入口で立ち話を続けるのは御免だったので、早速人修羅の足を洗ってやる事にした。
もうすぐ元の形に戻るのだ、この子守りともようやくおさらば出来る。
「ここ、おてら?」
「そうさ、今は寺院として機能していないけれどね」
「みてあれ!おっきなナベ……ぐつぐつしてる……ごはんつくってるの?レストラン?」
「酒を造っているのだよ」
講堂では悪魔達が灯りも無しに、いそいそと働いている。
回廊から覗きこむ様にすれば、逆に覗き返す一部の悪魔。
人修羅はそれに少しばかり驚いて、僕の脚を掴んできた。
「いっぱいいる」
「それほど大勢では無いさ、せいぜい八体……」
「つくったごはん、すぐにたべちゃうの?あそこでモグモグしてたよ」
「違うよ、あの連中も造っている真っ最中だ。口噛み酒という物があってね、穀物を口に入れて噛む事で発酵させるのさ」
人修羅よりも、ゴウト童子の方がぎょっとしている。
その様な製法が存在する事は認知していたと思われるが、それを悪魔にさせるとは思わなかったのであろう。
「えーっ、でもたべたごはんとか、おさけにならないよ」
「すぐに変化する訳ではない。唾液の成分が穀類を糖化させ、それを寝かせる事で天然酵母が発酵し、デンプン質がアルコール化する……まあ、悪魔の場合は都合が変わってくるけどね」
「むずかしい…わかんない」
「それよりも君、あの光景を気持ち悪いとは感じなかったのかい?」
「なんで?よくかんでたべなさいって、おかあさんもいってた。だからたぶん、みんなおりこうさん」
炊いた穀物を悪魔にひたすら噛ませ、魔力を帯びたそれを今度は霊水と合わせ……
日本酒の醸造とほぼ同じだが、寝かせる行為は発酵の為というよりもMAGの固着を促す為だ。
「あっ、こっちにもはっぱ!」
回廊を進めば、講堂の奥も一望出来る。
まるで工場見学の気分だろうか、人修羅は先が気になって仕方が無い様子だ。
僕の外套をしきりに引いては、あれは何だと質問責め。
「あのおねえさん、はっぱだけもってる……はなじゃなくていいのかな?」
「花は使わぬからね、それに君には花が見えておらぬのかい?」
「ないよ」
「あすこに、既に咲いているではないか。全く、女神に失礼な奴だね」
「えーどこどこ〜?ライドウだけみえてるのずるい」
「もういいよ、普段の君も乗って来ない話題だったろうから」
今見えているのは、最終工程。
蓮の大ぶりな葉を、茎から刈り取る。それを利用して瓶に納めるのだ。
ラクシュミが醸造された酒を、少しずつ葉に零す。
表皮を粒となって滑り落ち、茎を通るそれは加護を得る……
あれをする事により、全ての純度が増す。薄っすらと、蓮の香りさえも纏う。
「したのほうからポタポタしてる」
「碧筒杯という、蓮葉を杯にして茎から飲む遊びが有ってね。あれなら漏斗の役割も果たすだろう?」
「ストローみたい。あそこにくちつけて、ちゅーちゅーしてもいい?」
「君には別で用意されるから、少し待ち給え」
「やったー!おはなのジュース」
「ジュースというよりは、薬だよ」
瓶詰めの前に成分調整を行うのだが、それは割愛した。
説明した所で、理解出来る筈も無い。
それに、人修羅へと飲ませるべく現在調整している酒は都合が違う。
「早朝に飲む事となる、それまで大人しくするのだね」
「ライドウもいっしょにのも」
「僕は要らぬ」
「けち」
「何故そうなる、欲さぬ者にけちとは心外だね」
回廊を抜け、畳の部屋に荷物を置く。
縁側寄りに数枚並べてある座布団を一枚拾い、軽く埃を掃う。
常に日干しされている状態なので、色褪せてはいるものの案外ふんわりとしている。
ゴウトにそれを差し出し、僕は装備を一式脱ぎ始める。
「童子、僕は人修羅を洗って参りますので。ごゆるりとお寛ぎ下さいまし」
『……時折、此処に来ているのか?』
「ええ、自分独りで」
『お主は確かに、血では何処にも属しておらぬ……が、十四代目を襲名したのだ。あまり勝手をし過ぎるなよ、紺野』
「おや……フフフ。まさか心配して頂けるとは、痛み入ります」
『ガマも大概だが、妙に敵を増やすのはお主の悪い癖だ。葛葉を穢すなよ』
「連中とて、葛葉の名なぞ気にしてはおりませぬよ」
『何だと、もう一度云ってみろライドウ』
「僕に襲名させたのも、大半はカラスの意向でしょうに…………ほら後ろを向き給え功刀君」
小言を背にして軽装となった僕は、人修羅の帯を解いていた。
締められていた兵児帯は少し癖がついていたが、伸ばせばすぐに空気を含む。
僕の畳んだ外套の傍へと並べ置き、次は着物を開きにかかる。
くすぐったそうに項を震わせるので、何かしらきゃあきゃあと悲鳴すると思いきや、無言だ。
「風呂まですぐだから、此処で裸にしてしまうよ」
こくん、と小さく頷く人修羅。先日のシャワー前に脱がせた時は、あんなに逃げ回ろうとしたのに。
謎の意気消沈ぶりに些か違和感を覚えつつ、僕も着衣を取り払った。
短刀と管だけを持ち、手拭いは人修羅に持たせ部屋を抜ける。
月明かりだけで充分だが、やはり光源は必要かと思い直す。
「ウコバク、外れる事が可能ならば少し付き合い給え」
講堂に向かい唱えれば、静かな工房からゆらりと現れる影ひとつ。
鍋の番をしている悪魔で、火かきの鉄器に焔を纏わせている。
「湯浴みするので、暫くは鍋ではなく此方の番を頼むよ」
『……デケェ』
「何か?」
『いやオレもビッグな男になりたいすわ、とりあえず釜炊き頑張っときまっす』
一言二言交わしつつ、露天風呂へと向かう。とはいえ、本当にあっという間だ。
縁側の端から石畳へと裸足で降りれば、ふわりと薫る煙が見えてくる。
ウコバクは一番大きな岩の上に胡坐をして、湯煙には背を向けている。
彼なりの気遣いであろう。それに、他方へと監視を向けていてくれた方が此方としても助かる。
その為の番なのだから。
「雨天でなくて良かったねえ……今度イッポンダタラに屋根でも付けさせるかな」
刀を平たい岩に置き、湯の中からでもすぐに掴める様に向きを整えた。
帽子を反転させ内側に管を放り、刀の傍に並べ置く。
ウコバクの置き去った手桶で湯を汲み、ざあっと頭を流した。
どうせこの後も汗を滲ませるのだ、雑で充分。
「何を黙りこくっているのだい」
「きゃっ」
人修羅の足に軽く湯をかければ、ぴょいと飛び跳ねた。
そこまで熱い筈は無い、それとも擬態をしているせいで耐性が弱まっているのか?
「擬態を解き給え、ツノを生やしても良い」
「だいじょうぶ?おこらない?」
「此処には人間は居らぬよ……“僕等”以外ね。だから構わない、楽にし給え」
またもやくすぐったそうに、ふるふると項を震わせる。
すうっと一瞬で黒い突起が伸び、か細い手脚にも黒い斑紋が迸った。
「長居はせぬよ。裸で戦えぬ事も無いが、防御面に不安は有るのでね」
「ライドウこわい」
「何がだい。声を張り上げたつもりも無いし、見ての通り丸腰だろう」
「だって……ほらみて、やーくんのよりずっとずっと、おっきいの」
「……あのねえ」
今度はミシャグジではなく、此方に矛先が向いたか。
確かに小物のつもりは無いが、かといって巨根を謳う程でも無い。
「この程度ザラだよ、君の時代は銭湯の数も少ない様子だが――…」
言葉尻を濁しつつ、泥の薄く残っている脚を湯で流した。
ああ、そうか……こいつは父親が居なかったのだ。
記憶も退行しているとすれば、成長しきった男性の局部を間近に見る機会は無さそうである。
幼い頃から嫌という程、男性のブツを見てきた僕からすれば……笑い話だ。
寧ろ、其れを畏怖しても仕方が無いのは、僕の方ではないか?
「身長と同じ様に、そこも成長する。只の肉体の一部、怖いものでは無い」
「そうなの?やーくんのもおっきくなるんだ、よかったあ」
「元の姿に戻ればね」
しかし、戻った所で人修羅なのだから、そこから成長する事は無いであろう。
そもそも、元の君のイチモツの大きさなぞ、僕のと比べれば……
「入らない、そんなの無理だ」と煩く喚く声が脳裏に甦る。
実際、いつも窮屈で。どれだけ経っても慣れた様子は無かった。
「ねえねえライドウ、はいらないの?」
「君が入らないと云ったではないか」
「そんなこといってないよ」
ふと見れば、人修羅は岩辺に腰掛け、爪先を湯に遊ばせていた。
湯煙に見えるのは、確かに輝く斑紋の影。
だが、それは僕の使役してきた半魔では無いというのに……
「ごちゃごちゃと煩いね、地獄の釜に突き落としてやろうか」
「わーっ、おちるやめてライドウ」
華奢な両腋を抱え、水面の上にぶらりと吊るしてやった。
落ちると喚きつつも、両足をばたばたと泳がせ身体を暴れさせるのだ、天邪鬼め。
ゆっくり位置を下げてやれば、蹴られた湯の花が散って硫黄の香りが爆ぜる。
「あれ?おもったよりあつくない、へいき」
「只の温泉だからね」
底に足が着いたのか、身体を屈め始める人修羅。
連なり僕も手を放すと、傍にざぶりと腰を下ろした。
夏とはいえ、宵の空気は鎮まっている。外気に晒された肌は、なかなか涼しい。
遠くに虫の音が聴こえ、それに雑じって蛙の声がする。
冥界より呻る連中とは違い、純粋な畜生の声だ。
此処が里から遠い事を知らしめてくれる。
死霊と化した蟇蛙達の声は、外道の発する不協和音とはまた違った不快が有る。
あれを聴くと、湿った土の臭いに混じった腐臭が、記憶と共に鼻腔に甦るのだ。
「ライドウ、ゴウトとなかよくないの?」
唐突な問い。恐らく見れば判るので、普段の人修羅は口にもしなかった事だ。
先刻から口数が少ないのは、其処に思慮を巡らせていた所為か、子供の癖に。
「好くは無いね」
「ライドウはゴウトのこと、きらいなの?」
「別に、好きも嫌いも無い」
「えーっ、どっちもないなんて、ないよ」
「では君は、僕の事をどう思っている訳?」
「ライドウすき!」
「いや……いいよもう」
「さっきののどあめもすき!あとタエちゃんのくれたコーヒーぎゅうにゅうもすき!あとねあとね、おんぼろぐるまもすき!」
ほらこれだ。好き嫌いの皿の上には、大した優劣も無い。
子供の云う事だ、真に受ける筈が無い。
妙に耳が熱い、のぼせてきたのかもしれない……そろそろ上がるべきか。
「おんぼろぐるま、またのりたい」
「オンボロでは無く、オボログルマだよ。仲魔にした当初は、確かに襤褸だったが」
「ライドウがうんてんするとね、けしきがビューンて。ぜんそくりょくー!で、キモチイの」
「フフ……今度はもっと飛ばしてあげようか?」
「わーい、たのしみ」
「明日の朝、しっかりと薬が飲めたらね」
釘を刺せば、しぱしぱとまばたきする人修羅。
交換条件として提唱したので、警戒しているのかもしれない。
しかしそこは子供の頭。きっと薬というものが、苦いだとか不味いだとか……その程度の警戒であろう。
「あさって、いつくるの?」
「月が薄くなり、太陽が一射し始めたらもう朝だよ」
「いやだ、ずっとよるでいいのに」
素っ気なく云い放った、夜という言葉に引っ掛かる様子も無く。
僕の名が“ライドウ”なのだと信じ、何も疑ってはおらぬのだろう。
「本当に暗い世界のままで良いのかい?」
「うん、ほしもたくさんみえて、きれい」
「残念ながら、此処は常夜の国では無いからね。陽光が無ければ生きられぬ者も多い……外の蓮池とて、花は閉じていただろう?朝一番の光で眼を覚ますのさ」
「あっ、ライドウみてみて、ここさいてるよ」
云うなり、ざぱりと立ち上がった人修羅が腹部を突き出した。
幼児体型という言葉が相応しい、柔らかな白い腹。
其処に黒い睡蓮と、露を纏わせたかの如し燐光が輝いている。
「ねっ、おはなみたいでしょ」
「僕がそう云えば怒った癖に、本当に何もかも憶えておらぬのだね」
「ライドウ、またおこっちゃった……」
「もう上がるよ」
抱き上げれば、滴る水滴は燐光を反射し煌めく。
岩場に移り、柔肌を手拭いで拭う。突起の溝までやわりと揉めば、肩を揺らして笑った。
「そこは弱点だ触るな」と、いきり立たぬ君がおかしい。
ああ落ち着かない、早く装備を纏いたい。
無防備が恐ろしいのではない、用件を片付けたいだけである。
『冬なら雪見酒とかも出来たっしょおにね』
「おいおい、此処に有る酒は呑まぬよ」
『むーっちゃ薄めればイけるんでないすかね、人間でも』
「効果が独特だからね……有志の悪魔を募って実験した事を忘れたのかい」
武器と帽子を手にする僕を見て、会話を止めたウコバクが立ち上がる。
飛び石の方へと鉄器の焔は向けられ、蒼緑の竹林が闇夜に存在感を放った。
「ライドウ、はやくはやく」
ひょいひょいと石から石へ跳ぶ人修羅に、忠告をするのはもう止めた。
云おうが云うまいが粗相をする奴だった事を、ぼんやりと湯冷めの中で思い出していた。
雨戸も閉めず、緑の庭を眺める。
此処を見つけた頃には多少荒れていた庭も、今ではそれなりの風情を取り戻していた。
座布団を並べ敷布団の代わりにした上で、人修羅はすやすやと寝息を立てている。
僕はその隣に肘をついて寝転がり、小さな呼吸の音を聴く。
規則正しい……気を張っていないのだろうか、普段の彼よりも寝つきが良い気もする。
『葛葉様、準備は整いました』
オオクニヌシの声に面を上げ、続いて身体を起こす。
ゴウト童子に目配せすれば、フーッと溜息をして髭が揺れていた。
「人修羅が起きた際には、ライドウはすぐ戻るとお伝え下さいまし」
『我の云う事を聞かん場合も有るぞ』
「夜泣きと同時に地割れなぞ起こす様ならば、流石の僕も気付き次第に舞い戻ります故」
『割れてからでは遅いというに!』
装備一式を纏い、外套を羽織る。
夏の空気だろうが、どす黒いこれは外せない。
手先を隠し、肌を護る戦闘服なのだから。
『出来たばかりのものが一瓶程御座いましたので、後は朝一番の陽光を待つのみです』
「しっかり鏡面は磨いたかい」
『ええ勿論』
「鏡が濁っていては、反射する陽も弱まるからね」
回廊を歩きがてら、打ち合わせをする。
人修羅に飲ませる予定の酒はどうかと……進捗具合の確認だ。
講堂に差し掛かれば、用意の済んだ台座が見えた。
陽の射し混む箇所に立て掛けられたのは、円い宝鏡。
あれが生まれたての太陽の光を吸い、跳ね返した先の霊酒に注ぐ。
そうして酒の中の陰陽は変質し、本来の効能を逆転させる。
とはいえ、陽光に晒したつくよみが進化の薬になる訳でもなく。せいぜい同じ酒で得られた効力を中和する程度だ。
この酒に限った話では無いかもしれぬが、その事実は「悪魔の胎内に成分が残る」という可能性を示す。
排泄も新陳代謝も無い悪魔の事だ、充分に有り得る。
『しかしあのようなお姿になられて……人修羅は半分ほど人間と窺っておりましたが』
「昔の姿、には違いないね」
『中和の酒が効くのでしょうか?』
「効かねば困る」
講堂もとい工房には、幽かな物音も無い。
悪魔達は一通りの作業を終え、各々休憩でも入れているのだろう。
『葛葉様は研究熱心ですね、ヤタガラスの元を離れてもサマナーとして活躍出来るでしょう』
「ヤタガラスが組織に与せぬサマナーに手厳しい事、知らぬのかい」
『そうですね。私もヤタガラスの関係者に使役されるという事で、最初は構えました』
「自由が利かなくなる、と?フン……遊女ならともかく、野放しの女性達とつるむ気は無いね」
『では童と化した人修羅をそのままに連れ歩いては如何でしょう、瘤付きだと女性は寄って来ませんから』
「フフッ、《高嶺の花》だな」
灯りを落とさぬまま、蓮池にぽつりと佇む門構え。
オオクニヌシとは回廊の切れ目で別れ、召喚したイヌガミと共に居座った。
『ライドウ、目立ツノデハナイカ?暗イ方ガ見ツカラナイ』
「此処で構える意味が解からぬのか?この犬頭め」
コツリと指の関節で額を叩けば、キャウンと軽く啼いた。
そのままするりと鼻先まで落とし、湿り気を確認する。
充分な潤いが認められたので、とりあえずMAGの補給は要らぬと判断した。
「暗闇に提げたランプを想像し給え……煩い輩が寄って来るだろう?」
『虫?』
「灯蛾というやつさ。僕がお前を召喚した意味が理解出来た?」
『……ライドウ…………ムズムズスル』
ヒクヒクと鼻先を泳がせ、前方を旋回するイヌガミ。
僕は呼吸を鎮め、外套の内側で腰のベルトに指先を添わせる。
管、刀、銃……何が来ようと対処出来る定石位置。
『……ライドウ!コッチ!四尺先ノ水中!』
「待て、まだかかるな」
アルラウネの管を指先に叩き、外套の隙間から棘をシュルシュルと喚び出す。
遠くにわさわさと揺れ始めた蓮達を、抜刀した切っ先で指し命じる。
「表面で良い、凍らせろ」
『ちょっと葉が邪魔ねえ、ふふっ……』
ブフ・ラティが葉ごと水面を凍結させる。
やがて、めりめりと隆起し始めた。下方から押し上げる何者かが、低い唸りを上げている。
『ハッハッハッ……』
『ねー嫌らしい妨害だこと、んふふっ。どんな悪魔が出てくるのかしらねー?』
舌を出して嗤うイヌガミには、再び額にしっぺを。
指差し笑うアルラウネには、片胸の乳首をぎゅうう、と抓り上げてやる。
『キャウン』『はぁあんっ』
「先制に安堵する瞬間が一番危ういのだよ、解っているかい?」
『クゥーン』『もう片方もお願いよぉ、ラ・イ・ド・ウ』
「イヌガミ、お前は他方から来ていないか探り続けろ」
命じた直後には、季節外れの霜が向こうに散っていた。
氷の亀裂から這い出た腕を観察し、記憶を漁る。
鱗の籠手、連結した腕輪、赤褐色の肌、氷を貫かんとする切っ先は槍状。
「……出た所に焔を見舞ってやれ」
『了解シタ』
「恐らくナーガラジャだ。氷が割れているが、騙し討ちの可能性が有る。凍らぬ端も注意しろ」
銃撃は効かぬ為、刀の握りを強めた。
びきりと一際大きな音を立てた槍が、氷下より突き出たままで静止している。
僕の読みが当たったか。
潜伏し此方に来るまで、そうはかからぬ筈。
『ぶっっっ殺すぞテメー!』
案の定。
ばしゃりと飛沫を上げながら、素手のナーガラジャが凍らぬ沼端より突撃して来た。
打ち合わせた通り、イヌガミがその出鼻を挫く。
『ぅぉ熱っっッ!あっ、あづっ!てめ、こんにゃろっ!』
尾をビチビチと暴れさせ、沼に退避するナーガラジャ。
凍れる範囲まで猛然と泳ぎ、焦げた面をじゅうと押し付け呻いている。
「アルラウネ、門から先に行かせるな」
『オッケーよ、地味な門構えをアレンジメントしてア・ゲ・ル』
塞ぐ様にして、棘蔦が入口を覆う。
仕上げに咲いた赤薔薇が、蓮を台無しにするほど毒々しく香った。
「誰を殺すって?」
一方で僕は橋を駆け、此方からナーガラジャに接近する。
氷に乗り上げ槍を抜いた相手は、既に構えている。
『テメーだよ葛葉ライドゥ!セコイ真似しやがって!』
「さっさとお仲間を呼んでくれないかね、サマナーの数と悪魔の比率が合わない」
『るっせーな!オレはとにかくムカっ腹立ったからテメーを殺る!』
興奮状態のナーガラジャは、眼を血走らせている。
攻撃が頻繁にはなるが、動き自体は単調になる。
突き出される槍を数回往なし、間合いを取りつつMAGを刀に流し込む。
「同じ得物でお相手致そう」
『な、なな……舐めやがってェ〜』
血気盛んな相手は、嫌いでは無い。
僕は槍状にした武器をくるりと片手で回し、持ち方を変える。
突かれれば体軸を反らして躱し、難しい時は柄で流しつつ身体の隙間に通させる。
遠心力で大きく凪いで来た一撃は、足元への軌道だったので跳び避ける。
その跳躍を利用し、此方も振り被り一撃を見舞う。
ナーガラジャの兜は砕けなかったものの、脳震盪の様にふらりと項垂れるその頭。
接地と同時に構え直し、手の痺れを考慮し一歩下がる。
腑抜けた攻撃は、相手に反撃の糸口を掴ませる事となる。
『ってーな……クソッタレ!』
面を上げたナーガラジャの眼光が、くわりと光った。
即座に傍のイヌガミが察し、ブフダインをファイアブレスで食い止める。
しかし攻撃に特化させた訳では無いこの仲魔、じりじりと押され始め苦しげに尾を揺らした。
「……よし、止め。お前も適当に退避し給え」
蒸発に煙る中、イヌガミのブレスを止めさせる。
瞬時に足場は凍結するが、この狭い橋だけが世界では無い。
僕は横に飛び退き、蓮を幾つか踏み付けながら沼に降りた。
入水音につられ、身体の向きを変えるナーガラジャの影がゆらゆら。
煙が互いを隔てる為、鮮明には見えぬのだ。
一気にナーガラジャの背後に回り、橋に転がり上がる。
先刻と反対側の為、此方側は凍結していない。
音に振り返った相手よりも早く駆け、切っ先を突き立てる。
『っ、グゥ!』
「沼遊びなら僕も得意でね」
『っ……へへ、吠え面かくなよサマナー!』
わき腹を抉った僕の槍は、ギリギリと掴まれている。
抜かせないつもりだ。このまま留まれば僕も刺されるであろう。
得物を諦め即座に退避するか、否か。
……押そう。
「それは此方の台詞さ」
この槍は僕のMAGで形成された物なのだから、答えは簡単。
ざあっと蛍の群れが飛び立つ様に、僕の槍からMAGが弾けた。
柄を掴んでいた筈が、いつの間にか刀身を掴んでいるナーガラジャ。
込められていた力が弱まるのを感じ、更にずぐずぐと突き入れる。
『げえっ、な、んだよそりゃあ!チクショウ……ッ、グウウウッ』
「ククッ、良い吠え面」
傍に待機するイヌガミは隙を見計らい、また焔を吐かんと頬を膨らませている。
ビクビクと腕を痙攣させるナーガラジャを確認し、ずるりと刃を抜いた。
刀の血払いついでに、ナーガラジャの槍に切っ先を引っ掻け、遠くへと撥ね上げた。
ぼちゃんと音がする蓮の沼、遠目に見れば蛙でも跳ねたのかと勘違いしそうだ。
ぐったりと倒れ込むナーガラジャ。暫く動けまいであろう、この刀は相手のMAGを吸う。
膨らませていた頬を今度は窄ませ、やや緊張を解いたイヌガミがひょろりと舞った。
『……ハフン』
「門に戻るぞ、先刻からアルラウネが数体相手している」
『ライドウ、怪我ハ無イノカ』
「無傷では無いが、子供が毎日作る生傷程度だろう?」
軽く外套を搾れば、びちゃびちゃと滴る濁った水。湿った重量を軽減させ、次に備える。
凍った箇所を飛び越えつつ門構えへと駆ければ、薔薇の精が両手を広げ笑顔で迎えた。
その足下に転がる人間達は装束姿で、数名折り重なってのびている。
アルラウネが神経麻痺の毒でも咲かせたのか、黒い花弁が辺りに散らばっていた。
『やっとワタシの所に帰ってきてくれたのね、ライドウ』
「何人居た……四か」
『皆サマナーよ。でもダイジョーブしばらく起きられないわ、それにこの通り』
僕の眼前へと蔦が伸び、銀色に光る物が献上の如く掲げられた。
カチカチと、その管同士を打ち鳴らして遊ぶアルラウネ。
サマナーを単身で相手する際は、召喚されるよりも早く管を奪えと教えてある。
「上出来だ」
『それでもって、皆弱いのねえ。ヤタガラスの連中ってこんなものだったかしら?』
「組織の実力者は来ないだろうさ、ガマの取り巻きといったところかね」
『ライドウに手を出したらどうなるか、知らないワケじゃないでしょうにねえ〜?んふふっ』
「これだから、家が後ろ盾に有るのは面倒だ」
名家に属すれば確かに恩恵も有るが、こんな茶番にも付き合わされるのだ。
ガマが僕を気に入らぬと、ただそれだけの理由だろうに。
「さて、茶番劇の主役は何処かね」
『ネズミ一匹たりとも通してないわよ?ほら……って、ヤダこの蛙達、いつの間に?キモイわぁ』
門に張り巡らせた棘蔦に、大量の蟇蛙が蠢く壁の様に密着していた。
此処を離れる際には、居なかった筈……
「間合いを取れ!イヌガミ、蟇蛙を焼き殺せ」
間髪入れず、命令通りに焔が吐かれる。
が、ボトボトと落ちた蟇蛙達はげろげろと嗤い、再び門に這い上る。
四散された所為で、焔は棘蔦を焦がすだけに終わった。
これ以上当てれば棘の結界は焼け落ちるだろう。
隙間から蟇蛙達が侵入する事は、目に見えている。
『気付いてるんだろ十四代目?』
蟇蛙の一匹が、人語を発した。
その声はつい先日聞いたばかりの、あの濁った声音。
『ちょっとライドウ、蛙と知り合いなの?』
「こいつ等は、ガマだ」
『ガマガエル?ふーん……蟇蛙も蝦蟇も同じなんだっけ?その辺疎いからワタシ』
「違う、サマナーのガマ」
『えっどういうコト?変化術?』
警戒しつつ見据える僕等に、今度は別の蟇蛙がげろげろ嗤った。
『あの晩、蟇蛙の集団に襲われてから……おれは皮膚が爛れ岩の様に硬くなり、本当に蝦蟇みたくなっちまってなぁ』
『かかる毒液は痛いし痒いしで、本当にきつかったわぁ』
『いやーそれがだなぁ、どんどん身も心も蛙になったのか知らんけど……』
『血肉でな、分裂出来んのこれが。ちょいと潰されただけじゃおれ自体は痛くも無いしなぁ』
次々と別の蟇蛙が喋くり、ぴょいぴょいと跳ねる。
恐らく崇りの一種だろう、ガマがその身体を有効活用しているだけだ。
『既に数匹、中にお邪魔してるぜぇ?』
『ネズミは見なかったけど、蛙は許しちゃったなぁ?アルラウネちゃん?』
あらっ、という素振りで肩を竦ませるアルラウネ。
気まずそうに僕を見ているが、それならば早い所この蟇蛙共を殺して欲しい。
「真正面から正直に訪問した者は通すな、と命じてあるだけだ。塀なぞ簡単に乗り越えられるだろうからね」
『ごめんねライドウ』
「ゴウト童子を控えさせている、その手前で妙な事は出来ない筈さ」
油脂でぬめった光を、てらてら反射させるガマ達。
僕の靴先に跳び込んで来るのを、容赦無く斬り伏せる。
刀の物打ちがじっとり汗ばむ様に見える、ガマの油がこびり付いたのだ。
即座に、まだ濡れている外套の端で刀を拭った。
『はっは、良い錆止めになんだろ?』
「臭い油は遠慮したいね、そうだな……椿油が宜しい。香りも好く、刃にも肌にも最適だ」
『おれに云うのか?紺野ぉ……お前が操ってたんだろ?あのくたばり損ないの蛙共、ちゃんと埋めもしねえでよ。お陰でこのツラだ』
「死霊の群れに襲われる前から、お前の卑しくふてぶてしい性根は表面に出ていたよ。蛙の所為にしては可哀想だろう、ねえ?」
怒れる大勢のガマ達が、里周辺の蟇蛙の様に鳴き始めた。一斉の合唱が僕の耳を苛む、まるで呪い言。
そうだ、卑しくも死者を利用し駒とした僕の面持ちとて、褒められたものでは無い。
遺恨が有る程に強く術が通ると、身を以て知ったあの時。
どれだけ恨みを買えば頂点に到達出来るのか、考える事すら馬鹿馬鹿しい。
達した瞬間に倒れても構わない生き方を選んできた、後悔は無い。
僕がどれだけの恨みを買おうが、そんな僕を咎める者も居ないのだから、気楽なものだ。
『此処ごと寄越さんかい!帝都守護でそれどころじゃないだろよ!? おれがもっとでかくしてやるぞ?』
「富と名声の為かい?御苦労さん。これは事業では非ず、単なる趣味なのでね」
『葛葉としての悪魔研究の一環ってか?そうだなぁ、昔から御上に気に入られてたもんなぁ、そういう布石が欲しいって事かぁ?』
「葛葉の?まさか。だから僕の趣味だと云っているだろう?……しつこいねあんたも、昔から」
吐きつけられる毒液を外套で防ぎ、隙間から腕をしのばせ狙い撃つ。
彼等はすばしこく跳び交うので、数発は外れ跳弾と化す。
真夜中の山間は遮る物も無く、甲高い音が空に逃げて往く。
仲魔の援助が功を奏し、門から剥がれたガマ達はすぐに一掃出来た。
さて降りて来ない連中を如何するか……意外にも素早い為、無駄弾を作る恐れがある。
しかも、背中が弾をぬるりと弾いてしまう為、顎下を狙う必要があった。
蔦の結界にへばりつく連中は、一様にして此方へ背を向けているのだから厄介だ。
「全員殺せばガマ殿も死ぬのかな?それとも核となる一匹を始末すれば良いのかな?」
『そうは易くいかんぜ、中に潜りこんだちょいとの数でも意志は同じだ。何云ってるか解るかぁ?お前に不利な状況を作って、負けを認めさせるんがおれの目的よ』
「へぇ、明らかに私怨だ。しかし、里の中では嗾ける度胸も無かったと見える」
『一応“葛葉ライドウ様”だもんな?葛葉一門になれんかったおれだと、正式に決闘持ちかける事すら出来やしねぇ、ケッ』
「蔵元なぞ口実に過ぎぬのではないかい、僕を貶めたいだけだろう。その為に悪魔どころか身内まで召喚とは、御立派な事で」
寺院の悪魔達がこの男に寝返るとも思えない。よって、内部を荒らされる心配はない。
しかし蛙とはいえ、人の姿をしていないからこその行動が推測される。
ゴウト童子が現場に居ようとも、平然とやらかしそうだ。
何が頭の隅に引っ掛かるのかというと、要は今の人修羅の事。
『お前もおれが憎ったらしぃんだろう?』
『ぅお、アッブねえなあ。ヒトが喋ってる時に発砲すんじゃねえよ』
『おっと、今は蛙だったなぁ、げろげろげへへっ』
畜生へと変化し、しかも分裂しているときた。当人にその気は無くとも、行動方針は欲望が勝る。
人の形を保たなければそれは顕著だ。人修羅が斑紋や角を厭うのは、無意識に恐れているからであろう。
『どうするライドウ?もう侵入されちゃってるなら、蔦ごとイヌガミに焼いてもらっちゃう?』
しな垂れかかってきたアルラウネ。語調が忙しない、恐らく焦れているのだ。
僕からも絡みつく体で腕を伸ばし、赤毛を撫でつつ耳元に囁き返す。
「氷漬けにすべきだ。淘汰は出来ぬが蔦を焼かずに済む」
『あらん、私のアレンジメント気に入ってくれたの、んふふっ?今はカエルだらけでキモイけど』
「焔では焼け綻んだ結界から残党がなだれ込むだろう。ガマの本体は現在中に居る筈、混ぜこぜにしたくないのだよ」
『ライドウもさっき云ってたけど、全部殺せばいいじゃない』
「徐々に追い詰めると本体は逃走するに違いない。あの男、口は大業だが臆病なのでね」
『ふぅん、じゃあ今回は本気で仕留めるつもりなのね』
「相手の殺意にはお応えするのが信条。それに商売相手としてもアレの相手としても、いずれもガマは粘着質で面倒だ」
『ちょっとヤぁねえ、あんなブ男とヤってたの?あの子が知ったらキレるわよ、ってそういや人修羅ちゃんは何処よ?』
「お前の美観だろう、僕にとってはどうでも良いのさ。それに襲名前の僕は武器も限られていた、小遣いも他人の尻尾も必要だったのでね」
『ねえ、だから人修羅ちゃんは』
ひとしきり睦み合い、無理矢理突き離す。
愛の囁きでなかった事に僅かな落胆を見せたので、餞別にMAGを流してやった。
それに気を好くしたのか、胸と尻をふるりと弾ませ宙に踊る薔薇。
『はぁ、短いチークダンスありがと。それじゃ頑張りましょうかしらね』
唇を舌で舐めずるアルラウネの周囲が瞬間、冷え込む。
ブフ・ラティがそこに放たれる、そう思い身構えた瞬間。
『止マレ!誰カ居ル!』
アルラウネのただでさえ暗い目許を、ぐるりと襟巻の様に遮るイヌガミ。
小さく悲鳴した薔薇は、開花せずに蔦をだらりと垂らした。
焦げ付く臭い、目の前の蛙の壁がもろもろと崩れだす。
次の瞬間、轟々と燃え落ちる門構え。
結界とされた蔦ばかりでなく、囲う木造も色を熱くさせくすぶっている。
「あー、いたーライドウ」
ぽつりと佇んでいたのは、大方の予想通り人修羅だった。
あの焔の質で判る、暖かみの有る橙というよりは、刺す様な色をしているから。
駆けて来る姿はもみくちゃにされた様にも見えるが、ぐずってはおらぬので違うだろう。
下駄も、着物の衿合わせも左右逆。
兵児帯に至っては腹に結び目が来ている、しかも駒結び。
「ねえねえ、どこいってたの、やーくんひとりやだ」
片手に何かを携えている、それも予想通りというべくか。
「その蛙を放し給え」
「あっ、このカエルさんね、ライドウにあげるね」
「大人しくしていろと云った筈だ」
「だって……ゲコゲコすごいからおきたら、カエルさんにかこまれてたの。ゴウトはいっぱいのカエルさんにおしくらまんじゅうされてて、うごけないよ」
脚をむんずと掴み、僕へと差し出す人修羅。
ぶらんぶらんと揺れる蛙……こいつこそが、嫌に大人しい。
じろりと睨めば、まるで僕が蛇になった錯覚を抱く程に、竦み上がっている。
「まちがいさがしなの?やーくんウォーリーをさがせすき!あのね、このカエルまちがいだよ」
「……ああ、その様だね」
即座に人修羅の指から奪い上げ、ゲロゲロ啼く其処へと銃口を突っ込んだ。
地面に叩きつけ、中で発砲する。
汚い飛沫がはじけ飛ぶかもしれないと思い、外套で自身と人修羅を覆ったが……その必要は無かった。
一帯から油臭さが失せ、蓮と湿った泥の香りが甦る。
「あれ、ほかのカエルさんきえちゃった」
「本物を見付けたから偽者は消えた……もとい融合したのだよ」
「ほんものなの?よかったあ。だってカエルさんたち、ぴゅっぴゅってみんなしてとばしてくるから、きものよごさないのたいへんだったの」
周囲のガマ達は、闇に溶け込む様にして消えた。
たった今撃ち抜いた蛙は人の形に成り、地面をのたうちまわっている。
黒のカンカン帽はころころと落ち、向こうへ転がって往った。
「さて如何するかね、ガマの君。もしや人修羅を捕えダシにするつもりだったのかい?御苦労さん」
「……おれの、ナーガラジャは」
「向こうでのびてるよ。全く、蛙のくせに蛇を使役するとは滑稽だね」
立ち上がろうとするガマの間合いから抜け、人修羅をアルラウネに任せようと背後に押しやる。
ガマの胸元から抜かれるは管に非ず、暗器の一種。
彼の家は様々な薬を扱う、ヤタガラスはお得意様の様なものだ。
毒も含んだ上での“薬”であり、あの暗器にはそれが塗り込められている。
「それを喰ろうとて、お前の身体を隅々まで探り、解毒薬を奪う」
「はぁ、ふへへっ……吠え面かくなよぉ紺野」
鍔迫り合い、間近に睨み合う。
刃が離れれば僕が斬り込むであろう、角度を譲れば指をやられるであろう。
腕力はガマが上手なので、足を一歩運ぶにせよ判断が要される。
奴は鍔と噛み合わせた十手の様なそれを、ぐいぐいと力任せに押してくる。
此処に水を差す輩は、僕の仲魔には居ない。
人修羅は馬鹿馬鹿しいと云うが、刀光剣影の空気こそが戦いの真骨頂だろうに。
「同じ事云ってるし。口だけの悪魔とサマナーかい、主従は似るね」
「お前に毒がなぁっかなか効かんのは承知だよ!あぁ……でもアレなら効いたよなぁ……身体ぁ熱くなって、アソコがジンジンする薬」
挑発だろうか、頭が固い割にこういう事は出来るのか。
そうだ、里に居た頃もそうだった。
この男、周囲をものともせずに僕と接触を図るのだ。
暴力かと思えば一方では寵愛、舐めさせられたと思えば次の瞬間には舐められ。
リーもそうだが、こいつも酷く単純。馴れ馴れしく欲望に忠実で……愚かしい。
両者共、最終的には僕に刃を向けているではないか。
何だと云うのだ、お前達は。
「演技だったと云ったら?」
「はは!まじかよぉ。読心でも悪魔にやらせりゃ良かった、な!」
暗器が刀の峰に回り込んで来る、ガマの胴はガラ空きとなった。
しかし力の行き場が宙に放たれたせいで、姿勢が崩れた僕にも隙が生じる。
(読ませるものか)
刀を持つ手の片方で、柄頭を握りぐるりと捻り込む。
刃を上向きに握り替え、眼前に迫るガマの手を狙った。
此方側へ刃を落とし込んだとしても、頭を反らしてしまえば肩を掠めるだけだ。
すると今度は、逆刃にした僕の得物とガマの得物が噛み合った。
この期に及んで遊ぶというのか。殺すのではなかったのか。
早く蹴りを着けたい僕に反し、この男は小手返しの如き動きをしてみせた。
助長させる様なその態度に、神経を爪先で撫で上げられる心地。
「何をしに来たのだ、お前……お遊びはこれで終いなのだろう!? 」
「紺野ォ、お前をぶっ殺して此処を乗っ取る!酒も悪魔もおれのモンにする!そんだけじゃ!」
怒号と共に、ガマの眼が迫る、頭突きだ。
やり返すか、躱すか。確かこいつは石頭――……
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