恐悦至極に存じます
――君の知るライドウは、顔に傷痕なぞ残す間抜けだったか?
あの日。
いや、それが一体暦の上で、何処に位置していたのかすら忘れた。
でも、確かにあの日、俺は雷堂さんと此処で出逢った。
最初に、この虚空で交わしたのは刃と拳で。
次にはライドウの血溜まりで言葉を。
虫の啼き始める頃にはぬくもり。
紅葉の頃には…眼。
この空間に季節などは無くて
俺は向こうの帝都に行く度に、元の帝都に戻る度に
時間の流れを理解する。
「…」
横眼に雷堂を見る。
彼の、左側に追従する俺。
あの時と違うのは…
「矢代君…どうした」
こちらを向いた彼の右眼、覆うガーゼ。
その奥に感じる…俺の魔力。
『全く、雷堂よ』
「何だ」
『主、狂っておるわ』
「そうか」
『これを連れ帰るのか?』
「…そのつもりだが」
『…俺は反対する、弁護もせぬわ…!』
じろり、と俺を見る翡翠の双眸。
俺は居た堪れなくなり、そっと視線を暗闇に落とし込む。
業斗が、俺を憎む気持ちは理解出来る。
大事に育ててきた十四代目を、壊したのは…確かに俺とライドウなのだ。
『引き裂いてやろうか…人修羅』
ふと、立ち止まり
その黒猫は全身の毛を逆立てる。
ぐわり、とその毛先から燃え立つ様に昇る、妖気。
俺を射る翡翠がいっそう強く輝く。
「…すいません」
何に対してか解らない謝罪をする俺が、虚しい。
そんな光景を見た雷堂が、黙っている筈も無い。
「業斗…何をそこまで憤り立つ」
黒猫を見下ろし、少し眉を顰める。
「我は、彼に迷惑を受けた覚えは無いぞ、むしろ…」
その口元が、すこし歪曲した…気がする。
「感謝している…」
それを見た業斗は、牙を剥き出しにして尾をピンと張った。
『魅入られおって!!この恥知らずめが!!』
叫ばれたその鳴き声に、雷堂は口元を戻す。
「いい加減にしないか!!業斗!!」
叫び返す雷堂から、渦巻く魔力。
馴染みのある、俺のものに近いそれ。
「待って下さい」
その張り詰めた時化に、俺は錨を投下した。
両端から、俺を見つめる彼等。
少し息を呑んでから、俺は云う。
「業斗さんは…俺が悪魔だから、心配なのですか?」
『…』
「雷堂さんは、俺が人間だから、連れ添いたいのですか?それとも悪魔だから?」
「矢代君、それは…」
俺は、俺は一体何になれば良いんだ。
何になれば、疎まれないんだ?
「友達だと、少し上の兄貴みたいだと、慕っていました」
ちらり、と雷堂へと視線を移す。
「何故錯覚しているんですか?こっちのライドウに、あんな事させられたから?」
わざと、俺は声を荒げる。
『あんな事?』
業斗が下方から横槍を入れる。
その怪訝な声音が、続きを待っているかの様だ。
だが、それを遮断する一閃が奔る。
「そうかも知れぬな」
その、迷い無く放たれた言葉。
返答出来ない俺に、雷堂は笑って、答え続ける。
「君と散歩して、他愛も無い会話をして、喫茶に入り、まるで普通の書生の様だった」
云いながら彼は、少し捲れた外套を指先で払った。
「君は異端の存在で、我は異端の生き方で…」
『…』
心なしか、業斗が少し覇気を緩めた気がする。
「そんな我等が、まるで一般の如く…笑い合って、在った」
見つめてくる、その片眼が、しなる。
「人間に焦がれる君は、とても素敵と思う」
「…」
「我と違い、抗い続けるその姿が、猛き姿が好いと思う」
「雷堂、さん…」
「そんな君が、ひとりのサマナーに従属するは…惜しいと思って、いた」
その台詞に、俺は少し鼓動が早くなる。
そう、もう従属していない。
俺は今、ただの半人半魔である。
誰かの仲魔、では無い。
もしかして、雷堂。
抉っている?穿っているのか?俺の…傷を。
「矢代君、我はサマナーであるが…その前に、何者だ?」
問い掛けてくる、その答えを
俺は知っている。
「なあ、矢代…」
歩み寄る、葛葉雷堂。
その影が、一瞬誰かに重なって見えた俺は、動けなかった。
『フウウウッ!!!!』
突然の、猫の威嚇。
眼の前まで来ていた雷堂と、俺の隙間を遮って飛び込んできた。
と、次の瞬間
焔に水を撒いた様な音が残響する。
「!!」
『注意力散漫だ…愚鈍共』
フン、と鼻を鳴らして背を反り返らせる業斗。
弾かれるようにそちらを見た俺と雷堂。
黒猫の向こう側に、転がる悪魔一体。
『御喋りに夢中で手負うなど、笑い話にもなりやせん』
雷堂と、そして俺にも向けられているであろう言葉。
「す、すいません」
反射的に謝罪して頭を下げる俺。
猫といえども、その身体から発されている妖の気は紛れも無い。
「…」
一方、押し黙る雷堂…その視線の先には転がり果てる悪魔。
それに物も云わずに近寄っていく。
「…見ない悪魔だ」
その、綺麗な死骸を見下ろしてぼそりと呟く。
内部から殺されたのか、表面は形をそのままに死んでいる悪魔。
見ない、とは…このアカラナには普段居ない悪魔、という事だろうか。
「…魑魅魍魎のにおいがする」
続けてぼそり、と雷堂が零した言葉。
「あの、雷堂さん…何か…」
「走れ!!!!」
俺の手を、指先を急に掴み
雷堂が先へと駆け出す。
『チッ』
舌打ちのような鳴き声を発した業斗も追ってくる。
「ら、いどうさんっ!?」
舌を咬みそうになりながら、俺は引かれるままも迷惑かと思い
速度を上げて横に並んで、指先を解く。
「っ悪、魔、?」
「此処を出るっ!とにかく走れ!!」
俺の問いかけももどかしく、真剣なその顔が少し怖い。
駆ける回廊の階段は、音の反響も無く
その場に駆ける足音が四散して沈んでいくようだった。
結構走ったろうか…遠方に見覚えのある、階段が姿を現す。
「あれですねっ」
「ああ!」
ラストスパートか。
背後に俺は何も感じないのに。
眼に視えるのは雑魚悪魔ばかりなのに。
彼は何を恐れて、何を感じて急ぐのだろう。
俺は思いつつ、その段に脚を踏み出した。
視界が、揺れる。
階段の昇降によるそれでは、無い。
「!?」
背後から引っ張られる感覚。
足首に巻き付く鋭い縄の様な、感触。
「矢代君!!」
そう叫ぶ雷堂が遠くなる、一気に。
「っぐぅ…ッ」
俺は床に指を立て、その爪先を抉りこませる。
これ以上引き摺られまいと、両の手を食い込ませてふんじばる。
『いっけないんだぁ、人修羅ちゃんたら…』
聞き覚えのある声音。
その声と、脚に在る感触から、俺は記憶を呼び覚ます。
『アタシの御主人様に逆らった罪は、きっと重いわよ』
ウフフ、と妖艶な笑みの混じったその口調。
俺は振り返る気にもなれず、必死に床に抱きついた。
「解け!」
大太刀を抜刀し、雷堂がこちらへと跳躍した。
『させませんよ』
「…っ!貴様」
すぐ傍で、神々しい光がチラつく。
それを反射する雷堂の大太刀が、薙ぎ払う様に振るわれている。
『ねえ、人修羅ちゃん…アタシは結構アナタを気に入っていたのよ?』
「…」
『戻ってきたら?ま、お仕置き覚悟だけど…ンフフ』
ギリギリと、足首に茨の棘が刺さる。
「っふ…!」
指先の爪が、ミチミチと音を立てて浮いてくる。
中指のは、もう剥がれていた。
『まあ、私としては戻られても少々癪ですがね』
輝く悪魔が、俺を嗤う様に言い放ち、雷堂に向かって疾風を放つ。
大きく揺れた外套の下から覗く脚が、踏み止まるようにして曲げられた。
「カマエル…来いッ、援護しろ…」
裂かれ迸る血に、雷堂のマグネタイトが混ざった。
『フ…御衣』
降臨した天使は、俺のまだ見た事もない姿の悪魔だった。
翼を広げ、構えた指先から空気に散る閃光が俺達を纏う。
すると、なびいていた雷堂の外套は落ち着きを取り戻した。
『はあ、疾風の結界ですか、これはまた面倒』
輝く悪魔は、ちら、と俺を見て(眩しいので恐らく、だが)
その場を去った。
「矢代君!」
向き直った雷堂が、すぐに大太刀を振り上げた。
「!」
一瞬、手首を隠したくなった。
が、それは足首を繋ぐ茨の縄に降ろされていったらしい。
『んもう!斬られちゃったわ…性急なのね』
背後から、そんな艶めいた声。
俺はようやく負荷が消え、床を穿つ爪をそっと外した。
ほろりと数枚置き忘れた様に床に残ったが、今はそれを気にしている場合では無い。
「ねえ、それ返しておくれよ」
どっと、汗が吹き出る感覚。この身体では、錯覚かもしれないが。
そうして、俺の肩を掴んで立ち上がらせる雷堂も、俺の肩越しにその声を…視ている。
「前も此処で云ったよね、君には過ぎた玩具だと」
俺は、振り返れない。
恐ろしくて。
思わず、肩を掴む雷堂の指を、きゅっと掴んだ。
「…思った以上に、早いな」
多少の呆れを含んだ雷堂の声に、同じ声が返す。
「まあね」
「…よく抜け出せたな」
「馬鹿にしているのか、雷堂…」
振り返りたくない。
でも…
振り返り、たい。
「矢代君…!」
雷堂の、少し心配してくるような声音を聞きながら
ゆっくりと、首を捻る俺。
鼓動がフル稼働する。
まず、悪魔の影。
そして連なって、悪魔…悪魔、また悪魔。
そうして、ようやく見覚えのある姿が眼に入ってくる。
先刻のアルラウネ…輝くアマツミカボシ。
そうして…
「ご無沙汰、人修羅」
哂う、ライドウ。
ご無沙汰、って…まだほとんど経過してないじゃないか。
いや、寧ろ…その姿に、俺は眼を見開いた。
周囲の悪魔は、全て…ライドウに…つき従っているの、だろうか。
管には入れないが、囲う悪魔達、だろうか。
ずらずらと、ライドウのマグを吸って、恍惚として佇む。
いや、それが無いと…享楽的に戦えないのかも、知れない。
あのライドウに従うのだ、シラフでは無理だろう。
『ちょっと、大丈夫?』
隣のアルラウネがライドウに声を掛けた。
「気にするな、命令だけ聞いてろ」
それをぴしゃりと撥ねつけて、ライドウは刀の柄に指を絡めた。
その“大丈夫?”の意味は…見れば一目瞭然だった。
『あやつも相当狂うておるわ』
静かに歩み寄ってきた業斗が、ライドウを見て哂った。
…ライドウは、身体のマグネタイトを酷く消耗し続けている…
管に入れない、未契約の悪魔共にマグを喰わせている。
同時に、何体にだ?
いくら雑魚といえども…その疲弊は計り知れない。
「真似出来ぬ」
クッ、と苦笑いして、眉根を寄せた雷堂が云った。
俺は、それを云われるライドウの姿を見て…どこか呆然としていた。
あんなに、沢山の悪魔を連れて、魔力を放って追って来ていたのに…
気付けなかった俺は
やはり、ライドウとの繋がりが消えたから?
彼の魔力を感じれなかった自身に…
どこか、ショックを受けていた。
「しかしライドウよ…貴殿が棄てたのだろう?」
俺の傍で、雷堂が云う。
「まあ…理由は知らぬが、な」
そう云って、どこか笑った。
それを見て、俺はぞくりとする。
(この人、多分、理由はどうでもいいんだ)
構えられる大太刀。
普通に、戦う気でいるのか。
あの大量の悪魔と…?
「雷堂さん、俺も…手伝います」
俺は…いつの間にかそう口走っていた。
そんな俺に、笑い返す雷堂。
眼帯の下の魔力が疼いているのか、その笑みは魔的。
「君は大人しく下がっていて良いのだが…?」
「…いえ」
「“元”主人だぞ?」
なら、何故微笑んで云うの?
「いいんです、俺が…貴方について来たんですから」
ついて来た?
つられて来た?
どちらだったのか、今ではあやふやだった、酷く不鮮明だった。
俺はライドウの方へと身体を向け、構えた。
まだ片眼を使えないので本調子では無かったけど
それ以上に、違う感情に支配されてきていた…
そんな俺の視界に映るライドウ。その口を歪ませて…
「人修羅を捕らえたら、本契約、マグも身体から吸わせてやる」
冷たく哂って唱えた。
それを皮切りにして、一斉に俺へと飛び掛ってくる魑魅魍魎。
傍の雷堂が、俺にちらりと目配せして、その大群を掻い潜って往く。
俺は勝手に解釈した。
雷堂の相手は、ライドウなのだ。と。
そう、それで良かった。
俺は、この有象無象の相手を正直したかったのだから。
腕を交差させて、熱を高める。
それを爆ぜさせれば、数体の悪魔が飛び散った。
残った奴が、俺の身体に得物や爪を立ててくる。
皮膚を引き裂くそれを、俺は気にせず、逆に掴む。
「小物は退いてろっ」
掴んだ悪魔を、振り回して
背後から腕を振り翳してきたオオミツヌにぶつける。
体躯の大きなそれは、よろけていく。
そこへ俺は地を蹴り飛び掛った。
胸元に脚を置き、頭へ駆け登る。
物音みたいな唸りを上げて、倒れていくオオミツヌ。
足下の小さな悪魔はプチプチと巻き込まれて潰れていった。
俺は足場のこいつが完全に倒れこむ前に、頭からぽん、と飛び立つ。
「砕け散れッ!」
宙で翻した俺の蹴りは、光の刃になって下の巨体を貫いていく。
奔った亀裂の隙間から光りが洩れて、一間置いた直後
そいつは爆発して焦土と化した。
「はぁ…」
その塵の上に降り立った俺を見て、竦む悪魔、逃げる悪魔。
「はぁっ、はあっ」
俺はそいつ等に向かって、駆け出した。
いつもなら放置する、戦意喪失した悪魔を殴り飛ばした。
逃げる悪魔を、その背後から焔で縫い止める。
燻る身体に追い討ちをかけて、炭にする。
「はぁ…ッ!!」
許せない
こんな
どうでもいい雑魚共に
吸わせてるなんて
投売りしてるなんて
早く消さなければ
早く殺さなければ
ライドウのマグネタイトが
こんな奴等に吸われ続けるなんて
「う、があああああッ!!!!」
残さず殺す。
散っていった悪魔達を、有無をいわさず殺戮する。
俺の最も嫌う、無益な殺生、を
俺は今、望んでしている。
俺から完全に拾い上げられたマグネタイトを
のうのうと吸っているこいつ等を
消してやりたかった
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