春啼き百舌鳥


桜の木にはね…
屍体が居るのだよ
咲き哂って
僕に云うのだよ
人殺し、と…






「なあなあ〜ライドウもおいでよ」
「何ですか、遊郭?」
僕の返答に、鳴海は両の掌を泳がせる。
「おぉいおぉい、人聞きの悪い!」
苦笑いでかわしているつもりなのだろうか。
「あぁ、それともツケのし過ぎで立ち入り御免ですか?」
わざとソファのタヱに聞こえる様、僕は大きめに発声をして云う。
ぎょっとする鳴海に、思った通りの制裁。
「ちょっと鳴海さん!?そんなに足繁く通っているの?遊郭に!?」
「ぇえ!!誤解だよ誤解!」
「真昼間から金閣寺しか建造してない癖に、なかなかの御身分なのねぇ!」
やいのやいのとソファとデスクで戦争している。
その様子をちら、と確認して依頼書をまとめる作業に戻る。
『おい、結局お主は何に誘われたのだ?』
「さあ?」
傍のゴウトが軽く突っ込みを入れてきたが
僕はこの作業が終わった時に憶えていれば聞こう、程度に捉えていた。
金閣寺しか建造していない彼より、僕は遥かに多忙なのだ。




「ふぅ」
『って、お主!普通に喫煙するでないぞ…全く』
傍のゴウトは、暖かくなってきた陽に身体を伸ばしている。
銀楼閣の屋上は、自由が利いて良い。
「春の陽の下、燻らせる煙草の美味しい事」
『不良め』
「一仕事の後の一服はまた一段と格別」
「不良書生」
と、ゴウトで無い声が続いて掛かる。
振り返らずとも分かる。
「君も吸う?」
背後に聞けば、歩み寄ってくる気配と侮蔑混じりの声。
「いらねえよ、この反面教師」
「ふ、一応師範学校に通っているのだが」
「あんたが教師だったら恐怖政治の始まりだな」
横に来て、下の街路を見下ろす。
行き交う人々の衣は薄くなり、色も軽く鮮やかになってきていた。
そして僕を見る人修羅。
「あんた、年がら年中その格好?」
「書生らしいだろう?」
「春夏には暑苦しい…」
うんざりした表情で、僕の外套に視線を集中させた。
僕は屋上に常駐させている缶に、煙草を棄てて肩をまわす。
「この後晴海の異界に行くが、君は来るか?」
「あんた、来ないのか?」
少し驚いた風に声を上げる人修羅。
逆に来ないのか、と聞かれて
僕は先刻の鳴海からの誘いを思い出した。
「ああ…そういえば、一体何?」
さして興味も無さそうに僕が聞けば
人修羅はぶっきらぼうに答える。
「花見」
「…花見、ねえ」
「この後、お弁当持って」
「へえ、それはまた春めいた」
「おいおい、それなら早く云えよ…人数分作るの骨が折れるんだよ」
そう云って僕を睨んだ。
ああ、鳴海が頼んだのか…
彼の料理が美味なのに味を占め、最近頓着だ。
「君は僕の支配下に在る悪魔だろう、そんな行事に付き合ってばかりでは困る」
「…別に、あんたが行かないから俺も残る」
「おや?寂しい?」
「馬鹿、本来の役割を全うするって意味だ!」
怒鳴る彼は、僕に向かって腕を突き出す。
その爪先をくの字に曲げ、僕の外套を掴んだ。
「仕事とはいえ、俺より人付き合い悪いあんたこそ寂しい奴だよな」
僕は、やんわりと哂って彼の脚先を靴で踏む。
「っつ…」
「放してくれるかい?」
大人しく、睨みつつも手を開き放すあたりは
先に手を出した自覚が有るのだろう。
「こんなに咲いてるの、俺の時代には考えられない」
「君は花を愛でる趣味が有ったのかい?」
「いや、でも春は好きだし…ほら見ろよ」
首をくい、と人修羅が向けた先
視線を投げればゴウトがだらしなく丸まって居た。
「ゴウトさんも気持ち良くて寝てるぞ」
「…あのまま放置して良い」
口煩いお目付け役には、此処でのんびりと転寝して頂くが幸い。
僕は遠方を見やり、その薄桃の海を眺めて口を開く。
「桜を見ると…気が淀む」
僕の言葉に、人修羅が寄りかかっていた姿勢を起こす。
「そんなに嫌いなのか?桜」
「嫌い…とも違うかな」
「じゃあ、何だよ…」
と、云いながらも…人修羅はやがて、ニヤリと笑った。
「まさか、アレか?ほら、桜の木の下には死体が埋まっているって迷信」
「…迷信、ね」
云い得て妙。
「君は迷信と思っている?」
聞いた僕に、彼はその笑みを消した。
「…迷信、だろ」
「…僕は、少なくともひとつ知っている…まあ、埋まってはいないが」
遠くから春疾風(はやて)が駆け抜けていく。
僕達の間に、薄桃の花弁が舞った。

「少し、昔話しようか…葛葉の里のね」






べちょり
生ぬるい、油の感触。
ソレが飛んで来た方角へと、視線を流す。
「…狐!!」
野次と共に、数人の子供が生垣から姿を現す。
「早く喰ってみい!けーんけん!」
「違うわ!こーんこんだ、あほ!」
狐の鳴き方について議論しているという事に
僕はようやく気付いた。
あまりに幼稚で、理解に時間を要した。
頬から胸元に落ちたその油揚げを、指先で摘まむ。
わざわざ食卓から拝借するのか、いつも何処で調達しているかが気になる。
「やい狐!はよう喰え云うてる!」
その声に、僕は摘まんだ油揚げを投げ棄てる。
見事、声の主に命中して、場は盛り上がる。
「やっべえ!祟りだ祟り!お狐の祟りだぁ!!」
「ぎゃはははッ!」
「狐にされっちまうぞ!!棄てられっぞ!!」
どやどやと、嗤い立てるその衆に
僕はつかつかと、横を無言で通過する。
「おう、待ちや狐!」
背後から着物の襟を掴まれ、そのまま引っ張られる。
「なんじゃて、その眼」
「…」
「喰え云うたん!早喰わんか!!」
再度、今度は口元に脂ぎったそれを押し付けられる。
が、僕はその油揚げ越しの、そいつの指を思い切り咬んだ。
「っでええッ!?」
悲鳴を上げて腕を引き、慌てるそいつをそのまま突き倒す。
そして、腰帯の結び目から、すかさず取り出す…
「!!」
眼に痛い光がその管から滲んで、空に舞う。
「ひっ、おま、止め…」
その管の先端、環が回って更にマグが溢れる。
僕はそいつの眼前に、マグを散らせながら管を突き出した。
「ひいっ!!」
腕で身体を護るように丸まった、そいつの耳元で云う。
「こーんこん」
「……っ…っひ」
管召喚と思い、身構えたところに云ってやった。
そいつも周囲も呆然として、口を開いて停止していた。
僕はそいつの胸元に落ちた油揚げを、指で思い切り
倒れたままのそいつの口に突っ込んだ。
「んげぇっ!!」
「そげな事ばっかしてっから、君等は管を使えんのだわ…」
僕は、そう云い残して駆け去る。
背後から、追うようにして罵声が飛んで来る。
(馬鹿ばっかじゃん、こん里…)
唯一管召喚が出来る自身を誇っていたし、周囲は幼稚と扱き下ろしていた。
そう、幼い頃は狐と云われ、油揚げや石を投げられれば済んだのだ。




「…何だそれ、最低、幼稚」
人修羅が、気持ち悪いと云わんばかりの表情で呟く。
「おや、同情?」
「いいや、今のあんたにはしてない」
振り被って、頑なにそう云う人修羅。
「そもそも食い物を粗末にして、本当に祟られれば良いんだ」
少し着眼点がずれている気もするが、僕は話を続ける。
本題は此処からだ。






十四の齢。
流石に油揚げの洗礼も無くなった時分。
もうこの頃には個別に修行をしていた。
既に僕には、ライドウ候補としての席が確保されていたのだ。

管のタム・リンを使役して、模擬戦を終えた帰路…
既に薄暗い道。
月明かりしか無くなる、その道程を急ぎ足で駆ける。
(夜目は利くが、楽に越したことは無い)
着物の衣嚢に入る管が、歩む度に肌を叩く。
もう、悪魔容りの管を所持する事を許されていた。
帯刀は駄目だったが、持ち歩く管が身を護る。
そう、何か有ればタム・リンを召喚すれば良いのだ。
薄暗い林に、舞う花弁。
この里には多くない、桜の木から零れ落ちたものだった。
意外にも大きな、樹齢の高そうな桜は
雑木林を抜け、少し開けた場所に在る。
それが花弁を風に流すのだ。
(もう何度これを見れば、僕はライドウに成るのかな)
横目に見つつ、其処を通る、その瞬間。

「ライドウ…」

薄闇からの声に、思わず身構える。
衣嚢の管に、指が伸びる。
「…」
「ライドウ、こんな遅くまで修行かい?」
その声は、聞き覚えが有った。
「…自分は、未だライドウに御座いません」
指を引っ込めて、腕を胴の横に戻す。
「いいや、私は君がライドウに成ると信じて疑わぬよ…」
にしゃりと笑って、僕の身体を見た。
そう、身体を見ている、いつも。
(…気持ち悪い)
お上共の中でも、一番鳥肌が立つ。
悪魔の使役を、管の扱いを教わるは師範からというに…
この男、機会を窺っては自ら教えんと寄って来る。
教育熱心…とは、違う。
周囲からどう見えているかは知らぬが
僕の管を持つ指先を、上から覆い被せる様に掴む
その指が…気色悪い。
「なあ、先刻出そうとした管、見せておくれよ」
「…タム・リンに御座います」
「いいや、見たいのだけどなあ?」
「…マグを、結構使いまして…消耗しております故」
僕の言い訳に、食い下がる。
その浅ましい姿が、吐き気をもよおす。
「なら、私のマグを寄越してあげよう!」
「!!」
「さあ、指を出しなさい、指を!」
迫ってくる、男。
片脚が、反射的に後ろへ下がる。
瞬間、背を穿つ鞭を思い出す。
脚は、その光景を描いた脳から発信される電気で、止まった。
「ほら、指だよ指!ライドウ君の綺麗な指!」
「ぅ…」
僕の指を、その脂っぽい指で掴みあげる。
ねぶる様に撫ぜまわす、その指先から腐食して往く様だ…!
「ほんとにねぇ…君の指は、綺麗だねぇ!サマナーとして最高の指だよ!」
「そ、うで、御座います…か」
「陶磁器みたいに滑らかで細い、爪の先まで美味しそうで良いねぇ」
「……」
もう、息をしていない。
今呼吸をしたら、何を云うか、吐き出すか知れない。
背筋を悪寒と同時に、冷や汗が伝う。

(どうした…)
(初めてでは無いだろうが)
(指だけだ、ましなものだろう…)

自身にそんな支援をして、慰めようとも状況は変わらぬ。
「そうそう、管は…此処かな?」
「っ…!」
着物の襟の合わせから、その汚らしい指が開してくる。
胸元の衣嚢なぞ、すぐに分かるだろうに
いつまでも、肌を弄る豚。
「管を取ったら、マグをあげようね」
「…」
「私のマグだけでは足りぬかな?いつもみたく皆であげようか?」
「…っは…ぁ…っ」
駄目だ、息が続かぬ。
呼吸困難だ、水の中に居るまま死ぬ魚みたいだ。
そう、いつも殺されている。
マグという豊饒の中に居ながら、窒息している。
組み敷かれて与えられるエネルギイは、僕を満たさず汚染する。
「この管だね?」
その脂ぎった指が、まるで油揚げみたいで
狐と云われ育った記憶すら掘り起こした。

「…いで」
「何か云ったかね」

それは、僕の管だ。

「それに触るな!!!!」

僕に与えられた武器だ――!!

伸ばした指先が、管に触れるか触れないかで
巡る環が僕からマグを吸う。
辺りに光が氾濫して、翡翠の甲冑を纏う騎士が姿を現した。
僕の…師範だ。

『…どうされましたか夜様?』

いつも通り、穏やかな、ともすれば馬鹿にした様な口調で
にこやかに僕へと問い掛ける。
僕は…その向こう側の男を見た。
尻餅をついて、地べたから僕を見上げてきている。
もうそれすら腹立たしい。
「リン」
『はい?』
「僕と魔力を合わせて…」
武器を持たぬ僕は、手を翳した。
普段打ち合う、刀の様に。
滅多にやらぬその技を、人間に放とうとしている。
予感はしたのか、お上の豚が僕に叫んだ。
「ライドウッ!わわわわたしはだね!君を上に推したのだぞ!!!!」
それが、どうした。
別にお前の力添えなど無くとも、この席は取れた。
僕は、翳した手から溢れるマグをタム・リンに共鳴させた。
頭上に、翳し命令する。

「…リン、合わせろよ」
『はい』

「大御前…消えてしまえ…!」

振り下ろした僕の手が
タム・リンの疾風を伴った槍に重なる。
その疾は、お上の胎を抉り
そのまま宙へと巻上げた。

くぐもった悲鳴。
葉音。
鈍い肉のぐずり啼き。

月光に照らされて、その影が鮮明に浮かび上がった。
視線で追った先…
まるで、百舌鳥の速贄の如く…その人間だったものが突き刺さっていた。
爛漫の桜の、尖った枝に…

「…」

僕は、それを見上げて、着物の合わせを正した。
こうしていると、僕はただの花見人にしか見えぬだろう。

『夜様、あのままで宜しいのですか?』
至って平静なタム・リン。
流石…人を喰った性格なだけあって、既に証拠隠滅を企てている。
『燃しましょうか?埋めましょうか?』
「…いい、あのままで」
『おや、貴方様にしては詰めが甘いですね?具合でも悪いのですか?』
「…悪い」

いい、あのままで。
もう関わりたくも無かった…
あれが見つかろうとも、僕が挙がる事は無いだろう。
挙がったとしても、確定要素が薄い…



見上げた桜の木から
僕を哂う声がする
花が散った後に、現れるよ、と
僕を呪って、脅す
その時お前は糾弾されるのだ、と

人殺し!!
人殺し!!

人殺し!!!!



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