白い烏〈中編〉
「義経公と反逆神を両手に歩むとは、これ壮観だな」
陽も陰ってきた刻限。
姿だけはそのままのデビルサマナーが、やや前方を歩み呟いた。
『おい旦那、アンタ…人修羅ばっか最近連れ歩いてたじゃねーか』
対する俺のボヤキに、傍のアマツミカボシがニタリと哂う。
『今の主様には、人修羅なぞ赤の他人も同然、ですからねぇ』
『嬉しそうに云ってんじゃねー…ミカボシ』
『あの無礼な半端者を締め出す、これと無い機会でしょうが?くっくっく…』
薄白い発光する羽衣。それと共に揺らした袖で、口元を覆う奴。
『おい、ちぃと抑えろよテメーな』
アマツミカボシが人修羅を毛嫌いしているのは分かっていたが…
その、あまりに露骨な云い方に、ライドウを思わず見据えた。
しかし特に変哲も無く、主人は黒外套をはためかすのみ。
「今宵は滾るだろうね、君等」
主人がたった一言、そう背後に呟いた途端、光を増して反応するミカボシ。
『ええ!ええ!それは勿論!虚空の闇に浮かびたるは丸い月』
興奮してそう応えている眼は、欲求に濡れている。
俺だって感じている、今宵の周期。
『我等悪魔にとって、魂の躍動が最も盛んな宵でしょうとも…』
んな事は解ってる。でなけりゃ先刻から殺しなんざしてない。
異界からあぶれた雑魚を、街路の蔭で嬲る。
使役される俺達だって、憂さ晴らしは必要さ。
それをよーく理解している旦那は、それはそれは優秀なサマナーだ。
(まさか、記憶が飛んだと当人の口から発された時にゃ驚愕だったけどよぉ)
俺達を使役していた記憶も無い筈なのに、堂々と命ずる。
生まれながらに支配者の気質を具えているんじゃないだろうか。
「お里への報告も無視して、実に気分が良いねぇ」
『平気なのかよ、カラスに突っつきまわされっぜ旦那?』
「突き“廻される”事が解ってるから往かぬに決まっているだろう?」
少し振り返って哂うその顔は、澱み無い。
「それにね…記憶も無いのに、何を近況報告しろと?フフ、滑稽な」
『そんな風を続けてると降ろされるんじゃあねえのかい?十四代目をよぉ』
「さあ?此処の守護が出来る代役…今の僕の記憶には居らぬのだが?」
相変わらずの自信に舌を巻く。
忘れてるとしたら、また橋の上で牛若ごっこをさせられるかも知れない。
(うっわ、勘弁だぜ)
欄干の上、旦那の刀をひたすらかわす遊戯。
“フフ、流石は牛若丸、軽々と優雅に舞う”
悪魔みたいな笑みで、俺を踊らせたデビルサマナー…
いよいよ脚に刺さり、烏帽子が零れたその瞬間。
それを手に取り、クスリと哂った、黒い闇の眼で。
“僕の悪魔におなり、義経公”
愉しい事が大好きで、血肉舞い踊る、そんな命のやり取りが出来るなら。
…次に目覚めれば、管から召喚された瞬間だった。
そんな昔を思い出し、ふと前方を見る。
丑込め返り橋が月明かりに見えてきて、やや強張る。
ライドウの事だ、いきなり「ヨシツネ、愉しい事をひとつしようか」
とか何とか云い出す可能性が…
「ヨシツネ」
ほら!やっぱそうじゃねえかよ!
「ミカボシも、気付いているか?」
と、現在相方として召喚されている奴の名が呼ばれ、拍子抜けした。
おまけに…俺は恐らく気付いてない、なんのこっちゃ、である。
『ええ…見えますね、業魔殿に…行くのでしょうか』
ミカボシの返事に、ライドウは俺へと視線を流す。
『悪ぃな、ちぃっとばかし考え事しててよ、サッパリだぜ』
「フン、烏帽子の中まで筋肉か」
『…それ、前も云われたぜ…』
少しへこんで項垂れると、黒い外套が翻った。
「アレは勝手に業魔殿に行き来しても良い事になっていたのかい?」
『いえ、貴方様の御命令外では、如何様な動きも叱咤の対象と成り得ましょう』
ここぞとばかりにアマツミカボシがすらすら述べる。
とことん人修羅を貶めたい様子だ、陰険な野郎。
「しかし…見たかい?」
帯刀した柄を指先にするりと撫ぜて、ゆっくり視線を向こうに戻すライドウ。
「擬態が解けていた…あの人間に拘る彼が、珍しいね?」
『この様な月の麓では、悪魔の本能が勝るのでしょう』
「へぇ?それでは毎回どうやってこの周期を乗り越えていたのだ?人修羅は」
その問いに、俺達は唇が閉じ、喉が蠢く。嚥下する言葉。
『そっちが云えよ、ミカボシ』
先に擦り付ければ、光る総身を震わせて吼える反逆神。
『なっ、なに故私が!?忌々しい!』
『俺ァ嫌だぜ、旦那?後で人修羅に殺されっちまうからよー…』
烏帽子をくい、と整えて、溜息に近い笑いを思わず零した。
「そんなに人修羅が納得せぬ手段なのかい?」
犯しまくっといて、よく云うわ…この男。
とか思ったが、そういえば記憶が無いのだっけか?ついその事実を忘れがちだ。
接吻でも、結合でも、流し合う血でも…
どんな手段だって、旦那は人修羅にMAGを与えてきた。
そんな殺伐とした殺し合いみたいな中で、人修羅の衝動を…
自分の衝動と相殺させて…だろう。
いつのまにか、強い満月の周期にはお約束になっていた。
そんな地獄から抜け出そうと、人修羅は耐え凌ぐ術を…ゆるゆると覚えていった様で。
最近は形を潜めていると思ってたんだが…どうしたんだ。
「尾行しようか」
人通りも、ほぼ失せた帝都の街角。
うっそりと微笑む書生を、非道なサマナーだと、誰も気付かない。
『へーいへい、承知っすぉ』
俺の気乗りしていない返答。
『主様、もし噛み付いてきたら、痛めつけてやれば良いのです』
そんな事を云ってるアマツミカボシ。コイツ、頭は良いけど馬鹿だ。
お前の大好きな御主人様が、その瞬間どれだけ人修羅に喰らいついてると思ってる?
その愉しそうな光景を見たら、多分お前は歯軋りしてんだろうさな。
階段にかかる薄い冷気を、外套で振り払うライドウの旦那。
潜める呼吸は白い吐息となるが、その靄に紛れゆく。
人修羅の追跡にイヌガミを召喚しない辺り、かなり侮っているのが判る。
まあ、実際人修羅は鈍いのだが。
「日中より流石に冷えるのだね」
『地下だからな、人間には寒いと思うぜ』
「ふぅん、人修羅は平気そうだったな…やはり人外?…フフ」
下り切って、奥に篭っているヴィクトルを視界に確認する。
結構な距離だから、気付かないだろう。
一方の人修羅が気付かないのは…どうしてだ?かなり集中力が乱れているのか。
ヴィクトルに一言二言…会話をしている、それだって珍しい。
『おい、イヌガミにしなくて良いのかよ、お付きの仲魔ぁよ』
ぼそりとライドウに聞けば、その視線は一所に集中していた。
それを読唇と知って、俺は黙りこくる。
しばらくして人修羅が其処から立ち去り、更に奥へと消えて往く。
「…ドクターヴィクトルに、何か依頼している…様子だな」
『何をよ?』
「さあ?ただし…ひとつ確定した要素がある」
人修羅の光る斑紋が闇に消えてから、革靴を鳴らし始めるライドウ。
「どうやら、初めてでは無い…事の様だね」
合体檻を通過して、更にその向こう側…
俺等悪魔がうろつく範囲より、更に奥。
見てて気分の良いモンじゃない、それが在る空間。
嫌な予感が、俺の烏帽子の中の筋肉とやらを躍動させる。
脳味噌無くったって、本能が感じる、悪魔の…
『ラク・カジャ』
扉の前で、アマツミカボシが命令されずとも唱えた。
それを咎めないライドウ。この向こうの光景を、予測しているのか、やっぱ。
「構えておけよ」
そう発して、その綺麗な爪先を取っ手に掛けた。
静かに開いていく扉の隙間、真っ暗なその奥に…
「だ…誰、だ」
擦れた、唸り声。
流動するMAGが、その強い魔力に反応して沸騰する。
「入って、来る…な…」
開き切らぬ扉に衝撃。何かを投げつけてきたらしい。
ずるりとこびりついて床まで流れたその残骸に、少しばかり眉を顰める。
「フン、合体の失敗作か」
ライドウが呟き、いよいよ開け放つ。
瞬間、放たれた衝撃波に俺の甲冑袖が揺れた。
いけ好かないミカボシの術が効いていたお蔭で、大した痛みは無い。
気付けばライドウは既に闇へと駆け寄り、抜刀して振り翳している。
相手の攻撃に紛れる、その天性の才を俺にも分けて欲しいもんだ。本当。
「どうせ失敗作だから、殺しても良いと?フフ」
「ほっといても死ぬだけだろ!」
MAGで反射するだけの光源。
閃く刀の軌道と…人修羅の、斑紋。
「いつからドクターに提供して貰っていた?以前の僕はこれを知っていた?」
切り裂く爪を避けて、ライドウが後退する。
「潔癖で、殺生を好まぬ風を見せて、この所業かい…フフッ、悪魔め」
その言葉が、暗闇の中で金色の眼を見開かせる。
明らかな挑発に、俺もミカボシも構え直した。
「うっせえんだよ葛葉ァあああ!!」
普段より数段増した殺意を滲ませて、床を蹴る人修羅。
煌々と照らされる室内、飛び駆る人修羅の、両手に点された焔が舞う。
「糞野郎!手前がっ、手前の所為でっ、俺が此処に居る事!解ってんのかあぁっ」
焔の光で露わになる空間。
合体事故で生み出された、自我すら怪しい有象無象共。
それの骸が散らかって、足場を埋めている。
人型のモノは無かったが、それが却って殺り易いのかも知れない、人修羅にとって。
「さあね?僕には解らぬよ、だって」
すぅ、と肩から刀を引き絞る動作。
「君の事なんて知らないからね」
ライドウの打ち込んだ的殺は、炙られながらもその胎へと呑まれていった。
人修羅の斑紋輝く臍の辺りを、まるで切っ先から喰わすみたく。
「あ…がっ、ぐ、ごぽっ」
胎に刺さる刀を、ぎりぎりと握り締める人修羅。
でも、その細っこい指先が割れるだけだ。刀が折れる気配は無い。
開いた唇から、赤が溢れ零れる。
『それにしても、いやはや…悪魔を罵る口を叩いておいて、このザマですか?』
胎から切っ先を抜かれた人修羅が、冷たい色の床に倒れ込む。
その傍に音も無く寄ったアマツミカボシの光で、その顔が照らされた。
「…っは……ぁ……はぁ……」
苦しげに顰められた眉、斑紋を伝う色が、ゆっくりと赤く彩を流す。
『人修羅…主人の命から外れるは、仲魔の資格無し、という事でしょうに』
機嫌良さそうなアマツミカボシが、浮遊する脚先で人修羅の頭を小突いた。
「んっ!あ、ぅ…ッ」
『ほら、いつもみたく、己を棚に上げて罵ってみたらどうです?』
だが、どうしたのか…確かに、吼え返さない。
悪魔には辛辣な人修羅にしては、おかしい。ミカボシとは犬猿の仲なのに。
「ミカボシ、退け」
チラつく脚先が顔を蹴るかと思った瞬間、ライドウの声が通った。
『主様』
「退け、ソレはMAGが枯渇している様だからね…下手に弄ってくれるな」
『し、しかしながら』
「お前も…仲魔の資格を謳うなら、黙って従い給えよ?」
流石のアマツミカボシも、それ以上食い下がる事はしなかった。
俺に云わせりゃあ、そこで逆らうのがアナーキーと思うのだが。
しぶしぶMAGを氾濫させて管に還ったアマツミカボシ。お利口さんって奴だ。
光源が減り、また視界に静寂が戻って来た。
「さて…ヨシツネ」
『ぁあ!?お、俺?』
まさかそこで俺に声が掛かると思っておらず、素っ頓狂に返答してしまった。
血を掃って、納刀したライドウが吐き捨てる。
「コレにMAG、与えてやっておくれよ」
『は〜ぁ?』
「ほら、早くし給え…吸って、流転させて戻せば良いだろう?」
『だってよお、旦那…!』
悠然と微笑んで、悪魔じみた笑みで。
「この少しの手合わせで解ったよ…この半人半魔の、芳醇な魔力が、ね」
ちら、と床の人修羅を見下ろして、続ける。
「MAGの味を知る者なれば…コレから吸いたくなるだろうな?」
舌舐めずりして、唇を歪ませ。
「ヨシツネ、お前は僕と付き合い長いみたいだから、吸わせてやるよ…ククッ」
『吸わせてやる、って、ん〜なモンでもねぇだろがよ!』
「かなり弱っている、胎の中心に刺したからね…そうそう暴れる事は出来ぬさ」
か細い呼吸の人修羅を見れば、金色が揺れ惑っていた。
鈍感な俺でも判る位、動揺している。
『そ、そりゃあ…知ってるがよ、美味ぇのは』
ボルテクス界の捕囚場で、その頬を伝う血を…軽く舐めただけで…
全身から、ぞわぞわと、あまりの甘さに酔い痴れた。
悪魔を相手する時の、金の相貌に…妙に鼓動が高まるのを、理解している。
普段、どんなに人間を装っていても。こいつは悪魔なのだ。
それも、酷く、気位の高い…高潔な。
『しっかし、どうしてそこまでして人間で居たいのか、俺にゃ解らねぇな』
ぼそぼそ云いながら、まるで誤魔化すみたいな。
そんな俺に笑っちまいそうだった。
いつもは…ライドウの旦那が、そんな事を赦さない訳で。
至上の生物の肉を、鼻先に吊るされているも同然だった。
最早、それに慣れきっていたのに。今、此処で「啜って良し」と命令か。
(人修羅と俺、どっちにも残酷だな、旦那はよ)
先刻まで足蹴にされていた黒髪を、篭手の指先で掴んで寄せる。
返り血に汚れても、妙な艶やかさを得ているそれが指先を滑る。
「ぅ…ぐ……ヨ、ヨシツ、ネ……」
『悪ぃな、ライドウ様々からの御命令だかっよ』
それを言い訳にして、いつも主人が吸っている魔の坩堝を見据えた。
噛み締めたのか、染まっている、まるで紅でも差したみたく。
「やめ、ろ…や…め」
『俺の主人はお前じゃないんでなぁ、人修羅…』
痛々しい、しかし内包する強大な魔力と、甘い蜜。
感覚の浅い、その息遣いに、そそられて、そのまま引き寄せる――
『!?』
奔る…痛み。
咄嗟に引き離すその、いたいけだった顔を覗き込めば…
薄く嗤って、真っ赤な震える指先で、俺の額を裂いていた。
魔力を通した所為なのか、その傷口から噴出する血潮。
それすら美酒だろうが。…勿体無い。
「放せ…下衆……お前の、MAGじゃ、治まらな、い…」
眼を細めて、睨み上げてくる。明らかに己より体躯のデカイ俺を。
(ああ、よく見りゃ綺麗な顔してんだな、おぼこみてーだと思ってたが)
最近はライドウが近寄らせてくれなかったので、しっかり見た事すら無かった。
そんな相貌で、苦しげに吐き出す台詞がそれかい。やっぱすげーなコイツ。
『そうかい、悪かったぁな』
あまりに…色々痛いじゃねえか、と、こっちから突き放した。
傍で哂うライドウが、クク、と肩を震わせる。
「我侭だねぇ、功刀さん………ヨシツネの魔力とて、そう不味くないのに」
可笑しそうにひとしきり哂って、胸元の管をカツリカツリと爪先に叩く。
それが帰還の合図だという事は、互いの間で無意識に通じるのか。
『おい、我慢は体に毒だぜ人修羅?狂っちまえよ、月が言い訳してくれっさ』
それだけ云い残して、俺は早々に管へ還る。
ライドウの旦那が、ボルテクスからこっちへ帰って以来…
人修羅を囲う理由が、ようやく解ってしまった。
(あんな極上の餌…そら、他に集られたく無い筈だ)
なら、今の旦那なら…どうなんだ?
俺等の記憶の無い、真っ白な烏の、旦那なら。
血生臭い。体中、生温かい。
でも、足りない。
(最悪…だ…悪魔臭い、俺)
抑えられない、この衝動を。
満月の度、カグツチが満ちる度、訪れる…俺が悪魔だと嗤う空。
その天から見下ろす様に、転がる俺を哂う夜の色。
瞬く星が、己の敵に見える。獲物に見える。
その相貌が蠢く深淵に飛び込んで、魔を啜れ、と…
「ぅ、ぅぅううぐぅッあ、はぁッ」
呻いて体を捩れば、向こう側で本を読むライドウが鼻で笑った。
「そんなにまで?本当に人間の部分が残っているのかい?君」
「ぁ、っ…く」
誰の所為だ。
「先刻、ドクターに聞いたが…成る程、合体事故の産物なれば、処分しても僕にバレないね」
簡素な寝台に横たわる俺に一瞬眼を向けて、また本に戻す。
「そうやって抑えられぬ月夜には、此処へ来ていたのかい?」
「いつもじゃ、な、い」
「同族嫌悪?」
その言葉に、奥歯が砕けんばかりに噛み締める。
「出来損ないを屠殺してあげて、偽善者の気分?」
嚥下する唾液は、錆の味。
「生きていても苦しいだけ、実験体となるだけ、なれば終わらせてあげよう…という勝手な善意…」
「黙れ」
「気味の悪い命は、人間の敵となるやも知れぬ…異形の悪魔を始末する、そういった人間側の超自我?」
「どう、せ」
寝台の端に丸まったシーツを蹴って、喚く。
「どうせあのまま陰で死ぬんだ!色も無いまま!」
蠢いていた失敗作、何も見ていない、歪な眼達。
色の無い、肉片。
「俺が一瞬でバラしてやった方がマシだろうが…ッ…」
知っている、エゴだって、その位。
爪先で、ギリリと寝台の板を削る。
「あんたが俺をこっちの路に走らせてんだっ!気付け!忘れてんのか!?ド外道ッ」
咆哮に揺れる天井のランプ。それに掌を翳してみた。
薄暗い照明の光で、逆光と浮かび上がる掌には、斑紋。
ずっと与えられず、枯渇寸前の俺の…源が…か細く、揺れる。
「なら、もっと具体的に教えておくれよ」
本を閉じ、棚に戻すライドウが、俺と真逆と思われる平然とした面持ちで返す。
「僕は君の衝動を、如何様にして抑えてあげていたのかな…功刀さん?」
俺に云えというのか?
そんなの…乾いた砂が水を吸う様に。生きる為に蝶が蜜を吸う様に。
あるものの流れ。
俺の衝動…だって…だから、どうしようもない事…なんだ。
半分を悪魔にされているんだ。あんたが契約相手なんだ。
「契…約…で」
「契約?ああ…そういえば確かに、僕が記憶を消したその時から、君にはMAGを与えていないね」
「結んだ瞬間から、俺に、流す…そういう仕組みの、筈だろう、が」
「だから云っているだろう?僕には契約の記憶が無いのだと、フフッ」
寝台の俺を避けて腰掛ける。そんなライドウの指先を、突き刺す様に掴んでやった。
「何?」
ただ静かに哂う、このデビルサマナーから感じるMAGの薫りが…もう、キツイ。
「あんたが、ヤタガラスに…戻らなくて良い様に、協力…してやる…共犯、者に」
哂いを潜めるライドウ、その眼を見て、俺は続ける。
まるで、熱に魘される様に。
「記憶から消えたなら、教えてやる…から…っ、だから」
掴んだその指を、するりと手首に上らせて、引く。
学帽が俺の腕に当たって、そのまま床にふわりと落ちていった。
「あんたのMAGが…欲しい…っ!」
いつもなら、抵抗する俺を羽交い締めにしてくる影。
今、俺はその影を自分に乗せて…縋っている。馬鹿の如く。
「悪魔殺したって何したって!他のMAGを啜ったって!違う!膨れない!」
学生服の襟首を掴んで、その綺麗な鼻筋をぶつかりそうなまでに引き寄せる。
「契約者の…あんたのMAGじゃないと飢え続けて、る」
こんな事、記憶の無いあんたにしか、云える訳ない。
「契約名で…呼ばせろよ……胎の其処から…吸わせろよ…」
俺をこんな体にしたのは、今の様な現状に陥っても、縋らせる為か?
だとしたら、本当に…悪魔だ、あんたは。
「功刀に“さん”を付けるなよ…他の悪魔にMAGのやり取りさせるなよ」
散々、俺を抑圧してきたルールが、崩されていくのが怖いんだ。
俺の知る十四代目葛葉ライドウが、失せていくのが。
与えられない…MAGが、酷く恋しい、狂おしいまでに。
「あんたの血肉じゃないと…っ…」
どうしてなんだ、この飢えは、何なんだ?
苦しさと疑問に結局、唇は戦慄き、閉じた。
「……MAGの与え方は」
が、突如そう呟いて、間を開けず噛み付いてきたのはライドウだった。
そのあまりに久しい感触に体がざわめく。そんな自分に自己嫌悪。
舌で俺の唇を舐め、すぐに退いて続きを述べた奴。
「これで、良いのかな?」
「…っ、ち…違っては、ない」
「素直に“そう”と云えぬのかい?」
口の端を吊り上げて、血濡れの着物を開けられる。
反射的に腰が引けて、視線を逸らす。
その俺の反応に、ライドウから失笑が漏れた。
「僕に犯された…と云ったね、この前」
「…ぁ…ああ」
「それなのに、君は僕のMAGを、こういった形で受けたいの?」
その事実を述べる声音に羞恥がこみあげる。
「け、契約で…!あんたが勝手に、決めた…形だろ」
「へぇ、こういう譲渡と流転の術を取ろう、と?」
「だから!俺の望んだ形じゃない」
間違ってない、俺の知る方法で、直に胎へと舞い降りるのは…これしか。
唇からの受給では、軽すぎる。
「では、御教示願おうか?いつも僕がどうやって…君に餌を与えているのか」
ライドウが、妖しく哂う。
自身の喉笛に、その尖った爪先をしのばせたかと思ったら、空いた手で釦を解く。
「おい」
「何?」
何、では無いだろうが。
そのままするすると、弓月の君の学生服を開くと、シャツ一枚になる。
そのシャツの釦すら、上から順に、つがいの孔から逃がして往くライドウ。
「どうして脱――」
「致すのだろう?皺になる位なら、着て行わぬよ」
俺の前で、そうそう肌を露出させる事なんざ、無かったのに。
露わになった胸板と腹筋が、妙に俺を苛む。
俺は眼を背けて、それでもシャツを掴む。
「お、い…聞けよ……あんたは、人前で全裸にならない」
「へぇ、情事の際も?」
「……ぶ、部分的に、開く、だけだ」
契約したカルパで、一糸纏わず、絡み合ったあの時。
そんな例外を思い出して、脳が焼き切れそうになる。
掴んで留めたシャツをゆるゆると放してから、指先を自分の着物に戻す。
開かれていた衿を、更に開いた。業魔殿の冷えた空気でも、俺に鳥肌は立たない。
「いつも、俺だけが…肌を…」
「へぇ、本来は僕がひん剥く訳か」
「…理解したなら、さっさと…しろよ……俺にさせるな」
「フフ、成る程」
先刻の接吻で流れたMAGが、斑紋を少し控えた色に戻していた。
開かれていくと、その光が零れ出す。反射してライドウの肌を照らす…
「暗い中で見れば、そう悪く無いね…その斑紋」
ふとした呟きに見上げた瞬間、唇を啄ばんでいった烏。
でも、その濡れるだけの唇が、意識に反して勝手に開く。
「ち、がう」
「…どう違うのか、明確に述べ給え」
「……あ、あんたは、そんな簡単に、退かない」
「舌を入れる、と?フフ…」
どこまで、云わせる?
「…その、舌から、だ…唾液に融けこんでる、MAGが――」
もうそこまで説明して、自身が嫌になる。頬が熱い。
「っ、い、良いだろ、もう…勝手に、させろ…っ!」
見てられない、この男の眼球に映り込む俺の浅ましい姿など。
だから眼を瞑って、はだけたシャツの襟を掴んで再度引き寄せる。
いつも…いつもライドウがやっている動きをすれば良いんだ。
ただ、生理的に、機械的に。何も、考えるな。
「はぁ、ん、ぅ…ん、じゅっ……っん、く」
合わせた唇を、舌で開く。
俺から挿し入れて、奴の舌を探して彷徨う。
そうこうしている内に、呼吸が続かなくなり、突き放そうと腕を押す。
すると、見計らっていたかの如く、ライドウの舌が俺のに絡んだ。
「んぶ、ん!?んっ…ぁ、ふ!あ!!」
苦しい、息が出来ない。
なのに俺の肉は歓喜する。舌先からのMAGに震えて、意に反して。
「…下手糞」
しばらくして突き放され、俺に降る言葉。
血液混じりの唾液が互いの唇を濡らして、赤い糸で結んでいる。
「本当に君、僕としょっちゅうこうしていたのかい?」
「ぉ、俺がこんな事っ、上手くなってどうすんだよ…っは……最低、だ」
「回数重ねてもこの程度…学習能力無し、なのか…それとも」
伸びてくる指先が、項を捕らえて来る。
この宵、特に敏感な其処は、ぞわぞわと体に電流を奔らせる。
「ひっ…ぁ」
「幾度犯しても塗り変わるのか…生娘の如く?」
その云い方に、更に頬が熱くなって、首を振る。
「フフ、此処、弱いのだろう?そう書いてあったよ…あの日誌に」
先刻まで手にしていた本の事を指しているのか。
不敵な笑みを浮かべたライドウが、項の突起を撫ぞり上げ、俺の頭を支える。
と、そのまま下げた奴の面は、俺の胸を喰らって吸った。
「あ、ぁ、あっ、ひ、ゃ――…」
ちゅぷ、ちゅぷ、と舌先で、強く弱くを繰り返し。
緩急付けられた生温いさざ波が、其処をやんわりと、硬くさせる。
もう片方の乳首まで、待ち望むかの様に、つんと澄まして憚った。
それをチラ、と横目に確認したのか。ライドウが鼻で笑いつつ、空いた手を運ぶ。
「む…胸、止め……っ」
その手を食い止めれば、逆に指を絡ませられて、下肢に流される。
思わず引き攣る腰に、するすると辿らされる斑紋。
着物が割られて往くと、次第に露わになる。
「この茨は何処まで茂っているの?功刀さ――…」
と、そこまで云ってから、ライドウが見つめ直して再度口にする。
「ねえ?功刀…」
有り得ない敬称からようやく離れ、その響きに安堵している俺はおかしい。
腰でだらしなく撓んでいた帯が、蛇の様に俺から寝台へと下りて伝う。
そのまましゅるり、と衣擦れの鳴き声で床に逃げていった。
「“委蛇たり、さなり蛇行なり…誘るものが秘訣也…”」
その蛇を見、ライドウが胸をひと舐め語り出す。
「“この緩やかの所作よりも、やさしき手管、他にありや?”」
腿の付け根の黒い斑紋を、その尖った爪先で新たに刻む様だった。
「“心得たり、わがゆく先は、そこへと君を導かむ”」
絶対、他に赦さない領域を…簡単に侵す俺の主。
「“姦計ならめ、きみが身を、害はむとの意図はなし…”」
歌にのせて耳から喰むのは、記憶を消しても同じなのか。
うっそりと哂って、勃ち始めている俺の物を、下着の上から舌で掬う。
薄布が湿っていくと、張り付く窮屈な感覚が胸を締め上げる。
「顔に似合わず、なかなか際どいのを穿いているではないか、ククッ」
そのライドウの言葉に、今のこの男は、初めて見る事になるのだ、と今更気付く。
「臀部をこんな開けっ広げにして…そんなに斑紋を覆い隠すのが嫌?」
「これは!俺の普段着が、こうもっと」
「今は着物だろう?君の本来着ていた衣とは形が違う」
「んな…見たのかよ…」
「記してあったよ、あの、君の観察日誌に…ボルテクスの様子から、ね」
悪趣味。
そうだ、そういえばいつも…重傷を負った俺は、此処で目覚めていた。
業魔殿の小さい部屋、本棚と寝台のある冷えた空間。霊安室の如き空気。
傍を見上げれば、ライドウが居て…何かを記述している、紙を走る万年筆の音。
俺の体を、記録しているのだ、いつも、何かあれば。
それを脳裏に描き、どこか自嘲して問い詰める。
「へ、ぇ…他に何か分かったのかよ…俺の、事…っ」
傍を見上げれば、ライドウが居て…俺の脚を、内腿を舐めている、下肢を走る粘着質な音。
「君の弱点、突出した能力、この黒い斑紋の考察…と…」
「し、た…舌、休めて、云え、よっ」
「僕の、事」
「ぁっ…あんた、の?」
「フフ、こんな箇所まで、繋がってるのか、この刻み…」
「あ!っ……き、聞け…よ、人の、話」
「人だったっけか?君は」
じりじりと、舌と言葉で詰られる、その久々の感覚に陶酔しそうになる。
反発するのに、どうしてか俺は、早く、もっと、MAGが欲しい。
「どうして使役せんとした君を、僕は犯したのだ?」
ライドウの問いに、イライラする。
ああ、オカシイ、止まらない、血が見たい、啜りたい。
俺が全き悪魔にならない為に…狂って帝都を壊さない様に…
あんたは月満ちる頃、いつもいつも…
「そ、んなの、決まってる、だ…ろ」
俺を嬲って、俺に吸わせて、血を交換していたのか?
制御していたのか?
「俺の、事、壊したいから、だろ!手駒にしたいからっ」
銃すら手にしない無防備なライドウの手を、握り締める。
ああ、骨まで砕きたい。
「俺の全てを奪いやがって!尊厳も!体も!こ…」
こ
こころ、も?
まさか。
次のページ>>