尻…何回触ったんですか」
「え、えっ」
「俺のケツ何回触ったかって訊いてるんですよ!」
「お、おお憶えてない!な、何回か撮っても……さ、触った回数は、そんな、いやほとんど無いってっ!」
昨夜の記憶を辿る、俺の携帯に入れ込まれたデータは、遡って約一ヶ月分。
平日は通勤の行き来があるとする。約二十日間、触れられていなかったとしても、監視に近かった訳だ。
見せ付けて、アピールして、俺の嫌悪感を拝みたかったのだ…この男は。
「俺があの場でどうしようもない事、利用してっ」
「ううッ、う〜っ」
弾みもしないだらしない尻を蹴る、足の甲から腐りそうだが、我慢する。
「ほらっ、別に怖いなら泣き叫んだっていいんですよ!この部屋防音なんでしょう!?セキュリティ万全なんでしょう!?」
数回蹴り続けると、男は足腰も立たないのかよろよろと傍の自動販売機に縋った。
淫猥な物体ばかりが並ぶその装置は、良い塩梅に男の図体を照らしている。実に良いライティングだった。
「こんな密室なら、電車の中より余程優しいじゃないですか…ねえ」
端末の液晶に、痴漢男を映し込む。適当に指でタップすると、どうやら撮影されたらしい。
「漏らしてラブホテルに居る貴方の写真、この携帯のアドレス全員に一斉送信とか…」
男の眼の色が変わった、それがどうした。
「お、お願いですからぁ」
「…まあ、俺の携帯を盗ってソレをしなかった様子ですから…俺もそれは控えましょう」
「う、ううーも、もう許して」
そんな間怠っこしい事をする気にはなれなかった。他の人間を巻き込んではいけない…そこまで分別無い俺が嫌だ。
そう、そんな事よりも今は…
「まだ二十回蹴ってないですから」
誇示したい、畏怖させたい。おぞましい心が躍る。
タップしていた指が、液晶を貫いた。そのまま端末ごと発火させれば、酷く焦げ臭い。
無機物の燃え焦げる臭いに慣れないのは、ボルテクスで肉を燃やし過ぎた所為か。
「本当なら貴方を燃やしたいところですけど…」
恐怖を煽る、男の顔が歪む、俺の身体が騒ぐ、血の匂いが脳髄を刺激する。
眼を凝らすと、薄っすらと男から何かが滲み出ている…
(“マガツヒ”だろうか)
いつだったか、マネカタをぐちゃぐちゃに潰し焼き払った記憶が蘇る。
そうだ…あの時だって……俺は悪くない…冤罪…
今この瞬間だって、報復しているだけ、そう、それだけ。
悪魔の悲鳴よりも妙に耳障りな、人間の悲鳴。
肉声は、本能に抉り込んでくる。人の親が、子の泣き声に敏感なそれにも似て。
「はあっはぁっ」
時折ぴくぴくと節々を震わせて、痴漢男は呻きもしない。
何故か俺が息も絶え絶えで、足の甲も傷付いていない筈なのにヒリつく思いがした。
「はあ……っ…」
放り投げられた際に口内を切ったのか、男の口の周りは赤黒かった。
でも、こうして外面を見ている分には致命傷は無い。無い筈。
(適当に…ディアをすれば)
中肉中背の傍に膝を着き、息を止める。
殆ど使用した事の無い魔の脈動を感じて、手首を交差させた。
このマガタマに癒しの術が宿っているのは知っていたが、習得する意思も無かった。
自身は勝手に治癒する、仲魔に癒しの術をかけている暇なんて無い。
(悪魔の身体を癒して堪るか…)
それならば、八つ裂きにする力で身体を充たしたかった。
俺をこんな…悲惨な路に突き落とした悪魔め…堕天使め…
だから俺は、絶対に元の路に戻ってやる、人間に…
(人間に?)
指先に滴る光が零れ落ちる事も無く、停滞した。
ディアの効力は殆ど霧散し、止めていた息が唇を割った。
翳した腕の先、床で浅く息づく男は誰が打ちのめした?
コレは…人間だろ?
「う、ううっ」
この呻きは、痴漢男じゃない。自身の喉の奥からだ。
指先が震えた、ピクシーでさえ最初から使える術が、唱えられない。
「あっ、あああっ、お、俺は」
どうして、何故こんな事をしている。
呼吸困難、いや、ひょっとしたら呼吸は要らないのかもしれない、人修羅だから。
それでも欲しい、欲しいんだ。人間としての機能が、俺の精神を支えているのだから。
だというのに俺は!
(悪魔の力を利用して、人間を傷つけた)
この男と何処が違った?
電車で、データで、口封じして撫で回す人間。
密室で、暴力で、悲鳴させて恍惚としている悪魔。
(見たくない)
眼元を覆う指、相変わらず黒い斑紋。
そう、この為に俺は…擬態さえ解除して。
「殺してない…」
は、と我に返った。そうだ、殺していない、まだ逃れられる。
再び集中して、ディアの為に呼吸を落ち着けた。
そうだ、いくら仕返しとはいえ、殺そうとは思っていない。
この醜い力を、ほんの少しだけ…使ってやれと思っただけで。
あまりにも悲惨なのに、何も役得が無いのはおかしいだろう、と自分を嗜めて。
「どうして」
集中出来ていないのか、魔力が足りない筈は無い。たったディアの一回くらい。
何が足りない、何がおかしい、ディアは既に開放してあった…呑んでいれば唱えられた筈。
それとも俺のボルテクスの記憶が違っているのか?俺はこんな術すら使えなかったか?
「どうして治らないんだ…っ」
これが見える傷ならいっそ安堵出来たのに、この男がどれだけダメージを負っているのか素人の俺には判らなかった。
放置しては死ぬかもしれない、救急車を呼ぶ?まさか。
悪魔の血がさせた、だなんて…世迷い言と一笑されて、俺はこのままでは犯罪者。
痴漢されていた報復に、と訴えるか?
たった今さっき、俺がデータを全て消した、証拠は無いじゃないか。
「違う、違うこんな、ここまでするつもりじゃなくってっ…俺……俺はっ」
醒めてきた、次第に高揚が恐怖に変容していく心地。
悪魔から人間にスイッチが切り替わって、先刻まで芳醇に感じた血の薫りに、今は吐き気がする。
ともすれば死体にすら見える倒れたままの男、俺はその傍から慌てて離れ、もんどりうって床に突っ伏す。
俺がやってしまったなんて、認めたくない。
「ううっ、ぁ、わああああッ!!」
混乱している、錯乱している。自身の状態を理解しているからこそ、気が振れそうだった。
叫び散らしたって無意味だ、あのボルテクスの時に散々経験したじゃないか。
「悪魔に、悪魔にされたからで……」
この自身の叫びで鼓膜を叩いていなければ、発狂しそうだった。
困惑している、慟哭している。悪魔の身体に困惑している俺が居るという事実を、五感で認識していなければ。
「俺は…人殺しじゃない…」
嗚咽すら混じっている自身の声に、更に泣けてしまった。
時間の経過に焦りも諦観も抱けぬまま、呆然としていた時だった…
聴き慣れない音が部屋に響く。ただし、一般的には呼び鈴の類と思われる。
ちら、と倒れたままの襤褸雑巾の様な男を見た。失神したままの様子。
ルームサービスというやつだろうか…それとも、何か怪しまれた?
扉の近くにインターホンは確認出来たが、モニターは無い。こんな施設だし、それもそうかもしれない。
ラブホテルなんて初めて入ったので、サッパリ勝手が分からなかった。
(出るべきか?利用客が寝ている場合もあるだろう…放置したって多分平気…)
いや、何かを勘繰られて、廊下の監視カメラ等を確認されやしないだろうか。
最悪の事態をいくつも想定してしまう、その割には一直線に痴漢男を誘いだしてしまった自身を呪う。
ぶちのめしたい衝動を、抑え切れなかったんだ。
意を決して、用事は無い事だけ伝えようとインターホンに近付く。
そういえば、野郎二人で入室した事は認識されているのだろうか、あまりに恥だ…
「…はい」
出来るだけ落ち着いた声音で、ボタンを押して返答する。
外側と通じている証拠に、濁った空気の音がスピーカーから排出され始める。
《お客様、御注文のサービス品をお届けに上がりました》
何か頼んであったのか、それともホテルの無差別なサービスか。
「要らないので、そのままお引取り下さい」
《宜しいのですか?とても好評なお香のセットですよ》
そういう物品なら、最初から部屋に置いておけば良いじゃないか。
平静で居られないあまりに、悪態が口から飛び出しそうで深呼吸する。
「…要りませんから」
《そうですか…》
ようやく応酬が終わった、とインターホンをOFFにしようとした瞬間。
引き下がる挨拶でもするのかと思っていた声が、おかしな単語を吐いた。
《折角の反魂香なのに》
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