紅葉に鹿《後》
『話は聴いている。お前にしては珍しく、なかなかよくやってくれた』
業斗にしては珍しく、我を褒めている。
落した人修羅の両腕を埋めた塚の前、三日三晩の祈祷がようやく終わった所だった。
祈祷師の神具がさらさらと宙を舞うのを見て、まるで演舞の様だと感じる。
『おい、起きているのかお前』
「…ああ、夢を見た」
『それはつまり眠りが浅いという事だ。雷堂、お前は俺の言葉は態と記憶せんのか?』
「首を埋めれば跳び帰り、全て揃えて埋めれば五体は繋がり、甦る……再び我の前に現れ、我を灰にする…」
『フン、将門公でもあるまいに……しかし、それは調伏者の見る一種の啓示かもしれんからな』
首実検に使用したのみで、あれから首と胴体はヴィクトルに預けてあった。
研究したいという申し出も有ったが、何より綺麗に保管しておいてくれそうだったので、我からも依頼した。
身体の一部を本殿の付近に埋め、塚を作るは重要であった。
その塚こそが、人修羅を始末した我の覚悟の証となり、この立場を維持する葦と成り得たから。
「あんなに好いていた彼を殺めたのだ…他の部位の処理くらいはさせてくれるな…なあ、業斗よ」
てっきり叱咤されると思っていたが、黒猫は暫しの沈黙の後にフウッと溜息を吐く程度で。
『……それでお前にも度胸が付くなら、もう好きにしろ。あんな半端悪魔の残骸なぞ、俺は知らん』
「有り難い、ではヴィクトルの所に向かう。何処かに消えぬ様、保管して頂いているのでな」
『屍肉相手に、厚遇な事だな。だが、実際首を残せば甦り易いだろう…此の地に埋めるは腕程度が好ましいわ』
尾をぴんと張り、すたりすたりと歩む黒猫。
あの喫茶店の外で待ってくれて居て、助かった。
我はあの後、業斗の姿と声でようやく脚が震え始めて……身体と心が一致を再開したのだから。
(この方に指導されなければ、悪魔に気迫で負ける所だ)
傍を歩みつつ、業斗をちら、と見下ろした。相変わらず小さい器は、姿だけは愛らしい。
天使を視てしまったあの日から、普通の人間として生きられぬなら…
帝都を守護し小父様小母様のお役に立とうと、ずっとその為に奮い立たせてきた。
我に此処で生きる術を教えてくれたのは、間違い無く業斗童子この人だ。
きーぃ きちきちきち
また、百舌鳥の声がした。まだ相手を必要としないのだろうか、甲高い威嚇の鳴き声で。
「なあ、業斗よ。百舌鳥はいつ頃になれば、求愛を始めるのだ」
『図鑑で読んだと先日云っていたろうが………如月の頃だ、求愛給餌は』
「それまで、ずうっと独りか…あの鳴き声を聞く事になるのか」
『は、耳障りなら撃ち落としてみたらどうだ?下手糞な銃で』
「我は…百舌鳥が如く声を真似て……塚という早贄を作り……まるで、百舌鳥の心地ぞ」
『…雷堂よ。百舌鳥は一夫一妻、番は基本一つだ。だがな、産まれた卵には、他の雄との物が混じっている事があるそうだぞ』
「他の雄…」
『何食わぬ顔をして伴侶を気取ろうが、奴等の雌は他の雄と交尾するという事だ』
翡翠の眼が、少し歪んで我を嗤う。やはり、愚かだと思っているのだろうか。
無言のまま歩みを進めれば、やがて金王屋の看板が見えてきた。我は翡翠の双眸を窺って入店を示す他無い。
『俺は路地に居る。最近日照時間が希薄なのでな、少し猫らしくさせて貰うぞ』
「なあっ、業斗」
くるりと振り返るは、黒猫だけ。
この一帯を行き交う人々は皆、我が葛葉雷堂と認知しており、猫と会話する変人だという事も理解しているからだ。
「我は……“他の雄”であっても構わない……構わなかった!」
翡翠の眼は、嗤っていない。呆れとも、叱咤の其れとも違う。
誰かの眼を思い出す、伏しがちに流れるあの視線。
『…弁当箱でも持って、少し行楽に行ってこい』
嗚呼、あれは……
素直に母様と呼べなかった我に向ける、小母様の眼だ。
「業斗」
『人修羅は滅した、脅威はひとまず退いた。誰もお前に文句は云わん、塚に腕が在る限りな』
「我は、まだ雷堂で居ても良いのだろうか?」
『どの様に鳴こうが、何とまぐわおうが…俺は葛葉雷堂としての仕事に支障をきたさぬなら、総て許す』
脚が少し震えている、手袋も襟巻もしているというのに。
明日は霜が降りるだろうか…紅葉を覆い隠すだろうか。
『肉片なぞ、既に人修羅ですら無いわ。早贄を枝に刺し忘れ、放置する百舌鳥こそ只の莫迦よ。お前の好きに処分すれば良い、明』
やはり、雪が降るかもしれぬ。そう脳裏に一瞬思い、即座に掻き消す。
いいや、業斗が我に優しいのはいつもの事であった。
我が壊れぬ様に昔から叱咤を続け、生きる術を与えてくれたが…
今はこうする事が、良策と考えたのだろうか?我が立って居られるのは誰か在っての事と、理解しておられる。
「かたじけない」
今度は振り返らず、そのまま猫の屯する路地に向かって行った黒猫。
他の猫達に威嚇されると、尾を真っ直ぐ揮わせフーッと更に険しく威嚇を返す。
その様子から、やはり苛々しているのは間違い無かった。
薄暗い舞台の上、周囲の紅葉が酷く美しい。幼い頃に舞台袖から見た記憶より、艶やかに見える。
板の上は辛かろうと思い、我の外套を敷物にした。
灯篭はたった一つだが、充分だ。少しばかり暗い方が、よく映える。
「……ぅ」
小さく呻いた人修羅の、その喉仏がクッと震えた。
左右に幾度か頭を振ったのを見て、喉が貼りついていると勝手に決め付ける。
血の気の無い唇に啄み、息を吹き込む。
「っ、ん、んんっ、ぐ」
びくびくと肩が震え始めたのを確認して、吸い付くのを止めた。
口を離せば、息を吹き返したかの様に激しくひとしきり咽た君。
少し乱れた前髪を、素手の指でゆったり梳いて撫で、語りかける。
「眩しくは無いか、矢代君」
隣に寝そべる我を、ぼんやりと見つめてくる金色の眼。
まだ夢うつつで、此の傷が視界に入って無いかもしれぬ。
「残念だが、紺野では無いぞ」
「………俺…」
かすれた声で呟いて、己の喉笛を触ろうと肩を上げた君。
だが、それは叶わぬ。人修羅の両腕は、まだ空虚なままだから。
「君の腕は、討ち取った証としてヤタガラス本殿の畔に塚を作り、埋めた」
「…埋めた?……此処は…何処です…俺は如何して、今貴方と…」
「ヴィクトルに依頼し、首を繋げて三日三晩ソーマと調合した水に沈め、反魂香を焚き染めておいた。案の定、君の再生力が癒着を促進した」
眉を顰めて、脚でぐいぐいと我の外套を蹴る人修羅。
だが、脚だけでは好きに動けぬ事は承知の上らしく、仕草だけといった風だ。
「だが、腕が生えるのは時間がかかると思われる…何なら、君の組織から培養して貰おうか?その方が早かろう」
「…悪趣味です」
「そうだな、我もあれには呆れた」
「如何して俺を生き返らせたんですか。俺は貴方の事を、利用するだけしようと思って」
「しかし、山に我を逃すは…恐らく、君の優しさだ」
「都合好く解釈してるんですよ、俺はもう…悪魔みたいなものです…」
「燃した人間を追って、手当したろう。それが独善でも云い逃れでも、等しく同じ情だ」
撫でる黒髪は、いつか撫でた時と同じ様にさらりとしていた。
ソーマは生命力を潤わせる効果が有るのだろうか、先刻啄んだ唇も瑞々しい糖蜜の様で。
また吸い付きたくなったので、話を始めて気を逸らす。
「我は、君を一度、間違い無く殺めた。悪魔を使い人間に徒為すは、ヤタガラス…葛葉雷堂にとっての悪だからだ」
「生き返らせては問題になるんじゃないですか」
「塚に腕は在る。あの悪事を働いた人修羅は死んだのだ、矢代君」
「都合が良過ぎます…貴方のエゴだ」
「そうだな。君を殺めたのも、実の所それが大きい」
襟足を撫でさすり、病人の様な白い寝間着の隙間から、同じく白いその項に指先を下ろす。
黒い突起の根本を指の腹でくりゅくりゅと刺激すれば、喉をごろごろされた猫の様に眼を瞑る君。
「我は、君が許せなかった」
「…悪魔嫌ってるのに、その悪魔を使役して人間襲った俺ですからね。幻滅したでしょう?」
「いいや、確かにその事実にも胸が痛んだ…が、しかしそれ以上に…」
黒い角をやんわり掌に包み、軽く捻って此方を向かせた。
腕の無い君は、我の腕に支えられるまま、なすがまま。
「紺野の為に、悪魔に成れた君に……酷く、苛々したのだ」
あまりに浅ましい理由であろう?
だが、悲しい事にこれが真実。我は葛葉雷堂としての矜持よりも、それ以上に嫉妬していた。
禍々しい気持ちが、あの朝背筋を這い登った。
君に騙された事よりも、君が殺戮を生み出そうとする根源にかつての主人が居る事に…
「だから、葛葉雷堂という名を利用して、君を……ただ、嬲ってしまいたかった!消してしまいたくなったのだ!」
真っ直ぐに見つめてくる眼は、先刻見たばかりの業斗の様だった。
が、それはすぐに色を変える。
「…臆病者」
「すまぬ」
「その気持ちにすら雷堂の名前使うなら、もう俺は貴方の名前…もう、呼ぶもんか」
「嫌だ…矢代君、すまぬ、すまぬ…!」
腕の無い君を掻き抱いて、その斑紋を伝う滴を啜った。
涙を拭う事すら叶わぬ君は、歯を無くしたあの時の様で…いじらしい。
手負いの獣、百舌鳥の早贄…
水面に手を差し、冷たい水の中…流されるばかりの紅葉を手の甲に掬う感覚。
ひたりと君の肌は冷えており、まだ生き返ったのかすら疑わしい程で、抱擁している傍から心細くなる。
「紺野の真似をする己を酷く滑稽に感じたが、それでも、君に無視されるよりは幾億もましで…っ」
「俺だって…俺だって、あいつと貴方が別の生き物だって解かってる!」
「腕を広げ、君が胸に飛び込んだ相手は誰だったのだ…」
無意味な問いだと理解しつつも、思った事を口にしてしまう我の性。
きっと挑発ばかりする君も、同じ性の持ち主なのだ。
「あの前夜、君に接吻した時…あまりの抵抗の軽さに唖然としたのだ。君は…その、口寂しかったのかと、思った」
胸元がぼんやり温かくなった気がする。少し腕を緩めて顔を覗き込むと、人修羅の頬が紅潮していた。
「俺はそんな…キス魔じゃありません」
「ライドウの使役下に居た頃は、何処か頑なだった」
「如何してあいつに俺が操立てなきゃいけないんですか、そもそも操自体あいつに――」
は、と口を噤むと、更に頬を熱くして横を向く君。
やはり罵倒しつつも、君は無視出来ないのだ。
「抱き締めて呉れて、嬉しかった」
首を刎ねておきながら何をぬかすか、と思われそうだが、それが我が心の真実だ。
「同じ形が恋しかろうとも、嫌う相手を抱擁なぞ出来ぬ、そうであろう?」
「だから、俺は別に……あいつの事なんて…」
「我はもう、構わぬのだ。勝手に君を想い、こうして旨味を味わっている。君に恨まれようとも、嫌われようとも、最早仕方が無い」
「嫌われたいんですか」
「まさか」
崩した胡坐に抱き寄せて、仰ぎ見る。我の視線に合わせて、人修羅の視線も周囲を泳いだ。
「此処でこの様にして、本当の理由を伝えたかった」
もう、誰も居ない能樂堂。残されたままの紅葉の造り物が、舞台袖から見事に紅色を差しこんでいる。
「艶やかな舞台であろう?外の庭には本物が見事な葉を湛えているぞ」
「…此処…雷堂さんの昔居た…」
「そう、能樂堂だ。もう誰も居らぬのだ、我と君だけの紅葉狩を踊ろうか」
「本当に、そういうの…好きですよね」
失笑気味に返されたが、続けてそれが自嘲の笑みだったと感じた。
風に揺れる事も無い、永遠に真紅の紅葉を眺めて呟く人修羅。
「如何したら、貴方の気が惹けるかと思って……こっちの世界に来て、まず真っ赤な山が目に留まって。だから演目で…因んだものが無いかと思って…」
「まるで恋だな」
「貴方が云えた台詞ですか…俺は、貴方だけを誘き寄せたかったんです。そういう作戦だったんです」
「其方の世界のヤタガラスに、我が飼われるのは我慢ならぬと見た」
「その通りです。ふふ…勝手だと、嗤ってくれて構いませんよ。だって俺、あいつよりも雷堂さんの方が人格的には好きですから」
「だと云うに、彼の意志を継ぎ、我を踊らせたのか?」
「あいつが死んだのは、俺が原因なので…」
詳しく訊くつもりは無かった、訊く程に負ける気がしてしまうから。
そして、抱き締める事に更に罪悪を感じてしまう。この意識を無視する事に、尽力しているというのに。
「だから、代わりに俺があいつのやろうとしてた事を…」
「では矢代君、紺野が生き続けいずれ君と殺し合う事になった時、君は如何するつもりだったのだ」
「それは……それは…」
「……あいすまぬ。どうにも己に都合が悪い事は避ける癖に、君に都合が悪い事は訊いてしまう…」
こうして、頬を、髪を撫でる手付きはライドウと同じだろうか。
それでも、やはり我を感じて欲しくて、酷く優しいじれったい手付きになる。
しかし我が知らぬだけで、もしかすればライドウもこの様に人修羅を愛でていた可能性が有る。
「我の所為で仲違いを始めた養父母を見ているのが辛くて、逃げる様にヤタガラスの巣に飛び込んだ」
指先の伝う先を、角から背骨にすり替える。軽く仰け反った君の喉笛に、今度は太刀では無く唇を沿わせる。
「襲名し間も無い頃、鳴海所長の好き人を殺めた。その罪の意識に怯え、雷堂を続ける他無くなり…やがて所長を殺めた」
「ん…んぅ」
「だがあの時、酷いカタルシスを感じたのだ。付き纏う罪悪以外、我は異様な解放感に見舞われた…」
「し、喋らないで下さい、吐息、が」
「我を苛む要素を、瀉血が如く排泄出来た歓びに奮えた……それが人殺しと解かっていても、後悔だけでは無い己に呆れた…」
腕の無い綿の着物は、いとも容易く開いた。布で覆い包めた腕二か所から、そうっと袖口を引き離す。
外套で覆い包めて、人修羅を背負い此処まで運んだ。先刻よりは、少しだけ肌が明るい色をしている。
「もう操を立てる必要は無いと、云ったな」
「…如何して、そんな事したがるんですか」
「君が好きだからだ」
「だからそれは…錯覚だって、もう何度も云ってきました」
「吊り橋だろうが錯覚だろうが良いと、我も幾度も云ってきた」
「ひ…」
鎖骨の窪みを指先で辿ると、首を軽く振って喉を鳴らした君。
恐らくあの男も、同じ指の形で同じ様に辿ったのだろう。反応を見ると、それは痛い程想像出来た。
指より早く視線を這わせて、その胸元を眺めた。黒い斑紋は胸の小さな凸に僅か引っ掛かっていて、本当の色が見えない。
「寒いか?」
「寒いって云ったら、もっと密着してくるでしょ、雷堂さん、は」
「寒く無いのならば、我に暖を分けて呉れ」
「ほらもう、そうやってっ…ぁ…腕無い相手、抱くとか…悪趣味、だ」
背中を抱きかかえる様にして、胸の陰りを捏ねてみる。
触れる程、爪先で擦る程、びくりと仰け反って硬度を増す突起。
「…ん……ぁ、ぐ」
声を噛み殺して、また君が唇を噛んでいた。
悪魔の時は、幾分か八重歯が鋭いのだろうか。やや喰い込んだ牙の様な其処が、薄い朱色の唇に傷を作っている。
かと云って、奥歯をあまりに食い縛られて砕かれても心苦しい。
「君の声を聴きたいのだが…布地では軟く薄いか」
襟巻を噛ませては息苦しいか、くぐもった呻きさえも吹き抜けないのは寂しい。
一番上の釦を外し、制服シャツの内側、晒の上から引きずり出した金属。
我の人肌で温くなったその十字架を、君の白い隙間に差し込む。
「んっ!……んー…っ」
「噛み締めてくれ、砕いてくれても構わぬ。君の歯が再び駄目になる方が辛い」
所長の好き人……鳴海所長本人……そして、人修羅の君。
我が殺めてきた者が、首から提げてきたその十字架を咥えさせる。
「うう、っ」
眉を顰め、しかし無下に吐き出す事も悩んだ挙句、止める人修羅。
其れを横たえると、我の頭を君が銜える鎖の環から抜いた。
腰骨に引っ掛かった帯をしゅるしゅると解いてやれば、呻いて首を左右にいやいやする。
その度に十字架の鎖がしゃらりしゃらりと鳴り、何処か神聖な心地にさえなる。
脚に跨ったまま、裾からゆっくり開いてゆけば…下着も何も無い君の下肢が現れ、我の胸が疼く。
そういえば、手術服の様な寝間着一枚を着せ、運び出したのだった。
再び真っ赤に頬を染めた君は、周囲の造り物の紅葉に負けておらぬ。
「君は未来の者が故…褌は嫌うかと思ってな。まあ良いだろう?我は君の形が好きなのだ、服が野暮と感じるくらいに」
「は、ぅっ……うー…ん…っ」
先刻から脚がばたついていたのは、ゆるゆると勃起した其処を見られるのが恥だったからか。
だが、こんな脚の力…本気では無いとすぐ判る。
あの喫茶で我を蹴り飛ばした力は、此れの数十倍は有った。
骨ばって筋肉質でも無いおみ脚を、我は抱き込んで笑う。疼くのは当然、胸だけでは非ず。
ふるふると反り始める君の分身、股座に顔を埋めてれろりと舐め上げる。
途端、脚が強張り暴れようとするが、更に強く抱き締めて頭をちゅぶちゅぶとしゃぶった。
「んっ、ぁ゛うーーッ、ぁ、ふっ、ふうっ」
大した技巧など持ち合わせておらぬので、ただがむしゃらに嬲る。
つるりとした先端の窪みを本能的に舌先で抉れば、しっとりと何かが滲んできた。
以前も舐め啜った事が有ったが、思えば此れは何なのだろうか。
正確には人間で無いのだから、精液とも違うのだろうか…
考え込みながら、心地好い弾力を愉しむ様にむりゅむりゅと上下に扱いては人修羅の顔を仰ぐ。
腕の無い君は顔を覆う事も許されず、朱に染まった頬を晒し。十字架の鎖からはぽたぽたと唾液が滴って、艶めいている。
「あ、あっ…あっぁ………」
舌の上に、とろりと溢れ出す。百合の花の様な、そういう類の花の薫りに近い風味。
濃度の濃いMAGは、純粋な君だけの成分で。やはり他のMAGを循環させると味が変わるのか、と…脳裏に誰かの姿が過った。
「は…甘露であった」
嚥下する我の喉仏を見る人修羅の眼は、潤みを帯て扇情的で。
普段の様に「嫌だ嫌だ」と遮る腕も悪くないが、それが無いと本当に恥じらう君が丸見えで堪らなかった。
「嗚呼…矢代君…さて如何しようか…此処より先に入ってしまっても構わぬのだろうか」
覆い被さり、唾液塗れの十字架ごと唇を貪った。
互いの舌で温まった金属は熱く、此の十字の形を融かしてしまえるのではないかと思う程に。
召喚のMAGに環を回す管でさえ、こんな熱は無い。自室の火鉢や仲魔の発火さえ、こんなに心臓から温めてくれぬ。
もっと肌を合わせたくて、不良書生が如く制服の前をだらだらと開ききる。
十字架を噛みずるると引き寄せれば、人修羅の口は呼吸に喘いで高く啼いた。
高鳴きは威嚇だったな、と少しばかり虚しくなり、違う鳴き方を聴きたいと欲求が脹れあがって下肢を張らせる。
「なあ、矢代君…っ……憎ければ、このまま絞め殺してくれ」
「はぁっ、はぁ、な、なに…あ、ぁぶ」
しっとり重みさえ増した様なロザリオを自身の首に提げ、軽く捻って再び君の唇に差し込む。
強く噛み締め首を引けば、我の首が絞まる。その様な仕組みを作って、君に逃げ道を残しておく。
臆病者の我は、完全に支配する事に恐怖を抱いてしまう。もう、此処からライドウと作りが違うのだ。
「偽者の君を貫いた時は、本当に焦れた挙句のみっともない動きになってしまったが…しかし、あれより一切他とまぐわっておらぬ故、成長もしておらなんだ」
耳まで赤い人修羅。頬からこめかみにかけての流水の様な黒を、指先に撫でて堪能する。
耳朶をやんわり摘まんで、ほんのりと熱い事に唇が笑みを浮かべてしまう。
今、どれだけ情けないでれでれとした顔をしているのだろうか。君の斑紋が鏡面でなくて助かった。
それでも、縁の発光が黒を艶やかに照らす様…やはり螺鈿の様に美しい。
「その…君が望むなら…紺野の様に抱いてやりたいのだが」
「……」
「慣れた愛撫の言葉や、君が歓ぶ動き方などあれば…先に教えてはくれぬだろうか――」
その美しい斑紋ごと、目許を引き攣らせた君。
軽く首を捻って、我の首を絞める。
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