偽りの太陽



「明さん!」

背後からの声に、抜刀したままの大太刀を両手に支え、跳ぶ。
「矢代君…!」
あれ程奥に居ろと云ったというに、何が彼をそうさせるのか。
「そ、その…切っ先の、悪魔」
「…」
「イ、イヌガミ…ですか?」
振るえば、ぼとりと石畳に打ち据えられ、完全に絶えた。
ビクリ、と人修羅がその衝撃音に震えた。
「ああ、そうだ…ライドウの仲魔だったイヌガミだ」
たった今、我が屠った。
歪んだ君の眼が、周囲を探っている。
相打ちとなり絶命したヨシツネとイスラフィールの残骸で、その眼が留まっていた。
「ライドウ、は、居ないんですか…」
イヌガミの焔が掻き消え、霧も晴れたこの広間。
人修羅が駆け寄る頃、彼は既に姿を消していた。
メルキセデクの惨殺された身体だけ、残して。
「…ライドウ」
君の声音に、寂しい色が混ざっており、我の心は掻き乱れる。
嗚呼、だが赦すとしよう、一応…敵とされる魔の団体は退いたのだ。
『メシア様!』
見慣れた赤い甲冑の天使、その呼ばれ慣れぬ名を嬉々として発する力天使。
「カマエル…」
『ああ、イスラとメルキは絶えましたか、恐らく勝手に動いたのでしょう?』
さらりと決め付けて微笑むその姿、ややぞっとする。
「他の悪魔は撤退したか?」
『ええ、先陣切って駆けていたデビルサマナーが消えてより、ぱったりと』
「そう…か」
『それに、雑兵は既に屠りました』
悠然と笑むカマエル。
傍の人修羅が、複雑そうな表情をした。
そう、その雑兵と揶揄されたのは彼の崇拝者達であるのから、それはそれは…心中察する。
『ささ、汚い血は拭い取り、祝杯を挙げましょう、メシア様』
「そんな大した戦でもなかったろうに…それに我はそうそう動いておらぬ」
『今回は貴方様がメシアとして、お披露目されるが為の物となりますので』
「要らぬし解せぬ」
『そう仰いますな、折角…葛葉雷堂の十四代目を捨ててまでいらしたのでしょう?』
その云い方に、思わず視線が鋭くなる。
一瞬右眼が熱く疼くと、傍の人修羅が弾かれた様に面を上げた。
「明さん!」
「どうした…?」
「良いじゃ、ないですか…折角祝ってくれるなら」
喧騒を嫌う君にしては、妙な発言だった。
『さあ、貴方様は宴席にてその陽の雫を我等に翳して下されば良いのですから』
「明さん…どうせ、俺もこの後行く所、あるんで…」
口々に、我を置いて進めるカマエルと人修羅。
「待て、どういう事だ?矢代君」
「半分悪魔の俺がのこのこ出て行ける筈も無いですから」
カマエルが、その篭手の両手を人修羅の双肩に置いた。
『えぇえぇ、我々の一員として、禊をして頂いてからの御出席となりますので』
馴れ馴れしいその手の所在に、頬が引き攣る。
大太刀を、切っ先が濡れたまま、カマエルの腕の付け根にピタリと寸止めした。
翼がわあっ、と広がる、強張っている天使。
無表情な人修羅は、その切っ先をただ見つめていた。
「…じゃあ、明さん、また」
カマエルの手を払いもせず、君は天使と向こうへ消えた。
一体、何を吹き込まれた?
我が此処で応戦している間に、君は要らぬ事を、天使から云われたのでは?
その後姿、一瞬君が振り返った…その時の、その眼が。
酷く…哀しげに見えたのは、錯覚だったのだろうか。




一見荘厳な空気、高い天上にそびえ立つ石柱は純白。
張られる、薄い金繻子の飾り幕。
穢れの何もない風な、そんな席。
(御為ごかしだろうて)
奉られる事には慣れている。
そういう使い方をするには適材なのだろう、この身の性質は。
確かに、天使は我のMAGに歓喜する。
そこいらの悪魔や、普通のサマナーから吸われるモノより…純度が高いのだと。
(では、ライドウのを吸えばどうなる?)
真逆の彼のMAG…毒となるのだろうか?
『メシア様』
声に、面を上げた。
光を反射して、鋼の肢体を振り翳す天使が此方を見ている。
『人の身である事が重要なのです』
「…貴殿等の頭は、それ程までに人に手を下させたいか」
『聞き捨てなりませんな、寵愛の証なれど、その様な他意は有らず』
「……ふ」
整列する天使達、その差し出される指に、指をかすめて往く。
その先から流出させるMAGに、頭を垂れる者達。
人間を見下すモノ達を…使役せんと与えるMAG…
(下らない…)
早く、彼に逢いたい。
こんな、虚像、こんな虚構。
さっさと駆け抜け、君と話したい…君とじゃれ合いたい…
その瞬間だけ、我は呼吸をしているのに。
『あのお方の依り代として、此処に居ります』
ギシギシと血肉の通わぬ音を立て、メタトロンが先に立っている。
この空間で、一番上の存在なのだろう。
そして相変わらず、ヤハウェは姿を見せぬ、か。
そもそも、此処に居るのかすら怪しい。
『礼儀により、貴方様の身を一層、我々に近しいものとせん』
祭壇に並ぶひとつ、杯の様な物をその無機質な指で取り上げる。
うやうやしく掲げられたそれは、何処からか射す光で煌いた。
『汝が至浄なる聖体、至尊なる聖血の機密を行うに堪うる者となし給え』
ぽた
水音がする。
ぽた ぽたん
『神使の軍の見えずして担い奉る萬有の王を、戴かんとするに縁る』
掲げる聖爵に、天からなにかが降り注ぐ。
『アリルイヤ』
雫?
『アリルイヤ』
赤い
『アリルイヤ』
…血?
『アリル』
がしゃん
『メシア様…如何なされた』
身体が震える、右眼の奥が熱い。
翳されたる聖なる杯を、腕で払い除けた。
たぷりと内で揺れていた赤い液体が、白い床に鮮烈な着色を施す。
視線だけで、天を仰ぐ。
天上の装飾、流れる様な植物のそれ…
樹液の如く、その枝先から赤く、滴る、覚えの深い…
「……失礼する!」
天使達の制止も聞かず、伸びてくる指を、先刻と逆に掃う。
出入り口のケルプが、その四つの翼で包み込む様に我の大太刀を持っている。
まず塞ごうとしてくるその構えを、人のより多いその脚の下に潜りやり過ごす。
『メシア様』
「通せ!」
脚の一本を、地に屈みつつ思い切り横から蹴れば
横転しかけて翼を開くケルプ。
その翼をひとつ掴み、可動方向と逆に捻り上げる。
『グウウッ』
弛む四つ腕から、豪奢な房の付いた柄を握り締め、特殊鞘を解呪する。
業斗に文句を云われぬ程に、素早い詞。
「」
横開きしたそれは、ケルプの腕を断絶させてゆく。
背後から、この天使の肩を支点とし、ぶずぶずと断ち切った。
『ヒギァアグゥゥ!』
抱き締めていた筈の太刀が、まさか横から抜刀出来るとは思わなんだ。
ぼてりぼてりぼてりぼてり
重い音が四回、石造りの床を叩いた。
「邪魔だてすれば斬る!」
呻き叫ぶ者を背後に、回廊を駆ける。
鍛えてきたこの身体、この脚に追いつける奴もそう居らぬ。
抜き身の大太刀を、自身から遅らせつつ運ぶ。
擦れる切っ先が、敷かれる絨毯をほつれさせていく。
階段を上がり、位置関係を脳内に展開させる。
先刻の部屋、その真上にあたる方角へと。
荒い息、疾走の所為では無く、激しい動悸。
其処、と思わしき扉。
どう開ける物かすら、確認ももどかしく太刀を振るった。
一閃、もう一閃。
その亀裂に、脚を見舞って崩落させる。
開けた入り口を隙間から屈み入ると、聖堂の様な空間だった。
窓から射す朧気な光に照らされ、その奥へと進み入る。
「は、ぁっ…はぁ……」
我の息遣いが煩い、集中出来ぬ。
研ぎ澄ませる、神経を、奥底の魔を。
(何処に居る)
嗚呼、眼の奥が、熱い、じりじりと、泣きそうなまでに。
(応えてくれ…!)
昔、迷子になった事を思い出させる、孤独感。
何処に居る?
このまま見つからぬのか?
このまま我はずっと…
独りなのか。
「ぁ…」
僅かな胎動、その覚えの有る魔の呼吸。
弱々しいが強い酔いを起こさせる、その味。
眼の前の、聖母が微笑む。
「ぁあ、あぁああ」
ゆらり、とその聖母像に歩み寄り、その一回り人より大きな御身を抱く。
嗚呼、確かに、感じる。
この内から、我にとっての慈愛を。
その石の眼を、眼帯のずらした隙間からじぃっと見つめて、念じる邪眼。
瞬間、身体からMAGと抜け落ちて、射抜かれたその上辺の石。
パキリ、とひび割れたマリアの重い瞼。
そこから零れるは……金の色。
「ぁぁあぁぁあああああああ」
確信を以って、だが冷静で居られるだろうか。
聖母の石の肌を、実物の女性には出来ぬだろう手付きで撫ぜまわす。
その手袋の指先に感じた溝に、ぴたりと動きを止める。
一歩離れ、その走る溝に寸分違わぬ様に、太刀筋を沿わせる。
中の真の為に、纏わり付く虚を祓うのだ。
その、形だけの綺麗事を斬り削ぐ。
真っ二つに割れた、聖母マリア。
バネが弾く様にして、勢い良く開いたその像。
粘着質な音、靴先を湿らせていく……赤。
「ああっ!!」
なんという声を上げているのだ、我は。
「あああぁあああ!ど、うして、どうしてどうしてどうして」
無数の棘に串刺しにされた、愛しい身体を引き摺り出す。
我の腕にいくつか刺さるそれを、今は痛いとすら感じぬ。
「や、し…ろ……」
薄く、眼を見せる人修羅。
体中の孔が、赤い涙を流していた。
抱えれば、ぐずぐずと更に全身で泣く。
「矢代君!矢代君!!」
阿呆みたく一心不乱に喚くと、やがて唇が開いた。
「…聞こえて…ます、か、ら」
そう小さく発した瞬間に、その喉の孔からとろりと流れる赤い蜜。
それがあまりに勿体無くて、思わずその喉笛に咬み付いた。
「ぅ…っ……ぁ、んっ」
苦痛に呻く君の吐息すら、今の脳には毒だった。
舌先に感じるMAGは、流出し過ぎて薄い。
ひとしきり啜り、濡れた唇のまま問う。
「どういう事だ、矢代君」
「ぉ…怒って、ます?」
「違う!」
「ぁ…は…怒ってる、じゃ、ないですか……」
眉間に苦しげな皺を寄せつつ、口を歪ませ微笑む人修羅。
身体を奔る斑紋は赤い河の如し。
「鋼鉄の、処女、って、鋼鉄のは殆ど無いんだって……」
「そ…んな…」
「…云って、ました…あいつが、そういえ、ば」
「そんな場合か!!」
そんな事を、今述べるくらいなら…
「助けて、だの…心細かった、だの、云えぬのか!君は!!」
震える腕に抱けば、その中から穏やかな笑みが零れた。
「…そ、れは、明さんが、ですか…?」
君の失笑に、思わず云い返す。
「ああ、そうだ、そうだとも!君の姿が見えぬ!人を見下す天使達の中で独り!」
続く肯定。
「君の為なのに、君が見えなくて、不安だった、寂しかった、心細かった…!」
垂れ流しの、幼稚で浅ましい感情。
「だから、死なない、で…」
嗚呼、情けなや。涙混じりの我の声音に、身震いすら感じる。
より、強く抱き締めれば、項に掌の感触がした。
回した腕先から赤を滴らせて、君が我の頭を撫ぜた。
帽子を避ける様にして、稚児をあやすかの如く…冷たい指先で、掌で。
「……泣き虫、なんです、ね」
その優しい声に…溢れる涙が塞き止められぬ。
小父様がその内に宿っているのかと錯覚する、その手。
迷子でなくなった瞬間だった。
『御存知ですか?多少の毒が甘い事』
ふと、背後からの高圧的な声。
一瞬で背筋を緊張が奔る。涙は乾く。
『人修羅という稀有な生物こそ、聖体に相応しい』
愛しい金色の相貌から視線を外す。
今、この憎しみの眼で貫いてしまいそうだったから。
「聖体…?」
『そうです、貴方様が其れの血肉を残さず喰らえば昇華するのですよ』
翼の音が重なる、数体集まってきている。
「昇華?」
『そう、現に夢想されていたではありませぬか…人修羅の血肉を喰らい、その御身に窶す事を』
何故そんな密やかな妄想を、貴殿等が知っているのだ。
心でも覗いたか?我の様に。
「…悪趣味者め」
外した視線の先、鋼鉄の処女の足下は格子だった。
あそこから、下階に…人修羅の血を……
そう思うだけで、滾る、酷い憎しみが。
この世に…全てを赦す精神なぞ、やはり、ありはしない。
…神なぞ。
「矢代君、しばし、待たれよ」
そうっと、屈みつつ、横たえて君に呼び掛ける。
「安静に」
棘が抜けた孔は、ゆるゆると治癒を始めていた。
今ばかりは、君が半身悪魔である事を嬉しく思おう。
大太刀の刃先を傾け、切っ先を地から離す。
血溜まりから吸い上げ、その刀身は艶やかにギラついている。
人修羅の…君の血で、我の刃が初めて目覚めた。
大太刀と共に、この心が、身の魔が、酷く凶暴な意識を持って往く。
振り返り、立ち昇る殺意を声に流す。
「天の御使いなぞ…所詮上辺だけの姿だ」
この身を廻る陰陽が逆転する感覚。
嗤う天使達を…片眼で見据え…
喉までせり上がってきたそれを吐き散らした。
「その醜い腐った肉をぶちまけろ!貴様等!」
首を刎ねる。
一瞬だった。
それは、初めて人を屠った十四の頃と違い
奈落に落ちる事も無く、我の脚を叩いて転がった。
息の瞬間で詰めた間合い。
『背くのか』
『我々の意思を撥ねるのか』
声と共に飛んでくる業炎と業雪の術。
上空に飛べば、下方でそれ等が相殺された煩い音。
天使の頭上に降り立ち、振り落とさんとする兜を更に踏み上げる。
聖衣を、その胴ごと両断する。
面白い程の切れ味に、肌を駆け昇る快感。
「はぁっ、は、あああッ」
ひと振りで、その手脚が飛ぶ、首が落ちる。
翼は羽ばたきを止め、血汚れで固まっていく。
嗚呼、どす黒くなってゆく外套が、重い。
燃える様な右眼が疼く。
「虚像め」
何も躊躇無く。
「障壁だ…すべて目隠しだっ!」
涙と共に振るった過去を殺ぎ落とすかの様な。
迷いの無い太刀流れ。
『惑っているのは其方の方であります!』
断ち切れなかった天使の肉を、ドミニオンが後方よりディアラハンで治癒する。
じゅくじゅくと組織が沸騰していく眼の前のラミエル。
その肩の割れ目に、再度振り下ろす。
ぶちぶちと、謎の体組織を裂いていく刃先。
飛び散る液体が血なのか何なのかすら解らぬ。
『貴方の魂は救い様が無い』
断末魔にしては明瞭な口調。
それに脳内がいっそう憤怒する。
「貴殿等にその判決権があるのかっ!?」
割れた肩から股下まで、そのぱかりと開けた視界の先。
真っ直ぐに我に放たれる疾風。
厭わず脚を向け、二つになった胴を押し退けてドミニオンに突っ込む。
「此処が天ならば!最早望まぬ!!」
頬が、首元が、手脚が裂ける。
指先の痺れを一瞬感じたが、それがどうしたというのだ。
『ひぃっ、雷堂様!』
「その名で呼ぶな!」
以前管に入っていた悪魔…もとい天使。
その昔の仲魔を、脳天から割る。
『ひぎぃあげぇえええ』
胸元で止まった刃、抜く為にドミニオンの肉を足蹴にした。
ずちゅりと落ちていく残骸。
「は…っ…は……っ………」
辺りを見渡すと、喧騒は遠くからのものだけとなっていた。
ひとしきり殲滅したのだろうか。
「や、矢代、君」
すぐに駆け出し、横たわる君の下へと還る。
近付けば、しっかりと此方を見つめる金色が在り、安堵して笑みが零れた。
「今、支える」
担ごうとして、腕を差し込む。
すると、傷も塞がりうっすらと血糊が残るだけとなっていた君の肌に…
ぐちゅ、と、我の腕から付着する液体。
濁った、天使の液と我の血。
ぎくりとして、思わずその濡れた箇所を指先で拭った。
が、その汚れはますます広がる。
「あ、ああ、すまぬ、すまぬ」
手袋を外し、素肌の指で拭った。
が、ぐずぐずとその赤黒い領域が彼の聖域を侵す。
「ああ!あああ…!我の手では、君が汚れる…穢れる…!」
どうして良いか解らず、うろたえて両腕を眼前に留めたまま、呻いた。
「明さ、ん…しっかり、して下さいよ」
よろりと腕を着き、上体を起こす人修羅。
「俺が、綺麗な訳無いんですから」
跪いて怯える我に、その手で触れる。
「俺が貴方を汚した、が、正しい気がする」
傷を、その指先で撫ぞり往く…
「結局、いつも貴方を利用していたのは俺なんだ……」
そんな
「アイアンメイデンで血を抜かれたら、本当に天上の生物になれたんですかね俺」
「矢代君!」
我の一喝に、びくん、とその肩が揺れた。
搾り出す、これは絶対云う。
「我は一度たりとも、君と出逢った事を後悔してはおらぬ」
利用されていたのだとしても、それすら甘やかである。
我にとっての価値を、我の納得出来る存在意義をくれたもうた。
「だから、君を傷付ける事が解った今、やはり此処には居れぬ」
この醜い証を撫ぜる君の指を、掴み返す。
唇にその指を軽く当て、微笑で伝える。
「共に堕天してくれぬか…好い人よ」
ああ、今度こそ本当の君か。
贋物ではないか?ライドウではないか?
「…ぅ」
嗚咽気味に、しかし堪え、我の肩を抱く人修羅。
感極まって、抱き締めあう。
嗚呼、今この瞬間だけ、此処は天上だ。
間違いなく…エデンだ。




「此処は、明さんを操り人形としか思っていなかった…」
背中の君が呟く。
「上に往くと公言したのは俺ですから、貴方がそうなるのは…」
首にぎゅう、としがみついてくる仕草に、護ってやりたい心が疼く。
「黙ってられなかった」
「かたじけない、我の所為で」
「違います、向こうの誘いに乗って、貴方の株が上がれば…結果的には俺に廻ってくるから、とか、そういうのですよ」
「だが君は血を」
「……全部抜けきる前に、助けに来てくれるかと思って」
「…」
「とか云ったら、怒ります?」
ふふっ、と耳元で笑う君。
何処までが冗談なのか解せぬが…それの答えはどうでも良い。
「いいや、我ならば、絶対見つけ出す」
道中の天使を、我の大太刀で狩る。
背の君の焔で焦がす。
「紺野より先に、絶対」
君の肌から僅か伝わる不安。
その元凶を口にして、己を奮い立たせる。
そう、君が過去を引き摺っていても、我はずっと、君の使役下だ。
「明さん、お人好し過ぎます」
「君にだけだ」
血塗れの回廊。
我に管は無い。力押しの突破。何回も何階も降る。
…下界に近い、空間移転の枝道が見える。
ようやく辿り着くその地点で、背の人修羅が制止をかける。
肩をトッ、と軽く叩いてきて、脚を腕から抜いた。
「一掃します」
石の床に、素足で降り立ち我の前に立つ。
すぅ、と、君の呼吸を感じる。
すれば、見えなかった天使達が石柱の影からいっせいに顔を覗かせた。
両の手を翳し、焔を点す君の背が、脈動す。
斑紋に魔が流れ、赤い河は一瞬蒼へと奔流す。
「どけぇえええええッ」
襲いに飛び来る天使の群れを、灼熱の渦に飲み込む。
咆哮と共に、熱波が我の重く滴る外套をはためかす。
黒く灰と化した、肉の焦げる臭い。
煤になった羽根が、黒い雪の如く降り注ぐ。
「矢代君」
肩で息をする人修羅に、後ろから支える様に抱き込めば
我の両腕に身を預ける君。
「ちょっと、久々で…すいません」
「助かった」
「ボルテクスの頃はもう少し息、続いたのに、な……ったく…」
はぁ、と溜息を吐く君だが…
その焔の熱は、そこいらの悪魔とは違った。
残骸の少なさが物語る。
灰燼へと変える、君の灼熱の恐ろしさよ。
「君のお陰で、後は出るだけだ」
「…走れます」
「分かった」
人修羅の声に、足並みを揃えて向かう形を取る。
纏う衣がなびき、君こそが天人ではないかと、やはり思うに至る。
見える穴、空間の揺らいだ其処。
が、傍の人修羅が突如脚を止め、叫ぶ。
「明さんっ!」
その声に、即座に身体を停止させ構えた。
神経を前方に注ぐ。
その内より湧き上がる、魔。
「奥から有象無象が来ている様だな」
「どうしましょうか…」
「…」
召喚は出来ぬ、人員は増やせぬ、君のMAGは殆ど無い。
奥からも来ている、背後からも来ている。
「明さん?」
奥からの魔は、獄の者達だろう。
天のメシアと伝わる我に、牙を剥く…だろう。
「矢代君、此処からは君だけで」
「は?」
「君だけで通れば、魔界の残党も騒がずに退くやもしれぬでな」
「俺、別に向こうに帰るなんて…一言も…それに、些か不安で」
「過去の君の信者だろう!云い包めれぬ様で人修羅とは笑わせる!!」
はっ、として、君が眼を見開く。
「その力で生き延びれねば、自身の力で人に戻る事叶わん!」
「なんです、それ…」
「君だけで、一先ず、降りて欲しい…と云っている」
「っな」
眉間に皺を寄せ、口を開く君の顎を引き寄せる。
「先に往って、道を開けておいてくれ」
「…な…なん」
「別に此処で朽ちるつもりは無い、案ずるな」
「だって明さんこそ余力がっ〜…ぅ、んっ」
言葉を途切らせ、唇を繋ぐ。
まるでどこかの誰かの様に、其処から注ぎ込む。
指先から、魂の奥まで探った、我のMAGを。
「んっ、んんっ、ん〜〜ッ」
嗚呼…涙の浮かぶ人修羅の金色が、宝石の様だ。
そんな美しいモノを拝みながら、甘い味を堪能出来ている…
それだけで、良い土産だ。
「っは!…あ……ぁっ」
ぜえぜえと、唇の濡れた君、呼吸が先刻と違い色を醸し出す。
それにうっとりとしながら、我は君を抱き締めた。
「どうか息災で、矢代」
「 」
唇だけで我の名前を叫んで、我に突き落とされて落ちて往く人修羅。
その空間でならば、君の敵は居まい。
全てのMAGを注いだのだから。
「ふ……さあ、来るが良い…」
ゆら、と手にする大太刀を構える。
振り返れば数体……これならば別に、まだ大丈夫だ。
「はあああっ!」
本当に僅か、流れくる魔力は、右眼からか。
こんな時に人修羅の忘れ形見を感じて、胸が痛い。
ざくりと斬り伏せるのも、先刻より厳しい。
だが、行かせまい。
この先には。
『救世主には不適合』
『次代を待つなり』
『不適合、不適合であるわ』
三体、これならば単独で相手出来る。
(相手の軌道を知れ)
(此方の間合いに誘い込め)
(遠距離から近距離の攻撃を意識させる動きを取れ)
業斗の声が脳裏に過ぎる。
呼吸を合わせ、刃を振るう。身に染み付いた戦い方。
裂けていた肌から、赤く滲んで白服を染める。
全身が濡れそぼつ感覚。
「ふっ!」
突き出された槍を寸前で避け、赤い飛沫を散らせつつ振り上げた。
『ぐべッ』
ばしゃああ、と飛沫が視界を埋める。
「う」
伝って中に染み入る返り血。
眼帯を思わず外そうとした…瞬間。

「かえせぇえええええっッ!!!!」

血飛沫の中から、腕が伸びてくる。
ずらした眼帯を、更にその指でずらし、探る。
ぐりゅ

「あ」

それこそが、本当に一瞬だった。
「あぁあぁあああああ!」
「返せ、返せ返せかえせかえせかえせえええええッ!!」
裂けた天使の肉の隙間から、何が来た?
誰が、この右眼を奪った?
背から床に倒れこみ、我の上に跨る影…
「ふ、ふ、ふふふふふぁはははははッ」
空虚な右の虚、熱が消えてしまった。
残った左で見上げると…其処には我と瓜二つの顔が居た。
赤の滴る指で、金色のソレを、うっとりと見つめている。
「ぁ、あぐ、ぅ……き、貴殿…っ……」
「ねえ、何処だ、何処にやったんだ?僕の悪魔!!」
「ひ、ぐ」
「ねぇってば!!吐け!吐き給えよぉおおおッ!日向ぁああ!」
片手で我の首を絞め、叫ぶライドウ。
正気の沙汰、では無い。
「お前にやるか、やるものか…!この金色も、あの肉も魂も!僕のっ」
「…っぐ」
「………僕…の……っ…」
消え入る声。
絞めてきていた指が、ゆるゆると開き、ずる、とその身体が垂れてきた。
その彼の首筋、項にギラリと刺さり光るのは、天使の剣。
「ぉ…ぉおお……」
震えるは我の声。どうしてだろうか。
我の上で、ライドウが絶えた事が、そんなにも…
『どう致そうか』
『黒い影は息絶えた、メシア殿は魔力が枯渇している』
『動けそうか?』
『いや、余力は殆ど視えぬ、脅威にはならぬと思われる』
囁き合う天使達。
『ほらごらん、この双子、やはり同質だった、昔…目を付けた時のままだ』
『ライラ』
『陽の気に塊だろうが、同じ胎からの人間である訳だ』
『噤め』
『…回収を呼ばねば』
ライラと呼ばれる天使が残り、もう一体は消えた。
(双子……?)
まさか、どういう事だ?
この…上に居る、このデビルサマナー…
他次元、平行世界の同位体では無い、のか?
『…その魔力の源、捨て置くには忍びない』
黒い羽で羽ばたき、黒色の帽子を掴みつつ滑空して来たライラ。
ライドウの圧で動く気力の無い我を一瞥し、嗤う。
『貴方様の右眼孔で綺麗に熟成したろうか?くす』
我にそう云いながら、ライドウの右手に握られたままの金色眼球に指を伸ばす。
それが触れると思った、その時。
ビクンと動いた何かが、ライラの腕を弾いた。
『ぐぅぅううっ!?』
そして、呻き退こうとしたその胎に突き出されたのは人修羅の拳。
メキリとへこみ、仕舞いには身体が歪んで崩れたライラ。
「…渡す……ものか」
己の右手で、しっかりとその宝石を包み込み。
人修羅の左手で、邪魔者を排除したライドウ。
上半身を捻り起こしたその彼は、首に剣が突き立ったままだというに。
「こ、紺野…」
「……ク、クッ……ふ、ふごっ」
唇から赤をだらだらと垂れ流し、薄く哂った。
「当然、貴方にも、だ、兄さ…ん」
云い切ると、己の両手を胸に抱き、我の上に再度倒れこんだ。
我の心臓の上に、ゆるやかに静まってゆく心音が重なる。
「なにを、何を云っている…のだ…貴殿は」
意味が解らぬ。
「誰が、誰の…兄、だと」
いつまで経っても、視得ぬ真の身内。
それが、こんな所に…
こんなにも、近くに居たというのか?
「紺野……っ…おい、葛葉ライドウ…!」
揺さ振り、回した腕で、豪奢な装飾の剣を抜き取る。
噴出す鮮血の雨が、我の顔を染め上げていく。
「…夜っ」

“へぇ、同じ顔が拝めるとは思わなかったですよ”

迷い込んだ貴殿を還しに、駆けたあの日を思い出していた。
同じ背丈、同じ格好、同じ立場…
違う心。
哂いながら、全ての障害を断ち切っていく貴殿が…
…羨ましかった。
その猛々しい魂に、本当は…焦がれていた。
「っう…ぅううっ」
上に重なるライドウの、項を掌で押さえる。
先刻の戦いで、ひと欠片得た魔石を、あてがい沈めた。
血は凝固し、その傷だけではあるが、ゆっくりと塞がっていく。
まだ、彼の肉体にMAGが蠢いている証拠。
枯渇した我が喰らっても、殆ど無意味なので、くれてやったまで…
魂は絶えても、上の肉体は、此処に健在している。
息は有っても動けぬ、空っぽの我と違って。
「貴殿、はっ……そんなにも、大事だったのに…何故…」
周囲の攻撃を顧みず、真っ直ぐに我の右眼を取り返しに来た。
後一歩早ければ、人修羅に逢えたろうに。
「矢代君は、な、貴殿を、待って……」
嗚呼、そう、そうなのだ。
結局は、我の向こう側を、見つめている、金色の相貌。
嗚呼…嗚呼!貴殿が、貴殿が憎い…!
妬ましい…
…そして、哀しい。
「はぁ…っ…はあっ」
仰ぐ空はどこまでも空白だ、虚に塗れた全方位。
この上に重なる弟とやらも、魂は失せた。
人修羅の君を、再び見る事も無く…朽ち往くのだろうか、我は。
「…や、だ」
もう、君が見れぬのか?
「…いや、だ…っ…そんなの、嫌、だ」
送り出しておきながら、駄々をこねる、本当に、我は稚児だ。
そう、本当は、怖い。
大事な君を心に得てから、死が怖い。
じわりじわりとその感覚を覚え始めて
浅ましく生に縋りつきたくて。
上の肉体が、やはり羨ましい。
その魂、我の物と取り替えて欲しいくらいに。

…取り替えて欲しいくらいに

「魂を…」
黒猫の、険しい視線が脳裏を過ぎった。
幼き頃の、師への問いかけ。

 その身体、業斗の本当の身体じゃないのですか?
“当たり前だ、俺の肉なぞとうに朽ち果てておる”
 どうやったの?生まれ変わったのですか?
“転生とも少々異なる、が、確かに生まれ変わるも同然よ”
 す…すごい!ねえねえ、ホントにどうやったのです?
“たわけ!面白半分で教わる術ではないわ!禁呪にも等しい…この術は…”
 教えてくれたら、勉学にもっと励みます、踊りもしませぬゆえ!
“……”

所詮子供、と、貴方は思ったのだろうか、業斗童子。
だが…その異様な術は、我の脳に、刻まれている。
幼い、浅はかで残酷な心が、しっかと憶したその呪。
魔力媒体は、すぐそこに、ある。金色に、光っている。
そして…
移る容れ物も……上に、在る。



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