四十八願顔掛け
「所属、名称を述べよ」
──超國家機関ヤタガラス、〇の四十八……
「ああ、やはり四十八願(よいなら)君? 随分としみったれた仕事に就いているね、御父上に願いあげては如何? この様な調査の真似事、君には向いてないと思うが。さて本題に入ろう、何故僕を尾行していた?」
──葛葉ライドウ……十四代目の素行を報告せよと命を受け……
「機関が欲するは成果のみと、そう解釈していたが。何処の一派に其れを命じられた?」
──…………
「答え給え」
突然、視界が開けた。いや、目が覚めたのか。
ぼたぼた音がする、目の前は草むらだ、落ちた水滴が光を反射して輝いた。
何の光だ、見上げようとしたが、首がこれ以上持ち上がらない。
『ねえライドウ、あと三十分程度が限界じゃない? 人間の血って、ずっと偏っていると身体オカシクなって、腐るんでしょ?』
「そうだね、お前の蔦も綻んでしまう、長丁場にする気は無い」
『んもう、ライドウったら優しぃ……ンフフ』
足下だけが見える……アルラウネの桃色の脚が、黒いスラックスに絡んでいた。
湿った土のにおいに雑じって、薔薇の芳香がする。夕刻の薄闇に、時折蛍の様にMAGが舞った。ああ、この光だったのか。
「では四十八願君、ひとまず肯定か否定で答え給え。君は僕に、恨みでも有るのかね?」
「……恨みは、無い」
「今回尾行した結果報告の後、僕を始末せよと命じられたならば、君はそうした?」
「始末……始末なんて……ヤタガラスならば、まず退任のち帰還を命じられる、始末される筈が無い」
「ヤタガラス〝ならば〟かい。成程、つまり本件に機関は無関係、そうだろう?」
始末への意思を否定したく、つい余計な憶測を述べてしまった。
無言で奥歯を噛んでいると、十四代目の膝頭が額に擦れた。自分はアルラウネの蔦で、恐らく樹木の枝を支点に吊られている。後ろ手に括られ、脚も脛をぎゅうぎゅうと巻かれていた。軽く身じろげば、さながらオキクムシの如し。
「外部の人間に命じられた?」
私の額から、ゆっくりと頬骨をなぞるように、黒い布地が移動する。結構低い位置で吊られているなと、ぼんやり思った。
「答えよ」
「んっ、ぐ……ゥ」
顎下から喉元に食い込んでくる、十四代目の膝頭。重心の関係で、身体じゅうの蔦が肉を締め上げた。
「そ、ぞごう、素行報告……だげ、それだ、げ」
「誰に」
「っ、げほっ、げほぉッ」
「アルラウネ、目の位置まで上げ給え」
その号令の直後、身体がゆらゆら前後し、気付けば目の前に十四代目の顔が有った。
彼の眼をまともに見てはまずい、そう思い視線は脇へと投げていたが……突如与えられた感触に、たまらず其方を見た。
「別にね、僕は手引きした人間を殺そうだとか、そんな野蛮な事は思っちゃいないさ……フフ」
棘蔦が絞めるこの首を、湿った軟体が這いずりあがるような感触。ぞわぞわと粟立ち、そしてどくどくと血が騒いだ。
挙句に耳をれろりと舐められ、彼の息遣いが鼓膜を直接嬲ってくる、おぞましく、堪らない。
「だから正直に申せと云うのだよ、君、何故僕の邪魔をした?」
「私は一個人として、君を恨んでなどいないっ」
「ほら、やはり君の単独行為だった様だ」
十四代目の唇が、耳元から去っていく……と、入れ替わる様にして、今度は口に異様な感触が。
「もがッ」
酷く硬質で、歯に染みる様な味がした。銃だ、銃身を突っ込まれている。
「僕はね、少しばかり立腹しているのだよ。君の尾行には気付いていたが、僕の同行者は強かなのでね、まあ良いだろうと黙認していた。しかし親子揃って何かと踏み込んでくるので、接点の有無だけは確認しておきたかったのさ」
「ほ、ほがっ」
引き鉄に指をやんわりとかけ、愉しそうに口角を上げる十四代目……その指付きがまるで、何かを愛撫する様に見えて。死の恐怖も余所に、私は凝視していた。すると怯えの無い私に飽きたのか、十四代目はおもむろに銃を引き抜いた。
「で、御父上には報告しているのかね、僕の素行とやら」
「はぁ、はぁ、はぁ、し、ていない……父、父が何を、君に……踏み込むとは」
「君の御父上はね、時折此方に来ては僕を宿に呼び〝御戯れ〟になるのだけれど」
「どういう事だ、そんな事は知らん……どういうっ」
「おいおい、僕が訊かれる側になっては困るよ。それに……てっきり御存知かと思っていたのにねえ?」
父の件が気になり、まじまじと十四代目を見つめた。痛い筈の躰が、重力から解放される錯覚に包まれた。そう、錯覚だ……吊るされている此の状況も、私の妄想かもしれない。酷く密接で、淫靡な……誰にも邪魔されない、彼との距離感。
「ま、似た者親子という事だろうさ」
天地が逆転した後、鈍い痛みが全身を廻った。どうやら地面に落とされたらしい、いつアルラウネに号令が出されたのかも把握出来ていない。湿った草の上で咳き込んでいると、ごろりと仰向けに蹴り転がされ、続いて股座に衝撃が。
「ぅ、ううう~ッ」
「各々が個人の欲だけで、僕に付き纏っているという事だ。機関の一員という肩書を云い訳にね」
ぎゅっ、ぎゅっ、と摩擦音が、意識を煽る。私の脹らんだ雄を、布越しに革靴が捏ね繰り回す。固いゴムのソールが、ごり、ごり、ごりと……扱き上げていく。
「はぁっ、十四代目、やはり淫売だったのか……?」
「では止める?」
「……なにを……」
「此れ」
グッと圧をかけられ、流石に心臓が飛び上がる。じんわりと脂汗が額に……そして、雄の先端にも滲むものがあった。
「そもそも僕に、どの様な幻想を抱いていたのかね。しばらく修練を共にした君ならば、今更な姿に映ると思って居たが」
「……狐と……よく、聞いていた、だけで」
「コン、コン、コンッ」
「ぅぎぃぃッ!」
一瞬体重をかけられ、悲鳴を上げた。爆ぜる寸前の睾丸の音でも聴いたか、十四代目は鳴きながら重心を戻すと、けらけらと哂っていた。
『ライドウちょっと、お漏らしさせないで頂戴よ、ワタシの蔦が汚れちゃう!』
「いくらでも生やせるだろう」
『そういう問題じゃ、な・い・の。好きでもない男に汚される惨めさを解かってないでしょ? もしそうなったら、た~っぷり吸わせて貰うから、覚悟しといて?』
視界の端で胸揺らすアルラウネが、十四代目の背に抱き着いた。じゃれる仕草を適当にあしらいつつ、十四代目は私への視線を外さない。主な理由は警戒だろう、頭では理解しつつも私は何処か溺れていた。
「四十八願君、君は僕を恨んではいないと述べたが、恐らく勝手な情念を向けてはいたね、その結果の尾行だろう?」
「そのつもりは……あ、あぐ……」
「怒らないので、正直に」
違う……これは〝云えば最後まで続けてやるぞ〟という脅しだ。
靴底で圧迫されたかと思えば、甲がすべり台のように幹を滑走し、腫れあがった袋を持ち上げるようにして爪先が蹴る。
子供の蹴鞠を思わせる気軽さで片手間に甚振りつつ、十四代目は尋問を続けた。
これは懺悔せよという啓示なのかもしれない。決して終わらせて欲しい訳では無く、妄執を断ち切る機会が与えられているのだと、自分に云い聞かせた。
「さ、いしょは……最初は、何も意識しなかった」
そう、帝都に来たのは別件だ。父の御使い、ただそれだけ。
幾つかの商社に寄り、役人に逢って……書類を渡し、簡単な談話をして解散。
私自身はひとつも内容を知らず、本当に運搬するだけの役目で。それでもわざわざ私を指名するのだ、親族が一番信用できると踏んだ父の方針だろう。
何を訝しむ事も無く、用事は済んだ為に帰路に就いた。と、遠くに頭ひとつ分高く揺れる学帽が見えた。随分背の高い学生の居るものだなあと思ったが、実はそのような上背の男を知っていたので、確認の為に足を速めた。
接近し過ぎず窺う自分は、恐らく顔を合わせたくなかったのだ。街灯の下、何かと待ち合わせでもする一都民を装い、黒い影を視線で追った。曲がり角、彼を横から眺める形になり、正体が判明した。
推測の通り、葛葉ライドウの十四代目だった。真正面から見れば忘れられないであろう、白く美しい面立ち。そんな私も忘れられぬ一人であり、あの後ろ姿だけで勘付いてしまった訳だ。
此の帝都では〈葛葉ライドウ〉として活躍している彼の、昔の姿を知っている。知っていると云っても、実は殆ど関わった事が無い。同世代として修練を受けた、同期でしかない。
しかも彼は出自不明であの容姿の為、散々苛められていた。渦中に飛び込む勇気も無い私は、それを諫める事もせず。むしろ関わっては火の粉が飛んでくると思い、遠巻きに眺めていた。彼は……紺野は、狐憑きとも噂されていた。それを理由に忌む者も居たが、私としては〝本当に狐だろうか〟と、そればかり気になってしまい、この点に関しては好奇心が疼いていた。
しかし〝狐でもなければ、憑いてもいない〟というのが、私の結論だった。
齢十四くらいだったか……とある晩、川に涼みに行こうと思い立ち、夕刻に屋敷を出た。蛍も居るだろう時期で、私はそれを楽しみに軽装で畦道を向かった。その道中、複数の同期とすれ違った。どこか足早な彼等に〝あっちに蛍は居たか〟と問えば〝目に痛いくらい居たな、今から行ったらどうか分からんけど〟と先頭が答え、連なる連中が含み笑いをした。狩ってしまったのかと彼等の手元を見たが、籠の類は持っていない。単なる意地悪を云ったのかと思い、その場は気にせずに別れた。
青々とした木々が、夏らしい湿った匂いを撒き散らす暗がり。驚かさぬ様に、草むらを鳴かさぬ様に、ゆっくり大きく、一歩一歩踏み入った。せせらぎの音が近くなってきたな、と思った矢先、綿毛の様にふわりと光が躍り出た。
蛍だ。もっと水辺に往けば良いのに、と笑って後を追う。すると水音とは違う方面に、ふわふわと漂う光が目に入り、なにか妙だと思い其処を目指した。背の高い雑草たちを掻き分け、やや開けた野原に出た。群生する花が雑草を追いやり、天には繁る木々の屋根も無い。怒涛の星空の下……人が倒れている。
「お、おい、大丈夫?」
慌てて駆け寄ったが、数歩手前で足が止まった。仰向けに倒れていたのは、紺野だった。
気配が無い……気を失っているのだろうか、おそるおそる接近したが、此方に向けられるものは一切無い。
星明かりに晒される、彼の肢体。着物は乱れ、帯は少し遠くに打ち捨てられていた……下穿きもだ。もしやと思い、少し屈んでその下肢を覗き込んだ。乾いた血痕、其れを上塗りするかの様な白い粘液がべったりと、そこらを汚していた。
「うっ」
思わず上がった声を、奥に押し戻す。此処で察しはついた、恐らくさっきの連中だろう、普段から紺野を甚振っていた面子だ。それにしたって、まさかここまでするとは思いたくなかった。彼は輪姦されたのだ……そういう単語がはっきりと浮かんできた頃、虫の声を遮り、あたりは私の心音だけになった。
薄闇に白く浮かび上がる彼は、まるで死体の様で。花の褥が、感情の無い相貌を尚美しく引き立てていた。弱った躰からはMAGが淡く滲み、それを視た蛍が勘違いして訪れる。しかし何かが違うと、すぐに気付いて離れて往く……
微かな息遣いは有るものの、深い睡りに陥っている彼。ドルミナーをかけられたのだろうか、それは犯される前なのか、後なのか……不埒な妄想が、目の前の彼を汚す。
いつの間にか、彼を見下ろす位置に立ち、私は下穿きの隙間から己の一物を引っ張り出していた。早く、早くしなければ起きるかもしれない。早く扱かなければ、早く終わらせなければ。
その焦りさえも杞憂だった、あっという間に吐き出した己に呆れる。数名の残滓に紛れ込ませる様に、しかし未だまっさらな彼の顔めがけ誇示するかの様に浴びせた。夜風がたちまち乾かすだろうと思いはせども、現在ゆっくりと肌を伝う白は紛れもなく私を意識させ、罪悪感に火を点けた。
一物を仕舞い、後ろも振り返らずに駆け出した。蛍を、夏草を、静寂を掻き割いて走り抜け、屋敷まで戻ると一直線に布団に潜り込んだ。怖かった、己の行為が。
私は結局、彼を助けもせずに性の捌け口にしてしまったのだ。翌日、紺野を探す事はしなかった。彼の存在を認識するのも憚られ、気もそぞろに修練を終えた私は、しばらく独りになろうと尽力した。元々誰かとつるむ事もしなかった為それは容易で、屋敷の自室に籠もれば暇潰しの道具なども沢山あった。しかし私は、嗜好品や本では打ち消せぬ程、強い妄想に取り憑かれていた。眼を瞑れば、彼が浮かび上がるのだ。薄暗闇にぼんやりと、月の様な仄白さを湛えて。
打ち消そうと布団にもぐれば、夢にまで現れた。飼っていた狐が人型に変化し、私に跨る妄想だ。尾が九つ有ったり無かったり、胸がたわわな女体だったり、形はその都度違ったが、顔だけは間違いなく紺野だった。
目覚めて真っ先に、先走った雄を扱く。その空虚な時間の中、私は常に念じていた。彼は狐ではない、狐憑きでも無い。只の不幸な人間だ、周囲に汚され、私にも汚されてしまった、哀れな人間の少年なのだと。罪の意識に身を投じれば、身体の熱はようやく醒めた。この瞑想を繰り返すうち、次第と彼への偏執的な意識は形を潜めていった。
断ち切れていた、筈だった──……