メランコリの蕾


輝く光りの下、君が微笑んだ。
沢山の、花を、蝶を、鳥を
その極彩色の中を裸身の君が駆け抜ける。
健やかなる笑顔で
強かな獣の如く。

テーブルが在る。
何時の間にか、着席している我が居る。
向かいに立つ君。
晩餐。
だが卓には皿しか無いのだ。

“あげます”

君の唇が紡ぐ…言の葉がそう語る。

“俺をどうぞ”

ごとっ

真白い皿に投げ込まれたのは、金色の眼球。

“ここも、これも、あそこも”

ごと、ごとごと、ぼとっ

乗り切らぬパーツが、いよいよ皿から溢れ出す。
ソースの様な赤が、卓に掛かる純白の巾を斑染めにした。

“これで満足?雷堂さん”





「―――っ!!!!」
自身の、抑えた悲鳴で目覚めた。
心地良い振動が、脳を麻痺させたのだろうか…
揺られるは、車の中…
「どうされました十四代目?」
運転席から掛かる従者の声に、息を整え応える。
「いや、少し寝てしまった様だ…すまぬ」
「いいえ、移動中くらい休んで下さい」
黒塗りの、馬車かと見紛う古めかしい形の車体。
窓から見えた子供が振り返る。
きっと珍しいのだろう…まず、車自体が珍しいのだから。
さっと、窓の遮光暗幕を引いた。
『…夢見が悪かったか?』
傍の席に寝そべる業斗が、鋭い目付きで我を見る。
暗くなった車内に、慣れてきた眼を伏せながら答えた。
「悪夢だが、吉兆かも知れぬな…」

外套のポケットに入れた懐中時計が冷たい。
外の白い景色を思いながら、考えていた。
今、君は何を着ているだろう。
いつもの格好では寒いだろうに。
人修羅だから、風邪なぞひかぬだろうか?
だが、人の成りを普段からしているので問題でも無いか…
(首の巻物でもあげるべきか)
彼なら、何が似合うだろうか。
若草色?藍色?寒色が良さそうだ。
いっそ、外套を買ってあげようか。

首の巻物に呪詛を込めて…
外套の裏布には呪紋を塗り込めて…

(…いや、おかしい…だろう)

今何を考えていた?
寒さからの、体調を心配して…
何故呪いを考えた?
夢見の所為か?
そこまでして、彼を求めているのか?

深呼吸をして、前方に呼び掛ける。
「少し外の空気を吸いたい…」
聞くなり、相槌しつつ停車をした車体。
急に止まれた事を考えると、街からは離れたという事か。
「どうぞ、お気をつけて」
「ありがたい、少し散歩してから戻る…」
かちゃり、と開けた鍵。
開けば、想像以上に真っ白な平原だった。
冷たい空気が肺に沁みる…
空も、地も白い。吐く息も同じく。
(嗚呼、そもそも君は、我を見てなんと云うだろうか)
この、視えている片眼を見て…驚愕するだろうか?
我を、罵るだろうか?
いや、哀れむのだろうか?
「ふ…ふふ」
愉しみで仕方が無い。
それを確認したい事も有ったが…
今回ばかりは、ライドウとも顔を合わせる必要が有る。
人修羅の君よ、しばし待たれよ。


さく、さくと雪道を少し歩いた。
背後を確認する…業斗は、車から出て来ていない。
雪の積もる雑木林に少し歩み入り、胸元を探る。
掴みづらいので、羊毛のグローブを外した指先で管を執る。
淡い光が、ダイアモンドダストの如く空中に煌く。
管から、紅玉の輝きを放つ甲冑も美しい天使が現れた…
微笑みを絶やさぬ天上人。
『如何されましたか…我が主、雷堂様』
最近仲魔に引き入れたカマエル…という悪魔だった。
悪魔と云うのを躊躇う程、神々しい。
我がアカラナにて刀を揮っている…時に逢った。

“そこの猛き御方…その眼を診せて御覧なさい…”と。

「すまぬが、前の様に頼む」
『はい、貴方様のお役に立てれば本望に御座います』
我が眼帯をするり、と外す…と、カマエルの指先が瞼に触れた。
眼の熱さが、しん…と冷えてくる。
内部をじりじり焦がす痛みが、少し収まった。
これが…カマエルを仲魔にした理由のひとつでもあった。
あの時、アカラナ回廊で…
何処で見知ったのか、我の眼の痛みを察して声を掛けてきたのだ。
が、しかし。
指先がいつもより早めに瞼を離れる。
それに眼を開け、カマエルを間近に見やり聞く。
「どうかしたか」
『…雷堂様、一体…何を、所持されておりますか?』
「何…とは」
『禍々しい物を、今御所持されておりませんか?』
今…普段と違う何かを持っているか、と聞かれれば
思い当たるのはただひとつ。
外套のポケットを探り、しゃらりとその銀色の鎖を掴み引き出した。
途端、顔の微笑みを消し去るカマエル。
『その様に不浄な物!素手で扱ってはなりません!』
片手に掴んだグローブを、さっと掴みあげられて
鎖を掴む手指に押し当てられる。
「不浄…?」
『地を這う様な、暗黒の気が纏わり付いておりますよ…』
葛葉ライドウの…と思われるこの懐中時計が?
確かに、暗き悪魔を呼び易いとは聞いていたが…
『棄ててしまって下さいな』
「いいや、これは持ち主に渡す」
『…持ち主』
「葛葉ライドウ…違う次元のな」
我が白い息と共にそう吐き出せば、カマエルは押し黙った。
そして、妙にうやうやしく膝を着いた。
『雷堂様…貴方様は、闇に喰われるには惜しい御方…それを今一度知って頂きたく思い、こうして仕えさせて頂きました』
羽根が、ふぁさりと地の雪を舞わせる。
純白が、景色に溶け込んでいる。
「カマエルよ…我の何を知って、云い寄って来た…我とてそこまで鈍くは無い」
時計を外套に戻し、グローブを嵌めた。
指がかじかんで、刀も管も上手く扱えぬ様では困る…
デビルサマナーは指先まで手入れせよ、と
普段から業斗に煩く云われていた。
『雷堂様…以前から、我々天に属する物が貴方様に追従する傾向は承知の上ですね?』
「ああ…」
『理由を考えられた事は、ありますか?』
突然の問い掛けに、そういえば…と思考を巡らせる。
昔から…そこが都合良い、とヤタガラスには買われていた。
黙っていても仲魔が増えていく…など、サマナーには天賦の才だと。
「我は、やや…陽の気が強い、とは認識しているが」
『やや?いいえ、ほぼそれのみで構成されております、貴方様は』
カマエルの断言に、心臓が少しきゅうっとした。
まさか、そんな。
その様な…人間が居るのか?
『我等の主君に集う“ヒト”が…稀に生まれ墜ちるのです、この地上に』
「…要約してくれ」
話の飛びっぷりに、冷えとは違う頭痛がする。
『では、簡潔に申し上げます』
カマエルの面が、我に向けられる。
その堂々とした、称えるような表情。
自身に向けられているとは、到底思えぬ程の神々しさ。
その口が、力強く綴った言葉が…
意味不明だった。


『貴方様は、この時代のメシアとして生まれたヒトの仔なのです』


メシア…?救世主?
息の白さに、頭の中まで靄がかかったかの様だった。
ただ、立ち竦む我を、カマエルは膝を着いたまま見てくる。
『我等が尊ぶ、偉大なる“神”にその御身を尽くす為に生まれたのです』
「ま、待て…話が、視えぬ」
『下々の兵にて見守らせて頂いておりましたが…いよいよ時期かと話が決まったのです』
すっくと立ち上がり、翼を震わせて強く云い放つ。

『手始めに、人修羅を神の御前へと差し出すのです』

その、単語に我は初めてカマエルに噛み付いた。
「カマエル、貴殿が彼をどう捉えているかは知らぬが…人修羅は一般に害をなさぬわ!!」
『堕天した裏切り者の配下に在っては、善き事とは云えません』
「貴殿達の都合等知らぬ!我が守護するは帝都だ!天上の話をされても困惑する」
怒鳴れば、その覇気を少し緩めてカマエルが翼をたたむ。
『…我々とて、強制はしません…が、いずれ貴方様から望む事になりましょう』
その、裏を含んだ言葉に、寒気がした。
管をトン、と指先で叩く。
「もう、戻るが良い」
『雷堂様』
「怒らせないでくれ」
そう、我ながら冷たいと思える声音で命令した。
すれば、いつもの微笑みに戻って、カマエルはただ一言『御衣』と発した。
胸元に戻って来る魔力、胎動を一瞬感じて…辺りは静かになった。
ハッとして、来た道を戻り始める。
そういえば、車を待たせていた。

野生の兎が、道の脇を跳ねる。
しんしんと雪は一帯を白く染め上げる。
なのに、我が、我だけが異質な…気がした。
昔から感じていた違和感は、これ…だったというのか?
だから、ヤタガラスは、業斗は口煩く云っていたのか?
他と交わるな、と。
以前、我と通じたあちらのライドウを思い出す。
具合がおかしいのは、陰陽の所為、と我から申した筈なのに…
まさか、ここまで偏っているとは、思わなんだ。
(では、あのライドウは…陰の気が強いのだろうか)
そんな事を考えながら、車に近付く。
従者が気付き、運転席から降りてくる。
「お寒いでしょう、早く中へ」
後部座席の扉を開けて待つカラスの徒。
そこへ、礼を云いながら入る。
『遅い』
業斗が、ぴしゃりと我に投げた言葉をぼんやりと聞いていた。
(ヤタガラス…我のどこまでを把握している)
全て知った上で、十四代目として置いているのか?
それとも、先程の話が真実なら…だが
天上の眷族と知った上で…なのか?
(訳が解らぬ)
もう、今はただ人修羅の事だけ想っていたかった。
それが憎しみでも良かった。
早く、戸惑う彼が見たかった。
激しい感情が、心に我を刻み付けるその瞬間を。
「業斗、少々危険だ、此度は待機してはどうだろうか」
『…お前と同じく、勝手にさせてもらう』
つい、と視線を逸らす師を見て
いよいよ怒らせてしまったな、と自嘲気味に笑った。


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