百合の夢


「この脚のタトゥー、彫ってあるのぉ?」
嫌いなタイプのヤニ臭い息をかわして、覆い被さってくる弛んだ肉を押し退けた。
「どっちだっていーだろ」
「もっと女の子らしい模様彫ればイイじゃないか、こりゃなんだい?」
「説明めんどー」
その臭い息までコッチにうつったら、ぶっ飛ばすぞこのオヤジ。
「蛇?」
「さぁーねー…」
肉ヒダから這い出て、鞄の内ポケットに突っ込んであった煙草をさぐる。
角が潰れた【BLACK DEVIL】を取り出して、安っぽいライターに指を伸ばした。
ラブホの名前が刻印されてる、日常では使えないソレ。
「うわ、それ甘ったるいね!くさっ」
「あっは、オッサンの体臭よか臭くないよ?」
嘲笑と共にココナッツミルクのフレーバーを吐きつけた。
思い切り吸い込めば、肺がトロピカルになる。
こいつも、そろそろ吸い尽くしたろうか?この指の黒い煙草みたく。
こっちからふっかけなくても、金品チラつかせて、纏わりついてくる。
良い感じに仕上がってきた使役豚。
「でねぇ〜その壷がさぁ」
糞ツマラン話を枕言に聞き流してりゃ、この中年は喰える。
貪欲に生きている人間程、精力が強い。
たっぷりと啜れる、金もエネルギーも。
「ほら、コレコレ、見てみなよ〜」
「うっせ、興味無い」
窓の外、高層ビルの星を眺めて噴かす煙草は悪くない。
傍の雑音さえ無きゃ、最高な眺めなんだけどね。
「ほらぁ、最近手に入ったの、真の骨董品だよ!」
丸々とした指が掴むのは、さっきまではアタシの胸で。
たった今は、ずい、と眼の前に差し出された鈍く光る…意味不明な金属。
「何か分かる?」
「しらね」
「COMPじゃない召喚器だよ?百合ちゃんは見た事ある?無いよねぇ〜」
「…召喚器」
にちゃりと自慢気に笑うオッサンは、その金属の先端の輪を掴んで遊ぶ。
「知ってるかな?あの悪名高い葛葉の十四代目が使ってたっていう封魔の管だよぉ?」
その単語、反射的に手が躍る。
ビビったオッサンがベッドから転がり落ちて、アタシを見つめる。
「葛葉…デビルサマナーの、か」
「そ、そそそそうだよぉ、し、知ってたんだ」
「おい、コレくれよ、この管ってやつ」
「ええ!?」
コイツは古物商だ、きっと転売先を考えてたんだろうが、誰がさせるか。
別に、コレをきっかけに探る訳でも無いが、眼の前に来たんだったら、気になる。
「何、嫌なの?根性焼きしちゃうよ?焼き豚って奴?」
「あ、いや見えないトコになら全然OK!」
「うっぜ…」
元々する気もないから、適当に流す、。
ネイルアートの爪先で、その管を転がす。意外と重量感がある。
「葛葉、ね」
思わぬ戦利品も手に入れた事だし、さっさと豚から離れないと、臭いが感染する。
「あぁ、待ってよ百合ちゃあん」
「ぅっぜーな!さっさと帰って愛情手料理食って糞して寝とけ!」
シャワーを浴びる間、絶対浴室には、相手を入れない。
ひと呼吸して、脚の印が戦慄くのを見る。
休憩を挟まないと、この状態を維持出来ないんだから仕方ないだろ。
「あ〜…だる」
あの管が、惹き合わせてくれないだろうか。
「おかーさん…だりぃよ、最近」
ああ、くたばる前に出逢えたなら、葛葉の十四代目。
(悪名高いつったから…恐らく、ライドウで合ってるだろ)
てめーをぶっ殺す。





代々木公園駅〜

代々木公園駅〜

アナウンスを聞き流して、車窓から外を眺める。
曇り空。昨夜の星はどうしたんだ、とか思ったけど、そりゃ錯覚だったわ。
あのプラネタリウムはビルの光だったんだし。
…それにしても、さっきからムカムカしてしょうがない。
(どーして跳ね除けるとか、しねーんだよ)
眼の前の滑稽な劇場に、ヤニ切れにも似た苛立ち。
周囲の見て見ぬフリも、らしいっちゃらしいが、ムカつく。
そりゃ、関わりたいたぁ思わないだろうさな、普通。理解は可能。
(このご時勢、若いのに着物かよ…雅なこって)
携帯を開く、その動作の隙間から窺えば、いよいよ合わせから指が入ろうとしていた。
尻を中心に触られていた子と、一瞬眼が合った。
光の加減?アタシの、これまた錯覚なのか?
金色に、一直線に貫いてきた、アタシの眼を。
(…あ)
次の瞬間には、伏せられてる。
おい、どうしてアタシは体を動かしてる訳?まるで、命令されたみたいに。
「おい、ザケてんじゃねーぞ、テメー…」
その、触り続ける中年…昨夜のと違って、痩せた体躯のオッサンだ。
ビクリとしてアタシを見上げる。まぁなんせ、アタシでっけえからね。
「汚ぇ手、さっさと退けろよ」
畏怖するオッサンは、丁度開いた扉に逃げ込む様に走り出す。
それを追う事は、別にしない。
そこまでヒーロー気取る程、善意も何も無い。気紛れだ、多分…
「おい、アンタもしっかり怒れよな?」
着物の子に、やや上から見下ろして云う。
なんだ、意外とこの子も、女の割にはでかい。
…いや、胸はサッパリみたいだけど。
「す、すいません…助かりました」
「エスカレートすっからよ、あーゆのってよ」
それだけ云って、アタシも降りた。
そうそう、タイミングもぴったり、アタシが用あるのは代々木公園の辺だから。
周囲の視線も痛いから、つかつかと降りた。
しかし、あまり人が居なくて助かった。
あんなのの後、混雑で降りれなかったら、胸糞悪い。
(あの着物、高ぇな)
素人目でも分かる、だって、プリントじゃねえ。
金糸の刺繍。華も、一針一針。
そんな子に手ェ出して、あのオッサンも容赦ねぇな。
降り出しそうな空を見て、少し足早に公園を目指す。



「はぁ!?」
「これで!これで良いでしょ百合ちゃん!?」
古物商、なんだその札束。
そこまで繁盛してる風でもなかったろうが。
「これで一緒に暮らそう!」
「おい、オッサンには一応伴侶っつうモンが居るだろ」
「妻の貯金をね!下ろしたんだよ!」
中年男の、血走った眼に、脳内がカッとなる。
その低い位置にある股間を蹴り上げて、悲鳴に並んで叫び散らした。
「もう会わねぇよ、それ持ち帰って、壷と奥さんの弛んだ胸でも揉んでやれよ」
醜い悲鳴を上げるコイツを食い物にしてんのは、確かにアタシさ。
でも、そこまで喰い散らかそうなんて思わない。
そりゃ…自分の中で、罪の範囲に入る。
(ち、使役すりゃ実は妻子有りとか、マジで勘弁…やっぱ駄目だったわ)
「ぃ、百合ちゃぁあああんんん」
「泣くんじゃねえよ!マジで!うざいんだよっ!」
気付けば脚に縋って、号泣の古物商。
人通りの殆ど無い、フェンスに囲まれた工事現場。
それを認識して、再度蹴り上げた。
「じゃあな、丁度良い機会だから、他の女とも縁切れば?くくっ」
踵を返し、街灯の在る方面へと歩き出せば、頭を小突く雨。
舌打ちして、少し小走りに入り口へと向かえば…
見覚えのある、着物。
その、少年とも見間違える涼しげな項が、少し寒々しい。
「何、してたんです」
「アンタにゃ関係無いよ、それとも、何…」
歩み寄れば、街灯の光がアタシの影を伸ばした。
やっぱり、金色じゃなかった、この子の眼。錯覚か。
「アタシに用?」
何歳位だろうか、同じ位に感じるけど。
ハイソールのローファーで上から見下ろすけど、実は同じ程度の身長か。
「これ、落としましたよ」
揺れた袖から覗く指先に、鈍く光る金属。
ん、と思い、鞄を見れば。確かにファスナーが弛み、暗い空間がぽっかりと開いていた。
「お、わざわざ?悪かったね」
其処目掛けて自分の指を伸ばせば、すい、と引っ込む管。
猫じゃらしで遊ばれる猫の気分になり、カチンときた。
「アタシは猫じゃない」
「この管、何処で手に入れたんですか」
少し苛めてやろうか。
「ソレ、アンタの物だった?」
「…いえ、俺の、では無いですけど」
へぇ、その風体で俺、かぁ。
意外な一人称と、惑う様でいて攻撃的な視線に、興味がそそられる。
「ソレさぁ、戦利品」
毛先の撥ねたセミロングを肩から払い除け、笑ってやる。
「どういう意味ですか」
「さぁ?さっきのオッサンとアタシのやり取り見てたんなら、察してみれば?」
「…ああいう人から、巻き上げてるんですか」
「フェアトレードってやつっしょ?しっかりアタシは身体で払ってる」
それを云えば、一瞬で空気が変わる。
着物を翻して、アタシに掴みかかってきた。
「これの持ち主と、寝たのか」
「さ〜ね」
「真面目に答えて下さい…!」
(あ)
やっぱ、ホラ、一瞬金色になった。
綺麗な眼。
「正直忘れた、アタシ、使役中の奴多いからさ」
適当に云い放ち、ブレザーを掴む指を上から掴んだ。
「葛葉って姓はいなかったけどね」
誘導尋問。その姓を出せば、一瞬ビクリと指先が震えた。
この子、葛葉の関係者だろうか。着てるのだって、上質な着物…
まぁ、無い話じゃない、かな。
「ぁ?」
旋毛に、更に冷たい感触。
ふと見上げれば、街灯が照らす範囲に、白い線。本降りだったのか。
舌打ちして、樹の茂る所を視線で探す。
「こちとら傘なんて携帯してねっつの」
思い起こせば、携帯のテロップに傘マークが流れていた…気もする。
掴んだ指をそのまま握り締めて、駆け出す。
「ちょ、っと!」
「濡らしても良いのかよ、その着物」
木陰に引きずり込めば、一気に強さを増す雨粒。
地面が色を一瞬で濃くして、葉の叩かれる音が煩い。
「…チッ、タクシーにしろ、こりゃ濡れるな」
呟いて、携帯を取り出せばもう20時だった。
チラリと横目に着物を見る。
「アンタ、その管返して欲しいの?」
「…別に、出処だけ、気になったから」
「もう暗いけど?そんな格好でどうすんよ?着物は濡れると重いよ?」
裾を少したくし上げ、跳ね返る水を除けるソイツ。
赤い鼻緒が見えて、どうしたもんだか扇情的だ。
「適当に、歩きます」
「電車は?」
「さっき乗ったのでもう…お金、無くなったんで」
は?ホームレスかよ?いっそその着物でも売ったらどうなんだ?
「…これ、もう良いです」
再度突き出された管は、少し濡れていた。
「電車では、ありがとう」
礼なのに愛想笑いも出来ないのか、この子。
そのまま踵を返す袖を、ぐい、と掴んで…アタシは勝手に喋っていた。
「ちょっと、ウチ上がってけば?」




都内だから、ワンルームでもまあまあそれなり。
そんな所に住んどいて、家族らしき姿が見えない事を疑問に思っているかもしれない。
ローファーを足先で脱ぎ棄て、廊下に散らかった箱やらビニールを蹴り掃ける。
なかなか上がってこない背後を振り返れば、怪訝な表情。
「何、潔癖?」
「ろ、廊下が埋まってる…」
「これでも開通出来てる方なんだけどね」
じっとり濡れた着物を玄関外で絞って、かつんかつんと下駄の音が後に続く。
湿った木はぼやけた音で、爽快感のカケラも無い。
「お邪魔します」
「ん、先シャワーでも浴びれば?着替えは適当に見繕っとく」
アタシの妙な世話焼きに、更に眉を顰める。
余程人見知りか、それとも不信感を抱き易いのか。
(ま、電車でフツーにあんな目に遭ってりゃ、人間不信にもなるか)
「…あの」
「ほら、その右の扉。大丈夫だっつ〜の、水周りは綺麗にしてるから!」
云いながら鞄をソファベッドに放った。
型の崩れた、教科書の入ってないそれは自立しない。
ゆるゆるとソファベッドから落ちていったが、フローリングにべしゃりとなっても無視った。
しばらくしてシャワーの音が壁越しに聴こえ始めると、クローゼットを確認する。
私服なんて、特に必要無いから少し困った。
(着れないこたぁねーだろ、アタシよか胸も貧相だったし)
そのセットアップを手にして、脱衣所に侵入する。
脱衣籠の縁を見れば、控えめな色の下着。
やけに面積が少ないのに爆笑する程、アタシは下世話だと騒ぐ性質じゃない。
磨りガラスの向こう、薄っすらとした人影に声をかけた。
「着替え置いとくから、勝手に着て」
水音が止み、簡潔な返答。
「ありがとうございます」
それだけ聞いて、さっさと廊下に戻り扉を閉めた。
向こう側に見える窓からは、チラチラ揺らぐ光の粒。
まだ止みそうに無い雨を見て、舌打ちしつつブレザーを脱ぎ捨てる。
ソファベッドの背凭れに、次々と脱いだ制服を引っ掛けて、ブラとパンツだけになれば身軽だった。
(どーしたもんだか)
捨て猫でも拾った気分だ。いや、拾った事は無いけど。
ノートPCを開く気にもなれないので、フローリングに転がる鞄から煙草を取り出す。
唇にフィルター側を挟む瞬間、扉の音がした。
「あの!これ以外無かったんですか!?」
その慌てくさった声に、少し気分が良くなった。
「ぉうよ、だってアタシ此処じゃ服着ねーし、それしか必要ないんだもん」
「っふ、服!せめて何か羽織って下さい!」
「ぴーぴー煩ぇな……はいはい」
あまりに気が動転している様を見て、鼻で笑ってしまった。
クローゼットから薄いカーディガンを取り出し、肩に引っ掛ける。
それだって校章の入った、プレッピー感半端ないブツだ。
そう、結局は制服か下着しか無いって事。
「似合ってんじゃん」
振り向いて声をかければ、部屋の隅にある姿見を見て呆然としてるソイツ。
「…こんなの……っくそ…」
何をそんな辟易すんだ?
「可愛いだろ〜?この辺じゃブランドだよ?その制服」
「着物乾いたら、すぐ着替えます…!」
「そーいや、下着は濡れてなかったん?良けりゃ貸すけど」
クローゼットの下方にあるボックスから、ポイポイ取り出して投げつける。
極彩色からレオパードまで、派手なのばっかりわざと選出。
「あの、もうちょっと普通なのは?」
「気に喰わねぇ?全部しっかりTなんだけど」
ニヤニヤと笑って云えば、頬がみるみる赤く染まる。
「…結構です」
真っ白いシャツに、ギャバ地のハイウエストスカート。色は清楚にグレー。
ダーツの入りが独特で、本当に綺麗なウエストラインが出る、お気に入り。
まあ、アタシみたいに他でケバくしてりゃ相殺されるって話だが。
「火」
「あ?」
「煙草、火…点けないんですか」
突然何かと思ったが、そういえば指に携えていたっけ。
しかし、またまた困ったかもしれない。
ライターなんか普段必要としないので、常備していない。
まさかコンロで着火する訳にもいかないか。
「あ〜…やっぱいいわ、吸う気失せた」
「そうして下さい、濡れ髪って臭い吸いますから」
「おま、結構慇懃無礼っしょ」
嫌いじゃない。
どうして電車の中でそれを発揮しなかった?
あれか、痴漢されている自分が赦せないって、そういう感覚か。
「それにその煙草、酷く臭いし」
ぼそりと呟くソイツを見て、何か引っ掛かった。
何だ、ダチが同じのを吸っているんだろうか。
だってコレ、なかなか販売店が無くて、在庫切れ=ヤニ切れって位だ。
「雨宿りに、好きに寛いでくれていーよ」
黙りこくるので、追撃する。
「帰りたくないんでしょ?」
濡れた艶やかな髪が揺れたのを確認する。その妙な撥ねた癖っ毛が独特だ。
「なぁ?どうよ家出少女A」
「っち…違います」
「じゃ何だよ」
「俺は……」
片手にしていたままの煙草を箱に戻し、どかりと腰を下ろすソファベッド。
ずれたブラの肩紐を戻していると、声がようやく続いた。
「…功刀」
「そりゃ名前っしょ。何者かを聞いてんだけどさ」
唇を噤むその姿に、なんだかどうでも良くなった。
アタシは軽く笑って、鞄から管を取り出しつつ云う。
「良いよ、無理にクチ割らしてまで聞きたい何かが有る訳じゃないから」
「じゃあ、俺から聞いても良いですか」
出た!この容赦の無い反応が可笑しくて、実はアタシ、ツボってる。
功刀は小さな棚の上に視線を流すと、更に硬い表情になった。
「宗教やってます?」
偏見の眼差し、そりゃ警戒するだろうな。
「安心しな、ガイアでもメシアでもねーし」
背凭れを倒し、其処へ背中を一緒に倒す。
ベッドにしたその上で、雨粒の夜光に光るソレを見つめた。
「これ、魔晶ですよね」
「ん」
「普通飾らないから、何か奉ってるのかと思いました」
「それな、アタシのおかーさん」
アタシの返しに、功刀はぽかんと口を開けて魔晶を再度見つめ直す。
突っ込まれる前に、笑って釘を刺す。
「…の、形見」
雨の匂いのしたままの、濡れた自分の髪を額から掃った。
天井に、窓を流れる水滴の影がプラネタリウムを描いてる。
故郷の夜空は、リアルな星空が見れる程、澄んでいたのだろうか。
「俺も片親でした」
功刀の呟きに、特に相槌もしなかった。
「シャワー浴びないんですか」
「もうたりーわ…このまま寝る、オヤスミ」
告げて、端の方に身体を転がしてスペースを空ける。
少しして、背中の方に気配を感じた。
疲れてたのか、すぐに微かな寝息が聞こえてくる。
本当に微かな、ともすれば死んでるみたいな。
(なんかこの子、人の気配を感じない)
折角招いたのに、結局妙な人間だった訳で。
結局、人のなれ合いを感じない添い寝だった。



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