「髪色が何だ、生まれがどうした。敷地内に異人一人入れただけで気が散るなど、いいわけに過ぎぬ。出入り禁止にするなら鳴海所長をしたらどうだ、先日僕が利用した際にツケを請求されたのだよ」
「ライドウ」
「蒼い眼と金髪に決定的な違いが有るだけで、君は日本の言葉が流暢だ。そして、食事に妙な注文もつけぬだろう、向こうにとって不利益は無い」
「夜」
名を呼ぶと、ようやく口を閉ざした。
こんなライドウは珍しいので、暫く様子を見ていたのだが。
そろそろ場所を変えたかったので、ぼくから切り出した。
「御立腹?」
「わざわざ予約を取ったというのにこれだ。理由が理由ならば折れたものを、あまりに下らない」
「別にぼくは何処でも良い、君がエスコートしてくれるのならね」
「あすこの一番良い席を取ってあったのだよ、雪見障子から庭園の見える個室だ」
「雪の季節には、まだ少し早いのでは?」
「そういう問題では無い」
この国は四つも季節があり、その境目がいまいち判らない。
節目ごとに日は決められているそうだが、その日から気候ががらりと変化するという事でも無いらしい。
曖昧なものに左右される国民達……街を歩けば、衣や売物でそれが感じ取れた。
ゆっくりかと思えば、一瞬で道往く者達の姿は変化していく。
ショールやグローブが目立ち始めると秋で、マフラーやウールコートが大半を占めると冬。
今、ぼくの隣に居る書生は年中マントコートだが。
「十四時まで食事の予定だった」
「臨機応変に予定を組める君ではなかったの?」
「食欲が削がれた」
「ぼくの食欲は削がれていないけれど、それに関しては解消させてくれないのかね?」
「侮辱されたというに、嫌に安穏としているなルイ」
「怒れる君の姿が見られ、寧ろ興奮してるよ」
「何だいそれ、不機嫌な僕を見て面白がっているという解釈で良いのかい?」
「哂っていない君の顔は、普段に輪をかけて綺麗だからね」
一瞬の間、しかし君のプライドが沈黙を許さないのか。
ぼくから顔を背け、鼻で嗤う。
「そんな言葉で歓ぶとでも?」
「まさか」
向こうの壁の絵画と、目が合う。
真鍮額縁の中の書生が、ぼくを見てはっとする。
言葉に失笑を滲ませてはいたが、結局貌は綺麗なままだったという事だ。
アルカイク美術の如き君の能面も悪くは無いが、あれは心を隠してしまう。
ほんの時折、息継ぎの様に面を外すから面白い。
「ジロジロと失礼な奴だ」
「壁の鏡に文句を云っておくれ」
「向かい合えば映り込むのは己だ、僕はこの面をじっと見つめていたくは無いのだよ」
「その割には、この売り場から動かないのだね」
「僕が見繕うのは手鏡だ、遊郭にひとつ持って行く」
「へえ、貢ぎ物?夜に貢がれる女性が存在するとは、これは驚いた」
「違うよ、忍ばせてある僕の悪魔にだ。時折の飴くらいは欲しいだろう?ボイコット防止さ」
物色される手鏡達は全て伏せてあり、煌びやかな細工の背をライドウへと向けている。
材質は様々だが、どれもお決まりの如く草花のモチーフ。
「君の背中にも、こうして刻めば良いのに」
「僕は堅気では無いが、やくざ者と揃いになるつもりは無い」
「傷が刺青に紛れるだろう?それかいっそ、傷を鱗に見立てて龍を彫ればどうだね」
「既に大國湯で知れ渡っているよ、隠すつもりも無い」
手に取るライドウの指先は、刀の手入れをしている時と同じだ。
落とさぬ様にしっかりと支え、しかし傷付けぬ様にやんわりと触れる。
愛撫と同じだと、いつだか云っていた。ぼくが施された事は、殆ど無い。
「君の里に咲いている、あれの刻まれた鏡は無いのかい」
「どの花を指しているか、情報に欠ける」
「赤い火の様な……リコリス?」
「ああ……あれは縁起が宜しくないから、恐らく嗜好品の意匠には為り難いね」
「そうなの?それなら何故刈り取らぬのか、不思議だ」
「毒草には毒草なりの活用法が有るという事さ。紅葉が色めき立つまでは、初秋の彩にもなる」
「通称は?」
「彼岸花、曼珠沙華」
「どっちなのだい」
「どっちもさ」
幾つもの名を持つ存在が多い事を、ぼくは知っている。
草木や獣、天使も悪魔も。
葛葉ライドウと、ぼくも。
「それにするの?随分小柄な鏡だな」
「鏡台なら部屋に用意されているからね、懐に仕舞う事が出来るくらい小さい方が……何?」
ライドウから奪い取る際、微かに指先が触れた。
金属よりは温かい。なんだ、ちゃんと人間らしい指をしているではないか。
「ぼくが払ってあげよう」
「僕の持ち物には成らないのだよ、ルイ。云ったろう、土産にすると」
「承知しているよ、単に奢ってあげたいだけ」
「木の葉のお札じゃあないだろうね?」
「大丈夫」
わざわざ人間の様に持ち歩いているのだ、財布という器に容れて。
難無く会計を済ませすぼくを横目に、ライドウは礼の一つも云わなかった。
此方で勝手にした事だ。それが無い事に、ぼくも憤慨はしない。
絹の巾着に包まれた手鏡を、改めて渡す。
「僕が強請ったと勘違いされても困るな」
「普段から羽振りの良い君だから、そうは思われないだろう」
「君とつるみ始めてから散財しているよ」
「へえ、何故だい?」
「まずは時間を作るだろう、そうするには依頼を早く始末する必要がある。それか依頼自体、請け負わないか……どちらかだ」
「ふむ」
「早い決着の為には、様々な工夫と消費が有る。無理をしたならば回復の必要もあるね、それは治療費さえ払えば解決される。迅速な移動はどうだ?これも金かMAGを消費する」
「分かったよ夜。つまり、ぼくに会う為にいつも大変な思いをしている、という事だね?」
舞治屋百貨店の出入口に差し掛かった頃、ようやくぼくに目を合わせてきた。
学帽の意匠が、黒ずくめの中で一際輝く。
「落ち合う為の調整はしているが、まるで僕が一日千秋の想いを抱いてるかの如く語らないでくれ給え」
「屋上の動物園は観ないのかい」
「獅子の類は悪魔で見慣れているのでね」
「あっちのデパートは?アクアリウムが有るのだろう」
「随分と情報通じゃあないか。さては、既に一通り廻ったな」
ライドウの指摘通り、ふらりと散歩は済ませていた。
この国のヒトはあまり大柄では無い為、ぼくの視線を遮る事は無い。
列に並ぶ事も無くふらふらと眺めては、目の合う動物達を萎縮させて遊んだ。
「暇潰しの娯楽が多くて、帝都は愉しいな」
「まあね、そうでなくては葛葉ライドウなんて辞めている」
「そうなのかい」
「ゴウト童子が居らぬから、云ってみただけさ」
路の並木から、暖色系の葉が零れ落ちる。
二股だったり、五指だったり。並ぶ樹木達は、特徴的な葉を空に広げて。
紅葉というひとつのカラーラベル、季節は秋の様子。
「燃える様な赤色だ」
「実際酷く燃えたからね、僕は当時こっちには居らなかったけれど……あの小料理屋も、割と新しかったねえ。また燃えなければ良いけど」
「おやおや」
「玄関くらいは君からも覗けたろう?先刻話に挙がった彼岸花が、陶器の一輪挿しに活けてあった、客商売というに珍しい事をするよ」
「好くないの?」
「先刻も云った様に、縁起が悪い。それにあれは、持ち帰ると火事になるという俗説が有る」
「夜も案外、そういうものを気にするんだね」
「好きにしたら良いさ。ただ一般的にはどうなのだろうねって、そういう事だよ君」
どうやら大地震後の瓦礫の荒野に、この様なものを建てたらしい。
周辺に殆ど建造物の無い中、堂々とそびえる百貨店。そんな絵葉書が、売店に飾られていた。
建てた直後、再び天災に見舞われる事を想像はしないのだろうか。
そこで被災しようが、恐らくまた工事を始めるのだろうけれど。
「案外しぶとい」
「何の話?」
「躍進する日本國は凄いね、と云ったのだよ」
「台詞の長さが全く違うのだが」
送迎バスの待合に着くライドウの襟を軽く引き、列から外した。
訝しむ視線を受け流し、そのまま歩道へ向かうぼく。
「何処か観たいのか?このまま新世界で良いだろう」
「夜は空腹ではないの?先刻の店で遅めの昼食を頂く予定だったのだろう?」
「新世界にも軽食は有る」
「人間はバランス好く摂取しなければ、具合を悪くするとかなんとか……」
「フン、まるで他人事だな」
ぱしりと叩かれたので、黒い襟から指を遠ざける。
代わりに唇を寄せ、そのもみあげに射抜かれぬ位置から囁いた。
「ぼくをあげる?」
一瞬止まる革靴が、高らかに踵を鳴らす。
進行方向が定まった様だ。ま、仕向けたのはぼくだが。
「フフ……その気が有るのなら、事前に教えてくれ給えよ。そうすれば、MAGを出し渋らずに済んだというに」
「午前は戦う仕事だったの?それは御苦労様……確かに、におうね」
「嫌なら離れるのだね、最中にも発汗するだろうし?」
「白檀だったかな、それのニオイだよ、夜」
この先のゴールを知っている、幾度か利用したからね。
行き着く先は、蕎麦屋とは名ばかりの風俗施設。
一階では喫茶をして、二階より上ではヒトが交わる褥を貸している。
これで平然と下階では飲食しているものだから、なにやら可笑しい。
二階より上はまるで天上、林檎を口にする以前かの如し。
「生臭くては食事の邪魔になるだろうと、相手の返り血ひとつ浴びずにこなしたのだ。少しは評価して頂きたいね」
「すべてを仲魔に任せ、己は高みの見物をすれば楽が出来るじゃないか」
「君と会う日は興奮しているのさ、得物を揮いたくなる」
さらりと述べるライドウは確かに、先刻からマントの下で刀を弄る頻度が高い。
直接見えずとも、微かな振動と音がぼくに視せるのだからしょうがない。
鍔に爪先を引っ掻け、指の腹で目貫を辿り、柄巻をごりごりと扱き上げる。
ありありと判る、その指先の痴態。
刃物の部位の名も、彼に教えて貰った……
というより、唱えながら磨き上げるのだからいい加減記憶してしまう。
二人で居る時にさえ、艶めかしい刃を光らせながら手入れする姿を思い出す。
ライドウのお気に入りの逸品は、武器や呪われた装具や禁書。
ぼくがそれ等に精通している事に、最早戸惑いも見せない。
共に議論し、軽口を叩き合うのみ。
きっと、君がそうしたかったのだろうね。悪友になろうと、約束したのだから。
「そんなに撫でていたら指が疲れて、この後に本領発揮が出来ないだろう」
「馬鹿を云え、この程度で疲弊しては刀も揮えぬ、自慰も出来ぬ」
書生姿で平然と、蕎麦屋の最上階を指定するライドウ。
店の主人も咎める事無く、ライドウに追従するぼくを見て訝しむ事も無い。
目の前で揚々と階段を上る青年は、奔放に見えて実に真摯だ。
商売女しか発散の相手にせず、ヤタガラスには一方的につつかれるのみ。
つまり、此処に連れ込む相手など、ぼく位しか居ないという事。
「ほら見てみ給え、こうして異国人だろうが通した方が利益になるというに」
「おや、随分と根に持っている」
「空腹でね。一日抜こうが平気なんだが、丁度昨日がそれに該当する」
「下で食べてからにすれば良かったのに、今から引き返しても構わないよ。此処は蕎麦屋さんだろう?」
部屋に入るなり外套を脱ぎ捨て、軽く伸びをするライドウ。
「君の“そば”がいいな、ルイ?」
既に綺麗に敷かれた寝床へと、引き倒されてやる。
上を取ったのは、当然の様にライドウだ。
ぼくが完全に丸腰かを確認するまで、警戒は解かないつもりだろう。
「I'm not good at Japanese」
「フン、こういう時だけぶるな」
眉間を指先で摘んできたライドウは、次いでぼくの帽子を撥ね飛ばした。
ハンチングの内側から溢れた金糸を掴み、ニタリと哂って弄ぶ。
手綱の様にくいくいとさせる。ぼくを引き起こしたいのかと思えば直後、自ら胸を合わせてきた。
躰の厚みより一足先に、ごりごりと圧迫してくる感触。
MAGが透けて匂う、硬質な縦並びの肋骨。
デビルサマナーを構成する、召喚器という骨。
「管、挟んでるよ」
「痛い?」
「それほどでも」
「なら文句を云うな。君をひん剥いてから、此方も装備を外す」
「仲魔を挟んで行為に及ぶのかい」
「聴こえておらぬよ……」
蠱惑的な眼、間近に見る程吸い込まれそうな闇だ。
ライドウは今も、ぼくを蒼い眼なのだと思って見つめているのだろう。
これは西洋人という風貌に、シンプルに合わせた外装だ。
(ヒトから見れば、蒼い風にした……)
蒼穹の天は、それ自体がそういう色をしているのでは無いと。
可視光線の関係なのだと、これもライドウに教えられた。
あの蒼は、本当は無いのだと。
それを聴いた時にぼくは、ヒトの解釈や解析の根底にある理由を捉えようとした。
結論として、人間達は「目に見えるものを疑い始めている」から、それを追求するのだと答えが出た。
アポリオンが空を喰い破った時には、天の崇りと慄いたくせに。
「あの店はムジナ料理が美味でねえ……」
「ムジナ?」
「ああ、タヌキでは無いよ?捕まってしまうからね。あすこの素材は、アナグマの方のムジナ」
「ムジナに複数の種類が有るの?」
「まあね……近年タヌキが狩猟禁止になった折、ムジナの解釈違いで問題になったからね。地方によってムジナというのは、タヌキだったりアナグマだったりハクビシンだったりするのさ」
「どれが正解なのだい」
「どれも正解さ、モノの名前なんて人間が勝手につけただけだから」
ライドウの口調は投げやりだが、ぼくは笑って納得した。
そうそう、世に蔓延るは、ヒトの勝手なのだよ……本当の色でも、名前でも無い。
「夜という名は誰がつけたの?」
「さあね」
「拾われたのだっけ?本当の名を知りたくは無いのかね」
「別に」
君はぴしゃりと云い放ち、暫くまさぐっていた片手も落ち着かせた。
ぼくに武器の所持が無いと確認出来たのか、強請る様に股座を押し付けて腰を揺らす。
興奮から熟したであろうものが、ぼくの股の出っ張りにぐりぐりと擦り付けられている。
「ルイ、後ろを解いてくれ給え」
「手ぐらい届くだろう?普段も自身で装備しているのなら、だけれど」
「伊達男の風貌で、よくもそう気の利かぬ事がつらつらと出てくるな君は」
命じられるままに、ライドウの背に腕を回す。
編み上げられた紐の、結び目を解いてゆく。
これは清められた装備だろう、少しだけ指先が痺れる。
生地がもったり撓むと、ライドウが微かに溜息した。
ぼくはするすると編み上げの間隔を広げ、後は任せるつもりで腕を下ろそうとした。
「帯や紐が長い理由を考えないのかい」
先刻とは違う色をした、ライドウの溜息。
アンニュイなまばたきは、やや苛立ちを滲ませている。
紐解きを止めた瞬間のこれだ、つまりこの動きが癪に障ったのか。
「そういう理由なの?」
「さあ?知らないね。しかし前戯の尺伸ばしにはもってこいだろう?」
「夜でも知らない事があるのだね」
「君が最近サボり過ぎなのだよルイ、僕に色々と教えてくれる約束だったじゃないか……ねえ、フフ……」
ぼくは腕を下ろし切らず、再び間延びした編み上げの所に戻した。
紐を撫ぞる様にして、背中を抱き締める。
この学生服の内側に、蚯蚓腫れの背中が在る事をイメージすると、ぼくも何やら興奮してきた。
痛む事を分かっていながらに、尚求める。そんなヒトが可笑しくて、愚かしくて。
砕かぬ様に注意しつつ、更に抱き締めた。
あの時、何故ライドウは怒っていたのか。
幾つかの可能性を考えていた。
彼の云うには「下らぬ理由」で入店を拒否された、これが発生したイレギュラーだ。
だが、どうだろう。あの葛葉ライドウの十四代目は、これだけで怒る人物とは思えない。
新世界で、注文品が在庫切れとやらで出て来なかった時にも、さらりと了解していた。
つまり“難癖をつける客”という類では無い。
では差別に憤慨したか?いいや、彼は逆をされても顔色ひとつ変えていなかった。
晴海で落ち合う際、離れた所からぼくは見ていた。
白人の旅行客に、ライドウが日本人として嗤われる瞬間を。
あの白人の言葉なら、彼は容易く解せた筈。
蔑みには慣れている彼だろうが、少し違う……飄々としつつも、自尊心は高いのだ。
つまり、国籍違いによる差別や偏見などは、本当の意味で下らぬものとして流している。
怒りを覚える対象ですら無い、そう見えた。
「ああ、なるほど」
少しずつ見えてきた、ライドウの怒りの正体。
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