雷堂ちゃん
〜ラブリー眼帯の秘密〜
「はぁっはぁっはぁっはぁっ右眼がぁあ熱いぃい」
ふるふると右眼を押さえ、どこかニヤつく雷堂。
ここ最近こんな事は日常茶飯事で、業斗は華麗にスルーしていた。
『なら仲魔は右に置けよ』
「どうしたものか、こう、身体を蝕む熱がいつもより強いのだ」
『妄想が過ぎるのだろう、少し脳内でも冷やせ』
ぴしゃりと叱咤され、雷堂は管を手に首を傾げた。
「どうしたのだ……致し方無い」
振り翳された光の中、茜色の甲冑に身を包んだ天使が舞う。
『如何なされましたか?雷堂様』
うやうやしいカマエルの態度に、雷堂は謙遜せずに云い放つ。
「右眼がいやに熱くてな、少しばかり治めてくれぬだろうか」
命令された天使が、クスリと笑う。
『雷堂様、それでしたらその眼帯を細工してみては如何かと』
雷堂の右眼を覆う眼帯は、何の変哲も無い綿糸の物だ。
この右眼が何故そんな物に覆われているのかというと…
まあそれこそ、この十四代目の酷い嗜好回路の所為なのだが。
「眼帯で熱を抑える事が可能なのか?」
『ええ、その様な封呪を込めた魔具として、その御身に着けて下さい』
すらり、と取り出されたるは、なにやら硬質な眼帯。
それを指先に掴み、訝しげに睨む雷堂。
険しい表情が、更に深くなる。
「…なにやらよく分からぬ形状をしているな、色も、やや華美では?」
色は濃い桃色である。
その時点で踏み留まらせるものがあるというに、形状が問題である。
『酷く女々しいな、おいカマエル、本当にこれで治まるのか?』
足下の業斗が、雷堂の指先からぶら下がる眼帯を睨む。
『ええ、上に依頼した正規の発注品ですから』
眼前に受け取ったそれを垂らし、着けている綿糸を剥がす雷堂。
「西洋カルタの模様に、似た様なものが有った気がするが…」
云いつつ、その眼帯を右眼に当てる。
と、その途端。
「なっ、なんだ」
その眼帯の紐が、勝手に雷堂の頭を括る。
置いていかれた指先が空に惑い、雷堂は叫ぶ。
「ぅ、あ、身体、がっ」
妖しげな光が雷堂の身体に溢れて、そのMAGともいえぬ色味に混乱する一同。
『雷堂!!おいカマエルッ!!貴様謀ったか!?』
業斗が猫のくせに鬼の形相で、傍の天使の羽に爪で薙ぐ。
数枚はらりと純白の羽を舞わせ、カマエルは首を必死に振った。
『そんな!何かの間違いです!!ら、雷堂様…!!』
一瞬膝を着いた雷堂、しかしそこは流石の葛葉。
額をぐい、と拭って、呼吸を落ち着かせた。
「…いや、とりあえず、治まった…様だ」
アカラナに立つ雷堂、いつもの如く毅然とした面持ちで云う。
「では、熱も治まった事だ…戻ろうか、本殿へ」
外套を肩に捲り、ホルスターの管を指に取ろうとする雷堂。
その姿を見た天使と黒猫が、凍った。
返答の無い彼等に、雷堂が口を開こうとした。
「おい、どうした貴殿等―――…」
台詞の途中で、雷堂の指も止まった。
管の先端の位置が、普段と違う。
ゆっくりと、自らの胸部を見下ろした雷堂。
隠れぬ左眼が見開かれた。
カマエルが叫んだ。
『“ぽちゃぽちゃのぷりんぷりんのぼんぼーん”は貴方様だったのですね!!』
アカラナ回廊に、その歓喜に満ちた悲鳴がこだました。
「功刀君、此処に在った魔具知らない?」
「MAG?」
「“魔法の装具”だよ……おかしいな、何故無い」
一方の平行世界。
葛葉ライドウと人修羅が、部屋を漁る。
「…あ、そういやこないだ…」
人修羅はそこまで云って、口を噤んだ。
トランクやチェストを開け漁る手を止め、ライドウが問う。
「…何、覚えが有るのなら正直に云い給え」
「悪魔交渉で、この辺の物適当に投げ渡した気がす、いっでえええええ!!!!」
云い終わらぬ内に、ライドウの刀は抜刀され、人修羅の臀部を刺していた。
急いで抜き取り、人修羅はさすりつつ寝台に突っ伏す。
「放置しとくあんたが悪いだろうがっ」
「勝手に悪魔に渡す君の神経が知れぬな」
「普通はしない!どーせあんたのだからと思っ、げはぁっ!!」
またまた云い終わらぬ内に、うつ伏せの人修羅が悲鳴を上げた。
「僕に文句があるのなら、身体に直接聞いてくれ給えよ」
腰に思い切りかかと降ろしを見舞ったライドウが、学帽のつばを掴む。
「しかし、あんな物…需要があるのか怪しいがね」
腰をさすりつつ、人修羅が横を向いた。
目尻に微妙に涙が溜まっている。
「痛ぅ………あ、あんな物、って?」
「魔法少女擬態アイテム」
「はぁ!?」
その異様な響きに、人修羅が眉根を顰める。
「あの、よく分からないハートのが?」
「女悪魔の一部で流行ってたそうだが…いかんせんマニアックでね」
やれやれ、と哂って脚を退け、今度は胎に抉り込む様に蹴るライドウ。
「ぅげぇッ!」
「ま、それだからこそ希少価値がつくというものだったのに…君は」
刀だけでは飽き足らず、その氷の視線を人修羅に刺すライドウ。
更に己を襲うであろう苦痛を思い、人修羅が仰向けに直り、強張る。
「っライドウ!」
擬態を解き、指先に奔った黒い紋様が輝いた。
そんな人修羅に、ニタリと哂いかけて刀を持ち直すライドウ。
と、そんな彼等の間を、一閃していく何かが在った。
「!?」
動かず、息を呑んで止まった人修羅。
「邪魔者は誰だい?」
ライドウは、その一閃の正体を見て眉を顰める。
間を割った物は、純白の羽。
床から寝台にかけて、それが手裏剣かと見紛うばかりに刺さっていた。
二人して見つめるその先には…
「己の使役悪魔だからとて、非道な仕打ちは眼に余るな…ライドウよ」
窓から華麗に侵入(不法)し、揺れるレースカーテンに映り込む影。
その明らかなシルエットに、人修羅は慌てて叫んだ。
「雷堂さんっ、こ、こんな所来たら危険です!!」
傍のライドウをチラチラ見つつ、窓に向かって警告する。
それはそうだ、先日手首やら眼球やらなんやらで、幾波乱かあったのだから。
「よくもそう、ノコノコと姿を現せるな、君は…」
構えた刀を窓に向けるライドウの眼は、標的が増えた事に疼いている。
ひらりとなびいたレースのカーテン、その開かれた隙間に現れしは…
「貴殿の狼藉!其処なる人修羅が赦しても我が赦さぬ!!ライドウよ!」
その声の主のテンションに反して、凍る場。
先刻まで話題に上がっていた物を、眼に纏った者がそこに居た。
「あ、の、雷堂、さん?」
人修羅の途切れ途切れの確認に、雷堂は微笑む。
「待たせたな、矢代君…」
いいや、別に待っていた覚えは無いのだが。と息を呑む人修羅。
それより何より、その雷堂の姿が気になって、会話になりそうも無い。
普段の雄雄しい姿のままに、右眼に着けているのはハート型の眼帯。
おまけに眼にも痛いショッキングピンク。
「…雷堂、それ、何処で手に入れたのだい?」
何故か哂いを無表情にすり替えたライドウが、刀をそのままに聞く。
外套の中で腕組みをし、仁王立ちのまま応える雷堂。
「ふむ、それが我も正直困っている」
『私が身内から預かった物でありまして』
仁王立ちの背後から白い羽を広げたカマエル。
それにフン、と鼻で哂ってライドウは人修羅を見た。
「どうやら上まで廻り廻って、流れたらしいねぇ」
「一応魔具なんだろ、危ないんじゃ…(主にあの姿が)」
心配そうに云う人修羅。
まるで病人を見る眼で雷堂を見つめた。
「心配無用、身体以外に影響は無い」
人修羅に、仏頂面を破壊した笑顔で答える雷堂。
そんな彼に接近して、刀を納めたライドウが手を伸ばした。
「ああ、成る程…その眼帯の擬態効果は本物らしい」
雷堂の外套隙間から入れた指、それは明らかに股間をまさぐっていた。
飛び退く雷堂が吼える。
「口頭で確認せぬか!!」
「男児に在るべきモノが無かった、という事で間違いなく君は女だな」
哂うライドウに、カマエルが妙な高揚でアピールする。
『おまけに“ぽちゃぽちゃのぷりんぷりんのぼんぼーん”であります』
そのやり取りについていけず(いきたくないのか)
人修羅が唖然として雷堂を見つめた。
「お、女?」
「ああ、我は今女体をしている…正直解決の糸口が見つからなくてな」
既に自暴自棄なのか、平然と云って雷堂は眼帯を押さえた。
「あの、それ、外せば済む話なんじゃ…」
ハートに釘付けの人修羅が苦笑いで訴える。
すると苦笑いで返す雷堂。
「外そうとしてみるか?」
す…と、その女々しい眼帯の紐を弛めようとした、その矢先。
電流の如く雷堂を奔る光。
ビクリとした人修羅と、一瞬管に指を伸ばしたライドウ。
その二人の眼の前で絶叫する雷堂。
「ぅぅううああああ右眼が!右眼が熱いいいいいい」
そして立て続けに発される言葉。
「ふはぁああしかし気持ち好いぃいッ!眼だけでは飽き足らぬ!足らぬぅうッ!」
空いた手で身体を掻き毟るまま、恍惚に叫び続けた。
「ぁあああ矢代君!!!!君の身体をもっともっと頂いてしまいたいぃぃいいい!!」
後ずさる人修羅、腰が引けている。
『雷堂様!』
紐に掛かった指をカマエルに外されて、荒い息のまま叫びを止めた雷堂。
どうやら得体の知れない慟哭は形を潜めたようだ…
上気した頬を染めて、何故か自慢げに人修羅に云う。
「ぁ…っ…はぁ…っ…な?…何故か欲求が高められてしまって、怖くて外せぬ」
口元が引き攣っている人修羅に、ライドウは哂う。
「ふむ、そういう副作用有り、か。フフ、良かったよ、自身で試さなくて良かった」
心底思っているらしく、その声音にはどこか安堵すら混じっていた。
荒ぶる魂の叫びをハートの眼帯で抑える雷堂が、辛そうに呟く。
「ふ……これを外すと、罪を犯してしまいそうでな」
「いえいえ、もうその姿とさっきの発言が犯罪ですけど」
思わず突っ込む人修羅の顔は、真剣そのものだった。
「はぁ……」
「どうした、疲れているのなら、休もうか?」
「い、いえ、雷堂さんがそうなったのはある意味俺の所為ですし…異界まではお共します」
人修羅は気が気で無かった。
道行く人の視線が、傍を歩く書生の眼に向かうのを、ひしひしと感じる。
「しかし雷堂、君よくもソレを装着する気になったねぇ」
少し離れた所から、ライドウがせせら哂う。
どうやら雷堂の傍を歩きたくない様子だ。
「やや華美な色目だとは思ったが、しかし纏う間熱は収まってくれる」
「それで外すと暴走するなら本末転倒だと思うんですけど…」
ジト眼で呆れる人修羅は、大人しい藍色の着物だ。
突っ込まれているというのに、そんな事はお構いなしに雷堂が微笑む。
「やはり君には藍色が似合うな」
「雷堂さんにピンクは正直キツイです」
傍の人修羅の頬に、そっと伸ばされた指先。
しかし、接近した雷堂の足下に煙が上がる。
ビビる人修羅が一瞬悪魔化しそうになりつつ、振り返る。
銃を構えるライドウが、悠然と哂いかける。
「不純異性交遊だ、その手を退け給え」
さらりと云ってのけるが、普段この男こそ実行しているのが事実である。
おまけに不純同性交遊まで人修羅に強制執行している。
「ま、街中でそんなものぶっ放すな!」
睨む人修羅に、傍の雷堂はけろりとしていた。
「ふ…そう云われてみれば、今しがた我は女人…」
それどころか、何故か笑いだす。
それに人修羅が嫌な予感を廻らせ、やんわりと距離を置く。
「矢代君と何をしようが、あの背徳感は無い、という事だ」
挑戦的に背後のライドウに、首だけ振り返りつつ云い放つ。
銃口の硝煙を吐息で掻き消し、ライドウが返す。
「僕は男女差別というのをせぬのでね、普段の君と同様に…」
ギロリと視線が雷堂を刺す。
「女体の君だって嬲り殺してやれるが?」
空気が殺伐としてくる気配に、人修羅が慌てる。
「ちょ、待てよ…此処はまだ街中だぞ、頼むからドンパチしないでくれ」
云っている傍から、雷堂が飛んだ。
カマエルに身を持たせ、上空へと舞い上がり、家屋の屋根に着地する。
とはいえ、端から見ればカマエル本体は見えていない。
謎の気味悪い眼帯男(おまけに女々しい)が、急に飛んだ様に見える。
騒然とする街路に取り残された人修羅とライドウ。
「ライドウよ、別にこのまま帰らずとも居れるぞ?」
屋根から叫ぶその影に、皆注目してしまっている。
「勝手にこの眼帯を外し、矢代君を攫ってしまおうか…ふふ」
明らかな挑発に、ライドウが乗らない筈が無い。
「それは困るね、大人しく異界開いてやるからさぁ…とっとと帰って…」
管をホルスターから引き抜き、アルラウネを召喚したライドウ。
「新鮮な感覚の女体自慰でもしてればどうだ?雷堂っ!!」
茨蔦を家屋の上に伸ばさせる、人修羅には見えるが、一般人には見えない。
ぐい、と襟首に絡んだ蔦が、雷堂の外套をずるりと剥いでいく。
「ふん!流石の貴殿もこの空間で銃は多様せぬか」
腰に横差ししてある大太刀を抜刀するが、その瞬間には大きく裂けた布地。
『ああっ!雷堂様!!』
大太刀より早く、その絡む蔦を衝撃で裁ったカマエル。
「なんだあの羽は」
「何が起こってんの?」
一般人には、翼から落ちた羽だけは見えるらしく
屋根上で独りもがく変態が白い羽で隠れ、微かに見えるのみであった。
羽がぶわりと疾風に舞い、雷堂が見えてくる。
「小癪なりライドウ!貴殿の物云いにはほとほと呆れるわ!!」
そう叫び、街路を見下ろす雷堂の姿。
それは阿鼻叫喚をもたらした。
「雷堂さんッ!!!!今すぐ向こう向いて下さいッ!!!!」
絶叫して、自らも俯き震える人修羅。
『ライドウ、あの子…じゃなくてあの娘、ソックリだけど』
「みなまで云うなアルラウネ」
『貴方ももしかして、その身体』
「だったとしても、あのような格好はしない」
白い羽で変身したかの様なシチュエーションも痛いが
露わになった雷堂の外套下は壮絶であった。
上半身、素肌に直接管のホルスターを巻いただけである。
正真正銘のブラである。
「ライドウ…どうしたのだ?上がって来ぬのか?」
ニヤリとして、一歩踏み出る雷堂。
その反動で、ホルスターに圧迫されている胸がぷるんとした。
あまりな変態の出現に帝都が揺れる。
人修羅が傍のライドウに、小声で訴えた。
「おい、もう戦っても良いからさ、早く名も無き神社行けよ…」
「…日向の奴め、自身の帝都では絶対しないと見たぞ…」
あの目映い肢体に動じない辺りが、流石ライドウといったところか。
周囲から、破廉恥だの眼福だのと様々な声が聞こえてくる。
「っもう…どうしてあんな格好…出来るんだ!?」
赤面したまま人修羅が苦々しげに吐いた。
そう、かなり刺激が強かった。
外套の下、あれだった事を思うと本当に変態である。
「あのお嬢さんの双子さんかね?君」
近付いてきたのは、雷堂の乗る家屋の住民だった。
ライドウに諭す様な声音で語りかける。
「ウチは診療所をしておる、良ければ診てあげるが?」
「…いえ、結構」
無茶苦茶な展開に、ライドウも溜息を吐いた。
その人の良い初老の医者は、家に乗られているというのに
まるで哀れむ様な視線を、上の雷堂に注いでいた。
「なんだったら癲狂院も紹介してあげれるがね?」
「…心配痛み入るが、必要ありませぬ」
いよいよ精神病院まで話が進んでしまった。
内心それでも良いか、と一瞬思ったライドウであったが
この帝都で、同じ顔の人間が其処に居るのは不味い。
医師の申し出を跳ね除けて、人修羅につかつかと接近する。
急に接近してくる影に、怯えつつ面を上げた人修羅。
「良いか功刀君、この後、あの男(?)を強制退散させる…この次元からね」
「…まあ、今回はあんたに従うよ」
「あの魔具の所為か、普段より露骨に欲求が具現化している」
一目瞭然だ、普段の奥ゆかしさが無い、あれこそ抜き身の欲望である。
「絶対、今の雷堂に寄るなよ?」
「…」
「もう片目すら差し出してくるやも知れぬからねぇ…クク」
それを想像してゾッとした人修羅。
するとどうだ、そのもう片目にも入れるべく、懇願の空気を醸し出すのか?
万が一、そのもう片目にも人修羅の眼が入ったとしよう。
するとその上にもあの眼帯を複製して、纏わせるかもしれない。
「両目ハート…」
ぼそりと呟いてしまい、人修羅はそのハートの両目で見てくる雷堂を思い
くらりと眩暈がした。
まあ、人修羅に対して雷堂は、既に両目がハート状態ではあるのだが…
もう再生しているとはいえ、差し出した右眼の側がキリキリと悲鳴を上げる感覚に襲われる人修羅であった。
「では、君は適当に散歩でもしてい給え」
アルラウネの腰に腕を絡ませ、その蔦を屋根に繋ぎ舞い上るライドウ。
いよいよ抜刀して、胸震わせていた(色んな意味で)雷堂へと詰め寄る。
それをチラ、と一瞬だけ確認して、人修羅は雑踏の中を駆けて行った…
次のページ>>