汚点(後編)


「フ、フフ」
背の傷が、まだ灼熱の様に痛かった。
だが、そんな事すらどうでも良くなる。
「フ、アハハハハ…」
暗い夜道、凍てつく空気を切って足早に。
銀楼閣の階段を登れば、手摺横の遊び場から声がした。
『何を哂っておる、ライドウ…』
座布団に埋まる黒猫。
「いえ、少しばかり、愉しい事が、フフ」
『…最近のお主、烏の濡れ羽より黒いぞ』
「何を仰りますか、それより身体を休められては?」
その呪詛、まだ消えきっていないのでしょう?ゴウト童子。
『フン…アバドン事件から少々羽を延ばし過ぎやしまいか?』
「依頼の達成率は日々上昇しておりますが」
『お主こそ身体を休めぬか』
「合間の余興すら許されぬのですか?葛葉四天王は」
『程々に、と云っておる』
「ええ、程々に、ね」
ギシリギシリと段を踏み鳴らし、昇っていく。
自室の扉を開け、停滞した空気が流れる様を感じる。
ぱたり、と後ろ手に閉め、しばし空想する。
次の満月、何が見れる。
ルイ・サイファの正体か、彼の指輪を纏う僕か。
いずれにせよ、愉しい事この上無い。
「あは」
どの管を持ち出そうか、刀はどの銘にしようか。
西洋かぶれな細工を施した鍔にしようか。
「はは、ルイ……馬鹿め……」
引き出しを外気に曝し、整列する金属管をねめつける様に見つめる。
僕の、サマナーの証達。
封じ込めて支配下に置いてきた礎達。
ルイ…君は…
アポリオンの頭の刃を、哂いながら砕く僕を見たろう?
もがく蟲の翅を斬り刻んで、体液に塗れる僕を見たろう?
人の負を引きずり出して、背から孵化するアポリオンを見つめる僕の眼。
新たな獲物を見つけた、愉しい瞬間。眼元が歪むんだ。
どうせ皆、心に邪を飼っている、それを引きずり出して叩き潰す。

 有り難う!書生さん!
 流石は四天王、ライドウを冠する者
 こんな醜い私の心…眼を逸らさず消してくれた貴方に、感謝しています
 帝都守護の責務、御苦労、葛葉ライドウよ

労いの言葉、僕の殺戮を正当化してくれる言葉達。
(嗚呼、僕は、ただ破壊したいだけなのにねえ)
冷たい管を指先に撫ぞり、脳裏に中身を思い描く。
いつも管を、悪魔を選出する際には戦いを脳内に描く。
銀氷で凍らせて、蛮力で粉々にする?
紅蓮で灰燼にして疾風と巻き上げるか?
外法で呪殺すか?
それとも、僕の銃で風穴を開けて、刀に血を吸わせるか?
「程々に、ね…」
呟いて、吟味した管を手にする。
帝都守護を謳って、僕が行うのは支配と破壊だ。
なんて素敵な立場だろうか。
正当化される、この血塗りの舞台では。
アポリオンを屠殺しようが、アバドンを滅しようが
僕は周囲から賞賛を浴びる。
(カラスめ、せいぜいまだ遊ばせておくれよ)
その為に、御上共にこの身を供物として奉げているのだから。
つまらぬこの血を、愉しくするのは己の努力次第だ。
親無しがどうした、狐がどうした。
僕は、この生まれを恨まない。
非人道的と思われる里での教育も、幼い頃から与えられ続けた毒も
妬みも畏怖も、僕が嘆く事では無い。
白か黒か、定められるこの世で、中間を探ってやる。
正義も悪もあるものか。己が一番尊いのだから。
(人間と悪魔の境目を見極めれぬ)
それとなく腹立たしい蟲と神を屠って愉しい先日。
次はどうやって遊ぼうか?
正体不明の異国人よ、君と踊るのか。
愉しそうだね、御友人。
その肩書き、赤く濡らそうか?

 カラン

軽い金属音。
ふと視線を送れば、中が空虚な封魔管。
長い事空席のそれに、少し胸がざわついた。
「……僕は大丈夫さ」
その管を、元の位置に戻してから引き出しを押し込んだ。
「お前を殺した時から、敵は居ないよ、リン?」
あの微笑みが一瞬甦る、僕の言葉を糾弾もせずに聴く姿。
愉しい論議、小さな議会、僕を形作った、悪魔の父、タム・リン。

 “友人の一人くらい持っても許されますよ?夜様”

リン、次の晩、その友人というモノを…
自ら叩きに行くのだよ。
僕はね…
「そんなモノ、求めていない」
そんな、使役するならまだしも、情で足を引っ張る存在など。
必要無いのだよ?この僕には。
十四代目葛葉ライドウの、この僕には。






「やあ、よい月夜だね」
「こんばんは、ルイ」
「こんばんは、夜」
教会の入り口、黒い影が伸びてくる、月光に押し出されるかの様に。
ああ、確かに、やや殺気立っているね、今日の君は。
隠し切れない辺りが可愛い。
「で?何して遊ぶのだっけ?」
「今宵はぼく自ら、君と戯れようかと思ってね」
「戯れならしょっちゅうしてきたろう?」
「ぼくの身体で勝手に遊ぶアレが、かい?」
ハンチング帽のつばを掴み、くすりと笑ってしまう。
「まるで人形遊びの子供だね、夜」
そう発すれば、君の口元がひくりと引き攣った。
「人形遊びは女児だけの遊びではなかろう?」
「独り善がり、と、ぼくは云いたい」
「へぇ、ルイは僕が勝手に愉しんでいただけ、と?」
「うん」
帽子を脱ぐ、後ろに流してあった髪が、はらりと零れた。
その帽子を掴む手指で、もう片手の指先を摘まむ。
「指輪、僕から奪い取って御覧、夜」
ずる、と手袋を引き抜き、現れた金色が光る。
薄暗い講堂に、薄く射しこむ月光を反射して。
「奪い取れば、僕のもの?」
「ああ、そうさ」
「何を使っても良い?」
「悪魔召喚したって構わぬさ」
そう云えば、可笑しそうに胎を抱えたライドウ。きっと滑稽なのだろう。
そんな事をせずとも、僕から奪うのは容易いと思い込んでいる。
やがてニタリ、と哂って問うてきた。
「ねえ、指ごと貰っても構わぬかな?ルイ」
外套の内側で、刀の柄をトントン、と爪先に叩く君。
要求の仕草。
「ああ、良いよ?」
そう答えるぼくは、久々に予感していた。
愉しい時間を。

「失礼…!」

そのライドウの声と同時に、外套の黒が翻る。
ステンドグラスから射す月光で、抜刀された君の得物が煌いた。
いきなり指ごと狙うのか、残酷な男だね?君は。
ハンチング帽を放って、寸前でかわす。
分断された帽子の隙間から、彼の鋭い眼光が僕を射る。
横に薙ぐ動き、僕の指を狙っている軌道。
ぼくは背後にくるり、一回転してふわりと飛び、祭壇に腰掛けた。
外套を肩に捲り、空いた手を銃にかけるライドウ。
薄く哂って呟いた。
「ふぅん、やはりその位は動けるのか」
す、とぼくに標準を合わせる。
寸分狂わず、僕の指輪を嵌める箇所を狙い定めて、発砲した。
普通の人間なら反応出来ぬであろうその流れる動き。
「流石だね、葛葉ライドウ」
感嘆の声、のつもりだったが、馬鹿にした様に聞こえただろうか?
放たれたばかりの弾丸はやや熱く、それを拳を開いて床に落としたぼく。
祭壇のアンテペンディウムに跳ね、音が吸収される。
「…悪魔…それも妙に、反射の早い」
銃口の微かな煙が、ゆっくりと上に昇る。
その向こう側に、眉を顰める君の表情。
「悪魔でがっかりした?夜」
そう聞いてやれば、管に指を流して哂うライドウ。
「別に」
二本を指に挟み、綺麗なMAGを撒き散らすその姿。
サマナーである君の輝く瞬間だね、よく思う。
現れたのは神々しいアマツミカボシと、茨蔦の攻撃的なアルラウネ。
そのどちらも、ライドウに染め上げられた享楽的な悪魔だ。
アバドン事件の際、遠巻きに観察していて把握はした。
「アルラウネ、拘束しろ」
刀を構え、命ずるライドウ。
でも、艶やかな肢体の悪魔は動かない。
「アルラウネ、どうした」
『…ちょっとライドウ、待って、待って頂戴よ』
ぼくがにっこりと彼女に微笑む。
すると、彼女に咲き誇っていた薔薇が、一瞬で散った。
『駄目!!アタシには無理ッ!!』
そう叫んで、MAGの粒子と霧散した。そう、勝手に帰還していったのだ。
「おい、アルラウネ…!?…チッ」
ライドウの傍のアマツミカボシは、ぼくを見て引き攣った笑みのままだ。
『主様、御命令を』
薄い袖を揺らして、ライドウの前に進み出た悪魔。
『今回ばかりは、指示待ちですよ、わたくし』
「らしくないな」
『お気をつけ下さい』
「解ってる」
『いくら主様でも』
「解っている!!」
怒鳴るライドウが、アマツミカボシを引き連れて駆けてくる。
(テンペストかな?)
思った瞬間、豪風が講堂に吹き荒れた。
上から吊り下げられるシャンデリア達が大きく振り子の様に泳ぐ。
ぼくはその風の影響を受けずに、祭壇にゆっくり立ち上がる。
両手をすぅ、と広げて、眼前に迫る二つの影を迎え入れる。
大いなる意思の様に、寛大な心で。
『う、あ、あああッ!!!!』
まだ正体を明かしてないのに、アマツミカボシには解ったのだろうか。
ヒエラルキーは、この日本國の悪魔や神にも感じるのかな?
ぼくの前に跪いて、苦しげに呻いた。
「退けよ」
そう口にすれば、その悪魔は胸を掻き毟り、咆哮を上げた。
『あ、あああある、主様ッ』
「っ、お前、吸うな、吸い上げるなッ!ミカボシ!!」
『制御が、あ』
刀を僕に振り下ろせないライドウ。
アマツミカボシに異常な速度でMAGを吸われているからだ。
それは勿論、ぼくの仕組んだ流れだがね。
「も、どれ、お前、戻れ…ッ」
胸の管を指先に撫ぜ、ライドウは僕から遠ざかる。
神々しい悪魔はその光を消し、彼の胸元に還った。
講堂は月光のみとなり、疾風にやや荒れた内部が鬱蒼と見える。
「夜、どうしたの?悪魔は使わぬの?」
背後から、薔薇窓の綺麗な影が映り込む。
佇む僕の影が、其処に出来る。
「…ルイ、君、何者だ…?悪魔が、畏怖する……」
「何者?それを知って、君は逃げるか決めるの?」
嗤ってやれば、その涼しげな相貌に一瞬朱が差す。
「誰が…!」
銃を再度構え、今度は指でなく頭を狙う君。
悪魔なら大丈夫、というその純粋な殺意が、とてもサマナーらしいよ。
人間と違い、なかなか死なぬ愉しい玩具、だろうね?君にとっては。
放たれた弾丸をぎゅ、と指と指の間に受け止める。
全部で三発。全てが脳天を狙っていた、怖い子だね、君は本当に。
「また銃かい?十四代目…葛葉ライドウ…」
やんわりと、口の端を、君みたく吊り上げてみる。
「That's pretty tired.(またそれ?)」
云えば、君が吼えた。
「Screw you!(地獄に墜ちろ!)」
もう墜ちてるけどね。
そう思って、思わず笑ってしまった。
再び迫ってくる君、今度はその日本刀だけで、ぼくを斬り刻みに向かってくる。
跳躍し、高みから勢い良く振り翳してくる。
避けないぼく。
容赦無く振るい下ろす君、その刀身が脳天に入る瞬間。
肉に埋まったとは考え難い音が響いた。
「な」
「ちょっと耳鳴りがした」
「角…っ」
「少し、癪だったかなあ、今の…」
生やした角で、その綺麗な刀を振り払う。
すぐに構え直すライドウの、その襟首を掴んだ。
「ねえ、謝罪して?夜」
ぐ、とそのまま片手で上げて、微笑む。
「く…ほざ、け!」
掴んでいる刀を、ぼくの身に差し向ける君。
それを、瞬時に一枚生やして、払い除けた。
ばさり、と薙いで、遠くに弾かれた刀が、身廊を滑っていった。
「は…」
「ねえ、夜?」
「羽…っ…天、使?」
「だから、謝罪して?」
その細身の胎に、空いた拳を軽く押し付けた。
「あ、ぐ」
眼を見開いた君が、擦れた声を一瞬出したが、すぐに引っ込める。
唇を引き結んで、ぼくを睨みつけてくる。
「では、もう一枚生やそうか?」
云いつつ、ずるりともう一枚、既に布と化したジャケットを除けて生やす。
するすると、ぼくの肩を金糸の髪がおりてくる。
魔力の解放で、本来の姿に戻っていくぼく。
「ルイ、君…は、あ!ぐふうッ」
舌、噛まなかったかな?少し心配だったが、喋る途中で殴ってしまった。
「ねえ、夜、ぼくの事、弱いと思っていた?」
「っは、あ」
「人間の擬態が上手な、ただの野良悪魔…とか、ね」
「ク、クク…そう、さ…」
正直に明かす君、この状況でなかなか肝が据わっているね、本当。
それにぼくも大人げ無く、もう一枚生やして、掴み上げた君を薔薇窓に投げた。
綺麗な装飾硝子を粉砕して、それの雨と共に落ちてくる君を受け止める。
姫の様に横抱きに。赤く濡れた君は美しいよ、ライドウ。
「ねえ、君の手はまだある?」
「…」
「これではぼくが初勝利かな?バックギャモンで」
そう囁けば、血塗れの瞼を力強く上げる君。
「せめてギャモンだ」
突き出してきたのは、小さな懐刀。
MAGの刃が、ぼくの髪をぶつりと断った。
ぱさ、と足元に金糸が広がる…くすぐったい。
「へえ、ホルスター裏って、煙草だけかと思っていたよ」
そう呟いて、ライドウの首根っこを掴み、勢い良く投げ飛ばす。
信者達の椅子を次々に打ち砕いて、ようやく最後尾の椅子に凭れて止まった君。
もしかしたら、死んだかもね。
そう思いつつ、少ない羽で滑空していく。
割れる木の破片と、舞う粉塵。
「……ぁ………」
微かに聞こえる、呼吸。


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