人を殺したいなぞ、ついぞ考えた事も無かった。
我に課せられし使命がそれであった事に、全て押し付けて屠ってきた。
殺しを赦す神なぞ居るか?贖罪とはなんたるか。
その穢れに言い訳をしたいだけでは無いのか?
我等を凶悪より逃し給え amen
十字轡
迫る爪先の振り被る残像が記憶に新しい。
だが、それは右眼を抉る事無く終わった。
代わりに、酷く熱い、奥の方からぐいぐいと神経で引かれている感覚。
(何が、起こった…)
身体から圧も消え、よろりと上体を起こす。
相変わらず右眼に視力は無いが、その右眼から発される魔力の流動を感じる。
溢れ出しそうなそれに眼球が零れそうで、思わず右の瞼を手で覆った。
「っぐ…」
呻きは、我のものでは無い。
遠くの壁際に仰向けに、腕で顔を覆うライドウが発したものだった。
(我が、やったのか…?)
無我夢中で、あの瞬間を思い出せぬ。
「…っぐ……小賢しいな、本当に…お前」
呟くライドウは、流石に直ぐ体勢を立て直す。
血気迫るその声音に、ハッとして周囲を見渡す。
『雷堂!』
背後からの声に台座から跳躍し、入り口付近ににじり寄る。
身体をぬらりと照らすのは、ライドウからの斬撃によるものか。
「業斗、その身体…!」
『案ずるな、俺の身は替えが利く』
「だが」
『前を見ろ!武器なら其処に転がっているだろうが』
翡翠の鋭い視線の先、彼の手首を落とそうと振るった、あの鉈が鈍く光っていた。
云われるままにそれを手にし、対面するライドウへと意識を集中する。
彼は上下一枚しか纏っておらぬ上、丸腰の書生姿だ。
「まさか、人修羅すら使わぬ技を繰り出すとは…くそ……」
遠くで云うライドウに、我は疑問を抱いた。
「何だと?」
「解っていないのか?クク…やはりお前にはその眼、渡しておけないね…」
云いながらその背後の壁に背を着けた。
我の方を向いて、そのまま出方を見計らっている…のだろうか。
『邪眼だ』
足下で黒い塊となって崩れている業斗が、我に云う。
「邪眼…?」
『“イービルアイ”お前が放った、雷堂…』
それを聞いて、最初何の事か理解がいかなかった。
だが、右眼の熱さに回路が繋がる。
「まさか…如何なる理由で我が…」
『知るか、その眼球に聞け』
その黒猫もどきにぴしゃりと撥ねられ、口を噤んだ。
それでライドウが吹っ飛ばされていたというのは、合点がいく。
「その邪眼とて、致命傷は負わせておらぬ様子だが…」
片手にした鉈、いつもと違う重みが違和感を生む。
「当然だ、僕は呪殺の類を除ける身体をしているからね」
向かいの彼が自身に満ちた声で述べる。
すると業斗が、擦れた鳴きを漏らす。
『いよいよ以ってその振る舞い…貴様はやはりココがおかしい様だな、紺野』
千切れかけの尾で、耳の辺りをトントン、と叩く業斗。
訝しげに、その師を見れば…さも可笑しそうに続けた。
『その眼、殆ど霞んでいるのだろう?』
驚愕して、ライドウを凝視した。
彼は薄く哂って、前髪を横に梳いた。まるで事も無げに。
「あんな至近距離で被害を被らない方が異常でしょうに」
クク、と哂っている……だが、確かに、その視線は我の視線と絡まない。
まさか、本当に視えていないのか?
それで丸腰だというのに、何故哂って居られる?
「完全に見えぬ訳では無いさ…翳す己の手は、僅かに視得る」
前髪を指先に弄び、そう語るライドウ。
圧倒的に不利な立場だというに、それを思わせぬ素振り。
『雷堂、今が狙い時だろうて』
傍の塊が我に命ずる。
『アレを殺せ!雷堂!』
「いや!待て業斗!!まだ説明すらして」
『何を視て来たのかなぞ、最早関係あるまい?牙を剥いたのだぞ?奴は』
それは、勝手に心を覗いたからでは?
そんな事、云える筈も無い。
「しかし!視えておらぬ相手に攻撃するのは如何か!?」
とりあえず、そう反論した。
するとライドウは笑い声を上げ、惑う我に告げる。
「此方の烏の巣へ入らせて頂いた時分、視えぬと思われるお前を、僕は攻撃対象にしたが?」
迷いの無いその声には、鮮やかな殺意が滲む。
(だが…その時と、向けられる気が違う)
今の彼は、視界なぞ厭わぬ獣だ。
視えぬならいっそ都合良いと、手当たり次第破壊する、そんな気配。
「我は貴殿の如く狡猾に出来ておらぬ、ライドウ…!」
切断鉈を構え、本来の武器の在り処を思い出す。
業魔殿の広間、人修羅の傍…
其処まで駆けて、ひとまず太刀を確保しようか。
人修羅を連れて、外へと出ようか、ライドウの眼が光を取り戻す前に。
『早くしろ雷堂!眼晦ましとて永久では無いぞ!』
業斗の声に弾かれて、逃げる様に扉を開けた。
暗い回廊を駆ける、すぐに背後から扉の音が響いた。
懸命に駆けるのに、どうしてか靴音が大きくなってくる。
闇を真っ直ぐに駆け抜けるなぞ、不可能に近いのに、如何して。
「雷堂っ」
その怒号に鉈を構え、背後へと向き直る。
火花が散って、ライドウの左手がその刃先を削った。
すると、振り下ろした手を直ぐ横に持って行き、その方向から薙ぐ彼。
横からの衝撃に耐え切れぬ鉈が、ぱきりと涼しい音を立てて折れた。
急ぎ柄から指を離し、後転する。
折れて飛んだ刃の半分から先が、ライドウの頬を切り裂いていった。
『いってぇェエ!!』
檻に入る悪魔に最終的に刺さったのか、不満混じりの叫びが響いた。
「く…」
銃をホルスターから引き抜くと、ライドウに照準を合わせる。
下手でも流石に視えぬ者が相手、だがそこに幾許かの後ろめたさを感じる。
「止まれ!ライドウ!!」
「その眼をくれたらね!」
返事して、まさか此方に駆け出すその姿。
此方とて黙って襲われる訳にはいかぬと、引き金を引く。
硝煙に臭いと空薬莢が床を打つ音が響く。
だが、ライドウは被弾していない。
「この通路、大量のMAG保有生物に挟まれているな」
「それがどうした!!」
檻の鉄格子に指を掛け、脚をその下側に接地させるライドウ。
「お陰で空間の形は判る」
もう一発、発砲するが、その瞬間には反対の檻に跳躍していた。
「撃鉄音の瞬間跳べば訳無い」
哂ったライドウが、我を見下ろす。
きっと音で判断して、位置を認識している…恐ろしい男。
「無駄弾。おまけに反射したり悪魔に当たったりするだろうさ」
「…っ、では複数相手なれば貴殿も怯むか?」
「召喚かい?どうぞお好きに」
数段詰まれた檻の上層で、哂いながらライドウは答えた。
(虚仮にされている)
視界が闇の相手に、自由を赦す発言をされる。それは侮辱にも等しい。
やや引き攣る頬を意識しつつ、管を選別していると上から降り注ぐ声。
「僕のMAGが吸いたい奴、名乗りを上げろ」
冷たい音色が響き渡る、それを管を指に掛けつつ、唖然として聞いている我。
止まっている場合か?業斗の云う通り、彼に光を与えては不味い…というに。
ざわつく檻の中の素材悪魔達。揺れ動くMAGの気配。
『おいぃ、手ぇ貸すぞぉぉぉお!!』
その名乗りを上げた悪魔の方へと、咄嗟に管を翳した。
「カマエル!阻止しろ!!」
光と羽を舞い散らし、緋色の甲冑に身を包む天使が追う。
だが、ライドウが早い。その声の檻に向かって、天辺の檻上を駆けていく。
「風で掃え!」
命じると、その天使が薙ぐ真空刃が一直線に飛ぶ。
轟音に眼を細め、崩れた檻の埃の中に影を探す。
まさか、あれで彼を仕留めれた筈も無い。
…と、やや間があって周囲の檻が揺れた。
歓声なのか野次なのか。
薄闇、天井のランプがチラチラと照らすそれに乗じて、露わになっていく。
巨大な瞳に触手をくねらせる悪魔が、ギョロリと我を見た。
『あ〜ぁあ、出れて清々したぁぁああああ!!』
イチモクレン…
『雷堂様、一瞬見えました、あのライドウ…格子を薙いで破壊し、奴を逃がした様子』
カマエルを傍に召し寄せ、その瞬間を聞く。
真空の刃はあと一歩、遅かったという訳だ。
「お前、イチモクレンだね」
『大正解ぁぁああああ〜いぃ!!景品は無し!!』
「クク、今だけ眼になれば良い」
触手に指先から絡ませて、その腕から胸、腰へと這わせている。
その光景にぞわりと身の毛がよだつ。
「ほら…吸い給え…」
哂って云うライドウの薄いシャツの下、弄る触手が見え隠れする。
『おいイチモクレン!!てめぇずっけえぞ一人だけ!!』
何処からかの野次。
『あぁん、私も吸いたい、その美味しそうな薫りのMAG…!!』
夢魔だろうか、女性の声が切なげに混じる。
羨望と嫉妬と享楽に包まれた檻の檻。
我にも声が飛んでくる。
『お前は丸腰の相手を嬲るのかい、酷いサマナーだね』
『天使なんて連れておいて、聖人ぶってんの?』
違う。
『我々の事など眼も向けず、完成体を受け取るのみ…大層な御身分』
『同ジ形デモ、全ク違ウ…アッチノ偽者ガ、俺達ニ近イ』
違う、違う、全て違う。
『あの人間みたいな悪魔は、もう喰っちまったのか?十四代目雷堂よぉ』
その声に、ハッとする。
『手術室に連れ込んで、出てくりゃMAGで艶々お肌が潤ってるこった』
下卑た云い方に、一同が爆笑する。我の頬が熱くなる。
覚られていた事に、脚が震える。
『一方の人間モドキは凄ぇグッタリしててよ、精根尽き果ててんの』
『やっだぁ、アタシも連れ込んでぇ〜クズノハぁ〜きゃっははははぁ』
『ゲハハハッ!!』
背の爪痕に痺れが奔る。これは恥で無い、甘美な生と真だ。
「黙れぇッ!!」
我の叫びに、一瞬静まる空間。
虚像のお前等に、何が解る……何が。
「ねえ雷堂、ひとつ聞こうか」
上からイチモクレンと身体を繋げるライドウが問うてくる。
「それは、人修羅?」
確認などでは無い、きっと違ったとしても…そう思う彼は襲ってくるのだから。
だから云おう、この場の全員の鼓膜に焼き付けてやろう、告白を。
「ああ、相違無い」
ライドウの口が吊り上がる。
「彼を連れ込み、そのMAGを、精を啜った」
繋がれるイチモクレンの眼が、ピクピクと開ききって痙攣している。
我を、その悪魔の眼を通して、睨んでくる。
「貴殿の身体を治すと引き替えに身を挺した彼を、我は舐めしゃぶった」
どこからかヒュウ、と口笛が鳴った。
嵐の前の…静けさ。
「見たいか?我の背を……虐待とは違う、彼の爪痕を!」
嗚呼、笑いが、笑いがこみ上げてくる。
「なぁ紺野よ!!貴殿の背の何倍も、美味しかろう!?」
嗚呼、殺意が、降り注いでくる。
舞い降りてきたライドウ、イチモクレンの巨大な眼で視界を得ているか。
先刻と違い、我が動く前から襲い掛かってくる。
この瞬間、使われぬ彼の眼が、怒りに染まって此方を見続けている様に感じる。
「その眼抉ったら、次は背の皮を剥いでやろうか」
彼が腕を伸ばせば、イチモクレンの触手の一本が突いてきた。
突然のそれに銃を持つ手が打たれる。飛ばされた銃がもう一本の触手に捕まれた。
それをしゅるりと手元に運ばせ、右手に確認するライドウ。
「チッ、大した銃では無いな…支給のコルトか」
指の感覚で解るのか、そうぼやいてから発砲してくる。
『雷堂様!』
カマエルの獅子の盾が前方に躍り出る。
反響音が響く。するとライドウは撃つのを止め、接近に持ち込んできた。
返り弾に被弾する事を危惧してだろうか、確かにカマエルの盾は堅い。
『これを!』
前で羽ばたく天使が、剣を寄越してきた。
「カマエル!貴殿の武器は」
『疾風にて舞いましょう』
確かに、武器が無ければ我なぞ赤子同然、イービルアイとて放ち方すら解らぬ。
「借り受けるぞ、盾は要らぬ」
(盾の使い方等、我は教わっておらぬ)
言葉短に礼を云い、受け取った剣で伸びてきた触手を断ち斬る。
床にビッ、と落ちる触手片がビクンビクンと蠢く。
しかし、厭わずにイチモクレンと駆けるライドウ。
「触手でその煩い口から塞いでやろうか?」
手脚の様に操るその姿、恐らくイチモクレンをMAG漬けにしている。
MAGから直接命令を送るその方法は、精神を削る。
「貴殿よりは静かなつもりだが?」
返答しつつ剣を構え直し、尺の短さに戸惑いながら振り掃う。
その我の脇から、轟々と、風が一瞬通り過ぎた。
「壁!」
『う゛ぅぉおおおい!!何も通さん!封鎖だ封鎖ぁあああア!』
ライドウの号令に張られた障壁が、カマエルの風を打ち消す。
背後の天使がふ、と溜息を吐いた。
寄りによって疾風の同胞とは、悪魔が決定打にならぬ戦いである。
「なれば斬り参る!」
触手の動きをよく見るのだ、何処に空間が在る?
ライドウを侵蝕する触手が、攻撃の手に回る前に、其処を突く!
「取引で強姦の次には覗き見とは、君も随分と良い趣味をしているな」
「何とでも云え、同情はせぬ」
脚に絡みついた一本を、直ぐに断つ。
刃先が肉も攫っていったが、此処から体勢を崩されるよりマシというもの。
この距離、触手と見計らう銃、短い間合いの我の剣が閃く。
宙に舞う血がどちらのものか、認識の必要は無い。
(あの眼だ)
我を睨む巨大なレンズ、あれさえ使い物にならぬ様にすれば。
「お前に同情されるなぞ、吐き気がする!!」
忌々しげに吐き捨てるライドウ。
次第に烈しくなる打ち合い。
『殺せ!!殺せ!!』
『サマナー同士の見世物だぁ』
『どっちの葛葉が強いのかね』
飛び交う野次も熱が増す、暗い地下のコロッセオ。
『殺せ!!八つ裂きにしろぉ!!』
『絞メ殺セ!』
悪魔達め、ここぞとばかりに人間のサマナーを肴にはしゃぐか。
気持ち悪い、この空間、早く出て君に逢いたい。
崩れた肉の業斗も気になる。
嗚呼、何はともあれ。
「貴殿が障害なのだ!ライドウよ!!」
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