イミテーション
クリスマス

 殴り飛ばしたフロストが観客席の方まで吹っ飛んだ、これで何度目か。その小柄さからはイメージ出来ない妙なしぶとさに、俺は辟易していた。またヒホヒホ鳴きながら起き上がって来るのだろうか、弱い者イジメの様で胸糞悪いが、かといって手加減してやるつもりも無い。相手も悪魔だ、人間の骨くらい平気で砕いてくる。
『おーっと、流石にもうダウンか!? ジャックフロスト敗退~!!』
 パイプ柵に寄り掛かったままのフロストが、救護班に運ばれて行く。沸き立つ観客達がミラーボールの灯を浴びて蠢き、様々な気配や臭いが蠢く、まるで虹色のヘドロだ。
『おめでとうございます、賞金の千マッカです。さて葛葉さん、悪魔は交代させますか』
「そのままで」
『ほほ~! あの一体で勝ち抜くという事ですか』
「残り一戦の余力くらい残してあるだろう、ねえ功刀君?」
 司会席であるDJブースの会話をマイクが拾う、いや拾ってくれなくても分かっていた。あの男の事だ、俺に無理をさせようがお構いなし、いいや寧ろ愉しんでるに決まってる。
 俺はライドウをスルーして、右の拳を確認する。凍傷に打撃を重ねた結果、治癒が遅れていた。会場の関係で〝肉弾戦のみ〟と限定されていたが……もしかして相手のサマナー、これが狙いじゃないのか。やたら打たれ強いフロストをひたすら叩かせて、反動ダメージを蓄積させるという。
『対する悪魔は……セイリュウだ!』
 俺の意向を酌む筈もなく、試合進行のアナウンスが客席を煽った。
 空中をゆらり泳ぐ龍、蒼い鱗は光を反射して眩い。此処が昼間の水底の様に一瞬錯覚する、凄まじく煩い水中だが。
 それにしても最悪、よりによって鱗に覆われた悪魔とは。殴れば酷く抉られる、かといって足で捌き切れるか不安だ。こんな事ならさっきのフロストを蹴り飛ばしておけば良かった。胴を狙われ、思わず腕で処理してしまっていた。
『インターバルの三分が経過しました、試合開始です!』


 観客たちが掃けた頃、ようやく地上への階段を上がった。
「どうしてクリスマスに、俺は地下ディスコで殴り合いしなきゃいけないんだ」
「それは君、この〝武闘会〟がクリスマス記念大会だからさ」
「普通あっちの〝舞踏会〟だろ……いや、それも参加したくないけど」
 とりあえずの応急処置として、モー・ショボーにディアラマをかけられた。しかし拳の表面は荒れ過ぎたせいか、一瞬では均されない。こんな手を晒して歩く訳にもいかず、行儀悪くもモッズコートのポケットに突っ込んだ。
「しかも人の事を〝一体〟とかカウントしやがって、あの司会」
「そう数えられ憤慨する悪魔は殆どおらぬよ」
「俺は悪魔になった覚えは無い」
「何を今更……ククッ」
 ライドウは哂いつつ、景品を外套内に仕舞った。金色のセロハン袋を真っ赤なリボンで括った、いかにもクリスマスプレゼントといった風情のブツだ。それは全五回勝ち抜いた結果、つまり俺の苦労の証。
「中身、確認したのか」
「未だ、悪魔を召喚出来るアイテムと聞いている」
「はあ? そんな呪われたモノを景品に?」
「サマナーにとっては、利の有る逸品さ」
「なあ、本当にさっきの会場、一般人は居なかったんだろうな? 人間連中も……その、俺の事を余所で云いふらしたりは」
「それこそ今更さ功刀君、君が勝手に擬態解除してうろついた時間の方が長いだろう」
「だ、大体は不可抗力で……今回みたいな、あんたの我儘のせいじゃない」
 実のところ、反論も出来なかった。自分で云った通り、不可抗力である場合が多い。でも……ライドウが云う通り、俺単独で居る時の方が、あの姿を晒している気がする。そう思い始めると寒気がして、左手で項を撫でる……何も無い、ちゃんと引っ込んでいる様で安堵した。
「そんなに不安ならば、目出し帽にマフラーでも巻いていたら如何」
「ふざけるな、逆に目立つ」
「僕の贈ったアクセサリーでも着ければ良いのに……フフ」
「もう絶対着けないからな、必要無い」
 強制的に魔脈を刺激し、擬態を保つ補助器具の事だ。そう、臍と乳首に孔開けられた、あのピアス。そういうの好きな奴は勝手に愉しめば良いんだ、所詮ファッションだろう。俺は好きじゃなかった、なのにどうして填めるハメになった。
「趣味の悪いプレゼントだ」
「では君にとって趣味の良いプレゼントとは、何」
「え……」
 考えながら、人混みの隙間を縫う。十六時なのにもう薄昏い、冬の太陽は短時間労働だ。
「ああ、云っておくが〝人間の自身〟などという不鮮明な概念は持ち出さないでおくれよ」
「安心しろ、いま頭を過ぎったとしても、あんたには伝えない」
 絶対馬鹿にされる、普段もそんなあしらいを受けているのだから。そして自分でも分かっている、七夕に願おうが、クリスマスにサンタに頼もうが、人間の俺が贈呈される事など無いと。
「欲しい物なんて特に無い」
 ある種ありきたりな返答をして、ただただ帰路を急いだ。ディスコの地下闘技場に参加という野蛮な用事、今日はこれで十分だろう。まだ右手がじんわり痛いのだから、さっさと家で寝かせてくれ。
「何歳までサンタクロースにプレゼントを貰えるのかね」
「各家庭によるんじゃないのか、それ小さい子供の前で云うなよ」
「君は何歳まで貰ってたの」
「……もうサンタ居ない事は知ってたけど、ついこないだまで貰ってた」
「母親と、毎年クリスマスパーティーを?」
「毎年って……いう程じゃないぞ、あの人だって仕事が忙しい、出張とかあって……偶に海外からメールくれた、それが時差で妙なタイミングに来るから──」
 はっとして、其処で止めた。何を話しているんだ俺は、もう居ない人の事を、しかもこんな相手に。
 そもそも何が興味深いんだか。ライドウは俺に問いかけるたび、どこか可笑しそうに口角を上げた。
「では功刀君、今回のクリスマスは僕と遊んでよ」
「…………はあ?」
 遊ぶって何だよ、さっきの使役もあんたにとっちゃ遊びのひとつだろうが。
 うねる列に連なりライドウと並ぶ、お決まりの音と共に電車が駆け込んで来て、大気が少し乱れる。
 狭い箱に入ればぎゅうぎゅうと、時間帯を意識せざるを得ない圧迫感。これだから電車は嫌いだ、しかしバイク駐車場の無い出先に対しては、公共機関を使う他無い。それに万が一……俺が運転出来ない状態に陥れば、暫く放置する事になってしまう。ライドウと共に出掛ける際は、そういった不安が付き纏う。
「ねえ、先刻の返事は?」
 話は続いていたのか、ライドウが上から問いかけて来る。
「今回のクリスマスって、残り何時間だよ。遊び始めるにしたって、もう遅いだろ」
「君とて帰宅したところで、不貞寝をするだけだろう」
「なんだよ不貞寝って」
「今宵の私用なぞ無いくせに、僕からの誘いを回避する巧い言葉も見付からぬときた、憐れだね」
 嘲弄めいた物云いに、こちらも負けじと侮蔑の相槌を打とうとした。途端、軽い急ブレーキが人間達の距離感を縮める。
「いっ」
 思わず声が漏れた。痛いと思ったらどうりで、女性のピンヒールが俺のスニーカー甲を貫かんばかりに踏みしめていた。女性はすぐに足だけ退けてくれたが、体勢をなかなか戻せずにいる。さっきまで居た隙間が埋まってしまった所為だろう、ライドウの胸に肩を預ける状態だ。
「す、すいませんっ、足……」
「いえ……」
 女性はそのままの体勢で、まずはこちらに謝罪をしてきた。俺は気の利いた応答も出来ず、似た様なテンションで返すに終わる。
 続けて傍らのライドウに視線が移る、ぱちぱちと重そうなマスカラ睫毛で見上げて。着膨れしてはいるものの華奢そうな肩が震えていた、緊張しているのだろうか。
「本当にすいません……私、どう動いたら良いでしょうか?」
「余所に収まる場所も無いでしょう、そのままで結構ですよ、貴女が不快でなければね」
「い、いいえいいえ不快だなんて!」
「素敵な靴ですね、Christian Louboutin ですか」
「わあ、よく分かりますねぇ!」
 それは何だと女性の靴を見下ろせば、ミートハンマーの凹凸みたいなスパイクが至る所に施されたヒールパンプスだった。よく分かるも何も、こんな凶器的なデザインのブランド、知っていれば一発で判るだろ。聖夜だからって電車に履いてくるな、危険過ぎる。
 やがて駅で停車すると同時に、ゆっくりと解される人垣。女性がようやく離れる、どうやら此処で降りるらしい。去り際に会釈をしていった、明らかにライドウに対してだ。
「彼氏に会う前に、別の野郎の匂い着けて大丈夫なのか」
 何処かむしゃくしゃして呟けば、少し余裕の出来た空間でライドウが背伸びした。きらりと何か反射したその胸元、よく見れば茶髪の一糸が黒い制服にひっついていた。誰の髪かは見当がついたので、俺は一瞬でそれを摘まんで捨てた。
「恋人との逢瀬に行くなど一言も云わなかったがね、君の勝手な憶測さ」
「……さっきの返事」
「何」
「あんたの気紛れは意味不明だけど、遊んでやる」
「遊んでやるとは心外だね、僕が遊んでやるというのだよ」
 再び動き出す電車に連動するかの様に、ライドウのテンションが上がっていくのが判る。
 一方の俺は、何故こんな返事をしてしまったのか、車輪音の様な歯軋りをしていた。
 
 
 俺の家に一度戻り、改めて着替えをした。治り切らない右手を隠そうと、大して寒さも感じないのに手袋を引っ張り出した。バイクグローブ以外の手袋なんて久々で、少し捜した。ハンカチや下着を収納してある抽斗の、奥の方に畳んであった。薄手のハイゲージニット……ともすれば軍手の様だが、素手の感覚に近いところが気に入っている。
 インナーだけ着替えて、同じモッズコートを羽織る。もはや視力矯正の必要も無いが〝日常的〟に過ごす為、敢えて眼鏡をかけた。意識矯正にはなる、という事か。
「ところであんた、遊びに行く時って装備はどうしてるんだ」
「先刻はそれなりに携帯していたさ、刃物二振りと管五本、銃一丁」
 外套の隙間からホルスターベルトは見えなかった、一体どこに身に着けていたんだ? あの女性なんかより、この男の方がよほど着痩せしているのかもしれない……それこそ凶器とバレない様に。
「剥き出しにしてなけりゃどうだって良いけど、その時代錯誤な恰好なんとかならないのか」
「では君の服を貸してくれ給え、少し窮屈そうだが」
 いちいち逆撫でされているにも関わらず、こうして服を貸し与えている俺はかなり寛容だと思いたい。
 手持ちの中ではややゆったりめで伸縮性も有る、ハイネックのニットを差し出す。
「腕周りと胸元がきついね」
 ライドウの予測通り、どこかぴちっとしていた事実に少なからず落胆した。こいつが太っているんじゃない、筋肉量の違いだ。俺の出す力は、人間としての筋肉を要さないところがあるので……こういう時、ヒトとしての元々のスペック差を感じ、嫌になる。
「裾が少々足りない」
 続けて出したカーゴパンツにも文句を云われ、いい加減苛々してきた。
「あんたの脚をカットしろよ」
「君こそしてみたら如何かね、再生時に少しはお情けで伸びているかもしれぬ」
 出掛ける前にテンションを下げるな、こいつ本当にデビルサマナーか?
 いいや、俺は悪魔じゃないから仕方ない、人間の扱いは雑だもんなこの男。
「では先に服を調達に行こう」
「はぁ!? そこからなのか?」
 調達というのは本気だったらしく、帽子も外套も無しで表に出たライドウ。カーゴパンツのポケットに武器をしまったのか、それとも不携帯か? その見慣れぬ軽装に、何故か俺が落ち着かない。
『おいライドウ、お前そんな恰好で平気なのか』
 リビングのソファで寝ていたゴウトが、いつの間にか玄関先に来ている。
「平気に御座いますよ、遊びに出るだけですから」
『遊びだと』
「ええ、人修羅と」
 アプローチから悠々と答えるライドウに反し、ゴウトは顔をくしゃっとさせる、そして俺をじっと横目に見た。
『…………おい、大丈夫なのか』
 120%同情めいたその声音、きっと奴の云う〝遊び〟にネガティブな想像しか持てないのだろう。気持ちは分かるので、俺はスニーカーの紐を締め直し「あと数時間でクリスマス終わりますから」とだけ云い残し、留守を頼んだ。
 
 
 ライドウの要望で渋谷に来たが、酷い混雑だ。今日という日を考えれば当然なので、愚痴るだけ虚しい。
 PARCOなんて入ったらいよいよ長引きそうで、同行者の足取りを苦々しく思う。しかしライドウは路地に入った、別の建物に用があるのか。いまいち見当もつかぬまま後に続けば……
「ユニクロかよ」
 入店と同時に、思わず発してしまった。近くに居た店員の「いらっしゃいませ」という笑顔の挨拶が胸に刺さる。
「袖の有るアウターなら何でも良いからね」
「っていうかあんた、店の場所とかいつの間に把握してたんだ」
「この〝トウキョウ〟に来てからそれなりに散策している、それにボルテクス界にだって名残は有ったろう」
「物色しながら普通のトーンでそういう単語を出すな」
 あの世界は俺にとってはあまりの変貌で、名残なんて無いに等しい心地だった。別にこのユニクロだって入った事は有る、新田とも来た気がする、そんな事……ボルテクスに居た時には、頭の片隅に追いやっていた。
「此れ、どうかね」
「どうって、あんたが着るんだから好きにしろよ」
 ライドウが手に取ったハンガーは、黒のチェスターコートがかかっている。物凄くシンプルだ、値段も一万前後の庶民的な範囲。
「ウインドウショッピングの醍醐味が無いではないの」
「醍醐味も何も……じゃあ、俺が意見しても良いのかよ、気分悪くしない自信あるのか?」
 怪訝に問えば、ライドウはニタリとひと哂いして、最寄りの試着室にするっと姿を消した。そしてあっという間に舞い戻ると、清算するのかレジに向かって往く。やや遠巻きに眺めていると、奴はカーゴパンツのポケットから何かを出した、財布も無しに現金を仕舞ってやがる、抜き忘れて洗濯したらどうするんだよ。
 釣銭をポケットにざらっと流し込んだライドウ、コートに袖を通しながら此方に向かってくる。
「値札切って貰ったのか?」
「勿論、この時代はいちいち様々なタグが付いているね」
「点数多いとバーコード管理は楽だぞ」
「仲魔もコード化できれば楽なのにねえ…………ああ、もう実現出来ているのだっけ?」
「その手の話はやめろ」
 二三回、隣の男の全身を確認した。サイズはぴったりに見える……杢グレーのトップスと、ベージュ寄りカーキのパンツと、それで暗色のチェスターコートなら無難だろう。モノトーンやアースカラーは易しいと、母が云ってた。
「どうかね」
「似合ってるとか、そういう言葉が欲しいのか?」
「フフ、想像したら少しぞっとしたよ」
「反応求めておいて失礼だな」
 どうせ何を着たって似合いそうだから、批評する気にもならない。
 モデルが良ければ、ヘアスタイルも服飾も一段上がって見える。その錯覚を意識して生きないと、新田の様に〝雑誌掲載時とイメージ違うんだけど〟などと、購入後にぼやく羽目になる。
「昔、僕の買い物に付き合ってくれた奴は、もっとコメントをくれたものだけどねえ」
 聞捨てならないライドウの台詞、そんな奇特な人間が居るのか?
「おい、それゴウトさんか仲魔じゃないのか」
「違うよ、紳士服売り場で、同じ様に装備が買える仲」
 これ以上追及するのも馬鹿馬鹿しい、絶対明かしてくれる筈も無い。だって、いやらしい表情で哂っているから。
「だったらそいつと買い物行けば良いじゃないか」
「この時代に居る筈無いだろう」
「俺は代替品かよ」
「いいや、全くの別物さ」
 俺の苛立ちを煽ってくるとばかり思ったが、あっさり引き下がるライドウ。それはそれで、寒風が肌を撫でる様な感覚がした。別物と断言出来る程度には、対象を認識してたのか。一個人にそれほど興味を持たないあんたが、それで相手は悪魔じゃないときた。
「帽子も買えば良かったかね、頭を晒して外出するなぞ久々さ」
 出入口付近の帽子コーナーに差し掛かるなり、ひとつ掴むライドウ。俺はもんやりとした妄想の淀みに脳内を圧迫されていたが、目の前でひらひらと弄ばれる帽子を眺めているうちに、思わず零れた。
「それ、もうちょっと上の世代が被ってるものじゃないのか」
「そうなのかい」
「その……初老以上の男性が、よく被ってるイメージだから」
「ハンチング帽が?」
「いや俺の偏見かもしれない、忘れてくれ」
「この時代の若年層は、此れにそういう印象を抱いているの?」
「あんたが被れば、そう悪くは見えないんだろうけど」
「年寄りの帽子って?」
 何が面白いのか、ライドウは肩を揺らしてくつくつと、暫く笑っていた。
 ツイードのハンチングは元の場所に戻され、両手をコートポケットに突っ込んだまま店を出るライドウ。中に三十分も居なかったのに、外はすっかり真っ暗だった。
「両手突っ込んだまま歩くなよ」
「何故」
「行儀悪いって教わらなかったか。転けた時なんかも、咄嗟に両手が出ないだろ」
「君だってしていた」
「お、俺は怪我してたから」
「では転倒時に両手が出せず、更にダメージを負う展開になる訳だ」
「ずるっずるに剥けた、肉色の手を晒して歩けっていうのかよ! 大体あんたがあんな所に、あんな用事に俺を駆り出さなきゃ……」
 なんだよ、結局いつものままじゃないか、遊びと普段の境界線が分からない。手袋の拳を握りしめた、まだ表面が突っ張る気がする、治り切っていない。
「ねえ功刀君、バナナの皮を踏んで転んだ事あるかい?」
「は?」
「僕は有るのだけど」
「まじで云ってるのか?」
「両手も何も、背面からいったのでね」
 そんな古典的ギャグ、漫画でも滅多に見ないぞ。
「ゴウト童子を尻餅で潰したよ」
「冗談かましてないかあんた」
「それも二回ほどね」
 そこまで聴いて、思わず吹き出してしまった。あの黒猫の〝フギャッ〟という幻聴さえした気がする。
 
 
 服の調達を済ませたライドウは、どこからどう見ても現代人だった。このいかにもモテそうな奴が、クリスマスに俺の様な男とほっつき歩いている時点で、なんとなく周囲の目が痛い。日中の闘技場より何倍もマシだが、だんだんと気恥ずかしくなってきた。場所が悪い、まさに今宵遊ばんとはしゃぎ呆ける若者で溢れていて。
「浮かない顔だね」
「人が多過ぎる」
「ああ、いつもそんな顔してたっけね君。それよりも御覧よ、あの辺り、青い電飾の並木道」
「行かないからな、あんな中に埋もれたらイルミネイションも見えないだろ」
「よくよく目を凝らしてみ給え」
 ライドウが小突いてくるので、仕方なく示された方をやぶ睨みした。
「……何か居るな」
 夢魔の類がわらわらと、木々や街灯に腰掛けていた。時折近くの同属と一言二言交わし、再び視線を落とし……まるで人間達を吟味するかの様に。
「行事で人が睦む宵は、一部の悪魔にとっても美味しいからねえ」
「目星つけたら後をついて回るのかよ、あの連中」
「当然、ピークを見計らう為には観察が必要だろう」
「覗きじゃないか、最低最悪、品性下劣」
「ヒトの倫理を押し付けるでないよ。連中の殆どは辱めるつもりも無く、ただ腹を満たしたいだけさ」
 ふと、そういう悪魔から見た〝今の俺達〟はどうなのかと、疑問が浮かんでしまった。異性同士じゃないからスルーか? しかし悪魔こそが、性別など関係無い事を知っているだろう、では両者の関係性や滲む欲望を読むのか?
「あんなに覆って、まるで夢魔のトンネルだ。餌達のMAGも活性化しているし、電飾よりも眩い」
 ライドウの言葉を聞いて、どうでもよくなってきた。そうだこいつはデビルサマナーだった……只の食事と捉えれば、割に合わない相手だ。そして俺も、嗅覚の鋭い悪魔にとっては厄介者だろう。
 そもそも、カップルに見えない、見える筈がない、見られて堪るか。
「何をいきなり怒っているの君」
「……いや、色々」
「次の目的地で発散するが良いさ」
「何処に行くんだよ」
「僕のお気に入りのスポット」
 
 
 どんな悪趣味な場所に連行されるのか不安だったが、なんの事は無い……只のゲーセンだった。
 そうだ……新田と橘と、此処のすぐ隣のマクドナルドに入った事がある。俺と橘は乗り気じゃなかったけど、新田が〝はいはいはい! シェイク飲みたい!〟とオーバーな挙手までして立ち止まり、しぶしぶ入店したのだった。結局あいつは喉が渇くまで喋り続け、退店後に〝喉渇いた〟などとのたまい、俺と橘を酷く呆れさせた。
「まずは此れ」
 いつの間にか運転席に座らされていた、湾岸なんたらってレースゲームだ……他のゲーセンでも見かける筐体。ライドウはさっさと隣に座って、硬貨を二ヵ所に投入していた。ああこれは、勝手に対戦させられる流れだ。
「おい、今あんたカードみたいなの挿入しなかったか、俺持ってないんだけど」
「無くても出来るよ」
「というか何で持ってるんだよあんた」
 対戦相手の情報が画面に表示される、なにやら仰々しい肩書だ……この男、さては相当やりこんでいるな。チェイサーツアラーV(黒)とかヤクザみたいな車選びやがって、しかも滅茶苦茶チューニングしてそうだ、強化好きだもんなこいつ。
 俺は正直何でも良かったが、出来るだけ控え目な印象のシルビアspec.r(白)にした。
「コースはどれがいい?」
「好きにしろよ」
「新環状左回りの深夜ね」
 それが有利か不利かも分からないまま、走行スタートしていた。レインボーブリッジの映像はなかなか良く出来ていてリアルだが、いくらぶつかろうが損壊も停車もしないあたりがゲームらしい。無言のライドウが、真剣なのか気を抜いているのか、元々そういうプレイスタイルなのか、全然分からない。俺一人で喚くのも馬鹿らしいので、互いに無言で黙々と走行した。抜きつ抜かれつを繰り返し、接戦というよりは並走に近い。しかしこの調子なら、もしかすると勝てるのでは……そんな欲求が湧いてしまった。
「これね、後続車の方がブースト掛かり易いから」
 唐突に言葉を発したライドウ。瞬間、シルビアをあっさり抜いたチェイサーがゴールした。
「なんだよそれ、適当に後ろ走っておいて、ゴール直前に抜けば良いだけじゃないか」
「もっと差をつける事も可能だったけどね」
「はぁ? 俺に接待プレイしたって云いたいのか」
「万が一、やる気の失せた君が運転放棄して、席を立ってはしょうがいのでねえ」
「そんなガキみたいな事するかよ」
 カードを抜いたライドウの眼が哂っている。人間の扱いが雑なだけで、読みは鋭いこの男。きっと俺が一瞬だけでも勝負欲を抱いた事に気付いている、そういう相手を負かす方が愉しいんだろう?
「性格悪い」
「フフ、その凄い不貞腐れた面」
 ポケットから携帯電話を取り出したライドウ、未だに俺の母親の形見を使っていて気が滅入る。何をするかと思いきや、こちらに翳してきた、カメラでも起動させたのか。
「やめろ」
 レンズ位置を手で覆い、撮られまいと遮断した。そのままやんわり掴み、携帯を折り畳んでやる。俺の拒絶をいやにすんなり受け流したと思った矢先、ライドウが突然、腕を組んできた。ぎょっとした、咄嗟に声が出ない。意味や理由を問うより先に、耳がじんわり熱くなった。恐ろしい事に、嗜虐の匂いがしない。
「あちらで撮ろうよ」
 
 
 ぐいぐいと引っ張られた先は、あろうことかプリクラのゾーンだ。ひとつも縁が無くて、中に入ってから何が行われるのかも知らない。装飾過多な証明写真が撮れる機械、という認識だ。
「撮られるのは好きじゃない、そもそも自分の写真なんか要らない」
「心配無用、出て来た写真は全部僕が貰うから」
「それが怖いって云ってんだよ!」
 男同士で並ぶなんて、拷問でしかない。男性立ち入り禁止とか、どこかに掲示が無いか探したが……どうやら男もOKらしい。
「悪魔から貰う名刺に時折貼ってあってねえ、プリクラ。少し気になっていたのだよ」
「悪魔って、ちゃんと写るのか?」
「おや、寧ろ〝写る事で初めて認識される〟とは聞かないかね? 人の目の方が欺き易い」
「……俺は写るからな!」
「何をいきなり張り切りっているの君」
 女子高生やカップルの視線に晒され痛かったが、とうとう狭い囲いに入る番が来た。カーテンの内側は想像よりも煌々としていて、モニターもでかい。何だ、今はほぼ全身撮れるのか? 世に出たばかりの頃は、確か長方形のフレームに首から上しか入らない様な、その程度だった筈。
「いちいちアナウンスまでしてくれるとは、この時代の機械は親切だね」
 選択項目はすべてライドウ任せで、俺は既に映し出されている己の姿にびびっていた。鏡の様だが、カメラを通しているせいかぎこちない。余所を確認しているライドウは、どんな角度どんな瞬間を撮られても、何も問題なさそうだ。そういう意味で、隙の無い容姿をしているから。
「さて、どの様なポージングで撮る?」
「ポーズなんてしないからな!」
「では棒立ちでい給え」
「それも馬鹿っぽいから嫌」
 勝手にカウントダウンが始まっている、どうしたらいい、答えが見付からない。
「あ、あんたはどうするんだよ!?」
「そうだねえ、慣れたポーズが良いかな」
 云っている意味が分からないが、不敵な笑みはそのままに腕組みをしたライドウ、何の参考にもならない。
 シャッター音と同時に、俺は反射的に頭を庇ってしまった。顔なんて当然見える筈もなく、アナウンスは〝これでい~い?〟とか確認してくるが、いいわけないだろ。
「なかなか良いじゃないか」
 俺を無視して、即行で〈これにする!〉ボタンをクリックするライドウ。
「どこがだ」
「もう一枚撮影があるそうだよ」
「勘弁してくれよ……」
「反射するかもしれない、此れ外してよ」
「おいっ」
 勝手に眼鏡のパッドアームを掴まれたので、こちらもライドウの腕を制した。しかし眼鏡は指先でくいと取り払われ、テンプルが俺の前髪を撥ね上げた。
「えっ」
 眼鏡を取った反対の腕が、俺の背に回される。
「何してやがるっ、おいっ!」
 顔が近い、額が擦れそうだ、唇が近い近い近い!
 引き剥がそうと押し返した瞬間、シャッター音。触れてはいなかった筈……感触は無い。ただ、モニターを確認するのが恐ろしい。一方のライドウは、腹を抱えて哂っていた。確認用に映し出された写真は、まさに一秒前レベルの状態で。避けようと軽く俯いた俺の、ぎゅうっと閉じた眼が色んな意味で痛々しい。
「ば……っかじゃないのかあんた! 何が撮りたいんだ!?」
「君が困ってる姿」
 ライドウから眼鏡を奪い返し、アナウンスの〝これでい~い?〟という確認に「よくねえよ!」と思わず怒鳴り返す。
 さっさと印刷されたブツを回収して、プリクラゾーンから立ち去る他無い。俺の急いた心に反して、アナウンスは何かごちゃごちゃ説明を続けている。ブースを出ろと云われたので、さっさとカーテンを開いて側面に回った。排出されたシールを、出来ればライドウより先に取ってしまわねば……
「君、しっかり説明聴いてたのかね」
「何が」
「此処で先程の写真に加工をして、それからの印刷になるのだよ」
「はぁ? 加工ってなんだよ、モザイク可能なら全面に頼む」
「僕の好きにして構わないのかねえ……ククッ」
 それはまずい気がして、思わずライドウの手元を覗き込む。こんな側面にもモニターが有ったとは、気付かなかった。タッチペンで操作できるのか、ライドウは器用に使いこなしていた。直接ペンで書き込めたり、スタンプを選んで押せる様子だ。
「……おい、今なんかジャックフロストみたいなスタンプ無かったか?」
「有るね」
「なんでだよ」
「さあ?」
 一枚目の方に、ぐりぐりとペンで筆記するライドウ。自分の頭に学帽を描いて、その上に猫を描いて……黒で塗っている、ゴウトの様に見えた。空いたスペースには〝十四代目葛葉ライドウ 紺野夜 参上〟なんて書いていて、なんだこいつ、しかも字は綺麗だ。
「ああ、それ《挑発》か……って、その為の腕組み仁王立ちかよ!」
「君は書かないの、もう二枚目に移るよ」
 時間制限があるのか、ライドウに云われた頃には画面が切り替わっていた。二枚目というのは、あの問題写真だ……もう適当なペンでもいいから選択して、ひたすら塗り潰してしまいたい。
「フフッ、いい顔してるよねぇ」
 蛍光色を選んだライドウが、俺の顔にするすると描き込んでいくのは見慣れた紋。キス以上に血の気が引く様で、それでいてグワッと昇って来るこの感じ。
「クソッ、ふざけるなよ」
「折角丁寧に施してあげているのに」
 ここでペンを取り上げては、周囲の目が痛い。待ち時間の短縮を図っての構造だろうが、外で描かされるのが地味にキツい。やり取りを見られるじゃないか、せめてカーテンの内側だけで済ませたかった。
 こうなれば対抗して、俺もライドウが嫌がりそうな事をひたすら書き込むしかない。絵心は無いので、言葉で何か……何か……何があるんだ? 
 〝鬼畜〟〝悪趣味〟〝自己中〟〝サディスト〟〝悪魔より悪魔〟……思い付く限りの罵倒に矢印をつけ、写真のライドウに向かわせるがどれもひまひとつで、当人も俺の語彙に失笑している。
「では僕も書いてあげよう……これ、功刀君の紹介ね」
──〝蒲魚〟〝色眼鏡〟〝貪瞋痴〟〝脳筋〟〝チャッカマン〟〝自称潔癖〟〝破廉恥〟
 ライドウの綴る言葉の、正直いくつかは読めない。ただし、どれもこれも褒めるフレーズで無い事だけは分かる。
「ハレンチはあんたの方だろ」
 〝スケコマシ〟〝顔以外0点〟〝キス魔〟〝貞操観念ガバガバ野郎〟〝馬並〟……まで書いて、慌てて最後のは消した。
「ねえ、今何て書いたの」
「どうでもいいだろ」
「好きだねえ君も」
「違うっ!」
 モニターに《時間切れ》と表示され、俺はどこか震える手でペンを戻した。喧騒の中、印刷されたシールが落ちてきたストンという音だけが、妙に耳に残る。先に取ってやろうと思っていたのに、触れるのも恥ずかしくて。
「フフ、ねえこれゴウト童子に見せても?」
 俺達のプリクラを摘まみ上げ、平気でそんな事を云うライドウ。やめろと云ったところで無駄な気がする。
「はい、君の分」
 ご丁寧に、ぶら下がっていた鋏で二等分して、片方を俺に寄越してきた。俺はひとまず受け取り、ロクに見ないままコートのポケットに突っ込んだ。
「もう帰りたいんだが」
「まだアヴァロンの鍵もやってないよ」
「俺の家の鍵で我慢しろ」
「タイムクライシス3も」
「あんたいつも本物撃ってるだろ」
「クイズマジックアカデミーも」
「店内対戦には付き合わないからな、どうせ馬鹿にされる」
「三味線ブラザーズも」
「そこは太鼓の達人じゃないのかよ」
「あの三味線、本物と全然違ってねえ。しかもキャラクターが猫ときた、猫に三味線持たせているのさ」
 可笑しそうに話すライドウ。足取りは出入口への動線に乗っている、頼むからこのまま退店してくれ。
「そうだ、あれやってみておくれよ」
 袖を引かれウンザリする、ゲームコーナーから動かない子供に駄々を捏ねられる親の気分だ。
「もう疲れた」
「人間の僕より先に、君が疲れる筈ないだろう」
「精神面から疲労する仕組みは変わらない」
「殴るだけで良いからさあ」
「あんたを?」
 引かれていった先、仰々しい装置が見えた。サンドバッグが吊るされたパンチングマシンだ、確かに殴るだけのゲーム。
 いや、これは逆に不味い気がする……どの程度で殴れば良いか、全く分からない。あまりに弱く打ち過ぎても、ライドウに馬鹿にされそうだし。かといって本気で殴ったら……多分、壊してしまう。
「ね、面白そうだろう」
 こいつがやたらと勧めてくる理由が解かった、人の葛藤を餌にニヤニヤしやがって。
「……あんたが先にやれよ」
 とりあえず、ライドウの殴り方で様子見しよう。どの程度で殴れば無難、かつライドウより上の評価が出るのか、よくよく観察しなければ。
「構わぬけど」
 硬貨投入後〝無差別級ノルマ〟を選択し、添え付けのグローブを填めたライドウ。やや姿勢を落とし、半身から正面に打ち付けた。手本の様に真っ当な殴打……訓練を受けた人間なのだと、冷静に見れば思い知る。
 計二回測定され、記録の良い方で評価が決まるらしい。表示されたデジタル数字は《195》ランクは〝道場練習生級〟と付いていた。
「まあこの程度だろうね、僕さほど力は無いから」
 とはいえ、どうやら200から上が格闘家並らしく、一般男性としてはかなり上出来ではないか。そもそもこいつの云う〝力は無い〟というのは云い換えれば〝必要としない〟という事であり……武器が無い状態でも散々苦しめてくれた記憶が甦る。
「ほら、やってくれるのだろう?」
 俺はグローブを受け取り……左手に填めた。利き手でなければ、意識せずとも弱まってくれそうな気がしたからだ。それに右手の拳はまだ痛い、治りかけを崩すと治癒が普段以上に遅れてしまう、それは避けたい。
 一回目……殴る姿勢を取る、いや取らない方が良いのか? 殴ろうと意識すれば、自然と腕に何かが漲る。それは恐らく人外の息吹、魔的な何かであって……それが戦闘以外で発露しては困る。
 余計な事を考え過ぎて、まるで肩を叩くかの様な、殴るというには程遠い接触になった。表示された数字は《32》で、二回目でこれ以上を出さないと〝帰宅部級〟になるそうだ。確かに俺は帰宅部だったが、なにやら屈辱的だ。
「どれだけ手加減したの君……ックク……」
 ウケにウケているライドウ、片脚をタンタンとフロアに打ち付けて腹を抱えていた。
 一方俺の目の前ではサンドバッグが定位置に戻り、続けてコールが鳴った。すぐ傍で馬鹿笑いしている男に煽られる様に、今度は無心で殴った。途端、顔面手前まで跳ね返ってきたサンドバッグ。何やらイヤな音がした、何処か千切れた様な、割れた様な……デジタル表示は《EEE》数字ですらない、ランク表示にも進まず無音。
「エラーだね、壊したんじゃないの君」
「だから嫌だったんだ!」
 まるで他人事の様なライドウを引っ張り、逃げる様にその場を去った。一瞬だけ後方確認したが、客と店員がエラー表示を見ながら何かを話している。多分数人には見られていたし、監視カメラにばっちり映っている。普通に打ったんだ、ルール違反をした訳ではない、頼むから追って来ないでくれ。
 
 
「350以上かな、流石は脳筋なだけある」
 呟いたライドウを振り返り、引っ張り掴んでいた腕を払った。
「もうあんたとあそこには行かない」
「行きづらくなった? 他にもゲームセンターは有るよ」
「そういう問題じゃない、あんたと行ったら絶対何かあるから……困るのはいつも俺だけだし」
 街路の人は、さっきより少しだけ減っていた。パーティーなり、イチャつくなりする連中は、きっと屋内に引っ込んでいる時間帯だろう。日中の熱も完全に失せて、空気が冷えている。自分ではそこまで判らないが、隣のライドウの吐息が白い。
「しかし娯楽施設の進歩が目覚ましいな。この時代に生まれず良かったよ、遊び人に成ってしまう」
「もう半分くらい成ってるだろ」
 カーゴパンツのポケットを探るライドウ、現金やカードが入れてある場所とは別だ。
「おい、歩き煙草するなよ、最近区ごと分煙になったから」
「誰が監視しているのかね」
「……公務員じゃないのか」
 適当な返事をしたが、特に追及される事もなく。立ち止まって話す理由も無いので、俺は駅へと勝手に歩みを進めた。もう二十一時を過ぎている……出来るだけ早く帰りたい。寝る前にシャワーは浴びたいし、こいつと夜更かしなんかしても良い事は無い。
「ねえ、この区間は吸っても良いの?」
 港区に戻って来た途端ライドウが訊いてくる、律義なんだか堪え性が無いのか。俺の服をヤニ臭くされるのは御免だが、住宅街に入ってしまえば人通りも殆ど無い。そしてこの辺りは、まだ分煙が施行されていない。
「そもそも歩き煙草が行儀悪い」
「向こうまで見て御覧よ、誰も居らぬ」
「もう勝手にしろ、他人とすれ違ったらすぐ消せよ、というか灰皿有るのかよ」
「消し炭にしてくれるだろう? ああ、チャッカマンだけでなく灰皿とも書くべきだったね」
 いちいち腹立たしい奴だな本当に……誰が点けてやるかよ、と思った。
 思っているのに。眼前に一本差し出され、俺は反射的にフッと焔で舐めた。
「御苦労」
 吐息より若干青白い、その煙。弄ぶ様に滑らかな指先で、ライドウは口元へ誘った。
 隣はもくもくと毒を吐き、俺は黙々と家路を急ぐ。
(こいつ、多分ギリギリ未成年だよな?)
 横目に盗み見た。鋭利なモミアゲまでもスパイスになる、謎の色香を持つ男だ。こうして喫煙していれば、少しだけ大人しくなる。本来ならば俺に吐きつけられる毒も、ゆらゆらと霧散してくれる。
(ずるい奴)
 一番似合うのは、やはりいつもの学帽と外套姿だ。今の恰好も悪くはないが、俺の中のライドウはやっぱりあの黒づくめで、大人っぽ過ぎないミステリアスな雰囲気で、それで煙草なんか吸っていたら……
「おや、早くも時間切れか」
 思い描いていた当人の声にはっとした、そうだ、今そのライドウと歩いていたんだ。
「ほらあすこ、コンビニエンスストアの前」
 煙草を持たぬ手で示された先、確かに人影が見えた。サンタ帽のシルエットだけが鮮明で、逆光の中おぼろげに見えるのは長机と山積みの箱だ。
「外売りしてるのかよ……この寒い中」
「何を売っているの?」
「多分ケーキ、明日には半額になるぞ」
「半額に? では日が変わったらコンビニ巡りしようよ功刀君」
「一人で頼む」
 こんな時間にあの在庫だ、もう諦めてしまえば良いのに。いや、今日の為の日雇いかもしれない、そうなるとノルマがあるか、もしくは終日までが拘束時間か。
「君の家でも、クリスマスにはケーキを買っていたのかね」
「母親が作ってくれたり、買ってきたり、俺が作ったり……場合による」
 ライドウは俺に問いながら、煙草をこちらの背面へと寄越した。俺は視界の端で確認し、手袋を外した左手にそれを引き取ると、ぎゅうっと握りしめ灰にする。夜風にさらさらと流せば、寒風に舞い上がった。
「ホワイトクリスマスだよ」
 風下に少し被ったのか、ライドウはグレーの粉雪にはしゃいだ。それに呆れつつも俺は足を速めた、例の路上販売に近付いて来たからだ。冷やかすつもりは無いし、買ってやる予定も無い。
「ケーキ、まだ買われてないようでしたら、是非!」
 ダウンジャケットを着込んだ販売員が、サンタ帽を揺らして挨拶してきた。俺は一瞬目を合わせ〝要りません〟の会釈をしつつ、早々に通り過ぎた。ざっと見た限り、あと十個近く残っていた。そもそもこの辺で売り込むのが間違いだ、お気に入りの専門店で買う様な住人の地帯だぞ。大手メーカーの大量生産ケーキなんて、急な予定変更でもなければ買う事も無いだろう……
「はっ!?」
 曲がり角で気付いた、ライドウが居ない。振り返ると案の定、販売員と話し込んでいる。
 俺は其処に接近する気にもなれず、近くの電信柱に身を寄せた。視線のやり場も無く、暫くじっとアスファルトを見ていると……ぬっと人影が現れる。一瞬身構えたのは、相手がサンタ帽を被っていたから。
「お待たせ」
「……なんだよその帽子」
「もう撤収するのだと、この帽子をゴミ袋に入れようとしていたから、貰った」
「なんで貰うんだよ、なんで被ってるんだよ」
「やはり帽子が無いと落ち着かなくてね」
「しかもそれ」
 ライドウの持つ紙製手提げは、紛れもなく購入したケーキの箱が入っている。
「どうして買ったんだよ」
「このまま家に帰るつもりだろう?」
「どうせなら…………」
 いいや、此処で文句しても仕方が無い。この男が勝手に食べたいのなら、それでいい。
 家までの辛抱だ、隣の浮かれたサンタ男と並んで歩くのも、あと少し。ほら見ろ、今横切った宅配ピザのバイク、配達員が明らかにライドウを見ていた。悪目立ちしやがって、まあ帽子無くても似た様なものか。
「ねえ功刀君、走ろうか」
「そんなに早く食べたいのかよ、ケーキ崩れるぞ」
「今の配達先、君の家だよ多分」
「は?」
「先刻、電車待ちの際に注文電話をいれておいたので。ゴウト童子は恐らく対応してくれないだろうね」
 その云い分が嘘とも思えず、俺は確認も後回しに駆け出した。ライドウも袋を胎の位置に抱え込み、他人事の様にヘラヘラ哂いつつ、帽子のポンポンを揺らして駆けた。
 
 
『お前等、追い駆けっこが好きなのか?』
「違います! ライドウが……っ……、はぁ、はぁ」
 帰着するなりゴウトに云われた。多分、第三カルパの事と繋げられたのだろう。ライドウが原因、という点に関しては違い無い気もするが。
『はぁ、浮かれおって。カラスの眼が無いからと、羽を伸ばし過ぎだ』
「クリスマス、もう終わるから大丈夫じゃないですか」
『出張先に依存すべきでないと、一番分かっているのは奴だろうて……全くどうしたものだか』
 何が〝大丈夫〟なのだろうか……自分でもよく分からない、何故か焦燥感があった。ゴウトというこの黒猫は、ライドウを監視している側なんだろうと、知ってはいたけれど。
『む、こんな時刻に訪問者?』
「ああ、ピザが来たんです多分……おいライドウ、あんたが対応しろよな!」
 俺チャイムを無視してモッズコートを脱ぎ、手袋を両方外した。右手の甲と指を眺める……そこそこ回復したのか、さっきまで突っ張っていた傷痕も馴染み、色もだいぶ落ち着いた。まだ薄っすらと熱を持っているから、あと一息といったところだ。
「ほら功刀君、ピザにチキンにシャンメリー……ああ、これ度数表記が無い、シャンパンとは別物なのかい」
 受け取った荷物を次々にダイニングテーブルへと降ろしていくライドウ。箱がでかい、こいつLサイズ頼みやがったな。
「シャンメリーは子供の為のなんちゃってシャンパンだぞ」
「なんだ酒では無いの、まあこの際ソーダ水でも何でも宜しい」
「……ほら、皿とケーキナイフ。グラスは分かるだろ、場所」
 取り皿とナイフだけ用意してやり、俺はソファに放られていたチェスターコートをハンガーにかける。ライドウの身体を離れたそれは、どこからどう見てもユニクロの一品に戻っていた。それでも少しだけ白檀が移っていて、まさに所有物だな、と感じる。
「功刀君、毒味して」
「俺の分も切り分けてくれたと思ったらそれかよ」
「ほら早くし給え、ピザが冷める」
「なんだよこれ、サツマイモのピザ? もっとスタンダードなのにしろよ……」
 期間限定品にそこまで好反応とは思えないので、単純にサツマイモで釣られたな。
 別に空腹でも無い俺は椅子に着席し、ひとまずピザの先端を齧ってみた。ああやはり、甘いピザだこれ……ケーキも有るのに、ピザまで甘いチョイスとは。まあメインで食べるのは俺じゃないから、良いけれど。
「次はチキン」
「はぁ…………何の変哲も無いチキンだな」
「ほらケーキ」
「そのチョコレートの飾りは毒味しなくて良いのか」
「此れは僕の取り分」
「毒味の意味」
 チョコこそ毒を混入させ易いだろうに、と思ったが云わないでおく。
 俺は改めてウエットティッシュで手を拭い、フォークを手にした。ケーキの中間層は予想通り、殆ど具が無い。缶詰クオリティの黄桃が所々に散っていて、スポンジの肌理もざっくり。一口食べてみたが、味蕾の鈍くなった自分でも判るくらい、薄い味わいだ。しかもほのかに冷蔵臭がする、クリスマス前から長期的に保管されていたんだろう。たいした額でも無い六号サイズ、所詮この程度だ……値段なりという事で落胆も無い、しかし当のライドウは満足しているのか?
「美味しい」
 俺の疑問に応えるかのタイミングで、云い放った男。こいつの味覚は割と鋭い方だった筈、隠し味を指摘出来るくらいだ。それなら同じ様に感じ取っているだろうに、それで美味しいと云える謎。それとも単に、ストライクゾーンが広いのか。
「ね、功刀君?」
「…………まあ、大量生産品にしちゃ十分じゃないのか」
 不味いなんて云えるか、この状況で。だって、クリスマスが終わるまであと一時間も無い。此処で自分の意見を通して〝美味しくない〟と云えば、俺は本当に悪魔に成ってしまう気がした。
 俺が調理に慣れぬ頃、明らかに失敗したケーキを母が〝美味しい〟と食べてくれた、そればかり脳裏にちらつく。あの感想が嘘なのだと子供心に察していた、苦いけれど……甘い記憶。
「どうせこれからの君には、サンタも祝う恋人も来ないだろうから、これからは僕が遊んであげるよ」
「それはデビルサマナーとして面倒みてるつもりなのか」
「フフ……無宗教な君だからこそ、この日の遊び相手にしているんじゃないか」
 ライドウに呆れたか、ゴウトがリビングを離れた。きっと静かな所に行きたいのだろう、気持ちは分かる。それを見送ったライドウは、更に口角を上げた。親の監視を逃れた子の様に、MAGが浮足立っているのが判る。違和感の正体、そう、子供だ……ケーキを買いに舞い戻る姿が妙にあどけなくて。普段の黒さを、まるで雪ぐように……ああ、どれが本物のこいつなんだ。
「クリスマス記念大会の祝杯としよう、乾杯」
「そっちを祝うのかよ」
「次はもっとスマートな戦い方をしてくれ給え、僕の悪魔にしては粗雑さが目立つ」
「悪魔と殴り合うのに、そんな気を使っていられるか、そもそも連戦させるあんたが悪い、俺をしごきたいだけだろ」
「鍛えてやっているのだよ」
「そういえば、名目だけはそういう立場だったな、あんた……」
 互いに立場が違えば、毎日こんな具合だったんだろうか。いいや、多分つるむ事も無かっただろう。
 乾杯で寄越されたグラスをあおる、気の抜けたシャンメリーの甘ったるさが舌に残った。
「仕方無い、クリスマスプレゼントでもあげようか」
 不穏な事を云いつつ身を乗り出すライドウが、俺の右手を掬い取る。
「……っ……おい……」
「メリークリスマス」
 堪らず息を呑んだ。傷痕を口づけ舐めるライドウから、緩やかに魔力が流され……俺の右手は更に熱を帯びた。
 引っ込めようとしたが身体が動かない、呼ばれた名前が掻き毟る、中の消えない傷をまた痛くさせる。
 テーブル上のどんな料理よりも、目の前のこいつが美味い事を知っている。
「クリスマス、もう終わってしまうね?」
 未練も感じさせない声音で云うライドウ。
 俺は酷い渇きを覚えたまま、向こう壁の時計をひたすら睨んでいた。
 聖なる夜だなんて、程遠い。
 
 
 -了-

 ✦おまけ(ライ修羅R-18、薬物ネタ)

AFTERWORD

 リクエストの「和やかな話」というお題には、果たして沿えたのでしょうか!? これが筆者の精一杯というか限界です、でもかつて無いくらいイチャイチャしたデートになっている気がします、当社比。 2003~2004年頃を前提として書いたので、当時の情報を集めました。工事直前のPARCO、ゲーセンのラインナップ、渋谷区の分煙施行など……ただし東京とは縁の無い人間が書いておりますので、多少の違いは御勘弁を。
 多分〝遊んであげる〟と云いながらライドウが遊びたかったんでしょうね。一般人のクリスマスの真似事をしたかったのでしょう。イメージとしては長編第二章の彼等なので、人修羅もライドウの〝知らない所〟がまだまだ有る状態。〝一緒に羽目を外せて嬉しい〟というより先に、戸惑いの方が大きい。
 サイトユーザー向けに書いたので、ユニクロといえば〈帳〉の番外SS「玉繭の化石」で夜が発言していたり、三味線弾く猫といえばSS「膝上の世界」であったり…脳裏を過ぎる描写もいくつか有ると思います。冒頭の〝クリスマス記念大会〟も女神転生2の闘技場を参考にして、なので五回勝ち抜き形式です。ネタ元や戯言などは、ブログ記事にまとめようと思います。
(2019/12/28 親彦)