烏の印〜留メ拍子〜
「そのギプス、一体何なのかね」
「魔力を宿す媒体やも知れぬぞ…」
ざわめく衆に、素っ気無く言い放ってやる。
「只のギプスですよ、病院でしてもらうのと同じ」
その俺の言葉が信用出来ないのか、未だに嫌疑している。
「あの、すいませんけど」
溜息混じりに再度発声する。
一斉に俺へと周囲の視線が注がれた。
「身体、拭かせてもらえませんか。入浴したいだとか、そんな贅沢は云いませんから…」
体中、乾燥した血液が付着していた。
先刻始末した、悪魔達の返り血だ。
「…」
なにやらコソコソと、前方で話されるのが気に喰わない。
だが俺は攻撃する事もまま成らなかった。
下手に動けば、それこそ始末されかねない。
雷堂にも、迷惑が掛かるだろう。
「…おい」
「十四代目に行かせよ」
その会話から察するに、危険な俺の世話は雷堂にさせよう
という結論に至ったらしい。
「何も考えず、歩け」
眼元と口元を布で覆われ、背を突かれる。
(そんな厳重にしなくても、無理しないのに)
何処か冷めた心で、ヤタガラスの人間達を見た。
恐らく覆う布も、呪詛が施してあるのだろう。
力の抑制を感じる。
しばらく歩くと、覚えの深い声がした。
「…そこまでせずとも、その悪魔は聡い…暴れなどせぬ」
「しかし十四代目、これは決まった事ですので」
「…なら、その結界内では眼と口は外してやってくれないか」
すると少しの間の後、視界が明るくなり
呼吸が楽になる。
「雷堂、さん?居るのか?」
急に明るくなった視界に、幾らか眩暈を覚える。
いつの間にか、ギプスを避けた手脚には鎖が繋がれていた。
「何だ、これ…まるで猛獣の扱いだ」
思わず自嘲して、じゃらりと鳴らした。
「矢代君」
その声の主を見る。
「…今回の件、形だけの謝罪などしない」
「…」
「命に従ったまで…それ以上も、以下も無い」
そう云い放つ雷堂の眼は、いつもより険しかった。
「そう、ですか」
そんな返ししか出来ない俺を呪う。
ここは、本当は嘆くなり罵るなりすべきだろう。
そうすれば、葛葉雷堂として割り切れる。
でも、弱い俺は敢えて享受する。
雷堂に、罪の意識を呼び起こさせる態度、だ。
(俺、最悪だな…)
彼はヤタガラスに与するデビルサマナーなのだ。
これは、組織においては罪となる筈も無い。
しかし、彼がこの様な任務に呵責を抱く事を察している。
「でも、あんなに悪魔の相手をさせられるのは勘弁願いたいです」
「…待遇については謝罪する、本当に…すまない」
そう云い、近付いてくる。
俺の周囲の、何処から何処までが結界と称されるのか謎だが
何の躊躇も無く傍に寄る雷堂を見て、思った。
(ああ、彼の施した結界なのか)
「実験的に…戦わせているのだろう」
「でしょうね、いろんな種類のと戦りました」
「…そうか」
「俺の嫌いな粘着質なヤツも居て」
「…」
「知ってます?あれの返り血、洗濯してもなかなか落ちない」
「ほう、そうだったのか」
「そう、おまけにあの成りの癖して精神異常を吹っかけてくる、正直気が気で無いですよ」
「あの、イマヨンテとか云うマガタマなのでは無いか?」
「…それしてたら俺、眠りませんよ」
彼にしては意外な盲点に、俺は突っ込んだ。
すると、はっとなった雷堂が珍しく口元を綻ばす。
「ふ…そうだな、抜けていた」
その表情に、俺は面白可笑しく笑った。
なんだ、普通に会話出来るじゃないか。
そう、自分に言い聞かせ、慰めた。
「矢代君、返り血と云えば、仰せ付かっているのだが…」
そう云って、席を立つ雷堂。
程なくして戻った手には、桶と布巾が在った。
「あ、拭けって云われました?」
その姿に問い掛ければ、頷く彼。
俺は慌てて制止する。
「自分で出来ますから、適当に置いといて下さい」
「…いや、我が拭こう」
その声音に、贖罪の意を感じる。
傍に腰を下ろした雷堂が、桶で絞った巾を俺の首筋にあてがう。
「あの、悪魔のままで良いですか?」
「構わぬ」
「有り難うございます」
人間の成りは、悪魔で居る時よりも気を遣う。
正直な話、悪魔の姿の方が本当は楽なのだ。
手首の鈍痛も、そうすれば掻き消える。
肌を拭う熱い巾が、心を鎮めた。
「…かなり、血を吸うな」
桶で濯げば、赤茶に染まった湯が波打つ。
「手、汚れます…やっぱ俺、自分でっ」
云い、振り返ると
すぐ傍に雷堂の顔が在った。
その額の傷をまじまじと見るのは初めて、だった。
何故かぎくりとして、すぐに押し黙って首を戻す。
すると、目元に少し熱めの、暖かい感触がした。
巾で、目元を覆われている。
何かと思い、口を開こうとすれば、先に言葉が背後から飛んだ。
「しばし、何も云わないでくれ」
その言葉が終わるか終わらないかの間に、首筋を指が伝う。
驚いている内に、掌で両頬を包まれ、向かされる。
(…!)
遮られた視界においても判る。
生暖かい、感触が唇から割って入るのが。
じわり、じわりとマガツヒが吸われていくのも分かる。
身体から、力が抜け落ちていく。
酸素も消え失せていく。
真綿で首を絞められる様だった。
苛むのに、酷く優しい口だった。
「は…ぁ」
そっと離された俺は、羞恥から顔を上げる事が出来なかった。
ぼとりと、巾が視界の先の床に落ちた。
「…すまない」
「…」
「何か、云ってはくれないか」
「…云うなとか、云えとか、どっちですか…」
「…ああ、すまん…我はおかしい、おかし…い」
俺に負けぬ位に、赤面した雷堂が帽子を深く被った。
「あの日から…毒気に中てられたのやも、しれぬ」
そう云って、俺の双肩を正面から掴む。
「あの、雷堂さんっ」
「君が女人なら此れは正しいのか?君が人間なら尚正しいのか?」
「な、なに云って…」
「この様な感情…果たして友情と呼べるのか?」
痛いくらいに、掴まれる。
「確かめようとして、接吻…をした、初めて…我から」
その掴んでくる指先に震えが奔る。
「恐ろしく、おぞましかった…あんな行為にはしる自身が!」
「何を、確かめたんですか」
「その、溢れる人修羅としての力に、サマナーは溺れるのかと」
「で、どう…だったんですか」
「違った、確かに畏怖すべきエネルギイではあったが、我の必要とするモノとは…何か、違うのだ」
じゃらり
鎖が、音を立てて俺の鼓膜を叩く。
思いつめた、今から自害でもする人間の様な眼をした雷堂。
その雷堂が、肩をそのまま押してくる。
当然バランスを失い、片腕では押し返せぬ俺は仰向けになった。
「あの晩、打ち砕かれた、そちらのライドウに…」
「や…」
「己を戒めていた、枷を…無理矢理外された!」
「止めて下さいっ」
上腕部を掴まれ、床に押し付けられる。
「初めて持った友人が、あのサマナーだけの所有物と云われ、それが…赦せなかった!!」
「思い違いです!それは、こんな形でどうこう出来るもんじゃないっ」
「君の、肌が…恋し…い」
その言葉に、心臓を貫かれた様な錯覚に陥る。
「狂った、全て…君に対する関心は、すり替えられたのだ、あの日に」
うわ言の様に呟きながら、雷堂の手が肌を滑った。
それにぞわりと栗立つ。
「ひ…っ」
「こんな感情、知らぬ!教えて貰った事もない我に…どう解決出来ようか!?」
普段の彼からは考えられない、投げやりな問答。
「あの、ライドウの云う言葉が夜な夜な我を誘い、貶めるのだ…」
指が、たどたどしく骨を、筋をなぞり落ちる。
「君、を…独占せんと、己のマグネタイトを与える行為も…その力を使役する支配欲も…全て!全て…同じ様に、我にも、備わっていたのだと…」
「ち、がう…雷堂さんはそんな筈」
「認めたい訳が無い!だが…相違…無い…と先刻気付いてしまった」
その切れ長な、いつもは見えぬ…美しい形の眼が覗き込む。
それが、一瞬ライドウに重なって見えた。
そんな自分に嫌悪して、俺は顔を背ける。
「気味が悪いだろう…?我とて気味が悪い」
再度、かすめる様に口付けされる。
「同性…ましてや悪魔と人、此れの何処に正常さを見出せば良い?」
「だから、雷堂さん、は…勘違いしてるんだ」
俺は見上げて、少し語気を荒げた。
「俺の力が、人修羅が欲しいならそうハッキリ云えよ!!」
その台詞に口元を引き結んだ雷堂は、少し落ち着いて口を開いた。
「君こそ…理想の“クズノハライドウ”を我に求めてくれるな!」
「な…俺が、何を求めている、だって?」
「君の主人への…欲求だろう?」
そう語る雷堂が、初めて見せた表情。
それは、ライドウに近い笑みだった。
「我に優しく、友の様に接して貰うが近道…との事ではなかったのか?」
「何だよ…それ」
「本来の主人に、求めた関係を我に重ねて解消していたのだろう?」
「…それ以上、云ったら…」
「云ったら?何だと云うのだ…」
そんな風に思われた、思わせた事が
悔しくて、悲しくって…
俺は、情けなく眼が潤んでしまう。
「もう、一緒に、遊びません」
精一杯考えた、答えがこれだった。
そんな幼稚な回答に、雷堂は口元をやんわりと吊り上げた。
「大丈夫だ…もうきっと、そんな機会は訪れぬ。ヤタガラスの元に囲われる内は」
前髪を、指で梳かれてじっと見つめられる。
「そして君も、もう我と共に居る気なぞ失せるだろう」
「っ!!」
張った脚が、じゃらじゃらと鎖を鳴らす。
四肢の自由も利かぬまま、サマナーに乗られては悪魔は終わりだ。
「矢代君…」
「駄目だっ、間違えるなよ雷堂さんっ!!違う!こんなの間違ってる!!」
『何をしておるか雷堂 !?』
その怒声に、ハッとした雷堂と俺。
奥を見れば、黒猫が尾を真っ直ぐに、体中の毛を逆立てている。
微量の妖力を感じる程に。
「業斗…」
『…お主、気でも狂れたか』
「…いいや、まだ、やれる」
『ならその悪魔から降りろ』
「…ああ」
まるで幽鬼の様に、返答する雷堂。
すんなりと身体を除けて、着衣の乱れを整えた。
「…矢代君、非礼を詫びる」
深く一礼した雷堂を、呆然と見ているしか出来ない。
そのまま部屋を出て行く彼の背後、黒猫が立ち止まりこちらを見る。
『フン、房中術もお得意なのか人修羅とは』
「ぼう…なんです、それ…」
『色仕掛けだ』
その言葉に、かあっと頭の芯まで熱くなる。
「俺はそんなつもり、全く無いですが」
『無意識なら、まさしく悪魔だな…』
言い残して、雷堂を追う。
(俺が聞きたいくらいだよ、雷堂さんの真意をさ…)
身体は拭われたというのに、酷く重かった。
『…おい、大丈夫かお主』
「ああ、任務遂行に影響は無い」
『…くそ、だから反対したのだ俺は』
フウッと息巻く業斗が口にする。
『人修羅なぞ、禍つ事しか呼び込まぬとあれ程進言したと云うに』
「…」
『力への欲に溺れる一部のお上共めが…』
忌々しげに吐き棄て業斗を、一瞥して館の渡りを歩む。
(来るなら、何処からだ…)
渡りの欄干に手を掛け、遠方を眺める。
そろそろ、来る筈だ。人修羅の本来の主が迎えに。
(何人死ぬか…)
頭の隅でそんな事を考える己が、何処か他人事の様だった。
『雷堂よ、お主はあやつの何を求め接近したのだ?』
「何…と云うと?」
『俺の居ぬ間に接触を謀ったらしいが…その真意は何だ?』
「我は、人修羅、という存在に…初めて会った日から関心が在った」
欄干に掌を滑らせ、その硬質な冷たさに、先刻と間逆と思う。
「逢う度に、人か悪魔か解らぬその存在に、酷く惹かれたのかも…しれぬ」
『チッ…闇雲に力を求めての事の方が、まだ救いが在ったな』
そう云い、本殿へ向かう業斗を見送る。
再度、遠方を見れば、日がゆっくりと落ちていく。
(ああ、そろそろだろうか)
帯刀した刀を確認する。
それの帯びる能力を再確認し、腰から背に携え直した。
「…来い、葛葉ライドウ」
沈み行く夕日を食入る様に見つめて、独り呟いた。
「へえ…本部はやはり次元が違えど場所は変わらず、か」
乾燥した草木を踏み鳴らし、歩み寄るはヤタガラスの巣。
『アオーン!ライドウ…入口…カナリ厳重』
イヌガミの意識が脳に刺さる。
鮮明では無いが、入り口から一定距離は十人は居る様だ。
『どうすんだ?数で来られたら辛いぜ?』
ヨシツネがそう云いつつも、乗り気なのが丸解りである。
「おい、お前は道中で消耗し過ぎるなよ」
『へ〜い』
最後に加勢してもらうのが主な役割なのだから…
「イヌガミ、凡そ解った…戻って良い」
『リョウカイ!』
すぐに胸元へ消え行く其れと入れ替わり
新たに呼び出す悪魔が、光を纏い降り立つ。
『久々の出番で大仕事とは、骨が折れる』
「フフ…そう云うな」
その傀儡士の様な外見に、ヨシツネがぎょっとする。
『おいおい、お前ちょっと博打過ぎやしねえか?』
その不安を含む台詞に、クスッと返す。
「此処のヤタガラスには効きそうだよ…まあ見ておいで」
そう云って、ヨシツネの背に紐を掛ける。
『おい!何?何してんだ旦那!?』
「重いから、お前が半分持て」
三振りの刀をヨシツネに背負わせ、自らも横向きに三振り帯刀する。
『どんだけの数とやりあうんだよ』
「いいや、全部一人相手に消耗するつもりだ」
『はあぁ?どんな豪腕…もしくは豪刀の持ち主だよそりゃあ』
それを聞き、脳裏に思い描くは僕自身の陰…
「では行こうか諸君」
堂々と正面口から、悪魔を引き連れ浸入する。
どうせ隠し身しようが、それなりの者達で構成された館内では無意味。
篝火の傍の装束が、すぐさま此方に声を放つ。
「その姿…まさか」
「貴方達の十四代目とは違いますので、お気をつけ下さい…?」
唇を弧にし、そう云い返せば
辺りを取り囲む気配。
「貴様が、かの悪名高き別次元の十四代目か」
そう聞かれ、思わず吹き出す。
「へえ、僕も著名になったものだ」
「笑うな!く…中身は我等の葛葉雷堂と似ても似つかぬ!」
「それは勿論、あんな犬と一緒にしてくれては困る」
「い、犬だと!」
「忠犬だろう?」
「貴様…!!」
一斉に、召喚された悪魔達、有象無象が飛び込んでくる。
それらを瞬時に確認して、良しの合図を唱えた。
「ネビロス、殺れ」
『フフッ…マハ・ムドオン』
まるで焔が鎮火するかの如く、バタバタと倒れる悪魔達。
それもその筈、この悪魔達に呪殺耐性は無い。
残りの回避した悪魔を、駆け出したヨシツネが斬り伏せた。
一挙に悪魔を失い、慌てふためく装束共に叫ぶ。
「死にたくなければ道を開けろ!」
それにビクリとした装束が、遠くから反論する。
「呪殺を人に使うなど、それでも貴様葛葉のサマナーか!?」
「誇りはどうした!?」
「痴れ者め!」
矢継ぎ早に来る糾弾に、ニタリと哂って答え返す。
「悪魔と人に何の差が有る?」
そう唱えれば、静まり返る辺り。
その中を外套を翻して闊歩する。
奥の扉を、蹴り開ければ、斬りこんでくる畜生の鬼二体。
(ゴズキ・メズキ…)
絶対潜んでいるとは思ったが、思った通りの脚本に笑みが零れる。
その斧を跳びかわし、メズキの肩に乗る。
腰に帯刀した中で、一番尺の短い小太刀を抜き取り
その眼に一閃する。
雄叫びを上げるメズキが暴れ始める前に
すぐさま隣のゴズキに向かってその小太刀を投げる。
額に刺さったそれに反応して、ゴズキが大きく振りかぶる。
既に地へと降り立っていた僕は、ホルスターから抜いた瞬間に
発砲し、その得物を持つ腕の機能を屠った。
『ひゅ〜、流石旦那』
ヨシツネの軽い賞賛を流して召し寄せの印を結んだ。
「今日は寄り道しないからな」
『へいへぇい』
適当な返事のヨシツネとは対照的に
後方から黙ってついて来るネビロスを確認してから、回廊を駆ける。
「意気地の無い腑抜けばかりだ」
『そりゃ旦那が死神みてぇだから、しょうがないんじゃねえの?』
「…ヨシツネ」
『あ〜!ハイハイ!すんません!』
軽口を叩くそいつを黙らせ、奥へ奥へと進攻する。
渡りに脚を踏み入れかけ、ふと感じる魔力に止まる。
「…臭うな」
ちらりと背後に眼を配る。
『如何致しますか』
ネビロスの反応の良さに、気分が上がった。
「適当に発破をかけろ」
『…マハ・ジオダイン!』
ネビロスが放つ閃光が、その渡しの道を奔る。
途端、渡しの足場一面に汚泥の様に黒い霧が広がる。
『うへぇ、何だよコレ』
「呪詛だな…恐らく橋渡しの裏に符でも仕込まれている…」
そこまで説明しておいて、気付く。
(あの男…嫌味のつもりか?)
胸中に燻る火が、煽られる。
「行くぞ、不安なら対岸で召し寄せする」
そう云い、欄干に跳び乗り向こうへと駆け出す。
『落ちたらやべぇな』
『巻き込まないで下さいよヨシツネ殿』
『な、なにおぅ…!!ネビロスのくせにぃ!!』
背後の阿呆な喧嘩を無視して、渡りきった先の大扉の前に立つ。
カツカツ、と靴先で扉を叩く。
「では、お邪魔しようか?」
少し下がり…思い切り旋回し、その扉に飛び蹴りを喰らわせた。
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